プロローグ
常春の気候が暖かい、一日の殆どが昼である『サクラウヅキ』にも夜がある。
夜は、3時間程度の短い時間。七分咲きでありながらも、十分な美しさを誇る桜『ヨミツキ』が、空に浮かんだ紅月に照らされて僅かに濃くした紅桜として存在していた。
そんな短く淡い夢のような時間の中を、桜を堪能する為に町の人が集まっていた。
人々は仰げば見られる桜と共に、地面のレジャーシートの上で、仄かに光っている透き通った水槽のように水を張った器を囲んでは、天上の桜と一緒に愛でるように楽しんでいる。
「それは何だい?」
一組のウィンクルムが問いかけた。
問われたサクラウヅキの人は、その器を見せてくれる。
「ん? ああ、『フローティングブロッサム』って言うんだ」
その手には、中には花弁と茎ごと蝋でコーティングされた桜の花。
それを水の上に浮かせると、驚く事に仄かに光を放ちながら、先程から水面を埋め尽くす程に浮いていた光る花々の一つとなった。
「昼間のうちに、桜の花を集めて特殊な蝋にくぐらせるんだ。そうすると夜のこの短い時間だけ、水につけると、光を湛えるようになる。
今の流行はこれを眺めながら、手元も照らしながら桜を楽しむのが通なんだ。
紅月だか何だか知らねぇが、早く元の月に戻らねぇかなぁ……」
そんな夜桜宴席の一光景。
ヨミツキの木の根元にいた町の人は、酒を傍らに手元を淡く照らすフローティングブロッサムの光を愛しそうにつついて、光の塊をほんのりと揺らし水面を輝かせていた。
解説
七分咲きの見頃な桜の花茎を集めて、昼間のうちから特殊な蝋をくぐらせると、夜に水を掛ける事でほんのりと光ります。
人々は、水を張った各々自由な美しいデザインのガラス細工の器を持ち込み、その上に桜を乗せて、天上の桜、地面の光を楽しんでいるようです。
素敵な夜の花見に、淡い地面の光を添えて素敵なひと時を過ごしてはみませんか?
○手順:
1.桜の花を摘む
2.桜の花に薄く、特殊な蝋をくぐらせる。
3.夜に、ガラスの容器に浮かべてみる。
以上の手順で完成です。
1と2は、『昼』の作業となります。
沢山花を集めた、蝋付けに失敗した等、どんな事があられたのか等を自由にプランにお書き添えください。
○蝋付け時には、水につけた時の発色が選べます。(青、黄色、緑など……色合いは全て淡くなります。お任せも可能です)
3は1.2の結果を元に、『夜』の桜を見ながらの地面のライトアップが出来ます。
○ガラス器のデザインを是非お書き添え下さい。(お任せも可能です)
レジャーシートとセットの貸し出しで1個300Jr掛かります。
○簡単な飲み物や食べ物もご用意できます。是非話題に花を咲かせてください。
飲み物は一括50Jr、食べ物は100Jr頂戴しております。
ゲームマスターより
この度は、ページを開いて頂き誠に有難う御座います。三月奏と申します。
桜をテーマにしたエピソードはずっと書かせて頂きたいと思わせて頂いておりまして『念願の!』とイベントにお邪魔しようと致しましたら、開始直後のスタートダッシュに乗り遅れました。この悔しさといったらありません。
今回は、二人の素敵な時間をまったり過ごして頂けたらと思わせて頂きました。夜とのコントラストが美しい桜に、少しの光を乗せた時間をご堪能頂けますように頑張らせて頂ます。
それでは、皆様の魅力的なプランを心よりお待ち申し上げております。
リザルトノベル
◆アクション・プラン
羽瀬川 千代(ラセルタ=ブラドッツ)
「…来てくれて、ありがとう」 どんな誘いも嫌なら絶対に来てくれない人だから 安堵と感謝で笑みが溢れる 少し離れた所で桜を摘みながら物思いに耽る (吃驚していないわけじゃ、ないけれど…拒絶されるとは思わなかったから 花摘みは気付けば手が止まり 僅かな桜に蝋を潜らせる レジャーシートの端に腰を下ろす 背中合わせに一抹の寂しさを感じながら 硝子器に桜を浮かべて彼の方に掲げて見せる 「ほんのりした光も、綺麗だよね?」 次々と落ちて灯る淡い桜の光 彼の笑った横顔が見えて、いつかの光景が蘇る 祝福の花弁が降り注ぐ秋の日。恋を自覚した日 「…俺、貴方にまだ伝えたい事があるんだ。ラセルタさん」 次の約束を取り付ける。きちんと、話をする為に |
セイリュー・グラシア(ラキア・ジェイドバイン)
ラキアが花に語りかけてする姿を見ると、本当に花が好きなんだなといつも思う。 花達へとても優しげな良い笑顔を向けるんだ。 この穏やかなラキアの表情が、オレ、大好きだ。 花びらは沢山集めるぜ。 蝋をキレイに潜らせるのは意外と難しいっていうか。 蝋が何だか偏るぜ。ムラになったよーな。 ラキアはこういうの上手だよな。やっぱ花への愛情ってやつ? 綺麗に光って欲しいからオレも頑張るぜ。 ラキアのやり方を真似してみよう。 色々な光になるようにしたい。 夜は桜を楽しみつつ、ラキアと軽く日本酒だな! 桜を讃えつつ何か飲むと言えばコレだろ。 今年も綺麗な桜を楽しめて、オレ、嬉しいぜ。 満開の桜を見ると、良い春が来た!って感じじゃん。 |
蒼崎 海十(フィン・ブラーシュ)
ガラス器:太陽をイメージした丸い器 器の中、二輪の花が寄り添うような形にしたい じっくり選んで、形の美しい二輪を選ぼう 桜が一番映える角度になるように計算しつつ、特殊な蝋へ潜らせる 沢山浮かべるのも良いかもしれないけど…ほんのり灯るくらいも良いだろ? ほら、その方が空の星が明るく見えるし… (フィンの顔を見ると照れてしまうけど、この暗さなら…手探りで彼の手を握る) フィンの手、少し冷たいな (俺に上着を貸してくれたからだ) フィンの上着大きいから…二人一緒に羽織れると思うんだよな だから…(引き寄せて一緒に頭から上着を被る) ほら、温かい (不思議だ。周囲の音が遠ざかる) フィンと二人きりになったみたいだ… 桜、綺麗だ… |
カイン・モーントズィッヒェル(イェルク・グリューン)
桜は…摘む、のか? 落ちてればそれでもいいが、ないなら、傷まないよう、それから桜へお裾分けを受ける旨を伝えておくか 摘むのであれば、沢山でなくていい 蝋に潜らせるか 俺は桜色かな お裾分けに貰ったんだし こういう作るのはいいな イェルは…ま、こっち関係は素人だよなぁ ほら、こうやる※背後から覆い被さって腕を取って動かしてやる …自分目線の腕の動き解っただろ、やってみ? 夜になったらフローティングブロッサムを楽しむ たまには酒もいいし、清酒と何かつまみを 少ししたらイェルに膝枕して貰う …桜背景のイェルが地上の光に照らされる絶景だな Du bist mein Schatzt.※キスをされ身を起こし耳元で甘く囁き、自分からもキス |
