あっついぜ~~! あつくて死ぬぜ~~!!(桂木京介 マスター) 【難易度:とても簡単】

プロローグ

 残暑お見舞い申し上げます……?
 どこが残暑よ――と、あなたはよろめくように歩きながら思う。この夏はむしろ、『暑中』の時期のほうが涼しかったくらいだ。
 うんと温度を上げたサウナのような湿度、照り焼きチキンにされてしまいそうな日射し、陽炎ゆらめくなか行李を背負って、家業の行商を続けるあなたのライフは、もうずっとゼロと言いたい状態である。
 Tシャツに短パンという軽装ですら、許されるのなら脱ぎ捨てたい気持ちだった。
「ん……?」
 あなたはまばたきをくりかえす。頭がオーバーヒートして幻覚でも見えているのだろうか。
 前方からしずしずと、着物姿の男性が近づいてくるのだ。それも、着流しなどではない。いわゆる紋付き袴、黒一色という太陽光線を集めてまわりそうなフル装備で。腰には刀の大小まで帯びている。それでいて、別次元にでもいるのではないかと疑われるほど平然としているのだった。泰然自若というやつか、汗をかいている様子すらなかった。束ねもせぬ艶やかな長い黒髪をなびかせるさまは、凜然でありながら優雅と表現するにふさわしい。
「お出かけですか?」
 彼は微笑んだ。なんのことはないあなたのパートナーたる精霊ではないか。
「仕事中」
 ぶっきらぼうにあなたはこたえた。なぜなのか、彼と目を合わせるのがためらわれた。
「お手伝いしましょう」
「結構よ」
 ぷいときびすを返したあなたは、ためらうことなく元来た方向に歩み始める。
 だが数歩も行かぬうちににわかに背中が軽くなったのを覚えた。
「ご遠慮なさらず。どうせ暇ですから」
 彼があなたの行李を、ひょいと持ちあげたのだった。
「暇って……あんたその格好で散歩でもしてたっていうの?」
「ご明察、恐れ入ります」
「そんな暑苦しい格好で?」
「存外涼しいのですよ。夏服ですし」
 やっぱり別次元にでもいるのだろうか。爽やかすぎて腹立たしいくらいだ。しかし彼と話しているとそよ風のように、なんだか涼やかなものを肌に覚えるのも事実だった。
「それで、配達はどちらまで?」
 困った――なにせ彼の目の前で反転したところだからである。とはいえ観念して、あなたは振り向くと遠くの街並みを指した。
「……あっち」
 ならなぜ戻ろうとしたのです? などという野暮を彼は口にしない。投げた木の枝を「取ってこい」と言われた子犬のように嬉しげに、
「承知しました」
 と告げると、やはりまたそよ風をまとうようにしながら歩き出したのだった。
「配達が終わったらアイスクリームでも食べに行きませんか?」
「あんたその完全和装で『アイスクリーム』とか言う?」
「はは、似合いませんか? では氷ぜんざいでも」
「あたし『行く』なんて一言も言ってないけど?」
「白玉の乗ったのにしましょう」
「……行く」
 暑さのほうは少しましになった気がする。
 けれどもあなたの胸の内は別の意味で、『あつく』なりはじめている。


 ◆◆◆

 ……と、いうのは言うまでもなく、あくまで一例だ。
 去りゆく夏、けれどもなんともアツい夏。
 暑い? 熱い? それともまさかの……厚い?
 そんな「あっつい」夏の物語を、語っていこう。

解説

 なにやら物騒なタイトルですが、もちろん死んだりしません。
 キュン死ならありでしょうか……なにを言っているのでしょう、私は。

 残暑とはいえまだまだ全力で暑い日々ですよね。
 そんな去りゆく夏の一場面を描くエピソードです。
 時期が晩夏であることだけが条件なので、どんな場所、どんな時間帯、どんなシチュエーションであるかは問いません!
 どうぞご自由に発想してみて下さい。

 たとえば、
 ・クラゲが出現という噂にドギマギしつつ、この夏最後の海水浴に出発!
 ・ようやく取れた夏休み、空いている特急の旅を満喫
 ・クーラーが壊れた! 涼を求め漫画喫茶へ行ったら彼がバイトしていた
 ・夏も終わりだと安心して外に出たら暑すぎて倒れそうに……なった彼をサルベージするの巻
 ・彼の実家に招かれたら超豪華な……流しそうめんの装置が完成しておりました
 ……といったものはいかがでしょう。

  初心者さんからベテランさんまで、あらゆる方のご参加をお待ち申し上げております。

  なお、飲食費等で『300jr』から『500jr』を消費するものとします。ご了承下さい。


ゲームマスターより

 お久しぶりです!
 最近とみに暑さに弱くなってきた桂木京介です。

 「あつさ」がキーワードのお話ですが、これにこだわる必要はありません。
 逆に南極並みに冷房をきかせた部屋で震える、という展開も面白いのではないでしょうか。
 アクションプランの書き方に特に制限はありませんので、あなたの書きやすいスタイルでお願いします。

 それでは、次はリザルトノベルで会いしましょう! 桂木京介でした!

リザルトノベル

◆アクション・プラン

リチェルカーレ(シリウス)

  干乾びそうに残暑の厳しい日
A.R.O.Aの本部近く 大きな倉庫
黙々と何かの作業をしているシリウスに目をぱちくり

何しているの?
防災倉庫の点検?傭兵隊ってたいへんなお仕事なのね
ええと、シリウス
ひとつ聞いてもいい?…暑くない?
返ってきた答えにくすりと 
そうよね 溶けちゃいそうな日だもの
あなたの顔もいつもより赤く…?
慌てて彼の額に手 
明らかに高い体温に眉を下げる
熱、あるわ 休憩しよう?
熱中症で倒れちゃうとたいへん
返ってきた返事にむうと膨れる
吐いたらアウトです お仕事どころじゃないわよ!
困ったような笑顔にため息
冷たい飲み物買ってくるわ 
わたしが帰ってくるまで日陰で休憩
大丈夫は聞きませんからね と弱音を吐くのが苦手な彼に


かのん(天藍)
  暑さのピークは越えてるものの、管理を請け負う庭の手入れは午前中と夕暮れ前にしている
それでも家に帰る頃は汗だくで

お帰りなさい、天藍
お疲れさまでした

帰宅後
彼に入浴の順番を譲って、表からは見えない庭の隅で育てている夏野菜を収穫
家に入ると丁度天藍が浴室から出てきたので
ビールと簡単なつまみが冷蔵庫にある事伝え浴室へ

