《贄》キスツス・アルビドゥス(こーや マスター) 【難易度:普通】

プロローグ

●私は明日死ぬだろう
 ウィンクルムだけが訪れることが出来る天空島『フィヨルネイジャ』。
女神ジェンマの庭園とされるだけあって、清らかな空気と美しい緑に溢れている。心地よく、時の流れを忘れさせてくれる場所だ。
 それは、庭園の美しさ以外にも理由がある。この場所では『現実では起こりえない現象』を、現実のことのように味わうことがある。
白昼夢のようだが、白昼夢と決定的に違うことはパートナーとその夢を共有できる点にある。二人で見る現実のようで現実でない夢を求めて、今日もウィンクルム達がフィヨルネイジャを訪れる。



 数百年前、恐ろしく強力な力を秘めたオーガ――ギルティの封印に人々は成功した。
始まりのウィンクルムが現れるよりも以前の話。暴虐の限りを尽くすギルティに、一人の女が己の命を差し出したのがことの始まり。
女はギルティを前に、自ら命を断った。女の血はギルティに降り注がれたが、魂が肉体を離れていない以上、そんな抵抗は無駄だとギルティは嘲笑った。
 けれど、死んだ女の魂を喰らおうとした途端、その体が石化したのだ。周囲の人間は我にかえるや否や、石となったギルティを破壊しようとしたが、叶わなかった。
彼らはギルティの体を湖へ沈めた。二度と災厄が目覚めぬことを祈りつつも、水底の石の様子を見続けた。
 月日は流れ、ウィンクルムが生まれて暫くの後。湖に眠るギルティの体は、石から肉へと徐々に戻り始めていた。
人々は慄く。まだ、早い。まだ、ギルティに打ち勝つことは出来ないと、全てのウィンクルムが理解していた。
仮に勝てたとしても、今いるウィンクルム達の殆どが喪われるに違いない。
 水底のギルティ以外にも、何体ものギルティがいる。ギルティよりも遥かに弱いオーガに至っては、山ほどいる。
そんな中、ようやく手に入れた人類の希望であるウィンクルムを絶やしてしまうわけには行かなかった。
 自然と、もう一度封印する手段を人々は模索した。ギルティを封じた女の事、水底に眠るギルティの事を調べに調べて辿り着いた可能性。
――神人の命を捧げることで、ギルティの封印は成ったのではないか。
 人々を救えるかもしれないなら、と一人の神人が自らを犠牲にすることを希望した。
その説を証明すべく水底で神人が命を絶つ。広がっていく女の血に包まれたギルティは――



 扉が静かに開かれた気配を感じ、君はそっと瞼を開いた。月明かりが濡れた睫毛を照らす。
この場所に入ってきた人物が誰かは分かっている。君は振り返ることなく、彼を待った。
まだ、お互い口は開かない。今、この一分一秒がどれだけ貴重なものか、分かっているのに。
 明日、君は死ぬ。人々を救う為に、命を捧げなくてはいけないから。
そして、あの月が中天に昇るまでが刻限。共に歩んできた精霊と過ごせる、最後の時。
君とパートナーは、この僅かな時間にどんな言葉を交わし、何を思うのだろうか。

解説

●参加費
ものすごくそんな気分になったので、寄付しました 600jr

●状況
神人が生贄として死ななくてはいけなくなりました
ちなみに、神人本人の希望となります
神人が命を断つまでの僅かな時間で、どんな会話をするのか、何を思うのかをプランにお書きください

リザルトは二人の最後の会話が終わるまでと、夢を見終わった後の描写となります
死ぬ瞬間の描写は行いません
念の為に付け加えておきますが、『らぶてぃめっと』は全年齢向きゲームであることをお忘れなく

●その他
このギルティの話は、今回の白昼夢のみでのお話
現実には起きてないことなのであしからず

ゲームマスターより

合言葉はフィヨルネイジャ便利。
「もし、神人か精霊が死ななくてはいけなくなったとしたら」というコンセプトのゆるーい連動です。
連動タイトル《贄》は寿ゆかりGMから頂きました。感謝感謝。

リザルトノベル

◆アクション・プラン

淡島 咲(イヴェリア・ルーツ)

  私の犠牲でギルティを封じることができるなら私にとっては願ってもいないことです。
精霊には怪我を負わせて戦わせているのに神人の私はいつも見てることしかできなくて。
私の犠牲でイヴェさんや家族を守ることができるのならばそれを望みます。
優しいイヴェさんはきっと悲しむだろうけれど…。
これは私の望みでもあるのです。

家族の事、とくに妹の事をよろしくお願いします。あの子は寂しがり屋さんだから私が居なくなったらきっと寂しがるから傍に居てあげてほしい。
…私って醜いですね妹の傍に居てあげてほしいと思うのにイヴェさんに妹を愛してほしくないの。私以上を作ってほしくないなんて。

