地下書庫が見せる幻、淡き夢(コモリ クノ マスター) 【難易度:普通】

プロローグ

●序説――書は囁く
 とある地下書庫には、故あって主を失ったマジックブックが大量に保管されている。
 マジックブックはトリックスターの攻撃手段にも使われる魔法の書だが、そこにあるのは特に大きな魔力が秘められたもの。
 それゆえに生半可な使い手では御しきれぬため、地下深くで密やかに眠っているのだ。

 不用意に触れれば、幻覚を見せるだろう。

 例えば、記憶の奥底に眠る捨て去りたい過去を。
 若しくは、想像するだにおぞましいほどの悪夢を。
 でなければ、かねてより抱いていた甘美な妄想を――。

●いきさつ、あるいは騒動の幕開け
 数組のウィンクルムたちは、息を潜めて古い階段を降りてゆく。きしり、樫の手すりが悲鳴を上げた。

 A.R.O.A.本部では、最近の上級オーガ復活事件を受け、その再発を防ぐための研究調査を進めていた。
 その中で浮かび上がったのが、20年前の《流星融合》以前のオーガに関する地域伝承を集めた一冊の書物。
 それがここ――シュピーゲル財閥が保有している稀覯書、つまり珍しい書物を集めた私設書庫にあるという。
 彼らウィンクルムは、手の離せないA.R.O.A.常勤事務職員に代わり、複写資料を借り受けに来るよう頼まれたのだ。

 重い扉を押して書庫へ入ると、ひんやりした空気が纏わりついた。
 次いで目に入るのは、室内いっぱいのおびただしい書棚。紙が傷まないよう、温度や湿度も調節されているのだろう。

「あら、あなた方がウィンクルムの方々? A.R.O.A.の方から連絡をいただいているわ。頼まれていた資料だけれど、まだ複写が出来上がっていないの。すこし、お待ちいただけるかしら」
 司書らしき女性が書き物机から顔を上げた。カーディガンを羽織った彼女は、入室者たちを見て微笑む。
「その間、書庫の本でも眺めていて頂戴な。ああ、でも」
 彼女は言葉を切ると、奥めいた位置にある三つの書棚を目顔で示し、
「読もうとすると幻覚を見せるものがあるの、あれにはうかつに触れないほうがいいわ。もっとも、幻覚を見たところで醒めてしまえばなんの害もないけれど。人前で白昼夢を見せられるのは、お嫌でしょう?」
 それらの書棚は、並ぶ本の装丁が豪華なこと以外は一見普通でありながら、いやに人目を引いた。
 放たれる強い魔力の気配と抗いがたい誘惑は、精霊や神人には必要以上に鋭敏に感じられるかもしれない。

 それでは、1時間ほどで戻るわね。そう言い置いて、彼女は奥の小部屋に引っ込んだ。

解説

魔法の書に触るなよ、いいか、絶対に触るなよ!というやつです。

でも、「うっかり」マジックブックに触れてしまうことはあるかもしれませんね。
あるいは、幻覚でもいいからどうしても見たいものがあって、自発的に触れるケースもあるでしょう。

●三つの書棚
一の書棚:
並ぶ書の背表紙の多くには、時計のような紋様が描かれている。
どうやら、後悔、嫌悪、執着など、強い感情を伴う過去の幻覚を見せることを得意とする魔法の書のようだ。

二の書棚:
並ぶ書の背表紙の多くには、悪魔のような紋様が描かれている。
どうやら、嫌いなもの、起こってほしくないと思う悪夢の幻覚を見せることを得意とする魔法の書のようだ。

三の書棚:
並ぶ書の背表紙の多くには、ハートのような紋様が描かれている。
どうやら、心に抱く妄想や願望を具体化した幻覚を見せることを得意とする魔法の書のようだ。

●地下書庫の壁の張り紙
【重要】マジックブックの取扱いに注意
万が一、幻に囚われた場合は、そばの者が大声で呼びかける、触れるなどして外界の刺激を与えること。
なお、救助の際、被救助者の見ている幻の一部が救助者にも見える事例が報告されている。