入浴済ませ、食事の支度と思ったら出来上がりに近い状況
手伝おうと思ったら座っててと言われ、目の前にさっと出されるジンジャーエールのビール割り
料理の合間に丁度飲みたいなと思っていた物を、好みの味で作ってくれる天藍に敵わないですねと思う

一緒に料理をするのも楽しいけれど
たまにこういうのも良いでしょうか


八神 伊万里(アスカ・ベルウィレッジ)
  秋物のショッピングに付き合ってもらい、家に帰る途中
帰り道にある河川敷で花火に誘われる
まだまだ暑いけど日が傾くと涼しくなってきたね
花火なんていつの間に買ってたの?
うんいいよ、もう少しだけ一緒に遊ぼうか

本当だ、やっぱり暗い方が綺麗に見える
今日はお母さんが作るって言ってたから大丈夫
遅くなるけどアスカ君と一緒だって連絡もしたし

普通の手持ち花火は並んで楽しく
最後にしゃがんで線香花火
火が落ちるのを見つめ
もう夏も終わりだね…なんだか寂しいな
この後アスカ君と別々の家に帰るのも、もう慣れたと思ったけど寂しい
…ああそうか、私やっぱりアスカ君のこと好きになりかけてる
でも、振っておいて今更そんなこと言っていいのか…


桜倉 歌菜(月成 羽純)
  ホテルのナイトプールに羽純くんを誘っちゃいました!
うふふ、夜だと日焼けを気にしないでいいし、暑さも和らぐし、幻想的にライトアップされたプールはすっごく綺麗だと聞いたので!

水着に着替えて、ドーナツ型のビッグフロートを借りてプールへ
羽純くん、この浮輪、光るよ…!
綺麗だねぇ…
うっとりしつつ、羽純くんと一緒に浮輪に乗ってプールに浮かびます
波音に月明り、凄くロマンチック
昼間だと味わえないね
と、笑いかけた所で距離の近さにドキドキ…
慌てて距離を取ろうとしたら、落ちそうになって
ご、ごめんね…!有難う…
あ、あのね。凄くドキドキしちゃって…でも、離れないように、するね
羽純くんとこうして一緒に居られるの、幸せだから


瀬谷 瑞希(フェルン・ミュラー)
  フェルンさんがおもちゃ花火を買って来てくれました。
夜になると少しは暑さも和らぎますし。
庭先で、家の灯りも落として。
ガレージから出してきた縁台に2人で腰かけて、花火を楽しみます。
麦茶と良く冷やしたスイカも切っておきますね。

暗い中で華やかに輝く花火を2人で見つめるのも何だか幻想的です。
最後は線香花火が良いですね。
暗闇の中に居ると、自分達以外の誰がが側に居そうな感じがしませんか?
でも私、霊的なモノより生きてる人間の方が余程怖いです。
残された人達がもつ怒りや無念が、また悲しい出来事を引き起こしたりしますもの。
私達、今までの活動で少しは誰かに安心をもたらす事が出来たのでしょうか。
花火を見てふと呟きます。


