プロローグ
――ひどく甘い香りがする。それは、熟れ過ぎた果実が放つ芳香にも似ていて。ねっとりと、何処までも纏わりついてくるような――けれど、一度それに身を委ねれば、ひどく心地よい感覚が胸を満たした。
(夢を見ているようだ。深く、深く、何処までも深く)
奇妙な程に鼓動は高鳴り、潤んだ瞳が結ぶ像はいびつに歪んでいた。ああ、此処は何処だったのだろう――分からない、何も分からない。
ただ、甘い風が吹き抜けて、漆黒の花弁がはらはらと舞っていた。それは視界を覆うように降り積もる、季節外れの黒い雪のようだった。
『さあ、この香りに全てを任せて。貴方の心の命ずるままに動きなさい』
常ならば警戒するであろう猫なで声が、何故だか頼もしく胸に響く。その声は、優しく自分の背中を押してくれた。心を縛る理性の鎖など、取り払ってしまえばいい――そう囁くかのように、甘い女の歌声は花弁と共に辺りに降り注いだ。
(心、こころ……の、中)
その時、脳裏に思い描いたのは、己の片割れとも呼ぶべき存在。ああ、と零した吐息には、確かな熱が宿っていて。ぼうっとする頭でゆっくりと辺りを見遣れば――此方を心配そうに覗き込む、『あのひと』の姿が在る。
――どくん、と。その時、狂おしい程の情念が胸に渦巻いた。苦しくて、切なくて、いやそんな言葉だけじゃ言い表せない。暴力的な衝動が訴えていたのは、ひどく純粋で、それ故に残酷な感情だった。
(愛おしい。そのすべてを、自分のものにしたい……!)
他の誰にも、指一本触れさせない。その身を流れる血の一滴も、すべて自分のものなのだ。ああ、欲しいよ、その全てが。君を、永遠の中に閉じ込めておきたいと思えるほどに。
「えい、えん……」
唇から零れた掠れた声は、自分のものとは思えぬ程に艶めいていた。そうだ、永遠だ。
(……ねえ、君をこの手にかけたのなら)
――僕たちは、永遠にひとつになれるだろうか?
辺境の森に、奇妙な黒薔薇が咲いている――その香りは、ひとの心を惑わせるのだと言う。デミオーガ化したハーピーの姿が目撃されて居る事から、恐らくはその影響かもしれない、と聞いていた。
それらの脅威を退ける為、森の奥へとウィンクルムたちは向かったのだが、問題の花園に着いた直後に異変は起こった。
――むせ返る黒薔薇の香りと、デミ・ハーピーの歌。それに囚われた精霊が、突如意識を手放し――次の瞬間、虚ろな瞳で神人に襲い掛かったのだ。
普段は見せぬ、パートナーの姿。それは、衝動の赴くままに神人を求め、独占しようとする――心の闇が吹き出した姿だった。
全てを求める彼は、神人の命を奪う事で永遠を得ようとしている。その前に、彼を止めなくてはならない。心が惑わされたのであれば、自分がその闇を祓い、在るべき姿に戻してあげるだけだ。
恐らく、変調は一時的なもの。パートナーを傷付ければ正気に返るだろうが、それが罠であったとしても、大切な存在を傷付けたと言う事実は彼を苦しめるだろう。
「待ってて……私が、助ける。必ず、自分を取り戻させるから」
――言葉か、それとも行動か。彼の刃が罪に濡れる前に、絆を再び取り戻す為の戦いが始まった。
貴女は私のもの、それが黒薔薇の花言葉。決して滅びることのない愛、永遠の愛は――それ故時に、呪縛にも成りえるのだ。
解説
●成功条件
森の花園に棲みついた、デミ・ハーピーの撃破。
●デミ・ハーピー
デミオーガ化したハーピーです。鳥の手足を持つ、女性の姿をした怪物で、その歌声には魅了の効果があります。素早い動きで、鉤爪を振るい攻撃してきます。
●精霊の呪縛
デミ・ハーピーの存在が悪影響を与えたらしく、咲き誇る黒薔薇には心を惑わす力が備わっていました。戦場に足を踏み入れてすぐ、パートナーの精霊は心を惑わされ、神人に対する感情を歪められ、異常な愛や独占欲を抱いています。そして、究極の愛とは『相手を自分の手で殺して永遠にひとつになること』だと思い込み、神人に襲い掛かってきます(いわゆるヤンデレ、悪堕ち状態)。
