【薫】包む香りは過去をつれ(青ネコ マスター) 【難易度:簡単】

プロローグ

 香りは時に、記憶や感情を甦らせる。

 貴方は眠りについていた。
 そこは自宅だったか、パートナーの家だったか、はたまた公園だったか、個室のカフェだったか。とにかく何処であれ、ウィンクルムである貴方はパートナーと一緒にいて、そして眠りについてしまっていた。
 そしてそこで夢を見る。
 それは、過去の光景だ。
 隠していた罪で、懐かしい感傷で、宝物のような思い出で、見ない振りをしていた汚点で、他愛無い昔話で、誰にも触らせたくない傷で、くだらない戯れで、分かち合いたい欠片で。
 貴方は夢の中で完全に思い出していた。過去の自分を、その時の感情を。
 そしてそのまま、フッと意識は覚醒した。
「ああ、目が覚めた?」
 目の前に居たのは、自分のパートナーだった。
 記憶と感情を甦らせた香りは、パートナーが用意したものだった。
 偶然、なのだろう。
 貴方はこの過去は相手に話したことが無い。相手は自分がこの香りに関する過去があったなんて知らない。
 いや、それとも分かって用意したのかもしれない。
 思い出した過去が二人の過去ならば、当然相手もこの香りを知っているだろう。知っていて、敢えて用意したのかもしれない。
 偶然であろうと故意であろうと、相手が用意したこの香りのせいで、自分は思い出してしまった事は間違いない。
「何か夢でも見ていたの?」
 尋ねる相手に、貴方は……。

解説

●プランについて
・何処でどちらがどんな夢を見るのか、どうしてその香りのもとを用意したのか、そして起きた後の事を書いてください

●夢
・神人か精霊、どちらか片方だけが見ます
・夢の内容は必ず過去です。未来や願望や間違った記憶や抽象的な映像ではありません
 過去ならばどんなものでも自由です

●香りのもと
・眠ってない方が用意します
・お茶でもアロマオイルでも花でも食べ物でも香水でも何でも構いません
 ただし、場所にそぐわないものは不可とします
 (例:個室のカフェで馬糞)

●場所
・眠ってもおかしくない場所なら何処でも構いません

●そういえば昨日位にちょっといい飲み物や食べ物を買ってしまった気がする
・300Jrいただきます


ゲームマスターより

寿ゆかりGM主催のイベント【薫】エピソードの一つです。

良い夢を見たのか嫌な夢を見たのか、夢の内容を言うのか言わないのか、また、香りを用意したことを責めるのか感謝するのか。
香りに包まれて過去を振り返ってみてください。

リザルトノベル

◆アクション・プラン

リチェルカーレ(シリウス)

  彼の部屋で
茉莉花のお茶を用意している間に 眠ってしまったシリウスを見て目を見張る
今までこんなことはなかったのに
彼の前髪を軽く撫でる 思いのほか長い睫毛にどきりとするがすぐに眉を寄せて
眠れていないのかな …ちょっと顔色が悪い
少し眠らせてあげようとブランケットをかける

呼吸が荒くなったのに気づき 慌てて彼の名を呼ぶ
シリウス?
どうしたの 怖い夢でも、見た?
そっと頬に触れ 落ち着かせようと笑顔を
体を起こす背を支える
…あ、うん 一緒に飲もうかと思って
茉莉花のお茶よ 苦手だった?
顔を伏せてしまった彼に表情を曇らせる
そっとその体を抱きしめて
ーお母さんを思い出した?
返ってこない返事に 抱きしめる腕に力を
泣けない彼の悲しみが伝わる


リーヴェ・アレクシア(銀雪・レクアイア)
  銀雪、まだ少し早いぞ
パウンドケーキが焼き上がってないから、座って待ってろ
さて、アイシングの準備、と

(出来た)

銀雪がやけに静かだな
寝てる…夜更かししたな、これは
仕方ない奴め

(起きるのを待つ)

おや、おはよう
カモミール?
昼前に弟(追加精霊グレイの結婚相手)が来てね
綺麗なのが咲いたとお裾分けに貰った
お前には思い出深いかな
契約したての頃、故郷を離れて慣れない場所で一応私と同じマンションとは言え独り暮らしするお前は随分息苦しそうだったから、息抜きが必要と用意したもののひとつだから
…懐かしいものだな
(あの頃あまりトリップしなかった気がするが、今息するようにトリップするよな)
※親密度上昇に伴いトリップ活性化


ひろの(ルシエロ=ザガン)
  白百合が好きって言ってたから。
任務の帰りに、カサブランカを買って渡した。(貰ってばかりで返したかった
今はリビングの花瓶に飾ってある。(少し恥ずかしい
他の好きは知らない。好きな色も。
聞けば答えてくれるとは、思う。(躊躇して聞けない

ルシェはいつの間にか寝てる。動いたら起こしそう。
寝ててもきれいなのは、ちょっとずるい。

あ、起きた。でも、「……大丈夫?」(少し首を傾ぐ
「さびしそう」ううん、悲しそう?

