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『ジャック・オー・パーク』に、人の声が響く。
　しかしそれは、恐怖に満ちたものではない。

「あ、あ……やった、やった！」
　園内清掃員の男は、お化け屋敷のアトラクションの床に座り込み、顔を覆っていた両手を外した。
　右手で自身の左肩から腕を、左手で腹から太ももを辿る。
「生きてる……戻ってる！　帰って来たんだ、俺は！」
　自らを抱きしめても、激しい鼓動はおさまらなかった。
　覚えているのはこの館の中で、ジャック・オー・ランタンの被り物を被ったオーガに襲われたところまでだ。
　これまで一度だって感じたことのない、ひたすらの恐怖と絶望。
　だが、今の気持ちは違う。
　顔を上げ、男は立ち上がった。
　化け物のいない屋敷の中を駆け、出口に向かう。
　そして分厚いドアを開け、外に飛び出した時――。
「ああ……」
　そこはたしかに、男が毎日掃除をしていた『ジャック・オー・パーク』であった。
　青い空に、オレンジや黄色やらのかぼちゃのバルーンが浮かんでいる。
　カラフルなお菓子を売るワゴンが並び、魔女の姿をした女性店員が、小さなステッキを振って客寄せをしていた。
「いらっしゃい、いらっしゃい！　今日はサービスよ、みんな好きなものを持って行って！」
　わああ、と駆け寄る子供達。それを見守る両親はもちろん笑顔だ。
「よかったわね、あなた。私達みんな助かって……」
「ああ、そうだな。これも全部、ウィンクルムのおかげだ」
「ウィンクルム……」
　A.R.O.A.に届かなかったと思った救いの声は、しっかりと届いていたのだ。
　男は歩き出す。
　自分が働いていたこのパークが、どのようになっているか、確認するために。




　清掃員の男は、はやる気持ちを押さえ、園内を進んだ。
　甘い香りが漂う、リンゴ飴専門店『ポム・ダムール』には、行列ができている。

　大きな船が空で揺れる『ラッキー・パイレーツ』の入口にはロープがかかり、入場禁止になっていた。
　中を覗き込もうとすれば、紫の髪の女性と肩が触れる。篠宮潤である。
　ヒュリアスの後ろから顔を出した彼女は、おずおずと口を開いた。
「清掃員……の人？　お……お掃除、お疲れさま」
「チョコレートで汚れていたから、綺麗にするのは大変だっただろう」
　潤の隣にいたガートルード・フレイムが、小さく頭を下げ、
「これ、そこそこ楽しかったぜ、俺は」
　レオン・フラガラッハはにやりと笑った。

『推理の館』の前を通りかかるときに、男女の二人組とすれ違う。
　マーベリィ・ハートベルと、ユリシアン・クロスタッドである。
　少女はなぜか、館を恐ろし気な目で眺める。そんな彼女に気付いたのか、男性は彼女の手をぎゅっと握った。
「あの、だ、旦那様……」
「もう怖い思いはしたくないよね。ううん、させないよ」

　次は、白鳥のボートが浮かぶ湖だ。
　そこでは、アイリス・ケリーとラルク・ラエビガータが、ボートを眺めていた。
「この園内に、焼肉ってあんのかな」
「入口でマップを貰わないと、わかりませんね」
　アヒルを見つつ言うところが、なんとも微妙である。

　その先は、園内でも人気の『ミラーハウス』である。
　ハウスの前では三組の男女が話し込んでいた。
「あの戦い、本当に楽しかったですわ」
「ああ、そうだったな」
　うきうきと目を輝かせるのが、手屋　笹とカガヤ・アクショア。
「勝負に勝ったし、食事も美味しくてよかったですね」
「たしかに、美味しかったね」
　八神　伊万里とアスカ・ベルウィレッジは、顔を見合わせて笑いあっている。
　その近くで、真顔で立つのはヴェルナー。アマリリスは彼を見上げていった。
「ワクワクしているヴェルナーと過ごせて、よかったです」
「ええ、私も楽しかったです」

　オリジナルのタルトが作れるアトラクションには、女性のみならずカップルにも人気のようだ。
「タルトの交換、楽しかったよね」
「はい、主様のタルト、美味しかったです」
　そうご機嫌なのが、上巳　桃と斑雪の二人。
　顔を見合わせているのは、日向　悠夜と降矢　弓弦だ。
「お化けタルト、懐かしいな。ね、弓弦さん」
「はは、あれは仮装の力もあると思うよ」
　そんな二組に対して、ユラは渋面である。
「味はよかったけど、あのタルトの見た目、すごかったよね……」
　だが、相棒のハイネ・ハリスはまんざらでもなさそうだ。
「目玉とジャムの血糊、よくできたと思うけどな。初任務にしては上出来だろう」
　――そう、せめてそうやって褒め……ないのが、カルヴァンさんだよね。それに……。
　宝石のようだったガルヴァン・ヴァールンガルドのタルトを、アラノアは忘れられない。
「楽しかったな」
「なかなか、いい時間だった」
　ガルヴァンが、小さく頷いた。

