lunatic(あご マスター) 【難易度:とても簡単】

プロローグ

 濃藍色の空に、狂気的なほどに銀色に輝く満月が浮かぶ。
座敷には男が一人、漆塗りの盃を片手に酒を飲んでいた。

すっと音もなく背後の襖が開き、一組のウィンクルムが入ってきた。
突然目の前に現れた座敷に、二人は驚き固まっている。


「やあ、いらっしゃい。今夜はまた、一段と佳い月ですね。
ウィンクルムさんたちはこんなところでどうしました?
もしかして迷子ですか?」


 襖を開けて入ってきた二人が目を白黒させているのを見て、男は声をかける。

二人は今の今までタブロス市内のショッピングモールで買い物を楽しんでいたはずだった。
それが、ある店のドアを潜った瞬間、周囲の風景ががらりと変わってしまったのだ。

「やれやれ、時々いるんですよ。
背中を預ける相手に、自分の心の中身を曝け出せなくて、
どうしようもなくなってここに来る人が」

 立ち上がった男はその青白い指をすっと伸ばして、立ち尽くす精霊を指差した。
指を差された精霊は、男の迫力に押され、一言も言葉を発せない。
二人は男に案内されるままに、座敷の奥の個室へと足を進めた。



「さあ、こちらをどうぞ
これを飲んで、楽になってしまえば、もと居た場所に帰れますよ」

 差し出された盆の上には、一杯の盃。
中には、透明な液体がなみなみと注がれている。

警戒して手を出さない精霊に、男は穏やかに笑いかけた。

「大丈夫ですよ、唯のお水です。変なものは何も入っていませんよ。
ただし、こうやって」


 男は自身の盃を取り出すと徳利から水を注ぎ、
窓から見える満月を水面に映してから一気に飲み干した。
 
「月を飲んで下さいね。
じゃないと、あなたの固い口は月に酔えませんから」

 では、と会釈をして、男は座敷を去った。
精霊はしばし逡巡した後、意を決して月を飲み込んだ。

本当に、ただの水のようだった。

変な味はしないし、体に不調を来すわけでもない。
ただ、涙が止まらなかった。

脳裏を駆け巡るのは、今まで出逢った中での辛い記憶、悲しい記憶。
中でも一番苦しかったあの出来事を、精霊の口は勝手に神人へと語りだす。

涙ながらに語られるその苦痛の記憶に、彼の心を思って神人も涙を流す。

そうやって、心の内の暗いものを吐き出し終えた頃。

気づけば二人は、あの座敷にたどり着いた時と同じように、
唐突に、昼日中のタブロスに立っている事に気が付いたのだった。

だが、座敷で見た彼の涙は夢ではないことは、当の二人が一番よくわかっていた。
顔を見合わせ、照れ笑いを浮かべる二人を、暖かな日差しが包んでいた。

解説

苦しい気持ち、辛い気持ち、悲しい気持ちを吐きだすエピです。
絆を深めるきっかけになるか、あるいは……?

●参加費
不思議なお水代 500jr

●プランについて
月を飲む人→精霊or神人どちらかおひとり。
飲む人はどんな内容を吐きだすか、
飲まない人はその思いをどう受け止めるかお書きください
ちなみに、お水なので、未成年の方も問題なく参加できますよ。




ゲームマスターより

系統的には以前書かせていただきましたRetroに近い感じになりますが
それよりダークかなと思います。
暗いのが書きたくて……

ウィンクルムさんたちの何かのきっかけになればいいな~

リザルトノベル

◆アクション・プラン

手屋 笹(カガヤ・アクショア)

  ※水飲み。
月を写して飲み干します。

故郷に居た頃
「神人になれば背が伸びる、それには牛乳が手っ取り早いらしい」
なんて馬鹿な話を信じていました。

この話実は…わたくしの初恋の方から聞いた物でした。
好きでもないわたくしが
付いて回って来るのがうっとおしかったのでしょう…
家で牛乳飲んで頑張れと言われました。
結果本当に顕現して
故郷を出る事になったわたくしを嬉しそうに嘲笑っていました…

…それを見るまで…その方の事…大好きだったのに……

それから出会う人に心を寄せる事に
少しだけ臆病になりました…実は最初はカガヤにも……
信用出来てない時があってごめんなさい…
今は大丈夫です…

(やっぱりカガヤは優しい……大好き…です)


日向 悠夜(降矢 弓弦)
  無意識の内に手を伸ばし月を一飲みする
あれ、涙と震えが止まらない…
立っていられない…

流星融合…オーガの群れ…
あの時…わたしが手を離さなかったら
あの時、わたしが弱くなかったら
あのひともきっと旅をしていたのに
ずっとずっと笑っていたのに
どうして、置いていったの…?

