【祭祀】カウンセリングルーム三号室(都成 マスター) 【難易度:簡単】

プロローグ

おれの過ちだった。
おれの英雄気取りが、きみを殺した。
おれを信じ、おれと戦い、おれと愛し合ったきみを、もうこの腕に抱くことはない。



「……ヤト」
一瞬、鮮やかによみがえった古い記憶に、少しぼうっとしていたのだろう。
花降る丘を眺めていたヤトは、同僚から呼びかけられる。

「カウンセリングの時にウィンクルムと飲めるように、いろいろ持ってきたよ。
カウンセリングルームにいなくていいのか?三号室に、そろそろ約束しているウィンクルムが来るころだろう」
腕時計に目をやると、確かに約束の刻限が迫っている。

最近になって、ウィンクルムたちが花降る丘の外れに仮設置されている
カウンセリングルームを訪れ、カウンセリングを受ける、ということが増えて来ていた。
碑文『ヴァルハラ・ヒエラティック』の影響で
いつもよりも『思っていること、普段感じていること、不安なこと』などを
パートナーにさらけ出しやすくなっているからだ。
喧嘩や仲違いも多い。
喧嘩にはならなくても、不安を抱えて閉じこもりがちになったり
パートナーに対する不信を口にしたりするウィンクルムの片割れも
目に見えて増えてきていた。

それらへの対応として、A.R.O.A.は、花降る丘に手入れのために設置されていた小屋のいくつかを
今はカウンセリングルームと名を変えて、ウィンクルムたちの話を聞き、アドバイスをする場所にしている。

「おれよりも、この任務に向いた職員がいる気がするんだがな……」
論理立てて端的に話すのを得意とするヤトは
人当たりが優しく、言葉遣いがまろやかな職員に担当を代わってもらいたがる。
けれど、同僚のクノエは、ヤトが、向かい合った人物に心底親身になって共感を示し、助言することを知っていた。

「ふふ。ヤトは、相談業務が苦手みたいだけど、ウィンクルムたちは、そう思ってはいないみたいだよ。
君と話をしたら気が楽になったみたい、って、言ってくれるひとばかりだ」

ヤトの過去を知っているクノエは、ほんの少しだけ眉を下げて、小さく呟く。

「君が、ウィンクルムの先輩だから、かもしれないね」

ヤトの恋人──、神人は、昔、討伐依頼の際、単独で無理な行動をしたことが原因で落命している。
ウィンクルムの間にあっては、ちいさな行き違いも命とり。
それを、ヤトは身をもって知っている。

「……おれは、当時のことを話さない」
「知ってる。
ただ、当事者でなければ解らないことを、君は知っているだろう、ってことさ。
だからこそ、言えることもあるし、彼らのために僅かなりとも道を示すことができる。
私はそう思うよ」

静かな声に、ヤトは視線を落とす。そうだったら、いい。

「ああ……、引きとめてすまなかった。
私も次のカウンセリングに向かうよ。ヤトも、気負い過ぎずにがんばって。
飲み物は種類を増やしてあるから、好きに淹れてもてなしてあげるといい。
なんなら、お菓子もそのボックスに入れてあるからね」

茶葉や菓子の入ったボックスを手渡し、次に顔を会わせるウィンクルムのデータが載ったファイルを手に
クノエは慌ただしく自分が担当する小屋へと歩いて行った。
ヤトも、データファイルを持ち直し、いたわるように撫でた。

───おれの大切な後輩たちが、おれと同じ過ちで悔やむことのないように。

カウンセリングルーム三号室で、ヤトは、約束したウィンクルムを待っている。


解説

不信、不安、苛つき。
そういった思いを直接ぶつけてしまうと、人との関係は悪化しがちです。
そうならないためにも、パートナーとの間にオマケを入れて話をしながら、お茶とお菓子を嗜むエピソード。

事実を整理したい。気持ちに区切りをつけたい。疑問に思っていることを質したい。
あるいは、もやもやした胸の内を打ち明けて少しでも気持ちを軽くしたい。
そういったことに、このエピソードを使って頂けたら、と思います。
あと、人の関係って化学変化と似てるから、二人だけだと進展がない問題も、二人以外の人がその場にいて話すことで変化があるかも、とか。

冷静に話をしようとしても、相手を目の前にして取り乱し、手が出てしまうのもアリかな、と都成は思います。暴力は推奨しませんが!

プランには…
・最初から二人でやってきたのか(途中合流、中座アリです!)
・誰のどんな気持ちを話すか
・話している時はどんな雰囲気か

など、例は上げましたが、お話したいことを自由にお書きください。
飲み物、お菓子のご指定がある場合は、番号と記号でプランへどうぞ。
指定なしでもOK!

1 紅茶
2 緑茶・玄米茶・焙じ茶
3 コーヒー
4 ハーブティー
5 炭酸飲料

●カリカリ、サクサク
▲ふわふわ、しっとり
■ひんやり、つるん
★むにむに、もぐもぐ

Ex.炭酸飲料とスナック (5●)、茉莉花茶と涼圓(2■)みたいな…


ヤト
三十代後半のポブルス。
精霊であることは明かさず、ウィンクルムたちに接する。
物事を理論立てて考えることを好み、話し方は若干事務的にも聞こえる。
自分の思いを言葉で細やかに表現することのできない朴念仁。
そのくせ、ウィンクルムを大切に思う気持ちは人一倍で
できるなら困難から遠ざけたい、助けになりたい、と常に願っている。眼鏡。

彼は、A.R.O.A.職員なので、面識ありもOK。
ただ彼は、自分の過去を語りません。

交通費、出かけた先での飲食、買い物で、300Jrかかりました。

●個別描写です●

ゲームマスターより

自分の気持ちと戦うのも、ある意味、討伐だと思うの……。
などと、考えながら書いたエピソードです。カテゴリは祭祀だけれども。

このエピソードで、抱えた気持ちをすべて解消しなくても
ウィンクルム同士で話をすることで、今後の課題などを
見つけていただけたらいいな、と思います。

感情が表出しやすい期間だからこそ
洗いざらい気持ちを話してしまうのもいいのではないでしょうか。

それでは、リザルトでお会いできるのを楽しみにしております!

