プロローグ
朝、笑顔を振りまいていた空が、昼すぎてぐずり始め、夕方の声を聞く頃にはもう、駄々っ子みたいな大泣きをはじめていた。
電車の窓から灰色の街並みを眺め、あなたは力なくため息をつく。
せっかくの定時退社なのに、はずんだ心も台無し。今朝天気予報チェックをしなかったのは失敗だった。
傘を持ってきていない。
コンビニでバカ高いビニ傘を買うのはしゃくだし、かといっておろしたてのワイシャツを雑巾にするのもいただけない。
あと考えられるのはせいぜい、じっと空をにらみ小振りなるのを待って、一気に世界陸上障害物千五百メートル走(社会人の部)に挑むことぐらいだ。運が良ければ靴が、小さな水たまりになる程度ですむだろう。
ところが、改札を出たところであなたは見知った顔に出くわした。
精霊……あなたの契約相手たるパートナーである。
「偶然通りかかってよ」
などとはにかみ笑いする彼の腕には、緑の傘が二本下がっていた。
「偶然?」などと問い返す野暮はするまい。「どうしてここに?」というのもよくないだろう。
あなたはここは大人として、
「そうか奇遇だな」
とさらりと流して、傘をひとつ、受け取るだけのことである。
……というのはあくまで一例だ。
五月の気まぐれな空がもたらした突然の大雨、嬉しい蛇の目のお迎え、ふたりそろって濡れネズミ、駆け込んだ雨宿りの軒先で急接近……などなど、あなたと彼だけの物語をここに紡いでみようではないか。
解説
五月の突然の雨。これがもたらした小さな、けれども、記憶に残る出来事を描きたいと思います。
ある日大雨に見舞われたあなたと精霊が、がどんな風に過ごすか教えて下さい。(本文に書いた話はモデルケースですが、もちろんこのシチュエーションに当てはめていただいても構いません)
突然の雨、というテーマさえ押さえていただければ、どんな展開でもOKです。
モデルがあったほうがいい、というのであれば、たとえば……。
●出かける予定が大雨で中止となり、不満たらたらのあなたを精霊が慰める。
●大雨に興奮し、「外で修行しよう!」と言い出した精霊に付き合わされることになったあなた。
●雨を肴に窓際で、突然はじまるふたりきりの宴会。
なんていうのはどうでしょう?
どうぞ自由に発想してみてください。
なお、参加費ですが、傘代や飲食費等で、アクションプランに応じて300~500Jr程度かかるものとさせていただきます。
ご了承下さい。
ゲームマスターより
お世話になっております。GMの桂木京介です。
六月は割と傘を持って出かけますよね。ところ五月だと「五月晴れ」のイメージがあるせいか、なんとなく傘を持たず出かけてしまいがちです。
で、そうすると意外と降る雨にでくわし途方に暮れてしまいます……と言うのは私だけでしょうか(汗)
あなたのプランを楽しみにお待ち申し上げております。
次はリザルトノベルでお目にかかりましょう! 桂木京介でした。
リザルトノベル
◆アクション・プラン
アキ・セイジ(ヴェルトール・ランス)
AROAに用事があり2人で街を歩いてたら豪雨 ◆ ビルの張出しの下で僅かばかり雨を弱める 鞄に手を伸ばす *中にはこんなこともあろうかと折畳傘 けど、ランスの言葉に傘を持っていると言いだせなくなる 言い出せないうちに言わない事が後ろめたくなる コーヒー好きには魅力的な誘い出し ランスの笑顔が小気味良いし それに、手を引かれたら… 高級ホテル最上階は高級カフェ 凄く高い店だな いや…そうではなく(汗 視点を変えて見てみるといつもと違う一面が見えるって本当だな ランスが高級店に溶け込む様とか、 雨が街を包むヴェールのようだとか、 コーヒーが凄く美味いとか、 心地よいひと時に寛ぐ 良い時間を過ごせたと天使の梯子が照らし始めた景色に思う |
セイリュー・グラシア(ラキア・ジェイドバイン)
ラキアの家へ遊びに来ていた時に雨が降って来たんだ。 雨で少し気温が下がって涼しい。 窓を開けて雨の音を楽しんでいたら「みぃ、みい」って か細い声が聞こえて。 庭にちみっこい猫が2匹。黒猫と茶虎だ。 身を寄せ合って木の陰で震えててさ。 「放っとけないぜ」とラキアと2人で保護。 温かくしてあげなきゃ。猫は寒がりだから。 お湯を沸かして『ポカポカ・アッタマール』に入れ 猫箱に入れてじんわり温める。 「1人で世話は大変だから。オレも暫くここに詰めて2人で世話してあげようぜ」と。 名前は暫定でクロとトラだな。 正式な命名はお医者さんで性別とか月齢とか解ってからの方が良さそうじゃん。 「20年一緒に暮らすなら子供と一緒だよな」笑顔 |
アイオライト・セプテンバー(白露)
>おうちで留守番 あ、雨だ 確かパパ、傘持たないでお買い物行ってたっけ じゃ、あたしがお迎え行こうっと そんで「よく出来ました」って頭なでなでしてもらうんだもん(名案 レインコートでしょ、長靴でしょ、傘でしょ…全部着たよー じゃ、いってきまーす! あっめあめーざっぶざぶー♪ たっのしいなー♪ あたし、雨の日も好きだよ 新しい傘(オーバーナイトドリーム)させるし、かわいい長靴履けるし パパ、レインコートのあたしも可愛いって言ってくれるかなあ? パパはっけーんっ お迎えに来たよ☆彡 だから、御褒美におやつ買って買って(名案忘れた …あ、 パパの傘忘れてきちゃった ねー、相合い傘しよー(にこにこ お手々繋いで一緒に帰ろ、ね?(再び名案 |
フラウダ・トール(シーカリウス)
取引先との商談の帰り道 「参ったな」 普段なら事務所にいる精霊に電話して迎えにでも来させるんだが 目についた店の軒先に駆け込んで一息 さてどうするか 考えていたら精霊が駆け込んできたので驚いたよ 「呼び出しの電話は掛けてないはずだが、通じたのか?」 「こうしていても不毛だな。どこか喫茶店でも入るか?」 精霊「何で俺がお前と一緒に雨宿りする前提なんだ」 「まあ良いだろう?コーヒー代くらいは出してやる」 精霊「今日は休みだ。付き合う義理はない」 つれない返事がつまらないが同時に面白くもあるな 「それじゃあ、雨の中で二人で踊るか?」 新聞を読みながらコーヒーを飲む 精霊の仏頂面はいつもの事なので気にしない 「明日、また事務所で」 |