 傾いた太陽は焔の髪を伸ばし、まだ夏は終わっていないと言うかのように、その尖端で天藍の頬を撫でた。
 灼かれている。アスファルトに照り返された空気も、重い湿気を含み煮えたぎっているではないか。
 天藍は知っている。この時期は間違いなく、森や山より街中のほうが暑いのだと。自然の草木は熱を取りのけ涼を呼び込むすべを知っているが、人工物たるコンクリートにそういった工夫はない。野外のフィールド作業なら慣れており、寒暖に応じた行動が取れる彼であっても、都会であればまるでお手上げ、逃げ場がないのだ。
 都会に棲息する野生動物の調査と保護、それが今日の天藍の仕事だった。これを進化というべきなのか、都市環境に適応した動物は少なくない。都会の動物、と聞いて素人がぱっと思いつくのはネズミだろうが、実際はネズミに限らず、キツネ、コヨーテ、ハヤブサやアナグマまでも、オフィス街で見つけることができる。
 そんな彼らの姿を追う一日だった。獣害に対処し、小動物を安全圏に逃す手伝いもする。都会の獣が好む狭い路地や天井裏に入り込み、捕獲ネットを手に大通りを疾走もした。
 ここ数日涼しい日が続いたので油断していた。雲ひとつない好天、本日は盛夏の頃を思い出す気温だったのである。そうして彼は丸一日、埃にまみれ滝のような汗を流すはめになったのだった。
 夕方。日干しになった気持ちで自宅にたどり着いた天藍は、むこうからやってくる姿を目にして笑みを浮かべていた。
 最愛の女性――かのんの姿だった。
 気がついたのだろう。あっ、と声を出すとかのんが、片手を挙げ駆け寄ってくる。
「お帰りなさい、天藍」
 かのんは丁寧に述べた。
「お疲れさまでした」
 湿度のせいか彼女の黒髪もしっとりと露を含み、毛先からしずくがこぼれ落ちそうなくらいだ。
「ただいま」
 誇張ではなくかのんの姿を見ているだけで、疲れが吹き飛ぶように天藍は思う。 
「かのんこそ、お疲れさま」
「今日は本当に暑かったですね」
「ああ、焼き魚になった気分だ」
 話しながらドアの鍵を外した。
 部屋の灯りがつく。
 ともに暮らす喜び、こうして互いをねぎらう幸せ、これが日常になっている。
「大変だったみたいだな、仕事」
「ええ、でも天藍ほどではなかったと思います。管理を請け負う庭の手入れは、午前中と夕暮れ前にしていますから」
「けれど今日は朝から猛暑だった」
「ですね。おかげで、終わる頃は汗だくでした」
「体、べたついてるだろう? シャワー先に使ってくれ」
 するとかのんは、すっとアメジスト色の瞳を細めた。
「ありがとうございます。でもお先にどうぞ。庭の隅で育てている夏野菜を収穫しますから」
「そうか……」
 天藍は顎を軽く指でかく。今日の自分は汗だくにとどまらず埃まみれでもある。ここで下手に譲り合うよりも、先に自分が入浴を済ませて食事の支度をした方が効率的かと思った。
「じゃあ、ありがたくそうさせてもらう」
 シャワーは思いきって冷たくした。外の日光を吸収し火照った肌が、水に打たれて元の血色に戻っていく。汚れと疲れは流れ落ち、一仕事終えたという充実感だけが残った。
 薄着になってダイニングに入ると、手にした籠に夏野菜を盛ったかのんが庭から出てきた。
 籐編みの籠に入っているのは、丸々とよく育った真っ赤なトマト、ブーメランのごとく『く』の字に曲がっているが元気な緑色をした大ぶりのキュウリ、それに、小型ロケットみたいなたくさんのオクラだ。しっとりと土の匂いがする。
「洗っておくよ」
 天藍が籠ごと受け取ると、「お願いします」とかのんは言って、
「ビールと簡単なつまみが冷蔵庫にありますよ」
 微笑混じりにささやくと浴室に向かった。
 思わず天藍は、そんな彼女の背中を目で追ってしまう。かのんに恋したときの気持ちを今なお胸に宿しているなんて言ったら、彼女は笑うだろうか。黙って抱きしめてくれるだろうか。――どちらにせよ、実際には照れくさくて言えそうもないのだけれど。
 冷蔵庫を空けると、ちょうど手を伸ばせば取れる位置に、ビールの缶と濡らしたジョッキが置いてあった。缶はびっくりするほど冷たく、外に出すとジョッキは綺麗な曇り硝子となる。
 こういうさりげない気遣いが嬉しいんだよな――。
 ビール脇にあった小皿には、枝豆とささみの和え物が入れてあった。食べるのが勿体ないくらい丁寧に盛りつけてある。簡単な、とかのんは言ったが、ただ茹でるだけではなく、こうして一手間加えてくれたことには感謝の念しかなかった。
 プシュッ、と音を立ててプルタブを引く。
 グラスを傾けて最初はゆっくりと、後半は乱暴なくらいさっとビールを注いだ。泡があふれる直前で手を止め、数秒、気泡が舞い上がるのを目で愉しんでから天藍はぐいとこれをあおった。
 ――!
 たまらない、というのが率直な感想だ。これぞ大人の特権、体が疲れているだけにひときわしみる。毛細血管のひだまで冷たいものが広がっていくように思った。
 さて、夕飯だが……。
 フォークでささみを口に運んで食感を楽しみつつ、もう半口ほどビールを含むと天藍は改めて冷蔵庫を開けた。
 それにしても、よく整理されている。どこになにがあるか一目瞭然だ。
 ひとり暮らししていた頃の冷蔵庫を思い出して、天藍は苦笑いした。
 すぐ目にとまったのは、ボウルに入った鶏肉、それと刻んで小分けにした野菜だった。
「朝の内に済ませていたのか」
 思わずうなってしまった。鶏肉はしっかり下ごしらえが済んでおり、タレに漬け込んであった。あとは焼くだけ、実に簡単だ。野菜はつけあわせにいいだろう。
 かなわないな、素直に天藍は思った。こういう段取りは、かのんには到底かなわない。
 そうと決まれば、と天藍は籠の野菜に向かう。
 せっかくの取れたてだ。夏野菜にとって最高の季節もそろそろ終了、一番美味な時期に、サラダでいただくことにしよう。冷え冷えなのが理想なのは言うまでもないが、新鮮さという意味ではすぐ調理するのがベストだ。最初にかかれば、今からでもいくらかは冷やせるだろう。
 お気に入りの黒いエプロンを取り出して巻く。開始の合図がわりに、枝豆とささみをもう一口、ビールでさっと流し込む。
「生き返りました」
 かのんが出てきた。髪にタオルを巻いている。
 手伝います、とかのんが言うより早く、
「今日は任せてほしい。座っててくれ」
 と天藍は言うなり、さあどうぞ、と食卓にコースターを敷き、そこにカクテルのトールグラスを置いた。
「いいんですか?」
「もちろん。飲み終わる前にできあがると思う」
 かのんはグラスを見た。泡立つシャンパンゴールドの液体は、ジンジャーエールのビール割りだ。
 料理の合間に飲みたいな、と考えていたカクテルだったから驚いたのだけれど、驚きはそれにとどまらない。
 一口して目を丸くする。まさしくこれ、と言いたくなるほどに好みの加減だったからだ。
 今はまず水分がほしいところだから、アルコールはそれほど強くなくていい。そのかわり、活力源になる生姜の香りがほしいところだった。まるでそんな彼女の心を読んだかのように、天藍の手による加減は絶妙だ。濃さはちょうどいいくらい。擦った生姜を足しているらしく、力強さもちょうどいい。
 かなわないですね、とかのんは思った。天藍は私のことを、たぶん私以上に、理解してくれている。
「お待たせ」
 予告通りだ。かのんがグラスを空けるより先に、天藍が食卓に皿を並べ始めた。
 食欲をそそる香りがチキンの照り焼きからのぼる。目に嬉しい鮮やかな赤と緑は、かのんが収穫したばかりの野菜から作られたサラダのものだった。自家製のドレッシングも用意されている。
 一緒に料理をするのも楽しいけれど、たまにこういうのも良いでしょうか――。
 かのんが顔を上げる。天藍の笑みと目が合った。
「今日は疲れたから、しっかりと食べよう」
 やがて、他愛もない会話と食事がはじまる。
 ありふれてはいるけれど、とても貴重で、かけがえのないひとときが、はじまる。