リザルトノベル

◆アクション・プラン

リチェルカーレ(シリウス)

  閉じた扉にため息をひとつ
ヤトがいることに気づいて慌てて笑顔に

…ひとりになっちゃいました

ちょこんと椅子に座り 話の糸口を探す
しばらく悩んだ後 おずおずと

あの、ね 
ヤトさんから見て わたしは頼りないですか?
ごめんなさい 変なことを聞いて
だけどもっとしっかりしていたら 頼ってもらえたのかなって

彼の辛そうな目を思い出す
何でもないと言う笑顔も
そんな顔を見せてくれるのは 信頼されているのだとわかっているけど

わたし 何もできないかもしれないけど
苦しい時に抱きしめるくらい させて欲しいんです…

小さく零れる本音と涙

ごめんなさい これじゃお悩み相談じゃなくて愚痴ですね
でも聞いてもらって ちょっとすっきりしました

お礼を言って涙の笑顔


瀬谷 瑞希(フェルン・ミュラー)
  4★

相談するのは私です。
フェルンさんと一緒に来訪。

相談内容:
私、感情表現が苦手なのです。
そもそも感情の起伏に乏しいのかもしれません。
特に共感性に乏しいと考えています。
他の人達がパートナーと2人で居る時に、素敵な笑顔や
楽しそうに色々な表情をみせているのを見て。
どうして自分はそんなふうに出来ないのかな、と思うのです。
意識して表情を動かす、など具体的対処方法も思いつくのですが。
もう少し抜本的な解決方法や対処方法などないものかと、ご相談したくて。

他の人達、一緒に居てとても楽しそうです。
私もフェルンさんと一緒にいて楽しいし嬉しいのです。
けど、傍で見てそんなふうには見えないだろう、と思うと申し訳なくて。


ミサ・フルール(エリオス・シュトルツ)
  自分の気持ちを整理したくて来ました
お忙しいのにこのような時間をくださって有り難うございます、宜しくお願いします

この間の夏祭りで、自分が『裏切り者の娘』だって知ったんです
私の母はエリオスさんの婚約者でした、父は彼の親友でした
それなのに、両親は酷い裏切りを・・・っ

憎まれていたのに、何も知らずエリオスさんのこと『お父さん』みたいだって接してきた私は、どれだけ愚かで無知だったんだろうって
私、エリオスさんに償いたい
でもその方法が分からなくて、悩んで、夜も眠れなくて

エリオスさん、この間『親子ごっこはお終わりだ』って言いましたよね
私もそう思います
ごっこじゃなくて私は貴方達と本当の家族になりたい(涙を流す)


スティレッタ・オンブラ(バルダー・アーテル)
  ※後から合流

クロスケごめんなさい
思ってみれば、会ったばかりの頃からかってばっかりだったし
き、嫌われるのは当然よね…

でもずっと一緒に居たいから…
そりゃ最初は同居の理由は「オーガが危険だから」ってことだったけれど、私は今はそうじゃなくって…
って、へ?別居しなくていいの?本当に?

?何かクロスケ赤い
何か恥ずかしいことでも…?
って何何!?ちょっと手が触れたぐらいで腰抜かさないでよ!
目がバタフライ級に泳いでるし

…ひょっとして
私のこと意識してる?
私、自分に向けられる好意には敏感だもの
でも気づかないフリしてましょ
彼は負け、認めたくないでしょうし
そっちの方が楽しそうだもの
ふふ、精々素直になれないことを後悔なさい


秋野 空(カルヴァドス)
  第三者がいれば、下手なことはできないはず
単刀直入に、冷静に尋ねてみよう
きっと何か事情があるに違いない

…どうして、カルヴァドスさんを騙ったんですか?

慌てず言い訳もせず話し出す精霊に呆然
混乱
仲をよく思ってない人たち?誘惑?どういうこと?

えっ、…す…き?
困惑

確かに、ジューンの昔の事は知りません
でも、それは私もあえて聞かなかったから…

知らされていないからと言われれば確かにそうだが
それはこれから少しずつお互い知っていけばいいことだと、私はそう思っています
今まで様々なことをふたりで乗り越えてきた
今更それが揺るぐだなんて考えられない…思いたくない

深呼吸
何故そんな不安を煽るようなことを言うの?


【ミサ・フルールとエリオス・シュトルツ】

1. 賽は投げられた

「ようこそ、お二人とも。お話しをさせて頂きます、ヤトと言います。
お二人のお名前を伺ってもよろしいですか?」

カウンセリングルームへと入ってきた二人に、ヤトは名前を問う。

カウンセリングの初回に顔を会わせる場合
本人の確認をするためには、名前を言ってもらうことになっている。
ウィンクルムのデータは手元にあるけれど
確かに本人である、と自ら申告してもらう形なのだ。

「……ミサ・フルールです」
栗色の瞳を僅かに伏せ、沈痛な面持ちで、ミサ・フルールは名前を告げる。

その横で、悠然とした面持ちのエリオス・シュトルツは
ヤトに顔を向けて目を細めた。
「エリオス・シュトルツだ……。懐かしいな」

「……そうですね。お久しぶりです」
ヤトの事務的な受け答えに、エリオスは口の端で笑って、どさり、とソファに腰を下ろした。
「俺はただの同伴だ。紅茶を頂こうか」


2. odi et amo

カウンセリングルームに、温かな紅茶の湯気が漂い、青く爽やかな香りが広がる。
口に含んだ紅茶の、若草のような清々しい香りと心地の良い渋み
後口のさっぱりとした余韻を、エリオスは楽しむ。

ゆったりと紅茶のカップを傾けるエリオスをよそに
ミサは、顔を引き締め、ヤトへと頭を下げる。

「自分の気持ちを整理したくて来ました。
お忙しいのに、このような時間をくださって有り難うございます、宜しくお願いします」

生真面目な挨拶に、ヤトも丁寧に頭を下げる。
「どうぞ、お気を楽に。
こちらでミサさんがお話しされたことは
貴方にとって不利益になると判断できた時以外
どこへも開示することはありません。ご安心ください。」