あの日から私は前に進めていないっ
あのひとに、前を向けと言われたのに!
あのひとの借り物にしがみついている…!
借り物の私は…わたしは、だれなの…?

言葉が出てこなくなり
弓弦さんの語りかけをぼんやりと聞く
その真摯さに疑問が湧く
弓弦さん…どうして
どうしてわたしに…?

わたしも…私、日向悠夜も…!
あなたと同じ気持ちだよ…!
あなたと、一歩ずつ前に進みたい…!


リヴィエラ(ロジェ)
  リヴィエラ:

※神人、精霊共にアドリブOK・月を飲むのは精霊

(ロジェの告白を聞いてから、泣きながら微笑む)
はい、全て知っていました。お父様が生きていた事を知ったのは最近ですが…(エピ39)

貴方が、病室で私の手にキスをしてくださった時、私、実は意識があったのです。
私は、お屋敷の窓から貴方を見た時、ひと目で恋に落ちました。
そんな貴方が、私をウィンクルムとして娶ってくれる…これ以上の高揚感はありませんでした。
貴方のモノになれる事が嬉しくて…

ロジェ、私も貴方が欲しいです。ですから、おあいこです。
(突っ伏して泣くロジェの額にキスをして、柔らかく微笑む)
貴方に会えて良かっ…きゃっ、ロジェ…!?



ひろの(ルシエロ=ザガン)
  (言えてないこと……?)
月をしっかり映して飲む。


小さい頃から、構ってもらえなくて。
見てくれるの、怒るときだけ。

でも怒られるの嫌で、静かにしてたら。
皆、おかしいとか、変とか言う。

否定されてる気がして。
私。いない方が、良かったのかな。

ルシェも、私が役に立たないから。怪我して。
足手まといは、いらないって。言われる気がして。
否定されるの、怖くて。

ルシェ、呼んで良いって言ってくれたの。嬉しくて。
嬉しかったから。
いらないって、言われるの怖くて。

私がいらないか、ずっと聞けなくて。


(反応が怖く、俯いたまま頷く

(そっと見上げる
「一緒にいても。いいの……?」

(怒ってない)
(一緒にいても、いいんだ……)(力が抜ける



アイリス・ケリー(ラルク・ラエビガータ)
  どうしようもなくなった人が来る場所…ですか
いつか話すと約束したのに、ずっと言い出せずにいたから、そのせいだと思う

迷わずに器を取り水を飲む
涙が止まらない、でも泣き顔は見られたくない
姉様、姉さ…姉さん…
息を整えながら、約束していた通り姉の話をする
何よりも大切で、守らなくてはいけない人だったのに
神人となった姉は私を庇って、私の腕の中で石になった
今でも覚えています
姉の命が失われていく感覚を
姉さんの為に生きてきたのに、姉さんはもういない
姉がしたかった事をする…それ以外の何を目標に生きていけばいいのか分からない

背中を借り、気が済むまで泣く
泣き終えたら、気恥ずかしさを誤魔化す為にぽつり
「月が綺麗ですね」



 冴え冴えと輝く月の下、差し出された盃を受け取ったのはロジェだった。
空に浮かぶ月と同じ銀糸の髪が揺れ、水面に映った月ごと、盃の中の水を煽る。

「ロジェ様……?」

 得体のしれない飲み物を一気に喉に流し込んだロジェを心配してリヴィエラが顔を覗き込むと
ロジェの陶器のような白い頬を、一筋の涙が伝う。
本人も自覚は無いようで、頬を流れる涙に驚いた様子だが
本人の意志とは関係ないまま、その唇は、ロジェが胸の内に押し込んでいた秘密を暴いていった。


「俺は、お前が欲しかった」

 ぽたり、と。
涙が一滴、ロジェの服に染みこみ、周りの生地よりも一段濃い色が
まるでロジェの心の内の暗示の様にじわりと広がった。

苦悩の色を含んだロジェの声音に、リヴィエラは不安を隠せない。
だが、リヴィエラの不安を気にすることなく、ロジェは言葉を続けた。

「屋敷にいる君を見た時から、俺の神人はあの少女だと思った」

 ロジェは今でも覚えている。
突然聞こえてきた透き通る歌声に導かれるようにして辿りついた屋敷の庭で
楽しげに歌を歌っていたリヴィエラは、それまでに見たどんな美しい景色よりも色鮮やかに見えた。

