*4月エピソードイベント*
『夜桜を彩る紅の月』
エピローグ



架神玲那 IL


『夜桜を彩る紅の月』
関連エピソード



『夜桜を彩る紅の月』
*エピローグ*

 ●消えた『紅月』

 薄桃の花弁が、以前と変わらぬ美しさで、空に舞う。
 しかし、それを照らすのは黄金色の望月ではなく、邪悪な力によって生み出された『紅月』だ。
 この地で今、自由に動き回っているのは、オーガとウィンクルムたちだけ。
『サクラヨミツキ』の住民は各々の家の戸を閉めて、屋内に身を隠している。

 この醜悪な敵を倒さなければ、この地に平和は訪れない。
 人々が、美しい『ヨミツキ』を愛でることも、荘厳な『紅桜城』を拝むことも許されない。
 わかっているからこそ、ウィンクルムは各々の武器を振るった。
 刃がオーガの肌を裂き、魔法は巨体を吹き飛ばす。
「ガアアアッ!」
 耳が痛くなるほどの咆哮に、一瞬、眉を寄せるウィンクルム。
 そこに、オーガの一閃が。
「やばいっ!」
 後ろに飛んで、敵の攻撃をぎりぎり避ける。
 バランスを立て直し、武器だけは取り落としてはならないと、手のひらに力を込めた。
 走り出す。
 タイミングを見計らい、再び腕を上げ、敵を狙い――それが、見事急所へ。
 地響きとともに敵の体が地に伏して、最期の咆哮が響き渡った。
 この『サクラヨミツキ』にウィンクルムが派遣され始めてから何匹目……否、何十匹目、果ては何百匹目の敵だったのかはわからない。
 だが、これで最後だというのは誰にでもわかった。
 夜に浮かぶ紅の満月が、寝待、下弦、有明と、驚異的なスピードで欠けていったからだ。
「おい、見ろよ!」
「紅月が……」
「……消える?」
 血のごとき紅を写し、夜を妖しく彩っていた邪悪な月が、闇に飲み込まれていく。
 ウィンクルムは空を見上げ、『紅月』が消えていく様を、ただ見つめていた。

 瘴気消えゆく『サクラウヅキ』と、オーガの消えた『サクラヨミツキ』は、ぼんやりと歪んで、ひとつの世界に統合されていく。
 二つの世界に存在していた同じ建物は重なり、別々の世界に別たれていた人々とその記憶も合わさって、世界はオーガ来襲前の城下町『サクラウヅキ』へと戻った。
 消えた月の代わりに夜空を照らすのは、通常の月であるルーメンと、ウィンクルムのみが視認できる、赤い月・デネブラ。
「月が、ふたつに戻った……!」
 先ほど『紅月』の消失を認めたウィンクルムは、感嘆の声を漏らした。
 屋内にこもりきりだった住民が、ある者は窓を開け、ある者はドアから飛び出して、星々と、月の輝く空を見上げる。
「……紅い月がない……ウィンクルムが、勝ったのか?」
「オーガはいなくなったのね!」
「ありがとう、ウィンクルム! あなたたちのおかげだわ」
「……いや、俺たちは」
 ウィンクルムはゆるく首を振った。
 戦ってきたのは自分たちだけではなく、これまで依頼に赴いたすべての仲間も同じこと。
 それなのに偶然最後の敵を倒したメンバーだけが称賛を受けるのは、躊躇いがあったのだ。
 人々はそんな彼らの気持ちを察したのだろう。
「もちろんA.R.O.A.に感謝を伝えます」
「あなたたちの仲間にも!」
「でも今は、お礼を言わせてくださいな」
 ウィンクルムを囲む人々は、総じて笑顔。
 その頭上では、戦いを経てなお美しい『ヨミツキ』が、薄桃色の花を咲かせていた。