神人さんは何とかして精霊を正気に戻し、呪縛から解放してください。説得が上手くいかないと、精霊は自分の神人を傷つけてしまいます。傷付けた直後に呪縛は解けますが、その場合神人は怪我を負い、トランスなどの行動が行えなくなります。
上手く精霊を救う事が出来ればトランスが行え、デミ・ハーピーと戦う事が出来ます。
●補足
心情重視のお話です(敵自体はそう強くありません)。精霊さんの心をどう取り戻すかに重点を置くことをお勧めします。精霊さんは闇に染まればどんな感じに振る舞うのか、神人さんへの狂おしい感情などを教えて頂ければ、盛り上がるかなぁと思います。
●お願いごと
今回のエピソードとは関係ない、違うエピソードで起こった出来事を前提としたプランは、採用出来ない恐れがあります(軽く触れる程度であれば大丈夫です)。今回のお話ならではの行動や関わりを、築いていってください。
ゲームマスターより
柚烏と申します。お久しぶりの依頼となりました。今回は心情とか雰囲気重視の、ちょっとシリアスでダークより……になるかもしれないお話です。
敵の罠によって、心を惑わされた精霊さんを正気に戻すのが要です。普段表に出さない心の闇を露わにした精霊さんは、どんな感じになるのでしょう。
ぜひぜひ、お二人の絆で脅威に立ち向かって下さい。それではよろしくお願いします。
リザルトノベル
◆アクション・プラン
ニーナ・ルアルディ(グレン・カーヴェル)
私達はあっちで敵を探してきます、 グレン早く行きま…痛…っ! こ、怖くはないです…ただびっくりして… 言わされているだけ…? 本当にそう思ってくれてる? そうなら泣きそうなぐらい嬉しいけど… …少し不安だけど、 いっぱい抱きしめ返して、私の気持ちを伝えないと。 ねえグレン、 私グレンのこと好きです、大好きです。 優しいところ、意地悪なところ、 意外と寂しがりなところも、みーんな大好きです。 私はどこにも行かないし何があってもそばにいます。 不安なことも怖いこともずっとそばで支えるから、 だからグレンもこの力に負けずに戻って来て下さい。 そしてあとで気持ち、もう一度教えて下さい。 敵が歌いそうなら、歌をかき消そうと応援。 |
油屋。(サマエル)
哲学2使用 サマエル? 口元の笑みに気づいて精霊から距離をとる 冗談キツいなぁオイ 舌なめずりする精霊にドン引きしつつ様子を伺う 説得をしようと試みるも アタシはパートナーだと思ってるけど、サマエルは違う この差がある限り相互理解なんて生まれないし アタシの言葉はサマエルを傷つけて追い詰めるだけ だから今出来るのはこれぐらい いい加減目を覚ませよバーカ 口づけるフリをして精霊の唇を噛む (初めてだったのに血の味とかホント最悪) 暫く精霊にされるがままにしているが その後トランス・ハイトランス アタシ達はウィンクルム、私情を挟む前にやるべき事がある ハーピーの攻撃を誘い、降下してきたところを槍で刺す アドリブOK |
手屋 笹(カガヤ・アクショア)
想いが重過ぎますね… 黙って殺されてやる訳にはいきません! 遠くから叫んだって止まって貰えなさそうですね… 近づく為の隙を作りましょう。 カガヤの攻撃は動きを見て確実に回避し、 クリアライトでカガヤの目を晦まします。 怯んでいる隙に素早く懐に近づき 斧を持つ腕にしがみついて力の限り全力で抑え込みます。 カガヤの顔を見て呼びかけます。 「…絶対に離したりしません!! カガヤ!!目を覚ましなさい!! 貴方は格好いいウィンクルムになるのが目標だったのでしょう!? 今の貴方は…ただ…怖いだけです…! いつものカガヤに戻って…笑って下さいよ…!!」 正気に戻ったらすぐトランスします! デミ・ハーピーをクリアライトで目晦ましします。 |
ソノラ・バレンシア(飛鳥・マクレーランド)