 あの日、偶然リヴィエラの住む屋敷の前を通ったこと。
 そして、二人の手の甲には、未契約の紋章があったこと。

今となってはそれも運命だ、全ては二人を引き合わせるためだったのだと自惚れるほどに
ロジェにとってリヴィエラとの出会いは劇的で、リヴィエラは彼の全てとなっていた。
 だが、ここまでウィンクルムとして、パートナーとして歩んできた中で、
ロジェは契約に至るまでの過程を、リヴィエラに打ち明けたことは無かったのだ。

「一目惚れだった。
すぐさま奪いに行ったよ。……でも、君の両親は俺を『役人の犬め』と追い返したんだ。
だから……俺は、君の両親がオーガに襲われるのを待ったんだ」

 当時を思い出したのか、ロジェは心底悔しそうに歯噛みした。
 リヴィエラの両親にしてみれば、大事な娘を危険な目に遭わせたくなかったのだろう。
娘を守ろうとする親心は、やがて更なる悲劇を生んだ。

 オーガは顕現した神人に向かってくる習性を持っている。
それは、ウィンクルムにとっては周知の事実だが、世には知らない者もいないとは言えない。
リヴィエラの両親にとっての悲劇は、オーガの習性を知らなかったことだと言えよう。
ロジェが予想していた通りに、暴走したオーガは顕現したリヴィエラに惹かれて屋敷を襲い、
リヴィエラの母親を殺し、リヴィエラ本人にも重傷を負わせることとなった。


 今まで溜め込んでいた黒い塊を、ロジェは吐きだし続ける。
その言葉は罪悪感に満ちており、どこか独り言のように夜の闇に吸い込まれた。

「実際、死んだのは母親だけだったが、これ以上の好機は無いと思った。
父親が生きている事は、君には隠しておけば良い、そう思ったんだ」

 ロジェが手にしていた空の盃が落ち、ごろりと畳に転がったが
今のロジェにそれを拾い上げる余裕は無い。
転がった盃は、まるでロジェをあざ笑うかのようにゆらゆらと揺れた。

 畳に手を付きリヴィエラの眼前で首を垂れるその姿は、どこか断罪を待つ罪人にも似ていた。
ロジェの口から語られるあの日の真実を聞き、リヴィエラは大きな瞳をさらに大きく見開く。

「俺はお前が欲しかった。お前の両親の死を願った最低な男だ!
意識のない、重症のお前の手にキスをして勝手に契約をした、最低な人間だ……っ!」

 血を吐くような言葉と共に、ロジェは畳に付いた手をぐっと握りしめた。
その掌に、きつく爪が食い込む。

 静まり返った部屋の中に、ロジェの呻くような嗚咽だけが響く。
かける言葉も見当たらず、リヴィエラはロジェの次の言葉をじっと待った。
 嗚咽が治まると、ロジェはまるで執念にも近い思いをリヴィエラへと告げる。

「……それでもお前が欲しい。
俺だけのリヴィー、お前が、欲しいんだ」

「ロジェ……」

 握りしめられた拳を開くように、リヴィエラはそっとロジェの手を取った。
その瞳から大粒の涙が零れ落ちて、ロジェの手を濡らすが
リヴィエラは気丈にも、顔を上げたロジェに微笑んで見せた。

「ロジェ、私は……、全て知っていました。
お父様が生きていた事を知ったのは最近ですが……」

 リヴィエラの言葉に、ロジェは驚いた顔をする。
いくらリヴィエラが優しいとはいえ、我欲のために自分の両親の死を願った男と
共に在る事を選ぶ事はないと思っていた。
だから、自分のこの真っ黒な気持ちは、リヴィエラには見えていないと思っていたのに。

「貴方が、病室で私の手にキスをしてくださった時、私、実は意識があったのです」

 掌にできた、三日月型の傷をそっと撫で、リヴィエラは穏やかな声で
まるであやすように言葉を唇に乗せた。
ロジェへの感謝と、愛しさをこめて。

「私は、お屋敷の窓から貴方を見た時、ひと目で恋に落ちました。
そんな貴方が、私とウィンクルムとして契約してくれる……
これ以上の高揚感はありませんでした。貴方の神人になれる事が嬉しくて……」