●これが正しい桜の見方
「桜は……摘む、のか?」
花見場所の端っこに大きく張られたテントにて、思わずカイン・モーントズィッヒェルは声を上げた。
厳つい顔には似合わない、僅かな驚きを併せたとても心配そうな表情で、説明をしたテントの机向こうの役員らしき男性を目に留める。
──一般的に、桜は傷などの損傷に非常に弱い。傷口が傷みやすく、枝などが傷つけばそこから腐食し、大木が一気に枯れてしまう例もある程だ。
「おおっ、ヨミツキの心配をしてくれているのかいっ」
元気そうな半被を着た、細身の年配の男性が笑顔を見せた。
「この『フローティングブロッサム』を企画した研究者の奴も、最初はその心配をしてたらしんだがよ。
何十年前だったかなー、小鳥が木の根元の部分だけ食べて、大量に散る前に花だけ落ちる事があってよ。
その傷について慌てて調べたら、『ヨミツキ』は頑丈でその程度の傷なら大丈夫なんじゃねぇかって話になったのさ。むしろそっと摘んでやりゃ鳥より影響少ないってな。
この企画も長いが、今までそれが切っ掛けで枯れた木は一本もねぇし大丈夫だっ」
役員が満面の笑顔と自信をもって語る。
「おう、おまえさんが余りに美人だから、このイカツイあんちゃんが、おまえを心配してくれてるぜっ?」
そして、桜を愛しそうに見つめて子供を撫でるような手でその幹を撫でた。
安心感と信頼が伝わってくる。ひとまずは優しくならば摘んでも大丈夫なのだろう。
「もし心配なら、地面に落ちている花でも大丈夫だぞ? 鳥が、花びらが散る前に花茎ごと食って落ちちまったやつだから、愛でてもらえるぶん桜も喜ぶかも知れねぇな」
カインと、その精霊であるイェルク・グリューンが辺りを見渡せば、確かに地面にも各所に複数の花を付けたままの桜が落ちている。
「では、桜から少しお裾分けして貰いましょう」
量的には摘まずに済みそうだと判断し、イェルクが安心した様子で息をつく。
「そうだな。摘まずに済みゃそれに越した事はない」
言葉と共に、拾う為の籠を借り受けた。
「地面に落ちたものでも、これだけ綺麗なのですね。桜に感謝しなくては」
落ちていた桜の花を手に取ったイェルクがしみじみと実感する。
地面に目を向け、いくつか地面の花を手に取ったところで、ふとそれぞれの顔を目に入る。
桜を集める共同作業。言葉こそ無いが、お互いが無言で微笑みあった。
「蝋に潜らせる……ですか」
器の中に入った温められている蝋を見て、イェルクはしばし沈黙して、その色ごとに並べられた器と、一つ手に取った桜の花とを見比べた。
日はそろそろ傾きかける頃合い。軽く潜らせて蝋切り台の上へ置くだけ。
そう説明されたが、加減の分からないイェルクは自信無く自分の手の花を見つめる事しか出来ない。
「(『軽く』と言われても……困る)」
何しろその基準が分からない。第一歩を踏み出せないイェルクの傍で、興味深そうに幾つかの桜を綺麗に蝋付けしていたカインが、まだ一房と蝋切り台に乗っていない彼の様子に、状況を察した様子で話し掛けた。
「イェルは……ま、こっち関係は素人だよなぁ」
「え……は、はい──どうしたら、良いものかと」
専門店のティーブレンダーの腕は確か。しかし、細工物に関してはオーダー専門のアクセサリー作りを生業にしているカインに分がある。
色ごとに蝋が分かれている。器に直接色名が書かれているが、蝋の色自体は外見だけでは分からない。
その花に灯る色まで意識の向かなかったイェルクは、そこで初めてカインの浸した花の色を聞いてみた。
「そちらの花の蝋は何色ですか?」
「ああ、俺は桜色かな。お裾分けを貰ったんだし」
──桜からお裾分けでもらったものだから、地面でも同じ桜色に──
イェルクはカインの言葉に納得した様子で頷いた。
ならば自分も、と同じ器の前に立つ。
しかし……失敗したら桜に申し訳が無いと思うと、どうしても手が先に動かない。
「ほら、こうやる」
「え、やり方ですか。って、カイン……!」
カインがイェルクの後ろに回り、何事もなさそうに彼の花を持った手首を取った。そして、背後から覗き込むようにその身を密着させる。
「あ……その……!」
他にも、水に軽やかに浮くフローティングブロッサムの作成に取り掛かっている人がいる。
状況としては、ただやり方を教わっているだけで、やましい事など何もない。しかし、ただ──純粋に恥ずかしい。
実際に動かしてもらった手の花は、カインの力加減によりうっすらと、むらも偏りも残る事無く整った形のまま、うっすらと蝋でコーティングする事に成功した。
自分からの目線と、適切な加減。カインに教わったそれは、確かに非常に分かりやすく、次に真似をしてみれば自分一人でも、そこそこの物が出来そうな気がする。
しかし──この密着加減。
「(腕を動かしてくれるが、私それどころじゃないというか──)」
如何せん人前で距離が近すぎる。
イェルクは羞恥に耐えながら──むしろ、割れ金のように鳴っては止まらない心臓の鼓動を押さえるので精一杯になりながら、カインが離れるまでそれを悟られないように、緊張しながら何とかそれを耐え抜いた。
「……自分目線の腕の動き解っただろ、やってみ?」
カインの言葉にやっとイェルクが我に返った。
造型の手に関しては、その作り手であるカインに不純な動機などがある訳が無い。
そう思うと、イェルクの心は潮が引くかのように落ち着いた。
カインとの距離が少し空いた側で、拾った桜の房一つを、イェルクは先程と同じ感覚で蝋に潜らせる。
そして、すぐに引き上げて蝋切り台の上に乗せれば、先程カインの手を借りた時同様に、桜と云う存在に綺麗に蝋をコーティングさせる事に成功した。
「(心臓に悪かったが、無事に出来た……)」
イェルクは、こっそりと安堵のため息をつく。
確かにそれは心臓に良いとは言えなかったが、今は無事に出来た事の安心感と解放感の方がそれに勝った。
蝋が固まるのはあっという間。
蝋が完全に桜を封じ込めたところで、夜の時間はやって来た。
事前に広げておいたレジャーシートの上に、二人は両手に抱えて持てる程の、水をつややかに張った円形に近いシンプルな硝子の器を借りてきた。