そんな風に思ってしまうくらいに愛しています。


篠宮潤(ヒュリアス)
  ●夢の内
湖近くの、あてがってもらった個室にて
「うん。家族、には…ちゃんと話してきた、よ」

少しだけ、意外そうに精霊見上げ
「怖い、よ…勿論」
「…今なら、『彼女』が最期、笑顔を向けてくれたまま逝った気持ち、分かる…から」
「僕、を…思い出してくれる、なら…笑顔、がいいな、って」
だからずっと笑ってるって決めたんだ、と

●目覚め
「ヒュ、ヒューリ、あのっ、不可抗力、だってば!」
追いかけながら

「でも、僕は…この夢、見れて良かった、よ?」
「ウィンクルムである以上、こういうこと、だって、起こりうるかも、しれない…から」
諦めない覚悟、学んだ気がするから

「一緒に、考えて…くれる?」
いつかの日、諦めず一緒に生きる方法を…



月野 輝(アルベルト)
  アル、ここに入ってきてからずっと黙ってる
そっと表情を窺ってみたけど、いつもと違って笑顔は消えてて
からかいの笑みでもいいから笑ってて欲しかった…なんて無理よね
ごめんね、ずっと一緒にいるって、私は死なないって約束したのに

自分の選択を後悔はしてないけど、アルを独りにしてしまう罪悪感
私よりも良い神人が見つかるわよ
思わず口を突いて出た言葉

アルがこんな風に本気で怒ったの初めて見たわ
敬語じゃなくなったのも初めてで
でもそれがとても嬉しくて
貴方を一人残していくのを決めた酷い神人なのに
最後にこんな幸せでいいのかしら
ありがとう、アル
私、ずっと幸せだった……


今の…夢?
やだ、もう恥ずかしい…

ね、これからも敬語やめない?



豊村 刹那(逆月)
  「嫌だったんだ」(月を見上げたまま

視線に振り向く。
「家族と逆月が死ぬかも知れないのが」
私でその確率を下げられるなら、そうしたい。

「ただの逃げだよ。強くなんて、ない」
死ぬのは、怖い。でもそれ以上に、皆が危険な目に遭うのが怖い。
自己満足だ。
それに封印だけだし、先延ばしでしかない。

「私も、逆月とまだ居たかったよ」(微笑
ドキドキさせられたけど。たぶん、……好きなんだろうな逆月の事。
こんな間際に自覚するなんて。
「え、いや。ちょ」(顔真っ赤

最後、だし。いいか。(背中に手を回す

覚醒後:
あれ?「生き、うわぁ!?」

簡単に心の傷は癒えないか。
でも「同じ事があれば、同じ事をするよ」

で、いつまでこのままなんだ。(羞恥



紫月 彩夢(紫月 咲姫)
  部屋の隅、壁に凭れて座ってる
考える事は一杯
怖いよ、そりゃ
でも、自分で決めた事だから
それを、咲姫にだって、否定されたく…なかったんだけど

咲姫の顔見たら引き返したくなりそうだから、俯いたまま
けど、ゆっくりとした咲姫の声に、思わず顔を上げる

震えてるくせに
何でそんな、最期まで綺麗なの
最期の最期で、思いっきり兄貴面なの
咲姫が言うと、本当にそうなるように聞こえるから狡い
うん…おやすみ
また、あしたね


フィヨルネイジャ、結構えげつないわね…
ん。ほら
手を繋いで、笑う咲姫を見上げて
考える
生まれ変わった先でも待ってる、なんて
理解する
咲姫は、あたしの為に、当たり前みたいに命を捨てちゃうんだ
…そんなん、させるか
守る。絶対



