プロローグ【『瘴気に染まりし氷塔の浄化作戦』】
●
「ったく! 本当に心配したんだからなっ!」
「ごめん、セナ……」
首都タブロス、A.R.O.A.本部の一室で、セナ・ユスティナートはミラス・スティレートにツンっとした態度をとる。
旧タブロス市街に進行してきたグノーシス・ヤルダバオートに捕らえられていたミラス・スティレートは、
オベリスク・ギルティにて、儀式『大罪訃君祭』にかけられギルティに堕とされかけた。
その企ては、ウィンクルム達の力を借りたことで失敗に終わり、グノーシス本人も自我を取り戻したミラスに斬り裂かれ、塔から落下し姿を消した。
マントゥール教団員の幹部や、重役として地位を築いていた人間が何人も生贄になったことで、マントゥール教団全体の力は大きく削がれ、
今回の一件は、全体的に見れば確かに良い結果となったのだが……。
「今度あんなことになったら、もう知らないからな!」
セナからすれば、愛する大事な精霊がギルティとなってしまう一歩手前だったわけで。
そうそう簡単に、一件落着だった、と割り切れる問題ではない。
「ま、まぁミラスも無事に戻ってきたんだ、そんな怒るなよ、な?」
ツンツン状態のセナに困りきったミラスに助け舟を出すレッドニス・サンタクロースだったが、
「うるせー! 怒ってねぇよ!!」
「怒ってるだろ……」
セナは頬を膨らませてまともに話を聞いてくれるような様子ではないようだ。
はぁ、と困ったように溜息をつき、レッドニスはミラスに両手をあげてお手上げのポーズを見せる。
ミラスはそれを見て苦笑いを浮かべた後、すっと真剣な表情となってセナを見据えて頭を下げた。
「ごめん、セナ。許してよ」
「ふ、ふんっ! 謝ったって許さないぞ!」
「そうか……じゃあ、映画も一緒に行けないな……」
わざとらしく悲しそうな表情をして、ミラスが呟くと、
「なっ、映画に行かないとは言ってないだろっ!?」
セナが大げさにその一言に食ってかかる。
「許してくれないって言ったじゃないか」
「言ったけど、え、映画は……行く……」
今までとは打って変わってしおらしくなったセナに、ミラスはにこりと笑って、
「じゃあ、許してくれるか?」
「う、うう、ひ、卑怯だぞ! わかったよ! 許すよ! 許せばいいんだろー!?」
ぽかぽかとセナがミラスの胸を殴りつけながら叫ぶ。
その様子を見て、レッドニスはなんとなく邪魔してはいけないと察して部屋の隅に移動しようとすると、
ガチャリ、と扉が開き一人の男性が革靴を鳴らしながら入室してきた。
レッドニスだけでなく、セナとミラスもその存在に気がつき、男性の方を見やる。
そして、その男性が誰なのかを認識して、セナの収まった怒りが振り返す。
「レイジ!」
「セナ・ユスティナートか。よく生還した」
「何がよく生還しただ! 人を幽閉しておいてさ!」
「ウィンクルムは貴重な存在だ。もしも彼――ミラス・スティレートがギルティとなっても、神人の君が居れば他の精霊と再契約できるかもしれない、私はそう判断しただけだ」
怒りをぶつけるセナとは対照的に、レイジは淡々と結果を告げるかのように話をする。
「はぁ!? あたし達は、戦いの道具でも何でもねぇぞ! そんな簡単に再契約なんて出来るわけないだろ!」
「何を言っている。A.R.O.A.のシステムを忘れたか? 神人と精霊の契約は絶対だ」
「あんた……ッ!」
今にも掴みかかりそうになっているセナを、ミラスが後ろから抑えて一歩下がる。
「離せミラス! あいつはブン殴らないと気がすまない!」
「落ち着いてセナ。ここであの男を殴っても何も良いことは無いよ」
「知るかー! A.R.O.A.の代表だか知らないけどムカつくんだよアイツ!」
暴れるセナを相手にすることなく、レイジは独白するように報告を行う。
「ユウキ・ミツルギと、リーガルト・ベルドレットは、A.R.O.A.本部地下大監獄 第五監獄無間に収容された」
「…………無間って、大罪人が収容されるところだよな」
「そうだ。無間は、大罪人でありながら処刑が行えない者達を投獄する牢獄だ。
彼等はウィンクルム。今後の戦いに必要になるかもしれないからな」
レイジの言葉にセナは、今度は暴れることなく静かに低い声で問う。
「あんたにとって、あたし達ウィンクルムは何なんだよ……?」
「決まっている。『希望』だ。世界を救うためのな。だからこそ、失うわけにはいかない。
君達は自覚するべきだ。世界に脅威をもたらすオーガという存在を討伐し、瘴気を浄化出来るのは君達しかいないのだということを」
「その為なら、あたし達を道具のように使っても、問題ないってことかよ?」
「言った筈だ。自覚しろ、と。ウィンクルムである限りオーガとの戦いは避けられない。
仮にA.R.O.A.が存在しなかったとしても、ウィンクルムがオーガと戦うことを人々願うのは当然のことだ」
「………………」
オーガを倒すことが出来るのは、ウィンクルム達しかいない。
様々な技術を研究し開発を行うA.R.O.A.ですら、一般人がオーガを倒せる段階まで至っていないのだから、
ウィンクルムの力なくして、オーガを世界から消滅させることなど出来はしないだろう。
セナが押し黙っていると、レイジが一枚の紙を内ポケットから取り出してセナに手渡した。
「何だよこれ?」
「読めば理解出来る。ライラット、後は任せたぞ」
そう言い放つと、レイジは部屋を後にして早足でどこかへ歩き去っていってしまった。
セナが手渡された書類に視線を落とすと、そこには『オベリスク・ギルティ』についての記載がされていた。
内容はまとめると、こんな感じだ。集められた瘴気が蓄積し、現状のままで放置しておけば動植物に影響を与えてしまう可能性が高い。
瘴気を浄化するために、ウィンクルムを集結させ、瘴気の浄化に務める――。
「そうか、瘴気はまだ残ってるもんな」
「そうなんですよ!」
「うわぉあ!?」
セナが書面を読んで納得していると、突然眼鏡をかけた青年が一人目の前に現れていた。
「ライラットか、久しぶりだな。クリスマスが近くなるとやっぱりテンション高ぇな」
「お久しぶりです、レッドニスさん! いやぁサンタさんに直接会えるなんて大感激ですよ!」
ライラットと呼ばれた青年は、レッドニスと面識があるようで、嬉しそうに談笑をしている。
「……あんたは何者なんだ?」
セナがおそるおそる問うと、ライラットは眼鏡を光らせて叫ぶ!
