サクラ、サク(桂木京介 マスター) 【難易度:とても簡単】

プロローグ

 雨下の夜桜なんて洒落ているぞ、と彼は言った。
 天の邪鬼の彼らしい提案とは思うが、天の邪鬼具合ならあなたも負けていない。振り袖に番傘でお供する。雨、しかも夜には勿体ないほどの晴れ着だった。
 桜雨降りそぼつ夜の並木道、風はなく、他に酔狂の人影もなく、好天の日中ならさぞかし賑わったであろう花のトンネルを、やはり着物姿の彼に寄り添って歩いた。
 両脇に水溜まりができており、自然、互いの距離は狭まる。手の甲と手の甲が触れそうにもなる。
 けれど目に見えぬ障壁があるかのように、接触は決して生じないのだ。
 彼に惹かれはじめている自分を認識してはいる。ウィンクルムとしての息も合ってきた。なのにどうしても、あなたは彼に心を許す気にはなれない。
 彼が、あなたの兄を見殺しにした張本人ではないかという疑惑はまだ晴れていないからだ。
「……何か言った?」
 あなたは傘を傾けて彼を見上げた。それまで無言だった彼が、何か呟いたように聞こえた。
 だが彼は直接それに応えず、
「考え事か?」
 と逆に問い返してきた。
「別に」
 あなたは返事して、不機嫌そうに聞こえたのではないか、と危惧した。だから、
「綺麗よね」
 と返した。
「桜」
 ほのかな灯りに照らされる満開の桜、霧雨に濡れて雫を落としながら、それでも健気に咲いている姿は、好天の昼間に見るのとは、また違った美があった。このときこの瞬間に限定されたもののような。
「そうだな。あの日も、こんな風に桜の綺麗な夜だった」
 彼は傘を上げて、厚い雲に隠された月を探すような目をする。
「今夜は……君の兄さんのこと、話そうと思って呼びだした」
 ぽつりと告げたその言葉に、あなたは傘を取り落とした。


 ◆◆◆

 ……と、いうのはもちろん、あくまで一例だ。
 
 こんな例もある。

 ◆◆◆

 病室の窓から彼は、春霞のかかった光景を眺めている。
 風はほとんどないのに、しだれ桜はちらちらと、形見のように花弁をこぼす。
 なにも変わらない、時間の止まったようなこの眺望にあっても、着実に時間は流れているという証拠だ。
 このままでは、という焦りが彼にはあった。
 けれどもどうしろと、という苛立ちもあった。
 だがこうしている間にも、刻一刻と時間は流れているのだ。
 折れた左腕と衰弱の治療を優先しろとでもいうのか、ここに収容されてからまだ、取り調べらしい取り調べは行われていない。
 このとき、病室の外で見張りの職員が立ち上がる気配がした。A.R.O.A.職員はなにやら短いやりとりをおこなっている。
 いよいよか――バル・バラは唾を飲み込んだ。
 待ち構えているのは容赦ない尋問だろうか。
 拷問かもしれない。火責め水責めも覚悟しておいたほうがいいかもしれない。
 自分が苦痛に耐えられるか、正直、バルには自信はなかった。
 だが最後は屈するとしても、決して無様は見せまい、そう臍を固める。
 だから病室(兼留置所)の扉が開いたとき、バル・バラは哄笑したのである。ふはははは、遅かったな、と。さあ煮るなり焼くなり好きにするがいい、と。
 ところが、
「なに……世間話をしに来ただけだ、と!?」
 バルは拍子抜けして思わず、ベッドから滑り落ちそうになった。
「しかも花見をしないか、だと……? 本気で言っているのかッ!?」
 やってきたのは二人連れ、バルとも顔見知りのウィンクルムだった。


 ◆◆◆

 ……と、いう話も今回はありとしよう。もちろん、あなたたちがそのウィンクルムだ。
 
 ◆◆◆


 桜の季節が巡ってきた。
 好天でも曇天でも雨天でも、桜は桜、一年のこの時期しか咲かぬ花は、あなたと彼とを待っている。
 花見を目的に訪れた城址、
 仕事の帰り道、ふと気になって足をとめた街路樹の下、
 夜半に寝床を離れた彼の後を追い、追いついた学校の校庭……
 さまざまな場所で桜は咲いている。
 教えてほしい、あなたと彼だけの、桜にまつわるストーリーを。
 ともに紡ぎたいのだ。ふたつとない物語を。

解説

 お花見エピソードです。
 縛りがあるとすれば唯一、『桜が出てくる』ということだけとしたいと思っています。
 ですからその桜が、どんな場所、どんな時間帯、どんなシチュエーションで目にするものであろうと限定するつもりはありません。
 どうぞご自由に発想してみて下さい。

 たとえば、
 ・桜の下で楽しくお弁当。一服したところで彼が、少年時代の桜にまつわるエピソードを話し始める。
 ・大ゲンカした二日後、かねてからの約束通り自然公園の入口で待ち合わせ。お互いそっぽを向いたまま花見をスタートするが……。
 ・手編みのニットがやっとできました。もうお花見の季節ですが、桜の下で渡しちゃいます!
 ・まだ付き合う前、彼に「プロポーズされるなら桜の下がいいなあ」なんて語ったことを突然思い出し、意識しまくりのお花見デート。
 ・夜桜のお花見、景気づけに清酒を空けて、アルコールの力を借りて告白する私!(成人限定ですね、これは)

 といったものはいかがでしょう? あるいは、

 ・「彼氏に会わせなさい」とおばあさまが勝手についてきた! 桜の下、彼と三者面談を受けるはめに……うう。
 ・彼と二人きりの花見の席……だったはずが、隣のグループが高校時代の友人三人組だった! 「え? なに? 『先約がある』、って言ってたのってデートだったわけ?」興味津々の三人を前に私は……!
 という風に、あなたや彼の関係者が出てくるという緊張(?)展開も歓迎です。
 
 また今回は、拙作『Shine Down/テューダー派の崩壊』で捕らえたマントゥール教団テューダー派の幹部バル・バラと、お花見という名の交流(?)をするという展開も可能としています。(※当該シナリオに参加していなくても、バルを直接知らなくてもこの展開は可能です)
 
 初心者さんからベテランさんまで、あらゆる方のご参加をお待ち申し上げております。

 なお、飲食費等で一律『300jr』を消費するものとします。ご了承下さい。


ゲームマスターより

 読んでいただきありがとうございました。
 桂木京介です。

 お花見のお話です。
 桜はパッと咲いても、はらりと散っても構いません。あなたと彼の春の一日をともに作りましょう。

 アクションプランを書くのに自信がなければ「・精霊との初のお出かけは……お花見!」「・彼がお弁当を作ってくれるんだって。結構マメな男みたいね」「・うわ、予想外の豪華弁当! なんか劣等感が……って?」「・あなた毛虫が怖いの? ちょいとどけてあげたら涙目で感謝された。うーん、これまた予想外……」といった程度の短い箇条書きでも、私は喜んで対応させていただきますのでお気軽にどうぞ。
 