さーてちゃっちゃと倒しますか…って飛鳥?どうしたの? 「…おい何の冗談だよ、私に銃口向けるとか…ふざけてんの?」 思わず真顔で冷たく言っちゃうとか私らしくないって分かってるけど、それどころじゃない。 普段の飛鳥なら絶対にこんな事しない。だから何か原因があるんだろうな…とは思うけど。 あー何かさー段々腹立ってきたぞ。 とりあえず離れたまんまだと何も出来ないし。とりあえず 「こっち来たら?どうせならここ狙いなさいよ」 って言って近寄らせて、手が届くほど近付いたら思いっ切り両手で頬をバチンって挟んでやる。 「この大馬鹿!何やってんのよ!しっかりしろ!」 「何簡単に訳分かんない状況に陥ってんのよ、アンタらしくもない!」 |
シャルル・アンデルセン(ノグリエ・オルト)
ノグリエさん。そんな苦しい顔をしないでください。 私達はすでに絆という鎖で繋がれているいるのだから鉄の鎖なんて必要ありませんよ。私は鳥でも天使でもありませんから鳥篭も必要ありません。私、ずっと地を歩いてる。自分の意志で貴方の隣りに居るのですから…それじゃあだめですか?永遠なんて分からないそれでも私はノグリエさんを思っていますよ。 (そっと抱きしめ) ノグリエさん、大好きですよ あぁ、なんて煩わしい歌声。こんな歌をノグリエさんに聞かせたくない。 歌と言うのはもっと優しくて切なくて暖かい…。 貴女の歌を私の歌で掻き消してあげる。 私の歌が耳障りだと言うのならここに来て掻き消してしまえばいいのです。 歌唱スキル使用 |
●戦いの予感
不吉な予感を孕んで、森の花園にふわりと風が吹き抜けていった。永遠の愛を誓う黒薔薇の花弁が、はらはらと舞う中――邪悪に染まった鳥乙女は妖しく呪歌を囀る。
――そのすべてが罠だった。大切なひとの心は忽ち囚われ、狂おしい愛情は容易く無垢な殺意へと変じる。永遠の愛を刻めるのだと無邪気に信じながら、彼は己が守るべき神人へ刃を向けた。
(助けるから、絶対……!)
歪められた想いの中にも、きっと純粋に慈しむ気持ちがあった筈。だって、永遠を願ってひとつになろうとする彼の姿は――余りにも辛く、哀しかったから。
その手が罪に染まる前に、神人は覚悟を決めて己の精霊と向き合う。彼を止められるのは、ウィンクルムの片割れたる自分だけだ。
彼の抱える闇は深い。けれど其処には確かに、光も眠っている――そうでしょうと言うように、神人の瞳は真っ直ぐに、大切な『彼』を見据えていた。
●あこがれの存在
「笹ちゃん」と何時ものように、カガヤ・アクショアは大好きな神人――手屋 笹の名を呼んだ。その姿は無邪気な子供のようなのに、綺麗な翠の瞳には光が無い。
「遠くに行かないで……」
ぽつりと零した言葉は、常に彼が抱える不安だった。まるで置いて行かれた子供のように、カガヤは寂しそうに微笑んで――そして、ふっと自分が握りしめていた両手斧に目を遣った。
「そうだ殺して……屍体にしちゃえば……ずーっと傍に居て貰えるね……」
くすくす、と微笑む姿は、本当にカガヤそのものなのに。そんな精霊の異変を冷静に観察していた笹は、やるせないと言った感じで溜息を零した。
「想いが重過ぎますね……」
けれど、黙って殺される訳にはいかないと気合を入れて、彼女は斧を手にゆらりと近付いて来るカガヤの出方を窺う。
(遠くから叫んだって止まって貰えなさそうですね……)
ならば、近付く為の隙を作るしか無い。カガヤの攻撃は確実に回避しなければと思うが、何より彼が自分を手に掛ける前に事態を収束しなくてはならないのだ。
「なら……ちょっと荒療治になりますが」
言うや否や、笹が動いた。短剣を手に一気に距離を詰め、至近距離でその刀身を閃かせる。水晶で出来たその短剣は光を反射し、閃光によってカガヤの視界を奪い――彼が怯んでいる隙に笹は、素早く懐に近付き全力で抑え込んだ。
「……っ!?」
斧を持つカガヤの腕に笹がしがみ付き、ふたりは黒薔薇の花園へ一気に倒れ込む。むせかえる花の匂いに包まれながらも、笹はカガヤの顔を見て懸命に呼びかけた。
「……絶対に離したりしません!!」
――突然彼女に押し倒されて、カガヤは何が起きたのか分かっていない様子だ。しかし、やがてその顔に哀しみとやるせなさが浮かび、彼は駄々っ子のように嫌々と首を振った。