ゲームマスターより

棚を選んだ上、神人ならアクションプラン、精霊ならウィッシュプランに幻覚の内容を書いてください。
マジックブックを開いてしまうのは精霊か神人どちらか一方にしていただいたほうが、十分な描写が可能です。
(両方でもかまいませんが、そのぶん個々の描写があっさりめになります。ご了承ください。)

また、パートナーに知られてしまう幻覚の内容の範囲を限定したい場合は、その旨プランにてお知らせください。

「一の書棚」を選んだ場合、見せられるのは過去そのものではなく、「過去を元にした幻覚」です。
いただいたプラン、設定はGMができる限り丹念に読み込みますが、適宜アドリブが入る可能性もあるため、記載外のイメージと異なる部分は「幻覚だから」とご理解いただけると幸いです。

シリアス・コメディともに対応可能です。
……黒歴史ノートの中身を神人に知られてしまう精霊さんがいたりしてもいいのよ?

リザルトノベル

◆アクション・プラン

クロス(オルクス)

  アドリブOK

一の書棚

オルク沢山の本…!
しかもどれも珍しい本ばっか!(目を輝かせる)
何を読むか悩む…
ん?この本…
よしコレ読もう!
(本を手に取ると過去にオーガによって故郷と家族、幼馴染が殺され滅ぼされた幻覚が)
えっあっ嫌っ父さん!母さん!お祖母ちゃん!クロノス(妹)!ネーベル!(男幼馴染)
何よベルのバカっ約束したじゃんっ追い付くって、逃げ切るってっ!
お願いだから、死なないでよベル…っ!
あぁっ…いやぁぁぁぁああああああっ!
逝かないでっ俺を…私を一人にしないでっ!
(オルクスの呼びかけと抱きしめで幻覚から覚める
オ、ルク…?あぁ…幻、覚…
はは、まだまだ…だなぁ(泣苦笑
(安心したのか涙流しながら気絶



メーティス・セラフィーニ(ブラウリオ・オルティス)
  一の書棚
大丈夫です、触りませんよ。オルティスさん心配しすぎです
読む本を選ぶ振りをしてこっそり触る
幻覚でも良い。死んだあの人にもう一度逢いたい。

幻覚
いつも二人で歩いた並木道、隣に佇む愛しい人
逢いたかった…っ!
手を取り涙を流す 幻覚は終始優しく微笑んでいる
いつも貴方を想ってた。今までも、今も、これからも
…これからも?

声が聞こえ引っ張られる
一際大きな声が聞こえた時並木が燃え上がり
恋人が血塗れの無残な姿に変わる
記憶の底に封じていた最期の姿は酷くおぞましかった
あ…あぁ、いや…っ!!

我に帰り必死な表情の精霊を見て悟る
あの人はもう傍にいない
…少しは向き合っても良いかもしれない

ありがとう……ブラウリオ、さん。



リーヴェ・アレクシア(銀雪・レクアイア)
  目的:銀雪を救助する
心情:触れるなと言われていたのに…仕方ない
手段:銀雪にはまず、声をかけ、反応を伺う
彼が何か漏らすようなら、きちんと聞こう
(そして、幻覚を見たり、その彼の感想を聞き、脱力する)
…これは、どうコメントしたものか…。
まぁ、年頃の男とはこういうものなのだろうが、健気なのは可愛いね。努力を重ねるのは、いいことだしな。
銀雪を起こしたら、とりあえず、頭を軽く小突いて手を差し出す。帰るぞ、銀雪と言って。
銀雪の顔は見ないでやろう。幻覚を見られた恥ずかしさもあるだろうし、見られたくないだろう。
特に幻覚を見て、どう思ったとかは私からは口にしないが…、そうだな、「もっといい男になりなさい、銀雪」


楓乃(ウォルフ)
  ■行動
・ウォルフの目を盗み「一の書棚」の本棚へ。
・見たい幻覚は、顕現するきっかけとなった精霊。
・本を取り間違えたことに気づかず「二の書棚」の本を読む。
・彼に会えると思いきや、ウォルフが出てきて楓乃から離れて行こうとする幻覚をみる。
・ウォルフに抱きしめられて幻覚から覚める。

■心情
またあの人に会える…?あの時は目が見えなかったから幻覚なんて見えないかもしれない。けど姿が無理なら声だけでも!