役員の話によると、このタイプが一番フローティングブロッサムの光を水面に湛えやすいとのこと。
一気に闇が落ちた世界で、ライトアップされた桜が一気に浮かび上がる。
その様子に感嘆のため息をつきながら、硝子の器を前にして二人でレジャーシートに座り込んだ。
軽く乾杯。手元にあるのは屋台レベルの清酒とおつまみだが、皆が楽しむ祭りの席にはその位が丁度良い。
「で……これを水の上に浮かべる、と──」
カインが花房を、そっと水を張った器の上に浮かべれば、それは魔法の如く、水面に丸く弧円を描くように光を湛え始めた。
幾つか同じものを浮かべれば、器の中はとても柔らかい春をイメージさせる、仄明るい桃色に照らされる。
イェルクもその様子に僅かに目を大きく見開いて、自分もそっと花房を一つ置いた。
そして、それもまた柔らかく光り出し二人の姿を仄かに照らし出す。
「──綺麗、ですね……」
イェルクが僅かな感動を隠せないままに呟いた。
そして二人は、清酒とおつまみを口にしながら、一つ一つをお互い交互に、興味深く花を水面に浮かべていく。
そのまま、いつの間にか最後の一つとなった桜を水面に置けば、気が付けば3分の2程度に水を張った器に、花房の光が集まる形で、その全体をうっすらと輝かせていた。
「これはいいな」
清酒を片手に、カインがシンプルながらも感銘に満ちた言葉を乗せる。
イェルクもそれに微笑みながらも、小さく同意するように頷いた。
ほろ酔い程度に回るアルコールが好ましい。酒よりも、桜の眩さがより一層の心地良さを増していく。
ふとカインは思案した。
見上げるよりも、より自然な形で仰ぎ見たい──その欲求はシンプルに言葉に出た。
「イェル。膝枕」
「膝枕、ですか」
いくらウィンクルムと言えど、人目があっても恥ずかしい──そう思いイェルクは辺りを見渡すが、人は多いものの、幸い皆、上を気にしてこちらを見ている存在はいなさそうだ。
「仕方、ない人ですね」
イェルクもその状況に少しだけ困った表情を浮かべるも、すぐにくすぐったさそうな微笑みを添えてカインの期待に許諾をした。
イェルクの膝に頭を乗せて。
カインの目に見えたものは、遠い桜のハイライトと、イェルクの顔がフローティングブロッサムに照らされて、柔らかく写し込まれた瞬間の光景。
──それは、仄かな光は、美しさよりも愛おしさに溢れていた。
それは、地上の光に照らされた、二つとは無い情景──
「……桜背景のイェルが地上の光に照らされる絶景だな」
少しだけ、相手をからかうように、少しだけ意地悪に告げられる本音。
「あなたって人は……」
イェルクは、そっとため息をついた。
赤面する顔や心の隠し方が分からない……ただ、胸が熱くて愛しい。
だから。
イェルクはその己の心に正直に、自分から顔を近づけて、カインの頬にキスをした。
カインが一瞬の驚きに瞬きをする。
「……。Schatzt」
そのキスに応じるように愛おしく、遠くの国の言葉で呼び掛けたカインは、イェルクの頬にそっと手を寄せる。
「Du bist mein Schatzt」
そして、身を起こしそっと耳元で囁き、唇をイェルクの頬に触れさせた。
日常語ではない。
それは、知らなければ決して聞き取れない──添えられた異国の愛の言葉。
「だから……愛してます」
イェルクはその言葉を解して──しかし、これ以上想いを形にしたら、恥ずかしくて死んでしまいそうだったから。
イェルクはカインへの言葉を切って桜を仰いだ。
今囁かれた言葉の意味も、受け取ったキスも、
どうか、内緒にしていただきたい……
目に映る桜にイェルクは恥ずかしげに願いを掛ける。
しかし、桜は今起こった事も立派な春の一角として、そっとそれを記憶し続けることだろう──
●たいせつなこと
平和な春の光の中でとある事情を含んだ二人の雰囲気は、桜吹雪のカーテン越しであっても到底晴れが似合わない状況だった。
まるで空は快晴であるのに、その場だけ細やかな雨が降っているかのようで……
「……来てくれて、ありがとう」
羽瀬川 千代が、姿を見せたラセルタ=ブラドッツに声を掛ける。
「……勘違いするな。俺様は己の責務を果たしに来たまでの事」
ウィンクルムの身としては、共に過ごす時間も任務の内──
ラセルタは本当にそっけないまでに、次に顔を合わす為の最低限の要件だけを告げて、祭りの桜の花を集める籠を持ち、直ぐにその場を立ち去ってしまった。
それでも……現れた彼の後ろ姿に、千代は深く安堵の息をついた。
「(どんな誘いも、嫌なら絶対に来てくれない人だから……)」
そう思えば──千代の口許には、今日最初に彼を目にした時と同様に、自然と深い安堵と彼への感謝を寄り添わせた微笑が浮かぶ。
しかし、それも泡の如く──
今、こうして離れてしまった恋人との距離に。
……同じ行動を取っているのに、傍らに彼がいないという現実に、千代は小さく項垂れた。
──空の籠を持ち、ラセルタは千代に背中を向けて歩き始める。
後ろを振り返る事は出来なかった。
振り返ったとして、恐らくはまだそこにいて、こちらの背中を見ているであろう千代に、一体どんな表情が出来るのか。
ラセルタは俯いた。
今日、最初に出会った時もそうだった。
千代はラセルタの顔を見た時に、一際安心した様子で微笑んだ。
その顔から、掛けられた言葉には、裏がある訳でも無く。嘘偽りのない、純粋にこちらに向ける感謝が伝わってきて。
その表情に、その心の眩しさに胸が抉られた。見た瞬間に、顔を背けて逃げるようにその場を去った。
「俺様が悪い訳では無い、そもそも千代が……!」
目に入った桜の花弁を一つ籠に無心に入れながら呟く。
それをはたと自分の耳で聞いて、その余りの大人げの無さに、己に軽く絶望して眩暈がした。
本当に悪くないのであれば──己が千代をぞんざいに扱う事も、この胸がこんなに痛むこともなかったのだから。
前回最後に逢った時、ラセルタは千代の話を途中で打ち切った。
去る背中に伸ばされた相手の手を振り払った。追い縋る手を無かった事にした。
なのに──今回会った千代はラセルタの姿を見て、安堵の様子で笑って見せた。
こちらの取り付く島もない態度を受けたにも拘らず、尚も千代はあんな柔らかに優しく、ラセルタへの感謝を添えて笑って見せたのだ。
「しかし、それでも千代が──!」
──もう、俺は大丈夫だから。心配しないで欲しいんだ。
逃げずに戦い続けたい……その為に覚悟を決めたから──
そんな事を口にしたから!
