そしてまた歩き出す(桂木京介 マスター) 【難易度:とても簡単】

プロローグ

 しばらく距離を置かないか、と切り出したのは彼のほうで、そのときあなたはなすすべなく、小さくうなずくことしかできなかった。
 ――オレじゃ、パートナーとして役不足だったのかな……。
 そんなことを思った。
 以来、ごく自然に、ウィンクルムとしての活動も開店休業の状態となっている。
 あれから半年が過ぎた。
 自分から彼に電話するのはためらわれ、彼からの接触も途絶えたままの六ヶ月だ。
 大抵の疵(きず)がそうであるように、はじめの数日はひどく胸が痛んだ。彼ともう会えないと思うだけで涙がこぼれそうになり、彼が好んだ服装を着た人とすれ違うたび、顔を手で覆ってうずくまりそうになった。ふと気がつくと涙が頬を伝っており、同級生に気づかれたくなくてトイレに駈け込み慌てて拭う……そんな日々だった。
 しかし鋭い痛みは時間とともに薄れ、やがてそれは鈍痛、さらには肌に残ったうっすら白い傷痕のようなものへと和らいでいった。
 今ではもう、彼が好きだったカフェにも行けるし、二人で観た映画のDVDリリース情報も、単なる広告として聞き流せる。彼が好きだったカルボナーラだって、半年ぶりにさっと作れた。
 けれど湯気を上げるカルボナーラ、そのベーコンにフォークを刺そうとして……そこで、あなたの手は止まった。
「やっぱり……駄目だよ……」
 こればっかりは、独りぼっちで食べたって絶対おいしくない、そう判っていたから。
 肩が震える。カルボナーラに数滴、塩味がついてしまった。
 いくら疵が塞がろうと、彼の存在はもう、どうしようもないくらいにあなたの一部となっていた。
 自分の一部であるものを、どうして無理に否定できよう。
 そのとき携帯電話が振動したので、あなたは慌てて目を袖で拭う。二日前A.R.O.A.職員の葵から、「近いうち支部に来ないか?」というメールが来ていたのだ。すぐ返事する気がせず放っておいたので、再度連絡が入ったのかもしれない。
 メール画面を立ち上げて、息を呑んだ。
 差出人は彼だったのだ。あなたのパートナー、あなたの、精霊。
『すまなかった。俺が悪かった。許してくれるのなら……いや、許してくれなくても、もう一度、会いたい』
 やり直したい、と書いてあった。連絡を絶っていたのは、自分を鍛え直すためだった、とも。
 なにを今さら、とはねのけたい気持ちもかすかにあった。
 けれどあなたの中では、メッセージを携帯ごと抱きしめたい気持ちのほうが勝っていた。
 返事を書く前にまず、まだ熱いカルボナーラを平らげるとしよう。


 ◆◆◆

 ……と、いうのはもちろん、あくまで一例だ。
 春は転機の季節、あなたに訪れた新たな展開、小さなものでも大きなものでも、そこに歩き出す意思があるというのであれば、教えてほしい。
 歩き出そう。未来へ向かって。

解説

 テーマは『再開』、これを『再会』と読み替えていただいてももちろん構いません。
 一度終わったものを再び始める、というイメージでも、何かを終えて新しい目標に向かって歩み始める、というイメージでも、あるいは、これまでパッとしない日々だったけど、A.R.O.A.に入って新しい人生にチャレンジする、というイメージでも大歓迎です。

 しばらく『らぶてぃめっとステージ』から離れていたけど復帰しようかな、というあなたをお待ちしています。

 はじめて『らぶてぃめっとステージ』に参加する(つまり歩き出す)というあなたをお待ちしております。

 現在進行形でガンガン活動しているけれど、キャラクターが就職、進学、転職、引っ越し、つきあい始めた、同棲ないし結婚生活をスタートした、といった新展開に入るというあなたをお待ちしております。

 要するに、参加制限なんてありませんのでお気軽にご参加ください。

 なお、なんだかんだで基本『300jr』、展開によってはプラス100から200jrを消費するものとします。ご了承下さい。

ゲームマスターより

 読んでいただきありがとうございました。
 桂木京介です。

 春はなにかを始めるにぴったりのシーズンですよね。
 ゲーム初心者の皆さんにも、ベテランの皆さんにも、喜んでいただける話にしたいと思っています。
 先月からウィンクルム活動を開始したけど、精霊さんと二人きりで出かけるのは初めてで緊張する――というお話は『友達として歩き始める』という意味でこのシナリオに当てはまるでしょう。
 彼への異存を断ち切り独りで生きていく、というお話も『歩き出す』お話だと思います。
 交換日記を始めるという展開もいいですね。
 