「僕はA.R.O.A.職員ですが、クリスマス関係の行事などを担当しているライラットと申します!」
ライラットは、セナにレイジが手渡した資料をミラスとレッドニスにも手渡し、目を通すように促した。
「ご覧いただいた通り、『オベリスク・ギルティ』では今、瘴気が膨大な量存在しており、そのままにしておくことは出来ません。
ただ、戦闘を行っていただいたことから分かるように、あの付近は森しかないので、ウィンクルムの皆さんにデートをしてもらうのもままならない」
ライラットはそのまま眼鏡を光らせながら続ける。
「しかし! 今回なんと、瘴気の浄化を行いやすくするため、ノースガルドの皆さんを中心に、スペクルム連邦の方々からご助力をいただき、
ホワイト・ヒルに存在している『ホワイト・ヒル大教会』をパーティー会場として、パーティーを開催することになったのです!」
「それはまた、大規模なイベントになったものだね」
「僕としましては、ムーンアンバー号を使ってイルミネーションとムーンアンバー号の軌跡のコントラストを楽しむ、
なんてのも企画・検討し立ち上げたかったのですが、見事にボツを食らったので……」
「まぁ、そうホイホイと使えないだろあの列車は」
今回『オベリスク・ギルティ』に向かう際に使用したのは、ムーンアンバー号だったが、あれは緊急事態だったからこそ使用許可が下りたのだ。
クリスマスを盛り上げる為に、と使用するのは些か難しいのだろう。
「それで、『ホワイト・ヒル大教会』ってとこで何するんだよ?」
「ウィンクルムの皆さんがパフォーマンスを行うことの出来る『アピアチューレ・ホール』、
立食パーティーでフレンチ料理を楽しめる『キャンドル・グランツ』、
願いを込めて鳴らすと、願いが叶うと言い伝えられている『セイント・チャペル』と、見所は大きくわけて3つとなっています」
ライラットは、そのまま続ける。
「これらの会場の中で、デートプランを選択していただき、ウィンクルムの皆さんに楽しんでいただく、というのが今回のパーティーです。
主役は世界を救ってくれたウィンクルムの皆様全員ですからね! 思う存分楽しんでいただきたい!」
「パーティーか~!」
先程まで怒りに表情を染めていたセナの表情も明るくなり、完全にパーティーに思いを馳せている。
「さてと、俺もライラットに負けてられないしな、夢見の塔に戻ってクリスマスプレゼントの準備を進めることにする」
レッドニスはそう言い、フライングトナカイボートに乗ってA.R.O.A.本部を後にした。
セナ達はその背中に手を振った後、パーティーについてミラスと共に話を進め、デートプランを考え始めたのだった。
●
「ぐ…………」
『オベリスク・ギルティ』から少し離れた場所で、銀髪に眼鏡を掛け、羊の角に似た角を生やす青年が血塗れで歩いていた。
「まさか、あのような結果になるとは……」
ミラスをギルティ化させることが目的であり、またギルティ化させることが難しいことになるなど微塵も考えていなかった。
しかし、結果としてミラスはウィンクルムとセナの手によって自我を取り戻し、あろうことか身体に宿していた瘴気を、すべて自分の力に変えて放出して攻撃を行ったのだ。
彼――グノーシス・ヤルダバオートはその攻撃に晒されて『オベリスク・ギルティ』から落下することとなった。
「愛の力、ですか……少々侮っていたようです」
グノーシスが一度休もうと木に手をかけた瞬間、雪を踏み抜く足音が彼の耳に届く。
「誰だ!」
足音の主はグノーシスの視線に射抜かれてもなお、怖気付くことなくゆっくりと吹雪の中からその姿を現した。
「……あなたは」
「派手にやられたな、グノーシス」
吹雪の中から姿を現したのは、ウィンクルムでも人間でもなく――グノーシスと同じくオーガの角を生やした男。
マントゥール教団員が羽織っているマントに似た外套をはためかせ、ゆっくりとグノーシスへ近づく。
「手を貸そう、まだ立てるか?」
「触らないで頂きたい」
男は、グノーシスのつれない態度にも肩を竦めて、手を貸すことなく横に並ぶ。
「……ギルティ・マニアを司るギルティのあなたが、なぜ今更ここに?」
「何、懐かしい顔があったもので、物見遊山でね」
「懐かしい?」
「レッドニス・サンタクロース、彼とダークニス・サンタクロースの姿はよく覚えているよ」
「まったく、ボクも様々な策略を練ったり情報を収集しているつもりなのですが……あなたは本当にわからない方だ。腹ただしくすらありますよ」
本当に苛立ちを隠せないといった様子で、グノーシスは隣に立つギルティを睨む。
「よくやっているさ、しかしこの世界にはまだ残っているんだよ、これまでの前提を覆すような謎がね」
「興味深いですね。物理法則でも、書き換えるつもりでしょうか?」
ギルティは、笑みを浮かべながら、まるで演説でも行うかのように言葉を紡いでいく。
「君あらば考えただろう。なぜセイントとなった神人は女神ジェンマの使いになるのか。
