【祭祀】君を縛る音(北乃わかめ マスター) 【難易度:簡単】

プロローグ

 祭囃子を持ち上げる笛の音が響く。凛と澄んだ音色に耳を傾け、日常とは違う空気感を堪能していた。独特なお祭りの空気とは、どうしてこうも胸躍るのか。
 次は何を食べようか。そう声をかけようとして、パートナーに振り向いた。

「……え、どうした? 気持ち悪いのか?」
「ちが、う……」

 青い顔で、耳を抑えるパートナー。苦しげに目を閉じるその様子に、普通ではないとすぐに気づいた。
 人波に酔ったのかと聞けば、違うと言う。食べ過ぎでもなんでもなく、パートナーはか細い声で「音が」と呟いた。

「音? 俺には聞こえないけど……どんな音だ?」
「わからない、けど……怖い、ような……」

 モスキート音の一種か? と考えては見るが、自分にも周りの人にも特別変化は見られなかった。パートナーだけが、身を屈めて震えている。

「なぁ、ほんとに大丈――」

 ぱしん。
 乾いた音が、やけにはっきりと聞こえた。ただ心配で、少しでも何かできないかと差し出した手が、パートナーによって払われたのだ。呆然と、パートナーを見つめる。
 未だ耳を塞ぐパートナー。薄く目を開いた彼の瞳は、不安げに揺れている。助けて、と声が聞こえた気がした。

「いやだ……こわい、くるしいよ……!」
「っ……!」

 ぎゅう、と再び目を閉じるパートナー。えも言われぬ恐怖心がその身を脅かしているのかと思うと、どうにも胸が締めつけられる。だけど触れようとすれば、また払われてしまうかもしれない。
 ――こんなとき、パートナーとして、どんな言葉を伝えればいいのだろう。

解説

 お祭りの中、とある「音」が聞こえてきます。聞こえるのは、神人または精霊どちらか片方でお願いします。
 強い不安と恐怖感が煽られているので、不用意に近づかれると拒絶してしまうかもしれません。ハリネズミ状態です。

 聞こえてくるのはあくまでも「音」なので、「声・言葉」ではありません。
 例えば燃えている木々の弾ける音や、ホラー映画のようなドアの軋み、まるで水の中にいるような水の音、など。
 過去を彷彿させるものでも、単純に怖いと思っている音でも構いません。

 意識を音から離すことができればいいので、言葉や行動でパートナーを振り向かせたなら音は次第に小さくなり、普段通りに戻ります。

 漠然と感じている不安や恐怖は、普段は小さくてあまり気づくことはありません。
 だけど、ふとしたきっかけでそれは簡単に流れ出てしまいます。今回はそのきっかけが「音」でした。
 ひとりぼっちだと不安でたまらないときも、きっと2人なら乗り越えられる気がします。

 ※お祭りでいろいろ買ったので、300jr消費します。
 ※個別描写になります。

ゲームマスターより

お祭りの賑やかな空気感はとても好きです。
年に何度も行けるようなものでもないせいか、家に帰るときはいつも寂しさや物悲しさを感じます。
終わらなければいいのに、と思うとそれはそれで怖さを感じるので、イベント事はいつも不思議な気持ちで臨みます。

リザルトノベル

◆アクション・プラン

アキ・セイジ(ヴェルトール・ランス)

  *聞こえる方

最初は人のざわめきと思った
耳を済ます
悲鳴?壊れる音?
気持ち悪い

自分の心の中から聞こえるのか実際の音なのか
眩暈がしてランスに支えられる自分に気づく
彼には聞こえてない?