貴方の秘密は守られる、と告げられて、ほんの少しだけ、ミサの表情は和らいだ。
ミサは、話し始める前、遠くを見るような目をする。
ふ、と肩の力を抜くように深呼吸をすると
定まらなかった視線をヤトへと向け、ゆっくりと口を開いた。

「この間の夏祭りで、自分が『裏切り者の娘』だって知ったんです。
私の母はエリオスさんの婚約者でした、父は彼の親友でした。
それなのに、両親は酷い裏切りを……っ」

強く重い響きの単語に、ヤトは眉をひそめる。
わずかに跳ねた語尾に、彼女の感情の昂ぶりを読み取ると
裏切り、と唇の動きだけで単語をなぞり、声にはださなかった。

けれど、一瞬、隣で優雅にカップの湯気に
目を細めるエリオスに視線を走らせた。
ただの同伴、と彼は言ったけれど、これは彼がいなくてはならない話ではないだろうか。

「憎まれていたのに、何も知らずエリオスさんのこと
『お父さん』みたいだって接してきた私は、どれだけ愚かで無知だったんだろうって」

「……待ってください、ミサさん。それは、貴方の過ちですか。
貴方は、真実を知らされてなお、そう振舞っていた訳ではないでしょう。
知らされずに、エリオスさんが父親のようだと思い
自然にとった行動だったはずです。
それに、貴方のご両親が選んだ結果を、貴方が背負い込む必要は……」

いいえ、とミサは首を横に振る。
激しい自責の念が彼女を苛み
優しく聞こえる言葉を受け入れさせなかった。

「私、エリオスさんに償いたい。
でも、その方法が分からなくて、悩んで、夜も眠れなくて……」

ああ、それでなのか、とヤトは思った。
彼女の泣きはらした目も、どことなく憔悴した雰囲気も
この物思いから端を発している。

それでも、喉の奥をこじあけるように、ミサは言葉を続ける。
まるで、自分の手で自らを鞭打たねば許せない、とでも言うようだった。
その声が、ミサの痛みを代弁しているように聞こえ、ヤトは痛ましそうに眉をひそめた。

「エリオスさん、この間『親子ごっこはお終わりだ』って言いましたよね。
私もそう思います。ごっこじゃなくて、私は貴方達と本当の家族になりたい」

話しが進むにつれ、小さくなっていた声は最後には掠れ
真珠のような涙がはらはらとミサの頬を伝った。

短く嘲笑する息がエリオスの口から零れる。
蔑みが冷たく声を凍らせていた。

「本当の意味で、俺達親子と繋がりたいと?
笑わせるな。自分がどれだけ身勝手なことを言っているのか分かって……っ!?」

激昂したかのように声を荒げるエリオスは
今にもテーブルに拳を打ち付けそうな勢いで、ミサを責める。

けれど、ソファから身を乗り出すようにした時、ぽつ、とカップに滴が落ちた。
驚いて顔に手を触れて初めて、エリオスは自分が泣いているのに気付いた。
想いが零れ落ちた、その事実を隠そうとするように、慌てて涙を拭う。

───あんなに憎んでいたというのに、いつからだろうか。
    この娘を、あの2人の代わりに守りたいと思うようになったのは。

「……エリオスさん」

気遣わしげにヤトが呼びかけると、視線を合わせないまま
エリオスはミサの頬に伝う涙を指先で拭う。
涙の気配も滲ませず、落ち着いた声がヤトに応える。

「憎しみが消えた訳ではない。けれど、歩み寄ろうと思う」

抑揚をおさえた響きが、ミサを慰撫するように囁かれる。
ミサの押し殺した嗚咽が、静かなカウンセリングルームに
途切れることなく聞こえていた。


3.わが過失なり

ヤトと2人きりで話がしたい、先に帰れ───。

ミサにそう言いつけて送り出してしまうと
エリオスはヤトに向き直った。

「今日は世話になった。礼を言う」

「は」

間の抜けた声を上げたヤトに、エリオスは、あきれたように小さく溜息を吐く。
おおかた、この男のことだ。
小言の一つでも言われると身構えていたに違いない。

「多くの者がお前に救われ、迷いを断ち切る。
それならお前の心は誰が救う?このまま続ければ壊れてしまうぞ」

いたわりを含んだ言葉に、あっけにとられたようにしていたが
吐息をつくようにしてヤトは微笑む。

「……お心遣いを、ありがとうございます、エリオスさん。
彼女の───、『あの時』のことは
誰が何と言って許してくれたとしても、自分の過失だとしか思えないんです。
たとえ誰に許されても、何もせずいたら
おれは、自分を許せない。だから、これは、おれの償いなんです。
……いつかおれは許されるのだと、信じながら努めていたい」

頑固者め、と苦々しく呟くエリオスに、今度は柔くヤトは微笑む。

「きっとね、ミサさんもそうです。
彼女の信じる彼女の罪を、彼女自身が許せるようにならなければ
きっと、苦しいままだ。
彼女は、罪の意識と、胸に抱く愛情に引き裂かれてしまう」

ヤトの言葉に、緩く首を横に振って肩を竦めると、エリオスは踵を返す。
背中越しに、放るように言う。

「俺に話せずとも、たまには物思いを親しい友に吐き出してみたらどうだ」

「そうですね、機会があれば、そうしましょう。
……ああ、そうだ、これを。お忘れ物ですよ」

紅茶のお茶請けとして出していたパステルカラーの丸い菓子を
包みにして、エリオスへと差し出す。

「好きなんでしょう、彼女。マカロンが」

彼女の『お父さん』をお借りしてしまいましたから、と
ヤトはほんのりと悪戯っぽく目を細めて微笑んだ。



【秋野 空とカルヴァドス】

1.図らずも恋の鞘当て

温かいカモミールティーからは、甘い林檎の香りがふわりと立ちのぼる。
カモミールに、ドライした林檎、ローズヒップをブレンドした
飲みやすいハーブティーなのだという。
カウンセリングを担当するヤトが
カップにお茶を注ぎながら説明してくれたのを、秋野 空は思い返していた。

熟した林檎を連想させるような、カップの赤い水面に
自分の顔を映しながら、空は思う。
二人きりで話をすれば、どんなことになってしまうか分からない。
自分以外の誰かがいれば、カルヴァドス───ジェラルドも
下手なことはできないはず、と考え、カウンセリングルームに彼を伴って来たのだ。