「ルシェ?」(羞恥で段々赤くなり、耐えられず目を瞑る
!?(変わった体勢に驚く
返事がない。どうしたらいいんだろう。
動いたら、ダメな気がするけど。(大人しく凭れかかる
ルシェの心臓の音、なんか安心する。(眠くなる


アイリス・ケリー(ラルク・ラエビガータ)
  また、この夢
神人になってタブロスへ行って、ウィンクルムになって帰ってきた姉様
折角だからって、姉様が好きなアイリスの花が咲く場所へ
あれ、は…オーガ
守ろうとしたら逆に庇われて、姉様は「死んじゃ駄目、生きなさい」と私に言って石になってしまったけれど
貴方の為に生まれて、貴方の為に死ぬのが役目なのに、どうして…!
置いて逝かないで!

…ええ、とても悪い夢を見ました
あの夢はこの香りのせいですか
夢の内容を話してるうちに意図を理解
私がこんな夢を見ることはラルクさんも予想していなかったんでしょうが…油断してました
貴方がこうやって抉りに来たのは夏以来ですね
青ざめてる自覚はありますが…壊れないためにも、笑わなくては


■白百合
 リビングの花瓶にはカサブランカが飾られている。カサブランカの清純な香りがリビングに満ちている。
(少し恥ずかしいな)
『ひろの』は美しい純白の花を見ながら思う。
 白百合が好き、と言っていた。だから任務の帰りに、カサブランカを買って渡したのだ。そうしたらリビングに飾られたのだ。
 渡した相手は勿論、『ルシエロ=ザガン』
 いつだって貰ってばかりだった。物も、物じゃないものも。ひろのはルシエロと出会ってから、幾つも貰ってきたのだ。
(だから返したかったんだけど……)
 白百合が好きだとは聞いた。だけど、他の好きは知らない。好きな色さえも。
(聞けば答えてくれるとは、思う)
 積み重ねてきた時間と関係がひろのにそう思わせる。けれど、それは絶対の自信ではない。だからひろのは躊躇して聞けない。
 ひろのは小さく息を吐いてから、少し首を動かして横を見る。
 ソファーに座っているひろのの横には、ひろのに寄りかかって眠っているルシエロがいた。動いたら起こしそうで、ひろのはさっきからじっとしていた。
 すぐ間近には、美しいワインレッドの髪に王冠のような角、そして整った顔。鮮やかなタンジャリンオレンジの瞳は今は瞼で隠されているのに、その美が欠けた様子はない。
(寝ててもきれいなのは、ちょっとずるい)
 ひろのはそう思いながら視線を前へと戻す。
 聞こえてくるのは時計が時を刻む音、乱れない微かな寝息。それらを静かに聴きながら、じっと動かずカサブランカを見つめる。
 静かで穏やかで、温かい時間だった。


 そこは歴史を感じさせる館の廊下。
 飾り棚のところに一人の使用人の少女が立っている。十七歳ほどの明るい金髪の少女は、わざとらしく難しい顔をして飾り棚の花瓶にカサブランカを活けていた。
「妙な顔でどうした」
 そう話しかけたのは幼さが抜けつつあるワインレッドの髪の少年。年の頃は十四程だろうか。
「ルシエロ様じゃないですか。妙とは失礼ですね」
 元々こんな顔ですよー、と言いながら少女は笑う。
「どうしてカサブランカなんだ」
「駄目でしたか? お屋敷に飾る花を選ぶのを任されたんですけど、これで大丈夫なのか若干不安でして……もしかしてお嫌いでした?」
「いや、そんな事は無い」
 ルシエロはカサブランカを見て微笑んでから少女の方を向く。
「白百合は好きだ」
「本当ですか? よかった、実は私も白百合好きなんです」
 完全に自分の趣味で選びました、と言う少女に、ルシエロは喉を鳴らして笑った。
 この屋敷に使用人は何人もいる。ルシエロにとって他の使用人とこの少女は違う存在だった。
 屋敷の主人の子供、そして使用人。立場は違う。けれど気軽に交わされるやり取り。
 ルシエロはそんな時間が好きだった。
 好き、だった。
(そうか、これは夢だ)
 現実のルシエロが意識する。するとこの過去の映像が遠のいていく。
 これは夢で、過去だ。
 もう、終わった時間なのだ。