 それでは次はリザルトノベルで会いしましょう! 桂木京介でした。

リザルトノベル

◆アクション・プラン

鞘奈(ミラドアルド)

  世弦と真依、二人ともどこにいったのかしら
…え?気にする必要ない?なんでよ
あとで合流する?そう…心配だけど世弦がいるなら大丈夫ね

人混みがすごいわね、はぐれそう
は?…正気?
…わかった(出された手を、おずおずと握る)
(嫌じゃない、不思議)

そう?桜なんて見れればどこでもいいじゃない
ふ、二人きりになるじゃない、鍛錬とかで
…!な、なんなの今日は、やけに
……(男みたい。いえ、男なのよね)
手、離すわよ(照れて)
……ばか
なんでもないわよ、ミラのばか
(何震えてるの、ミラ相手に、女みたいに)

なによ、また変なこといったら承知しない……
……(顔真っ赤)
ミラのばかっ

(この後、無事に世弦と真依に合流できました)


ニーナ・ルアルディ(グレン・カーヴェル)
  新しいショッピングモール、色んなものを見ているだけでも楽しかったですねー
ちょっとお金が足りなくて気になってた髪飾りが買えなかったのが残念でしたけど…

…このまま真っ直ぐ帰るのも少し勿体無いです…
あの、そこの公園を通って帰りませんか?
今、桜が綺麗に咲いてるんです。

だ、だってそれはオープン初日で人が多かったからでっ!
うぅ…ついフラフラと離れていってしまったのは確かですけど…!

はぐれて迷惑かけちゃったのは確かに申し訳ないですけど、
でも見つけてくれた時は嬉しかったなぁ…
グレンは平静を装ってましたけど、
息少し上がってましたしあちこち探してくれたんですよね、あれ。

え、花びらが?
どこですか、ここですか?


出石 香奈(レムレース・エーヴィヒカイト)
  レムの故郷の近くにこんな名所があったなんて
満開の花を見て瞬き

樹の下にシートを敷いてお弁当を広げる
和食中心のお重と、ポットには温かいお茶
その…今日は、頑張ってみました(緊張気味
惚れた相手には尽くす女だから、あたし
反応に安堵して自分も食べ始める

レムって本当に真面目で堅実で
将来をしっかりと見据えている人
だからあたしも「この人だけは」って信頼できる
この先の人生を預けてもいいと思えるくらいに

桜を仰ぎ見て祈るように思う
どうかこんな日々が、永遠に続きますように

…ええっ!?聞いてない!
そうと知ってたらもっとちゃんと…もう、早く言ってよ!
貴方のご両親とが嫌なわけがないんだから
もちろん、ご一緒させていただくわ


桜倉 歌菜(月成 羽純)
  バル・バラさんを誘ってお花見に
私の提案に、羽純くんも頷いてくれました
マントゥール教団の方とお話出来るなんて凄く貴重
何より個人的にバルさんに興味があるというか…憎めない人だよね
きっとプリム・ローズさんの事が心配で心を痛めていると思うの
少しでも元気付けてあげたい

お弁当を用意して、バルさんをお誘いに

体の具合はどうですか?
バルさんが片手でも食べやすいように摘まんで食べられる和風なお弁当
太巻き寿司、しし唐辛子の肉詰めがおススメ

バルさん、聞いてもいいですか?
バルさんって普段どういう生活を?…なんか想像がつかなくて
プリム・ローズさんはどんな方ですか?
私達にこんな事言われても…かもですが、きっと大丈夫
助けます


水田 茉莉花(聖)
  コラコラひーくん、おじちゃん呼びは傷つくから止めましょうね?
高笑いする元気があるんでしたら
ここから桜でも見てお弁当食べるのはどうですか?

料理本見ながら作ったから、食べられる出来にはなってると思いますよ?
それに、心の栄養は誰かと一緒だと貯まりやすいですからね(弁当の包みを開く)

そのミニトマトとブロッコリーの串も、ひーくんが頑張ったんだよねー
から揚げと卵焼きも詰めたんだよねー
あ、ペットボトルのお茶もありますから慌てないでどうぞ

あたしも報告書読んだんですね
キノコ怪人さん…でしたっけ?あの人が色々頑張ってくれているんじゃないかな?
って思うと気が晴れません?
そんな人達を助けに行くには、元気が必要ですよ!


 一面の桜、涯てなど知らぬかのように、どこまでも桜の樹が並んでいる。
 この日、朝のニュースでは、地域の桜が満開になったと報じられていた。折良くも休日、天気も雲一つない快晴で、絶好のお花見日和だと。
 鞘奈もこの日、世弦、真依のきょうだいを連れ、ミラドアルドも誘って大きな公園を訪れていた。
 桜の名所として名高い場所だ。それはそれは、壮麗な光景であった。
 桜は豊かなだけではなく形も整い、ひとたび公園に入れば、どこを見上げても目を愉しませてくれる。春風のやわらかさ、胸を満たす香り、ときどき舞い落ちる花びらも、そこはかとない風情を添えるのだった。
 名所ゆえ訪れる人の数も多い。どこを向いても花見客がおり、順路が定まっているわけでもないから、三々五々動き回っている。敷物をひろげて座っている姿も、真昼からもう酩酊してふらふらしている人も、団体観光客までいて少々混沌気味だ。
 そんな中で鞘奈は、世弦と真依を見失っていた。ほんの目と鼻の先にいたかと思っていたら、いつの間にか連れだってどこかに行ってしまったようなのだ。
「二人ともどこにいったのかしら……」
 花畑で蝶を探すようなものだ。そこかしこに似た年頃の子どもたちがおり、見つけたかと想うたび人違いであることに気づく。
「気にする必要ないよ」
 追ってきたのはミラドアルドだ。本日の彼はウエストの締まった薄茶色のテーラードジャケット姿で、インナーには白いVネックTシャツを着ている。すらっとしたチノパンも脚が長いだけあってよく似合う。春らしく爽やかな組み合わせだ。
「なんでよ?」
 鞘奈はといえばウールシャツに『青の旅団』の制服を合わせた姿で、普段通りといえばそれまでかもしれないが、目にするだけで気持ちが締まってくるような凛々しさだった。アップにして頭の後ろで束ねた黒髪は、彼女なりに行楽気分を象徴したものだろうか。
「あとで合流するって言っていた」
 ミラドアルドはなんでもないように告げた。それを聞くと、
「そう……心配だけど世弦がいるなら大丈夫ね」
 納得したらしく、「じゃあこのまま公園を突っ切ってみる?」と鞘奈は行く手を指した。
 あとで合流するって言っていた、ミラドアルドはこう告げたのだが、このとき心の中で末尾に『たぶん』と付け足したことは秘密だ。
 少し前、鞘奈が目を離した隙に、こっそりと世弦がミラドアルドに身を寄せ一声囁いていたのである。
「ふたりきりにするから仲良くね」
「それサヤナと仲良く……ってこと?」
 ミラドアルドが問うも世弦は答えず、くすくす笑うと真依の手を引き、どこかへ消えてしまったのだった。まるで、「わかってるでしょ?」と言わんばかりに。まだ幼い真依がどこまで理解しているのかは不明だが、彼女も兄につられてくすくす笑っていたのが印象に残った。
 せっかくヨヅルが機会を作ってくれたのだし、とミラドアルドは思う。
 この時間を大切にしよう。