彼の行動や言動は、どこか含みを持ったものに思え
彼を伴う時にはいつも、空は、薄ら寒いような、肌がざわめくような感覚を覚えていた。

現に、彼の突拍子もないように思える行動に振り回されていたし、
どこか信用しきらない言動の裏に何がひそんでいるのかを、空は警戒している。
ここに来たからには、単刀直入に、冷静に尋ねてみようと心に決めていた。

───きっと何か事情があって彼はここに来て、私の傍にいるに違いない。

カップに触れていた手を膝の上で握って、空は背筋を伸ばす。

「……どうして、カルヴァドスさんを騙ったんですか?」

空の揺らぎのない視線を受けて、彼が目を丸くしたのは一瞬で
軽く肩を竦めると、大きな溜息を吐いた。

「もう、バレてしまったんですか?」

空の知っている、いつも通りの口調で彼は答えた。
けれど、表情の端々に、知らない人の気配がちらちらと踊る。
わずかに身を引いた空にも気付かず、はあ、と大きく溜息を吐いて

「まったく、相変わらず使えないなぁ、あの人。
……じゃあ、今更取り繕う必要もないね」

楽しそうに口調を変える。
柔らかな敬語から、砕けた若者らしい言葉遣いへ
まるで音楽が転調したかのような変わり身に、空は混乱する。

今までの彼の振る舞いはなんだったのだろう、
嘘で塗り固められた張りぼてだったと言うのだろうか。

真実を指摘されて慌てることも、自らの行動を言い訳することもせず
すらすらと話し出す彼に呆然とするしかない。

二言三言、交わしただけのヤトも、僅かに怪訝そうな顔をして
二人のやりとりを見守っている。

「俺は、君と彼の仲をよく思っていない人たちから
『君を誘惑して、彼から引き離せ』って言われたんだ」

仕掛けた悪戯の種明かしをするように楽しげに
自分がとってきた行動の意図をすべてつまびらかにしてしまう。

空の表情を眺め、告げられた事実に
冷静な彼女が思考を乱されているのが嬉しい、とでもいうように
カルヴァドスは、愉快そうな笑みを浮かべる。

「仲をよく思ってない人たち?誘惑?どういうこと?」

空が考えもしなかったことが、次々に想像の絵を伴って脳裏に現れる。

───仲をよく思わないのは、誰?
    誘惑しろ、だなんて指示をするのは、どんな人?
    そもそも、私たちの関係が、どうしてよく思われないのだろう……?

不安の影と共に湧きあがる疑問の数々に、空は沈黙する。
頭の中で、声がうるさい。

戸惑いと動揺で口を噤んでしまった空に、気を配ることもせず
彼は何事もなかったかのように平然と話を続ける。

「今更、俺がここにいる意味はないんだけど……。
でも俺、君の事好きになっちゃったから」

「えっ、……す……き?」

にこりと微笑んだ顔は一分の隙もなく整い、彼女の陶酔を誘おうとして甘かった。
初心な少女であれば、三秒で恋に落ちるような微笑みを向けられ
空はどうしていいかわからず、眉を寄せる。
仮に、どんなに彼の微笑みが魅力的だったとしても
ジュニールと想いを結び合っている空には響かない。

困惑している空に、彼は更に質問を重ねる。
彼女から質問が返ってくる、ということは
ジェラルドの持っている情報に、興味を失っていない印だ。
それを逆手にとって、カルヴァドスは空の気持ちを揺さぶる。

「あ、別に仲を裂くのは君が悪いからじゃないよ。
問題があるのはむしろアッチ。……彼の過去、知らないでしょ?」

そうだったら、もう少し身構えるだろう、と
カルヴァドスは見込んでいた。
空は、問いかけられることに、冷静に言葉を選んで答えているけれど
いつものように落ち着いて、答えをはっきりと言い切れなかった。

「確かに、ジューンの昔の事は知りません。
でも、それは、私もあえて聞かなかったから……」

カルヴァドスの胸中に、幼い頃に感じた気持ちが、ぼんやりとよみがえる。
それは、気に入った少女に、ちょっとした意地悪を言って困らせたり
ほんの少しだけ悲しそうな顔をさせた時に感じた、後ろめたいような喜びだった。
それを手繰り寄せるように、カルヴァドスは口を開く。
問い掛けられて、眉を下げて語尾を曖昧にする空の声に、確認じみた質問を重ねる。

「うん、でも今の君のその混乱は、彼の事を知らされてないからだよね」

空は、胸元に氷でも抱かされたように、さっと体が冷えた。
彼のことを知らされていない、と言われれば、それは間違っていない。
けれど、二人の関係を、どうやって育んでいくか
空はジュニールと一緒に選んできた。
そのことに関して、譲るつもりはない。

「それは、これから少しずつ、お互い知っていけばいいことだと
私はそう思っています
今まで様々なことをふたりで乗り越えてきた。
今更それが揺らぐだなんて考えられない……。思いたくない」

確かめるように、ひとつずつ言葉にし、空は深呼吸をした。
アメジストの瞳が、凛とした光を灯して問い返す。

「何故、そんな不安を煽るようなことを言うの?」

途端、カルヴァドスの顔から表情が抜け落ちる。
意地悪そうな含みを持った甘い笑みも
からかうような目の光も掻き消えて、声の張りさえも緩む。

「何故って……。言ったよね、好きだって。
俺、どんなカードを切ってでも、君を奪うつもりだから」

深く息を吸うと、ぐい、とソファの上で空との距離を詰める。
息を飲み、体を硬くした空に構わず、顔を覗き込む。

「覚悟、しておいて」

声は低く、艶を含んで甘い。
少し身を乗り出せば、空の唇に齧りつけるような距離でカルヴァドスは囁く。

───本気だから。



【スティレッタ・オンブラとバルダー・アーテル】

1.冷めていく夏摘み紅茶の憂鬱

ソファに浅く腰かけた、バルダー・アーテルは
話し始める前から、随分落ち着かない様子だった。
温かな紅茶を淹れ、テーブルに置いても
ああ、とか、どうも、などと、口の中でもごもご言うだけで
手を付けようとしない。