●すれ違う願い
 自身の命を投げ出す時間が刻一刻と迫っているにも関わらず、淡島 咲の表情は落ち着いている。穏やかだと言ってもいいほどだ。
澄んだ湖面のような咲の瞳は小波すら見せない。
 イヴェリア・ルーツは、白い衣装を着た咲の隣に静かに腰を下ろした。
顰められた眉の下にある黄金の瞳の輝きは暗い。いまなお、何故なのか、これでいいのかという疑問が渦巻いている。
 咲の目と唇が柔らかな弧を模る。さらり、緩く結われた長い髪が白い布地の上を滑り落ちた。
白い衣装が月光を照り返し、咲の姿はぼんやりと光っているように見える。
「私の犠牲でギルティを封じることができるなら、私にとっては願ってもいないことです」
 咲の言葉にイヴェリアの眉間の皺が深くなる。
何故受け入れてしまうのだと。そんなことどうでもいいのにと。言葉にこそ出さなかったものの、イヴェリアの瞳は雄弁すぎるほどに語っていた。
 想いを通い合わせたからこそ、咲はイヴェリアの疑問が手に取るようにわかった。
「私の犠牲でイヴェさんや家族を守ることができるのならば、それでいいんです」
 いつも、後ろで見ているしかなかったから――
紡ぎ出された言葉に誘われるように、イヴェリアは咲の横顔を見た。
「イヴェさんは怪我をして戦ってくれているのに、神人の私は後ろで見ていることしか出来なかったから」
 瞼を閉ざせば容易に思い出せる。戦場での黒い髪と背中。自分は戦えないからと、後ろから見ているだけだった。
胸に抱いていたのは無力感。他の神人達のように何とか戦う手段があったのかもしれないけれど、出来なかった。
 けれど、今度は違う。
自身の命と引き換えではあるものの、大事なイヴェリアと家族を守ることが出来る。
「優しいイヴェさんはきっと悲しむだろうけれど……」
 これは、私の望みでもあるのです。
穏やか過ぎる囁きだというのに、咲の声がイヴェリアの耳に焼きついた。
 イヴェリアはぐっと強く拳を握った。皮膚を傷付けるほどの痛みがあるというのに、それ以上のものが胸に纏わりついている。
搾り出すように思いを口にする。
「俺にはサク以上に必要なものがない」
 咲はそっと目を伏せた。イヴェリアの眼差しから逃れるように視線を逸らす。
それでもイヴェリアの声は咲を追う。
「……サクを犠牲にした世界で俺が生きていけると思うのか?」
 握り締めたイヴェリアの拳から血が滴る。どれほどの血を流すことになっても、この話を『なかったこと』する覚悟だってある。
実行に移さないのは、咲が望まないから。咲の気持ちは揺らぐ余地が無いほどに固まりきってしまっている。言葉を重ねても、彼女の覚悟は揺るがない。
 イヴェリアの悲痛な望みも、差し出した手も、彼女は拒絶する。この沈黙こそが咲の答えなのだと、イヴェリアは理解してしまっていた。
 咲の犠牲は美しい反面、悲しすぎるとイヴェリアは思う。
咲を犠牲にする世界は本当に正しいのだろうか。けれど、それを望んだのは咲自身でもある。これは彼女を否定することになるのだろうかと、苦悩する。
 残された僅かな時間に挟まれた長い沈黙。その末に、咲は静かに呟いた。
「家族の事、とくに妹の事をよろしくお願いします」
 妹は寂しがり屋だから、と言う咲の声が僅かに震えていたことをイヴェリアは見逃さなかった。
咲の手に触れようとして、躊躇う。血が滲む手では咲を汚してしまうと懸念したが、逆に咲が救いを求めるかのようにその手を絡め取った。
「……私って醜いですね。妹の傍に居てあげてほしいと思うのに、イヴェさんに妹を愛してほしくないの」
 大切な妹だからこそ、妹を支えて欲しいと思う。けれど、ある意味においては一番怖い存在でもある。
その恐怖は常に咲の傍にあった。死が目前に控える今でも足元に潜んでいる闇だ。
「私以上を、作って欲しくないんです。……そんな風に思ってしまうくらいに、愛しています」
 泣いてはいないが、睫が濡れていることが咲の怯えを語っている。自身の血で滑ることなどお構いなしに、イヴェリアは咲の手を強く握り返した。
安心させるように穏やかに、強い意志を口にする。
「キミの家族を守ることはきっと出来ないキミの妹を思う事も決してない」
 ぱたり、ぱたり。咲の両眼から涙が滴り落ちる。
イヴェリアは拭ってやりたいと思ったものの、それ以上に今は咲の手の感触を刻み込みたかった。何物にも邪魔されない咲の顔を焼き付けておきたかった。
「大丈夫だ」
 念を押すように告げる。咲は涙を流しながらも、くしゃりと笑った。これで充分幸せだと言いたげな笑み。
イヴェリアは胸の内で囁く。――俺もすぐ逝く、と。
 咲の涙が重ねあった二人の手に落ちた。
二人分の手の腕に雫が描いた軌跡を、残酷なまでに穏やかな月明かりが照らしていた。


 夢だったという事実に、イヴェリアは心底安堵した。隣にいる咲は未だ眠ったままだが、直に目を覚ますだろう。
恐る恐るその頬に手を伸ばした。咲は苦しそうに顔を歪めている。
「大丈夫だ」
 夢と同じように、呟いた。何度も何度も頬を撫でる。
その度に咲の表情が穏やかになっていく。
「大丈夫だ」
 もう一度だけ、呟いた。絶対に、咲だけを見る。
だから、置いて逝かないでくれ。強く、強く願った。