なぜ、テソロ・ペルソナは別次元に遷移されるのか・なぜ、ウィンクルムはなぜ前世の記憶を有していることがあるのか。
オーガという存在は一体、何のために存在しているのか?」
「………………」
「この世に意味のないことなど存在しない。それ等には必ず意味が存在する」
「なぜ、とは訊きませんよ。それを解明するのが科学者ですから」
鋭い眼光で、答えを言ったら殺すというかのようにギルティに釘を刺すグノーシスだったが、
ギルティは気にする様子も無く、微笑みながらグノーシスを見返す。
「期待しているよ、君がそのことに気がつくことに」
「…………あなたはこれからどちらに?」
「特に決めてはいないさ。もはや準備は進んでいるのだから、少しずつ進めればいい。君こそ、これからどうするつもりなんだ?」
「ボクも、まだ計画が完遂したわけではないのですが、正直あなたに興味が湧きました」
「あなたと共に行動し、世界の謎とやらを解明し、この目で見たい」
「なるほど」
グノーシスの言葉に、ギルティはフッと笑みを零し、まるでついて来いと言うように大きく歩を進める。
そして、ギルティ・マニアを司るギルティが魔方陣を出現させると、二人のギルティは魔方陣に吸い込まれて消えていった。
●
神々しい光を放つ空間で、天使ジュリアーノは女神ジェンマの前で跪拝していた。
「ジェンマ様。もはや、オーガの増加は予断を許さない状況となっております」
「…………そのようですね」
女神ジェンマは、ジュリアーノと視線を合わせることなく、深刻そうな顔で虚空を見つめている。
「ウィンクルム達の愛も深まってはいますが、テソロ・ペルソナ達の居る次元や、黄昏世界……限界に近い状況です。
このままでは、ギルティ・ガルテンのようにウィンクルムが一人も居らず、人々がオーガとなっていくだけの世界が増えていくばかりだ」
「……………………」
「私は、女神ジェンマ様に仕えたことを後悔していません。テソロ・ペルソナとなった私の精霊も……事情を話せば分かってくれるでしょう」
ジュリアーノは唇を噛み切るほど悔しそうに歯噛みしながら、続ける。
「しかし、このまま世界がオーガに埋め尽くされていく様相を見るだけなのは耐えられません」
滅多に見せないジュリアーノのその姿に、女神ジェンマはついに彼に視線を移して、
「ジュリアーノ」
「はっ」
「わかりました。本来であればまだ早いものではありましたが、手段は選べないようですね」
「ジェンマ様!」
ジュリアーノが、女神ジェンマの言葉に表情を明るく彩らせた。
「この力は、強大です。そして、繊細なのはわかりますね。ウィンクルム達に授けるとしても、『オベリスク・ギルティ』の瘴気が邪魔をしてしまいます」
「存じております」
「この件は、あなたに一任します。もしも彼等が『オベリスク・ギルティ』の瘴気を浄化できたのなら、あなたからその力をウィンクルムに授けることが出来るでしょう」
「承知しました」
「頼みましたよ、ジュリアーノ……」
「お任せください!」
女神ジェンマはそう言い残すとその場を後にし、光となって姿を消した。
ジュリアーノは、女神ジェンマが残した神々しい力を大切に手に取り、ウィンクルム達に祈りを込めたのだった。
●首都の惨状
一戦を明かした首都タブロス――。
「駄目だ、あの化物は倒せなかったんだ……」
「わたしたち、全員オーガになっちゃうんだわ。ああ……!」
第四監獄『大灼熱』に現れたオーガは全て倒されたが、牢屋が破壊された混乱に乗じ一人の大罪人を逃がしてしまった。
そしてA.R.O.A.本部に姿を現した『ゼノアール・ミーシャ』は、健闘虚しく討伐されなかった。
からくも絶望のオーラ色を破壊出来たものの、首都での役割を終えたデミ・ギルティは大きなダメージをそれ以上与えられないままに、氷の塔へと撤退してしまったのだ。
高スケールオーガを逃がし、瘴気は晴れる事無く空に充満し、不気味な塔は未だ健在のまま。
その事実が人々の心に重く圧し掛かり、負の感情を『ギルティ・シード』により増幅させられた者達が、オーガになりかけ苦しんでいる。
かろうじて正気を保っている者も、充満した瘴気とオーガ化しかけた人々の存在に、いつ心折れるかもしれない。
「きゃああっ!」
「どうした!?」
「い、今……彼が、砂になって」
腰を抜かした少女が震える手で指差す先には、ただ混沌とした瘴気が渦巻いている。
負の感情に囚われたある者は、砂の様に散り瘴気に姿を変え、無残にも吸い込まれていった。
氷の塔、邪悪の根源たる象徴。
『オベリスク・ギルティ』の頭頂へと――。
*
「あ、アァ……うああああっ……!」
同じ頃、オベリスク・ギルティ、最上階。
魔法陣の中心で、激痛に体をのた打ち回らせる、ミラス・スティレート。
周りを取り囲みオーガに我が身を捧げんとする教団員達が、その姿を次々と瘴気に変え、ミラスの中へと入り込み続けていた。
「生贄も、役者も、既に揃いつつあります。儀式を開始しましょう、ミラス」