静かなカウンセリングルームの中で
夏摘みの紅茶の瑞々しい香りがティーカップから立ち上る。
この時期の茶葉は、セカンドフラッシュとも呼ばれ
紅茶のシャンパンと称される香気を持っている。

夏摘みのセカンドフラッシュは、芳醇な味わいを持ちながら
すっきりとした喉越しの飲みやすい紅茶である。
マスカットに似た香りと軽やかな口当たりの、とてもよい味の紅茶であった。
それを目の前に、湯気だけ眺めているのももったいない、と
ヤトは思いながらカップを傾ける。

「今回、彼女に別居を切り出して……、いや恋人じゃないんですけど」

唐突に、バルダーの話は始まった。
一瞬、両眉を上げたヤトの表情に、咳払いをして、バルダーは続ける。

「何か、自分が自分じゃなくなっていく気がしてて……。
一旦、彼女と距離を置こうと思って……」

彼らの情報は頭に入れてあるが、データファイルに目を走らせる。
確かに、同居、と記してあった。

「それは……、ご関係がよろしくない、
彼女との契約を続行したくはない、という意味なんでしょうか」

カップを置いたヤトが尋ねると、バルダーは驚いたように軽く息を吸い
やがてゆるゆると力を抜くように息を吐いた。
いいえ、と低く短い否定の言葉と共に、緩く首が横に振られる。

「……契約直後は憎まれ口叩いてたんですが、今は大切な仲間です。
彼女は実は……、不運にも酷い境遇で育ってきて……。
相応しい男と結婚するまで、俺が命を懸けてでも守らないと、と思っています」

はて、とヤトは内心首を傾げる。
未婚の女性と同居しながら、その女性に相応しい男性が現れるまで守る、とは
どこか矛盾した状況ではないだろうか。

未婚の女性が、男性と同居するのは、恋人、あるいは、内縁関係を示すものだと
誤解されかねない状況である、とヤトは思う。

ヤトの考えていることも知らずに、バルダーは話を続ける。
話し方は、やや熱を帯び、『別居をする』ことよりも
彼にとって最も重大な事柄へと話が及んでいく。

「確かに軍人のときはハニートラップを警戒していたし
忙殺されて女を作る暇なんてなかった。
だから恋愛経験ないのは認めますけど……。
彼女に!恋だけはしていません!!」

よく響く声が、窓ガラスを震わせるほど大きくなる。
耳を覆う訳にはいかないヤトは、落ち着いてください、と手でバルダーを制した。

彼の言うことは、どこか食い違っている。
別居しようと思う。距離を置かねばならぬと思う。
そう言いながら、彼は、彼女のことを大切だと言う。

それなのに、彼女といることで変わっていく自分を拒否し、自分の恋情を否定する。
以上のことから導き出される答えは、とてもシンプルに思えた。

「……すみません、バルダーさん。
貴方の仰っていることが、私には分かりかねます。
貴方は、ご自分の感情に名前を与えることを、躊躇っていらっしゃる。
それをお認めになって、素直に貴方のパートナーへ伝えることはできないんでしょうか?
自分の気持ちを見定めるまで、少し待ってほしい、と」

「……い、いや、認めたら……、
宣戦布告されてるんで……、負けたってことだし……。
そそ、その……、恥ずかしい話……、この間、露骨な誘惑されたけども……。
彼女に、恋なんて……」

途端に、しどろもどろになるバルダーに、ヤトまでむずがゆいような心地になる。
宣戦布告に負けてしまう、ということは、つまり、『そういうこと』なのだろう。
男の矜持に関わることである。
そうやすやすと譲れない、その気持ちは、ヤトにも何とはなしに分かった。

「お気持ち、お察しします、バルダーさん。
ただ、急に別居を切り出しては
お相手さまも、ショックを受けて、誤解されるのではないでしょうか。
もっと彼女に説明を……」

言いかけた声を遮るように
さっとカウンセリングルームの扉が開いた。


2.急転直下で二杯目の紅茶

「別居、って……!」

扉の外で話を聞いていたのか
部屋に入ってきたスティレッタ・オンブラの目は僅かに潤んで見えた。

「クロスケ、ごめんなさい。
思ってみれば、会ったばかりの頃、からかってばっかりだったし
き、嫌われるのは当然よね……」

いつのまにやら、ソファに膝を乗り上げて
スティレッタはバルダーに懇願するように身を寄せていた。

「でも、ずっと一緒に居たいから……。
そりゃ最初は、同居の理由は『オーガが危険だから』ってことだったけれど
私は、今は、そうじゃなくって……」

「待て待て……!べっ、別居は、しなくていい……!」

言い募るスティレッタの勢いに、仰け反りそうだったバルダーは、
そこでようやくスティレッタの声をさえぎることに成功する。

「……って、へ?別居しなくていいの?本当に?」

カウンセリングルームの外まで聞こえてくるような声で話していたことが
急に取り消しになって、スティレッタは瞬く。

「?……何か、クロスケ赤い。何か恥ずかしいことでも……?」

スティレッタがバルダーの頬へ手を伸ばし、そっと指先で触れると
感電したようにソファから悲鳴もなく跳び上がり、転がり落ちた。

「って何、何!?ちょっと手が触れたぐらいで腰抜かさないでよ!」

スティレッタがソファの上から、彼の顔を覗き込むと
視線があちらこちらへとバタフライ級に泳いで目が合わない。

(……ひょっとして、私のこと意識してる?
私、自分に向けられる好意には敏感だもの)

スティレッタの勘は鋭い。
顔を真っ赤にして視線を合わせない男が
自らの好意をもてあまし受け入れられずにいるのを
彼女は肌に当たる空気で感じていた。
けれど、とスティレッタは思う。

(……でも、気づかないフリしてましょ。
彼は負け、認めたくないでしょうし、そっちの方が楽しそうだもの。
ふふ、精々素直になれないことを後悔なさい)

つい、と指先で頬を突かれたバルダーは
茫然としながらスティレッタへと視線を向ける。

この気持ちは、恋だろうか。果たして俺は、恋をしているのか。
自問する間にも、そんな馬鹿な、と喚き散らしたいような衝動が沸き起こってくる。
それでいながら、明確な答えは出せず
バルダーは、へたり込んだ床の上から立ち上がれもしない。