 アクションプランを書くのに自信がなければ「・私と彼は会うのが二回目」「・彼とディスカウントショップへシャンプーを買いに行きました」「・間違えて白髪染めを買っちゃってキャー」といった短い箇条書きでも私は喜んで対応させていただきますのでお気軽にどうぞ。
 
 それではまたリザルトノベルでお会いしましょう! 桂木京介でした。

リザルトノベル

◆アクション・プラン

セラフィム・ロイス(火山 タイガ)

  !?決意を語れって『一人前』になったのを証明するの!?

■父・壮年のノア。母・ソフィを連れ
すごい・・・(本気なんだ

僕もタイガと一緒にいたい
お願い三年だけ待って。オカリナ奏者の道を目指してみたいんだ
一度だけチャンスを下さい

父『好きにしなさい
出て行く決意があるなら。私も現役なんだ家業は気にしなくていい』

・・・反対されると思ってた
母『苦笑)・・・セラフィムを変えてくれたタイガ君なら、良いかなって。ね、貴方
ウィンクルムの報告書も目を通してるのよ』

■タイガと喜び。立ち去る両親の背に
父さん、母さん・・・ありがとう!


最近どれだけ愛されていたか、わかった
意見をぶつけたことなんてなかったから、わからなかった(涙


セイリュー・グラシア(ラキア・ジェイドバイン)
  「オレ、スポーツジムのインストラクターをすることになった!」
とラキアに報告だ。正式に決まるまでナイショだったのさ。
いつも通っているジムのインストラクターになったんだ。
このあいだ(エピ286)のアレックスからスカウトされちゃってさ。
あのジムにもう数年通ってるし。
資格も大学で取れたからやってみるか!ってさ。

最近はオーガの討伐任務も減ってきてる。
それはすごくいいことだ。
でも体は動かしていないとなまるし、勘も鈍る。
討伐任務か少ない時こそ、日々の鍛錬は大事だと思うんだよな。
何より、体動かしてると楽しい。
この楽しさは広めていきたい。
オーガだけじゃなく、教団員の動きも気になるからさ。
新たな気持ちで頑張るぜ。


蒼崎 海十(フィン・ブラーシュ)
  ついに始まった大学生活
大学の食堂に行ってみたいというフィンと待ち合わせて、昼食を取る事に
授業を終えたら、早速早足で食堂へ
広い食堂を見渡したら…居た
フィン、こうして見ると凄く目立つ
恋人として誇らしい気持ちと、焦燥感
早足に駆け寄ろうとしたら、こちらに気付いたフィンが手を上げてくれて
…俺にも視線が集まって気恥ずかしい思いで、フィンに歩み寄る

待たせたか?
凄く目立ってるぞ
大学生っぽく見えないって訳じゃない
フィンはもうちょっと鏡で自分の顔とか見た方がいいぞ

えっと…何食べる?
俺も初めてだから(いつもはフィンの弁当だし
本日のお勧め定食にしよう

まだ慣れないけど…授業は面白い
時々さ…こうして一緒に昼食食べないか?


明智珠樹(千亞)
  ●明智、趣味の再開

『なぁ、珠樹。何かやりたいこととか好きなこととかないのか?
得意なことでも…』
「千亞さんを悦ばせるイメトレは十分!ですので是非実務経験を…!」
蹴られ悦ぶド変態

「今のままで十分幸せですが…あ!」
以前から絵筆を執ると無心になれて心地よかったことを思い出す。
兄探し中も暇つぶしに色んなスケッチをしていた。
「千亞さんの絵を描きたいです」
水彩画にて
「あ、全裸でお願…」
嫌ですか残念です。