 燃え上がるようだった真昼の粒子が、まだ空気中に残っているような気がする。
 しかしすでに夜、暑さは和らいで久しく、なにより突き刺さるような陽差しがないだけ随分と過ごしやすかった。
 とりわけ、ここプールサイドでは。
「夜のプールと聞いて、一体どんなものかと思ったが……」
 水着姿。引き締まった肉体を水面に映しているのは月成 羽純だ。
 そうしてしばらく言葉もないように、ただ、立ち尽くしている。
 ビーチサイドに位置する高級リゾート地、このホテル屋上には、前面に海を見下ろすというシチュエーションのプールが存在する。彼がいるのはまさにその場所だ。
 ビーチが見えるのにプール、というこのロケーションが、何とも贅沢であることは疑いようがない。リゾート地として雑誌などによく名が挙がるという。
 昼間はゴージャスで賑やかなプールで、それはそれで魅力的ではあるものの、夜ともなればプールは、その装いを一変させるのだった。むしろ夜こそ、本領発揮のときとでも言うかのように。
 太陽のかわりにこの場所を照らすのはLEDライト、それも、ぎらつきを抑えた落ち着いたムードの発色のものが中心だ。色彩は、青、紫、朱色に白色といった、バーのようなムーディなものが基本だった。実際、会場には水着のまま座れるバーカウンターもあり、バーテンダーに注文すればカクテルを愉しむこともできる。
 アダルトな雰囲気だが、決して遊び心を失っていないあたりも注目できよう。中央のプールにはプロジェクションマッピングが施されているからだ。揺れる水面は映画館のスクリーンさながらに、様々な光景や人物、美しい模様をランダムに映し出すのだ。そのバリエーションは豊富で、なかなか見飽きない。
「気に入った?」
 うふふ、と、月光の下の妖精のように微笑して、桜倉 歌菜が羽純の隣に並んだ。このナイトプールに彼を誘ったのはもちろん歌菜だ。
「夜だと日焼けを気にしないでいいし、暑さも和らぐし、幻想的にライトアップされたプールはすっごく綺麗だと聞いたので!」
 羽純は歌菜に笑みを返した。けれど彼女の水着姿をちらりと見て、慌てて正面に向き直る。
「ああ、その通りだな……凄く、綺麗だ」
 直視したのは一瞬だったが、見たものはたちまち羽純の網膜に焼きついていた。
 赤い水着は歌菜の、すらりと長い手足を魅力的に見せていた。上気しているせいか、ほんのり薄桃色の肌も眩しい。大げさではなく思わず、不意打ちを受けたような気分だった。といっても刀剣によるそれとはちがって、なんだか甘くて、胸がきゅっと詰まるような不意打ちだけれど。
 綺麗、という羽純の言葉がなにを指したものか考えることなく、
「こんなの借りてみたんだ」
 はしゃいだ声で歌菜は、背後に用意したものを持ちあげる。
「プールに浮かべるものか?」
「うん、ビッグフロートって書いてた。まあ、浮輪だね」
 透き通ったビニール製、ドーナツ型をしている。エアは存分に入っており、ボリューム感こそあるものの軽い。ふたりで乗れるだけの余裕がありそうだった。
「浮輪か……ちょっと照れくさいな」
「ナイトプールの必需品らしいよ。泳ぐことよりも、こういうものに乗って揺られるのが醍醐味なんだって」
「そういえば、全力で泳いでいる風の人はいないな」
 羽純は周囲を見渡した。にぎわってはいるものの全体的に静かだ。カクテルも供されるプールゆえ、激しく泳ぐのとは違う楽しみ方があるということだろう。
「試してみようよ」
 とフロートを浮かべた歌菜は、たちまち興奮気味の声を上げた。
「羽純くん、この浮輪、光るよ……!」
 ぼうっとほのかな光が、フロートの内側からあふれたのだった。LEDライトが仕込んであるようだ。
「面白いもんだな」
 どういう構造かはわからないものの、水上に置くと点灯するものらしい。光ははじめ白だったが、ゆっくりと寒色系、ついで暖色系へと変化を始めた。
「乗ろうよ」
 仔猫が母猫の背に乗るように、嬉しげに歌菜はフロートによじ登った。真ん中の輪には入らず、マットの上に腰掛けて脛から下を水にひたす。
「羽純くんも」
「わかった。待ってろ」
 羽純も同様にすると、わずかにフロートは傾いたもののすぐ安定を取り戻した。
 歌菜はちゃぷちゃぷと水を蹴り、ゆっくりとボートを動かすのだった。

 流れる。フロートは流れる。
 光あふれる夜のプールを流れる。一艘の小舟さながらに。
 ちょうど、プロジェクションマッピングのあたりにさしかかった。
 水面に映し出されるのは異国の情景、アラベスクのような模様、そして大草原……空を振り仰げば、そこには月明かりがあるばかり、波音もあいまって、ここがどこなのか忘れそうなほど幻想的な気分になる。
「綺麗だねぇ……」
 歌菜はうっとりと目を細めた。
「こんな気分、昼間だと味わえないね」
 と、笑いかけた歌菜は、いつの間にかすぐそばに、羽純の顔があることに気がついた。
 ――距離、近い……!
 鼓動がひとつ、大きく跳ねるのがわかった。
 好きだから。
 好きすぎるから。
 だから、急に接近されると心臓が止まりそうになる。喜びで。
「あわわわっ!」
 心の混乱が体の統制(コントロール)を乱した。急に目覚めた小動物のように、歌菜は慌てて離れようとするも、とっさについた手が水で滑り、するっと後方に大きく仰け反った。
 落ちる――!
 歌菜は目をつぶった。このときフロートは紅色の光を帯びていたのだが、それが警戒色のように目に映った。同時に彼女はどぼんという水音と、派手な波飛沫を想像した。プールの水が目に染みる感覚すらも。
 ところが、そうはならなかった。
「危ない」
 すんでのところで、歌菜の背は羽純の腕に支えられていたのだった。
 彼のもう片方の手は、彼女の腕をつかんでいる。
「ご、ごめんね……! ありがとう……」
 それだけ言うのが精一杯、歌菜の顔は真っ赤だ。
「気をつけたほうがいい」
 決して声を荒げることなく、羽純は優しく、いささか苦笑まじりにこう告げた。
「プールでライトアップされているとはいえ、落ちたら危ない」
 そして言い添えるのだ。
「……俺のそばから離れないようにしろ」
 と。
「あ、あのね。凄くドキドキしちゃって……」
 慌てて弁明するように歌菜は言うも、正直に思っていることを吐露できたからか、なんだかすっとした気持ちでもあった。
「……でも、離れないように、するね」
 今なら言える――と思う。この勢いで言ってしまおう。いっそのこと。
「羽純くんとこうして一緒に居られるの、幸せだから」
「……!」
 ところがこの言葉こそ、羽純のほうにとっては思わぬ不意打ちだった。
 言葉が出てこない。
 返せない。
 ――突然なにを言い出すやら……まったく。
 やられた! と感じて、照れくさくて、そして、嬉しかった、とても。
 羽純は認めざるを得なかった。みずからの頬が熱くなっていることを。
 夜でよかった、というのが正直な心情だ。紅潮しているのを隠せるから。
 もっとも、この距離だと気付かれている可能性が高いが――。
「……バカ。ドキドキしてるのは俺も同じだ」
 やっと言えた。コホンと空咳して羽純は続ける。
「……もちろん、幸せに思う気持ちも、な」
 そうして羽純はするりとドーナツの輪から水に降り、上半身をフロートに預けたまま、下半身でゆるやかに泳ぎ始めるのだった。
 そうでもしないとこの火照りを、鎮めることなどできそうになかったから。
 照れ隠しにぱしゃっと水を掛けて、
「顔、真っ赤だぞ」
 自分のことはさておいて、からかうように彼女に呼びかける。
「もう、羽純くんだって!」
 歌菜は子どものように水を掛け返し、彼とならんで水に半身をひたした。
 いつの間にか互いの、肘と肘とが触れあっている。ぴったりくっつくのではなく。小鳥と小鳥がキスするように、プールの揺れに合わせて触れたり離れたりを繰り返している。
 こうしていたい、ずっと――。
 歌菜は瞳を閉じた。
 やがて夏は去るのかもしれないけれど、この夜感じた熱さを、忘れることは当分ないだろう。