…ウォルフ?どうしてウォルフが?
え?やだ。どうしてそんな事言うの…?
ウォルフが側にいてくれないとやだよ…!行かないでっ!

あ…私…。…ウォルフが起こしてくれたのね。ありがとう。
(私いつのまにかウォルフの方が…)



●忘れがたき夢
「ここ、魔法書もあるみたいだし、変なのには触らないようにね?」
「大丈夫です、触りませんよ。オルティスさん、心配しすぎです」
 釘を刺す『ブラウリオ・オルティス』に、『メーティス・セラフィーニ』は安心させるように微笑んでみせる。
 彼はそれでもしばらく気遣わしげな視線を向けていたが、ややあって頷いた。
「そう? ……うん、それならいいけどさ。職業柄、きっと読みたい古書だってあるだろうしね。俺は一通り眺めてくるよ」
 穏やかな笑みにメーティスの良心はわずかに痛む。けれど、どうあってもこのチャンスを逃すわけにはいかなかった。
「……うわ、この本の装丁、金箔だ。すごいな」
 そんな呟きを漏らしながらあちこちの棚を眺めているブラウリオの様子を横目で確認すると、彼女は書棚に手を伸ばした。
 目的は、さきほど注意を受けた魔法書。
 高価な魔法書の装丁が豪華なのは、中身の魔力を増幅させる効果があるからだ。したがって、表紙と中身が無関係のことは少なく、古びた懐中時計の模様が描かれているものはそのまま過去を扱うものと見ていいだろう。
 幻覚でもいい。願いはたったひとつ、どうかもう一度だけ――。

「ここは……?」
 目を開けると、そこは薄暗い地下書庫ではなかった。
 穏やかな木漏れ日が降り注ぐ。目を細めて見上げると、大好きだった並木道のポプラが枝を広げていた。
 少し視線を下げれば、そこにはもっと大好きだった銀の髪のひと。
「逢いたかった……っ!」
 彼の大きな手をぎゅっと両手で包み込むように握る。温かかった。
「あのね、逢えなかった間、色々なことがあったんです。ほら、あのウェディングドレスも仕立てあがったんですよ」
 愛しいひとは優しく微笑み、ただ頷いて聞いていた。
「ふふ、仕上がり具合は式でのお楽しみです。それから――」
 神人となったことを話そうとしてメーティスは、あれ、と思う。覚醒したのは、しばらく彼と逢えなかったのは、どうしてだったろう。
 思い出せなかった。それでも、彼がそばにいてくれさえすれば大した問題ではない。だから、彼女は嬉しそうに囁いた。
「いつも貴方を想ってた。今までも、今も、これからも」
 これからも? 違和感はまた膨らむ。忘れようと首を振ると、今度は誰かの声がメーティスの耳に届いた。
「……んで、……んだよ」
 彼女は銀髪のひとの顔を不思議そうに見上げた。ちがう。彼ではない。
「メーティス!」
 再び、さっきと同じ声がした。