●予感と未来
 嫌な予感はしていた。確信していたといっても過言ではない。アルベルトはパートナーの事をよく理解していたからこそ、彼女がどうするか分かっていた。
予想が外れる事を願っていたが、月野 輝が選んだ道はアルベルトの予想していた通りのものとなってしまった。
 普段のアルベルトのにこやかな笑顔は鳴りを潜めている。聞き慣れた声も、部屋に入ってきたからは一度も聞いていない。
そっと様子を窺っていた輝は視線を自身の手元に向けた。固く組み合わせた手は今の二人のように見える。
からかいの笑みでもいいから笑っていて欲しかったと思う。それが無理な話だとは輝も分かっている。
 輝は躊躇う心を叱咤し、組み合わせた手を更に強く握った。言わなくてはいけない言葉がある。
「ごめんね、ずっと一緒にいるって、私は死なないって約束したのに」
 輝はもう一度、今度ははっきりとアルベルトの様子を窺った。眼鏡のレンズは月光を反射し、アルベルトの瞳を隠している。
目が合っているのかどうかさえ分からないが、輝はアルベルトを見つめる。
 輝の視線を遮るようにアルベルトは眼鏡のブリッジを持ち上げた。
「約束なら私もしましたね……必ず守ると」
 いつもよりも低く聞こえる声で、自分が不甲斐ない、とアルベルトは呟いた。
守れないならばいっそ、輝を見送ったら自分も――そんな考えが脳裏に浮かぶ。けれど、それは胸の内に秘めておく。
 アルベルトの言葉を聞いた途端、罪悪感が輝の体を覆った。肩に圧し掛かる重さに息が詰まりそうだった。
寂しさを滲ませながらも口の端を持ち上げて、ぽつりと零す。
「私よりも良い神人が見つかるわよ」
 思わず浮かんだ言葉を声にしただけだった。何の意図があったのかは輝自身にも分からない。
何か言わなくては、言葉を紡がなくては、と気持ちが急いだだけだった。笑顔が見たい一心だったのかもしれない。
 顔を見れば、彼を笑顔にする言葉を見つけられるだろうか。
そう思った輝が顔を上げるよりも先に、アルベルトの怒号が降りかかった。
「馬鹿な事を言うな!」
 びりびりと空気を介して伝わる怒り。眉間に刻まれた皺は深く、握り締められた手は激情のあまり震えている。
後ろで結ばれた濃い緑の髪が逆立っているようにも見えた。初めて見るアルベルトの様子に輝は言葉が無い。
「輝の代わりになる神人なんてどこにもいる訳がない。他の誰とも契約なんてしない、したくもないっ」
 荒い息と共にアルベルトの肩が上下する。射抜くような強い視線を受けながらも、輝は怯まなかった。
むしろ、嬉しさを感じる。輝相手でも欠かさなかった敬語を忘れていることに、彼は気付いているのだろうか。
 輝はゆっくりとアルベルトの頬に手を伸ばした。指先から伝わるものは温かく、こんな状況だというのに胸が満たされていく。
自然と唇が弧を描いているのを輝は感じた。
「貴方を一人残していくのを決めた酷い神人なのに、最後にこんな幸せでいいのかしら」
「怒鳴られて幸せだとか……輝はマゾですか」
「アルが嬉しくなるようなことを言うからよ」
 輝の声と眼差しがあまりにも穏やかで、アルベルトは苦笑いを零す。
月夜に照らされ輝く鴉の濡れ羽色の髪に指を絡める。艶やかで柔らかなこの質感に触れるのも、これが最後となる。
「ありがとう、アル。私、ずっと幸せだった……」
「私も幸せでしたよ。大丈夫、独りでなんて逝かせませんから」
 輝の笑みに涙が浮かぶ。浮かんだ涙が零れるよりも先に、アルベルトは輝の体を引き寄せた。
驚きもせず、輝は大きな腕の中に身を委ねる。アルベルトの背に腕を回すと、いっそう強く抱きしめられた。流れ始めた涙はもう止まらない。
 自分が選んだ道に悔いは無い。それは胸を張って言える。
温かな胸と優しい腕から離れるのは辛い。幸せなのに、こうしていられるのは後僅かでしかないことが、悲しい。
輝はアルベルトの肩に顔を埋めて泣いた。月が沈んでいくのが余りにも早すぎて、切なかった。