●消えた力

「……はっ」
『紅桜城』の屋根の上で、ヴェロニカは短く息を吐いた。
 見上げる空には、ふたつの月。
 せっかく遺跡から得た月の力は、すべて消えてしまった。
 ヴェロニカは『紅月』があった場所を睨み付けると、その視線をそのまま、城の瓦屋根――すなわち自身の足元へと向ける。
 この場所から、はるか下の世界を覗く気にはなれない。
 ひとりひとりはたいした力もないくせに戦いに勝ちつづけるウィンクルムが忌々しい。
 彼らを束ねるA.R.O.A.も、それを称える人間たちも、あんな矮小な生き物のくせに。

 なによ、なによ、どうしてあんな奴らに勝てないの。
 月の力が足りないにしたって、どうしてあんな……!

「……本当に、腹が立つ」
 ヴェロニカは、ヒールをはいた足を、ガン、と瓦屋根にたたきつけた。
 当然怒りは、こんなことでは収まりはしない。
 しかし、これまでの戦いに負ける度、散々なぶってきたダークニスはもういないのだ。
 つまりヴェロニカには、この気持ちを向けるところが、ない。

 オーガで駄目ならば、別の方法を。
 世界を壊せないのならば、人間たちが、大切にしているものを壊してしまうのはどうかしら。
 美しい爪をいらいらと噛んで、ヴェロニカは考える。
 大事にしているものは、きっといくらもあるけれど、一番大きなものがいいわ。
 そう、たとえば――。
「この『紅桜城』……」
 ヴェロニカはにい、と口角を上げた。
 人間が、大切にしているものを壊す。
 単なる思いつきではあるが、対象が決まった今、それはひどく愉快なことに思えた。
「そうよ。いくら月の力が消えたって、この程度の城ならば破壊できる」
 石垣も、白壁も、瓦屋根も、天守閣も。
「この城が崩れたら、人間どもはどんな表情をするかしら……」
 くつくつと声を出して笑って、ヴェロニカは体に力を込めた――その時。
 背後でばさりと、何かが風を受ける音がした。

●対峙する二人

 オーガが倒れ、『紅月』が消えて、瘴気がなくなった。
 それで誰かの策が失敗に終わったことはわかったが、イヌティリ・ボッカには関係ないことだ。
 ……だって俺が仕掛けたことじゃねえし。
 そんなことよりも、と軽やかに『紅桜城』を上る。
 ここは、やっと見つけた理想の城だ。
 別に今オーガがいなくても、瘴気がなくても問題はない。
 どうせ自らが、この場所の中心になる。
「俺様、最強のギルティだしな!」
 本人的には、口に出すにはもっともすぎることを呟いて、ボッカは瓦屋根に降り立った。
 そこで――。
 ゴシックドレスを纏ったヴェロニカの背を見つけ、すっと目を細める。
 やっと気に入りの場所を見つけたと思ったら、なんとも邪魔な女がいる。
 しかも今聞こえた言葉が、聞き捨てならない。
『この程度ならば破壊できる』だって?
「おい、お前。俺様の城に何しようとしてんだ?」
 狼の耳を持つ彼女を睨み付け、低い声で言ってやれば、彼女はゆるりと振り返った。
「お前は……イヌティリ・ボッカ……。なぜ、こんなところにいるのかしら」
 ヴェロニカは長いまつげに彩られた眼差しで、ボッカをねめつけた。
 本来、彼女のように見目のいい女性がこんな表情をすれば、なかなかの迫力である。
 だがボッカにとってヴェロニカは、欲しい玩具を壊そうとしているただの邪魔者だ。
 どんなに美しいドレスを着ていても、整った顔をしていても、生意気なイヌには、見惚れる価値はない。
 ……ただ、暇つぶしにからかってやるくらいならいい、とは思う。
 ボッカは大きく歩をつめ、乱暴に、ヴェロニカの髪の一房を掴んだ。
 それを軽く引いて、美しいイヌの顔に、歪な笑みを向ける。
「なぜってよぉ、俺様の城に熱いノックをくれようとしてくれてたヤツが言う台詞じゃねぇよな」
 剣呑に瞬く、ヴェロニカの瞳。
 そのくせ彼女は、艶やかに赤い唇は、吐き捨てるように言葉を紡いだ。
「この城がお前の城? そんなこと誰がいつ決めた? この城は私が――」
 しかし、彼女が口にできたのは、そこまでだった。
 ボッカが、ヴェロニカの髪をもう一度、強く横に引いたからだ。
「きゃっ」
「おーおー、なかなか色っぽい声出すじゃねえか」
 ボッカは彼女から手を離すと、体勢を崩しよろめいているその肩を強く押した。
「ああ、そういえば、いつ決めたって訊いてたな? そんなの、――俺様が、この城が欲しいって思った時からだよ」
 後退るヴェロニカを、そう嗤った、直後。
 ボッカの体から、いっきに殺気が沸き起こった。
 先ほどまでこの世界に満ちていた瘴気よりも、よほど濃厚な悪意の渦に、ボッカのマントがはためく。
 ヴェロニカの身体がびくりと震え、目が見開かれた。
 ただ、彼女はそれでも、この場を動かない。
 動けない? いや、違う。
 ……だってほら、足を持ち上げた。
 それをボッカは、実に愉快な気持ちで眺めている。