 大きな紙袋ひとつと小さな紙袋がふたつ。これが片手で、もう片方の手にも、ほぼ同じ程度の荷物。
 袋同士がこすれあうと、ぱりぱりと小さな音が鳴る。いくらか秋の気配を帯びてきた風が、このぱりぱりを招き寄せる。
「アスカ君、半分持つよ、本当」
 八神 伊万里はアスカ・ベルウィレッジを気づかってそう呼びかけるのだが、
「いいって」
 とアスカはいたって平気な風だ。
「でも、全部私の買ったものなのに」
「どうせ中身服だから軽いし」
 このとき伊万里とアスカは、ショッピングモールでの買い物を終えた帰路なのだった。伊万里の希望で、秋物の早期セールに足を運んだのである。ちょっと見てみる程度のつもりが、お手頃価格帯でいいものがたくさん見つかり、ついつい買いすぎてしまったというのがことの次第だった。
 道は河川敷にさしかかった。ほんの二時間ほど前まで暴威をふるっていた太陽も、ようやく観念したかのように力を失って、滑り落ちるようにして背後の陸橋の間に沈みつつあった。
「まだまだ暑いけど……」
 額の汗を軽くぬぐって伊万里は言った。
「陽が傾くと涼しくなってきたね」
 そういえば蝉の鳴き声も聞こえない。ちょっと前まであんなにうるさかったことを思うと、突然ミュート(消音)ボタンを押されたような一変ぶりだ。
 このときアスカは、そうだな、とも、そうか? とも言わなかった。ただ「ああ」と生返事するにとどめている。何か考え事をしていたものらしい。それを裏付けるように、彼の尾も右、左、右、と揺れていた。
 そうしていくらかためらったのち、おもむろに彼は言ったのである。
「なあ、まだ時間あるか?」
 と。
「時間? 大丈夫だよ」
 それを聞くと安堵したようにアスカは小さくうなずいて、「だったら」と右手の紙袋をすべて左手に持ち替えた。
 いや正しくはすべてではなかった。たったひとつを除いて、だ。
「今日の荷物、『全部自分の』って伊万里は言ってたけど……実はそうじゃない」
 えっ、と伊万里は聞き返した。その彼女によく見えるよう右手を上げる。
「花火、していかないか」
 アスカの右手に残っていたのは、サイズも形状もさまざまな手持ち花火が詰まったパッケージだったのである。明るい原色系のものが多く鮮やかだ。雷様のイラストや正体不明のポップなキャラクターもこちょこちょと配されている。不統一かつチープながら、こうしてきゅっと詰められている姿には、なんだか駄菓子屋をのぞいたときのような楽しさがあった。
「いつの間に買ってたの?」
「帰り際に、たまたま気がついて」
 伊万里が支払いをしている隙に、こっそりと購入したことは伏せておく。
「今年はまだやってなかったから。……で、どうする?」
 そう言われてみれば、と伊万里は思った。やはり花火がないと、夏は物足りない。
「うんいいよ、もう少しだけ一緒に遊ぼうか」

 河原に降りて準備を整えた。
 アスカはライターも購入していた。てきぱきと石で風防を組むとその中央に、花火に同梱されたロウソクを置いて火を灯す。
「ほら、これ」
 アスカが伊万里に手渡したのは、紫のストライプが入った黄色い手持ち花火だ。
「ありがとう」
 軽く握って先端に火を近づける。火が宿ると花火は一、二回またたいたのち、勢いよく炎を噴き出した。ぱちぱち爆ぜる小さな火花も一緒に出している。
 すぐにアスカもそれにならった。
 煙が二本、すうっと昇っていった。花火の火薬独特の、ノスタルジックな匂いも漂う。
 アスカは空を仰いだ。茜色に染まっていた夕方の空が、ようやくわずかに黒みを帯びつつあるところだった。
「……まだ日没前だからあんまり色が分からないな」
「本当だ、やっぱり暗い方が綺麗に見える」
 確かに花火らしい花火ではあったものの、輝きが淡い。夜に映えるものだけに、現状ではいささか寂しいのは事実だ。
「暗くなるまでゆっくりやろう……あ、晩御飯とか平気か?」
「今日はお母さんが作るって言ってたから大丈夫」
 伊万里は笑顔を見せた。
「遅くなるけどアスカ君と一緒だって連絡もしたし」
「それなら良かった」
 と言いながらもう、アスカは二本目を用意している。しかし途中で手を止め、頭の黒耳をなでつけて思い出したようにこう付け加えた。
「母さ……副所長の飯、懐かしいな」
 それは独り言、それも囁きに近いつぶやきだったため、伊万里の耳には届かなかった。
 アスカは伊万里をちらと見て、黙ってまた花火に手を伸ばした。