心の声強く、摘む桜の花弁を引っ張った。乱暴に千切れる音が聞こえてしまったが、今はそれを気に掛けられる余裕はない。
最初、その言葉の対象は千代が常助けたいと願う一般人だと疑いもしなかった。
しかし、聞けばその理由は、千代がラセルタの内心の不安を指摘して、心配を掛けたくないと思っての事だと知って一層腹を立てずにはいられなかったのだ。
──『ただひたすらに失いたくない存在』である千代に『戦い続けたい』と言われた。
思い出せば、胸の中にやり場のない感情が何度となく湧き上がる。
籠の中が、無意識にどんどん桜で埋まっていく。
「(千代が悪いのだ、千代のくせに──)」
ラセルタへ千代が心配を掛けたくないと言わしめた不安の始まりは、フィヨルネイジャでの夢の中。
精霊が神人の命に手に掛けた、もう決して見たくはない悪夢。
しかし──それは夢の通りではなくとも、戦い続ける以上、いつかは起こり得る未来の一筋。
夢だと分かっていても、それで味わったのは、一笑に付すにはあまりにも大きすぎた喪失感。
そんな最中の出来事だった。
千代にそのつもりは無かったであろう。
だが、それに不安を重ねたラセルタを心配した上での言葉であるならば、そこから即座に浮かぶ内容は。
『──死ぬかもしれないけれども、覚悟は決まっているから。
俺は大丈夫だから、心配しないで欲しい』
──一体何が大丈夫なのか。大丈夫な訳がない。
もしもそれが現実になった時、前もって口にされた程度で、心配せずに済むようになっていれば苦労はしない。
「(一緒に住む誘いを掛けた時にも、言っているのに──)」
『──すぐ傍に千代が在る事実……それが大事なのだ』と……言っているのに!
「わざわざ俺様が口に出して言ってやっているというのに、どうして分からないのだ! あの千──!」
「お客さん! ストップ! 籠から溢れかえっちゃってるよ!!」
「何っ!?」
見回りをしていた祭りの役員に止められラセルタが、改めて己の手元を見れば、手に持つ籠には手が勝手に摘み続けた山ほどの桜の花が、今にも零れ落ちんとしているところだった……
「(吃驚していないわけじゃ、ないけれど……拒絶されるとは思わなかったから……)」
千代は先程から、やはり無意識に何度も同じ言葉を心の中で繰り返した。
ラセルタと同じ大きさの籠を持って、山ほど摘んだ相手とは対照的に、千代が摘んだ桜はたったの二輪だけ。
頭から離れきれない思いを、何度も思考の中に巡らせる。
それでも意識は全て上の空……当然、その様な気分では、花を摘む気にもなれはしない。
二輪の桜の花を、シンプルに白と書かれた溶かした蝋の入った器に小さく花を潜らせる。
綺麗に蝋漬けはされたが、二輪と明らかに少ない量に、千代は一人少し情けなさそうに、困った様子で笑みを浮かべた。
……それでも、これ以上増やせそうにない。
新しく花を摘むにも、蝋に潜らせるにも、その手はあまりに重かった。
そうして訪れた、3時間と短い夜。群青色から黒に変わる空色で、薄桃の色をした花びらが舞う。
二人は無事に合流したが、それぞれが互いと向き合う事は出来なかった。
目に入れようとすれば──胸が、ガラスを軋ませたような音を立てて堪え切れそうになかったから。
小さめのレジャーシート。それでも大人二人が寛げる大きさのシートの端に千代が、本当にラセルタの邪魔にならないようにとこぢんまりと座る。
桜花の一枚がそっとレジャーシートの上に落ちた。今宵は一際闇の中に開く桜が美しい。
ラセルタは、その光景と小さく座る千代を見比べた。
『夜桜を……一緒に見に行きたいんだ』
そう誘ってくれた千代と並んで座り、共にこの桜を見たい。
しかし、意固地なまでに固まったプライドがそれを許さない。
そしてラセルタも、千代に倣ってシートの端っこに座り込んだ。
「(傍には居るのだから問題無かろう。約束は破っていない)」
そう、ラセルタは自分とその状況に言い聞かす。
ラセルタが同じくシートの端、こちらに背を向けて座ったのを見て、千代は改めて胸が苦しくなった。
……それに泣くほど子供ではないけれども、ただこの思いをどう片づけていいのか分からない。
「……」
背中合わせの中央に置かれた、大きな楕円形に浅い淵をしたガラスの器には、風に揺れて張られた水が僅かに風波を立てている。
千代は、その中に作ったフローティングブロッサムをそっと乗せてみた。
僅かに差した仄かな光。ガラスの曲面まで光が届かないのではないかと錯覚しそうな、弱い光。それはまるで、今の千代の心のよう。
それを、当人すら納得してしまった。これでいいと思ってしまった。
ラセルタに声を掛ける。天上の夜桜も綺麗だが、せっかくなのだからこちらも楽しまなくては。
「ラセルタさん……ほんのりした光も、綺麗だよね?」
先程からずっと黙って背を向けていたラセルタは、背中を向けた肩越しに目の端でそれを見て──押し差し出された器に目を見張った。
息を呑むというのは、こういう事を言うのだろうか。器に寄るように、改めて中身を確認する。
そこにあるのは、一緒に蝋に浸されたたった二輪の花弁が、光を反射するあてもなく、ただその形に添って、うすぼんやりと光っているだけで。
「……待て。千代、これは何だ。流石に貧相すぎるだろう!?」
「あ……そう、かな……」
不安と心配を一気に露わにして俯く千代。
それを見たラセルタが、焦りと苛立ちを共に、可もなく不可もなく──心ここにあらず状態で山ほど作った、デザインのセンスがなければ絶望的な事になっていたかも知れない──完成度のフローティングブロッサムが乗った籠を中央にどんと置く。
「(単独で行動させた途端にこうなのだ。
やはり俺様が居なければ駄目ではないか、世話の焼ける千代だな!)」
何か、心に自信が湧いた。
「どうしようもないやつめ!」
そして、ラセルタは千代の目の前で、シートの中央に身を乗り出して、蝋に浸された自分の花を、水を張った器の中へ入れ始めた。