 進むに従い人混みは密度を増した。宴もたけなわなのか、あちこちから笑い声も聞こえてくる。
「人混みがすごいわね」
 鞘奈は溜息をつく。これまで彼女にとって花見と言えば、大抵は実家の広大な庭や、貴族の邸宅に呼ばれて過ごすものだったため、こういった庶民的な花見にはあまり馴染みがないのだった。
「これじゃはぐれそう……」
 とつぶやいた鞘奈の声を、ミラドアルドは聞き逃さなかった。少し彼女に近づいて言う。
「……手、つなぐかい?」
「は?」
 横を向いた鞘奈の視線は鋭く、ナイフのようにエッジが尖っているものの、それゆえにぞくぞくするほど魅力的だとミラドアルドは思った。だから目をそらさずに返す。
「はぐれると困るし、手をつないでればはぐれずにすむ」
「……正気?」
 険のある言い方のように聞こえるものの、彼女が嫌悪感でそう言っているのではないとミラドアルドは判断した。口調に迷いがある。もう一押しすれば通るかもしれない。
 だからミラドアルドは意を決して告げた。
「僕は正気だよ」
 はい、と右手を出した。
 実際のところ鞘奈が逡巡したのは、ほんの1秒かそこらだ。
 しかし鞘奈の中に葛藤があったのも事実だ。けれど、
 ――まあ、はぐれるのを避けるため、ってのは理にかなってるし、おかしくないよね……。
 この結論が、彼女の左手を動かしていた。
「……わかった」
 鞘奈はミラドアルドの手をおずおずと握ったのである。
 ひんやりとした手だった。すべすべとしていて、指が長い。
 嫌じゃない……不思議――。
 そんな自分に、鞘奈は戸惑う。
 一方でミラドアルドは、ほくほくとした気分であり心の中で世弦に手を合わせている。
 手を握れた、大躍進!

 桜の下をしばらく無言で歩くも、気まずくなっては、とミラドアルドは話しかけた。
「せっかくの花見でも、これだけ人がいると少し残念だ」
「そう? 桜なんて見れればどこでもいいじゃない」
 賑やかな花見も悪いものではない、そう鞘奈は思っている。
「……ふたりきりがいいって意味なんだけど」
 照れくさいが、ミラドアルドは鞘奈に顔を向けていた。
「ふ、二人きりになるじゃない、鍛錬とかで」
「サヤナを剣士ではなく、女性として見たいんだ」
「っ!」
 鞘奈は咳き込みそうになる。
「な、なんなの今日は、やけに……」
「積極的? ふふふ、桜のせいかな。それと、サヤナと手をつないでいるおかげ」
 ミラドアルドは自分でも驚いている。手をつなぐまではあんなに緊張したのに、ひとつ成功したことで大胆になれたのか、ぽんぽんと言葉が出てくるのだ。あまりに礼儀正しいためか、日頃は堅物と思われがちな自分が、である。しかし軽口を装っているものの、ここまで口にしてきたのはすべて本心だった。
 鞘奈はミラドアルドの眼差しを受けられない。ずっと視線を桜に逃がしている。
 ――違う、『積極的』って言おうと思ったんじゃない……『男みたい』、そう思っただけ。
 当たり前のことなのに、ここになって彼女は気がついた。
 いえ、男、なのよね。
 確かに。
 ミラドアルドは男だ。
 意識しなかったと言えば嘘になるだろう。けれども、意識しないようにはしてきたかもしれない。
 途端、急に暑くなり、じわっと顔が火照るのを鞘奈は感じた。いささか乱暴に言う。
「手、離すから」
「おっと、それは困るかな。もう少しこのままで」
 ミラドアルドは指を動かし、彼女の指と、自分の指が絡むようにする。鞘奈の指は細くてやわらかくて、小動物のようだ。
「……ばか」
 蚊の鳴くような声で鞘奈は告げた。彼相手にこんな声を出している自分に対し、驚きと恐れと興味、その三つが入り交じったような気持ちを抱いている。
「なにか言ったかい?」
「なんでもないわよ、ミラのばか」
 ――なに震えてるの、ミラ相手に、女みたいに。
 けれども彼女は、小刻みな肩の震えを止められない。
 ばか、と言われてミラドアルドは安堵したように微笑んだ。お、サヤナらしさがでてきた、と、そんなことを思ったためだ。
 桜も見ず、人も見ず、けれど手を離せないし離さないまま歩きに歩いていた鞘奈は、いつしか自分たちが公園の端まで来ていることに気がついた。このあたりは桜もまばらで、ためにか人の姿はまるでなかった。
 まだ小ぶりだが、それでも満開の桜の下でミラドアルドは足を止めた。
 自然、鞘奈も立ち止まることになる。
「ふたりきりになれた」
「そ、それがどうしたの?」
「殴られるのを承知で言うんだけど」
「また変なこといったら承知しない……」
 この状況がミラドアルドに勇気を与えていた。彼はもう片方の手でも鞘奈の空いた手をとり、正面から向かい合って語りかけたのである。
「桜の中の君、とても綺麗だよ」
 と。
 ほんのり染まっていた程度の鞘奈の頬が、ここで一気に紅潮した。
 彼女は手をふりほどくと彼の胸を両手でどんと押し、
「ミラのばかっ」
 と言い放ったのだ。これが精一杯だ。
 ――あ、可愛い。
 言ってよかった、とミラドアルドは思った。