 隣で身じろぎする気配を感じて、ひろのは花からルシエロに視線を移した。
(あ、起きた)
 ゆるりと起き上がるルシエロの顔を見て、ひろのは少し首を傾げて尋ねる。
「……大丈夫?」
「なにがだ」
 寝起きを感じさせないはっきりとした声でルシエロが返せば、ひろのは一言零す。
「さびしそう」
 零してからひろのは小さな違和感を覚える。さびしさよりも……。
(悲しそう?)
 それを言おうか逡巡していると、ルシエロが「そう見えるのか」と口を開いた。
「懐かしい夢を見た」
 ぽつりと呟いて、小さく溜息をついた。
 部屋に満ちているカサブランカの香り。これがルシエロの過去と結びついたのだろう。
 ルシエロは右手を伸ばしひろのの頬に触れる。
「ルシェ?」
 どうしたのかと尋ねる前に、ルシエロの頬に添えられた右手が、右手の親指が、ひろのの下唇をそっとなぞった。
 いつもと違う様子に困惑しながら顔を赤くしていくひろのに、ルシエロは口づけするように顔を寄せていく。
 唇にある指の感触。近づいてくる綺麗な顔。
「―――ッ」
 ひろのは耐えられず目を瞑った。と、同時に、ルシエロは顔を近づけるのをやめ、ひろのをぐいっと抱き寄せるとそのまま倒れてソファーに沈み込んだ。
「!?」
 ルシエロの上に乗っかる形になってしまったひろのは、その体勢に驚く。
「る、ルシェ?」
 けれど返事はない。どうしたらいいのかと考えていると、ひろのを包む腕が緩められた。
 今なら、起き上がって、離れることが出来る。
(……動いたら、ダメな気がするけど)
 さっきのルシエロの顔を思い出しながら、ひろのは大人しく凭れかかる事にした。
 そうして体にかかった重さに、ひろのが逃げない事実に、ルシエロは安堵する。
(ルシェの心臓の音、なんか安心する)
 聞こえてくるのは時計が時を刻む音、温かな命の音。それらを静かに聴きながら、ひろのは重くなる瞼を心地良く感じていた。
 カサブランカの香りに包まれながら。





■カミツレ
「銀雪、まだ少し早いぞ」
『リーヴェ・アレクシア』は予想よりも少し早く来た『銀雪・レクアイア』を、調理器具を片手に迎え入れた。お茶をするために銀雪を招いたが、その準備はまだ整っていなかったのだ。
「パウンドケーキが焼き上がってないから、座って待ってろ」
「わかった」
 銀雪は通された部屋の椅子に座る。
 台所からはリーヴェの気配。爽やかな甘い香りはパウンドケーキに使われたフルーツだろうか。
 何となく幸せを感じて微笑みながら目を瞑れば、夜更かしをしたせいか眠気が襲ってきた。
「……さて、アイシングの準備、と……」
 台所からのリーヴェの声を聞きながら気付く。
(あ、カモミー……)
 甘い香りは、部屋に置かれたカモミールからだった。
 銀雪がそのまま眠りについて数分後。
(出来た)
 リーヴェはお茶の用意が出来、そこで銀雪が自棄に静かなことに気付く。
「銀雪?」
 声をかけながら部屋へ入れば、そこにはぐっすりと眠っている銀雪がいた。
「寝てる……夜更かししたな、これは」
 仕方ない奴め、と苦笑してから、リーヴェも椅子に座って寛ぐことにした。
 銀雪が起きるまで。