グノーシス・ヤルダバオートは口角を愉しげに歪め、言い放つ。
彼が手を高く振り上げると、首都タブロスに存在する負の感情に捕われた者達や充満した瘴気が、一斉にオベリスク・ギルティへと吸い込まれ始めた。
ついに儀式『大罪訃君祭』が開始したのだ。
●新たな指令
「ただちに『ウィンクルムの居城ヴァルハラ』へ向かってくれ」
A.R.O.A.の代表レイジは、各部隊からの連絡を受け、ウィンクルム達へと新たな指示を出した。
「あそこには、君達が試練を乗り越え愛の力を供給し、完全な形となった『ムーンアンバー号』が鎮座している。
戦況は決して明るくない。ムーンアンバー号へ乗り込み、一気にノースガルドに聳え立つオベリスク・ギルティへ向かう算段だ。
……根本を、叩かなくては」
命令が下り、ウィンクルム達は力強く頷き、各々行動を開始する。
一刻も早く事態を収拾しなくては、首都の混乱は収まらない。捕われたミラスの安否も気がかりだ。
その中に居たユウキ・ミツルギとリーガルト・ベルドレットも目をあわせ、二人は早足にある場所へと向かった。
*
「だめか……くそっ!」
同じ頃、レイジの命によりA.R.O.A.の一室へと幽閉された神人セナ・ユスティーナ――ミラスのパートナーは、なんとかしてこの部屋から脱出しようと試みていた。
神人は精霊が居なければ人並みの力しか発揮出来ない。
拘束され身動き一つ取れない状況で、それでもセナは諦めていなかった。
「なんとかして、ここから出るんだ。でなきゃ、ミラスが……!」
拘束が緩まないかと必死にもがいていると、突然部屋の扉が勢いよく開いた。
「……ユウキ、リーガルト!」
駆けつけた友人二人に、セナは表情をほころばせる。
が、すぐさま我に返り、戦況を問い詰めた。
「首都はどうなってるんだ、ミラスは!? 無事なのか!」
友人達へ縋るセナに、ユウキは表情を曇らせ首を横に振る。
「オーガは、倒せなかったよ。ミラスも、無事なのかどうか……」
「そんな……!」
「でもぉ、セナは諦めないよね? ミラスを愛しているんだから、助けたいよねぇ……?」
「あ、当たり前だ!」
セナの回答に、ユウキは満足そうに微笑み、その間にもリーガルトが手早くセナの拘束を解く。
「一緒に行こう、セナ。オベリスク・ギルティへ!」
かくしてウィンクルム達を乗せたムーンアンバー号は、オベリスク・ギルティへと急ぎ進行した。
●哀しき真実
「――ミラス……っ!」
ウィンクルム達と共にオベリスク・ギルティの最上階へ到達したセナは、ようやく対面したパートナーの姿に、けれどもすぐさま駆け寄る事は出来なかった。
彼の側ではグノーシスが着々と儀式を進めており、側には更に、首都での役目を追え主の下へ戻るよう命じられていたデミ・ギルティ『ゼノアール・ミーシャ』が控えている。
先程まで集まっていた筈の教団員達は一人残らず瘴気となり、ミラスへと次々に入り込み、彼の身を禍々しく覆っていた。
「あ、アア……ッ」
「これは……なんて事を……!」
ギルティ化しつつある精霊の姿に、ウィンクルム達と共にムーンアンバー号に乗車し、駆けつけたセイント、
『レッドニス・サンタクロース』は、かつて亡くした弟『ダークニス・サンタクロース』の存在を重ね、憎しみを湛えた瞳で、グノーシスを睨みつけた。
「ミラス! しっかりしてくれ、ミラス!!」
それでも駆け寄ろうとしたセナを、付き添っていたリーガルトとユウキの二人はそっと制止した。
代わりに二人が歩を進めた先には、儀式を進めるグノーシスの姿がある。
ギルティの隣に立ったウィンクルムの神人ユウキが、にこりと何でもない様な顔で笑い、告げた。
「聞こえてないよ。今、ミラスの中では大勢の声が渦巻いているだろうからね」
「ユウキ……? リーガルト?」
「いい表情をしますね。どうやら、本当に気が付いていなかったようだ」
「どういう……ことだよ?」
友人であり、ウィンクルムの二人である、ユウキとリーガルトは。
グノーシスの隣に立ち、目の前でもがき苦しむミラスを助けようともしない。
セナには、目の前で起きている光景がまったく理解出来なかった。
「この二人は、ウィンクルムでありながらオーガを信仰する者――マントゥール教団員です」
「なっ……! ほ、本当なのかよ!?」
グノーシスの言葉を受け目を剥くセナに、ユウキは楽しそうにけたけたと笑った。
「そう~! そうなんだよ。実はボク達、マントゥール教団員なんだよね~」
「……ウィンクルムで、マントゥール教団員? どういうことだ。どうしてウィンクルムがオーガに組する?」
セイントであるレッドニスも、一歩強く踏み出し二人に問いかける。
「オーガが! ギルティ達が今までしてきた事を、お前達も見てきたんじゃないのか!」
「そうだ! どうしてだよ? さっき、A.R.O.A.から俺を連れ出してくれたのはお前達だろ!?」
続いたのはセナだ。ユウキは二人の問いに、大袈裟な所作で肩を竦めた。
「そうだねその通り。でもさ、どうしてそんなに不思議な顔をするのかなぁ~?