 この後すぐ、世弦と真依に合流できたということだけは補足的に記しておきたい。



 レムレース・エーヴィヒカイトが見上げる空は、澄みきった蒼で雲ひとつない。
 快晴だ。
 気のせいか、故郷やその近くを訪れるときは好天が多いように思う。今日もそんな一日となったわけだ。
 しかも今日は空だけではない。山の桜はとても綺麗な花をつけ、散り始める直前の、最良の姿を見せている。
 ひときわ大きな、巨大といっていいほどの桜の真下、ちょうど木陰の場所で足を止める。
「すまない。こんな遠くまで連れてきてしまって」
 レムレースが振り返ると、出石 香奈は桜以上にまばゆい笑みを見せてくれた。
「遠いなんてとんでもない! 本当、いい場所よね。レムの故郷の近くにこんな名所があったなんて」
 そうして香奈は、満開の花にまばたきをくりかえすのだ。
 それは、ひとつの丘かと見まがうほどの桜の巨木なのである。どれほどの樹齢を経ているのだろう。幹には古びたものを感じるが、枝になる花はいずれも若々しい。総じてこの樹は、生きる喜びを全身で表しているように見えた。
 これだけいい花見のスポットだというのに、見渡す限り誰の姿もない。レムレースは田舎町だと謙遜して言うが、田舎ゆえの人の少なさゆえだろう。
 いいスポットを知っている、そう言って、レムレースはこの日の花見に香奈を誘っていた。
 だったらお弁当は任せて、と宣言した香奈の言葉にレムレースが、期待しなかったはずはない。そしてその期待は、裏切られなかったどころか事前の予想を、はるかに上回る結果となったのだ。
「やっぱりお花見弁当といえば、お重でしょ?」
 そう言って香奈が包みを解くと、三段漆塗りの立派な重箱が現れたのだ。
 これだけでまず、豪勢だが、この弁当の真価はやはり中身にこそあった。
「その……今日は、頑張ってみました」
 緊張気味に言いながら、香奈は重箱を開封した。
 レムレースの黒真珠のような眼が見開かれる。はじめは驚きで、続いては喜びで。
 まずはトップの一の重、ここは前菜、だからとりわけ明るい色味だ。甘酸っぱいレンコン梅酢漬、ぷちぷちと食べがいのあるイクラの醤油漬、椎茸のエビしんじょう乗せは軽めのテイストで、かぼちゃの茶きんは甘過ぎないようチーズを加えている。トマトを切りそろえたものはシャキシャキの鮮度、可愛らしいリンゴのワイン煮は締めにふわさしい味付けとした。
 二の重は主菜だ。だから重めのものが多い。鰹の時雨煮、イサキの昆布締めあたりは定番、つみれは筍とあえて酢豚風にし、サクっと揚げた蓮根の天麩羅を加える。照り焼きハンバーグも鶏ミンチから作ったものだから、濃すぎず他のものとうまく調和してくれるだろう。
 最後三の重は主食となる。メインは、カラフルで小ぶりなおにぎりが三種だ。鮭を混ぜた桃色に、あさりの酒蒸しを込めた白、そして茹でほうれん草をくわえた緑色、これが三色団子さながらに、整然と並んでいるのはまさに春景色だ。その隣では、厚焼き卵の黄色が鮮やかな彩りを添えている。
 香奈はお茶を淹れてくれる。ポットに入った温かい日本茶だ。そして、
「ではご賞味あれ」
 と照れくさげに、やはり塗りの箸を手渡してくれた。
 レムレースは深く息を吸い込んだ。かつてこれほど豪勢な弁当を見たことがあっただろうか。
「……言葉も出てこないくらいに豪勢だ」
「惚れた相手には尽くす女だから、あたし」
 その一言にレムレースは胸を打たれる。自分は、世界で一番幸せな男かもしれない。
「そうか……作ってくれる相手がいるのは嬉しいことだ」
 手を合わせて、
「ではいただきます」
 触るのが勿体ないくらい整った弁当を、少しずつ賞味していくのである。
 すべて見た目通り、素晴らしい出来だった。もともと和食好みのレムレースだけに、いずれも好みのものばかりだ。味付けにしたって、ちゃんと香奈が自分好みにしてくれたことがわかる。その心遣いが嬉しいし、美味しい。
「うん、やはり香奈の料理は美味いな」
 彼は満足してそう告げ、そっと付け加えた。
「これならいつうちに来てくれても……こほん」
「あれ? なにか言った?」
 ふふっ、と香奈は笑い、彼の反応に安堵して自分も食べ始めた。
 これならいつうちに来てくれても、か――嬉しい言葉だった。
 香奈にとってレムレースは理想の男性だ。出逢うまで少し回り道をしたかもしれないが、もしかしたらその回り道もあったおかげで、ついに巡り会えた運命の人だ。
 ――レムって本当に真面目で堅実で、将来をしっかりと見据えている人……だからあたしも「この人だけは」って信頼できる。
 人と人との関係は、結局のところ信頼できるかどうかだと香奈は思う。
 彼のことは、信頼できる。間違いなく。
 この先の人生を預けてもいいと思えるくらいに――。

 重箱を平らげ、
「さすがに腹も膨れたな」
 と、レムレースは両手で体を支えるようにして一息ついた。
「まだ実の両親が健在だったころ」
 大樹を見上げ、つぶやくように言う。
「一度だけここに花見に連れてきてもらったことがある」
 柄にもなく郷愁を感じているのか――ふと思った。
 だがそれは悪いことだろうか、と己に問い、否との答をレムレースは出している。
 むしろ香奈であれば、すべてを知っていてもらいたいと思う。彼女が自分に、すべてを明かしてくれたように。
「うん」
 香奈はレムレースの隣に座り直す。
「聞きたいよ。その話」
 緩やかな風が出てきた。桜の枝が揺れる。香奈の黒髪も風になびいた。桜の花びらが一枚、香奈の黒髪に絡まったのだが、香奈もレムレースも気がつかない。
「もう随分と昔の話のはずだが……今になって不思議と思い出せる。あの日のことは」
 あの日もこの樹の下にいた。
 あの日もやはり雲一つない快晴で、こんな風に花は満開だった。
 蒼くて桜色の空、その光景は心に焼きついている。
「忙しくてあまり構ってもらえなかったと思っていたが、それでも家族としてしっかりとやるべきことはやっていたのだな」
 視線を落とし、レムレースは香奈を見つめた。
 あのときの家族はもういないけれど、今の彼には、香奈がいる。
「俺もそんな家庭を持ちたいと思う。その……お前と共に……」
 どうしても照れくさくなっていけない。大切なことなのだが、香奈を前にすると顔が熱くなってしまう。
「お茶をもらう」
 照れ隠しにレムレースは、お茶をぐいっと飲み干した。
「レム……」
 香奈はそれ以上言葉を使わなかった。けれど、わかってる、と言うように、レムレースの手に、自分の手を重ねた。
 桜を仰ぎ見て、香奈は祈るように思う。
 どうかこんな日々が、永遠に続きますようにと。
 もう一度、今度は少し強く、風が吹いた。
 香奈の髪に絡まっていた一枚の花びらが、風に煽られて空へ舞い上がっていった。香奈は花びらに気がつき、その行く先を見つめる。レムレースも同じ花びらを目で追っている。
 花は落ちることなくどんどん上昇して、やがて空に吸い込まれるようにして見えなくなった。
 ややあって、
「ところで」
 とレムレースが言った。
「香奈、この後時間はあるだろうか」
「大丈夫だけど……」
 するとレムレースは正座して居住まいを正し、香奈に膝を寄せて告げたのである。
「実は今日、義両親もここへ花見をしに来るそうなのだが……」
「……ええっ!? 聞いてない!」
 最後にとっておきのサプライズというやつだろうか。香奈は飛び上がりそうになった。
「そうと知ってたらもっとちゃんと……もう、早く言ってよ!」
 この服装で失礼はないだろうか。メイク、もっと控え目にしたほうがよかっただろうか。外見のことももちろんだがむしろ問題は心の準備だ。ちゃんとご挨拶できるのか、きちんとした受け答えができるのか……不安要素は尽きない。
「嫌なら先に帰ってくれても」
 と言うレムレースを遮って香奈は告げる。
「あなたのご両親とが嫌なわけがないんだから、もちろん、ご一緒させていただくわ」
 いよいよ試練のときがきたらしい。
 彼の義両親との初対面を迎える香奈、その結果やいかに……?