 笑顔で紡がれるリヴィエラの言葉に、ロジェは勢いよく身を起こした。
二人の視線が、まるでパズルのピースが嵌まるようにかちりと合って
もう、逸らす事は出来なかった。

「ロジェ、私も貴方が欲しいです。ですから、おあいこです。
私、貴方に会えて良かっ……きゃっ、ロジェ……!?」

 微笑むリヴィエラに、ロジェの心の奥で熱い気持ちが溢れる。
リヴィエラに手を伸ばしたロジェは、そのままその細い体を勢いよく抱き寄せた。
本当は、今すぐにでもここで口づけてしまいたいのだが
すぐに照れてしまうリヴィエラの気持ちを慮って、なんとか踏みとどまる。

 代わりにその熱い思いを腕に込め、
まるでリヴィエラが潰れてしまうのではないかと思うほど、彼女を強く強く抱きしめ
その柔らかな髪を、感触を確かめながら優しく撫でた。
 その姿は、まるで闇に溺れまいと必死に小舟に縋りつく幼子のようで
リヴィエラは細い腕をそっとその逞しい背に回した。

よしよし、と、リヴィエラが優しくロジェの背を撫でているうちに
不意に周囲の景色が陽炎のように揺らぎ、気づけば二人は、
ショッピングモールの真ん中で座り込んで抱き合っていた。
照れたリヴィエラが慌てて体を離したのを、ロジェはやや名残惜しげに見つめていた。








「どうしようもなくなった人が来る場所……ですか」


 いつか話すと約束したのに、ずっと言い出せずにいたから、そのせいでしょうか、と
 辺りの見慣れない風景にアイリス・ケリーは一人で結論づけると、
先に、見知らぬ男の話を聞いていたラルク・ラエビガータの隣に座る。

「月を飲む、ねぇ……?」

 それで元の場所にってのはなんとも胡散臭い話だな、と情報の真偽を探るため
男を問い詰めようとした瞬間、横から伸びてきた細い腕が盃を取り上げ
そのままアイリスが月を写した水を一気に飲み干した。

……本当にこの女は無駄に思い切りがいいな、と
改めて驚くラルクを尻目に、アイリスは空になった盃を男へと返した。

「……っ、ふ、……姉様、姉さ……姉さん……」

 小さく漏れた吐息にラルクが隣を見れば
アイリスのエメラルドグリーンの瞳から銀色の輝きが零れ落ちる。
手で口を押え、必死に声を殺している姿と、普段の様子を思えば
あまり他人に涙を見せる事を良しとしないのだろう。

 せめてその涙を見ないように、どうするべきかと迷っているうちに
アイリスの肩の震えが治まった。
彼女は、その強靭な精神力で、月に与えられた涙を抑え込んだのだ。
驚きながらも、少し心配そうな様子のラルクをよそに、
呼吸を整えながら、ぽつり、ぽつりとラルクに向かって話し出した。

「私には、姉がいました」

 あね、と呟く声が僅かに震える。
癒え切っていない傷を抉るようなアイリスの告白に、ラルクは口を挟まない。
確かにいつか話してもらう約束はしていたが、
根の深そう話だったため気長に待つつもりでいたラルクは、
なんとなく自分が先を促すのも違う気がしたのだ。

 アイリスなりに、早く話さねばならないと焦っていたのかもしれないな、と思いながら
ラルクはアイリスの次の言葉を待った。

「私にとって姉は、何よりも大切で、守らなくてはいけない人だったのに
神人となった姉は私を庇って、私の腕の中で石になった」

 アイリスの左手が、右手を摩る。
まだ、腕にその感触を残しているのだろう。

 アイリスを庇った姉の愛は、まるで呪いのようにアイリスを縛り続けている。

「今でも覚えています
姉の命が失われていく感覚を
姉さんの為に生きてきたのに、姉さんはもういない」

 生きる意味でもあり、アイリス自身の存在意義に等しい存在であった姉が
腕の中で息絶えるのを、なす術も無く見守るしかできなかった自身の無力さ。
 それはただの絶望を通り越し、
身体が動かせないほどの喪失感となってアイリスの上にのしかかった。

「姉がしたかった事をする……それ以外の何を目標に生きていけばいいのか分からない」

 か細い声で呟き、糸の切れたマリオネットのように、その腕が力を失って畳の上にはたりと落ちた。
 話し終えて気が緩んだのだろう、その白い頬にまた涙の筋が伝い始める。
アイリスは声も立てずに、ただ涙が頬を撫でるに任せた。