今、ボクはキミ達に最高に感動しているんだ。キミ達の愛は美しい。その愛は、セイントにすら届いちゃいそう!」
頬を蒼白に染めるセナとは間逆に、ユウキは一人恍惚とした表情で続ける。
「キミはセイントとなり、彼はテソロ・ペルソナとなる……そうなったら、なんて素晴らしいんだろうねぇ? セナ!」
「何、言ってるんだ……?」
「……レッドニス・サンタクロース。キミは結局ダークニス・サンタクロースを救うことが出来なかった、
愛を示すことが出来なかった。ウィンクルムの面汚しだよね。
第一段階とはいえさ~、セイントとして存在しているのすらおこがましいんじゃないかな~?」
ユウキは、心底軽蔑した様に――嘲笑うかの様に、レッドニスを見た。
「……確かに。俺は弟ひとり救えなかった。セイントたる資格なんて無いのかもしれない」
ひとつ首を横に振り、あの時、何も出来なかった自分の手の平に、レッドニスは視線を落とす。
けれどもすぐに二人の教団員――裏切りのウィンクルムを睨み返し、拳をきつく握り締めた。
「だが、だからと言って絶望に堕ちてオーガに身を売るなんてことは間違ってるだろう!?」
「ふふっ、どうして間違っているのかな~? 愛する者を救えなかった人間に、ウィンクルムに。存在価値ってあるのかな……?」
くつくつと喉を鳴らすユウキを、セナはいまだに認められず居た。
「お、おい……本当にどうしちゃったんだよ? ユウキ……!」
「ひとつ、キミ達の知らないことを話そうか。完全なセイントとなった神人の精霊が、テソロ・ペルソナになった後の話だよ~」
指先をくるくると回しながら、ユウキは淡々と語り部を始めた。
「テソロ・ペルソナはね、神人が完全なセイントとなった瞬間から、今立っているこの世界とは異空間の世界に飛ばされる。
でも、そこから今ここにあるボク達の世界に干渉すると、神人との記憶すべてを喪失することになる。
だから彼等は、セレネイカ遺跡のゲートから出られるにも関わらず出てこないんだ。愛した人の記憶を、失いたくはないから」
悲壮に一度顔を歪めて、次には満面の笑みを見せて、セナに語り続ける。
その様はまるで壮大なオペラやミュージカルに出てくる役者の様だ。
「それって、まるで御伽噺のようじゃない~? 世界に引き裂かれながらも、
側に居る事の出来ない相手を、永遠に想い続ける二人……なんて美しい愛情なんだろう!」
「相手を一途に思うというのは、尊敬に値することだ。違うか」
リーガルトがユウキの考えを肯定する様に付け足す。
一度に大量の情報を得て、けれども何より今、目の前で、最愛のパートナーは苦しんでいるというのに。
セナには到底、二人の言葉を受け入れる事なんて出来なかった。
「だから何なんだ! それで、なんであんた等がそっち側に居るんだよ!?」
「わからないか。この世界はすべからく愛によって支配されている」
「愛するから憎むし、愛するから殺すし、愛するから略奪する――けど、それってその人達の愛の形ってことでしょ?」
リーガルトは一言強く告げる。ウィンクルムは、愛の象徴でなくてはならない、と。
「これは、彼――ミラスがキミと共に、より深い愛を手に入れるために。ウィンクルムが成長するのに必要な通過儀礼なんだよ。
だからボクらはマントゥール教団に所属して、そのお手伝いをしたまでの話」
「そんな事したら、ミラスだけじゃなく、あんた達だって無事じゃ済まない!」
説き伏せようとなお叫ぶセナの目前で、ユウキに寄り添われながら、リーガルトはきっぱりと言い放つ。
「構わないさ。何の恐怖も無い」
「そうだよ。ボクたちが生贄になっても……こんなにも懸命に愛し合う、セナとミラスの糧になれるんだから」
もがき苦しむミラスを、叫ぶセナを前に、二人は顔色ひとつ変えず。
拳を握りしめ、かろうじて言葉を絞り出した。
「どうして……どうして、そんなことが出来るんだ!? 狂ってる!」
かつての仲間であり、友人だった二人を睨み付けるセナに。
ユウキは自嘲めいた笑みを浮かべた。
「……狂ってる、か。狂ってるのはさ~、ボク達の方なのかな。それともキミ達の方? もしくは世界?
大多数の人間がオーガという大きな絶望を前にして、ウィンクルムを正義に、だなんて、希望にしているだけかもしれない。
それは声の大きい方へと意見が転がっているだけで、少数派であるマントゥール教団が正しくないなんて、わからないんじゃない?」
オーガは脅威だ。ウィンクルムと言う存在が現れるまで、その絶望に誰一人打ち勝てなかった。
けれど今は違う。人類で唯一オーガに対抗出来る神人と精霊という存在がある。
希望だと祭り挙げられる彼らは、けれど絶対的な救いなどではなく、暫定的で矮小な祈りでしかない。誰かひとりに、正義を推し量る事は出来ない。
教団員から見れば、正義はオーガにあるのだ――そうだとしても。
「そんなことない! オーガは、マントゥール教団は間違ってる!」
「いずれ、わかることになる」
リーガルトはセナの主張を一蹴した。
「この思想は、ボクの愛なんだよぉ。世界への、ウィンクルムへの愛」
ユウキは、彼なりの愛なのだと告げた。
「意味がわかんねぇよ……やっぱり、おかしい。あんた達は、歪んでる……!」
セナは理解に苦しみ、ただ儀式の中心で苦しむミラスを放置する二人を拒絶した。
「へぇ~? ボク達の『愛』が歪んでるって? 面白いことを言うね。歪んでて当然!