 銀雪がタブロスに来たばかりの時、故郷の田舎とは違うこの都会に馴染めていなかった。
 ウィンクルムとなった事に、神人であるリーヴェに、不満なんて無かった。それでも変わってしまった環境は銀雪にストレスを与えた。
 何が悪いという事は無い。ただ、しんどい。だけど慣れなければ。
 そんな日々を送っていたら、リーヴェが銀雪をお茶に呼んだ。
「いらっしゃい」
 迎えてくれたリーヴェは銀雪にスコーンと紅茶を振舞った。
 テーブルの上には、カモミールの花。
(同じだ……)
 実家にもテーブルにカモミールが置かれていた。
 出されたスコーンと紅茶は、タブロスに来てから一番美味しかったような気がした。いや、一番良く味わえたと言えばいいのか。
 そのお茶の時間だけは、変わってしまった環境を忘れられた。心が安らいだ。
 これからもここで頑張っていけると思えた、そんな時間だった。
 その後、銀雪はリーヴェが銀雪の母に連絡をして実家と同じお茶の時間を用意してくれたのだと知る。
(嬉しかったなぁ)
 元々、一目惚れだったのだ。そんな彼女が自分の為に、自分の不調を気付いて気遣ってくれたのだ。
(凄く好きになったなぁ)
 甘い香りがする。美しく咲く花の香りが。
 これは、幸せの香りだ。


「寝てた!?」
 銀雪は言いながら飛び起きる。そして瞬時に状況を把握する。
「おや、おはよう」
 からかうようなリーヴェに、恥ずかしいような情けないような気持ちになって、誤魔化すように笑いながら視線を彷徨わせた。
 そこで、テーブルの上に置かれた花の存在に改めて気付く。
「あ、カモミール、どうしたの?」
「カモミール?」
 言われて、ああ、とリーヴェは説明する。
 昼前に弟が来て、綺麗なのが咲いた、とお裾分けされたのだと。
「そっかお裾分けか」
「お前には思い出深いかな」
 微笑むリーヴェに、銀雪は胸がじわりと温まるのを感じた。
「……覚えてるんだ、嬉しい」
「勿論覚えているさ」
 故郷を離れて慣れない場所で独り暮らしする銀雪は、リーヴェの目から見ても随分息苦しそうだった。だから息抜きが必要だと思ったのだ。
「……懐かしいものだな」
 言葉通りの表情で微笑むリーヴェは美しい。
 この美しい人が自分の神人なのだ。
(きっと、リーヴェには当たり前の行動だった。けど……俺には宝物。だから、リーヴェが好き。いつか……)
 いつかリーヴェと幸せな家庭を持って、そこにはやっぱり今と同じようにカモミールを置いて、リーヴェが美味しい料理を俺の為にいつもいつまでも……!
(うーん)
 リーヴェは目の前でどこか遠い世界という名の妄想世界に旅立ってしまった銀雪を見ながら過去を振り返る。
(あの頃あまりトリップしなかった気がするが、今息するようにトリップするよな)
 どうしてこうなったんだろう。そう思いながらリーヴェはパウンドケーキを切り分け紅茶を入れる。
 カモミールの香りにケーキとお茶の香りも混ざる。
 甘く温かい空間は作られ、さて、銀雪はいつこちらの世界に気付くのか。
 それは過去にもあった光景で、これからも何度もある光景だろう。





■綾目
 さし出された花に、『アイリス・ケリー』は一瞬固まった。
「どうした?」
「いえ」
 けれどすぐに何も無かったように受け取って、持ってきた『ラルク・ラエビガータ』を家へとあげた。
 さし出された花は、アイリス。
 自分の名前と同じその花を飾って椅子に座り、細く長く息を吐く。
 その時、目を瞑ってしまったのが悪かった。
 疲れていたのか、今を見たくなかったのか。アイリスの意識はスッと沈み込んだ。
「アイリス?」
 ラルクが気付いた頃には、アイリスは夢の世界へと旅立っていた。
(アイリスの家とはいえ、俺の前で寝るなんざ珍しい)
 寝顔を見ながらラルクは口の端をあげて笑う。
 アイリスが眠った事に対しての笑いではない。花を見せた時の、一瞬の静止。それを思い出して笑ったのだ。
(この花に何かあるっていう俺の勘は当たったみたいだな)