「これじゃ笹ちゃんをちゃんと殺せない……! 殺さないとずっと一緒に居られないのに!」
カガヤの身体に力がこもる。彼が本気を出せば、小柄な笹など一瞬で振り払えるだろう。しかし、笹も必死だ。歯を食いしばって、カガヤの手を離さないと誓う。
「何で……何で何で何で何で何で邪魔するんだよぉおぉおお!!」
「カガヤ!! 目を覚ましなさい!!」
凛とした笹の声が、澱んだ森を震わせた。そのほっそりとした指先は、よく見れば微かに震えていて――それでも笹は、彼の神人であれと言うように胸を張る。
「貴方は格好いいウィンクルムになるのが目標だったのでしょう!? でも今の貴方は……ただ……怖いだけです……!」
「怖い……? ……俺がなりたかったウィンクルムは……怖い存在なんかじゃ……ない……」
呪われし存在――オーガと戦う存在に、憧れていた。何よりも傍で共に戦う彼女を、自分は守りたいと思っていた。なのに――。
「いつものカガヤに戻って……笑って下さいよ……!!」
こんな哀しい顔をさせたくないと思っていたのに、自分が彼女を苦しめている。其処で靄がかかっていたカガヤの意識が、ふっと鮮明になった。
「あれ……何で笹ちゃん、俺を抑えてるの?」
「……もう、気付くのが、遅すぎますよ……!」
見つめ合うふたりは、一瞬微笑み合うも直ぐに戦士の顔となって。くちづけと共に、闇を祓うような激しい風が辺りに吹き荒れた。
●変わるものと変わらぬもの
「私達はあっちで敵を探してきます、グレン早く行きま……痛……っ!」
黒薔薇の花園へ足を踏み入れたニーナ・ルアルディは、共に戦いへ赴くグレン・カーヴェルを促した所で、突如引かれた腕の痛みに顔をしかめた。
「え、何……?」
強引にニーナの手を掴んでいるのは、精霊のグレンその人で。不遜な態度は相変わらずとは言え、その漆黒の瞳には言いようのない熱が宿っていた。
「……ニーナ。俺が、怖いか?」
「こ、怖くはないです……ただびっくりして……」
咄嗟にそう答えたものの、明らかにグレンの様子はおかしい。彼女をからかうのはいつもの事で、けれど其処には不器用な優しさがあるのに――今の彼は違う。一途と言うには危う過ぎる程に、ニーナしか見えていない。
「好きだと思った時に、もっと早くにこうすれば良かった」
ニーナを逃がすまいと言うように、グレンは彼女を強引に抱きしめる。肌が触れ合い、掠れた声が耳元で囁かれて――それが好き、なんて言う言葉だったから、ニーナは顔を真っ赤にして硬直した。
(これは、罠? グレンは言わされているだけ……? それとも、本当にそう思ってくれてる?)
周りのウィンクルムたちも、其々に様子がおかしい事に気付いたニーナは、彼の本心を想って戸惑う。もし本当ならば、泣きそうなぐらい嬉しいけれど――そう思っていたニーナの首筋に、鋭い痛みが走ったのはその直後だった。
「……っ!」
(ニーナのすべては、俺のものだ)
自分のものであると言う証を刻み付けるかのように、グレンはニーナの首筋にくちづけの花を散らして――昂ぶる感情のままに、強く歯を立てる。
「……もう戦いで、お前を失うかもしれない恐怖に駆られない。今度こそずっと傍にいて守ってやれる」
――きっと彼は堕ちずとも、元々保護欲が独占欲に変わりつつあったのだろう。けれど、今までのふたりの関係が変わるのを恐れ、グレンはその心を無理矢理押し込めていた。
「いや、誰かにお前が失われるくらいなら、いっそ……」
理由の分からない苛立ちや不安。それが恋心を抱いた故だと自覚したくなくて、彼は己の心と向き合う事を無意識に避けていたのだ。
(ああ、何も分からない。だからこのまま)
その手が両手剣を握りしめた時、ニーナが動いた。少しの不安は消えないけれど、いっぱいグレンを抱きしめ返して、自分の気持ちを伝えなければと思ったから。
「ねえグレン、私グレンのこと好きです、大好きです。優しいところ、意地悪なところ、意外と寂しがりなところも、みーんな大好きです」