レン・ユリカワ(魔魅也)
魔魅也と自宅へと帰る途中、突然の雨。 魔魅也の行動に 「ありがとうございます。でも魔魅也さんとジャケット濡れちゃいますよ」 申し訳なく思うが (あ、魔魅也さんの煙草の香り…) いつも漂う、彼の香り 慌てて雨宿り 濡れた魔魅也を心配し、シャツ姿の彼に 「魔魅也さんこそ風邪ひかないでくださいね」 彼の首筋の赤い痕を見つけ 「魔魅也さん、首、虫指されですか?」 「家に着いたら薬を…」 雨音に紛れてか細い動物の鳴き声 声は段ボール箱から 覗き込めば、震える子猫(種類はキジトラ) 「…魔魅也さん。家に連れ帰って保護してもいい…ですか?」 「捨て猫と決まったわけじゃないですし、雨が止んだら『迷い猫預かってます』って張り紙しましょう」 |
●新しい『ウチのコ』
「雨だな……」
セイリュー・グラシアは窓の外に目をやった。
ほんの三十分も前には、よく晴れていた気がする。いや、それどころかセイリューがほんの少し、ラキア・ジェイドバインの夕焼け色の髪に目を奪われていた隙に、さっと空が壁紙を貼り替えたような気すらするのだ。
開けていいかと断って、セイリューは窓を開けてみた。
なかなか盛大に降っていた。おかげか少し気温が下がったようだ。空調を入れたように涼しい。
風はほとんどなく、透明な雨はただまっすぐに降ってくる。さああああっという降水の音はなんとも穏やかで、下手な環境音楽よりずっと、心を和ませてくれるようにセイリューは思った。
「あれ……?」
ふと彼が、目を留めたものがあった。
「傘なら心配いらない。うちにたくさんあるから」
ラキアが声をかける。セイリューの横顔が曇ったのをすぐに察したのだ。
「いや、帰りのことを気にしてたんじゃないんだ」
セイリューは首を振って外を指さした。
「ほら、庭のあそこに……」
本日は久々の休日、それも、まったく予定がないという完全オフの日だ。セイリューはラキアの家に招かれ、彼の部屋にてふたりでくつろいだ時間をすごしていた。
きれいに片付いた部屋、木目調のテーブルにはレースのクロスがかかっており、そこには揃いの白いティーカップが並んでいる。
もちろん会話はするがずっとしゃべりあうわけでもない。一緒になにかをしたりしなかったり、目的らしい目的のない時間だった。けれどそうやって同じ空気を分かち合うのは、なんだかとても貴重なひとときのように思えるのだから不思議だ。
童話に出てくるような煉瓦造りの家には小さな庭があった。
セイリューが指し示したのはその片隅だ。
「猫だな」
「うん」
雨音に混じって聞こえてくるのは、ともすればかき消されそうな、か細い「みぃ、みぃ」という鳴き声だ。
なんとも小さい、二匹の猫だった。
黒猫と茶虎、身を寄せ合って木の陰で震えている。
「放っとけないぜ」
窓から離れるとセイリューは、一も二もなく玄関に向かっていた。
「待って」
セイリューを追ってラキアは傘を二本手にする。たしかにその傘立てには、片手では数え切れない程の傘が整然と挿されていた。
セイリューがかがみ込むのと、ラキアが彼に傘を差し掛けるのは同時だった。
「大丈夫か」
猫に言っても仕方がないと知ってはいるが、それでも、セイリューは声をかけずにはいられない。それほどに弱々しく、哀れを誘う姿だった。
「付近に親猫の姿はない。飼い主に捨てられたのかもしれないね。可愛そうに」
近くで見ればよくわかる。ようやく目が開いた程度の幼さだ。母親の保護がなければたちまち死んでしまうだろう。
「二匹は兄弟かな」
色こそ違えど黒と茶虎は顔立ちも耳の形もそっくりなので、まずラキアの見立て通りだろう。
「よしよし、寒かったし心細かったろう。温かい家に行こうな」
セイリューが手を伸ばすのだが、二匹は細い足でじりじりと逃げようとする。けれども衰弱しており、捕まえるのは簡単だった。濡れるのにも汚れるのにもためらうことなく、ラキアが二匹を胸に抱いた。
くしゃっ、と黒猫がくしゃみをした。
「濡れて冷えただけじゃなく風邪引いているみたい。くしゃみしてるし目脂が酷いし」
「よくわかるなラキア」
「専門家ってわけじゃないけどね。セイリュー、傘を頼むよ。この子たちが濡れないように」
専門家ではないとラキアは言ったが、そこからのラキアの行動の早さ、的確さにセイリューは舌を巻いた。まず彼は二匹をしっかりとタオルで拭き、最弱にしたドライヤーで乾かして、その一方でセイリューに段ボール箱の用意を頼んだ。通販会社の箱が組み上がるとそこにまた新しいタオルを敷いて猫たちを入れ、毛布をかけてあげたのである。すべててきぱきと素早く、まったく無駄がなかった。
「手際がいいなラキア……なんていうか、お母さんって感じだ」
「せめてお父さんと言ってよ。お湯はどう?」
「おう、準備できたぜ」
その間、セイリューはアヒル特務隊『ポカポカ・アッタマール』を用意していたのだった。これをそっとセイリューは猫の簡易宿舎に入れた。
「温かくしてあげなきゃ。猫は寒がりだから」
本来このアヒルは、いわば歩く魔法瓶といったお役立ちアイテムなのだが、こうやって使えば湯たんぽ代わりにもなる。子猫とアヒルのオモチャが同居しているようで、なんとも絵になる光景だった。
しばらく不審げにアヒルをつついていた二匹だが、さっと同時に振り向いた。
「さすがに鼻がいいみたいだね」
ラキアがしらす干しを、冷たいご飯にまぜて小皿で出してきたのだ。よほど空腹だったのか、二匹とも嬉しげな声を上げてこれにかぶりつく。
「あいにくとキャットフードはないけれど……ちょうどこういうのもあるんだ」
さらに彼はマグロの刺身も冷蔵庫から出してきた。
「すごいなラキア、刺身なんて買ってたんだ」
「俺は生魚ってそう食べないんだけどね。セイリューが食べるかと思って」
「オレ用? 今日は夕飯前には帰ろうかと……」
「こういう機会ではセイリューっていつも、帰宅が遅くなって『帰って作るのが面倒だ。なんかないか? なんでもいいぞ』なんて言うじゃないか」
「読まれてる……」
