『城塞都市とウィンクルムの謎』
*エピローグ*
◆紅月ノ神社を照らす華
夜空に大輪の花が咲く。
「あのときはごめんね。君がボクを大事にしてくれてることなんて、考えればわかったはずなのに」
どうしてそれができなかったのだろう、と、神人は首を傾げた。
確かに、デートの最中、「大事に思っているのか証拠を見せて」といきなり言われたときは、精霊も驚いた。
でもあれは試練だったのだし、こうして謝ってくれたということは、それを乗り越えたということでもあるだろう。
「まあ、気にするなよ」
「ちょっと、髪が乱れる!」
撫でれば乱暴に言うくせに、その顔は見事に赤い。それがりんごみたいだと思ったところで、ふと気付いた。
そうだ、あの時は確か、りんご飴を買ったのだった。
さっき食べたのは焼きそばで、髪が……なんて言っていた人物の唇には、実は青のりがついているけれど、でも。
今回の方がよほど、甘い時間だ。
そんな彼らの背後では、狐耳のおかっぱ少年が走り回っていた。
「こら、祭りが終わり近いからといって、気を抜くのではない! もう、ほんと、疲れるから……」
立ち止まり、テンコがしょんぼり耳を垂れた、その頭上。
連続して、花火が上がる。
「うわあ、たくさん! すごいねえ!」
「おお、綺麗だな」。
神人の顔が輝き、精霊が、感嘆の声を上げ。
「おお、これは見事じゃ! 来年も、この時期が楽しみじゃな」
テンコは、疲れた顔から一変、嬉しそうに笑った。
◆鎮守の森 百鬼夜行が消えた後
「あぶないっ!」
精霊の頭を狙った刃を受け止めたのは、傍らで剣を振るっていた神人だった。
トランスのキスを嫌がり、戦闘不能となっていた相棒が、今は自分を守ってくれた。
「やっともとに戻ったのか……」
武器を下ろしたまま呟いた精霊を、神人が一瞬、じろりと睨み付ける。
「ちょっと、手伝って、ください……よっ。こんなの、いつまでももたな……」
上からぎりぎりとかかる力に、神人の腕が震え始めていた。
「ああ、悪い!」
精霊は声を上げ、武器を握り直す。
妖怪のデミ・オーガ。正面から狙えば、神人も巻き込んでしまいかねない。
ならば後ろから、と数秒の支えを相棒に任せて、敵の背から斬りかかる! ……と。
「ちょ、うわっ!」
神人が声を上げた。ぐらり、敵の身体が、前方に傾いてきたからだ。
このままでは、巨体に押しつぶされてしまう。
「蹴り飛ばせ、早く!」
「って、このっ!」
妖怪の腹に足がめり込み、体は今度、後方へ。
避ける精霊。どさり、仰向けに倒れる敵。
ほっと2人、肩を下ろして。
「まったくあなたは、いつも配慮が足りないんですよ」
言い捨てた神人に、精霊はごめんと言いつつ、腕を伸ばした。
「悪い。……でも、助けてくれて、ありがとな」
とん、と軽く、肩を叩けば。
「仕方無いじゃないですか、パートナーなんですから」
視線を逸らした神人の頬が、わずかに赤い。
◆機械に戻ったムーンアンバー号
「ラストだ!」
振り回した武器の刃が、敵の体を切り裂いた。
オーガの咆哮は、特殊な空間の中に響き渡り、耳が痛くなるほど。
でもこれですべてが終わるとなれば、喜ばしいことだ。
目の前のあちこちには、歯車や車輪など、ムーンアンバー号のパーツが転がっている。
神人は、それらに目を向けた。
「なんでこれが、オーガに宿っていたんだろう……」
しかし精霊は、そんな彼にさっさと背を向ける。
「そんなの、偉い奴らが考えることだろ。とりあえず俺達の任務は完了! さっさと帰って、風呂だ風呂」
「だね。動きっぱなしで汗だくだし」
神人は、相棒を見やり苦笑した。先ほどオーガに攻撃を受けた時か。べっとりと頬に貼りついた粘液のような汚れが、折角の彼の美貌を台無しにしてしまっている。
実に勿体ないね、と思ったままを言えば、精霊はにやり、と笑った。
「だろ? ほら、行こうぜ」
差し出された手に、神人はそっと、自らの手のひらを重ねる。