ふわりと花のような微笑みを浮かべた少女は、ぎゅっと自分の相棒を抱きしめて――一言ずつゆっくりと、己の想いを形にしていく。
「私はどこにも行かないし、何があってもそばにいます。不安なこともこわいことも、ずっとそばで支えるから……」
ああ、やっぱり側でくっついていると落ち着きますね、とニーナは瞳を和らげて――グレンの裡に押し込められた、行き場のない想いも全て受け止めようと誓った。
「だからグレンも、この力に負けずに戻って来て下さい。そしてあとで気持ち、もう一度教えて下さい」
彼を誰よりも側で支えられる人でありたい。それがニーナの目標だったから。ややあって――そんな彼女の頭が、不器用にくしゃくしゃと撫でられた。
――誰が、なんて見なくても分かる。まるで「ばーか」とでも言いそうな声音で、彼はニーナにただ一言を告げた。
「行くぞ」
「……ええ!」
触神の言霊が紡がれ、ふたりは災いの元凶に立ち向かっていく。
●血染めのくちづけ
いつか現れる契約者こそ、自分に愛を与えてくれる人だと信じていた。そんなサマエルの前に現れたのが、油屋。で――きっと、互いの想いは通じ合うのだと疑っていなかったのに。
「お前は最期まで俺を裏切り続けるか、フフフ」
サマエルの告白を、彼女は受け入れてくれなかった。そして、そんな狂おしい愛情が憎悪に転じるのは、よくあることだったから。故にサマエルは油屋。を憎んだ。
「サマエル?」
突如動きを止めた精霊に油屋。は訝しみ――彼の口元の笑みに気付いて、そのまま距離を取った。自分から逃げていく神人の姿に、サマエルの唇から何処か病的な笑声が漏れる。
彼女を抱きしめ、背後から剣で刺そうと思っていたのに勘のいい奴だと思った。ああ、やっぱり愛しくて憎らしいな、とサマエルは吐き捨てる。
「殺す? あははははっ!! そんな一瞬の出来事で満たされるものか。同一の存在になるためには魂も肉体も、余さず俺の物にしなければ」
血を浴びるたびに歓喜の声をあげると言われる剣が唸りを上げ、咲き誇る黒薔薇を無残に刈り取った。深海を思わせるサマエルの瞳は、何処までも昏く淀んでいる。
「……なぁ、そうだろう早瀬?」
油屋。の本名を呼んだ彼の声は、奇妙な程に穏やかで甘く。けれど次の瞬間、サマエルは陶酔しきった表情になって、あらぬ方向を見つめて早口でまくしたてた。
「柔らかい肉を裂いたら、真っ赤な血が溢れ出て甘い匂いを放つ……ああ、想像しただけで食欲をそそられる!」
「……冗談キツいなぁオイ」
舌なめずりをする己の精霊にドン引きしつつも、油屋。は慎重に様子を窺う。心を囚われたのなら説得をしなければ、とは思うものの――今のふたりを繋ぐ絆は、余りにも儚く頼りないものだった。
(アタシはパートナーだと思ってるけど、サマエルは違う。この差がある限り相互理解なんて生まれないし、アタシの言葉はサマエルを傷つけて追い詰めるだけ)
だから、今出来るのはこれぐらい。油屋。は拳を握りしめて気合を入れると、まるで亡霊のように佇むサマエルの元へと駆け出した。
「な……!?」
まさかサマエルも、油屋。自らが自分の元へ飛び込んでくるとは思っておらず、一瞬気を取られる。その隙を狙って、彼女はサマエルにくちづける振りをして――彼の唇を思いっきり噛んだ。
「いい加減目を覚ませよバーカ」
「何を言っている乳女」
そのくちづけと痛みが、サマエルを正気に返らせたのだろう。言い返す彼の口調は、何時もと変わらないぞんざいなものだった。
(あー……初めてだったのに血の味とか、ホント最悪)
その一方で油屋。は、口の中に広がる鉄錆の味に顔をしかめていたが、何とか上手くいった事にほっと胸を撫で下ろす。
「まだ悪い夢を見ているようだ。こんなにも近くに居るというのに遠く、遠く……手を伸ばしても届きはしない」
そっと油屋。の頬を包むサマエルの顔に浮かぶのは、微かな安堵と不満だろうか。油屋。は、自分にくちづけるサマエルを何も言わずに受け入れたが――感傷に浸る間もなく、真っ直ぐに彼の瞳を見つめた。