姉妹愛ってやつかね、とラルクは胸の内で呟く。
 静かに涙を流すアイリスに、なんと言葉をかけるべきか迷いラルクは頭をガシガシと掻いた。
元来、信頼とか、誰かの為とか、絆とか、
そういった類の言葉とは無縁の世界で生きてきたラルクには
アイリスのように、自分の全て、血の一滴までも捧げるような相手はいたことがない。

そのため、アイリスの抱えている哀しみは自分が想像しているより遥かに苦しい事なのだろうと
見当をつけてやることくらいしかできなかったのだ。
そして、そんなおぼろげな慰めなど、アイリスは求めていないのだろう。

 かける言葉も見当たらないが、
あの気丈なアイリスがこんなにまで弱々しい姿を見せるのだから、と
少し考えてから、ラルクはアイリスに背を向けて座り直した。

「俺には、アンタにどんな言葉をかけるべきかわからない。
俺に泣いてるところを見られるのは、アンタには不本意だろう。
こうすりゃ見えないから、好きなだけ泣くといい」

 思ってもみなかったラルクの言葉に
アイリスはおずおずと指を伸ばし、その背に触れた。

 初めは不安げに摘まむだけだった指が、ラルクの背が揺らがないとわかると
羽織をぎゅっと握りしめ、アイリスはラルクの背に額を預けるとぼろぼろと涙を零した。
ラルクは何も言わない。ただ、その背はとても暖かかった。

大粒の涙が畳を打つと、それはまるで雨の音のように座敷の中へ響く。

アイリスの心に振る雨の音を聞きながらしばらくして
泣き止んだアイリスは、ラルクの背から離れた。
その表情は、瞼こそ腫れぼったいものの、いつも通り、静かな微笑みを湛えていた。

 気持ちが落ち着いて、ここまでの自分の言動を振り返ったのだろう。
恥ずかしさを隠すために、アイリスはわざと明るい声で話題を逸らした。

「月が、綺麗ですね」


 一瞬沈黙してしまう。

 果たして、アイリスはこの言葉の言外に含まれる意味を知っていて言っているのだろうか。
照れてラルクと目を合わせないようにしている瞳から、表情は読めない。
ラルクは戸惑いながら、そうだな、と返し、元の場所に戻るのを待つようにそっと目を閉じた。








「これを飲めば良いのですね」

 座敷に座り、手屋 笹が盃の中に入った水を夜空へと向けると
不思議と水面は揺れることなく、まるで水鏡のようにはっきりと銀の月を映す。

「笹ちゃん、大丈夫?お腹壊したりするかもしれないから、なんなら俺が……」

 見知らぬ男からもらった、得体のしれない水だ。
笹が飲んで何かあったらと、カガヤ・アクショアは心配そうにしているが
笹は大丈夫ですよ、と微笑むと盃の中を泳ぐ月を一気に飲み干した。
冷たい水が喉を滑り落ち終わると
しばらくして今度は笹の胸の奥から熱い涙がせり上がってくる。
涙とともに思い出すのは、故郷の風景と、そこで見た初恋の人の面影だった。

「故郷にいた頃、
神人になれば背が伸びる。それには牛乳が手っ取り早いらしい
……なんて馬鹿な話を信じていました」

 神人がその素質に顕現する理由は、未だ解明されていない。

 故に、こんなことをしたら顕現するらしい、
もしくは、こうしていれば顕現しないらしいといった類の迷信は
世界各地でまことしやかに囁かれていた。
 恐らくそんな種類の迷信の一つかと、安易に考えたカガヤは
先に続く笹の言葉にショックを受けた。

「この話、実は、わたくしの初恋の方から聞いた物でした。
好きでもないわたくしが付いて回って来るのがうっとうしかったのでしょう……
家で牛乳飲んで頑張れ、と言われました」

 笹は、膝の上で拳を握る。その手は小さく震えていた。

「牛乳を飲み続けた結果、本当に顕現して故郷を出ることになったわたくしを
あの方は嬉しそうに嘲笑って見送っていました。
……それを見るまでその方のこと、大好き、だったのに……」