彼が言う通り、自分達の任務はこれで、終了だ。
あとは学者でもなんでも、賢い人達が解明してくれればいい。
◆解読されたヴァルハラ・ヒエラティック
『ウィンクルムの居城ヴァルハラ』を、駆ける者が、ひとり。
「A.R.O.A.本部から連絡がありました。ウィンクルムはすべての試練をクリアしたと」
彼は呼吸を弾ませながら、調査を続ける学者達に告げた。
男性が振り返り、「そうか!」と嬉しそうに声を上げる。
「こちらも今、ムーンアンバー号の全てのパーツを確認したところだ。愛の力も十分……これなら、パーツの組み込みさえ完了すれば、すぐにでも運行を再開できるだろう」
「またこれが無事に動くところが見られるのですね」
助手がほうっと息を漏らした――そのとき。
「おい、こちらに来てくれ!」
碑文に見入っていた学者が声を上げた。
別の学者達と弟子が駈け寄り見れば、石碑の表面は光に覆われている。
石碑を覆っていた苔が、光となっているのだ。
しかし不思議なことに、それは数秒の後に消え失せた。
あとには、すべてが読めるようになった、碑文の文章のみが残る。
「なんて書かれてるんですか?」
弟子が尋ねると、学者達はゆっくりと、その文章を読み上げ始めた。
『この世の魂のすべては輪廻転生によって回っており、神人も精霊もオーガもそれは同じである。
前世で深い愛に包まれていたり、深い愛を与えていたり、愛に飢えていたりと愛に関係している者は神人として力を目覚めさせ、
神人と深い愛を持ち、愛を誓い合っていた者は、その神人の精霊として顕現する可能性が高くなる。
前世で愛し合って生涯を終えた者、前世で愛を誓い合ったが結ばれる事なく生涯を終えた者、そういった者達も、
同じくしてウィンクルムとして顕現する可能性が高くなる』
助手はペンを握る手を止め、目を瞬いた。
つまりウィンクルムは、愛の中でずっと、輪廻転生を繰り返している、ということだ。
でも、それならば。
「オーガに落ちた精霊の魂は、どうなってしまうんですか? 輪廻の輪から外れ、滅びて消滅してしまうのでしょうか」
学者達は一瞬だけ助手に目を向けた後、再び碑文を目で追った。
『オーガとなり堕ちた魂は、魂を滅ぼすことでしか救う事が出来ず、
滅ぼされた魂は輪廻転生の輪を抜けて消滅する。
しかし、強い絆で結ばれたウィンクルムの場合は例外が存在するといわれており、
オーガとなり堕ちた精霊の魂は、契約している神人に倒される事、
もしくは精霊の魂が強い神人への想いがあった場合輪廻転生が出来ることがある』
「巡り合えるんですね……!」
助手が呟く。
しかし学者達は揃って、「可能性の問題だよ」と言った。
「君は私達の解読したものをしっかり聞いていたか? 輪廻転生できることがある、とは100%を意味しない」
「そんな言い方をしなくても」
助手はじっとりとした視線で、学者を見やった。
彼らの知識は称賛するし、彼らがいてくれるからこそ、こうして謎も解明できる。
だが賢い人というのは、ときに冷静すぎるのだ。
助手は、それ以上は何も言わずに、ペンをしまおうとした。
学者達はまだ石碑を探っているが、ここから見る限り、石碑にはこれ以上の文字はない。
それならば、少しでも早くレイジに報告しなくてはと思ったから、なのだが――。
「ん?」
石碑の最下部に指を這わせていた学者が、小さく声を上げた。
地面に膝をつき、鼻先が触れるほどに、石碑に顔を近付ける。
「待て、少し薄いが、ここにも文章がある……」
『セイントとなった神人は、人を超越した存在となって長い年月を生きることがわかっている。
セイントと同じく、精霊もセイントとなった神人と近くに長く居ることで、
神掛ったチカラを得るようになっていき、セイントとして完全な段階になった神人と共に居た、
精霊は『テソロ・ペルソナ』として物質の創造を行うというチカラを得るという。