たはは、と額に手を当てるセイリューだ。実際、ラキアの家に来るとそうなるのが常だった。
空腹だったのだろう、猫はときどきくしゃみをしながら、すごい勢いで刺身も平らげていく。
「ほれぼれする食べっぷりだな。食欲がある限りは大丈夫って気になる。うん」
「まったくだよ……でも、どうしたものかな」
と言ったときにはもう、ラキアは心を決めていた。だから続けてこう言う。
「庭には猫に危険な植物も植えているし、『ウチのコ』にしないと危ないよね」
待ってましたとばかりにセイリューは応じた。
「賛成だ。けど、ラキアひとりで世話は大変だろう。オレもしばらくここに詰めてふたりで世話してあげようぜ」
「いいのかい?」
「いいに決まってる!」
「そうだね。家族にしようね」
ラキアの頬は緩んだ。猫のかわいらしさ、家族が増えたという喜びはもちろん、セイリューが「ふたりで世話しよう」と言ってくれたことにも、ポカポカ・アッタマールさながらに暖かな気持ちになる。セイリューは自覚していないかもしれないが、こんなとき、ラキアにとって彼は本当に頼もしい存在なのだ。
やがて満腹したのか少しだけマグロを残した状態で、二匹は大きな、まん丸い目で彼らを見上げた。前足をそろえており、「ありがとう」と言っているように見えた。
「名前は暫定でクロとトラだな」
「暫定?」
「正式な命名は、お医者さんで性別とか月齢とか解ってからの方が良さそうじゃん」
「うん。雨が止んだらお医者さんに連れて行かなくちゃ」
幸い窓の外を見ると、やや小降りになってきたようだ。いずれ止む気配だった。
「さっと決めてしまったけど、いいのか……ラキア? 猫を飼うってのは、すごく長いつきあいになるってことだぜ」
「もちろんそのことは考えたよ。でもねセイリュー、俺は思うんだ。家の庭にこの子たちが現れたのも何かの縁だ、って。縁なら大切にしたいな」
ラキアの横顔はとても崇高で、可憐で、気高くて……また突っ込まれるかもしれないけれど『聖母のようだ』とセイリューは言いたくなる。
「さあ、そうと決めたらこの子たちには元気になってもらいたい。二十年は生きてくれると良いね!」
「二十年か。それだけ一緒に暮らすなら子どもと一緒だよな」
笑顔とともに何気なく告げたセイリューの言葉だったが、この一言はその後もずっと、ラキアの胸に刻み込まれることになった。
――そうだね、子どもみたいなものだよね。
二匹とはずっと一緒にいてあげたい。
さあ、雨が止んだ。出かける準備をしよう。
●天使の梯子
特筆するほどでもない用件だったが、ちょっとした手続きがあってアキ・セイジとヴェルトール・ランスは、A.R.O.A.に小一時間ほど滞在した。
A.R.O.A.を後にするとき、たしかにセイジはこう言ったのである。
「晴天だ。気持ちがいいな」
と。
ところがどうだ。それから散策がてらぶらぶらと街歩きをしていたら急遽、空が反旗を翻したのである。
反旗うんぬんは大袈裟すぎようか。要するに、突発的な大雨だ。
「どうなってるんだ……まったく」
テレビのチャンネルを変えたような天気の急変ぶりがまだ信じられないといった口調で、セイジは頭をハンカチで拭った。セイジの黒髪はしっとりと濡れそぼっている。
豪雨に襲撃されて二分後、なんとかビルの張り出しにたどりついたセイジとランスだ。
「ま、こんなこともあろうかと……」
セイジは肩から鞄を下ろして中を探る。用意周到こそ彼の生き様、小型だが折り畳み傘を持ってきていたのだ。
ところがランスはたちまちこれを察するや先んじて言う。
「どうせにわか雨だろ。雨宿りしてこうぜ」
「いやしかし……」
「この後予定でも?」
「まあ、今日の用事はさっき済んだところだが……」
セイジはまだ何か言おうとしている。折り畳み傘を出す気だろう、とランスはすでに読んでいた。
ランスにはこのとき、思いついたことがあったのだ。傘が出てきたらそれもおじゃんである。
このままセイジの行動を許せば、相合い傘で駅まで行くことになるだろう。
小さな傘に身を寄せ合って、一本の柄をふたりで握りあう。手と手が重なって指が絡んで……それはそれでいいかもな――と一瞬思いかけたランスだったが、いやいや待てよと思い直した。今、ランスの志は、そんな低いところにはない。
「ちょうどほら、ここ高級ホテルだって知ってたか? 中に入ってる喫茶店が、美味いコーヒーを出すんだよ」
「美味いコーヒーか……」
ランスは見て取った。セイジには迷いが生じていると。コーヒーに目がない彼のことだ、この一言は効いたことだろう。
さらにだめ押し、「それに」とランスは続けた。
「雨のなか無理して歩いて、濡れて書類がダメになったら困るだろ?」
「それは……そうだな……」
基本、真面目なセイジなので仕事のことを口に出されると弱い。A.R.O.A.で受け取った書類のことを考えると、強行軍は言い出しにくくなってしまった。
ちらっとセイジは思う。熱くてコクのあるコーヒーを。
そして盗み見する。小気味良いランスの笑顔を。
「行こうぜ」
トリガーを引くのは自分の役割、とばかりにランスはセイジの手を引いた。歩き出すとセイジは、母親に連れられる幼稚園児みたいに大人しくついてくる。
――やっぱセイジは、仕事を理由にするとチョロイな。
そんな彼を可愛く思うランスなのである。
てっきりセイジは、喫茶店は地階にあると思っていた。よくある、待ち合わせに使うタイプのカフェだ。
ところがランスはその前を素通りしてエレベーターに向かった。しかも特定階しか停止しない特別なエレベーターだ。
「喫茶店?」
「わかってる。けど、あれじゃない」
エレベーターが停止したのは最上階だった。
「お、おい、これって……」
VIP待遇でないと入店すら許されない高級店ではないか。来るところを間違ったのでは、と言いかけるセイジをよそに、ランスはどんどん歩いて案内の係員に片手を挙げる。止められると思いきやなんと顔パス、そのまま彼らは奥の席に案内された。
丁寧にもランスが座席を引いてくれる。内心おどおどしつつ、がっしりした椅子にセイジは腰を下ろした。
メニューを開いてセイジは目を見張った。