思わず彼の手を払って音からも誰からも逃げ

あれは
幼い頃にきいた音
オーガが俺の家族を全員引き裂いた音

いや違う
これは幻聴
わかってるのに(頭では分かってるのに
祭りの喧が俺を追い詰めるようで

ランスの声も聞こえない
どこか遠くへ
誰も居ない遠くへ
あの音が逝く
不安と恐怖が押し潰す

気が付くと耳が暖かな物で…
ランスだ
何か言ってるの…か

冷静さを取り戻そうと自分で立つ

自分が仕出かした事に気付き真っ青に
すまないすまない

ランスの行動にただ身を任せて…


セイリュー・グラシア(ラキア・ジェイドバイン)
  ラキアの様子が変だからさ。
「大丈夫か?」
聞いてみたけど、不安そうに何か考え込んでるし。
ラキアって何か不安感とかあると色々と思考が廻るんだよな。
何か今回もそんな感じだぜ?
じっと空中見つめて考えこんでるからさ。
「ラキア、どうかした?」
ってラキアの頬を突いたら、ぼそっと。
時計の音、って言うんだ。
普段そんなの気にした事無いじゃん。
でも何かすげー深刻な顔してる。
ほっぺた、むにーっと引っ張ってやろう。
静かにしてるから、気になりだしたら気になるんじゃん?
眠れない時の秒針みたいな?
そんなの怖がらなくてだいじょーぶ。
ぎゅっとラキアを抱きしめるぜ。
今、オレ達、生きてて一緒に居るじゃん。
もう一度、抱きしめる。ぎゅ。


蒼崎 海十(フィン・ブラーシュ)
  屋台を歩いていたら、突然フィンが歩みを止めた
少し青ざめた顔…平気だと言うけど
手を伸ばしたら、フィンから手を振り払われた
フィンが怖がってる…?

放っておけるもんか
強引にフィンの手を引いて、人混みを離れる
フィンをベンチ等座れる場所に誘導してから、ぎゅっとその身体を抱き締める

大丈夫だ
俺が居る
俺がフィンの傍に居るから

フィンを襲う苦しみを何とか取り除きたい
けど、これくらいしか思い付かなかった
フィンの声に顔を上げれば、いつもの笑顔があって…

本当にもう平気なのか?
俺にくらいは…無理したり格好付けたりしないで、苦しい時は苦しいって言ってくれ
俺に出来る事は少ないけど…少なくともフィンと一緒に泣くくらいは出来るから


瑪瑙 瑠璃(瑪瑙 珊瑚)
  珊瑚!どうした!?
両方の肩を掴んで、何が起きたのか確認するも、振り払われる。
気がつけば、そのまま茂みに逃げ込んだので後をつけた。

人気のない森で、呻く珊瑚と取っ組み合う。
その内に首筋を噛まれる。
(珊瑚、もしかして苦しいのか?)
顔を覗きこめば、激しく息をする珊瑚の姿。

未だに呻く珊瑚を落ち着かせようと、人気がないのを逆手に抱き締める。
幹に背中を打ち付けられても、離さなかった。
噛みつかれても動じなかった。

落ち着いた所で、自分の身に何が起きたのか説明する。
動揺する珊瑚を時には落ち着かせながら。
今日は……休もう。
お前も疲れただろうし。


●そばにいるよ
 祭囃子が絶えず聞こえる中、二人並んで歩く。幾度訪れても目移りしてしまう屋台の面々を眺めていると、となりにいたはずのフィン・ブラーシュが歩みを止めていることに気づいた。振り向けば、数歩後方で立ち尽くしている。

「……フィン?」
「あ……ごめんね、なんでもないよ」

 蒼崎 海十が名を呼べば、フィンはいつものように人当たりの良い笑みを作って見せた。やや青ざめた顔に、気付かない海十ではない。確かめるように「大丈夫か」と問う。

「大丈夫だって、平気だから」
「けど……具合悪いなら、あっちで――」

 休もうか? そう言いながらフィンに伸ばした手が、触れる前に勢いよく振り払われた。
 驚きのあまり呆然としていると、フィンの手がかすかに震えているのに気づく。瞳には、目に見えて後悔の色が浮かんでいて。海十はただ事ではないと察した。

(フィンが、怖がってる……?)