 といったところで紙幅が尽きた。誠に残念である。



 病室に軟禁されているその青年、名はバル、性はバラ、続けて読めばバル・バラはドアが開くなり哄笑した。
「ふはははは、遅かったな! さあ煮るなり焼くなり好きにするがいい」
 囚われていようがマントゥール教団テューダー派幹部としての、面目を保とうとしたのである。
 ところが現れたのは年老いた女性看護師だった。え? という顔でバルを見ている。
「あ……け、検温の時間か……そうか。うむ」
 と、慌てて照れ隠しにゴホゴホやっているバルの眼前に、
「ぶっぶー! お熱をはかりにきたんじゃないでーす!」
 鈴が鳴るような声で笑うと扉の陰から、ひょこっと聖が顔を出した。
 案内ありがとうございました、ぺこっと頭を下げる聖にうなずいて看護師が部屋を出ていくと、つづいて水田 茉莉花が入ってきて思案げに腕組みをする。そんな茉莉花を見るや、
「ぬっ、その顔には見覚えがあるぞ! やはりA.R.O.A.だな! 私を拷問する気だな!」
 バルはちょっと嬉しそうだ。ところが茉莉花はため息を付いて、
「あの、そんな物騒なこと考えてませんから。いわば世間話をしに来たんですけど」
「……世間話をしに来ただけだ、と!?」
 バルは拍子抜けして思わず、ベッドから滑り落ちそうになった。
「はいです」
 聖が笑顔で告げた。
「お花見しませんか、バル・バラのおじちゃん、おじちゃーん!」
「本気で言っているのかッ!? というか私は『おじちゃん』呼ばわりされる歳ではないわ。さりげに2度も呼ぶでない!」
「コラコラひーくん、おじちゃん呼びは止めましょうね?」
 思わず茉莉花が告げると、「そうだそうだ」とバルは合いの手を入れるものの、
「傷つくから」
 と彼女が微妙な一言を添えたので複雑な顔をした。
「それ、本当のことを言われて傷つくから、と聞こえるような……えい、どうでも良いわ! こら小僧、お前は確かスクールバスの客だったはず、それが花見とはどういう了見か。というか貴様もしや」
 うなずいて聖は「ほら」と手の紋章を示す。
「うん、ぼくウィンクルムだったんです」
「……通りで理不尽に強いと思ったわ」
 バルは膨れ面になった。以前の対決を思い出したようだ。
「花見、というのは文字通りの意味ですよ。今日はぼくとママとでお花見べん当作って来たんです」
「なんで私がそんなことを」
 ぷいと横を向くバルに茉莉花は言う。
「高笑いする元気があるんでしたら、ここから桜でも見てお弁当食べるのはどうですか?」
 さらに聖も。
「食事せいげんはないですよね? だったら、ここからお花見しましょうよう!」
 すると、仕方がない、と押し付けがましくバルは言ったのである。
「なら付き合ってやるから光栄に思え。……だが、心を許したわけではないからな」
 わかってますって、と茉莉花は笑って持参の弁当箱を出した。
 聖はカーテンを束ね窓を開け放つ。とたんに、清々しい春の風が、ふわりと外から滑り込んできた。
 入ってきたのは風だけではなかった。
 桜だ。
 淡い緋色の花びらが、風の波間にただよう小舟のように、一枚、二枚とひらり舞い込んできたのである。
「わあ……」
 聖は目を輝かせて手のひらを広げる。そこに緋色が一枚、休息場所を探す渡り鳥のように舞い降りた。
「ママ見てください」
 ところが顔を上げた聖の視線が合ったのは、バルのほうだった。
「あ……」
「むっ……」
 見るとバルもまた手に一枚、可憐な花弁を載せていたのだった。彼も、聖と同じ仕草をしていたものらしい。
「おじちゃんも?」
 にこりと聖が笑みかけると、
「おじちゃんではないと言うに」
 返事にならぬ返事をして、バルは手をはたいて花を落とした。
 そんな中、茉莉花は弁当の包みを解いている。
「料理本見ながら作ったから、食べられる出来にはなってると思いますよ? それに、心の栄養は誰かと一緒だと貯まりやすいですからね」
 茉莉花は数個のタッパーを次々と開封していく。ひとつフタをとるたび場に光がさしこむようだ。食欲をくすぐる匂いもたまらない。
 色とりどりの花見弁当がその全容をあらわした。色鮮やかでしかも多様、なにより楽しそうなのがいい。
「そのたわらがたのおにぎりは、ぼくがかたぬきしてあじのりまいたんですよ」
 聖が得意げに述べた。主食のおにぎりはふんだんにある。いずれも桃色の桜でんぶで彩っており、海苔に巻かれて並んでいる。春に小学生になったばかりの子どもたちが、わいわいと行進しているかのような愛くるしさがある。
 おっ、というような顔をバルは一瞬見せたが、威厳を保つつもりかすぐに表情を取り繕った。
 彼の反応を見てみぬふりして聖は続ける。
「あと、ちくわにきゅうりの細切り入れたやつも切ったの」
 素朴で可愛く瑞々しい組み合わせだ、聖の成果をたたえるべく茉莉花は言い加える。
「そうそう。それにミニトマトとブロッコリーの串も、ひーくんが頑張ったんだよねー。から揚げと卵焼きも詰めたんだよねー」
 新鮮なトマトの赤、花咲くように茹でられたブロッコリーの緑、きれいに衣のついたから揚げの焦げ茶と、ふんわりベッドのような卵の黄色、そのすべてが画用紙に描かれた絵のように、それも、『入選』と大きなメダルがつけられたもののように、はつらつとして魅力的だった。
「ま、まあ小僧にしてはやるではないか」
 バルが控えめな感想を述べると、もっと褒めてとばかりに聖は胸を張る。
「パパのおべん当作るついでだったので、楽なもんですよ」
「じゃあ食べません?」
 茉莉花が呼びかけると、待ってました、とばかりにバルは腕を吊ったままベッドから出てきた。けれど、
「どれ味見してやろう。単調な病院食には飽きていたところだ」
 という憎まれ口を叩くのは忘れていなかったが。
 ベッド脇のテーブルに三つ、パイプ椅子を立てて準備は完了だ。
「いただきまーす」
 聖が言うとバルは反射的に応じて合掌していたが、もう体面を取り繕う余裕はなくなったらしい、早速、がっつくように食べ始めたのである。
「うむッ! 悪くないぞ!」
 などと言うはいいが、喉に詰まったかむせている。
 ひーくんより全然子どもよね――茉莉花は内心、苦笑して呼びかけた。
「あ、ペットボトルのお茶もありますから慌てないでどうぞ」
「もらうとしよう」
「おじちゃん、これどうぞ」
「うむ美味い……ではなく、及第点だな。ところでおじちゃんではないぞ」
「そこだけは譲れないみたいですねー」
「ふん。だが最後のから揚げは譲ってやってもいい。小僧、取るのだ」
「こぞー、ってよばれるのもヘンな気もちですよう」
 食事は人と人の垣根を取り除くものだ。いつの間にか、三人は花見の席らしくなっていた。
「しかし、お前たちのようなお人好しに捕まってしまうとはな……」
 相も変わらず悪態をつくバルに、聖はふふーんと笑みを浮かべて、
「ぼく、ほうこく書読みましたよ。このあいだのバクダンじけんの」
 痛いところを突かれたらしく、うっ、とバルは箸を手にしたまま口ごもった。
「ぼく、おじちゃんがわるいんじゃないと思うんですよね。少なくとも、かいけつにきょうりょく的でしたし」
「別に悪いと言われないためにやったわけではない。テロは好まん、それだけのことだ」
「えらい人って、プライドのためにとんでもないことをするみたいですね」
「聖と言ったな? その意見には賛成だ。頭でっかちの連中に限って過激なテロに走りおる。ところで報告書を読んだのなら」
 あれだけ強気だったバルが、うなだれたように下を向いていた。
「……妹のことも知ったであろうな」
「ええ、あたしも読みました」
 悪の幹部といえど人の子ね、茉莉花はそんな思いを抱いていた。
「キノコ怪人さん……でしたっけ? あの人が色々頑張ってくれているんじゃないかな、って思うと気が晴れません?」
「サンチェスか、逆にやつが、無茶をせんか気がかりでもある」
 それなら、と茉莉花はバルに言うのである。
「そんな人たちを助けに行くには、元気が必要ですよ! だからしっかり食べましょう!」
 かもしれん、とバルは静かにうなずいた。 