二人のやりとりを見守っていたヤトは、気付かれないよう溜息をついてから尋ねる。

「……スティレッタさんも、紅茶を?」

スティレッタは、ソファに乗り上げたままヤトを振り返って
いただくわ、と悪戯っぽくウィンクをして微笑んだ。



【リチェルカーレとシリウス】

1.花降る丘へ続く道

花降る丘へ続く道を歩く二人の髪を、晩夏に吹く風がゆるやかに撫でる。
じとりと湿って熱いばかりだった空気に
薄荷を混ぜたような風がひとすじ吹き抜けて、シリウスは顔を上げて目を細めた。

花降る丘にカウンセリングルームができたの、とリチェルカーレは言った。
シリウスの抱える痛みをなくすことはできなくても、和らげることができたら、という
心遣いを感じて、一緒に行かないかという提案を、シリウスは受け入れた。

最初は、彼女とカウンセリングルームに入るつもりだった。
彼女とカウンセラーの話を聞いているだけなら、シリウスにもできる。
彼女の不安や悩みを自分で解決できないのなら
A.R.O.A.の用意したカウンセリングを受けるのもいいだろう、と思っていたのだ。

けれど、カウンセリングルーム三号室、と札のかかった木の扉の前で足が止まった。
ドアノブに伸ばすことのできない手が、緊張で少し冷たい。
シリウスにとって、自分の内面を晒すという行為は、ずっと避けてきたことだった。
今も生々しい痛みを訴える記憶に、触れられたくない。
幼いころの自分が、身を捩って嫌がっているような感覚に俯く。

「シリウス……?」
「……悪い。やっぱり、俺は行かない」

ドアノブに手をかけないシリウスを気遣うように声をかけた、リチェルカーレの青と碧の瞳がたちまち曇る。
こんな顔をさせたい訳ではないのに、と、シリウスは僅かに苦く笑う。 

一瞬、二人の間に気まずい沈黙が落ちた。
円らな彼女の瞳が、シリウスの気持ちを量りかねて
不安気に、翡翠の瞳の奥を覗きこもうとする。
シリウスは、彼女と視線を合わすこともできず、華奢な背中を軽く押して
カウンセリングルームへと促した。

「あ、待って……」

言いかける声を最後まで聞かず、扉を閉じる。ぴたりと閉じた扉が開かれることがないよう、そのままそこにもたれた。
溜息を吐いて、灰色に曇った空を仰ぐ。

「……いい加減、何とかしないと……」

シリウスの抑えた声は、重なる疲労に掠れていた。


2.カウンセリングルーム

リチェルカーレは、目の前で閉じられてしまった扉に、ため息をひとつこぼした。
今までも、シリウスのこころに触れようとする度に
ふっと彼が遠ざかるような気配を感じることがあった。
また、離されてしまう───、と、リチェルカーレは
扉の向こうにいる彼に触れようとするように、扉へと手のひらを重ねた。

「……リチェルカーレさん、ですね?彼は、ここで話をしなくても大丈夫ですか」
「あ……、はい。相談するの、ひとりに、なっちゃいました」

ヤトの遠慮がちな声が聞こえて、リチェルカーレは慌てて笑顔を作って振り返る。
問いかけへの返事に迷って、笑顔が眉を下げたものになると
彼女たちを迎え入れるために少しだけ浮かべていた
ヤトの笑顔も、ほろ苦いものに変わる。

勧められるまま腰かけた二人掛けのソファは、一人で腰かけるとひどく広く感じて所在なかった。
リチェルカーレは、肘掛けに寄り添うように、ちょこんと座り
カウンセリングルームの中を見回して、話の糸口を探す。

ヤトは、彼女が落ち着くのを待つ間に、飲み物を細いグラスに用意する。
一番下の層は、透明なシロップ、
二つ目の層にはオレンジジュース、
仕上げの一番上の層には、赤く澄んだアイスティーを滑り込ませるように注ぐ。
一層一層を混ぜないよう、きっぱりとセパレートにした、オレンジアイスティーだ。
リチェルカーレは、アイスティーを前にしばらく悩んだ後
おずおずと桃色の唇を開いた。

「あの、ね。ヤトさんから見て、わたしは頼りないですか?」

思ってもみなかった切り口で話が始まって、ヤトは頭を傾ける。
ソファに腰かけている少女は、小柄で優しげで、頼りがいのある外見とは言い難い。
けれど、彼女が聞きたいことはそうではないのだろう。

ヤトの沈黙を、リチェルカーレは、答えに迷っていると受け取って
僅かに口早に続きを口にする。

「ごめんなさい、変なことを聞いて。
だけど、もっとしっかりしていたら、頼ってもらえたのかなって……」

そう言いながら、リチェルカーレはシリウスの辛そうな目を思い出す。
心配して、何があったの、と問えば、何でもないと言う笑顔も
返事ができなくて、困ったように淡く口元を歪める顔も
写真に撮ったように思い浮かぶ。

いつも感情を顔に出さない彼が、そんな顔を見せてくれるのは
信頼されているからなのだとわかっている。
けれど、それでも。
愛する人の痛みに触れさせてもらえないのは、切ない。

「わたし、何もできないかもしれないけど
苦しい時に抱きしめるくらい、させて欲しいんです……」

声を絞り出すと、きゅう、と小さく喉が鳴って
零れた涙が、膝の上で弾けた。
一度、零れてしまうと、後は止まらなかった。
次々に、涙が白い頬を伝って落ちる。
そっとソファの前に膝をついて、ヤトがリチェルカーレの名前を呼ぶと
彼女は肩を震わせながらも顔を上げた。

「ごめんなさい……。これじゃ、お悩み相談じゃなくて愚痴ですね」
「……いいえ。
泣くのを無理に止める必要はありません。
自分の感情に蓋をする必要もありません。
普段は口にできないことを、言うことができる場所がここなんですから」

お堅い言い方だったけれど
ヤトの口調は落ち着いていて柔らかく、リチェルカーレをいたわろうとしていた。
ヤトの差し出した白いハンカチで顔を覆っていると
リチェルカーレも、しばらくして涙が止まった。
細く、震える溜息をついてから、顔を上げる。