 さやさや、枝葉の揺れる音が耳に届く。ほんの少し重たい瞼を持ち上げ、輝は周囲を見回した。
大きな木の幹を支えにアルベルトと寝入っていたようだ。いつの間に、と思うが、フィヨルネイジャではいつものことである。
「今の……夢? やだ、もう恥ずかしい…」
 頬が赤く染まる。少し熱く感じるが、心地よい風が頬の熱を冷ましてくれた。暖かな空気の中に、爽やかな風が吹き抜けていく。
 輝はもたれかかっていた大樹を見上げた。夢を見る二人を女神ジェンマがここに運んでくれたのだろうか。
昼寝には少々強すぎる日差しから木陰で守ってくれたのなら、女神も優しいなと思う。見た夢は少々、いや大分と意地が悪かった気がするが。
 アルベルトの眼がゆっくり開いていくのが見え、輝は覗き込むようにしてアルベルトの顔を見た。
「おはよう、アル」
 アルベルトは応えず、ずれていた眼鏡を調えてから輝を見つめ返した。
輝がここにいる、生きているのだと実感し、安堵する。
「待ちましたか?」
「ううん、私も今、目が覚めたばかり」
「そうですか」
 女神も意地が悪い――溜息と共にアルベルトが呟く。
輝はクスリと笑い、そうね、と同調し、少しばかり身を乗り出した。
「ね、これからも敬語やめない?」
 突然の提案にアルベルトが目を見開いて驚いたのは一瞬のことで、すぐに穏やかな笑みが浮かぶ。
「判った。輝は特別だからね」
「本当? 嬉しい」
 輝は幸せそうに笑った。穏やかな幸せに満たされた女の子の笑みだ。
夢の中で見た笑顔と同じだというのに、アルベルトにはいっそう光り輝いて見えた。



●温もり
 窓から差し込む月光。その根源を豊村 刹那は見上げた。
柔らかな光を纏った美しい円形のルーメンはただただ綺麗で。きっと、反対の空ではウィンクルム達の月が闇に溶けるような濃紺の光を放っているのだろう。
 隣に立つ逆月も同じように月を見上げていた。一陣の風が吹き込み、二人の髪を揺らしていく。
「何故、名乗りを上げた」
 静かな問い掛けでありながら、詰問の色を帯びている。
刹那は眼鏡のレンズ越しに月を見上げたまま、小さく口を開いた。
「嫌だったんだ」
 明確な意思を持った答えに、逆月は刹那へと視線を移す。
白い衣装を着た刹那は視線を感じ、目を閉じる。ゆっくりと体ごと逆月へと体を向けながら目を開く。
「家族と逆月が死ぬかも知れないのが」
 強い言葉だった。刹那の声に一切のぶれが無い。
言葉と同様に強い視線が逆月の視線と絡み合う。逆月は逃げることなく視線を受け止めた。
「強いな」
「ただの逃げだよ。強くなんて、ない」
 自嘲交じりの苦笑いが刹那の顔に浮かぶ。
死ぬのは怖い。でも、自分の死よりも皆が危険な目に遭う方が怖い。
二つの恐怖を秤にかけて選んだだけの自己満足。それを『強い』と評されることは面映くて仕方がない。
 すいっ、と月明かりを掻き分けるように逆月の手が刹那の頬に触れた。
温かい、けれど、常よりも低い体温は夜のせいだからだろうか。何度も感じた柔らかな温かさに触れる機会は、もう二度とこない。
「俺は」
 刹那は言葉を切った逆月を見つめたままだ。次を急かすことも、別の言葉で遮る事も無く、ただ、逆月の言葉を待つ。
「まだお前と居たいと、そう思う」
 暫しの沈黙。刹那は逆月の言葉を反芻し、やがて、ふわりと微笑んだ。
終わりが迫って、漸く気付いた己の気持ち。ドキドキさせられた。楽しかった。多分、好きだったのだ。
「私も、逆月とまだ居たかったよ」
 名前通りの刹那的な笑みが逆月の胸を締め付けた。考えるよりも先に体が動く。手で、尾で刹那の体を引き寄せる。
「え、いや。ちょ」
 強い女の小さな体は易々と逆月の腕の中に収まった。顔を赤く染め上げた刹那の手が所在無さげに宙を泳ぐ。
その様子を逆月は音で感じ取っていた。こうやって慌てる刹那も、これが最後。何も出来ないことが歯痒い。
 刹那のささやかな抵抗を物ともしない体に、ぎこちなく腕を回す。
最後なのだ。だから、いいだろう。そう自分に言い聞かせて、おずおずと背中に触れた。
 逆月は刹那の体に絡めていた尾を解いた。抱きしめた腕はそのまま。
全身に刹那の温もりを刻み込む。何があっても憶えていよう、と刹那の黒髪に触れながら思う。
守れなかったこの温もりを、刹那ではなく、永遠に――