 少しずつ花火が減っていく。
 それにともなうようにやはり少しずつ、空は翳(かげ)っていった。
 もう夜というべき暗さになったときには、エメラルドを思わせる緑の花火、ビー玉のように透き通った水色の花火、それに赤や黄色、紫と、つぎつぎと色を変える花火などが、競い合うように伊万里を楽しませている。
「もう終わりだね」
 気がつくと、残っているのは線香花火だけだった。
「つい最後にまわしちゃうんだよな、線香花火って。いわゆる締めの一本ってやつか」
 アスカはそんなことを言って、こよりの先を持ってしゃがみこんだ。
「これは直接火をつけよう」
 ライターをカチカチとやる。
「うん」
 伊万里もしゃがんで、アスカと身を寄せ合うようにする。
 火が付いた。
 パチパチという小さな音、とても控え目な火花、裸電球のような赤い玉が、チリチリとかすかに揺れる。
「小さいけどこれも綺麗だな」
「そうだね」
 伊万里は静かに微笑んだ。なぜだろう、線香花火をしていると、いつも切なくなるのは。
 彼女の視線はじっと花火にそそがれている。
 けれども、アスカのほうは花火を見ていなかった。
 魅入られたように、伊万里の横顔を見ていた。小さな光に照らされる白い横顔を。
 ――花火を見つめる伊万里はもっと綺麗だ。
 アスカは思う。
 出会って四年、好きになって三年……長い片想いだな――。
「あっ」
 じゅっ、と音がした。熱くて小さな火球が石の上に落ち、つぶれて消える音だった。
 間もなくアスカの線香花火も玉を落としていた。
「終わっちゃった」
「え? ……ああ、終わったな」
 いつの間に終わったのか、アスカにはわからなかった。
「もう夏も終わりだね……」
 伊万里の言葉は、語尾に近づくにしたがい勢いを減じていく。消えゆく線香花火のように。
 アスカは唇を噛んだ。伊万里の肩に手を伸ばしたくなる。大丈夫だ、と言ってあげたくなる。また夏は来るからと。
 けれどその衝動をアスカはこらえた。その資格はないだろと自分に言い聞かせる。伊万里には拒絶されたではないか。
 でも、必ず振り向かせると誓った。
 その誓いが成就されない限り、手を伸ばすべきではない。ひょっとしたら許されるかもしれないけれど、それは伊万里の心の虚を突いただけであり、卑怯だ。
 だからアスカは伊万里の言葉に直接応じず、立ち上がると片付けをはじめたのだった。
「あ、ごめん私も」
 伊万里が立ったときには、もう済んでしまっている。いいっていいって、とアスカは笑って、
「すっかり遅くなったな」
 と呼びかけた。
「あ……うん、そうかも」
 伊万里はうなずく。日中はまだまだ猛暑だが、夜になればもう夏ではなくなっている。そんな気がした。
 寂しい。
 夏が終わったということも、
 この後アスカ君と別々の家に帰ることも――。
 もう慣れたと思っていたけど、やはり、寂しい。
 このときかすかに、伊万里の脳裏で線香花火の残り火のようなものがはじけた。
 わかったのだ。
 ――ああそうか、私やっぱりアスカ君のこと好きになりかけてる。
 でも、振っておいて今さらそんなこと言えないよね――。
 もう戻らない。戻せない。去った夏と同じだ。
 アスカは気がついた。伊万里はついさっき、「もう夏も終わりだね」と言ったときと同じ眼をしていると。
 もしかしたら、と彼は思う。
 ――いま俺も同じ眼を、しているのかもしれないな。
 寂しい。もう少しだけ、一緒にいたい。
 その意志に忠実な、それでいて、卑怯にならない言葉をアスカは探した。
 すぐに見つかった。
「なんか肌寒くなってきたし、家まで送ってやるよ」
 


 その日の夕方、どこかに立ち寄ってきたのか、フェルン・ミュラーの到着は少し遅れた。
「……ミズキ?」
 何度か呼びかけられたに違いない。透明度の高いその声をようやくとらえて、瀬谷 瑞希は我に返り文庫本から顔を上げた。
「ごめんなさい。本に没入していて……」
 庭先の籐椅子から立ち、呼びかける。フェルンの長身が、生け垣のむこうからのぞいている。
「何を読んでいたんだい?」
 瑞希は本を持ちあげた。押し花をラミネート加工した栞、その尖端に結わえた白いリボンがちろっと揺れた。
「『美麗なるギャツビー』です。何度も再読している一冊なんですけど、夏が終わりに近づくと、なぜだかふと読み返したくなるんですよね」
「ああ、何年か前の映画版では、打ち上げ花火の場面が印象的だったよね」
 庭に降り立ったフェルンは、腕に紙袋を抱えている。
「偶然だけどこれも」
 と彼は言った。
「花火なんだ。といっても打ち上げ花火じゃないけれど。夏と言えば……というわけでね。庭先で花火遊びも楽しいと思って」
 紙袋には色とりどりの花火が入っていた。持ち手が紙製の変食花火、ススキの穂に似たススキ花火、い草の尖端に火薬を集めた線香花火など、いずれも駄菓子屋か専門店で買ったものらしくバラで、種類ごとに透明な小袋に入っていたり、輪ゴムで束ねられたりしていた。紙袋が油紙なのもあいまって、レトロでありながら新鮮な印象がある。
「童心に帰ってこういうのを楽しむのもいいだろう?」
「いいですね」
 瑞希は紙袋ごとこれを受け取ると、中身をひとつひとつ確認して甘酸っぱい気持ちになる。
「暗くなったら庭先でやってみましょう」
 風鈴が澄んだ音を立てた。すぐそばにあるはずなのに、なんだか遠くに感じる音だ。
 まだまだ陽があるうちは、暑い。