 笹ちゃん、人見知りなところがあるとは思っていたけど、そんな理由だったのか……

 カガヤの耳がしょんぼりとうなだれる。
 はらはらと落涙する笹の言葉を聞いて
まるで自分の身に降りかかったことのように胸が苦しくなった。

 全ては笹を厄介払いするためだけに男が付いた嘘だったのだ。
顕現した神人はA.R.O.A.に保護される。つまり、タブロスに行かざるを得ない。

 男は、笹の身長へのコンプレックスに付け込んで
笹が顕現するように、遠くへ行ってしまうように、
神人になれば背が伸びるなどと嘘を教えたのだ。

 自分を慕ってくれている純粋な少女を、悪意を以て傷つけたのだ。
笹ちゃんが背を気にしていることを知っていながらの確信犯だとしたら質が悪い、と怒りすら覚える。

「それから」

 涙声で続ける笹の言葉に、カガヤはいったん思考を中断して耳を傾けた。
か細い声が、涙で滲む。

「出会う人に心を寄せる事に少しだけ臆病になりました……
実は、最初はカガヤにも、信用できてない時があって……」

 ごめんなさい、と謝る笹の背をカガヤは優しく抱きしめ
その涙が落ち着くまで小さな子をあやすように背を叩いてやった。

「思いっきり泣いて……いいよ。
世の中そんなに悪意のある人ばっかりじゃないから、大丈夫大丈夫」


最初は俺も、か。

 笹の小さな泣き声を聞きながら、カガヤは考える。
最初はカガヤにも、と笹は言った。では、今は?
こうして、抱きしめる事さえ許してくれるのだから、
それなりに信頼を得ている、と思いたい。

「ねえ、笹ちゃん、最初は俺も、って言ってたけど
今は信用してもらえてるの?」

 あくまで優しく、問い詰めたいわけではないと言外に含ませ
カガヤが笹に尋ねると、カガヤの腕の中で笹は小さく頷いた。

「はい……今は、大丈夫、です」

 その、小さいけれどしっかりした声に、カガヤは胸を躍らせた。
ここまで一緒に過ごしてきて、それなりに笹と仲良くなったと思っていたのが
自分だけだったら、と少し不安だったのだ。

「そっか、嬉しいよ。
そんな状況だったのに、一年も俺といてくれてありがとう。
笹ちゃんは、強いね」

 カガヤの言葉に、笹の胸の痛みがゆっくりと解けていった。
いつの間にか涙も止まり、笹はカガヤの胸の中、やっぱりカガヤは優しい、と思う。
そして、自然と胸の奥で……大好き、です、と呟いたことに気が付いたのだった。




 言えてないこと……?

 盃を受け取って、そのさざめく水面を見つめながらひろのは心の中で繰り返した。

 思い当たる節がありすぎる。

 誰かに胸の内を曝け出すことに、ひろのは未だ抵抗があるのだ。
自分の口から、どんな言葉が飛び出すのだろうと
不安に胸を締め付けられながら、意を決して盃の中の月を煽った。

 不安そうな表情で盃の中身を口に含むひろのの様子を
ルシエロ・ザガンは何も言わずに見守る。

 さて、何を溜め込んでいる、と見つめるタンジャリンオレンジの瞳の前で
ひろのの喉が上下に動いて盃の中身を飲み下すと、鳶色の瞳にじわりと涙が浮かんだ。

 他人に自分の弱い部分を見せることを極端に恐れるひろのが
いくら相手がルシエロであるとはいえ、人前で涙を流すことは滅多にない。
ルシエロは、まるで珍しい宝石でも見たかのような思いでそれを眺め、ひろのの言葉を待った。

「小さい頃から、構ってもらえなくて」

 ぽつり、と
畳に落ちる涙の音よりも小さなひろのの声がルシエロの耳に届いた。
一言も聞き漏らすまいと、ルシエロは耳を欹てる。

「見てくれるの、怒るときだけ。
でも怒られるの、嫌で、静かにしてたら。
皆、おかしいとか、変とか言う。
否定されてる気がして。
私。いない方が、良かったのかな。」

 兄妹の多い家庭で育ったひろのなりの処世術は
もともとの不器用な性格も相まって、非常に消極的なものだ。

 それはルシエロがひろのに出会った頃から続き、今でも根幹は変わらない。
その思った以上に根深い原因にルシエロは唇を引き結んだ。

 生来の気質と育つ環境が合わなかったか。

 それは、誰に責があるわけでもない不運の重なり。
だが、自分で自分の存在を否定し、
ともすればそのまま消え失せてしまいそうなほど弱々しいひろのの声に、
ルシエロは、小さく震えるその存在を留めおくため、確かめるために、
言葉をつづけるひろのを強く抱き寄せると、腕の中に閉じ込めた。

 大きく抵抗したり露骨に嫌がる様子がないのは
多少なりとも自分に信頼を寄せている証か
ただ単に心の闇に囚われて気にしている余裕がないだけなのか。
ルシエロには判別がつかなかったし、今はどちらでも良かった。