 ばっ、と刹那の体が跳ね起きた。
自身の両手、服、隣にいる逆月へと視線を移していく。焦りから荒くなっていた息が徐々に落ち着いていく。
「生き、うわぁ!?」
 突如、刹那の体が引っ張られた。状況が読めない中、自身の体を抱く腕を見、そして振り返る。
刹那の肩に顔を乗せた逆月は、眉を顰めていた。耳元で大声があがったせいで痛かったらしい。
「俺は、また。守れぬのかと思った」
 刹那を抱く腕に力が篭められる。ぽんぽん、と撫でるように腕を叩いてやる。心の傷は簡単に癒えないのだと、実感した。
けれど――
「同じ事があれば、同じ事をするよ」
 変わらぬ意思、あまり聞きたくない言葉。逆月はさらに腕に力を加えた。
痛みを感じるほどだったが、刹那はそれを訴えることはしなかった。変わらず、宥めるように腕を叩く。
 それだけの傷なのだろうとは思う。思う、が。
「……いつまでこのままなんだ」
 頬を赤く染め、呟く。聞こえているに違いないが、逆月は腕を解こうとはしなかった。
夢の中で最後だと思った、本来の刹那の温もりを堪能する為に、一分でも長く、一秒でも長く、腕の中に閉じ込めた。



●二度目の悪夢
 本人が決めた以上、どうにも出来ない。頭で理解していても、割り切ることは出来ない。その理由の答えをヒュリアスは持っていない。
ふぅと小さく息を吐いた。嫌な空気だ。篠宮潤に気負った様子が見えないから、余計にそう感じてしまうのかもしれない。
「……家族には?」
 違う、と即座に胸の内で自分が繰り出した問いを否定する。確かに聞いておくべきことではあったが、本当に聞きたいことは別にあるというのに。
自身に苛立つも、潤はその事を知らない。空色の髪を見上げ答える。
「うん。家族、には……ちゃんと話してきた、よ」
「そうか……」
 続ける言葉を持たず、ヒュリアスは再び黙してしまう。
いつもは跳ね気味の潤の髪が目に入る。儀式に向けて整えられた髪は月の光に照らされ、柔らかな紫へと変貌している。
 ほんの数ヶ月前のことを思い起こすには充分だった。ラベンダーの湯に足を浸し、空虚な過去を潤に話した日。
『知りたいことは自分で聞く』という約束通りに潤が動いたのだ。ならば、自分はどうすべきか。
 潤の顔へ視線を移すと、彼女は微笑んでいた。怖くは無い、と言っているような気がする。
ようやく言いたい言葉が定まった。
「……死への恐怖は……無いのかね?」
 搾り出した唯一の問いには、苦悩と苦痛が隠されている。
対して、潤は少しばかり意外そうな顔を浮かべた。そんなことを聞かれると思っていなかったと言いたそうな表情だ。
潤が首を傾げると、白い衣装がさらり、衣擦れの音を立てる。
「怖い、よ……勿論」
 すっ、と潤はヒュリアスから視線を逸らし、月を見た。紫水晶の瞳は穏やかに月を見上げている。ヒュリアスの眉間に僅かな皺が刻まれる。
それ以上は言い辛いのかとも思ったが、潤の言葉を一言一句噛み締めるべくヒュリアスは続きを待った。
「……今なら、『彼女』が最期、笑顔を向けてくれたまま逝った気持ち、分かる……から」
 その言葉でヒュリアスは気付いた。
逃げる為ではなく、今は亡き人に想いを重ねる拠り所として月を選んだのだ。
「僕、を……思い出してくれる、なら……笑顔、がいいな、って」
 潤は一度目を閉じ、すぐに開いた。笑みをより深いものに変えてから、ヒュリアスに顔を向ける。
その表情が『彼女』と重なり、ヒュリアスは胸が詰まった。
「だから……ずっと、笑って、るん、だ」
 嗚呼、そうか。この感情が、もどかしいというものなのか。
この笑みに応えれば、潤に、いや、『彼女』の気持ちに触れることが出来るのだろうか。知ることが出来るのだろうか。
 小さく息を吐き、ヒュリアスは真っ直ぐに潤を見つめ、そして――