「凄く高い店だな」
そう言うほかはない。なにせ、水ですら値の張るミネラルウォーターなのだ。
「あ? 最上階だからな」
「いやそうではなく……」
けれどもセイジの言葉を軽く笑い飛ばして、ランスは片手を挙げてウェイターを呼ぶ。素早くしかもエレガントに現れた黒服に、彼は手早くコーヒー二つとケーキを注文した。なおコーヒーだけで七種類もあったということも記しておく。
やがて運ばれて来たふたつのカップは、たしかにこれ以上ないほどに美味なものだった。
流れるBGMはピアノの生演奏、選曲もぴったりと店の空気にマッチしている。
「こういう店、よく来るのか?」
印象派の画家が描いた油絵の中に、自分ひとりだけサインペンで描かれたような気分でセイジは言った。つまり、浮いているということだ。
「まあな」
と言うランスのほうは、見事にこの風景に溶け込んでいる。
「俺の仕事は知ってるだろ? 店のランクも高いんで、相応の情報には聡くなきゃならない。服にも交友にも金がかかる職だからな」
「なるほど」
必要に迫られてということか、とセイジは理解する。それなら楽しまなければ、とランスが考えている風なのもわかった。
だったら俺も――コーヒーを一口含み、セイジは座り直した。
――せっかくだから、後学のために色々見ておこう。
やや引いた視点で眺めると、店の構造はとても効率的にできていた。高級店ならではのノウハウなのかもしれないが、一般的な店舗にも応用は可能だろう。
ランスはこの店によく似合っているが、身につけているものがそうさせているというよりは、くつろいだ彼の態度による印象だということもおぼろげながら理解できた。堅くなっても得るものはない、セイジももう少しリラックスしたいところだ。
外側の壁は全面ガラスだった。こうしてビルの最上階から見ると、雨も違って見える。なんというか、街を包む薄いヴェールのようなのだ。摩天楼ならではの光景であろう。
――視点を変えて見てみるといつもと違う一面が見えるって、本当だな。
そしてコーヒーだ。
最初の数口は、店の雰囲気に圧倒されて味わう余裕もなかったものの、こうして少し落ち着いた状態で飲むと、お世辞ではなく完璧に近い美味さだとわかる。単にコーヒー豆がいいとか、使っている器具がいいとか、そんな小手先の話で実現できる味ではないはずだ。無論豆も器具もいいはずではあるがそれにとどまらず、作り手がコーヒー好きで、熟練の技術と高い熱意で淹れたからこそのものであろう。
セイジは息を吐き出した。
琥珀色の幸せがもたらした吐息だった。
「ランス」
「うん?」
「いい店に連れてきてくれたな。礼を言う」
「そうか……はは、そりゃ、俺も嬉しい」
「コーヒーは最高だし、ケーキもいい。それに、景色が素晴らしい」
そう言われると、自分が褒められたように嬉しいランスである。息を弾ませていう。
「だろ? 今度泊まろう、夜景も良いんだぜ」
なんだか鼻息が荒いランスなのである。ちょっと彼のケダモノなところが顔を出しているのかもしれない。
その誘いには曖昧な返事だけ返して、
「見ろよ」
セイジは窓の外を指した。
「天使の梯子が照らし始めている」
いつの間にか雨は止んでいた。
そうして雲の切れ間から、放射状の光の柱がいくつも、地上へ降り注いでいるのだった。
そういえば、もう夕方になっているのだった。
会計の段になって、ランスは片手を挙げてセイジが財布を出すのを制した。
「ここは俺が。今日は俺の我侭だし……」
「しかし……」
「しかしもカカシもなしってね。まあ、任せてくれよ」
とランスが立てて見せたカードは、黒いクレジットカードのように見えた。もしかしてそれ、ゴールドの上を行くというブラックカードか、と二度見しそうになったセイジだが、もうそのときにはランスはカードをウェイターに預けてしまっていた。
「まあ、そういうことなら、ありがたくおごられておくさ。ごちそうさま」
「素直で大変結構」
にやっと笑ったランスの目の端に、セイジの鞄の中身が映った。
――やっぱり持ってきてたんだな……傘……。
それなのに結局、セイジは傘を持ってきていることを言わなかった。ランスに付き合うほうを優先してくれたのだ。
――優しいやつ……。
これだからセイジのことは、好きにならずにいられない。
●ざっぶざぶー♪
天井に向かって両腕を伸ばし、持ち上げて読むのはファッション雑誌。
もちろん女性誌である。それも、ティーン誌をぶっとばしてぐっと大人向けの雑誌である。
「なるほどー、この夏流行するのはこういう色づかいかー」
うら若き、というよりまだ幼きアイオライト・セプテンバーが読むには不適切な印象があるかもしれないが、アイオライトは大変真剣に雑誌を読んでいるのである。
将来、色気たっぷりのファム・ファタールを目指す夢見る乙女(である。間違いなく!)のアイであるからして、『学習』には熱意をもって取り組んでいるのだ。
「コットンストレッチのサマーブーツっていうのもあるんだー。すらっとして格好いいなー。勉強になるなー」
雑誌のモデルさんは全員、セクシーな八頭身美女ばかりであり、アイがその域に達するまでにはまだまだ修行が必要な様子だが、夢見ることは大切であろう。
本日、アイオライトは家で留守番中なのだった。パパこと白露は商店街まで簡単な買い物に出ているが、そろそろ戻ってもいい頃合いだろう。
ところが、
「あ、雨だ」
耳慣れぬ音に気がつき窓の外に目をやれば、ついさっきまでアイの目みたいに澄んだ青色だった空が、すっかりグレーの不機嫌カラーである。最初のポツポツはほんの予告で、あっという間にだばだば、たがが外れたような本降りになる。
「うわー、ざんざん降りー」
このところ乾燥気味の日々だったので、雨そのものは純粋に歓迎したいアイオライトだった。このところうなだれっぱなしだった路傍のタンポポやオオイヌノフグリも、すぐにしゃんとなって元気を取り戻すことだろう。
でも……。
「たしかパパ、傘もたないでお買い物行ってたっけ……」
ひょいとアイは身を起こした。熟読していた雑誌はぱたんと閉じてテーブルに置く。