セイントには段階があり、完全にセイントとなった者は、ジェンマに使える天使として天界へ導かれる』
「ちょ、えっ!」
再びペンを動かしていた助手は、勢いよく顔を上げた。
「セイントって……段階って……じゃあ、レッドニスは」
思いついたままを次々に言葉にすれば、学者は「ふむ」と顎に手をやった。
「クリスマスに、弟のダークニスに囚われた、レッドニス・サンタクロースか」
ウィンクルムは彼を救うため、クリスマスを取り戻すため、一丸となって戦い、かなりの苦戦も強いられた。
もしセイントが、それほど神秘的な存在と言うならば、いくらギルティ相手とはいえ、そうやすやすと捕まるはずがあるまい。
「おそらくは第一段階と言ったところではないか?」
想像を込めて学者が言う。
「……じゃあ、ジュリアーノは……」
助手が思わず呟くも、その声は小さく、学者には届かないようだった。
ジェンマに遣える天使と聞いて、助手がとっさに思いついた、六対の翼を持つジュリアーノ。
彼はセイントの最終段階ということか。
それと、もうひとつ――。
「テソロが、セイントの精霊だったなんて……」
とてもそんなすごそうには見えない……と思ったことは、流石に黙っておいた。
◆ウィンクルムの愛、揺らぐとき
「グノーシス様、A.R.O.A.が新たな情報を得たようです!」
薄暗い、円柱状の容器が並ぶ部屋に響いた声に、グノーシス・ヤルダバオートは、銀の髪を揺らして振り返った。
「……内容は」
「それが――」
マントゥール教団員の男性が、手に持っていた紙面に書かれた文言を読み上げる。
それはA.R.O.A.の学者達が解読した碑文の内容を、一字一句間違いなく写していた。
「なるほど」
グノーシスは頷き、先ほど見入っていた円柱……ではなく、その内部にいる者に目を向ける。
「どうやら、ようやくウィンクルム達も自身のことについて理解出来てきたようですね」
ガラス越しでも、声はよく届くのだろう。中でうなだれていた精霊、ミラスが、ゆっくりと顔を上げた。
「どういうことだ」
タブロス旧市街での交戦の時に、ここへ連れてこられて以来、しばしの時が経っている。
その間、これほど愉快そうなグノーシスを見るのは初めてだ。
眼鏡の奥。笑みの形を作った彼の瞳は、真っすぐにミラスの瞳を捕えていた。
「だって、考えてもみてください。ウィンクルムとしてあなたは生きていますが、自分のことをどれだけ理解していますか? 恐らく、ほとんどの者が自身を理解しないままで居るでしょう」
「理解していなくたって、僕はセナと共にオーガを倒してきた! それが僕達の存在であり、誇りだ!」
ミラスは叫んだ。どうしてこんな敵に、自分達の存在意義について問われねばならないのか。
いきなりの激昂に、グノーシスはわずかに目を細めた。
だが囚われの精霊ひとり、恐れる理由は何もない。
「では訊きますが、あなたには前世の記憶はありますか?」
「え?」
ミラスがぽかりと口を開く。
グノーシスは、先を続けた。
「今回、ヴァルハラ・ヒエラティックで明かされた内容によると、ウィンクルムは、前世で強い繋がりを持った者同士でないと、ほぼなれないそうです」
「前世で……?」
「そう。つまり、あなたは前世でセナさんと繋がりを持っていた可能性があります。でも、あなたは覚えていないでしょう?」
「それは……」
「そんなあなた達が、本当に愛し合っているといえるのでしょうか? そして、あなたの信頼する神人も、本当にあなたを愛しているのですか?」
「何を言って……」
ミラスは声を出した……が、それはとても小さく、かすれていた。
前世のことなんて、覚えていない。
それが当然ではないのか。
だが考えてみれば今まで、精霊の仲間達と、前世について話したことなど、一度もなかった。
もし、皆言わないだけで、覚えているのが普通だったら?