 港町に新しくできたショッピングモールは、オープン初日ということもあって大変なにぎわいだった。単身の客はあまりなかった。誰もが誰かとここにいた。一人で来ている客だって、ずっと誰かのことを考えていたのではないだろうか。団体観光客に家族連れ、友人同士に恋人同士……ニーナ・ルアルディとグレン・カーヴェルが、そのいずれに当てはまったかは言うまでもないことだろう。
 モール内でイタリアンのディナーを済ませ、ニーナとグレンは肩を並べ帰路をゆく。
 ついさっきまで賑やかな場所にいたせいか、道路沿いの道なのに、ひどく静かに感じられた。足音はもちろん星のまたたく音すらも、聞こえるのではないかという気がするほどに。
「新しいショッピングモール、色んなものを見ているだけでも楽しかったですねー」
 ニーナは後方を軽く振り返って告げた。すでにモールの灯は遠い。
「ちょっとお金が足りなくて、気になってた髪飾りが買えなかったのが残念でしたけど……」
 つい口に出てしまう。
 それは春めいたパールビーズのコサージュだった。華やかな形状ながらベースカラーは落ち着いたアクアマリンで、一点のアクセントとして、ニーナのブロンドによく映えた。カクテルドレスを着た夜会にも似合うだろうし、真昼、振り袖のような和装であってもぴったりだったろう。しかしこれは有名なブランドショップのものであり、コサージュにしてはかなり高価だった。悩んで悩んでしたものの、残念ながらぎりぎり予算が足りず、後ろ髪を引かれながらもニーナはこれを断念していた。
「あのコサージュか。そういえばニーナはしげしげと見ていたな。そんなに気になっていたのか」
「はい。でも、次に来たときは値下がりしているかもしれませんし」
「一点物だろう? 次来たときはもうないかもしれない」
「これが、一期一会というものなのでしょうか……」
「はは、すまんすまん。落胆させる気はなかった。それほど気に入っていたのなら縁があったということだ。きっとまた巡り会えるさ」
「そう願いたいです」
 このとき、ニーナが足を止めた。
「ところで、このまま真っ直ぐ帰るのも少し勿体ない気がします……」
 夜空を見上げて告げる。正確には、春の夜空を飾る桜の枝を見上げて。
「あの、そこの公園を通って帰りませんか? 今、桜が綺麗に咲いてるんです」
 ちょうどそこで脇道にそれれば、小道を伝って公園に入ることができるのだった。
 グレンは公園に視線を移した。気ぜわしくしているときには見落としてしまいそうな、小さくて静かな公園だった。けれどもよく手入れがされていて、入口から順に奥まで、見事な桜の樹が並んでいる。街灯に照らされる花は幻のように儚げで、美しい。
「夜桜か……いいんじゃないか。明日は雨らしいし今のうちに見ておいたほうがいいな」
 そうと決まれば善は急げ、とばかりにグレンは、ニーナの白い手を包むように握った。
「ほら行くぞ」
 急に手を取られ一瞬ニーナは驚きの表情を浮かべたものの、すぐに彼の手を握り返し、「はい」と小さくうなずくのである。