目を閉じれば、困る白露の姿が目に浮かんだ。といっても苦労性の彼であるからして、アイがぱっと思い浮かぶ白露の表情は、困ったような笑顔がその多くを占めるのだが。
ここで孝行息子もとい娘としては、パパの窮地を救いたいものだ。
「じゃ、あたしがお迎え行こうっと☆」
目標はパパに、『よくできました』と頭なでなでしてもらうこと。決意したそのときにはアイはもう、レインコートを探してタンスをごそごそとやっていた。
「あたしのレインコート、どこだっけ?」
見つかったのは白露のもの、つまり大人サイズだけだったが、もう探している時間が惜しい。仕方がないと裾を折ってくくって輪ゴムで留めて、袖もまくればまあ着れないことはなかった。
服装はこれでよし。次は足元だ。
「じゃん♪ あたしのサマーブーツ!」
もちろんただの長靴だが、心の目で見ればこれだって立派なサマーブーツだ。気持ちの上ではコットンストレッチ、正体はゴム長。
さらに傘を手にして準備はオッケーとなった。そうして、
「じゃ、いってきまーす!」
意気揚々、アイオライトは雨の中に飛び出したのである。
雨はまったく衰えない。まるでアイの決意のほどを確かめようとでもするかのように、えいやえいやと降り注ぐ。ところがアイはいたって平気なのだ。
「あっめあめーざっぶざぶー♪ たっのしいなー♪」
可愛い長靴で水たまりに派手に飛び込む。銀色の水しぶきが王冠のような形をつくって、すぐ四方八方にぱっと散った。濡れたって全然オッケーだ。こんな遊び、いい天気の日にはできやしない。おニューの傘、ミュージカルのカーテンのような柄のオーバーナイトドリームをさして歩けるのも嬉しいところ。
「パパ、レインコートのあたしも可愛いって言ってくれるかなあ?」
期待に胸ときめかすアイオライトなのである。
さてこちら、突然の雨に立ち往生する白露である。
「五月だからと、油断しましたね……」
後悔先に立たずな気持ち。
商店街は幸いアーケードがあり雨は無関係だが、ここから家まではどうしたものか。走って帰るという選択肢はある。自分が濡れることには目をつぶるとしても、これだと買ったばかりの食材を濡らしてしまうのは避けられない。それにジャガイモなど、あまり濡らしたくない買い物も少なからずあるのでやめておきたいところだった。かといってタクシーを選ぶのは、家計的には痛い出費で現実的ではない。
仕方がないので現在、彼は、絶賛雨宿り中なのだった。
ところが一向に雨が収まる気配がない。むしろ時間が経つごとに、勢いが強まっているようにも見える。曇った眼鏡をハンカチで拭って、かけ直してみてもやっぱり同じだ。
もしかしたら今夜まで止まないかも――と思うと眉が八の字になってしまう。束ねたお下げ髪もしんなりと垂れた。
「どうしましょうか……」
ふと口をついて出た白露の言葉、それが雨に溶け消えるより早く、
「ん?」
彼は見たのだ。
「あれはアイ?」
確かに見た。夏の太陽のようなきらきら黄金の髪、健康的な小麦色の肌、あどけなくも賢そうなその顔を。
アイオライトが傘を差しブーツ姿、なぜか白露のレインコートを無理矢理着た状態で歩いてくる。
「あっめあめーざっぶざぶー♪」
しかも歌ってる!
これにじんと来ない父親がいるだろうか。白露だって例外ではない。感極まって胸が熱くなった。血がつながらないとはいえ実の子以上に大切に思っている我が子が自発的に、自分の窮地を助けにきてくれるとは……!
けれども、そこから話が進まなかった。
アイの姿は一定の距離から全然近づいてこない。
――全力で水溜まりに突っ込んで遊んでますね……。
その通り。アイはホップしてバシャン、ステップしてまたジャボン、ジャンプしてまたまたウハウハザブーン、そんな調子でずっと防水状態を堪能しているのだった。
ようやく飽きたかと思いきや。
――今度は、傘を振り回してますし。
せっかくのオーバーナイトドリームだというのに、これをぐーるぐる回して遊んでいるのだ。集団でやればマスゲームかもしれないが、あいにくとアイは一人だ。まあミュージカル的と言えないこともなかろうが……。
あんな風に遊んでいたら、いくら傘があっても、全身がずぶ濡れになってしまうだろう。
しかもどうやらアイは、『パパ』がここにいることに気が付いていないようだった。
仕方ないので白露は声をかけた。
「アイ、私はここですよ」
すると効果てきめん、
「パパはっけーんっ!」
ぴーん、とアイオライトが反応するのがわかった。漫画的に表現すると、頭の上に大きな『!』マークが点灯した状態であると思っていただきたい。
「お迎えに来たよ☆」
キラキラっと素敵な笑みを見せながらアイは駆け寄ってきた。そしてたどりつくや一番、
「だから、ご褒美におやつ買って買って!」
パパに『よくできました』と頭なでなでしてもらうこと……という崇高な目標はどうしたのか。もちろんそんなことアイは、すっかり忘れているのである。
「お迎え、お疲れ様でした。……でも、もう髪がびしゃびしゃになってますよ」
やれやれと白露は笑う。自分が濡れ鼠になることは回避できたが、かわりにアイのほうが、ずぶ濡れになってしまったというわけだ。
けれどいい。それでもいい。
それでも、やっぱり白露の顔には幸せの笑みが浮かぶのである。
「お菓子はちゃんと芋ようかんを買ってあります。ただし、家に帰ってシャワーを浴びた後にしましょう」
「わーいわーい♪」
芋ようかん、その素敵な響きに文字通りアイは小躍りした。
「ところでアイ、傘は一本だけ?」
「え?」
ややあって、アイは思い至った。
「……あ、パパの傘忘れてきちゃった!」
けれど大丈夫。胸を張って言うのだ。
「ねー、相合い傘しよー。お手々つないで一緒に帰ろ、ね?」
なかなかの名案ではないか。
「やれやれ、相合い傘ですか……傘が一つしかないですから、仕方ないですね」
と言いながらも白露は相好を崩す。
そう、名案だ。
●楽しいんじゃない、楽しむのさ
自称という注釈がつくとはいえ『青年実業家』のジャンルに属するフラウダ・トールである。