 策に失敗したのは、こいつに決まっている。
 それならば、紅い月が消えたと同時に、この女の力も失せたはずだ。
 それなのに、なかなか頑張っているじゃねえか。

 身を震わせながらも、体勢を整え、前に進もうとするヴェロニカ。
 だが……。
 ボッカは彼女を見やる目に力を込めた。
 途端、彼を包む力が、ぶわっと大きくなった。
 今のヴェロニカはボッカにとってはとるに足らない存在ではあるが、この力の差がわからぬほどの小物でもない。
 案の定、彼女は歩みを止めた。
 いや、止めざるを得なかった、と言うべきか。
 胸を押さえ、狼耳の毛を逆立てて、ぎりりと歯を噛みしめる。
「クッ……!?」
 その後、口内から漏れるのは、声にならぬ吐息だけ。
 彼女が立っているのもやっとという状態だろうことは、明らかだ。
「はは、俺様にたてつくから、そういうことになるんだぜ」
 嘲る口調に、ヴェロニカがわずかに目線を上げた。
 もし、これでもヴェロニカが向かってくれば、馬鹿な奴だと罵りながらも、ボッカにとっては楽しい展開になる。
 だがはたして彼女は、そこまでの無謀さは持ち合わせていなかった。
 一歩、二歩。
 悔しい、力が削がれていなければ、と口にはせずに、しかし全身で表して。
 胸を抑えたままのヴェロニカが、瓦屋根をヒールで鳴らして、後方へと下がる。
「なんだ、つまんねえの。遊ばねえなら……」
 ボッカは右腕を持ち上げ、彼女の顔の高さに合わせて、手のひらを開いた。
 かつてはこの一撃で、同胞と城の壁を撃ち抜いた。エネルギー弾を生む仕草だ。
「それはっ……」
 気付いたヴェロニカは、それ以上は語らずに、今までの様子を一転した。
 焦ったように背を向けて、ヒールを鳴らして駆け出していく。
 ボッカがその背を襲わなかったのは、慈悲の心が芽生えたからではない。
 ゴシックドレスの裾を翻し、逃げる姿が、あまりにも滑稽に見えたからだ。
「……はっ、みっともねえ女」
 ボッカは短く吐き捨てた。
 せっかくちょっとは楽しめるかと思ってからかってやったのに、所詮はこの程度か。
 まったく、こんな幕引きでは興ざめだ。
「なーんか、もっと俺様を興奮させることはないものかよ」
 そう言って、長いマントを翻し。
 ボッカはつまらなそうに、『紅桜城』の内部へと向かって行った。


(エピローグ執筆:瀬田一稀GM





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