 星が出る頃、瑞希とフェルンはもう一度庭に出ている。
 母屋の灯りも落としたから辺りは暗い。夏の星座に手が届きそうな気がした。
「スイカとお茶、ここに置きますね」
 ロウソクのか細い火を頼りに、ガレージから出して来た縁台に腰を下ろす。空いたスペースには盆を乗せた。
 盆の上にある皿には、よく冷やしたスイカを切り分けたものが鎮座していた。同じく、麦茶の入ったグラスもある。グラスの表面が、しっとりと汗をかいていた。
「縁台とはなかなか風流だ」
 と言ってフェルンは、水の入ったバケツを足元に置いた。
「蚊取り線香もある?」
「ええ、これです」
 瑞希が手渡した陶器の器を見て、フェルンは小さく声を出して笑った。
 可愛らしいブタをかたどった蚊取り線香入れだったのだ。つぶらな瞳に短い足、ピンと立った両耳がユーモラスで、単なる置物として見ても楽しい。
「実物を使うのは初めてだよ。よく見つけたね、このブタちゃん」
「正しくは『蚊遣り豚』というそうですね。何年か前からあるんですが、なかなか使う機会がなくて」
 ロウソクから火を移した蚊取線香を、ブタの内側に置く。
 ぽかんと丸く空いた口から、灰色の煙が一条、ゆらゆらと立ち昇った。普通の線香とも、いわゆる電子蚊取りとも違う、気持ちが穏やかになるような独特の香りがただよいはじめる。これを嫌う人もいるというが、フェルンはこの香りが割と好きだった。
「縁台に蚊遣り豚、スイカに麦茶、そして花火か……」
 感慨深げに、ゆっくりとフェルンは息を吐き出した。
「古き良き夏の風景だね」
「ええ、ほんの一工夫で、とても風流になった気がします」
 じゃあ派手なのからはじめよう、とフェルンは花火を手にした。
「ススキ花火からだね」
 その尖端を、立てたロウソクに近づける。
 パリパリと乾いと小さな音を立て、火花がはぜた。跳ねる色は黄色、そして白、終わったかと思いきや色を変え、今度は青い火で退屈させない。
「あ、さらに色が変わるんだ……今度はオレンジだね。お子様用花火でも色の変化があって案外面白いな」
「私はこれがいいです」
 瑞希が手にしたのはスパーク花火だった。これは炎の飛び散りかたがもっと派手だ。色の変化という意味ではススキに劣るも、そのぶんダイナミックな勢いがある。
「わあ、なんだか懐かしい。小さい頃、よくやりました」
「俺はねずみ花火が好きだったな。パン! と最後に飛び跳ねるのが特に」
「腕白小僧って感じですね。少し、今のフェルンさんのイメージと違うような……」
「そうかい? 男子ってたいがい、そういうの好きなものじゃない? わーわー言って逃げ回ったりして」
「まさか今日は……?」
「大丈夫、そういう騒がしいのは用意していないよ」
「良かった。びっくりしてスイカをひっくり返してもいけませんから」
「おっと、避けて正解だったかな。さて、次はどの花火を試そうか……」
 ひとつ花火が終わると、またひとつに火が付く。
 赤い炎が踊りを終えると、つぎに場をさらうのは青い炎、つづいて紫、橙、緑に桃色、艶を競うように出てくる。いずれもその寿命は短いものの、新しい炎の顔がのぞくたび、間違いなく場は華やぐのである。
「なんだか幻想的です……」
「花火が?」
「花火はもちろんですけれど、花火に目を奪われ、ふたりきりで見つめるという状況を、幻想的だと思いました」
「……そうだね。うん、そう思うよ」
 フェルンはうなずいて、食べさしのスイカを口に運んだ。
 口に含むと、しゃく、といい歯触りだ。瑞々しくて、とても甘い。早すぎず熟れすぎずのいいスイカだ。
 やがて花火は尽き、最後は並んで、線香花火のまたたきを眺めた。
 ロウソクも消したので、もう灯りは線香花火だけだ。
 かぼそい輝きゆえ、これまでよりずっと暗い。
「……暗闇の中にいると、自分たち以外の誰がが側にいそうな感じがしませんか?」
 ぽつりと瑞希が言った。
「幽霊とかお化け? ミズキって案外そういうの平気だよね」
「でも私、霊的なモノより生きてる人間の方が余程怖いです」
 冗談めかした口調ではなかった。きっとこれは瑞希が、普段から思っていることなのだろう。
「確かに、敵意を向けてくる人間の方が余程怖いか」
 フェルンの声もつぶやきのようになっていた。まばたきをして、だんだん弱くなっていく花火の先を見つめる。
 瑞希も同じだ。花火から目を動かさなかった。
「ええ、残された人たちがもつ怒りや無念が、また悲しい出来事を引き起こしたりしますもの」
 一拍おいて彼女は続ける。
「私たち、今までの活動で少しは誰かに安心をもたらすことができたのでしょうか」
 このとき線香花火は玉を落とすことなく、風に吹き消されるようにして力尽きた。
 最後の輝きもない。しゅ、という小さな音がしただけだった。
 やがて真っ暗になったのは、間もなくフェルンの線香花火も終わったからである。
 しかしすぐに、瑞希の心に新たな灯りが点いたことも記しておきたい。
「大丈夫だ」
 そう言って、フェルンが瑞希の頭に手を乗せたからだ。
 そっと撫でる。優しく、けれども心を込めて。
「自分たちが関わって、オーガの脅威から逃れられた人は安心してくれたんじゃないかな。そう信じている」
 信じたい、というのが正直な気持ちかもしれないね、とフェルンは言った。
「もちろん、誰も傷つけさせないってのは無理だろうけど……それでも、これまでこなしてきた戦いや作戦では、ベストならずともベターは尽くしてきたと思ってる」
「ベストならずともベター……」
「そう、世界中から邪悪が一掃されたとはさすがに言えないと思う。でも、少なくとも世の中がいいほうに転がる役には立ってきたと、胸を張っていいんじゃないかな。俺たちも、もちろん、A.R.O.Aも」
 瑞希にフェルンの表情をうかがうことはできなかった。
 それでも彼女は、このとき彼が微笑しているとわかっていた。
「ですよね。私たち、役に立ってますよね」
「もちろんだ。任務の重大さを思えば、不安に思うのは当然かもしれないけれど……それでも、少しでも手の届く範囲でできているなら、無駄じゃないよ」
 フェルンはこの言葉を、瑞希だけではなく自分自身にも言い聞かせている。