「行くよ。アタシ達はウィンクルム、私情を挟む前にやるべき事がある」
精霊の手の甲に浮かぶ文様に、神人はくちづける。それはハイトランス・ジェミニ――互いの力を分かち合い高め合うことが出来る、奇跡の力だった。
●腐れ縁のふたり
「さーて、ちゃっちゃと倒しますか……って飛鳥? どうしたの?」
陽に透ける金色の髪を揺らし、ソノラ・バレンシアは隣に居る相棒――精霊の飛鳥・マクレーランドへ視線を向けたのだが。普段から冷静である彼は、最早冷淡と言っても良い凍てついた眼差しをソノラに向け、無言で得物の二丁拳銃を抜く。
「……おい何の冗談だよ、私に銃口向けるとか……ふざけてんの?」
幾ら細かい事は余り気にしないソノラとは言え、流石にこれはおかしいと眉根を寄せた。飛鳥に向かって放った言葉は、自分でもびっくりするほど冷たくて――真顔でこんな事を、と思えば自分らしくないと分かってるけど、今はそれどころではなかった。
(普段の飛鳥なら、絶対にこんな事しない)
――腐れ縁だし、と。そう思ったのはソノラだけでは無く、飛鳥もまた同じだった。それはふたりを繋ぐ絆であり、ふたりの関係を縛り付ける鎖でもある。
(昔から傍にいた)
だから、彼女の事は知っているつもりだと飛鳥は頷いた。あいつは弱くない。そう易々と殺されたりはしないのだと。
昔、彼女へ対し言う事はしなかった『こいつを守る』と言う気持ちを思い出し、飛鳥の瞳がゆっくりと細められる。クールに思われがちな彼だが、その実根は熱かったりする。心を惑わされた今、飛鳥の裡で燻る熱は更に強さを増し――その心はさながら、蒼い炎のようであった。
「守る事が出来ないのなら……せめてこの手で」
冷淡であるが冷静では無い――それが今の飛鳥の状態だ。今にも引き金に指をかけそうな彼の姿を見たソノラは、むっとするように吐息を零す。
(あー何かさー段々腹立ってきたぞ)
何か原因があって飛鳥はおかしくなっている、とは思うが、ソノラは怒っていた。それは彼が自分に銃口を向けたからでは無く、彼が簡単に訳の分からない状態に陥っているからだ。
「こっち来たら? どうせならここ狙いなさいよ」
不敵に微笑むソノラは飛鳥を挑発し、自分の豊かな胸元をそっと指差す。そうだな、と言うように飛鳥は静かに距離を詰め――互いの手が届くほど近付いた所で、ソノラは両手で飛鳥の頬をバチンと挟んだ。
「この大馬鹿! 何やってんのよ! しっかりしろ!」
真っ直ぐにソノラは飛鳥の目を見ながら、気合を注入するかのように思いっきり叫ぶ。
「何簡単に訳わかんない状況に陥ってんのよ、アンタらしくもない!」
そのまくし立てるような怒声が、彼の心を揺さぶったのだろうか――相棒の手荒な気付けを貰い、飛鳥の瞳に光が戻って来た。
「……ああ、そうだったな」
ゆっくりとかぶりを振って、その手を握りしめて。ふたりは共に敵へと立ち向かう。
「合言葉は?」
にやりと笑って尋ねてくるソノラへ、飛鳥は静かに頷いた。すうっと息を吸い込んで、二人は同時にインスパイア・スペルを唱える。
「「ぶっ飛ばす!!」」
●鳥篭の天使
ああ、とノグリエ・オルトは嘆き、打ちひしがれたように顔を覆った。耳の近くで編んだ髪が揺れて、細い瞳をよく見れば狂気の光が宿っている。
「やっぱりシャルルを外に出したのは間違いでした。早く早く鳥篭に入れないと。どこにも行かないための鎖も必要です」
蜂蜜のような金の瞳を持つ、ふんわりとした白き少女。それが彼の神人であり姫――シャルル・アンデルセン。普段から彼女を溺愛し、少々独占欲が強かったとは言え、今のノグリエの姿は常軌を逸していた。
「……ボク以外に微笑む必要もないしボク以外に声を掛ける必要もない。シャルルはボクだけを見てればいい」
愛おしいが故に、引き離されるのが怖い。自分だけのシャルルを、攫うものが居るかもしれない。そうだ、だって――平穏はいつだって、突然奪われる。世界は平気で、自分たちに牙を剥くのだ。
「ねぇ、それとも」
――キミを殺してボクも死ねば、永遠になると?