「なんで、そんな幸せな顔してるんだよ。メーティス!」
 募る嫌な予感に戻ってきたブラウリオは、はたして魔法書を手に至福の表情を浮かべている神人を見た。
 眉根を寄せる。彼女にそんな顔をさせる幻覚には容易に想像がついた。きっと、オーガに殺されたという恋人だろう。
 咄嗟に彼女の肩を掴むと、周りの風景が瞬時に変わる。
 知らない場所で銀髪の男が微笑みながらメーティスの手を握っている光景――彼女が囚われた幻覚だと直感で悟った。
「あいつ……!」
 ブラウリオは手を伸ばすが、その指先はなぜかメーティスに届くことはない。まるで蜃気楼のように。
 気持ちが、焦る。このままでは、彼女を帰らぬ場所へ連れて行かれてしまう。そう思った。
 そのとき、男がブラウリオを見てにやりと笑った気がした。
「おい……手ェ離せよ。離せっつってんだろ!!」
 ようやく手が届いたと思った瞬間、視界は一変した。
 ポプラ並木が燃え上がる。まるで血の如き紅。
 銀髪の男の優しげな表情は苦痛に歪み、血に染まる。その姿はひどくおぞましかった。
 ブラウリオは息を呑んだ。あれが彼女の死んだ恋人の今際の姿だというのか。
「あ……あぁ、いや……っ!!」
 メーティスの絞り出すような悲鳴。彼女が頭を抱えてうずくまると同時に、血塗れの人影がゆらりと揺れた。

 幻影がかき消える、その刹那。
 ブラウリオは、幻覚の男がメーティスに手を伸ばすのを見た。

「やめろ、連れてくな! 頼むから……!」
 声を限りに叫んだ瞬間、あたりは元の地下書庫に戻っていた。魔法書は閉じた状態で床に落ちている。
 放心したように床にへたり込むメーティスの姿を見て、ブラウリオは傍にしゃがみ、
「メーティス、俺を好きになってくれなくてもいい。嫌いでもいい。だから行かないでくれ……どこにも……」
 たまらず、両腕を伸ばす。確かにここにいてくれているのだと、確認したくて。
 彼はメーティスの肩口に顔を埋めた。華奢な体をかき抱く引き締まった腕は、かすかに震えていた。
「ありがとう……ブラウリオ、さん」
 垂れた黒い耳に囁かれた言葉に、ブラウリオは弾かれたように顔を上げる。黄金の瞳から、一筋、涙がこぼれた。

 向き合ってみてもいいのかもしれない――メーティスは、初めて彼の名を呼びながら、そう思う。
 今日知ったブラウリオの表情は、いつもの物腰柔らかく飄々としたものとは異なっていた。
 必死に叫び手を伸ばしメーティスを守ろうとする姿も、それから涙も。
 あのひとは、もういない。
 記憶の中そっくりそのままの幻と、知らない表情を幾つも見せるブラウリオとを見て、ようやく心から実感したこと。
 それに――。彼女はそっと、自分の背に残る感覚をなぞった。

 幻影がかき消える、その刹那。
 メーティスは、誰かにやさしく背中を押されたような気がした。

●郷を望む夢
「オルク、沢山の本……! しかも、どれも珍しい本ばっか!」
 『クロス』・テネブラエは目を輝かせ、傍らの『オルクス』・シュヴェルツェを見上げた。
 普段はクールな彼女もどうやら、古書の山に囲まれては平静ではいられないようだ。
 そうだな、と相槌を打ちながら、オルクスはその様子を見守っていた。
「クー、悩むのはいいが、足元には気をつけろよ?」
 彼女の視線は書棚に釘付けで、足元はすっかりお留守だ。こういうときだけは特殊部隊ブラッドクロイツの一員にもA.R.O.A.のウィンクルムにも見えないな、とオルクスは口元を緩めた。普段は気張っているくらいの彼女だから、なおさら微笑ましい。
 彼の注意には、うん、大丈夫だ、と生返事が返っただけで、
「悩む……どれを読んでみようか……」
 再びクロスの指先は本棚に並ぶ背表紙を彷徨う。じきに、その指先は一冊の本のところでぴたりと止まった。
「ん? この本……」
「決まったのか?」
 オルクスは尋ね、彼女がこれぞと引き出した一冊を何気なく見やる。
 古びた表紙に描かれた柱時計。――マジックブックだ。
「クー! ダメだ、その本は……!」
 だが、オルクスの制止はわずか届かない。クロスの指はそのまま頁を捲った。