　清掃員の男は、さらに園内を歩いていく。
　すると、五組のカップルが目を引いた。かなりの美男美女揃いだ。
「まさかパーティーの中に吸血鬼がいるなんて……ほんと、グレンが来てくれてよかったです」
　ニーナ・ルアルディはそう言って、グレン・カーヴェル袖口を掴んだ。
「ほんと、ほうっておけないよな、ニーナは」
　グレンが呆れたように、しかし愛おしげに彼女を見やる。
　当時を思いかえしているのは、クロスも同じだった。
「あの傷、もう消えたかな」
　ふと言えば、オルクスがにやりと笑い、クロスの襟もとに手を伸ばす。
「見てやろうか」
　エミリオ・シュトルツの横でその様子を見ていたミサ・フルールもまた、あの夜のことを思いだし、頬を染めた。
「エミリオ、私を食べてしまうって……」
　思わず呟けば、知ってか知らずかエミリオが問う。
「ん？　ミサ、何か言ったかな？」
　天藍は、隣のかのんに目を向けていた。
　あのときかのんが自分を思いだしてくれて、本当によかった。
　視線に気付いたらしい、彼女の頬が去っと染まる。
「天藍。そんなに見られると……あの、困ります」
「わ、悪い」
　その日を忘れられないのは、ロア・ディヒラーも同じである。
　彼女は首筋に手のひらを当てた。あの傷……見ないようにしていたけれど、どうなっただろう。
「僕がつけた証は……」
　クレドリックが言いかけたのを、ロアは遮る。
「その呼び方は、恥ずかしいん……だけど」
　男は彼らの横を、静かに通り過ぎる……つもりだったのだが。

「もう、信じられませんほづみさん！　それ私のパンプキンアイスですよ？」
「ちょっと間違えただけだろ、ほら、残りやるから」
　顔を赤くした水田　茉莉花。対して八月一日　智は、悪びれた様子もなく、アイスをぱくり。
　他人事ながら、男が「あーあ」と思っている矢先、別の男女とすれ違う。
「今回は、『人魚の涙』にでもするか？」
「ううん、今度はルシェの好きなものに乗ろうよ」
　ひろのとルシエロ＝ザガンが、ゆっくりと歩いていく。

　その少し先で、男は三人組と行き交った。
　久野原　エリカと、久野木　祐、ヤスカ　ゼクレスである。
「エリカさん、そろそろなにか食べませんか」
「そうだな、この前は『小人達のご馳走』に行ったから、今日は別の場所にするか」
「園内マップがありますよ。ご覧になりますか？」

　男は園内をさらに進む。
　今度見えたのは、『無重力☆カフェ』だ。
　その前。リーヴェ・アレクシアは銀雪・レクアイアの一歩前を歩いている。
「そういえば銀雪、本番への努力は進んでいるか？」
「えっ！？」
　銀雪はいきなり立ち止まった。その驚き顔を見、リーヴェは笑う。
　一方、アメリア・ジョーンズは自らの胸へと手を置いた。
　鼓動が早い。傍らのユークレースを見上げると、動悸はますます早くなる。
「アメリアさん、どうしました？　体の調子でも……？」
「いいえ、なんでもないわよ」
　秋野　空もまた、ぼんやりとしている。
　ジュニール　カステルブランチはあの日のことを言わないけれど、きっと忘れていない。それどころか。
「ソラ？　悩み事はよくないですよ」
　その顔。……絶対、理由に気がついている……気がする。
　瀬谷　瑞希の頬は、羞恥に染まっていた。
「また愛情の証明をしたくなるね」
　そう微笑むフェルン・ミュラーのまっすぐな告白には、いつだって慣れることはないのだから。

　男は、どんどんと歩を進める。
『魔女のたしなみ』は着飾った者が、さらなるおしゃれを楽しむ場所だ。
　さて、どんな男女が利用するのか。少しばかり足を止めると、店の入口付近にカップルが話しているのが見えた。
　……が、男性のほうは、どう見ても自分と同じく、こんなところにはこなさそうな雰囲気であった。
　しかし彼が言うには。
「あの時は緊張したよ……慣れない服もだけど、ペディキュアなんて」
「私は十分に堪……いえ、満足しましたよ、ラダさん」
　ラダ・ブッチャーは困惑したのか、へにゃりと眉を下げている。エリー・アッシェンは機嫌よさそうに、うふふと笑った。
　アンダンテもまた楽しそうに、自分の手の爪を見つめている。それに、サフィールが気付く。
「もうその色は見慣れたでしょう？」
「でも、あの時のことを思いだして、とても嬉しい気持ちになるわ」
　向坂　咲裟とカルラス・エスクリヴァは、ひっそりと笑う。
「私もカルさんのライムグリーンを思い出すわ。もうとってしまったようだけど」
「お嬢さんの紫は、相変わらず綺麗だ」
　スティレッタ・オンブラは、バルダー・アーテルの指先に視線を落とした。
　透明を選んだからこそか。そこにはまだ、あの日の名残りの輝きがある。
「どうかしたか」
「いいえ、なんでも」
　スティレッタは口角を上げた。