ミラスの身体が、わずかに震えた。グノーシスは、それを見逃さない。
「ウィンクルムは、愛を深めることで強くなる。それは研究結果から出ているので間違いないでしょう。ですが、その愛が普通の人間と同じように本当の愛と呼べる代物なのでしょうか?」
「何が言いたいんだ!」
強がりもあるのだろう。ミラスは再び、大きな声を出す。
だが、彼が動揺しているのは、握り締めた拳から明らかだった。
グノーシスは、ガラスに唇を触れんばかりに近寄り、そっと囁く。
「あなたのパートナーは、オーガと戦うために必要だったからあなたと愛を深めた。そうは考えられませんか?」
がたり。小さな音がする。
ミラスが狭い容器の中で、一歩体を引いたのだ。
「……なぜ」
「あなたが生まれる前――失礼、顕現する前ですか。その昔、お見合いという風習がありました。親によって決められたパートナーと結婚し生涯を終えるというものです。本当に愛する者と引き裂かれ、好きでもない相手と結婚し生涯を終える。なかなか悲劇的なお話ですが、不思議なことに離婚したり、生活が破綻する人間は現在より多くありません」
「だから、なぜだって……」
ミラスの手のひらには、自身の爪が食いこんでいる。
この男は、何を言っているんだ? 僕とセナがそんなわけ……と思うのに、彼の声は、ミラスの心をひどくかき乱した。
「人間は、慣れる生き物です。環境に適応し、生きていく。要するに、愛する者を用意されて、それが必要であれば愛するということです。そしてこれは、ウィンクルムという存在にも同じことが言えるでしょう」
「でも、僕達は……」
「そうではないと言い切れますか?」
にやり。グノーシスが嗤う。
「人間が人間を愛する要因は様々だという事は、研究結果で把握しています。しかし、あなた方のその愛は、愛ではなくただ単に環境に適応しただけの結果だとしたらどうしますか?」
「僕達の愛は、偽物なんかじゃない!」
本当に、どうして彼は、こんなことを言ってくるのか。
捕えた精霊をからかうことが、それほど愉快だとでもいうのか。
怒りあらわな彼に対し、グノーシスの笑みは、変わらない。
「信じる信じないはあなたの自由ですが、少なくとも、碑文に記載されている内容は真実でしょう。そしてあなた方は、愛し合っていたであろう過去を忘れている。そんな愛を……忘れるようなものを、愛と言っていいのでしょうか?」
どこまでも冷静な彼の声音は、ミラスを追い詰めるには十分だった。
「うるさい!」
いっとうの大音声を出し、割らんばかりにガラスを叩き。
握り込んだ指を開放して、ミラスは息を吐く。
そこにのせた音は、ごく小さな希望。
「…………僕達は愛し合ってる」
「論理的ではないですね」
グノーシスは、呆れたような声を出した。
「……いいでしょう、あなたの愛が本物なのであれば、セナさん達も、ウィンクルム達と助けに来るでしょう」
1本の角を持つ男は、銀の髪を揺らして立ち去っていく。
その背をガラスの内側から見送り、ミラスはその場に座り込んだ。
ああ、ここにセナがいてくれたら。それだけで、だいぶ気持ちは違うだろうに。
思ったところで、最愛の人の声は聞こえず、温もりも感じない。
当たり前だ。だってかの人は、ここにはいない。
一緒に攫われなくて、良かったと、何度も思ってきたじゃないか。
そうだ、いなくていいんだ。こんな、明日の命も知れないところに。
……いなくていいんだ、こんな、自分の身すら守れぬ精霊とともに、など。
「セナ……」
両膝を抱えた腕に、そっと額を押し付ける。
――僕達の愛は、正しいのだろうか。
◆誰が歯車を回すのか
学者達から報告を受けたレイジが、執務室から窓の外を見やっている。
「愛か……」
大切な者を得れば、人は強くなる。
だがそれは同時に、最大の弱点だ。
いざというときに、相手の愛を頼るのでは困る。
自分の愛を、信じ抜くのでなければ。
「……あなたが作ったA.R.O.A.のウィンクルムだ。そうあってくれるだろう」
――否。
「そうでなくては、ならない」
オーガと戦っていくためには。
窓に指先で触れ、タブロスの風景に目を凝らし。
レイジは細く、息を吐いた。
(エピローグ執筆:
瀬田一稀 GM)