 少女は、死の気配で満ち満ちた村に立っていた。生臭い風が吹く。
「えっ……」
 目の前に広がるのは、まさに地獄絵図。
 楽しい思い出のたくさん詰まった故郷の雑貨屋の、公園の、学び舎の、それから何よりも懐かしい自宅の前に、折り重なって倒れたいくつもの屍の山。よく目を凝らせば、ぽっかり開いたうつろな瞳は、どれもこれもクロスが見知った人たちのそれだった。
 彼女は思わず、あっと小さな声を上げ、口元を押さえた。
 俺は、この光景を知っている――少女はひどくぼんやりした頭でそう思う。
「嫌……っ、父さん! 母さん! お祖母ちゃん!」
 この中にいることは、見なくても分かっていた。だって、彼らは目の前でオーガに命を奪われたのだから。
 けれど、走り回ってその姿を探さずにはいられなかった。
 もしかしたらあんなのはただの悪い夢で、本当の家族は元気にしているかもしれない。
「……クロノス!」
 幼い妹の小さな靴。それが目に飛び込んで来るなり、クロスは震える足を止め膝をついた。
 ねぇね、と呼ぶ彼女の無邪気な声が耳にこびりついていた。

 やがて、なにも動くもののない静まり返った中、クロスの耳に這いずるような微かな音が届いた。
「もしかして……やっぱり。ネーベル!」
 駆け寄ると、倒れ伏した短髪の少年は力なく顔を歪めた。
 鋭利な爪で抉られたように衣服がところどころ引き裂かれ、押さえた腹からは出血している。
 自分は足が速いから大丈夫、きっとクロスに追いつく。そう言って笑った彼とは、物心つくかどうかの頃からの友だった。
「なによ、ベルのバカ……ッ。約束したじゃんっ! 追いつくって! 逃げ切るって!」
 悲痛な叫びは、詰るよりも懇願の響きを帯びる。
 音はなく、彼の震える唇だけが動いた。ご、め、ん。
「お願いだから……死なないでよ、ベル……! 逝かないで、俺を……私を、一人にしないで!」
 少年は何か言おうとしていたが、それが声になることはなく。双眸は静かに光を失った。
「あぁっ……いやぁぁぁぁああああああっ!」

 オルクスは愕然とした。
 止めようととっさに触れたその指先から、見るも無残な光景が流れ込んできたからだ。
 オーガに故郷が滅ぼされたのだとは話に聞いたことがあったものの、ここまでの大規模な惨劇であったとは。
「クー! お前はもう1人じゃない!」
 オルクスは、虚空を見つめぼろぼろと涙を零す彼女の肩をかき抱いた。
「オレやオレの家族、ブラッドクロイツの仲間達がいるだろ! オレはキミを置いて死なない!」
 いやいやと首を振って抵抗する彼女を落ち着かせるように、彼はその腕を撫でる。手つきとは裏腹に、言葉は力強い。
「だから目を覚ませ、クー!」
 びくり、と腕の中の身体が跳ねる。
 クロスはゆっくりと瞬きをし、やがて目だけ動かしてオルクスの顔を認めたようだった。
「クー、大丈夫か? どこも苦しくないな?」
「オ、ルク……? あぁ……幻、覚……」
 心配そうに覗きこむオルクスに、彼女は力なく笑ってみせる。
「はは、まだまだ……だなぁ。俺も修行が足りない」
「オレが、側にいるから。……少し休んだ方がいい」
「うん……こうしていて……少しで、いいから……」
 クロスは素直に頷くと、ゆっくり銀の目を閉じた。力を抜いた身体の重みがオルクスの腕に伝わる。
「……それにしても、ちょっと妬けるね」
 彼は、クロスの眦から溢れた涙を親指で拭ってやりながら、苦々しく笑った。
「クーに愛されてる家族やネーベルがまだキミの心の中にいるのは……やっぱり、歯痒いな」
 毛並みの良い銀の尾が力なく垂れる。