青年実業家のすべきことはビジネスであり、ビジネスの基本は商談だ。電話にメールにインターネット会議、最近じゃ商談のやりかたも色々あるが、それでも基本はやっぱり同じ、直接交渉に相違ない。
かくて本日も青年実業家フラウダはビジネスを実践した。すなわち商談、それも取引先に直接赴いての直談判を行ったのだった。
結果は上々。大きな声では言えないが、元々は投資詐欺など口八丁詐欺稼業でのしあがったフラウダだけあって、インチキなしの正式ビジネスであっても、交渉術には長けている。かなり不利な契約条件を持ち出してきた相手をうまく乗せ、利益をちらつかせてやがて、自社側に優位な契約へと変更させた。
相手の気が変わらないうちに、互いにサインを交わしてはい、成立。見事フラウダは勝利を手にしたのである。
早々に終了したのでまだ街は明るい。さっさと帰って祝杯をあげたいところだ。
……ところが。
塞翁が馬というのか、晴れ渡った五月の空がたちまち手のひらを返し、ぐずつく鉛色へと変化した。
それから数分もせぬうちに、もうフラウダは避難を余儀なくされていた。
「参ったな」
早足が駆け足になり、駆け足がいつの間にか疾走に変わって、ようやく駆け込んだのはある店の軒先だった。
腕組みしてフラウダは低い声でうなる。
普段なら、務所にいる秘書すなわちシーカリウスに電話して迎えにでも来させるところなのだ。
けれどもシーカリウスには本日、有給休暇を与えている。たまには休みをくれというから、気軽にオーケーしたまでのことだ。そもそも今日の商談はフラウダひとりで行く予定だったから、特に問題はないはずだった。
シーカリウスは確か日用品の買い出しに出ているはずだ。そんな中呼び出そうとしても氷みたいに冷たい声で、「自己責任だ。社長」と言われるだけかもしれない。
「そりゃないよシーカー君……」
心の中のシーカリウスに、つい泣きを入れてしまうフラウダであった。
それが呼び水だったのか、それとも彼が来る予感がしていたからその言葉が口をついて出たのか。
そのとき彼の目の前に、当のシーカリウスが駆け込んできたではないか。
非常に険しい顔をしている。どうやら彼も、不意の雨に予定を狂わされたものらしい。
「おっ!?」
「うん?」
ふたりの目が合った。シーカリウスの目に戸惑いを読み取ったものの、フラウダはここで、社長の余裕を見せることにする。
「呼び出しの電話は掛けてないはずだが、通じたのか?」
「お前は何を言っているんだ」
ざっくりナイフで突き刺すような直球返答、まあシーカリウスらしいことこの上ないのだが。
だがこんな程度でヘコむほど、打たれ弱いメンタルでは事業主なんてできるわけがない。あきれ顔のシーカリウスに向け、不敵な笑みを浮かべてフラウダは述べた。商談が無事、終わったということ、それに、その帰りに雨に降られこの状態であるということを。
「ああそうか。俺はまだ何もできていない。店に着く前に降りだしたせいで予定が狂って不愉快だ」
言葉にした『不愉快』という表現を、口調と鋭い目線で補強するシーカリウスだ。こういうとき本当に、シーカリウスには嘘がない。
「なるほど、災難だったな。ま、こうしていても不毛だ。どこか喫茶店でも入るか?」
「何で俺がお前と一緒に雨宿りする前提なんだ」
「まあ良いだろう? コーヒー代くらいは出してやる」
「今日は休みだ。付き合う義理はない」
つれない。なんともつれない完全拒否だがこのシーカリウスの返しを、気持ちよいとすら感じるフラウダだった。こちらが言葉のパンチを繰り出せば、高速でしかも的確に、ヒリヒリくるくらいのカウンターで撲ちかえしてくる。断られるのはつまらないが、同時にフラウダは彼とのやりとりを、この上なく楽しんでもいた。
「さて雨宿りが嫌だというなら、どうしたものかな」
「そもそも何かする必要があるのか」
「それじゃあいっそ、雨の中で二人で踊るか?」
「…………」
フラウダには、シーカリウスの考えていることが手に取るようにわかった。
こいつ、アホだ――とでも思っているのだろう。
アホで結構、相手にこちらを見くびらせるのも交渉の戦術のひとつである。
戦術は……当たった。
「喫茶店に行ってやる。……踊られるよりはマシだからな」
会心の笑みが社長の口元に浮かんだ。
ところで「なら踊ってやる」と言われたらどうしただろう――一瞬だけフラウダは考えた。
きっと、彼と一緒に往年のミュージカル映画の再現的なレインダンスをしたと思う。
ホテルの地階、待ち合わせなどに多用されるたぐいの喫茶店に向かい合って座る。
なおこのホテルの最上階には高級カフェがあるが、そういう店を選ぶ雰囲気ではなかった。
コーヒーを二つ頼んで、これをすすりながらフラウダは備え付けの新聞を広げた。
「ほら、天気予報『本日は快晴なり』と書いてある。メディアを鵜呑みにするなかれ、だな」
「まともにひっかかった奴が言う台詞か」
仏頂面でシーカリウスは言うと、不味そうにコーヒーに口をつけた。
新聞に目を落としたままフラウダは笑った。
「はっはっは、一本取られたな。……さて、『マントゥール教団に新たな一派が出現との未確認情報』だとさ、そんな不確かな情報をよく記事にできたものだな」
シーカリウスは返事もしない。
「どうした? 興味ないのか? こいつら義賊だとか名乗ってるらしいぞ」
その質問には答えず、氷の視線でシーカリウスは言った。
「お前は何がそんなに楽しいんだ」
フラウダが始終軽口なのが気に入らないらしい。
「楽しいんじゃない、楽しむのさ」
「答えになっていない」
それきり口を真一文字に閉じて、シーカリウスはまた黙ってしまった。
――怒らしてしまっただろうか……? ま、シーカー君はいつもこうだとも言えるな。
シーカリウスとてただ、会話を打ち切ったわけではなかった。
彼は彼で、考えているのである。まず、
――真性のアホだ。
そうフラウダのことを心の中で断じたが、すぐに思い直した。
――いや……前回のオルロックオーガの謎解きは俺にはまったく分からなかったが、コイツはスラスラと解いた。他の依頼でもいつも自分なりの答えをもって動いている……ような気がする。
だとすればフラウダは本当は賢いのか。普段は愚を装っているだけなのだろうか。