「ふん、千代はやはり千代だな!」
勝ち誇ったように、相手をめちゃくちゃに言いながら、手元の籠から無造作に花を水面に注いでいく。
しかし、その次々に光る桜花に照らされたラセルタの顔は、少しだけ満足げで。そして、安心したという雰囲気と共に、そこには小さく嬉しそうな笑みが浮かんでいた。
その光景に、千代は僅かに目を見開いた。
間も無く水面に振り落ちては、次々に光が灯る桜花と共に。
仄かな光に照らされているラセルタの笑顔を見て、安堵と嬉しさで胸がくすぐられた。
ふと、千代がそこから思い出したのはとある秋の日。
それは、暖かな祝福を象った花びらが舞い降り注いだ──自分が、恋を自覚した日の事……
「……俺、貴方にまだ伝えたい事があるんだ。ラセルタさん」
──言わなければならない。伝えなければならない。
千代の言葉と同時に、はたと我に返ったかのように顔を背けてしまった大切な相手に向かって。
大切で、大事な次の約束を。
今度こそ話したい……まだ、伝えていない事があるから。
ラセルタが、その小さな声を聞き留める。
「………………」
沈黙の中を花びらが一枚舞い落ちた──
それに応えるかのように。天井と地上の淡い光の狭間で、ラセルタはゆっくりと頷いた。
……今度は、こちらが覚悟を決める番。
今度こそは、逃げないと心に誓って。
●二人の為だけの
その日、花見に訪れた蒼崎 海十とフィン・ブラーシュは、早速桜を摘む場所と、蝋付けをする場所の説明を聞いていた。
しばらく歩くと、その花見会場の離れで大小を問わない綺麗なガラスの器が、複数の列をなして飾られているかのように長机の上に展示されていた。
「予想以上に沢山あるな……」
「これは……選んでいるだけで日が暮れてしまいそうだね」
海十が長机の間を歩き見ながら呟いた言葉に、フィンがその数に驚きながら同意する。この中から選ぶには苦労しそうだ。
「もし何かイメージがあれば、それっぽいのを持って来る事も出来るよ」
案内の役員の言葉に二人が顔を見合わせる。
長机が横5列に及ぶこの数から、何も知らない自分達が選ぶくらいならば、把握している役員にそのイメージを伝えた方が良さそうだと直ぐに納得する。
「それなら──俺は『太陽』のイメージで……」
「そうだね。せっかくだから、俺も──
海十が太陽なら、こちらは『星』をイメージした器がいいかな」
「おお、それは難題だ! 何かそれっぽいのが見つかればいいんだが──ちょっと待っててくれ」
役員が二人から離れ、長机にぶつからないように置かれたガラスの器の脇を探して走るように、一つ一つを確認していく。
「これなんかどうだい?」
そして、役員が持って来たものは、両手に持てる程度の大きさをした、上部に水と桜を入れられそうな、大きさの穴があけられた球状に近い二つの器だった。
それらは、表面の半分以上に擦りガラス加工が施されている。
太陽と星……という『輝くもの』をイメージに伝えた二人は、目の前の机に置かれた擦りガラスへと加工された器のどの辺りにその要素があるのかと、思わず首を傾げてそれを見つめる。
「いやいや、ウィンクルムさん。こいつを見てくれ」
それを感じ取った役員が、慌てて『太陽』と示した器を回すと、擦りガラスに加工されていないつやつやな箇所が見つかった。球状に近い器の、中間より下に斜め下に向けられて穴のように開いた透明な穴。
「この穴の上まで水を張って、フローティングブロッサムを乗せるとだ。
その光を透かして、下に雲間から出た太陽の光のように、強さはないが、一筋の光が地面を写り込むようになってる。
星イメージのやつは一見全面擦りガラスで何も見えないが、全体的に散るように内側から擦っている箇所があるんだ」
その言葉を聞いてフィンがその器を手に取れば、確かに表面は霞んでいるのに、擦られた様子も無くつややかな箇所が幾つもある。
「これは……」
「ああ、水を真ん中位に張って蝋漬けした花を落とし込むと、内側のガラスを擦った部分に水がしみ込んで透明度が上がる。
結果、そこを光が通って、夜の星のようにあちこちが光るって寸法さ──まだ実験作だが、光がうっすらとだが綺麗に漏れるのは確認済みだぜ!」
どうやらそれらの器は、役員にとって余程の自信作らしい。
役員は胸を張って、桜よりも器の鑑賞の仕方を強く語ってから、二人にそれを手渡して帰って行った。
「何か、とんでもない物を預かった気分だ……」
「うん。もし割ったら大変な事になりそうだね。
取り扱いには注意しようか。海十も気を付けて」
「ああ、壊したら本当にどうなるか分からないな」
二人で器を手に取り、同時に頷き合う。
壊さないように、目を離さないように。
慣れるまでは本当に、特に海十は表情からも分かる程に緊張の様子で持ち運び移動した。
一方のフィンは、高価なものへの扱いに関しては慣れるのも早く、そんな海十の様子を、怒られない程度に微笑ましく見つめていたのは、こっそりとした秘密の出来事──
器を踏まないように芝生の上に乗せて、次に二人は摘むべき花を吟味する。
フィンは早速、目に入った中で気に入った複数の花をつけた花房をひとつ、そっと摘み取る。
足元の器を見ながら、どのように置くべきかを思案して、もう一つと手を伸ばし掛けた時、フィンは傍にいた海十が、まだ花を手にしていない事に気が付いた。
今、フィンが見つめているのにも気づかない程、海十は真剣な様子で無数に咲き誇る桜の花の中から、たった二輪を選び取る。
それら二輪は、他の花に比べて一際整った形をしていた。その観察眼にフィンは小さく感嘆する。
これから更に花を摘んでいくのであろうと思っていたフィンは、海十がそこで手を止めてこちらを見た事に驚いた。
「フィンは終わったか?」
「海十こそ、桜はそれだけでいいの?」
「ああ。沢山浮かべるのも良いかもしれないけど……ほんのり灯るくらいも良いだろ?