 目を合わせてくれないフィンの瞳は、ふるふると不安で揺れていた。
 いつも優しく、時に厳しさも見せながら、となりにいてくれるフィン。そんな彼が、何か悍ましいものに吞み込まれようとしている。しかもそれを、たった一人で耐えようとしていて。

 ――放っておけるもんか。

 震える声で、何か発しようとしていたフィンの手を強引に掴む。再び振り払われかけたが、海十もか弱いわけではない。何とかしてあげたい、そんな一心で、賑わう人ごみを離れていく。

ぎしり、ぎしりと耳元にこびり付く不規則な音。大きく、不意に小さく遠ざかるそれに、フィンは聞き覚えがあった。
 荷重に耐えきれず、床板が激しく軋む音。
 かつて自身の故郷をオーガに滅ぼされたとき、家の中を徘徊していたオーガの足音とよく似ている。今更になって思い出したそれに、つい足を止めてしまった。
 ひとつ思い出してしまえば、奥へ奥へと追いやったはずの感情が引っ張り出されてしまう。あのとき感じた恐怖と不快感。何もできなかった自分の無力さと、絶えず襲いかかる絶望。
 何もできなかった。孤独にも、生き延びてしまった。

(どうして今更、こんな……)

 まとわりつく音は消えず、視界は徐々に黒ずんでいく。――だけど。

(温かい……)

 掴まれた手に伝わる、優しい熱。こっちだ、と引っ張られていく。それはまるで、日常へ引き戻してくれるようで。
 ――音が、遠ざかる。

 大きな通りから外れ、見つけた2人掛けのベンチにフィンを座らせる。見上げられるのは、新鮮だ。こんなにも弱っている彼をみるのも、珍しい。だからこそ、自分が何とかしたいと思った。

「大丈夫だ。俺が居る」

 ぎゅっと、フィンを抱きしめる。自分の胸に、大事に抱え込むように。
 何に怯えているのか、海十自身にはわからない。ただ、フィンを襲う苦しみを何とか取り除いてあげたかった。

「――俺が、フィンの傍に居るから」

 気の利いた言葉なんて咄嗟に思いつかなかったが、それでも伝えなければと思った。
 一人じゃないよと、言ってあげたかった。

「……有難う」

 背中に回される腕。ハッとしてフィンと顔を合わせれば、そこにはいつもの笑顔があった。震えていない。作ってもいない、大好きな笑顔。

「本当に、もう平気なのか?」
「うん、大丈夫」

 心配かけてごめん、と眉根を下げて微笑む彼に、ほっと安堵する海十。良かったと思う反面、少し寂しさを感じた。

「俺にくらいは……無理したり格好付けたりしないで、苦しい時は苦しいって言ってくれ」
「海十……」
「俺に出来る事は少ないけど……少なくとも、フィンと一緒に泣くくらいは出来るから」

 一人で耐えようとしないで。不安ならば、分け与えて。そうして共に生きていこうと、海十の言葉から強い意思を感じたフィンは、いっそう回した腕に力を込めた。

「海十は……凄いね。大丈夫、――もう、怖くないよ」

 誰かが、――いや、海十が傍にいる。それがわかっただけで、こんなにも胸の内が軽い。
 聞こえていたはずの煩わしい音は、いつの間にか消えてなくなっていた。きっともう、あんな風に強く苛まれることはないだろう。
 抱きしめてくれた彼のぬくもりが、優しい声が、全部吹き飛ばしてくれたから。



●こわくないよ
 アキ・セイジの澄んだ瞳に、僅かな陰りが生まれた。その一瞬を、ヴェルトール・ランスは見逃さなかった。
 ついさっきまで、揃いの浴衣で歩くことに少し照れた様子だったのだ。それなのに、頬に淡く浮かんでいた赤はすっかり失せてしまっていた。

「……セイジ?」

 自分にしては存外冷静な声色で、名前を呼ぶ。しかし、セイジからの反応はなく。次第に青くなる横顔を見て、これはやばいと思った矢先――ぐらりと、セイジの体が傾いだ。
 慌ててセイジの背中を支え、もう一度名前を呼んでみる。セイジはか細く、「変な音が」と呟いた。

「音? ……何も聞こえないよ、大丈夫だよ」
「そんなはずは……」

 繰り返し、言い聞かせるようなランスの言葉に、セイジははたと気づいた。
 この、耳を劈く嫌な音は、自分にしか聞こえていないのだと。
 甲高く、何かが壊れるような音。不快感をひたすら煽るその音に、セイジはなぜか聞き覚えがあった。音が、記憶を呼び覚まして――