深海の静寂の名を持つ禁書を握りしめ、ノグリエはゆっくりとシャルルの元へ近付いていく。明らかに様子のおかしい彼であったが、シャルルは逃げようともせず――慈しむような微笑みを浮かべて、ノグリエを受け入れた。
「ノグリエさん。そんな苦しい顔をしないでください。私達はすでに、絆と言う鎖で繋がれているのですから、鉄の鎖なんて必要ありませんよ」
そうだ、ノグリエはひたすらにシャルルを求めて苦しんでいた。愛したいと熱に浮かされたように口ずさみながら、その心は絶えず血を流している。
「私は鳥でも天使でもありませんから、鳥篭も必要ありません。私、ずっと地を歩いてる。自分の意志で貴方の隣に居るのですから……それじゃあだめですか?」
ここにいるよ、と伝えるように、シャルルはぎゅっとノグリエの手を握りしめた。彼の手は少しひんやりとしていたけれど、それでも確かな熱が伝わって来る。
「永遠なんて分からない、それでも私はノグリエさんを思っていますよ」
――ああ、どうかこのひとをお守り下さい。
否、神に祈りかけたシャルルはかぶりを振った。神様に祈るんじゃなくて、自分が彼を守る――そう伝えるかのように彼女は、ノグリエをそっと抱きしめて。ゆっくりと、彼の耳元で囁いた。
「ノグリエさん、大好きですよ」
「……ああ」
その時、ノグリエの頬を熱い何かが伝ったかのように見えた。しかしそれは直ぐに拭い去られ、彼はいつも通りの淡い微笑みを浮かべる。
「キミの温もりはすぐそばにある。ボクはそれだけで満足出来ないなんてね。……こんなにも愛されているのに何が不満だと言うのか」
さぁ、戦いましょうと言うように、ノグリエはシャルルの手を引いて立ち上がった。ならばやるべき事は決まっている――くちづけと共に、彼らは想いを形にするのだ。
「「絆という鎖を繋ぐ」」
●呪縛が終わるとき
黒薔薇と呪歌の戒めを振り払い、ウィンクルムたちは花園に巣食うデミ・ハーピーと向き合った。完全に心を奪ったと思っていた彼らが立ち直ったのを見て、くすくすと微笑んでいた魔物の顔色が変わる。
「あぁ、なんて煩わしい歌声。こんな歌をノグリエさんに聞かせたくない」
再度呪歌を紡ごうと、声を上げようとしたハーピーを制するかのように、その時花園に響き渡ったのはシャルルの歌声だった。
(歌と言うのはもっと優しくて切なくて暖かい……。貴女の歌を私の歌で掻き消してあげる)
自分の歌が耳障りだと言うのなら、ここに来て掻き消してしまえばいい――そう言うかのように歌い続けるシャルルを守るように、ノグリエが一歩を踏み出した。
「頼もしいけど、無理はしないでくださいよシャルル」
逆上して急降下してくる翼の乙女を待ち構えるかのように、ノグリエの生み出した羊のぬいぐるみが体当たりをする。怯んだ其処へ更に衝撃を与えるかのように、立て続けに放たれたのは飛鳥の銃弾だった。
(足止め位なら、出来る……!)
ソノラがそんな相棒を見守る中、皆を援護しようと笹の短剣が閃光を放って敵の視界を奪う。後は任せて、と言うように、カガヤの斧が唸りを上げて振り下ろされた。
「グレン、頑張って!」
敵の歌をかき消そうとニーナは必死で声援を送り、グレンはその声に微かに照れたような素振りを見せつつも豪快に両手剣を叩き付けた。
「行っけええぇぇ!」
サマエルと力を分かち合った油屋。は、鮮やかな軌跡を描いて緋矛で翼を抉る。その槍の威力は、ハイ・トランスを行った際に更に増幅されて――無残にも翼はへし折られた。悲鳴を上げながら、デミ・ハーピーは黒薔薇の花園を己の血で穢していく。
「……最期の言葉など、持ち合わせてはいないか」
柄の髑髏が、まるでからんと嗤ったかのようだった。妖艶な笑みを浮かべて、サマエルは無造作に剣を突き立てる。それが止めとなって、邪悪な魔物はその命を断ち切られた。
「……殺したって永久に別れるだけなのに……笹ちゃん……ごめんね……」
黒薔薇の花弁が舞い散る中、切なげなカガヤの声が花園に吸い込まれていった。災いの元が断たれた事で、此処もそう遠くない内に平穏を取り戻すだろう。
(情けねぇバレ方したな……)
あのハーピー、もう5、6発殴っときゃよかったとぼやきつつ、グレンは腹を括った。こうなった以上、もう隠しても無駄であり――ニーナ本人からも「あとで気持ちをもう一度教えて下さい」と言われたとあっては。