だって、『愛』って元々そういうものでしょ?!」
ユウキが武器『エンド・オブ・ソウル・R』を振り上げ、前触れなくセナに斬りかかった。
寸での所で回避する。刃に触れたセナの赤髪が氷の床にぱらぱらと散り、
床に突き刺さった鎌の先端を難なく引き抜きながら、ユウキはゆらりと友に向き直った。
「……っ何、するんだよ!? どうして、俺達が戦わなきゃ……!」
「何って、決まってるでしょ? キミ達の愛が本当にオーガやギルティを超える力になるのなら、
こんなところでボク達ごときに殺されるはず無いよね~?」
薄ら笑いを浮かべながら、彼の濃緑の瞳には狂気をはらんでいる。
レッドニスは、先陣を切るようにして武器を構えた。
「もう、コイツには何を言っても無駄だ。セナ」
レッドニスの言葉に、セナは震える手で剣『ルーンブライトソード』を握り締めた。
裏切られた怒りと、悲しみと、立ちはだかる強大な敵への恐怖とで、セナの心はもうぐちゃぐちゃだ。
それでも、ミラスを失わないために――今は。
「……そうかよ。なら見せてやるよ。俺の――俺達の、思いをさぁ!」
セナが武器を構えた瞬間――魔法陣が怪しく輝きを放ちミラスが更に苦しみ出した。
「ア、アアアッ……!!」
「! ミラスっ……!?」
瘴気が『ミラス』を包み込んでいく。
儀式が進行し、『ミラス』はついに瘴気と一体化し――、
世界が、何かの誕生にざわめき、そして震えるかのように静寂を打ち破る。
「ぐ、く……あ、あァ……ああああああアアアアアアアアアアアァァァァ!!!!」
セナが駆け寄ろうとすると、ミラスが咆哮をあげ、瘴気を吹き散らした。
「素晴らしい! これが人工的なギルティの力ですか!? 炎龍王では程度の知れたギルティしか生み出せなかったようでしたが――」
グノーシスが、狂喜に声を上げる。
空へ放たれるどす黒い悪意が大気中へと充満し、氷の塔に影を落とす。
「さぁミラス、あなたはこれからギルティとして、今度はウィンクルムを倒すのです!」
グノーシスの声と、瘴気にかき消されないよう、セナは悲痛な叫びで呼びかけた。
「ミラス! しっかりしろ! そんなヤツに惑わされるな!!」
「ぐぐぅ、あァ……せ、セ……な?」
膨大な瘴気に飲み込まれ、自我を失いかけていたミラスだったが、セナの呼び声で一瞬我に返り、ギルティ化の進行が一時的に鈍くなる。
「おや、どうやら瘴気が足りていなかったようですね。ウィンクルム達が生贄を減らしてしまったからでしょうか。全く面倒な方々です」
グノーシスは呆れた様に溜息を一つ吐き出すと、じっと側で控えていたデミ・ギルティへと目線を向けた。
「しかし、ギルティ化も時間の問題でしょう。……ゼノアール・ミーシャ」
グノーシスが名を呼ぶと、ゼノアール・ミーシャが重々しく鎖を引きずり気だるげに動き、再びウィンクルム等と対峙する。
そして、ぬるりと現れたもう一つの影――混乱に乗じ監獄から逃げ遂せた大罪人も、氷の床に踵を一つ打ち鳴らした。
第四監獄『大灼熱』で牢屋の壁が破壊された際に、逃げ出していたのだ。
「――あなたも、生贄になっていただいて良かったのですが、戦闘がご所望でしたか」
「ええグノーシス様。新たなギルティ様誕生の瞬間を、わたくしも是非この目で見たいですわ」
グノーシスが声をかけ、目線を向けた先に現れた女性――ブリアンヌ伯爵夫人がくすくすと楽しそうに笑って見せた。
所作こそ優雅であるものの、大灼熱ほどの監獄に投獄されていた夫人は、瘴気の立ち込める陰鬱な空をうっとりと心地良さそうに仰いだ。
「お可哀想な方々……グノーシス様に逆らい、オーガ様に逆らう。それがどういうことかお分かり?」
「それは……っやめろ!」
彼女が目の前に掲げたのは『オーガナイズ・シード』。
負の力を促進させ、安易にその身をオーガに変えてしまう恐ろしい種。
「いえ、これは蛇足だったかしら。どの道これから、あなた方は新たなギルティ様誕生の礎となる。教える必要はなかったですわ」
両手で大切そうに持った種を、ウィンクルム達の目前でごくりと飲み干す。
身体から瘴気があふれ出し、見る見る内に夫人はオーガへとその姿を変貌させた。
「役者は揃った様だね。始めようか、セナ。そして、愛に溢れるウィンクルムの皆さん」
ユウキが武器を構え、ウィンクルム達へと向き直った。
目前に立ちはだかる敵は、大罪人のオーガ、底知れない力を秘めるデミ・ギルティ――そして、かつての仲間たち。
「キミ達の愛が本物なのか、証明してみてよ――」
(執筆GM:
梅都鈴里 GM)
●第四監獄『大灼熱』
わずかな明かりだけが灯った、薄暗い大監獄。
A.R.O.A.本部地下大監獄と呼ばれるそこは、ミットランドの囚人、およびスペクルム連邦の大罪人が収容されている。
五つの階層からなるその大監獄の、第四監獄『大灼熱』にはマントゥール教団の中で強い影響を与えていた者たちも多く投獄されていた。
彼らのほとんどは、あとは処刑執行を待つばかり。
そんな大灼熱に、喪服のような黒いドレスと、ベールのついた帽子を身につけた、一見するだけでも高貴な貴婦人と思しき女性――ブリアンヌ伯爵夫人も投獄されていた。
「くすくす……」
唇から、笑い声が零れ落ちて大監獄に響く。
「この時を待ちわびておりましたわ、われらが敬愛なるオーガ様……」
大監獄に捕らえられ、なおもブリアンヌ伯爵夫人はオーガへと祈りを捧げ続ける。
「この世界が、オーガ様に支配される黒き幸福の世界へと変貌を遂げる未来が見えますわ」
空のない天を仰いだ。
その目に映るのは、混沌と暗黒の世界。
「くすっ……くすくす……世界に、愛しき混沌を」
不気味な笑みが狂い咲くように、幾重にも響き渡っていく。
●スノーウッドにそびえる氷の塔
ノースガルドにあるスノーウッドの森の外れに、不気味な一団が片膝をついて魔方陣を取り囲み、怪しげな呪文を唱え始める。
それは、『大罪訃君祭』を開始する合図――。
「大罪訃君祭は膨大な瘴気を使用して『オベリスク・ギルティ』を出現させ、精霊のギルティ化を促進させる儀式――。
この儀式の成功には、大量の瘴気と、
『オーガへの信仰心を持つ者』、『悪しき心を持った者』、『負の感情に支配されている者』の生贄が必要なのですが、これを使うことにしましょう」
グノーシス・ヤルダバオートは包みに入れられた『何か』を天高くへとばら撒いた。
「……なにをした……?」
ミラス・スティレートが空を見上げたあと、グノーシスへ怪訝な目を向ける。
「『ギルティ・シード』を撒きました。
かつてダークニス・サンタクロースが作った『黒き宿り木の種』――覚えていますか?