 涼が数日訪れたかと思いきや、すぐに強烈な残暑が戻ってきた。
 その日は朝から灼熱全開だった。溶鉱炉から取り出さればかりのような太陽、地面からの照り返しも湿度もすさまじい。その上嫌がらせのように風すらないのだ。まさしく酷暑、立っているだけで干からびそうではないか。
 ものすごいね……!
 レース飾りの大ぶりの日傘を差し、せめて直射日光だけでもしのぎつつ、リチェルカーレはA.R.O.A本部から歩み出た。
 節電ということで冷房控えめの本部ビルだが、それでも外と比べれば天国と地獄の差がある。どこでもいいから手近な建物に入って、暑さから逃れながら進まねば駅に戻るのもおぼつかないという気がした。
 本部ビルのそばには大きな倉庫がある。その脇で、ひとりの黒っぽい人影がなにやら作業をしているのが見えた。木箱のようなものを積み上げては、その個数をチェックしているらしい。
 最初は見間違いかと思ったほどだ。なぜって屋外だったから。気の毒なことに日光をさえぎる屋根のひとつもないではないか。
 暑くて死んじゃわない? と不吉なことまで考えて目を凝らした彼女は、その人影に見覚えがあることに気がついた。
 いや、見覚えがあるどころか――。
「何しているの?」
 駆け寄って声をかける。自分のパートナーである精霊、シリウスに。
 重量物が詰まっているのだろう。ずっしりと音を立て一抱えほどもある木箱を置くとシリウスは振り返った。
「リチェか。奇遇だな」
 淡々とこたえると、シリウスは作業着の胸ポケットからペンを取り出し、木箱に貼られたラベルに『チェックOK』と記し日付も残した。
「いや奇遇って言うか……で、何してるのよ、本当に?」
「仕事。……在庫品の点検と整理をしている」
 シリウスは平然とそうこたえた。言うそばからもう、新たなひと箱を運んで来て最初のものに積み重ねている。ラベルに書かれた中身は『防災用品』だ。
「防災倉庫の点検? 傭兵隊ってたいへんなお仕事なのね」
「必要な仕事だからな」
 リチェルカーレは驚きを隠せないというのに、シリウスときたらまるで時候の挨拶でもしているように、ごく無感動な様子であった。
「必要なのはわかるけど……」
 リチェルカーレは呆然と立っているほかない。
 シリウスは特に返事をせぬまま作業を続けた。
「ええと、シリウス」
「ああ」
 別に邪険にする様子もないところを見ると、話し相手になるのは嫌ではなさそうだ。
「ひとつ聞いてもいい?」
「構わない」
「……暑くない?」
 なんだそんなことか、とでも言うかのように、シリウスはぽそりと答えた。
「暑いに決まっている」
 ――やっぱり暑いんだ!
 リチェルカーレは、どことなくほっとしている自分に気づく。ふらつくでもなくうんざりした様子もなく、長袖でしかも黒という暑そうな作業着で黙々と働いているシリウスを見ているうち、猛暑と思っているのは自分だけで、世間にはすっかり涼しい秋が訪れているではないかとすら思いはじめていたのだ。
「そうよね 溶けちゃいそうな日だもの」
「単純な力仕事のはずが……」
 いつの間にかシリウスが積み上げた木箱の高さは、リチェルカーレの身長を追い越していた。
「今日はこの暑さのせいで嫌がる同僚が多く『A.R.O.Aの近くならお前の担当』という謎の理由でこの作業全部を押し付けられた」
 あいかわらずシリウスの口調は、ドキュメンタリー映画のナレーションのごとく冷静だったものの、よく聴くと言葉尻には疲労の色が滲んでいた。
 ということは――リチェルカーレはくすりと笑った。
 シリウスの心をのぞいたような気がする。
 表現が苦手なだけで、シリウスだってやっぱり人並みに、辛いとか苦しいとか思っているのだ。ただ、口では『押しつけられた』と言ってはいるものの、扱うものが防災用品である以上、先延ばしにしてはいけない、と彼らしい責任感をもって仕事に臨んでいるのだろう。
「……」
 つぎの一列に手をかけたところで、シリウスは箱に両手を置き息をついた。
「どうかした?」
「何でもない」
 できるだけ何気ない風を装ってこたえたが、このときシリウスは若干ながら立ちくらみを感じていたのである。
 シリウスはこの時点ですでに二時間、ぶっつづけで作業をしていた。いよいよ終わりが見えてきたものの、陽差しのほうは刻一刻と厳しさを増していた。とりわけ今は、一日で一番暑い時間帯だ。さすがにこたえていた。
「……!」
 気配を感じて振り返る。
「あなたの顔、いつもより赤くない……?」
 リチェルカーレがすぐそばに来ていた。こちらにむかって手を伸ばしている。シリウスは軽く払いのけようとするも、またも立ちくらみが襲ってきて動くこともかなわなかった。
「様子がおかしいじゃない。ほら見せて」
 リチェルカーレはシリウスの額に手をあて、声を上げた。火傷しそうなくらい熱い。
「熱、あるわ 休憩しよう?」
 シリウスは目を細めた。
 ひんやりとした手だった。
 冷たいだけではなく、柔らかくもあった。
 素直に認めたくはなかったが……気持ちが良かった。感じていた頭痛が払われる気がした。
「熱中症で倒れちゃうとたいへん。ね、涼しいところに行こうよ」
 だがシリウスは――かすかに名残惜しさを感じつつ――彼女の手を下げさせると首を振った。
「このくらいなら大丈夫だ 吐き気もないし」
 ところがリチェルカーレも譲らない。「むう」と頬を膨らませて、
「吐いたらアウトです! お仕事どころじゃないわよ!」
 ぴしゃりとこう言いのけたのである。ここまではっきり返されるとは思わず、シリウスは首をすくめて両手を上げた。
「倒れる気はない」
「気持ちでなんとかなるものじゃないの!」
 困ったな――その気持ちが図らずも、シリウスに戸惑いの表情を生み出していた。
「でももう少しなんだ。今日中に終わらせたい……災害はいつ起こるかわからないから……」
 言いながらシリウスは自分が生徒で、リチェルカーレという教師の前でうなだれているような錯覚を覚えている。不思議だ……こんな感覚、他の誰にも抱いたことがない。
「その気持ちはわかるけど……」
 やめてくれ――シリウスは、リチェルカーレに心の中だけで告げた。
 そんな風に、心配そうな瞳で見るのは。
 純粋そのものの瞳で……。
 根負けした。
「……しかし、もう少しということは、小休止を取る時間くらいはあるということか」
 なんとなく言い訳のようにそう言うと、シリウスは倉庫のひさしの下まで歩いて腰を下ろした。体が重い。確かに、あれ以上続けていれば危なかったかもしれない。これくらいの日陰であろうと、日光が避けられるだけでかなり涼しい。
「少し、休む」
 するとリチェルカーレは、きかん坊の幼子を見る母親のように、困ったような笑顔を浮かべたのである。
 やれやれ、とやや大げさにため息して彼女は言った。
「冷たい飲み物買ってくるわ」
 シリウスに何か言う暇を与えず続ける。
「わたしが帰ってくるまで日陰で休憩すること! 『大丈夫』は聞きませんからね!」
 図らずも、「だい……」と言いかけたシリウスは、不承不承ながら「わかった」と言うほかなかった。
 A.R.O.Aの一階に飲料水の自動販売機があったはずだ。駆け戻りながらリチェルカーレは思う。
 ――弱音を吐くのが苦手、というのも困ったものね。
 だけどそんな彼だから、世話を焼きたくもなる。
 座ったままリチェルカーレの背を見送って、シリウスは深くため息をついていた。
 立てかけられた日傘に目を移す。彼女は自分のために、日傘すら忘れて急いだのだ。
 やっぱり慣れない、こんな風に気遣われるのには。申し訳ないと思う。
 でも……嬉しいとも、思う。

 間もなくして、笑顔を浮かべリチェルカーレが戻ってきた。
「お待たせ!」
 嬉しそうな声だ。左右の手にひとつずつ、大入りの缶飲料を握っている。この距離からでも缶の冷たさが伝わってくるようだ。
 シリウスは立ち上がった。立ち上がって待った。
 両腕を拡げ彼女を抱きとめたいという衝動と懸命に戦いながら。
 



依頼結果:成功
MVP
名前:リチェルカーレ
呼び名:リチェ
  名前:シリウス
呼び名:シリウス

 

名前:八神 伊万里
呼び名:伊万里
  名前:アスカ・ベルウィレッジ
呼び名:アスカ君

 

メモリアルピンナップ


エピソード情報

マスター 桂木京介
エピソードの種類 ハピネスエピソード
男性用or女性用 女性のみ
エピソードジャンル ハートフル
エピソードタイプ EX
エピソードモード ビギナー
シンパシー 使用可
難易度 とても簡単
参加費 1,500ハートコイン
参加人数 5 / 2 ~ 5
報酬 なし
リリース日 08月29日
出発日 09月05日 00:00
予定納品日 09月15日

参加者

会議室


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