(また、この夢)
 アイリスの姉はアイリスよりも先に神人として顕現していた。
 神人になって、タブロスへ行って、ウィンクルムになって。
 そしてその日は訪れた。
 姉が帰ってきた日、折角だからと姉が好きなアイリスの花が咲く場所へ二人は出かけた。平和で、幸せな外出になるはずだった。それを覆したのは……。
「あれ、は……オーガ」
 現れた存在に、姉の為と生きてきたアイリスは姉を守ろうとするが、姉は逆にアイリスを庇ったのだ。
 どうしてこんな事が起こりうるのか。
 だって姉はウィンクルムで、オーガを倒す存在で、私が守るから、パートナーである精霊が守るから、神人である姉はオーガに狙われても食べられてしまうなんて、そんな馬鹿な事は、そんな。
「姉様!」
 オーガに魂を吸われていく姉を、目の前で見ていた。
 これは夢だ。けれど、現実にあったことだ。
 混乱、恐怖、絶望、いまだに信じがたく認めがたいこの過去の光景は、何度だってアイリスの傷を抉ってくる。
「死んじゃ駄目、生きなさい」
 姉様。
 貴方はそう言って石になってしまった。この私に。
 貴方の為に生まれて、貴方の為に死ぬのが役目の私なのに、どうして……!
 姉様、姉様、嫌だ、姉様!
「置いて逝かないで!」


「よう、お目覚めか」
 夢の中で叫んだところで、アイリスは目を覚ました。目の前にはアイリスを見てニヤニヤと笑っているラルクがいた。
「酷い顔してるぜ、悪い夢でも見たか?」
 まるで夢を覗き見していたかのような言い様に、アイリスはまだはっきりとしない頭で答える。
「……ええ、とても悪い夢を見ました」
 返して、貰ったばかりの花を見る。夢の中でも見た花だ。
「あの夢はこの香りのせいですか」
 納得して、アイリスはぽつぽつと夢の内容を話す。思い出すように、刻み込むように、忘れないように。
 ラルクにとってその過去はもう聞いていたものだった。だから話すアイリスの様子を見ながらお茶を飲み静かに話を聞く。
 口を挟むことはない。ただアイリスが話すだけだ。
 そうして話しているうちに、アイリスはようやく意識がはっきりする。はっきりすれば、この状況を、いや、この状況を作り出したラルクの意図を理解する。
 一通り夢の内容を話したアイリスは、じとりとラルクをねめつけた。
(お、何か気付いたか)
 アイリスの様子の変化をラルクは楽しげに見る。そんなラルクを見てアイリスは苦い顔になる。
(私がこんな夢を見ることはラルクさんも予想していなかったんでしょうが……油断してました)
 そう、油断していた。
「貴方がこうやって抉りに来たのは夏以来ですね」
「夏? ああ、フィヨルネイジャのあれか。どうせ花も姉貴絡みだとは分かっちゃいたが、あの夢でこっちのやり口を見せちまったからな。なもんで、手を変えたってわけだ」
 ―――狙い以上にヤられたみたいで、何より。
 そう言ってラルクはニッコリと笑う。
「アンタ、自分で言ったろう? 俺はアンタを救うんじゃない、壊す奴だってな」
 分かっていた筈だ。
 ラルクが偶然あの花を持ってきた筈が無い。優しさや慰めで持ってきた筈も無い。そういう男だ。分かっていた筈なのに、抉られた。
(青ざめてる自覚はありますが……壊れないためにも、笑わなくては)
 アイリスは一度静かに深呼吸をする。
「ええ、言いましたし、ちゃんと覚えてますよ」
 しっかりと切り替えて美しく微笑むアイリスに、ラルクは「そうこねぇとな」と喉で笑って温かなお茶を飲み干した。





■茉莉花
『リチェルカーレ』は目の前の珍しいもの目を見張った。
(寝てる……)
 目の前には静かに寝息を立てている『シリウス』がいた。リチェルカーレがお茶の用意をしている間に眠ってしまったようだ。
 ここはシリウスの部屋で、だからシリウスの気が緩んでいるという事もあるのだろうが、それでも珍しい。
(今までこんなことはなかったのに)
 リチェルカーレはシリウスの前髪を軽く撫でる。さらりとした髪の下に思いのほか長い睫毛が見え、リチェルカーレはどきりとするが、すぐに眉を寄せてしまう。
(眠れていないのかな……ちょっと顔色が悪い)
 健康的とはいえない顔色に、リチェルカーレは心配し、少し眠らせてあげようとブランケットをかけた。
 お茶は、起きた時に入れなおせばいい。
 温かなジャスミン茶は、香りを漂わせながら緩やかに冷めていく。