その種を元に複製したものです。
精霊や一般人、動植物などに影響を及ぼし、負の感情を煽ることができますから、この儀式にはうってつけというわけです」
笑顔を貼り付けたグノーシスは、その場に居合わせたフードを被った不気味な一団に向かって声をかけると、ミラスに目を向ける。
「愛というものについて先日少し話しましたが」
そう切り出したグノーシスは、ミラスに身体を向けた。
「愛は罪だと思いませんか?」
「……なに?」
「この世界には、憎悪や殺戮、略奪といったものが溢れかえっています。それらを生み出すのはなんでしょうか」
「それは、性根が悪だったり、狡猾なことを考える一部の人間が――」
「いいえ」
グノーシスは銀色の髪の合間から、冷えた瞳で見据える。
「それらのすべての根本はすべて、愛によるものです。愛しているゆえに憎み、殺し、奪う。
愛とはもっとも邪悪で、もっとも業の深いものなのです。
したがって、あなた方ウィンクルムのつかさどる愛の形、というのは罪なんですよ」
愛は罪――。
その言葉に、ミラスはわずかに震える。
そんなことを考えたことは、一度もなかった。けれど、違うとどれほど否定をしたところで、即座にグノーシスを論破することもできない。
ミラスが歯噛みしていると、グノーシスはさらに続けた。
「ボクたちギルティには、『六罪』という席が与えられています」
「六罪……?」
「『エロス』『ルダス』『マニア』『アガペ』『プラグマ』『ストルゲ』……聞いたことがあるでしょう」
「愛の……形……」
A.R.O.A.から公表されたウィンクルムの力。
「ギルティ・エロス ヴェロニカ。
ギルティ・ルダス ハインリヒ。
ギルティ・ストルゲ イヌティリ・ボッカ。
ギルティ・プラグマをつかさどるボクと、現在は行方が不明となっているギルティ・マニアを司るギルティ。
そして、あなた方に空席にされてしまったギルティ・アガペには、ダークニスが名を連ねる予定でした」
聞き覚えのある名前が列挙されていく。
グノーシスは拘束され茫然と眺めるしかできないミラスを尻目に、儀式を進めるよう促す。
「力がある故と言いますか、やはりボクの意見に従って集まってはくれないようでしてね……。
ヴェロニカとハインリヒはギルティ・ガルテンから姿を現さないですし、
イヌティリ・ボッカは紅桜城から出ても来ないのですよ」
「ギルティ・マニアの席に置けるギルティは、ボクですら神出鬼没で行動を把握出来ていないので、
詳細なお話しは出来ないですが、意外と身近に存在しているのかもしれないですね?」
「さて。では、手始めに『オベリスク・ギルティ』を出現させるとしましょうか」
「オベリスク・ギルティ……?」
ミラスの問いかけに、グノーシスは眼鏡を押し上げて答える。
「ボクたちギルティの居城、と言えばわかりやすいでしょうか」
「――っ」
それは、この未知数の力を持つギルティが、オベリスク・ギルティに集結することを示している。
想像を絶する事態だ。
すべてのギルティが集わないことを幸運と見るか。
あるいは、あのギルティたちが集うだけで災厄と見るか――。
それがグノーシス単独の意向であれば、ある意味では救われたのかもしれない。
だがグノーシスには、その思惑に加担する者がいて、そしてその加担者は怪しげなフードに身を包んでグノーシスの脇で沈黙を守っている。
存在こそ分からないが、グノーシスの思惑に同調する者が、もしかしたらマントゥール教団以外にいるのだろうか。
「では、生贄を」
着実に進んでいく儀式を前に、ミラスにはどうすることもできない。
ただ、その時が訪れるのを待つしかないのだ。
フードを被ったマントゥール教団員が一歩を進める。
繰り言のように続く呪文の中、進み出た教団員たちが次々に生贄へと捧げられ、身体は石と化し、そのあとは砂のように瘴気へと変わっていく。
まるで吸い込まれるように投じられ、砂と化していく光景を目の当たりにしたミラスは吹き出すほどの憤りを吐き出そうとした、刹那。
大量の瘴気がミラスを目掛けて浴びせかけられる。
「ぐっ、ああぁぁっ!」
「静かにしていてください」
ミラスが苦悶に叫ぶそばで、冷ややかに声を落としたグノーシスは、空高くにゆっくりとのびて行く氷の塔――オベリスク・ギルティを見上げた。
●夢見の塔から
クリスマスを間近に控えた夢見の塔では、レッドニス・サンタクロースがプレゼントの準備に追われていた。
それは、いつもと変わらない一日――になるはずだった。
突如として響く、大きな地鳴りが聞こえるまでは。
窓を震わせるほどの地鳴りに、レッドニスは準備の手を止めた。
「なんだ……?」
その正体を探ろうと、窓を開けて外をぐるりと一望する。
そしてスノーウッドの森の外れに見慣れないものを見つけると、レッドニスはさらに目を凝らした。
「なんだ、あの氷の塔は」
天をつくほどの巨大な氷の塔は、真逆に位置する夢見の塔からでも、ありありとその存在を示していた。
さらに、なにがばら撒かれている様子も、レッドニスの目には確認ができた。
「これは、さすがにまずいな」
そこにある光景が、直感的に危険で異質なものだと感じ取ったレッドニスは、ソリに乗り込むとA.R.O.A.へと報告に向かった。
●全面戦争の口火
A.R.O.A.からの情報によれば、ミラスはマントゥール教団によってノースガルドへ移送されたという。
ミラスの神人セナ・ユスティーナと、友人である神人のユウキ・ミツルギ、その精霊リーガルト・ベルドレットはその情報を受けてノースガルドへ出立する準備を進めていた。
それと同時に、もう一つの情報がレイジの元へともたらされていた。
「A.R.O.A.本部地下大監獄からの脱走、か……」
マントゥール教団によって収監されている罪人たちを逃がそうとする動きがあるという。
これが成功してしまえば、犯罪者もマントゥール教団員も脱獄することになる。