 満開の枝の下をくぐる。見上げてその白さに見とれる。
 誰もいない公園は外よりもさらに静かで、桜がときおり舞うことがなければ、時間が止まっているのではないかと疑うほどだった。
「色々ありましたね、今日一日」
 ふとニーナが口を開くと、グレンはやや大袈裟にうなずいた。
「ああ、色々あったな。本当に」
 一拍おいて言い加える。
「まさか着いて早々にはぐれるとは思わなかったぞ」
 このときグレンは、かすかに苦笑しているのである。
「だ、だってそれはオープン初日で人が多かったからでっ!」
 思い出したせいか、ニーナの顔はいくらか赤い。ちょっとこの歳で迷子というのは恥ずかしかった。
「うぅ……ついフラフラと離れていってしまったのは確かですけど……!」
 まさかこんなことになると思わなかったのは、彼女もグレンも同じだった。モール内で公開されていたバルーンアートに気を取られたニーナはつい彼から離れ、単身になっていたのだった。そこから合流できるまでずいぶん時間がかかった。
 グレンは溜息をついた。
「……あのときは見つけたら文句の一つでも言ってやろうかと思ってたが、見つけた瞬間、あんなほっとして泣きそうな顔されちゃあな……」
 と言ったとき彼は無意識的に、空いた手で前髪をかきあげている。
 ニーナは知るまいが、とグレンは思う。あのとき、どれほど自分が不安に駆られたか。これまで訪れた場所、予想される行き先、それをグレンはかけずり回った。いつか彼女を失う日が来るのではないか、そんな潜在的な不安が、一気に表面化した気持ちだった。やがて、館内放送で呼び出せばいいと遅まきながら思い当たったとき、最初にいた場所に戻っていたニーナを彼は見つけたのだった。
 今回ばかりは相当こたえたのか。発見したとき、ニーナは目に涙すら浮かべてグレンの名を呼んだ。
 このとき思わず、グレンはニーナを抱きしめていた。
 どう思われるかなど一切考えず、本能的にとった行動だった。
 とにかく落ち着こう、とグレンは彼女に言ったのだが、考えてみればこれは、自分に言い聞かせた言葉だったかもしれない。
 ――そういえば、人前だったが何も言われなかったな……。
 よほどニーナも心細かったのだろう、グレンはそう結論づけている。
 人混みは繁栄の象徴だが、果てない不安の原因でもある。グレンとはぐれたと自覚したとき、ニーナは突然、孤独の世界に投げ込まれたような気持ちになった。グレンを探してさまよい、気がついたら元いたところで彼を見出していた。
 見つけてくれた、と安堵と喜びがないまぜになった気持ちで胸が詰まり、彼の名を大声で呼んでいた。
 グレン、と。
 彼はニーナにとって、光明であり唯一の存在だ。
 抱きしめてくれたグレンの腕の感触、呼びかけてくれた声、すべて覚えている。それともうひとつ、彼の息がいくらか乱れていたことも。
 ――平静を装ってますけど……あちこち探してくれたからですよね。
 こんなに嬉しいことはなかった。
 グレンはニーナを見た。
 ニーナも、グレンを見た。
 そしてどちらからということもなく、互いのことを想い、笑み交わしたのだった。
 夜風が吹いた。
 桜がさやさやと揺れる。
 風に乗り、花吹雪が舞った。
「いい眺めです……」
 詠じるようにニーナが呟く。そんな彼女の周囲をめぐるように、花がくるくると小さな渦を描いた。
「ニーナ、頭に花びらがついてるぞ」
「え? どこですか? ここですか?」
「動かないでいい」
 つないでいた手を放すとグレンは腕を伸ばした。ニーナの蜂蜜色の髪に。
「取ってやるから、そのまま前向いとけ」
 ――まあ嘘なんだがな。
 口元に笑みが広がってくるのをグレンはこらえられない。とはいえニーナは、「お願いします」とグレンに側頭を向けたままなので、彼の表情を見ることはかなわなかった。
 さて――。
 もう片方の手をグレンは上着のポケットに忍ばせる。そこからそっと取り出したのは、ニーナの目を盗んで買っておいたあのコサージュだ。先ほどの会話で、グレンはひとつも嘘を言っていない。次来たときはもうないかもしれない、と言ったのも当然だ。つまり、グレンが購入していたのだから。
 店員にはタグを外してくれるよう頼んでいたから、このまますぐ身につけられる。
 無論、グレンはそうするつもりだ。
 そうした。
 ニーナが前を向いている間に、グレンは手早くこれを、彼女の髪に飾ったのだった。
 思っていた以上だ。似合う。とても。まるでニーナのために作られたような髪飾りではないか。
「よし、取れたぞ」
「ありがとうございます」
 ニーナはまるで気づかず、にこりと笑みを浮かべた。
「ならもう少し、夜桜を眺めて帰ろうか」
「そうですね」
 いつ気がつくかね――グレンはまたニーナの手をとった。
「これは、迷子防止だ」
 もう……と言いかけたニーナだが、やめて彼の肩に身を寄せ、
「お願いします」
 と言ったのだった。