あるいは普段は休止していて、必要なところだけ頭のエンジンをかけるようにしているのか。
そんな底の知れないところがフラウダにはある。少なくともシーカリウスはそう見ている。
どちらにせよ、フラウダのことをただのアホと認識するのは間違いだろう。
ある意味……面白い男ではある。はっきりと口に出して認めたくはないのだが、シーカリウスはそう考えはじめていた。だとすれば、
――組まされた神人が愚鈍な奴じゃなかったのは救いだな。
とは言えようか。
シーカリウスはぐっとコーヒーの最後の一口をあおった。
月並みな味のコーヒーだったが、濡れて冷たくなった体には、何よりの馳走だった。
「……落ち着いてきたな」
フラウダが急にそんなことを言ったので、「何だと!?」と気色ばみそうになったシーカリウスだったが、それは自分の内心の変化ではなく、外の天気のことを指しているのだとすぐに悟って腕組みした。
外の雨は小止みになっている。
わずかだが、光もさしてきたようだ。
「俺はもう行く」
シーカリウスは立ち上がった。
フラウダは彼を見上げた。いつものように、薄笑みを浮かべながら。
「ああ。なら明日、また事務所で」
軽くうなずいてシーカリウスは店を出た。
『楽しいんじゃない、楽しむのさ』。
なぜだかその言葉が頭にこびりついていた。
ホテルの敷地を離れても、シーカリウスは何度か、振り返りたい衝動に駆られた。
●慈愛の太陽と刃の月と
まず魔魅也はジャケットの胸ポケットから煙草の箱を抜いた。ライターと一緒に鞄に押し込む。
「湿気たら台無しですからなァ」
レン・ユリカワと共に自宅への帰り道、ぽつぽつと雨が降ってきたのだ。雨露に弱い煙草を最初に避難させたというわけだ。
けれどもう家までそれほど距離はない。小走りで歩けば――という魔魅也の期待は、ごくあっさりと裏切られた。
雨が一気に本降りとなったのだ。それも、どう控えめに言っても土砂降りとしか言えないレベルに。
「こいつはいけませんや! ちっとむさ苦しいですが我慢してくだせェ」
ぱっと魔魅也は黒のジャケットを脱ぎ、これをレンの頭からかぶせた。
「えっ!? あ……」
急なことでレンは二の句が継げない。しかしややあって声を上げた。
「ありがとうございます。でも魔魅也さんとジャケット濡れちゃいますよ」
けれども魔魅也はまったく意に介していない。歌舞伎の女形のように艶っぽく、
「坊っちゃんに風邪なんぞ引かせちゃあなりませんからなァ」
と笑みを見せて道を急ぐのだった。
――ごめんね魔魅也さん……。
ジャケットを通して、彼の優しさが痛いほど感じられる。
そしてジャケットからは、かすかな香りがした。いくらか焦げっぽくて、いくらか刺激的で、それなのに落ち着くような甘さを含む香りである。
すぐにそれがなんだか、レンは察していた。
――あ、魔魅也さんの煙草の匂い……。
いつも漂う彼の香りだ。
きっと今なら暗闇で彼に抱きしめられても、すぐにレンは相手が魔魅也だと言い当てられるだろう。
雨の勢いはついに滝のようになり、ふたりはたまらず途中で雨宿りした。
もとは野菜の貯蔵庫か何かだろうか、開け放たれたトタン屋根の小屋だ。中は空っぽだった。長く使われていないらしく、柱に使われている木の匂いしかしかない。
「しばらくはここで休憩ですね」
レンは振り返って魔魅也に目をとめ、その瞬間凍り付いたように視線を動かせなくなった。
薄暗い小屋だがそれゆえに、ジャケットを脱いだ魔魅也の、シャツの白さが際立っている。
シャツだけじゃない。濡れて透けたシャツがぺたりと張り付く彼の肌も。その抜けるような白さも。
もともと華奢な、女にしてみたいような体つきの魔魅也なのである。それが闇色の髪を解き、頭から水を浴びたような状態で、胸を反らし柱にもたれ立っている。
しかも漆黒の光彩を持つ瞳と長い睫をもつ、ナイフのように形のいい目でこちらを見ている。
ぞくぞくするほど……色っぽい。
目が離せない。もし彼に今、そこにひざまづけと言われたら、レンはきっとそうしてしまうだろう。服を脱げと言われても……多分……。
けれど魔魅也はそんなことを言ったりしない。
「大丈夫ですか、坊ちゃん。なんだか顔が赤いようにお見受けしますが、熱っぽかったりしませんかァ?」
「顔が赤い? きっと、走ったからだと思います。魔魅也さんこそ……風邪ひかないでくださいね」
「はは、まあ俺は丈夫だけが取り柄ですからなァ」
このとき、レンは彼の首筋に赤い小さなアザのようなものを見つけた。
「魔魅也さん、首、虫刺されですか?」
「虫刺され……?」
魔魅也は首に手をやって苦笑いした。
――昨夜の女か……。
なんのことはない。キスマークである。
――あいつ名前なんだったっけなァ……じゃなくて。
「あぁ、いつの間にか刺されてたようだなァ」
わざとらしく聞こえないよう、魔魅也は魔魅也なりに言葉に気をつけた。
「家に着いたら薬を……」
「いや、たいして痛みもないから大丈夫で……」
このとき、ふたりは同時に小屋の奥に目を向けた。
「なにか聞こえませんでした?」
「鳴き声……」
動物の声がしたように思えたのだ。とてもか細い、小さな声であったが。
猫でしょうね、と言いながらも、魔魅也はレンをかばうように背後に立たせ、みずからは背をかがめながら奥へ踏み込んでいった。
実際、それは段ボール箱に入れられた一匹の子猫だった。魔魅也は箱を手に戻ってきた。そっと置く。
「可愛そうに、まだやっと目が開いたくらいの赤ん坊でさァ」
キジトラの猫だ。ぷるぷると震えている。やせているが目はまん丸くて大きく、ビー玉みたいに綺麗な色をしている。回復すれば、きっと愛らしい姿になるだろう。
「捨て猫……ですよね?」
「おそらくはそうでしょうねえ。だとしたら、無責任な飼い主もあったもんでさァ」
言いながら魔魅也は猫に笑いかけた。元々、猫は嫌いなほうではない。むしろ好きだ。ただ、この笑みは単なる猫好きの笑みというのではなく、
――『虫刺され』の件、話がそれて助かった。空気の読める猫だ……。
という安堵の混じった笑みだった。
しかしレンはまだ首をかしげている。