なにより、第四監獄『大灼熱』に投獄されているブリアンヌ伯爵夫人の脱獄は避けたい。
彼女はこれまで、貴族という立場を利用し、政治工作で長らえてきた。
「ウィンクルムを召集してくれ」
レイジが告げる。
ミラスの件はユウキとリーガルトたちで対応ができるだろう。セナも危険ではあるが、ユウキたちがいれば凌げるはずだ。
そう、考えていた。
けれど、レイジの前に唐突な訪問者が現れ、それは結果としてレイジの心算を覆すものとなる。
「レッドニス……?」
「急ぎで、どうしても伝えたいことがあってきた」
肩で息をし、切迫した様子のレッドニスに、その内容がただならないことだけは伝わった。
「なんだ?」
レイジが促すと、レッドニスは先ほど目にした光景をつとめて冷静に告げる。
「夢見の塔から、スノーウッドの森の外れ上空におびただしいほどの瘴気を孕んだ氷の塔が出現したのを確認した」
「氷の塔?」
「ああ。よくわからないが、異常だとだけ。あとはマントゥール教団だろうな。あいつらがなにかを――」
レッドニスの言葉を遮るように、突然A.R.O.A.に設置されているモニターが切り替わり、フードを被った人物が映し出された。
『親愛なるA.R.O.A.の皆さま、ご機嫌いかがですかな』
目深に被ったフードで顔は見えなかったが、モニターに映し出されているのはマントゥール教団員だとすぐに分かった。
教団員は下卑た笑みを口元に刻んで、悠然と言葉を紡ぐ。
『先ほど、オベリスク・ギルティと呼ばれる氷の塔をスノーウッドの森の外れ上空に出現させました。
かの塔は世界を正すための塔。もうご覧になられましたかな?』
レッドニスが先ほど報告をした氷の塔。それがオベリスク・ギルティだろう。
『さらに、ギルティ・シードと呼ばれる種をばら撒かせていただきました。
この種によって集められた負の感情を宿した人間を生贄とし、そして先だってお預かりしております精霊ミラスをギルティへと昇華させてさしあげましょう』
教団員はさらに笑みを深く口元に刻む。
『それでは親愛なるA.R.O.A.の皆さま。全面戦争とまいりましょう!』
モニターが途切れ、わずかの後にA.R.O.A.職員から通信が入った。
『報告します。
首都タブロスにて、ギルティ・シードと思われるものの降下、およびオーガ群の出現を確認。
オーガ群にはゼノアール・ミーシャと名乗るAスケールオーガの存在が目撃されていま――』
通信が不自然に途切れたかと思う、通信を行っていた職員のくぐもった声が聞こえた。
職員の身になにかが起きたことは確かだが、判然とはしない。
怪訝に、わずかに眉根を寄せたレイジに応えるように、通信が再開される。
『お久しぶりです、A.R.O.A.の皆さん』
聞き覚えのある声だ。
『グノーシス・ヤルダバオートです』
その声の主に緊張が走る。
『新たに用意した『ゼノアール・ミーシャ』について、情報をさしあげます。
以前、皆さんにお目にかけたゼノアール、ミーシャを元にした、デミ・ギルティです。
顔中に包帯を巻いていますが、ひび割れた皮膚の覗く、手足を枷と鎖で拘束されたものですので、一見すればすぐに分かるでしょう。
ああ、武器は持っていませんが、枷や鎖で対応できるだけの力も知恵もありますよ。
ゼノアール・ミーシャには、A.R.O.A.本部地下大監獄へ向かわせます。
新たなデータのためにも、健闘を期待しますよ』
グノーシスの一方的な通信は、そこでぷっつりと切れた。
*
ノースガルドへ出立する直前に、セナとユウキ、リーガルトはA.R.O.A.へと召集されることとなった。
「こんな時になんだ?」
セナが不満げに言えば、レイジは重々しく口を開いた。
「ノースガルドへ出立の件は変更になった」
「なに!?」
叫んだセナにレイジは冷静に言葉を紡いでいく。
「A.R.O.A.本部地下大監獄での囚人奪還作戦がこちらの予測より早く実行された。
それに加えて、首都タブロスにもAスケールオーガが出現している。
これらを蔑ろにして、ミラスの奪還はできない。すべてを防ぎ切らねば、ミラスはギルティへと堕ちてしまうだろう」
ミラスの奪還は悲願ではある。
だが、ギルティへ落ちたミラスを奪還したいわけではない。
「ユウキ、リーガルト。二人はA.R.O.A.本部地下大監獄へ向かえ」
「了解した」
リーガルトが頷くとユウキと共に急行する。
そして、焦りを見せるセナに、レイジは静かに告げた。
「セナは拘束、幽閉とする」
「なっ……!?」
レイジの決定に、セナは掴みかりそうな勢いで迫る。
「じっとしてろってのか!?」
けれど、レイジは静かにセナに目を向けると、冷ややかに命じる。
「セナを拘束し、出られないよう幽閉しろ」
捕らえられたセナは、開くことのない部屋の中で悔しげな声を上げた。
*
レイジは召集されたウィンクルムたちに、入った情報をまとめ上げて伝える。
「目的としてはまず、降下しているギルティ・シードの破壊だ。
負の感情を広め、マントゥール教団に集めさせるわけにはいかない。ひとつでも多くのギルティ・シードを破壊してくれ。
さらに、A.R.O.A.本部地下大監獄において、収監されている囚人たちの奪還も開始されている。
マントゥール教団員を捕縛、討伐し、囚人の脱獄を阻止する。
こちらもできるだけ多くの捕縛、討伐をしてもらいたい。
さらに、ゼノアール・ミーシャとの交戦だ。
Aスケールオーガの実力は皆も知るところだろうが、こちらも失敗はできない。
万が一失敗をした場合は当然、犯罪者もマントゥール教団員も、ブリアンヌ伯爵夫人も監獄の外へ出られることになる。
……状況は極めて厳しい。
だが、大罪人の解放も、オーガ群も見過ごしていいものではない。
ウィンクルム諸君、なんとしてもこの苦境を乗り切るぞ」
その声を合図に、ウィンクルムたちが一斉に持ち場へと向かう。
マントゥール教団との、いまだかつてない大規模な全面戦争が開始された。