 だが、幻覚の中で見た少年の切実な表情に含まれる意思は、痛いほどに伝わってくるように思われた。
 クロスを守りたい――その思いは、オルクスとて同じこと。
 寝かせた獣の耳が再びぴんと立ち上がる。まるで、見知らぬ少年に誓いでも立てるかのように。

 意識を手放したクロスは知らない。
 ふたたび彼女を抱きしめるその腕が、まるでとびきりの宝物でも扱うように優しかったことを。

●望まない夢
 またあの人に会える……?
 『楓乃』は、司書の話を聞いたときからそのことばかりを考えていた。

 かつて、盲目だった楓乃に外の世界を話して聞かせてくれたひとがいた。
 顕現したことで目が見えるようになったときには、すでに姿を消していて、彼の顔を見ることはなかった。
 あの時は目が見えなかったから、幻覚なんて見えないかもしれない。
 けれど、姿が無理なら声だけでも――。
 一縷の望みを胸に、楓乃は目指す書棚へ真っ直ぐ歩いていった。
「ウォルフは……大丈夫ね」
 獣心族の『ウォルフ』の巻いた特徴的なターバンは、遠くの書棚の傍をひょこひょこと揺れている。
 楓乃は頷くと、急いでマジックブックの書棚の本を一冊取った。

 敗因といえば、彼の目を盗むことに気を配りすぎて、書棚への注意がお留守になっていたことだろう。
 楓乃は気づかなかった。手にした魔法書の背には、時計ではなく悪魔の絵が描かれていたことに。

「アイツ、どこにいったんだ……?」
 てっきり傍にいるものだと思った楓乃の姿が見当たらない。
 周囲を見回すウォルフの足取りはせわしない。
「……あ! あのバカ……!」
 眉を寄せ苦しげな表情をして、あらぬほうを凝視している彼女の様子に、ぴんときた。
 近づいて覗きこめば、はたして手元には魔法の書がある。
 トリックスターの幻惑の法術は専門外だが、同じく魔術を扱う者として、書の魔力と厄介さは見ただけで知れた。
 ウォルフは舌打ちひとつ、魔法書と楓乃を引き剥がしにかかる。
 壁の注意書きに従い、彼女の腕に手をかけ――その瞬間、ウォルフは眉をひそめた。
 会いたい。どうしていなくなってしまったの。もう一度、ひと目だけ。
「これはアイツの気持ち……?」
 楓乃のいけ好かない初恋相手の話は聞いたことがあった。大抵は、不機嫌な顔で相槌を打つだけだったが。
「お前そんなに……。なんでだよ。もう消えちまったヤツのことだろ?」
 俺なら、と思う。俺なら、そんな思いはさせないのに。
 これ以上、他の誰かのことばかり考えている楓乃の思考に触れているのは辛かった。
 ウォルフが顔を歪めて手を離そうとした、そのとき。
「……え? これは俺?」
 流れこんでくる幻覚の中に、ゆったりした布の衣服の人影の背があった。

「……ウォルフ? どうしてウォルフが?」
 楓乃は、目の前に現れた意外な人影に首を傾げる。
 初恋のひとの記憶が甦るなら、昔のように視界も暗闇に奪われておかしくないのに、何故かこうして目も見えている。
 さらにウォルフが徐ろに発した言葉に、彼女は目を見開いた。
「もう、お前の精霊じゃいられねえ。……じゃあな」
「え? やだ。どうしてそんな事言うの……?」
「他の奴のことばかり考えてるのは楓乃のほうだろ。そんなでウィンクルムがやれると思うか?」
「ウォルフが側にいてくれないとやだよ……! 行かないで!」
 取り付く島のない彼の声は、これまで聞いたことがないほどに冷たかった。
 声は意に反して震え、踵を返す彼の背を引き止めようと思っても楓乃の足は動かない。
 寒い。そう思った。気温は決して低くないはずなのに、全身が寒くて仕方ない。
 楓乃のくちびるが、ウォルフ、と動く――。