「――ッ!!」

 バチン、と大きな音が響いたが、もはやセイジの耳には届いていなかった。ただ、恐ろしかったのだ。弾いたそれがランスの手だとは、理解もできなかった。
 強く、踏み固められた地面を蹴る。無我夢中で、顔も知らない誰かとぶつかりながら、それでもセイジは止まらなかった。――止まれなかった。

(……払われた)
「って、ぼーっとしてる場合じゃねぇ……!」

 慌ててランスも駆け出した。見失ってなるものか。そんな気概で、セイジの背中を追う。

 ――あれは、幼い頃に聞いた音。
 ずきずきと頭や肺が痛む。どうして聞こえたのか、どうして耳を澄ましてしまったのか。今となってはわからないことだらけだが、それでも確かにわかることがある。

(オーガが……、俺の家族を全員引き裂いた音……)

 思って、即座に否定する。そんな音が、この祭りのさなかに聞こえてくるはずがない。これは幻聴、ただの思い込みであって、決して現実に起きているわけではない。
 わかっている。わかっているのだ。……わかっているのに。
 押し寄せる音が、祭りの喧騒と相まって追い詰めてくるようで。走っても走っても、その距離が離れていく気がしない。だけど打開策があるわけでもなく、ただ逃げ惑うしかできなかった。

(ランスの声も、聞こえない……)

 いつもなら、あの底抜けに明るい声がすくい上げてくれるのに。吐き出す息は震えていて、視界もうまく定まらない。
 遠く、遠く、遠くへ。どこでもいい、誰も居ない遠くへ、早く。

「……、……」

 少しずつ、縮まるセイジとの距離。ふと、ランスの耳に独り言が聞こえてきた。
 激しい呼吸音に混じり聞こえてきたそれは、不安に押し殺されそうなセイジの声で。ランスは聞き逃さないよう、耳を傾ける。

(……連れて行く? 誰をだ? 誰がだ?)

 きっと無意識に紡いでいるのだろうそれは、いまいち要領を得ない。ちゃんと、聞かなければ。
 届け。その一心で、ランスはセイジに手を伸ばす。
 ランスの右手は、しかとセイジの腕を掴んだ。もつれるセイジの足を視界の端に捉え、転ばないよう勢いを殺しつつ冷えたセイジを抱きしめる。
 ひゅ、とセイジが息を呑んだ。

「やめろ、いやだ、オーガに、もう聞きたくない、かぞくが、おれの……っ」
「……セイジ」

 短く、途切れ途切れに零れた言葉を拾い上げ、繋いでいく。断片的ではあるが、何に苦しんでいるのか、それを察するには充分すぎた。
 セイジは尚も、ランスの腕から逃れようとする。自分を見ていないその目は、まるで迷子のように見知らぬ何かを恐れていて。そっと、耳を両手で塞ぐ。こんなものは気休めにしかならないかもしれないが、やらないよりはいいだろうと、ランスは思ったのだ。
 離せと言わんばかりに、セイジがランスの腕に爪を立てる。錯乱したセイジに加減なんてものはなく、一向に離れようとしないランスを敵と認識したのか、はだけたランスの首筋に噛みついた。

(痛いけど……痛くないっ)

 もはやそれは強がりだったが、ランスは痛みにぐっと堪えた。セイジの耳に触れる指先に、力を入れるわけにはいかない。今ここで余計に反応してしまえば、彼がもっと恐怖を感じてしまうかもしれないから。

「セイジ……大丈夫、大丈夫だから」

 何度でも、繰り返して。ようやく緩まるセイジの指に、ほっと安堵する。
 まだ覚束ないながらも、セイジは呼吸を整え、ようやく落ち着きを取り戻した。せっかくお祭りを楽しんでいたのに、こんなに取り乱してしまって――。
 途端、ざ、と青ざめるセイジ。自身が、ランスの手を強引に振り払い、猛然と走り出してしまったのだと気づいたのだ。しかも、屋台が立ち並ぶ通りからずいぶん外れた場所まで来てしまっている。