 ヒュリアスは柔らかな芝の上を足早に進んでいく。
清浄な空気と暖かな日差し、気持ちよい風、川のせせらぎ、これらのどれもがヒュリアスを宥める助けにはなりえなかった。
「ヒュ、ヒューリ、あのっ、不可抗力、だってば!」
 潤は必死にヒュリアスの後を追う。体格差もあって、小走りでようやく追いつけるくらいだ。
つい、とヒュリアスは潤に射抜くような視線を向けた。あまりの剣幕に潤は思わず怯む。
「俺に……二度も友を失わせるつもりだったのかね」
 重い言葉だった。潤自身、その気持ちを理解出来るだけに、すぐに言葉を返せなかった。
立ち止まりかけ、すぐにまたヒュリアスを追う。だんだん息が上がってきたが、気にしてはいられない。
「でも、僕は……この夢、見れて良かった、よ?」
 ヒュリアスは思わず足を止め、振り返った。小さな肩を弾ませる潤は、言葉を探ってはいるようだがヒュリアスの様子を窺ってはいない。
ヒュリアスの琥珀の瞳を真っ直ぐに見つめている。潤に怯えの色は無く、心を決めた女の眼をしていた。
「ウィンクルムである以上、こういうこと、だって、起こりうるかも、しれない……から」
 この夢を見て、どういう想いで『彼女』が笑っていたのか分かった気がするから。
諦めない覚悟があったのだと、学んだ気がするから。だから、この夢を見ることが出来て良かったと思う。
 ヒュリアスは大きく溜息を吐いた。自分よりも潤の方が、『ウィンクルム』であることを理解していた。
彼女の方が大人だと思う日が来るとは思ってもみなかった。潤の言葉を今一度噛み締め、反省する。
「で、も」
 潤は左手の甲に視線を移した。契約を交わした神人の証である赤い文様。
ぎゅっと、文様を右の掌で包む。
「次は、本当にそう、なった時は、一緒に、考えて……くれる? 」
 懇願するように潤はヒュリアスを見上げた。琥珀色の瞳に先程の鋭さはもう無い。
あるのは未来を探る者の決意。
「…ああ」
 勿論だ、と強く頷く。いつ訪れるか分からない、いつか。諦めたくない、一緒に生きたい、と潤は全身で訴えている。
それはヒュリアスとて同じこと。決して夢のような決断をさせる気はない。二度目を許す気など毛頭ない。
 青空の下、男は誓いを胸に秘めた。
曇りない心で、決して違えないと強く誓った。



●また明日
 紫月 彩夢は部屋の隅にいた。壁に凭れ掛かり、膝を抱えて座っている。
表情は固く、紅玉髄の瞳は不安で揺れている。
 背後に紫月 咲姫の気配を感じた。この選択は、誰にも、特に咲姫には否定されたくない。それに、咲姫の顔を見ると意思を翻しそうな気がして。
彩夢は俯いたままで、振り返ることが出来なかった。
怖い。でも、自分で決めたことだ。愛し、慈しんでくれた家族を失いたくは無いからと、自分で決めたのだ。
 こつり、こつり、と咲姫が近付いてくる音がする。考えることは一杯ある。例えば、自分が死んだ後、どうなるのか。
そして、思い出すことは山ほどある。咲姫の足音と共に思い出が押し寄せてくる。
 子供の頃、『姉』と共に遊んだ日々。迷子になった時は、両親よりも先に『姉』が探しに来てくれた。
家族皆に誕生日を祝ってもらったこと、男である『姉』が自分よりも綺麗で女の子らしいこと羨ましくて、そのことが気に食わなくて。
顕現したもののパートナーがまさかの『姉』だったことも、気に食わなかった。
けれど、契約を交わして任務を重ね、時間を重ね。分かってはいたけれど、『姉』ではなく『兄』なのだという実感が募ってきて――
「お話、いい?」
 思い出の海に逃げていた彩夢に、咲姫はゆっくりと問い掛けた。彩夢は俯いたままで、言葉を返さない。
咲姫はそれを了承と受け取った。自身のスカートの裾と彩夢の衣装に気をつけながら、彩夢の隣に腰を下ろす。
そして、静かな動作で彩夢を引き寄せた。壁にはない温もり。彩夢は抵抗せず、咲姫に凭れ掛かった。
 彩夢は知らず知らずのうちに力を入れてしまっていたのだろう。衣装が皺になりかけている。
膝を抱え込んでいた手を離し、膝の上に置きなおした。
「あのね、彩夢ちゃん。少し眠って、目が覚めたら、また、今日まで見たいな毎日を過ごそうね」
 ゆっくりと咲姫は言った。言葉と声音の穏やかさに驚き、彩夢は思わず顔を上げた。
咲姫は笑っていた。月明かりに照らされた顔は優しく、綺麗で。けれど、その手が小刻みに震えていることに彩夢は気付いた。
「……震えてるくせに。何でそんな、最期まで綺麗なの。最期の最期で、思いっきり兄貴面なの」
「だって私は……俺は、彩夢の生まれ変わる未来に、当たり前に兄としているから。彩夢が何度『今日』を選んでも、何度でも、君の先に生まれて、君を待つよ」
 彩夢はきゅっと唇を引き結んだ。そうしなければ泣いてしまいそうだった。
いや、彩夢は泣いていた。堪えることは出来なかった。ぼろぼろと涙が頬を伝い、落ちていく。
「だから泣かないで、最期じゃないから」
「……咲姫が言うと、本当にそうなるように聞こえるから狡い」
 しゃくりあげそうになるのだけは堪えきる。けれど、涙は止まらない。咲姫は何度も指先で優しく涙を拭う。
「おやすみって、笑って言ってよ。大丈夫。彩夢の幸せな未来は、必ず、俺が作るから」
 ね? 咲姫が再び微笑みかけた。彩夢は大きく息を吸い、湧き上がる涙を押し止める。
浮かんでいた涙を自分で拭い、出来る限りの笑顔を浮かべて見せた。
「うん……おやすみ。また、あしたね」