 夜にはほとんど眠れて居なかった。
 瓶を覗いた時に見た過去の光景、凄惨な悪夢をまた見るようになっていたから。
 気が緩んだのは、自分の部屋だから、というわけではなかった。リチェルカーレがいた事で気が緩んだのだ。
 けれど気が緩んだことで眠ってしまえば、シリウスが辿り着くところは終わってしまった過去の時間だ。
 小さな家だった。
 春になると咲いていた庭の隅の白い花を覚えている。良い香りは印象的で春の喜びを表しているようだった。
(壊されてしまう前だ)
 シリウスは夢の中で自覚する。
 日の光は明るく温かく、いつもの夢とは違う穏やかな空気が流れていた。焦るように走る自分も居なければ、恐怖も悲鳴も嫌な匂いも無い。優しい香りが満ちている。
 きっとここには欠けているものが無い。すべてがある。失われていない。
 まだ、失われていない。
 いつも見る悪夢とは違う。けれど目の前にあるのは悪夢の中に出てくるのと同じ自分の家がある。
「何をしているの? 早く入っていらっしゃい」
 扉越しに、聞こえる声。ああ、やはり失われていない。生きている。まだ、生きている。死んでしまった人が、今は。
 心臓が痛むのを感じながら、シリウスはゆっくり開く扉を見ていた。
 扉の向こう、家の中に佇む人影は、よく見えない。
 微笑む口元だけが、見えて、そして。

「シリウス」

 夢で呼ばれた声は、現実で呼ばれた声と重なった。
 今、自分が何処にいるのか瞬間わからなくなったが、目の前に飛び込んできた心配そうなリチェルカーレ顔を見て、シリウスはゆっくりと息を吐いた。
「どうしたの。怖い夢でも、見た?」
 呼吸が荒くなったのに気付いてシリウスの名を呼んでいたリチェルカーレは、目を覚ましたシリウスの様子にやはり心配する。
 そっと頬に触れ 落ち着かせようと笑顔を見せれば、シリウスもゆっくりとまばたきをしてから、大丈夫だ、と首を振る。
 心を静める事は出来た。それでも、浮上する事は出来ない。
 リチェルカーレに支えられながら体を起こせば、覚えのある香りに気がつく。
「……なんの香りだ?」
「……あ、うん 一緒に飲もうかと思って。茉莉花のお茶よ 苦手だった?」
 シリウスは指し示された先のティーセットを見てその香りに納得し、僅かに口元を歪めて顔を伏せた。
 あの白い花は見えない。けれど香りは間違いなく同じで。
「―――茉莉花は、母が好きだった花だ」
 顔の見えないまま告げられた内容に、リチェルカーレは表情を曇らせ、そっとシリウスを抱きしめた。
 シリウスは反応しない。俯いたまま、それ以上何も語らない。
「―――お母さんを思い出した?」
 そっと尋ねてはみるが、答えは返ってこない。ただ抱きしめる腕の中で、シリウスが微かに首を動かした。肯定とも否定ともつかない、答えにならない答え。
 上手く返せないのだ。
 見た夢は、いつもの悪夢ではなかった。
 嫌な夢ではなかったのだ。
 それでもおぼろげに浮かんだ母の笑顔は、その後に続く真紅のあの日にかき消される事を思い出させる。あの幸せは必ず壊される。どれほど優しく温かく穏やかでも、幸せでも、必ず、あの悪夢が襲ってくるのだ。
『お母さんを思い出した?』
 思い出したのは別に今日に限ったことではない。そして思い出しては奪われる。
(いっそ全て忘れてしまえたらいいのに)
 そうすればあの喪失の痛みを味わうことはないのに。
 それでも、忘れられない。忘れられるわけがない。
 沈黙を続けるシリウスに、リチェルカーレは抱きしめる腕に力を込める。
 こうして強く抱きしめることで、一人で泣けないシリウスの悲しみが伝わる気がした。
 何をすればいいのだろう。
 リチェルカーレはシリウスを抱きしめ続ける。一緒にいたい、力になりたい、と思っている自分に、もっと何か出来る事ないかと考えながら。そして、シリウスの悲しみが少しでも癒される事を祈りながら。
 茉莉花の香りは、消えかけていた。
 いつかもう一度お茶をいれる、その時は、どうか―――……。



依頼結果:大成功
MVP

メモリアルピンナップ


エピソード情報

マスター 青ネコ
エピソードの種類 ハピネスエピソード
男性用or女性用 女性のみ
エピソードジャンル ハートフル
エピソードタイプ ショート
エピソードモード ノーマル
シンパシー 使用不可
難易度 簡単
参加費 1,000ハートコイン
参加人数 4 / 2 ~ 4
報酬 なし
リリース日 03月27日
出発日 04月02日 00:00
予定納品日 04月12日

参加者

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