「でも、猫って大抵、数匹同時に生まれるんでしょう? この段ボールの大きさからして、他にもこの子のきょうだいが二三匹、一緒に捨てられていたのかもしれない……」
「確かに」
魔魅也は猫を探すが、小屋の中にはいないようだった。
「こんなに小さくても元は野生の動物です。このちびっ子の兄ちゃんか姉ちゃんたちは、自力でエサを探しに行ったんじゃないでしょうか」
「でも……この雨です。優しい人に保護されていたらいいんですけど……」
――たくましく生きろよ……お前たちを捨てた人間を見返せるくらいにな……。
魔魅也はふと、そんなことを思うのである。
レンが指で軽くつつくと、猫はその暖かさが嬉しいのか、顔をすり寄せてきた。そしてまた、か細い声で「みぃ、みぃ」と鳴いた。
それを見てたまらなくなったのか、レンは上目遣いで子猫以上に体を震わせ、目まで潤ませて言ったのである。
「……魔魅也さん。この子……家に連れ帰って保護してもいい……ですか?」
「あそこは坊っちゃんの家だ。坊っちゃんの意のままに、さァ」
「良かった……」
ひしとレンは段ボール箱を抱いた。猫を直接抱いたら、ぺしゃっと潰れてしまうように感じたのだ。それほどにか弱く、小さな猫なのである。
「まあまず間違いないと思いますが、坊ちゃん、この子は捨て猫じゃない可能性もあるでしょうなァ」
「そうですね。だったら、雨が止んだらウチに連れ帰って、この近辺に『迷い猫預かってます』って張り紙をしましょう」
「それは良い考えです」
――坊ちゃんは優しい。目の前で友達が殺されるところを見たって話なのに……いや、だからこそ、かもしれない……この人は、まだ子どもなのに命の大切さを知ってる。
実際、このときも猫のきょうだいのことなど魔魅也は思いつきもしなかった。そんなことまで考えが及ぶレンは、ただ純粋なだけにとどまらず、慈愛の人といっていいのかもしれない。
それに比べて俺ときたら、と魔魅也は自嘲気味に思う。
――煙草と大酒で命を削って、女を騙して恨みを買って……結局てめぇの快楽だけが大事なんだ……到底お天道様に顔向けできない身だな、俺は……。
だが、そんな自分だからこそレンを守れるのだと魔魅也は自負もしている。レンに近づく不浄なものは、すべて自分がうち払おう。彼に泥水が浴びせられることがあれば、自分が代わってこれを被ろう。
レンが慈愛の太陽だとすれば、自分は冷酷な刃の月だ。
もしレンとウィンクルムとなった意味があるのだとすれば、そこに尽きると魔魅也は考えているのである。
「雨が……収まってきましたね」
レンに声をかけられ、魔魅也はうなずいた。持ちますよ、と段ボールをレンから受け取って歩きだす。
「まずはこの子にはたっぷり、栄養をつけてやりませんといけませんなァ」
そうして彼は、小声で猫に告げるのだった。
「さっきのこと、坊ちゃんの気をそらしてくれて、ありがとうな」
礼はする、というように、魔魅也は猫にウインクしてみせた。
依頼結果:成功
MVP:
名前:セイリュー・グラシア 呼び名:セイリュー |
名前:ラキア・ジェイドバイン 呼び名:ラキア |
エピソード情報 |
|
---|---|
マスター | 桂木京介 |
エピソードの種類 | ハピネスエピソード |
男性用or女性用 | 男性のみ |
エピソードジャンル | ハートフル |
エピソードタイプ | EX |
エピソードモード | ノーマル |
シンパシー | 使用不可 |
難易度 | とても簡単 |
参加費 | 1,500ハートコイン |
参加人数 | 5 / 2 ~ 5 |
報酬 | なし |
リリース日 | 05月10日 |
出発日 | 05月19日 00:00 |
予定納品日 | 05月29日 |
参加者
- アキ・セイジ(ヴェルトール・ランス)
- セイリュー・グラシア(ラキア・ジェイドバイン)
- アイオライト・セプテンバー(白露)
- フラウダ・トール(シーカリウス)
- レン・ユリカワ(魔魅也)
会議室
-
2015/05/18-23:18
あたしはレインコート着てるから大丈夫ーー♪
雨に濡れるのはパパの役目ーーっ♪
(何がとはいわない)
(後ろのほうのプレストガンナーの縋るような目も、見えないことにする) -
2015/05/18-22:54
プランは提出できているよ。
雨の景色は少し文学的な気分にさせてくれるなって。
>アイちゃん
乾いたのに着替えたかい?(何がとは言わない -
2015/05/18-22:27
でも今回、ぱんつはないのです(´・ω・`)
(寧ろない方がいい) -
2015/05/18-22:26
-
2015/05/17-20:17
セイリュー・グラシアと精霊ラキアだ。
フラウダさんとレンさんは初めまして!
あとはいつもな顔ぶれで、今回もヨロシク。
暑くて快晴が続いた後の雨はなんだかわくわくするよな。
皆、心に残る素晴らしいひと時が過ごせますように! -
2015/05/14-09:22
片仮名だ・思わずタテヨミ・汗溢れ
…湿度高いからか(違
雨はあんまり好きじゃないんだよな。うっとおしいから。
早くやまないかな…。 -
2015/05/13-20:44
アイオライト・セプテンバーでーすっ
いつもお世話になってます、今回もよろしくでーすっ♪
まったく関係ないけど「神人が全員片仮名ってけっこう珍しいな」と思いました(笑)
わーいレインコートだー長靴だー(傘ぶんぶん) -
2015/05/13-09:38
やあこんにちわ。
アイオライト君とは以前お会いしたね。その他のみなははじめまして。
私はフラウダ・トール。それと、こっちはシーカリウスだ。
よろしく頼む。
どんな雨になるのか、今から楽しみだ。
-
2015/05/13-00:40
皆様、はじめまして。
僕はレン・ユリカワと言います。
隣はポブルスの魔魅也さんです。
五月の突然の雨……色んなシチュエーションが考えられますね。
僕と魔魅也さんはどこで何をしているでしょうか……ふふ
とても楽しみです。
皆さんも、どうか良い思い出が出来ますように。 -
2015/05/13-00:17