ほら、その方が空の星が明るく見えるし……」
どちらともなく蝋の入った器があるテーブルに足を向ける中で、海十が空を見上げてそう告げた。
フィンもつられて空を見れば、そこは雲一つない青空。確かに、これならばライトアップされるであろう夜でも、運が良ければ星が見えるかも知れない。
「そうだね、ほんのり灯るの、綺麗だと思う。
──俺もこれ一個にしておこうかな」
海十の言葉に、自分の持つ手元の桜にも愛おしさが湧く──こうして、二人は蝋漬けを開始した。
海十は、一際造形の美しい二輪の花を寄り添わせるように、その姿を蝋に封じ込めた。
フィンもまた、一房に纏まった花を一輪ずつ別けて一つ一つを個別に蝋漬けにする。
そんな二人に、あっという間に夜が訪れた──
目の前の器の中で、海十の手により水の上に乗せられた桜二輪が、蛍光灯ではない暖かな電球を思わせる柔らかなオレンジの光となって灯っている。
傍らでは、隣に座ったフィンが、同じく自分の器が内部が濡れて零れ出す白い光を、僅かだが興味深そうな瞳で目にしていた。
真上から覗き込めば、大きな一輪の周囲に、添えられ飾られるように小さな桜の花が白く仄かに光っている。
「海十の言う通り、暗い分、空の星が綺麗だ」
レジャーシートに並んで座って。上を見上げたフィンが声を上げる。海十はそれに頷きながら、同じように空を仰いで、夜桜の灯りにも負けない眩しい星を見つけてしばらくそれに目を留めた。
そんな中を、桜の花びらを含んだ風が駆け抜けた。
届かない天上の光も美しいが、自然の躍動に海十は思わずそちらを見やる。
「──桜、幻想的だね」
何気なく広げたフィンの掌にも、風から舞ってきた一枚の花弁が雪が降るようにその上にふわりと乗った。
常春とは言え、夜は少し冷える。
姿勢を正すように伸ばせば、僅かとはいえ予想外の寒さに海十は思わず片腕を抱いた。
「海十、寒い? サクラウヅキの気候でも夜は少し冷えるんだね」
ふと、フィンが思いついたように、自分の上着を脱いで海十の肩にそっと掛けた。
「はい、俺の上着羽織ってて。これで少しは大丈夫だと思うけれども……」
先程までフィンが来ていた暖かな上着。それはとても心地良かったが。
「これ借りたら、逆にフィンが寒いだろ?」
「俺は大丈夫だよ」
慌てて返そうとした海十に、フィンが笑顔でその上着を彼に掛け直す。
綺麗な桜と、フィンの体温を感じる上着──喧噪こそ流れて来るが、この場近くには二人しかいない為、海十が黙れば必然的に沈黙が落ちる。
「(フィンの顔を見ると照れてしまうけど、この暗さなら……)」
地面はフローティングブロッサムに、天上の桜も明るく華やかに染めるようにとライトアップされているが、それでも夜には深い隙間が存在する。
海十は、少しの恥ずかしさと、それ以上の想いと込めて、そっと手探りで相手の手に触れ軽く握った。
「……っ」
「──フィンの手、少し冷たいな」
海十の少し緊張したその言葉に、フィンは逆に相手の存在を確かめるように、海十の手を強く握り返した。
驚きを露わに、一気に硬直する海十の手。
……こちらも、触れられた手に一気に心臓が跳ね上がったのだから、自分一人だけが驚かされるなんて卑怯だと──浮かんだ悪戯心は一瞬。
「海十の手は……温かいね」
手を握る力を和らげ、今は触れる程度の力でフィンが告げた。
緊張し通しだった海十の胸に、それが何故かがふとよぎる。
「(そうか、フィンは俺に上着を貸してくれたから……)」
だから、海十の手は暖かく、逆にフィンの手は冷たい──
海十は、自分に掛かっている上着を見やって、そして浮かんだ一つを実行に移した。
「フィンの上着大きいから……二人一緒に羽織れると思うんだよな。
だから……」
「わ……っ」
急に腕を取られ、引き寄せられたフィンから小さく声が上がる。
海十は自分の方に引き寄せたフィンをそのまま、二人の頭上に重なるように上着を掛け直した。
「ほら、これなら二人とも温かいだろ」
フィンはしばらく驚きに瞬きしてから、やっと実感した様子でその笑顔を海十に向けた。
「うん、凄く温かい。
これで、本当に二人きり……だといいんだけどね」
嬉しそうに、しかし同時に困ったようにフィンが告げるが、ふと──
上着に遮られてか、周囲の喧噪が遠のいたような気がした。
──代わりに寄り添って聞こえてくるのは、お互いの穏やかに刻まれる心臓の音──
同じリズム、同じ鼓動。二人のはずなのにまるで身体が一緒になったような感覚。
それは凄く心地良く、そして離れたくない程居心地が良く。
「本当に、フィンと二人きりになったみたいだ……」
その実感を夢見心地で呟いて。ぼんやりと海十が見上げれば、群青色の空には薄紅色の花が途切れる事もなく舞っていた。
「桜、綺麗だ……」
まるで彼方を見るように海十が告げる。
「桜も綺麗だけど……」
フィンはそんな海十を、よりその身を引き寄せて、そっと口づけた。
「海十、桜に攫われないようにね」
「…………!!」
夜に照らされた電光でも分かる位に海十の顔が赤くなる。
周囲に見られてはいないかと、狼狽えながら辺りを見渡すその仕草がフィンにはとても愛しい。
「ふふ、上着被ってるから、周囲には見えてないよ。
──……好きだよ」
そっと囁く、愛の言葉。
「(俺が、桜の精霊だったら、とっくのとうに攫っているから──)」
フィンの心に、愛おしさのあまり海十へ浮かんだ言葉は、秘密。
蝋に封じ込めた桜のように、フィンはその言葉を胸に隠して……二人は寄り添いながらその花見を楽しんだ。