「聞いてもらって ちょっとすっきりしました。
ありがとう、ございました」

痛々しい笑みを浮かべて礼を言う彼女の目は潤んで、涙の気配が残っている。
こういった時に言う、気の利いた台詞を
ヤトはいつも思いつかない。
困ったように微笑んで、いいえ、と答える。

「……リチェルカーレさん。
貴方には貴方の戦いがあるように、彼にも彼の戦いがあります。
きっと彼は今、ひとりで戦っているのだと、俺は思います。
ですから、彼が助けを求める瞬間を見逃さないよう、傍にいることが大切なのではないでしょうか。
彼が隣にいて欲しいのは、貴方なんですから」



3.雨

扉のすぐ横に背を預けて、シリウスは灰色に曇った空を見上げる。
空を行く雲の流れが速い。この分では、一雨くるかもしれない。

リチェルカーレが話したかったことは、シリウスにも見当はついていた。

忌まわしいあの日を思い出すたびに、シリウスの心も体も不調を訴える。
時間は経ったというのに、目の前で起こっている出来事のように
来る日も来る日も、夢であの日が繰り返されれば、眠ること自体が恐ろしい。

発作のように起きるフラッシュバックを
耳を塞ぎ目を閉じて蹲る、幼子のようにやり過ごす。
そんなことに慣れているから
差し伸べられる手に、どう振る舞えばいいのか分からない。

「頼っていないわけじゃないんだ。
……どうすればいいのか、わからない」

ひとりごちると、真直ぐ見つめてくる青と碧の瞳が思い浮かぶ。
リチェルカーレを抱き寄せた時の温もりも、はにかんで微笑む愛しい表情も
いつまでも自分の傍にあって欲しいものなのに。

物思いを中断させるような軽い音がして、扉が開く。
話が終わったのだろう。
迎えようと扉の前へ立つと、俯き加減の彼女がいた。

「リチェ……」

顔を覗き込むまでもなく、目が赤い。
言葉にならない思いが胸を駆け巡り、息を飲む。

何があった、大丈夫なのか、どこか痛いところでもあるのか───。
聞きたくても何一つ声にならず
シリウスは、ただそっとリチェルカーレの髪を撫でた。

ぽつり、とカウンセリングルームの外階段に、雨粒が落ちる。
黙ったまま立ち竦んでいる二人に、夕暮れ時の雨が静かに降り始めた。




【瀬谷 瑞希とフェルン・ミュラー】

1. パッションフラワーのハーブティーとラズベリーのギモーヴ

蝉の声が遠く、涼味を帯びた風に乗って聞こえてくる。
最盛期を過ぎた蝉の声は、風の揺れと一緒に遠ざかったり近付いたりして
距離の隔たった場所から聞こえるような気がした。

ソファに、一緒に来たフェルン・ミュラーと腰かけて
瀬谷 瑞希は温かいハーブティーのカップを見つめていた。
薄く淹れてあるから、飲みやすいですよ、と
出されたのは、パッションフラワーのハーブティーだった。

カップに口をつけても、ハーブの野草らしい強い香りはせず
ほのかな草の香りが鼻先を撫でるだけで、瑞希の喉を優しく潤した。
ほっと息をつくと、少女はゆっくりと口を開く。

「私、感情表現が苦手なのです」

曇りのない声が、カウンセリングルームの中を吹き抜ける秋風のように通った。
瑞希の黒曜石のような目は澄んでいて
話に耳を傾けているヤトを真直ぐ見る。

「そもそも感情の起伏に乏しいのかもしれません。
特に、共感性に乏しいと考えています」

堅く聞こえる言葉遣いに余分はなく
彼女がよく考えて話をしに来たことが、ヤトには分かった。
聞いているのを示すように視線を合わせて頷くと
瑞希は、一瞬、眉を下げて視線を落とした。

フェルンは、そんな様子の瑞希の話の先を急かすこともなく
自分に出されたティーソーダを、細い銀のマドラーで、くるり、と回す。

彼女が何か気にするならこういう事だろう、と少し予想していた。
物事を深く考え、事実を元に冷静な判断を下すミズキが
答えを迷うことと言えば、明確な答えが存在しないものだろう、と
フェルンは薄々、察していたのだ。
だから特別、相談内容に驚きはしなかった。

「……そうなんですね。
それなら、なぜ、共感性に乏しい、と瑞希さんは考えるのでしょう?」

ヤトが穏やかに先を促すと、真直ぐな黒髪をさらりと揺らして
瑞希は少し顔を俯かせた。

「他の人達がパートナーと2人で居る時に
素敵な笑顔や楽しそうに色々な表情をみせているのを見て。
……どうして自分はそんなふうに出来ないのかな、と思うのです」

太陽のきらめきをまとったように輝く笑顔を見せて
精霊に微笑む神人の少女。
その微笑みを受けて、眩しそうに目を細めて微笑む精霊の青年。
一緒にいることが、嬉しい、楽しい、幸せ───。
彼らが何を思っているのか、何を感じているのか
言葉で表されなくても、顔を見れば分かる。
それは、A.R.O.A.や街で見かけることのある、ウィンクルムたちの姿だった。

「意識して表情を動かす、など具体的対処方法も思いつくのですが。
もう少し、抜本的な解決方法や対処方法などないものかと、ご相談したくて」

淡々と言いながらも、自分の頬に手を当て
表情の動きが出るように、とでも言うような手つきで
ぐにぐに、と動かす。
そして、深く溜息を吐いた。

「他の人達、一緒に居て、とても楽しそうです。
私もフェルンさんと一緒にいて、楽しいし嬉しいのです。
けど、傍で見てそんなふうには見えないだろう、と思うと申し訳なくて」

目を逸らして申し訳なさそうに、瑞希は肩を僅かに窄める。
肩身が狭そうにする瑞希に、ヤトは静かに呼びかけた。

「瑞希さん。貴方の感情が、誰にでも分かる形で
表に出てこない、と思っていらっしゃるのは分かりました。
ただ、それは、フェルンさんも、そうお思いなのでしょうか。
貴方と一緒にいて、楽しくて嬉しいと他の人から見られないことが、つまらないことだと。
それを、貴方のパートナーに、お聞きになったことはありますか?」