「ランス、俺……っ!」
「あー、人ごみに酔ったんかもな。今日、かなり人多いみたいだし。ほら、具合はどうだー?」

 こつん、と額と額を合わせる。それから労わるように、ランスはセイジの頭を優しく撫でた。
 恥ずかしい、それよりもやはり申し訳なさが勝って、セイジはぎゅっと手を握りしめる。
 実のところ、音が聞こえ始めてからの記憶が曖昧なのだ。ただただ襲いかかる恐怖に逃げる事ばかり考えていた。

「本当に、すまなかった……。その、何か変なことは言っていなかったか? お前に、とか……」
「んやー、別に何も言ってなかったぜー?」
「……本当か?」
「ほんとだってば」

 ぐりぐりと額を擦れば、セイジは痛いぞと言いながらもくすぐったそうに笑った。取り戻した笑顔に、ランスも頬を緩める。
 首筋と両腕についた真っ赤な傷口は、見えないように浴衣の衿と袖口で隠して。額を離し、セイジの頬に触れる。
 必然的に見上げる形になったセイジの瞳は、ちゃんとランスを見つめていて。振り払われたとき、セイジが自分を認識してくれなかったとき、ランスもまた、不安と恐怖に胸を締め付けられていたのだ。

「……セイジ。俺が、傍に居るだろ?」

 目に見えない恐怖が、たとえ彼を苦しめたって。何度でも、自分が守ればいい。
 柔いセイジの唇に、自分の唇をそっと重ねる。身を委ねてくれる彼に、熱を分け与えて、共有して。

 ――ほら、もう怖くない。



●はなれないよ
 ――それは、予兆なく訪れた。

「っ、ぐっ、あっ、がぁぁ……!!」
「珊瑚! どうした!?」

 突如として襲ってきた音に、瑪瑙 珊瑚は苦しみ悶えた。両耳を押さえ、折れんばかりに歯を食い縛る。
 さっきまで、祭りを楽しんでいたはずなのに。共に歩いていた瑪瑙 瑠璃も動揺を隠せない。周囲のお客たちも、様子のおかしい珊瑚を何かあったのかと心配そうに様子を窺っている。

「珊瑚――ッ」

 ただただ心配で、瑠璃は珊瑚の両肩を掴み状況を確認しようと試みた。
 しかし、それが叶うことはなく。珊瑚は瑠璃の手を振り払い、人の波をかき分け人気のない方へ走り出してしまったのだ。
 大きな通りから外れ、茂みに逃げ込む珊瑚の後を、瑠璃も追いかける。

 珊瑚は、得体の知れない苦しみに襲われていた。まるで、何かを取り出すときに滴り落ちる水の音が、耳にこびり付いて離れないのだ。
 鳥肌、なんて生易しいものじゃない。体の中にあるもの全てが、刃物で抉り取られるような、そんな感覚。生きながらにして地獄のようなその感覚から、どうしても逃げられない。
 心と体が裂かれるような気分だった。

「おい、珊瑚……!」

 気づけば人気のない森の方まで走って来ていたらしい。明かりは少なく、あたたかな提灯の灯りがほのかに見える程度だ。
 自分の体を掻き抱く珊瑚の手を掴んだ瑠璃だが、こちらを睨む赤みのある瞳は、ゆらゆらと炎のように揺らめいている。
 強引に振り解こうと、珊瑚はがむしゃらに腕を振り回した。瑠璃は離してやるものかと必死だ。
 理性を失くした獣のように、珊瑚は瑠璃に体当たりをした。思った以上に強い衝撃が瑠璃の胸元を圧迫する。一瞬、呼吸が止まったのではと錯覚さえした。珊瑚の勢いは止まらず、瑠璃は抵抗する間もなく、背中を太い木の幹に勢いよく打ち付けた。
 珊瑚の腕を離さなかったのは、やはり意地なのだろう。詰まった息を吐き出しながらも、珊瑚を掴む手に力を込めた。

「う、がっ……、っぐ……!」
「っ……!」

 狭まった距離がさらに縮まり、晒された瑠璃の首筋に珊瑚が噛みつく。何かに耐えるように顔を埋める珊瑚。次第に痛みは強くなり、思いきり歯を立てられた。はっきりとした歯型が、瑠璃の首筋に刻まれる。

(珊瑚、もしかして苦しいのか?)