●まず、君がいなければ始まらないんだ
広い公園の奥で提供されている、フローティングブロッサムの企画テントで籠を一つ借りて、セイリュー・グラシアとラキア・ジェイドバインは、近くのヨミツキより摘み過ぎない程度に、満遍なくそれぞれに樹を巡りながら花を集めていた。
「今年もとても綺麗に咲いたね、素敵だよ」
枝より咲いている花房の一つにそっと手を添えて、ラキアは柔らかな声と共に微笑みかける。
大切な、一つ一つを宝物のように扱うその手。優しく子供を見るようなそのまなざし。
「(いつも思うけれども──)」
その様子を、花を摘む手を途中で止めて、別の樹の桜を摘んでいたセイリューがじっとラキアの方を目に留めて見つめていた。
「(ラキアって、やっぱり本当に花が好きなんだな……)」
今更な事かも知れない、それでも思わずにはいられない──
ラキアはいつも庭の手入れをしている時に、その花々に語り掛けている。
元気に咲き誇っている花には感嘆と共に。弱っている花には心配を添えて。
セイリューはいつもその様子を眺めて来た。ラキアの庭での様子や、本当に今のように花と向かい合うその表情。
ラキアは花々に、いつも溢れんばかりの言葉と共に愛情を注ぐ……セイリューはそのラキアの様子が好きだった。
花と向き合っている時、ラキアはとても穏やかに微笑む。任務で戦闘に出てしまっては見られない、本来の彼の笑顔がセイリューは大好きだった。
「──うん」
セイリューが、ラキアの好きなところを一つ再確認しては満足しつつ、今度は摘むだけではなく形が綺麗で地面に落ちてしまったのが惜しい花びらも一緒に拾っていく。
同時に、そんなセイリューの様子もつゆ知らず。ラキアは幸せそうに傍らの別の樹にもその枝に手を触れさせて、静かに声を掛けていた。
『花は褒めると一層美しくなる』ラキアはそれを良く知っていた。そして何より『綺麗なものは素直に讃えたい』──そんな純真な想いを、これだけ咲き誇った美しい存在を前に隠す理由など何処にもない。
「君もとても綺麗だね。
咲いてくれてありがとう、見ているだけで心が軽くなるよ」
そして、感謝の言葉と共に花びらを花茎ごとそっと手にする。
「ありがとう、大切にするよ」
優しい声、柔らかいしぐさ。──花びらが舞う。
「え……?」
一瞬の違和感にラキアの様子が止まる。その様子を待っていたかのようにラキアの頭に声が聞こえた気がした。
『素敵、話し掛けるだけではなく褒めてくれるだなんて』
『さっき、私も褒めてもらったの。嬉しかった。なんて優しい殿方なのかしら』
『きっととても優しい人に違いないわ。
ねぇ、わたしたちのところに来ない? ずっと夢を見ているような素敵な時間を約束するわ』
日常では殆どしない、桜花の香りがラキアの元へふわりと届く。それで初めて、ラキアはそれらの言葉が己へ向けられている事に気が付いた。
明るい翠玉の瞳を僅かに見開いて、その状況を認識したラキアは、困ったように小さく微笑む。
「ごめんね、遠慮しておくよ。俺には『ずっと一緒だよ』と言った人がいるんだ」
花びらが舞う──……それは、僅かに残念さを滲ませた気配。
桜花の香りがしなくなったのを確認して、ラキアは自分が囚われて、解放された事を知る。
「ん? ラキア、どうしたんだ?」
いつも花々に掛けている優しさとは少し異なった雰囲気で何かを告げたラキアの様子に、セイリューが何かあったのかと小走りに駆け寄ってくる。
「ああ、うん。何でもないよ。
少し綺麗な花達にお誘いを受けてしまっただけで──」
「だー! 上手くいかない!!」
三房目の蝋花を片手に、蝋付けのスペースでセイリューの声が響き渡った。
「なんつーか、意外と難しいというか」
セイリューは困ったように、手に持った蝋に浸した桜の花を見つめた。手元の花には、蝋がうっすらと付いた所とごってりと付いた所とで、一房の間にかなりのむらが出来ている。
傍らでは、色の相談時に『ライトアップは色とりどりの方が雰囲気出る気がするじゃん』というセイリューの一声で、最初は元の桜に近い色をと思っていたラキアが、納得した様子で今は水色の蝋に丁寧に桜を潜らせている。
こちらは均等、綺麗に薄く、バランス良く。非の打ちどころがない。
「大丈夫?」
潜らせた花を蝋切り台に置いたラキアがセイリューに声を掛ける。
その声に我に返ったセイリューは、ラキアの潜らせていた桜の花を見て小さくため息ついた。
「蝋が何だか偏るぜ。ムラになったよーな」
「うん、そうだね……見ていて」
摘んできた籠の中から、一房つまんで。セイリューが見ている前でラキアが、その桜をそっと蝋の中へと滑り込ませた。
「丁寧に、軽く……。桜の花弁を、より美しく彩ってあげたいから……」
力む様子も、無理して動かす様子もなく。引き上げられ、蝋切り台に置かれた桜の花房は、綺麗にその形を蝋の重さに崩れる事無く保っていた。
「ラキアはこういうの上手だよな。やっぱ花への愛情ってやつ?」
「せっかく譲ってもらったものだからね」
「よしっ、綺麗に光って欲しいからオレも頑張るぜ!」
セイリューが気合を入れ直して蝋の入った器に向かう。
新しく手にした桜の一房を手にして、思い浮かべるのは先程のラキアの指先。
ラキアと、同じように同じように……セイリューが真似をして、そっと引き上げれば──
そこにあるのは、綺麗な蝋付けされた桜の花房。
「よっし!」
思わずセイリューが空いた片手でガッツポーズを取る。
その様子を見たラキアも小さく微笑んだ。