 むくり、と彩夢は体を起こした。隣で寝ていた咲姫も体を起こし、自分の体についた草を軽く叩き落としてから、咲姫の髪や服についた草を落とし始めた。
どちらの表情も硬い。
「フィヨルネイジャ、結構えげつないわね……」
「……どうせなら楽しい夢を見たかったわね」
 愛の女神は、何故こうも残酷な夢を見せたのだろうか。覚悟して、選択して、途切れる未来。来ない明日を来ると断じて、未来を描く。
こんな辛さを知りたくはなかった。
「帰りましょ、彩夢ちゃん」
 二人して立ち上がり、やはり服についた草を払う。スカートを調える咲姫を待ちながら、彩夢は大きく伸びをした。
咲姫は眩しいものを見るかのように目を細め、彩夢を見つめる。
「……ね。手、繋いでいい?」
 突然の申し出に彩夢は驚かなかった。当たり前のように手を差し出す。
「ん。ほら」
 咲姫は感触を確かめるように、壊れないようにそっと手を握った。伝わる確かな体温に、笑みが浮かぶ。
安堵したようにも見える微笑みを見上げ、彩夢は考えた。夢の中の咲姫の言葉の意味を。
「心配しなくていいよ、彩夢。何があっても、俺は彩夢の味方だから。だから、何も恐れずに、選んでいいよ」
 彩夢の表情をどう思ったのか、咲姫は優しく語り掛ける。
その言葉で、彩夢は理解した。気付き、息を呑んだ。『生まれ変わった先でも待ってる』。
つまり、咲姫は自分の為に当たり前のように命を捨てるつもりなのだ。
 彩夢は奥歯を噛み締めた。睨むように、隣を歩く兄を見つめる。
咲姫は『兄』で、『精霊』で、彩夢を守るには充分すぎるほどの理由をもっている。けれど、それとこれとは別だ。
 そんなこと、させるものか。守る。絶対に、だ。
手を繋いでいない、左の手を強く握り締める。赤い文様が燃えるように熱を持ったような気がした。




 フィヨルネイジャの主でもある愛の女神ジェンマ。美しい庭園で広げて見せた残酷な夢。
愛の女神でありながら、何故このような夢を見せたのか。傷付いた先に確かめるものがあるとでも言うのだろうか。
 ある者は自身の影と、ある者は過去、またある者は根底を、夢の中で対峙した。
その意味はどこにあるのか。この先に何があるというのか。
――女神の御心は誰にも分からない。



依頼結果:大成功
MVP
名前:紫月 彩夢
呼び名:彩夢ちゃん
  名前:紫月 咲姫
呼び名:咲姫

 

メモリアルピンナップ


エピソード情報

マスター こーや
エピソードの種類 ハピネスエピソード
男性用or女性用 女性のみ
エピソードジャンル シリアス
エピソードタイプ EX
エピソードモード ノーマル
シンパシー 使用不可
難易度 普通
参加費 1,500ハートコイン
参加人数 5 / 2 ~ 5
報酬 なし
リリース日 06月18日
出発日 06月23日 00:00
予定納品日 07月03日

参加者

会議室

  • [6]月野 輝

    2015/06/21-23:53 

    挨拶遅れちゃったわ。
    こんばんは、初めての方には初めまして、
    そうじゃない方にはお久しぶり、あるいはいつもお世話様です。

    ずっと一緒って約束したばかりなのよね、私。
    なのにアルを独り置いてく決断って、もの凄く……
    どうなるかしら、ね……。

  • [4]紫月 彩夢

    2015/06/21-23:44 

    紫月彩夢よ。会った事…の、無い方は、居ないっぽいわね。ちょっとだけ安心。
    どうぞ、よろしく…ね?

    フィヨルネイジャ、あんまり行く機会もないから楽しみにしてたんだけど…
    ……うん。
    ま、いつだってあたしにできる事しかしないわけだし、いつも通りよね。

  • [3]篠宮潤

    2015/06/21-22:05 

    篠宮 潤、だよ。
    みんな、と、お話は、出来なそうなの、は…残念、だけど、どうぞよろしく、だ。

    …ふ、不可抗力、なんだけ、ど…っ
    ヒューリが、不機嫌になる、気がして…ならない、よ(ビクビク…)
    うう…説得、が、頑張、る…!

  • [2]淡島 咲

    2015/06/21-21:07 

    淡島咲です。よろしくお願いします。

    とっても切ない夢。
    私が出した答えをイヴェさんどう感じるでしょうか…。

  • [1]豊村 刹那

    2015/06/21-20:11 

    豊村刹那だ。よろしくな。

    まさかこんな白昼夢になるとは思わなかったけど。
    うん。私の想いは何にしろ変わらないさ。


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