 はじめは、獰猛な飢えた獣のようだと思っていた。だけど、違う。
 視界に捉えた珊瑚の瞳は、ひどく不安げに揺れていて。奥底にある恐怖心が見えて、今までの行動がすべて自己防衛だったと気づいた。

「――珊瑚」

 それならば、と。震える珊瑚の腕を離し、今度は両手でその体を抱き締めた。
これが人前であったなら、瑠璃はこんな行動には出られなかっただろう。喧騒から離れたこの場所だからこそ、瑠璃はぎゅうっと背中に回す手に力を入れ、抱き締められる。
 背中は痛いし、噛まれている首筋も痛い。だけど、離さなかった。……離したくなかった。

(ごめん、瑠璃……)

 訪れたぬくもりが、パートナーのものであると気づく。だが、珊瑚を苛む耳鳴りは一向に収まらない。振り払っても、逃げても、どうやったってついて回ってくる。
 ――少しでも、この耳鳴りが治まれば! その一心で、珊瑚は顔を上げてさらに噛みついた。

「むぐ、」

 くぐもった瑠璃の声が、はっきりと珊瑚に届く。ぱちぱちと目を瞬かせると、黒い霧に覆われていた視界が、一気に明瞭になった。
 すぐ傍にある、瑠璃の顔。薄目を開けてこちらを見る、深海のような青色を見つめ、……フリーズ。

「あ……あきさみよおおおお!」

 のち、絶叫。ようやく冷静に、とは言い難いが、周りがしっかり見えるようになった珊瑚は、まさしく穴があったら入りたい気持ちに襲われた。

「落ち着け、珊瑚。耳とか、もう大丈夫なんだな?」
「えっ、あ、おう……」

 なら良かった、と安堵する瑠璃。未だ状況を理解できない珊瑚に、瑠璃は一連の流れを説明した。
 瑠璃の説明を聞くたび、なんてことをしてしまったんだと珊瑚は青くなったり赤くなったりを器用に繰り返している。
 わざわざ声に出して言う事か!? と叫びたくなるのをぐっと耐え、頭を抱えた。

「わ、わん、そんな事を……! 瑠璃と……瑠璃と――んごっ!」
「声がでっかい」

 べちん、と大きく開いた珊瑚の口を瑠璃の手が塞ぐ。
 今日はもう休もう、と瑠璃が声をかけると、珊瑚は唇を押さえながらも素直に応じた。
 すっかり聞こえなくなった耳障りな音。あれはいったい何だったのか、結局原因はわからずじまいだが。
 離れないでいてくれたパートナーに、珊瑚は改めて、彼の大切さを感じたのだった。



●ずっといっしょだよ
 ……ッ……ッ
 ラキア・ジェイドバインは、そのかすかな音に首を傾げた。何の音なのか、ただの空耳か。言いようのない不安感に、少しばかり身を強張らせる。
 ……ッ……ッ
 今度は、少し大きく。だけどリズムは変わらず一定で。かすかな、無機質でどこか乾いた金属音。
 聞いたことがある。聞きなじみもある。ラキアは暫し聞こえてくる音に意識を寄せた。
 ――あぁ、これは。

(時計の音、だ)

 カチ、カチ、カチ。狂うことのないそのリズムは、認識してしまえば容易に消すことはできなかった。
 何せ、普段から日常的に聞いている音である。自然と耳に入り、常ならば意識することなく他の音に紛れてしまうはずなのだが、今日は違った。
 どこか、恐怖を煽るその音に、ラキアの胸の内が震える。

(普段は、何も怖くないのに。何故、怖いのだろう)

 動じず、刻まれる音。ラキアが考えている間にも、刻一刻と無遠慮に響く。
 そう、淡々と。これこそが、――恐怖。
 自分たちの意思とは全く関係なく流れていく時間。止める術など誰も持ち合わせてはおらず、それが絶対であるように進んでいく。
 ――神人と精霊。その単語が、ラキアの頭をちらついた。