 ただ、この腕の中に留まっていてくれさえすればいい。

「ルシェも、」

 不意に呼ばれた自身の名にルシエロはどきりとする。
何か、彼女を不安にさせることをしただろうか。

「私が役に立たないから。怪我して。
足手まといは、いらないって。言われる気がして。
否定されるの、怖くて」

 ルシエロは少し驚いた。
 確かに、いつかの依頼で怪我をしたことがあった。
自分はそこまで意識していなかったため
まさかひろのがここまで気にしているとは思わなかった。

「ルシェ、呼んで良いって言ってくれたの。嬉しくて。
嬉しかったから。……いらないって、言われるの怖くて。
私がいらないか、ずっと、聞けなくて」

 そこまで言うと、ひろのは口を噤む。
どうやら心の内に隠していた物は全て話し終えたらしいと見て、
ルシエロは未だ呼吸が落ち着かないひろのの背を撫でながら口を開いた。

「以前に、オマエ以外はいらんと言ったな」

 ルシエロの落ち着いた声が、ひろのの耳朶を打つ。

 ひろのは、その言葉には聞き覚えがあった。
だが、いらないと言われるのが怖い、なんて
ひろのにしてみれば精一杯の我儘を言ってしまったせいで
ルシエロの反応が怖くてまともに顔を上げることさえできず、ただ頷く。
 ひろのが頷いたのを確認して、ルシエロはさらに言葉を続けた。

「言い方を変えよう。オレにはな、ヒロノ」

 ひろのを抱き寄せた掌に僅かに力が籠った。

「オマエが必要だ。だから、ヒロノ以外はいらん」

 力強いルシエロの言葉にひろのが涙に濡れた瞳をそっとルシエロに向けると
自然と見上げる形となり、タンジャリンオレンジの瞳と目が合った。

「一緒にいても。いいの……?」

 不安気に目を瞬かせて重ねて問いかけるひろのに、
ルシエロはしっかりと目を見て、一言、ああ、と肯定した。
 それを聞き、ひろのは安心したようにふうっと詰めていた息を吐くと、
ゆっくりとルシエロの胸に凭れ掛かる。 

 普段し慣れない、自分の心の内を話すという行動は、想像以上に精神力を使ったようだ。
霞がかかったようにぼうっとする頭の中、しかしひろのの心は快い満足感に満ちていた。

ルシェ、怒ってない。

一緒にいても、いいんだ。

 存在を肯定してもらえた喜びを、じっくりと噛みしめることに夢中で
ヒロノ以外はいらない、というルシエロの言葉を深読みする余裕はなかった。
彼の言葉どおり、これからも、いままでどおり。
ルシエロの隣に相棒として立てる許可を貰えたことが、なによりも嬉しかった。

 接触が苦手で、怖がりで甘え下手か。

 疲れ切った様子で胸に凭れたひろのを見下ろし、ルシエロは胸の内で呟いた。
まったく、手のかかる、と思いながらも
満更でもなさそうにルシエロの唇が弧を描いたのを見ていたのは
夜空に浮かぶ銀の月だけだった。





「月に酔う、か。なかなかいい響きだけどね。
さて悠夜さん、どっちが飲ん……」

 降矢 弓弦が隣に立つ日向 悠夜に視線を向けた時には
悠夜は既に盃を受け取り、中の月を飲み干してしまっていた。
 自分でも驚いた表情をしているところを見れば、どうやら無意識だったようだ。
それほど、心の奥の何かが月の魔力を欲したのだろう。

「ゆ、悠夜さん、大丈夫かい?」

 水を飲み干し、その場に崩れ落ちるように座り込んだ悠夜を心配して
弓弦が屈んで悠夜の顔を覗き込むと、悠夜はその瑠璃色の瞳からぼろぼろと涙を流していた。

 肩が小刻みに震えている。どうやら、立っていられなくなって頽れたようだ。
 弓弦がそっと背に手を添えてやるが、記憶に囚われてしまった今の悠夜には
背に置かれた掌の暖かさもわからないようだった。


 悠夜の脳裏には、ある光景がはっきりと浮かんでいた。
それは、二十年前に起きた流星融合。
旅のさなかで、流星融合とその混乱に乗じたオーガの群れに出くわしたことは
未だに悠夜の胸の奥に大きな傷を残していた。

「あの時、わたしが手を離さなかったら
あの時、わたしが弱くなかったら
あのひともきっと旅をしていたのに
ずっとずっと笑っていたのに
どうして、置いていったの……?」