　さて、そろそろ園内一周は終わりが近い。
　――と、なぜか、何もない土地を見入っている人がいた。
　清掃員は知らないが、ここにはオーガが作ったアトラクションがあったのだ。
　レイン・フリューゲルはリオ・クラインを見下ろした。
「あのダイヤは大きかったね、リオちゃん」
「まったく、しつこいぞ」
　リオの一刀両断。レインは、つれないんだから、と苦笑する。
　しかし切り捨てられない者もいた。
「本当に、大きかったですね。ディエゴさん」
「輝にはもう少し小さいほうがいいですけど」
　ハロルドの言葉とアルベルトの言葉に、ディエゴ・ルナ・クィンテロは黙し、月野輝ははにかむ顔を見せ――。
「あれが本物だったらすごかったよね」
「そうだな」
　桜倉　歌奈と月成　羽純は実に楽しそうに笑っていた。
　御神　聖と桂城　大樹が、空っぽの土地に背を向ける。
「そろそろ、あの子にお土産でも選びに行くわ」
「今度は三人でこようか」
　清掃員の男は会話から、彼らが今度は子供を連れてくるのだろうと思った。




　ぐるりと一周見て回り、この『ジャック・オー・パーク』にも、本当の平和がやってきたのだと実感する。
　やっと元の場所へと戻ってきた時。男はふと、隣に人の気配を感じた。
「おい、なにぼんやりしてるんだ？」
　乱暴に肩に回された腕は、自分と同じ園内清掃員の制服だ。
　いや、そんなものを見なくても、声だけでわかっていた。
「お前……！」
　彼だ。男の目の前で、オーガにお菓子に変えられてしまった同僚。
　自分が助かったように、彼もまたこのパークに戻ってきていたのだ。

「トリック　オア　トリート！」
「お菓子があってもなくても、楽しみましょう！」

『ジャック・オー・パーク』に、人々の声が響いている。
　しかしそれは、恐怖に満ちた声ではない。
　感謝と歓喜に満ちた、このテーマパークにふさわしいものだった。



「尽力ありがとう、ウィンクルム！」
　キルトは満面の笑みを浮かべ、神人と精霊を見つめた。
　しかし彼らにしてみれば、欲しいのはそんな言葉ではない。
「それより、キルトさん」
　神人が少々硬い声で呼びかける。
　キルトはわかっているよ、というように頷いた。表情がいっきに真面目なものになる。
「そう、君達が聞きたいことはわかっているんだけど……詳細がわからなくてね」
「わからないって……」
「ゲームについては、君達の調査のお蔭でいろいろわかったけど、問題は他にもあるよね」
　キルトはため息をついた。
「たとえばあの被り物は誰が何のために作ったのか。まあオーガの側でってことは間違いないけど」
「それはそうでしょう。あんなもの、人間が敵に与えるはずがない」
「そう、では次の問題だよ。今回、ジャック・オー・パークは平和になった。……君たちのおかげで」
　精霊がこくりと頷く。
「でも、これで終わりかな」
「え……？」
　精霊が呟く。キルトは続けた。
「確かに今回は、ウィンクルムが勝利した。だけど……」
「人の思考と口調をコピーするなどという高度な技術が、次に続かぬはずがないと？」
　神人の言葉に、キルトは眉根を寄せる。しかし口から飛び出るのは。
「そうだね」
　――肯定、だ。
「とりあえず、ハロウィンは無事に終わるだろう。でも、今後も気を抜くことなんかできないということだよ」
　キルトはそう言うと、ウィンクルムに両手を差し出した。
「頼むよ、ウィンクルム。君たちが頼りだ」



「まったく忌々しいウィンクルムたちだこと。せっかく用意したシナリオが台無しよ」
　薄暗い室内で、彼女は細く息を吐いた。
　本当に、ウィンクルムはどこまでも邪魔をする。
　人間の歓喜の声など、聞きたくもないというのに。
　――しかし。
「まあいいわ。『実験』は成功したんですもの。きっとハインリヒ様もお喜びになる」
　彼女は、ゆっくりと口角を上げた。
「愉しみね、ウィンクルム」

　古城に、ヴェロニカの足音が響く。
　彼女が向かうは、ハインリヒの居室。
　それは、ウィンクルムにとっては、次なる悪夢へと続く道でもあった。


（エピローグ執筆：瀬田一稀 GM）

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