(自分とセイリューは、違う生物種だから)

 姿形は同じでも、根本的な本質は違う。神人であり、パートナーであるセイリュー・グラシアと過ごすようになって、日々が幸福に満たされていると感じるようになった。だけどそれもきっと、この無機質な音が、時間が、終わらせるのだ。
 時が過ぎれば、きっと寿命が二人を分かつ。明かしていないとはいえ、年齢差があるのだ。当たり前と言えばそれまでなのだろうが、いずれ訪れる離別の時が、何よりも怖い。
 時間は決して、待ってはくれない。同じ時を刻み続け、お前はここで終わりとあっけなく見放す。笑うことも無ければ悲しむことも、嘲ることもない。
 そんな未来に向かって、進むしかないなんて。ラキアはつ、と目を細めた。

 押し黙ったラキアを見つめ、となりを歩くセイリューも首を傾げていた。途中から様子が変だったことは気付いていたが、「大丈夫か?」と聞いてみても返事はなく。何かを考え込んでいる瞳は、不安げだ。

(ラキアって何か不安感があると色々と思考が廻るんだよな)

 自然を愛し、知識も豊富で学問にも長けて。人より頭が回る分、深く深く考え込んでしまう。視線は彷徨うことなく、じっとどこかを見つめているラキア。
 そんな彼のことを、セイリューが放っておくはずがない。

「ラキア、どうかした?」

 先ほどよりもしっかりした声で。反応が返ってくるよう、ラキアの頬をつつく。
 すると、喧騒に紛れて消えてしまいそうなか細い声で、セイリューの耳にラキアの声が届いた。――時計の音、と。
 そんなもの、誰だって耳にするものだ。日常どこにでもあるし、特別気になるなんて話をしたこともない。だけどラキアは、ひどく深刻な顔をしていて。
 セイリューは、気がまぎれるようラキアの頬をむにーっと引っ張った。

「静かにしてるから、気になりだしたら気になるんじゃん?」

 いつものように、笑って見せる。明るく穏やかな笑顔は、いつだってラキアを安心させた。たとえ今、自分の方を見ていなくたって。セイリューの口からあふれる言葉の数々は、すんなりラキアの耳に届いていく。

「眠れない時の秒針みたいな? そんなの、怖がらなくてだいじょーぶ」

 夜更けに、ふとしたときに聞こえる時計の秒針は、確かに恐怖を感じるもののひとつだろう。無機質で、止まれと言っても聞くはずはなく、それは絶えず鳴り続ける。
 ――時間。人が決して抗えない、絶対のもの。
だがセイリューは、それがどうしたと言うようにラキアを抱き締めた。強く、強く。強張るラキアを落ち着かせるように、ぴったりと体をくっつける。

「――今、オレ達、生きてて一緒に居るじゃん」

 じわり、じわりと広がる熱。それと同時に伝わる、ひとつの音。
 一定のリズムであるはずなのに、あたたかく。ラキアを追い抜くことも、一人先に行かせることもない。となりに寄り添って、共に歩いてくれる音が、そこにある。
 ――どくん、どくん、どくん。
 響いて、交わる。それはラキアの音を確かに捕まえて、溶け合った。

「……セイリュー」
「んー?」
「俺、今、とても幸せだって思うよ」

 背に回された手があたたかくて、セイリューはそっかと安心したように笑った。
 もう一度、強く強く抱きしめる。今度は消えてしまわないよう、互いに音を確かめるように。
 耳障りだった音は、いつしかセイリューの音に混じり、いつものように聞こえなくなっていた。



依頼結果:大成功
MVP

メモリアルピンナップ


エピソード情報

マスター 北乃わかめ
エピソードの種類 ハピネスエピソード
男性用or女性用 男性のみ
エピソードジャンル シリアス
エピソードタイプ ショート
エピソードモード ノーマル
シンパシー 使用不可
難易度 簡単
参加費 1,000ハートコイン
参加人数 4 / 2 ~ 5
報酬 なし
リリース日 09月14日
出発日 09月21日 00:00
予定納品日 10月01日

参加者

会議室


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