「バカヤロー! 離れたりなんかしねぇ。ずっと……」
 顔から血の気が引いていく楓乃の姿に、ウォルフは叫んだ。
 言いかけた言葉の続きは呑み込んだ。だが、その思いをぶつけるように、楓乃を後ろから強く抱きしめる。
「あ……私……」
 うっすらと紫色の瞳が開いた。ふわりと綻ぶように目元が緩む。
 心配かけやがって。安堵から、つられて口元が緩むのは止めようもない。
 さっきの続きは、いつかこいつに正気のあるときに言ってやろう。そう思いながら、ウォルフは腕の力を緩めた。
「……ウォルフが起こしてくれたのね。ありがとう」
「おはよう。バカ楓乃」
 彼はゆっくりと身を離しながら、言葉とは裏腹に微笑んだ。

 もう大丈夫か、と紫色を覗きこむ穏やかな表情から、彼女はしばらく目を離すことができずにいた。
 楓乃が滑り落ちた魔法書をあわてて拾ったとき、そばの扉が開いた。
「お待たせしたわね、やっと複写が終わって、……あらあら」
 苦笑を浮かべる司書の女性は、概ね何があったか理解しているよう。
「その本、読んだひとが最も恐れる物事を幻覚として見せるマジックブックなの。大丈夫? 嫌な目に遭わなかったかしら」
「忠告してもらったのに、ごめんなさい。すぐに引き戻してもらったので大丈夫です」
 言われて、楓乃はようやく本の取り違えに気づいた。だとすれば。
「……じゃあ、私、もしかして」
 いつの間にか、ウォルフのほうが……? 浅黒い横顔をちらりと見やり、俯く楓乃の耳はほんのりと染まっていた。

●遠い遠い夢
 『銀雪・レクアイア』はごくりと喉を鳴らした。
 隣には神人の『リーヴェ・アレクシア』、二人で穏やかな森を散歩するなんて、夢みたいだ。
「リーヴェ。そのあたりは下草が湿っているから、滑りやすくて危ないよ。もっとこっちへ」
「ありがとう……ふふ、銀雪と一緒のときだけは、気が緩んでしまうな」
 あれ? 俺の契約相手って、こんなにしおらしかったっけ。銀雪はわずかに眉を寄せたが、
「どうした? そんなふうによそ見をして」
 顔を覗き込むリーヴェの視線に、一瞬だけ銀雪の脳裏に浮かんだ疑問はすぐに霧消する。
 同じ背丈の肩は鍛えられてほどよく引き締まってはいるが、それでも骨組みは男性のそれよりは華奢だ。
 腕の中の感触は抱き寄せられるがまま、身を寄せるようにそっと寄り添った。
 リーヴェのほんのり染まった頬を見ていると、もはや他のことはどうでもよくなった。
「ほら、小鳥が鳴いてる。このところ戦闘続きだっただろう、こういうところでたまにはゆっくりしたくてね」
「ああ。銀雪が誘ってくれたおかげだな。なあ、銀雪……」
 しばらくリーヴェは俯いていたが、ややあってゆっくりと顔を上げた。
 ふっくらとした唇は軽く開かれ、どこか誘うよう。
「リーヴェ、……いいかい?」
 銀雪が尋ねると、腕の中の彼女は、こくりと頷く。
 そして二人の唇は――。