 俯いて拳を作った悠夜の手の甲を打つ大粒の涙は、
悠夜が心の奥底にずっと閉じ込めていた慙愧の涙だった。

 弓弦は、初めて目にする悠夜の感情を露わにする姿に一瞬驚き動揺するが
すぐに表情を引き締め、真剣な表情で悠夜の言葉に耳を傾けた。
普段は穏やかに笑っている彼女の、その心の奥底の苦しみを分かち合いたいと思ったのだ。

 悠夜は、頬に滂沱と流れる涙を拭うこともなく
心から湧き上がる悲しみに身を任せて、思い浮かぶままに言葉を紡いだ。

「あの日から私は前に進めていないっ!
あのひとに、前を向けと言われたのに!
あのひとの借り物にしがみついている……
借り物の私は……わたしは、だれなの……?」

 迸る言葉の奔流は次第にその勢いを失い、弱々しい悠夜の声が畳の上に落ちた。
心の奥底に閉じ込めていた苦しみを吐き出し終えた悠夜にもう言葉は無く、
悲嘆に暮れた小さなすすり泣きが座敷の中を満たした。

 その震える背に添えられた弓弦の手がゆっくりと動き、悠夜はびくりと体を震わせる。
悠夜の心の傷をそっと包むよう、弓弦が穏やかな声で語りかけた。

「ねえ、悠夜さん。
夏の夜に僕を置いていかないと言ってくれたのは、
寒空の下僕と感情を共にすると言ってくれたのは、
僕の目の前に居る、君だろう?
日向悠夜……君なんだ」

 表情こそ見えないが、弓弦に優しく名を呼ばれ
はっとしたように悠夜のすすり泣きが止まり、のろのろと顔が上がる。
その背をゆっくりと撫でながら、弓弦は言葉を続けた。

「そして、君が言ってくれた様に
僕も同じ思いを持ったんだ」

 涙で腫れた瞼と、熱の籠ったぼんやりした表情の
悠夜の頬に残る涙を、弓弦は親指でそっと拭ってやる。
瞼の奥、ぼうっとしている瑠璃色の瞳と目を合わせ
弓弦はしっかりとした口調で伝えた。

「君が歪みを抱えているならば、その歪みも共にしよう。
明るさしか見せない君だけじゃ足りない、
同じように、君の夜も共にしよう」

 今までになく真摯な色を帯びた金色の瞳に
悠夜はふと、心に浮かんだ疑問を口にした。

「弓弦さん……どうして、
どうして、わたしに……?」

 悠夜は、弓弦がまるで自分ことのように、場合によっては自分のこと以上に
親身になって語りかけてくれることを不思議に思った。
 悠夜にしてみれば、疑問を口にしただけだったが、
弓弦は一瞬照れたように視線を泳がせて考えた後、ほんの少し頬を染めて答えた。

「好きだから、じゃダメかな?」

 その、眉尻を下げて笑う見慣れた笑顔に
悠夜はようやく自分の居場所に立ち返った気がして、堪らず声を上げた。

「わたしも……私、日向悠夜も……!
あなたと同じ気持ちだよ……!
あなたと、一歩ずつ前に進みたい……!」

 悠夜の言葉に弓弦はその手を取り、一緒に立ち上がる。

「ああ、僕らならきっと、何処までも行ける。
ふたり、歩んでいこう」

 二人が一歩足を踏み出すと、
今まで足元にあった畳や二人を囲んでいた壁、そして、空に浮かんでいた月も。
全て音もなく白い光の波となって消え
二人は気が付けば、何の変哲もないショッピングモールの真ん中に立っていた。

 しかし、いつもの景色さえ今の二人には鮮やかに見える。

 「……さて、靴を買わないといけないね。」

 どこか嬉しそうな口調で、出不精だったはずの弓弦が言う。

「君と何処までも行ける、歩きやすい靴を」

 そう言って弓弦は悠夜に笑いかけると、その手を引いて歩き出した。




依頼結果:成功
MVP
名前:日向 悠夜
呼び名:悠夜さん
  名前:降矢 弓弦
呼び名:弓弦さん

 

メモリアルピンナップ


エピソード情報

マスター あご
エピソードの種類 ハピネスエピソード
男性用or女性用 女性のみ
エピソードジャンル シリアス
エピソードタイプ EX
エピソードモード ノーマル
シンパシー 使用不可
難易度 とても簡単
参加費 1,500ハートコイン
参加人数 5 / 2 ~ 5
報酬 なし
リリース日 03月27日
出発日 04月01日 00:00
予定納品日 04月11日

参加者

会議室


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