2.モヒートティーソーダとマスカットゼリー

紅茶に炭酸水を注ぎ、ミントの葉で飾ったアイスティーは、目に涼やかだった。
それと一緒に、と出された果実入りのマスカットゼリーも
夏らしい取り合わせだ、とフェルンは思う。

ミズキに出されたフランボワーズのギモーヴの淡いピンクと
まるで対になるような色合いの透き通った薄い緑色をしたゼリーは
図ったような取り合わせだった。

「───貴方のパートナーに、お聞きになったことはありますか?」

フェルンは、カウンセラーであるヤトの問いかけが
自分のことに言及したのだと気付いて、茶菓子を眺めていた視線を上げた。
この場で、フェルンに直接聞くようなことになると思っていなかったのだろう
瑞希は言葉に詰まり、動きを止めている。

ヤトは、瑞希ではなく、フェルンを静かに真直ぐ見て、答えを待っている。
その目は、フェルンが瑞希を傷付けるような答えをしない、というのを
分かって問いかけたのを物語っていた。

もちろん、と視線に意志を込めて、フェルンはヤトの目を見返した。

───俺は誰が一番大切なのか、分かっている。

「ミズキも結構色々と、思った事が顔に出ているよ」

フェルンは、問いに答えられずにいた瑞希に、手を伸ばした。
膝の上で握られていた彼女の手に
宥めるように自分の手を重ねる。

「ケーキ食べれば嬉しそうだし、幸せそうな微笑みを見せてくれるからね。
ミズキのそんな表情に気がつく人が少ないのかな、と思うと
その微笑みを知っているのは俺だけかもね、と嬉しくなってしまうよ」

言いながら、フェルンは、ケーキを食べる瑞希の様子を思い浮かべていた。

卵色のふわふわのスポンジの上に、きちんと泡立てた真白なクリームで
薔薇の花を模した飾りが、溢れるほど飾られたケーキだった。

綺麗、と喜び、それをフォークで口に運んで、幸せそうに微笑んだ顔を覚えている。
フォークで切り取ったケーキの断面からのぞく
規則正しいスポンジとクリームの重なり具合に感心しながら
時折、クリームの中から現れる苺やカシスジュレの酸味に
きゅっと頬をくぼませる、愛らしい仕草を覚えている。

「……それにミズキの冷静な所も好きだし。
こうやって好意を伝えると、赤くなって照れる姿がまた可愛いし」

フェルンは、頬を赤らめた瑞希の顔に手を伸ばす。
瑞希の頬に、あるかなしかに、そっと触れてから力を込めて微笑んだ。

「でも他の人達が気になるのは、そんなふうになりたいって
心の奥底でミズキが思い始めているからなのかも知れないね。
なら、少しずつ変わってゆけばいいんだよ」

急ぐ必要はない。
彼女が少しずつ変わっていく間も、一緒にいるのだから、と
フェルンは胸中で呟いた。





依頼結果:成功
MVP

メモリアルピンナップ


( イラストレーター: 空春  )


エピソード情報

マスター 都成
エピソードの種類 ハピネスエピソード
男性用or女性用 女性のみ
エピソードジャンル イベント
エピソードタイプ EX
エピソードモード ノーマル
シンパシー 使用不可
難易度 簡単
参加費 1,500ハートコイン
参加人数 5 / 3 ~ 5
報酬 なし
リリース日 09月03日
出発日 09月09日 00:00
予定納品日 09月19日

参加者

会議室

  • [6]瀬谷 瑞希

    2016/09/08-23:49 

    こんばんは、瀬谷瑞希です。
    パートナーはファータのフェルンさんです。
    皆さま、よろしくお願いいたします。

    私が相談に赴く予定です。
    フェルンさんには同行をお願いしています。
    相談事を言葉にするのも難しいですね。

    皆さまも、よりお互いの理解が深まりますように。

  • [5]秋野 空

    2016/09/08-23:09 

    こんばんは、秋野空です
    パートナーの……(少し迷いつつ)カルヴァドスさん、と参加させていただきます
    良い機会をいただいたので、彼の真意を問いたいと思っています

    ひとりでは切り出し辛いような話ですが、第三者の方に立ち会っていただくことで
    冷静になってお互い話せることもあるんじゃないかと……そうだと良いなと思っています
    どうか上手く行きますように、私も……皆様も

  • バルダー「よう。バルダー・アーテルだ。見知った顔が多いな。
    プランは提出した。皆の相談が上手くいくことを願っている。
    ……俺自身も、含めてな。

    ……あーあ。何であんなこと切り出したんだか……
    いやでもこれで環境変われば俺の心労もちょっとは軽くなるんだろうか……?
    あーでも、流石にこれは禍根を残す気がするし……
    いやだが俺も限界なところあるし……お互い譲歩……いや譲歩とか折衷案とかちょっと無理な話で……
    あーもうどうしたらこれ……(ぶつぶつぶつぶつ」

  • [3]リチェルカーレ

    2016/09/08-22:18 

  • [2]ミサ・フルール

    2016/09/07-06:39 

    エリオス:
    エリオス・シュトルツだ。
    何度か顔を合わせたことはあれど、このように話すのは初めての者もいるだろう。
    改めて宜しく頼む。

    (待合室のソファに座り)今回 俺はただの付き添いだ。
    紅茶でも飲んで時間をつぶしていようと思う。
    ふふ、それにしても・・・お悩み相談とはなあ。
    ウチの娘は何を相談する気でいるのやら(泣き腫らした目で俯くミサを見てくつくつと笑う)

    他の者も何を抱えているのかは知らないが、その悩みや憂いが晴れることを願っているよ。

  • [1]リチェルカーレ

    2016/09/06-20:58 

    こんばんは、リチェルカーレです。パートナーはマキナのシリウス。
    それぞれのペアごとの行動ですが、よろしくお願いします。

    カウンセリング…お悩み相談、ですよね?
    折角なのでいろいろお話を聞いてもらいたいな、と思います。…シリウスは「特にいい」ということなので、わたしがお話することになるかしら。

    ヤトさんとお話した後、皆さんが明るい気持ちになりますように。


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