「おい、銀雪?」
 リーヴェは至極冷静に、本棚の前で緩みきった表情を披露している人霊族に声をかけた。
「リーヴェ……可愛いよ……」
「完全に幻覚で参ってるな。……触れるなと言われていたのに」
 困った奴だとため息をつき、リーヴェは冷静に壁の貼り紙を眺めた。
 床に落ちた魔法書はハートマークが描かれた誘惑的な表紙のもの。
 まずは慎重に表紙を閉じて棚に収め、魔力の干渉を遮断する。
 放っておいてもいつかは醒めるだろうが、任務でここへ来ている以上、そういうわけにもいかない。
 壁の貼り紙を見やり、寝ぼけた者を起こすときの要領で軽く肩に触れる。すると、
「……これは……どうコメントしたものか……」
 リーヴェの眉間にわずか皺が刻まれた。
 川辺を散策する二人、そしてその距離は縮まって――頭に流れこんできたのは、妄想と呼んで差し支えない内容であった。
 おそらく、これが銀雪の見ている幻覚の内容なのだろう。
「リーヴェ、ほら、もっとこっちへ……」
「……まぁ、年頃の男とはこういうものなのだろうが、健気なのは可愛いね。努力を重ねるのは、いいことだしな」
 リーヴェはしばらく気が抜けたように瞑目していたが、ぽつりと独り言ちてくすりと笑った。
「銀雪。楽しそうなのは結構だが、そろそろ目を覚ましなさい」
 少し強い口調で告げ、肩を容赦なく揺さぶってやると、
「ううん……リーヴェ……?」
 焦点の合わなかった銀雪の瞳が、徐々に正気を取り戻す。それと同時に、彼の動きは固まった。

 司書の女性から資料を受け取っての帰り道でも銀雪は、まだ顔を上げられずにいた。
 これは……絶対に見られた。彼の視線は、無為に街路の敷石を数える。
「全く……」
 隣から聞こえたのは、ため息。
 ついに、呆れられたか。彼が一層俯くと、こつり、頭に何かが当たった。
「帰るぞ、銀雪」
 ぶつかったのは、ごく軽いげんこつ。
 リーヴェの白い手が俯いた視界に入る。ほら、と促す声に、銀雪はその手を取った。
 つないでみれば、幻覚で見たときよりもひんやりとして、けれど、確かな感触。
 ――もしかして、リーヴェも照れてたりして。
 こっそりと顔を上げてその横顔を盗み見ると、ちょうど振り返った彼女と目が合った。
 リーヴェのほうはというと、視線を受けて頬を染めるどころか、唇の端を軽く吊り上げる。
「もっといい男になりなさい、銀雪」
「……君に勝てる日、来るのかな」
 銀雪は、天を仰ぐ。見上げた空は晴れやかな青。
 耳まで真っ赤な彼のため息は、耳に快い笑い声でかき消された。



依頼結果:大成功
MVP

メモリアルピンナップ


エピソード情報

マスター コモリ クノ
エピソードの種類 ハピネスエピソード
男性用or女性用 女性のみ
エピソードジャンル ロマンス
エピソードタイプ ショート
エピソードモード ノーマル
シンパシー 使用不可
難易度 普通
参加費 1,000ハートコイン
参加人数 4 / 2 ~ 4
報酬 なし
リリース日 06月12日
出発日 06月17日 00:00
予定納品日 06月27日

参加者

会議室

  • [4]楓乃

    2014/06/16-05:18 

    神人の楓乃です。よろしくお願いします。
    精霊はウォルフです。

    私、どうしても読みたい本があって…。
    ウォルフには内緒でチラッと見ちゃおうかなって思ってるんです。

    ちょっとだけなら…大丈夫よね…?

  • ブラウリオ:
    ブラウリオ・オルティスだ、よろしく頼む。
    神人はメーティスだ。あいつは仕事で司書をしてるから古い本に興味あるみたいだね
    幻覚でもいいから見たいものがある、と以前言っていたな
    …変なことにならないといいんだけど。(フラグ

    (幻覚を見るのはメーティスです。ドシリアス直行します)

  • [2]クロス

    2014/06/15-17:51 

    オルクス:
    オレはオルクス、宜しくな(微笑)
    こっちは幻覚を見るのはオレのパートナー、クロス…クーだ。
    クーは趣味が読書だからそっちを楽しみにしてるから…
    なので発言等はオレになるかな。

  • リーヴェ・アレクシアだ、よろしく。
    幻覚を見るのは、銀雪の方になるかな。


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