こほん、と軽く咳払いをして、グレンは不器用ながらも己の想いを言葉に変えた。
「……好きだよ、お前が」
――こうして、黒薔薇の呪縛は解けた。きっといつか咲き誇る薔薇に囲まれて、永遠の愛を誓う人々が現われる事だろう。
願わくば、その愛の裏側に潜む闇と向き合い――共にそれを乗り越えていけますように。
依頼結果:成功
MVP:
名前:シャルル・アンデルセン 呼び名:シャルルorお姫様 |
名前:ノグリエ・オルト 呼び名:ノグリエさん |
エピソード情報 |
|
---|---|
マスター | 柚烏 |
エピソードの種類 | アドベンチャーエピソード |
男性用or女性用 | 女性のみ |
エピソードジャンル | 戦闘 |
エピソードタイプ | ショート |
エピソードモード | ノーマル |
シンパシー | 使用不可 |
難易度 | 普通 |
参加費 | 1,000ハートコイン |
参加人数 | 5 / 2 ~ 5 |
報酬 | 通常 |
リリース日 | 03月03日 |
出発日 | 03月10日 00:00 |
予定納品日 | 03月20日 |
参加者
- ニーナ・ルアルディ(グレン・カーヴェル)
- 油屋。(サマエル)
- 手屋 笹(カガヤ・アクショア)
- ソノラ・バレンシア(飛鳥・マクレーランド)
- シャルル・アンデルセン(ノグリエ・オルト)
会議室
-
2015/03/09-23:54
-
2015/03/09-23:19
こちらもプラン提出完了しました。
ハーピーへの対処は色々違う方法が良かったでしょうか。
わたくしがクリアライトで目晦ましを狙う、
カガヤが直接ヘルダイバーで空中に居るところに攻撃を仕掛けるように入れてみました。 -
2015/03/09-20:16
-
2015/03/09-00:06
鉤爪で攻撃をしてくるって事はこっちに近づいて来るだろうから
そこを叩いたら良いのかな? 一応はハイトランス・ジェミニと
装備は槍をセットしてハーピーをボコボコにする予定だよ!!
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2015/03/08-20:38
戦闘タイミングはそれぞれ精霊さん達が正気に戻った時になるのでしょうが。
やはり同時にと言うのは難しいですよね。
挑発には乗ってくれるとは思うのですが…。
向こうも歌が得意の様ですし私は歌って(歌唱4)興味を引いてみようかななんて思ってます。 -
2015/03/07-07:52
お疲れさん、ソノラさんですよー。
メタい事いうとアドエピ初めてなんで足引っ張らないように頑張る(震え声
ま、てきとーによろしくね。
向こうが挑発に乗ってくれんなら挑発でおびき寄せるってのは悪くないかもねー。
実際挑発に乗ってくれるのか知らないんだけどその辺どうなんだろ? -
2015/03/07-00:17
お久しぶりとソノラさんははじめましてーっ
ニーナです、よろしくお願いしまーす
うちも何だか違和感が…
悪戯を考えて…る訳ではなさそうですし、何だか嫌な予感がします。
相談しておいてもいいと思います。
一緒に戦闘開始できればいいんですけど、
今回は参戦タイミングがどれくらいずれるかがちょっと分からないですね…
とりあえず戦闘するにあたって相手に降りてきて貰わないことには
こちらの攻撃が当たらないですよね…
攻撃で降りてきたところを狙うか、
挑発してこちらへ飛んできてもらう、という感じでしょうか? -
2015/03/06-15:06
手屋 笹です。
ソノラさんは初めまして。
ニーナさん、お久しぶりですね。
さておかしな具合になってしまったカガヤを元に戻さなくてはですね…
よろしくお願いします。
デミ・ハーピーを相手にする事に関して相談は不要なのでしょうか? -
2015/03/06-13:41
こんにちは…こちらもノグリエさんの様子がおかしいんです。
気を付けて行きましょう…みなさんよろしくお願いします。 -
2015/03/06-00:43
こっ…こんちはー 油屋。だよ 何か精霊の様子が……
サ「ハヤセチャンドコー?ヤサシクコロシテヤルカラデテオイデー」
あ、大丈夫!いつも通りだこれ!!(爽やかすまいる)