「色んな光になるようにしたいんだよな」
「夜桜を見上げながらならと思って青系の色を多めに作っていたけれども、せっかくだから他の色も、もう少し作ろうか。
──その前に、セイリューの失敗した花房を見せてもらってもいいかな」
「ああ、いいぜ。でも今までのは本当に失敗してるから──」
少し申し訳なさそうに、セイリューが蝋切り台に乗せられた不格好な桜の花を差し出した。
ラキアは少しそれを吟味して頷いた後、セイリューに問い掛ける。
「色は覚えている?」
「こっちから、紫、青、黄色!」
色だけならバラエティーに富んでいる、と胸を張るセイリューに僅かに微笑みながら、ラキアはその蝋の厚さが偏った花をつまんで再び蝋の中へと差し入れる。
「え? それ以上やったら──」
セイリューの言葉が続く前に、ラキアがそっと花を引き上げる。
すると、出て来たのは少し厚めではあるが、蝋が均一に整った綺麗な蝋漬けの花房──
「ラキア、すげー!」
「せっかくだから、この子たちも綺麗に飾ってあげたくてね」
「これなら全部綺麗に浮かべられる! 借りられる器も向こうに飾ってあったし、完成が楽しみだな!」
「このガラスの器、凄く繊細だね。気をつけないと」
「おうっ、任せろ!」
黄昏時を過ぎた夜──
フローティングブロッサムの器は多種多様で、役員が希望を聞きに来た際に、
「緩やかなラインの──」
「キラキラした光が反射するような──」
二人が同時に提案して、相容れなさそうな内容に、慌ててパートナーを気にして譲り合おうとした瞬間、役員がとっさに示したのがそれだった。
──四角に付いた硬質なカットグラスの足と、その上に乗った浅い台座の側面には、細いガラス棒を加工して密着させた文様が象られている。
そして、それに乗っている器の部分は、水槽状の鋭角を全て柔らかな曲線に差し替えた落ち着いた形。
全て、透明で細やかなガラス製。
器を持ち上げて下から覗き込めば、夕暮れも過ぎて桜をライトアップしている照明の灯りが台座部分を通して乱反射して輝く。
シートの上に置けば、光を反射してその様相をシートに写し出す。
フローティングブロッサムだけを楽しむならば、横や上から純粋に鑑賞するだけで角の無い穏やかな器に花と光を楽しむ事が出来るだろう。
その器の3分の2程に水を張った状態で、慎重にそれを中央に置き、その両側にセイリューとラキアが腰を下ろした。
その両隣には、ちゃっかりと日本酒が置いてある。
「それじゃ、早速……」
どのように光るのか、その様子を待ち焦がれていたセイリューが、さっそくフローティングブロッサムを一つ浮かべてみる。
ガラスの曲面に光が伝った。
そして、下の台座には夜桜の照明だけではない色を差した光が、水面の揺らぎにあわせてまるで万華鏡のように、煌くその光をレジャーシートの上に映し出す。
「おお、すげー」
「綺麗だね……俺も入れてみようかな」
今度はラキアが、そっと形が崩れない様に並べられていた内の一つを水面に浮かべてみた。
シートに映る万華鏡の光に、また一つ色が追加される。
そのまま、お互いが作ったものを全て入れれば、色は自然と最初に反対のイメージで作った青や水色等を多めに、次に緑、合間を黄と薄紅が目を惹く、まさに色とりどりの光で溢れかえった。
「上も下も桜だらけだな!」
傍の日本酒で、お互いに笑顔で乾杯をした。
「桜を讃えつつ何か飲むと言えばコレだろ」
「そうだね。あと、今見上げると不思議な色合いの夜桜が楽しめるよ」
ラキアの言葉に、軽く酒をあおったセイリューが見上げると、一番近くにある枝葉が、幽かに器の光の色を映して、幻想とも言える色合いを醸し出していた。
「今年も綺麗な桜を楽しめて、オレ、嬉しいぜ」
──満開の桜を見ると、良い春が来た! って感じじゃん──そう無邪気に続けて、笑顔を見せたセイリューに、ラキアは静かに頷きながら微笑み返す。
やはり、昼間の桜の精霊よりも。ずっとセイリューと一緒の方が良いよね。
そんな事を、とても心地良い幸せと共にかみ締めながら……
依頼結果:成功
MVP:
名前:セイリュー・グラシア 呼び名:セイリュー |
名前:ラキア・ジェイドバイン 呼び名:ラキア |
名前:カイン・モーントズィッヒェル 呼び名:カイン |
名前:イェルク・グリューン 呼び名:イェル |
エピソード情報 |
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マスター | 三月 奏 |
エピソードの種類 | ハピネスエピソード |
男性用or女性用 | 男性のみ |
エピソードジャンル | ハートフル |
エピソードタイプ | EX |
エピソードモード | ノーマル |
シンパシー | 使用不可 |
難易度 | 簡単 |
参加費 | 1,500ハートコイン |
参加人数 | 4 / 2 ~ 5 |
報酬 | なし |
リリース日 | 04月01日 |
出発日 | 04月07日 00:00 |
予定納品日 | 04月17日 |
参加者
- 羽瀬川 千代(ラセルタ=ブラドッツ)
- セイリュー・グラシア(ラキア・ジェイドバイン)
- 蒼崎 海十(フィン・ブラーシュ)
- カイン・モーントズィッヒェル(イェルク・グリューン)
会議室
-
2016/04/06-22:28
-
2016/04/06-00:06
-
2016/04/05-22:29
-
2016/04/04-01:03
-
2016/04/04-00:15