 病院の中庭、敷地の中央に月成 羽純はシートを広げる。
「そこ、押さえててくれ」
 ふわっと風にそよぐシートの端を手で示すと、
「このバル・バラ、筵(むしろ)を手で押さえたりはせん!」
 マントゥール教団の諸分派のひとつ、テューダー派の元(?)幹部バル・バラは、無闇に胸を張りそう言い放ったのだった。
「ムシロって」
 思わず羽純は噴き出してしまった。
「ずいぶん古風な表現だな。だがあいにくとこれはビニールのレジャーシートだ。それに、俺が頼んだのは歌菜だよ。怪我人にはそんなことさせやしないさ」
 すると憤然としてバル・バラは、シートの両端を整えはじめたのである。
「手伝ってやる!」
 さっきまで傲然としていたというのに、彼はちょこまかと動いている。骨折した左腕は吊ったままだというのに元気なことだ。怪我人扱いのほうが嫌らしい。
「やれやれ……ま、その意気や大いによし」
 見た感じ俺と同い年くらいのはずだが、と羽純は思う。どことなくガキっぽいんだよなあ、この大将。
 そんな彼らのやりとりを、桜倉 歌菜はくすくすと笑いながら眺めていた。
 なんというか憎めない人だよね――。
 ここは病院の中庭、先日、水田茉莉花と聖の訪問を受けてからいくらか協力的になったということで、この日バル・バラに初の外出許可が出たのだ。といっても移動は病院の敷地内に限られていたのだが。
 それを聞いた歌菜の提案で、今日こうしてふたりは、バルを中庭に連れだしたのである。
「さてさて、バルの大将にもこうしておいで願えたわけで」
 シートの上に陣取ると、羽純は彼に笑いかけた。
「はじめようか、花見を」
「そうしましょう」
 歌菜は荷物から、弁当と水筒を取り出した。
 好天に恵まれ桜も満開、そよぐ風も心地良い絶好の花見日和だ。
 そんな彼らの様子を、バルは憮然とした顔つきで見ている。
「どうした? 来ないのか?」
「なあ待て、月成とやら」
「『羽純』でいいけど?」
「お前たち、何が狙いだ?」
 バルの頭のこめかみのあたりでは、髪が左右均等に、グルグルと渦を巻いている。まさか髪に表情があるはずもないが、言いながらバルの渦巻きは密度を上げているように見えた。
「狙い、っていうのでしょうか、今日来たのは、マントゥール教団の方とお話できるなんてすごく貴重だと思ったからです。何より個人的にバルさんに興味があるというか……単純に会ってみたくて」
「俺も同じだ。それだけで他意はない」 
 さあ、と羽純はバルに呼ばわる。
「せっかく弁当まで用意してきたんだ、無下にしないでくれると嬉しい」
 またなにか言い出すかと思いきや、意外なことに、バルは悄然とした口調で告げた。
「気持ちだけはもらっておく……だが、私のことは放っておいてくれ」
 あれ? と歌菜と羽純は顔を見合わせた。ちょっと予想外の反応だ。
「あー……俺なんかキツいこと言ったか?」
 いいえ、と歌菜は首を振り、もしかしたら、と思い当たったことをバルに言うのだ。
「見当違いだったらごめんなさい。ひょっとして……プリム・ローズさんのことが心配で心を痛めているのでは?」
「……A.R.O.A.に言う筋合いはなかろう」
「それ『その通り』って言ってるに等しいじゃないか」
「お前たちに話してどうなるというのだ」
「どうにもならないかもしれないが、黙ったままならもっと、どうにもならないと思うぞ。ほら」
 と羽純は彼に手をさしのべ、骨折に障らないようにしてシートに座らせたのである。
「まあ食べよう。腹は減ってるだろ?」
 さんさんと太陽輝く中で、頭上には桜の花、手元には和風弁当の花、そんな花ざかりの状況というのに、いささかしんみりと花見の席は幕を開けた。けれども歌菜はつとめて明るく、
「バルさんが片手でも食べやすいように、摘まんで食べられる和風なお弁当を用意しました」
 と、均等に揃った太巻き寿司を示した。海苔の香りが嬉しい。きっちり詰まった酢飯は、ムラなくスパッと切られており、きゅうり、水菜に厚焼き卵、変わり種の魚肉ソーセージが、これ以上ないほどのバランスで顔を見せている。加えて桜の花の塩漬けが、花見らしい色彩を加えていた。
「騙されたと思って食べてみてくれ。美味いから」
 気乗りしない様子でバルはこれを口に運んだものの、
「……騙された」
 意外なことを言った。しかし、
「『美味い』なんてものではないぞ。これは『極上』だ」
 とすぐさま彼らしくもない戯れを言ったので、歌菜はぱっと顔を輝かせたのだった。
「和風な弁当には思わず日本酒……と言いたいが、今日は緑茶で我慢してくれ」
 羽純が水筒から紙コップに茶を注いで渡すと、バルは、うん、と受け取って飲んだ。少し元気が出てきたようだ。
 歌菜は彼に、しし唐辛子の肉詰めを勧めながら問う。
「バルさん、聞いてもいいですか?」
「嫌と言ってそのしし唐が食えんのも癪だ。いいだろう」
「バルさんって普段どういう生活を? ……なんか想像がつかなくて」
 バルは顔を上げた。なんだそんなことか、と言ってから、
「両親から受け継いだ遺産で暮らしている。ベル……いや、妹のプリムも同じだ」
 ということは、と羽純が問う。
「そもそも教団員になったのも、親の影響ってことか?」
「影響もなにも、テューダー派を始めたのは父上と母上だ。私たち兄妹はそれを受け継いだにすぎん」
「だからって、オーガにひれ伏して救済を求めるなんて……」
 歌菜を遮ってバルは言った。
「両親が何を考えていたかは知らん。恐らくはその通りかもな。父上も母上も他の諸派との権力争いに夢中で、我々にはさして接することがなかったから……」
 ここまで、いつになく暗い目をして語ったバルだが、ここで急に声を強めて、
「ただ私は……私とベルは、二親が急死してこの手に余るものを引き継いだとき、これで世直しをしようと思った。オーガの力は目的ではなく手段程度に考えていた。まあ、結果的にそれに賛同できない者に裏切られたり、他分派に乗っ取られることになったのだから失敗だったかもしれんが……」
 ずっ、とバルは鼻をすすった。
「辛くて良いぞ、このしし唐辛子。そのせいか話しすぎてしまったわ」
「プリム・ローズさんは今どうしているかわかります?」
 歌菜が訊くと、それを問われるのを恐れていたのかバルは悲痛な表情になる。
「……シュツルム派の幹部シンは、我が妹に惚れている。私の助命と交換条件で、プリム、いやベルはシンとの婚約に応じた。なに、ベルはしたたかなところがある。そうして油断させて次の手を考えているのかもしれん。そうあってほしい」
「だがそうはいかないかもしれない」
 悪いな不安にさせて、と断って羽純は続けた。
「アンタのための人身御供として、プリムはシンって男に身を捧げたのかもしれない。だとしたら……」
「ええい!」
 バルは突然、大声を出して立ち上がった。
「これまで情報が遮断され日数がわからなかったが、今日、拘束が弛んだおかげでやっと日付が判明した! もう奴とベルの挙式予定日までわずかしかないではないか! だが今の私に何ができると言うのだッ!」
 これが本音だったのだろう。バルは肩を怒らせ荒い息をついている。左腕はギブスをして吊っていて、右手に太巻きを手にしたままなのが、悲しくも滑稽だった。
 しかし歌菜は取り乱さなかった。立って、しっかりとバルの目を見て告げた。
「私たちにこんなこと言われても……かもですが、きっと大丈夫。バルさんが動けなくても、私たちがいます。プリムさんを助けます」
「そうとも。俺はアンタのことは……まぁ花粉の恨みはあるが、嫌いにはなれない。できうる限り、力になりたいと思ってる」
「妹を救う……!? 我々は敵だぞ。これまで世に騒動を起こしてきた。それを助ける? どこまで……」
「お人好し、って言いたいんだろ? そうだな。ウィンクルムは結構お人好しが多い。俺達を含めてな」
 だからまずは、と、羽純はバルの肩を叩いた。
「座って花見の続きといこう。今は、食って飲んで鋭気を養え」

 



依頼結果:成功
MVP
名前:出石 香奈
呼び名:香奈
  名前:レムレース・エーヴィヒカイト
呼び名:レム

 

名前:桜倉 歌菜
呼び名:歌菜
  名前:月成 羽純
呼び名:羽純くん

 

メモリアルピンナップ


エピソード情報

マスター 桂木京介
エピソードの種類 ハピネスエピソード
男性用or女性用 女性のみ
エピソードジャンル ハートフル
エピソードタイプ EX
エピソードモード ビギナー
シンパシー 使用可
難易度 とても簡単
参加費 1,500ハートコイン
参加人数 5 / 2 ~ 5
報酬 なし
リリース日 04月10日
出発日 04月15日 00:00
予定納品日 04月25日

参加者

会議室

  • [3]桜倉 歌菜

    2017/04/14-21:44 

    桜倉歌菜と申します。パートナーは羽純くんです。
    皆様、よろしくお願いいたします!

    私と羽純くんも、バルさんに聞きたい事もあるので、彼をお花見に誘う予定です。

    楽しい一時となるといいですね♪

  • [2]出石 香奈

    2017/04/13-21:07 

    出石香奈と、パートナーのレムよ。
    春になると色んなのが出てくるわね…
    とはいえ、こっちはあの人たちとはかすりもしないことになると思うんだけど。
    ま、せっかくのお花見だし、皆楽しみましょうね。

  • [1]水田 茉莉花

    2017/04/13-08:31 

    あー、あのヘンテコなヒーローさんだー(棒読み)。

    もうしおくれました、ぼくはひじりです。
    ママといっしょに、バル・バラのおじちゃんとお花見してきます。


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