すまし顔の千亞だが、どこか緊張を感じ愛しく思う
時間が経つのも忘れる程熱中

「楽しかったです、趣味として続けたいですね」
千亞の喜ぶ顔も見れた。
「次は油絵でじっくり、千亞さんのフルヌードを…!」
諦めませんよ、ふふ


ルゥ・ラーン(コーディ)
  自宅
不完全だが復活した霊力を以て 瘴気の元凶と会話を試みた
霊が零す言葉の断片から
昔ここで病死した未契約精霊で
運命の神人との邂逅の夢破れその無念から地縛霊となったと知れた
私を取り込む気か 手を掴まれる感覚
妄執に場の収束が難しい
精神の攻防が続き限界が近い
愛しい人を思い気を奮う
(コーディ 私を導いて 繋ぎ止めて…)

目覚めたら彼の顔 嬉しく感謝告げ縋る
水を頂き一息 正直に顛末を話す
「あなたとの絆が育まれる程に私の力は満ちてゆく その高まりを実感したかった…」
こんな事になり
自惚れ…無謀と呆れてしまうでしょうか(手首擦り弱い笑み

恋人…!
「はい よろしくお願いします」
胸熱

同棲生活の始まりは彼の作った昼食を頂く事でした


 咲かせている。桜の樹が、その腕いっぱいに。
 まさしく『桜色』としか表現できない、あの独特の薄らいだピンクの花を咲かせている。
 淡い薫りの微風も心地良い。
 しかしいつまでも桜を見上げたまま、足を止めてはいられないのだ。
 蒼崎 海十はこの春より、晴れて大学生となったのだから。今は歩き出すときなのである。未来へ向かって。
 ついに始まったか、大学生活。
 そう思うと少し、感慨深い。
 高校生から大学生、その切り替えはわずか一日で行われたものの、くるりと世界が一回転したような変化を海十は目の当たりにしていた。変化したものを挙げていけばきりはないものの、もっとも面食らったものを言うのなら、それは学生たちの姿だろうか。
 ――やっぱり違うな、大学生って……。
 海十はそう感じているのだ。
 このとき講義準備の予鈴を耳にして、海十は先を急いだ。
 優に百人は入ろうかというすり鉢状の大講義室に入る。講義室は、古い木製家具とワックスの匂いがした。アカデミックな香りだと思う。悪い気はしなかった。
 上方、つまり後段の席。午前2コマ目の講義開始を待ちながら、海十は大学生たちを観察する。
 大学生たちは同い年、あるいはせいぜい数歳上くらいの同世代ばかりのはずなのに、華やいだ雰囲気をまとっているように海十には思えてならない。
 服装、髪型、仕草、いずれも男女ともに、洗練されているような気がするのだ。なかには垢抜けていない者もないではなかったが、それでも、春の陽光という効果もあってか、活き活きとして眩しいのだった。
 笑みかわすゼミ生らしき女性二人はファッションモデルのように見え、ひとり読書する眼鏡の女性にも、冴え冴えとしたインテリジェンスを感じる。陸上部のジャージを着て黙々と準備している青年は、均整のとれたギリシャ彫刻のような肉体をしていた。
 こんな風景に慣れる日が来るのだろうか、と海十はぼんやりと考える。
 自分もいつしか、あんな『大学生』の一員になれるだろうか。

 このとき海十は気がついていなかったのだが、同じ教室の最後列には、フィン・ブラーシュが潜り込んでいた。
 フィンの目元は緩んでいる。
 フィンが座る席は海十から少し離れ、具体的にはその斜め上方だ。海十に気取られぬまま、彼の横顔を鑑賞するにこれほどいい位置もない。フィンにとってはまるで、オペラハウスのバルコニー席のようなものだ。
 フィンが懇意にしている出版社が、ちょうど大学の近くにあった。本日、その出版社で打ち合わせの予定があったフィンは、「大学の食堂に行ってみたいな」と、学食でのランチに海十を誘っていた。
 その打ち合わせが早々に終了したため、フィンは学生のふりをして学内を見学していたのである。歴史ある学校だからかなんとも鷹揚で、入口でIDの提示を求められたり警備員に止められたりすることはなかった。
 そうして、せっかくだから講義も聴講しよう、と飛び込んでみたのがこの部屋だったわけだ。だからまさかこの場所で海十を見つけられるとは思っておらず、フィンはこの僥倖に震えすら感じてしまったほどだった。
 初老の教授が入ってきて、講義が始まった。
 講義を聞く振りをしながら、フィンの目はずっと海十に注がれたままだ。
 頑張ってるね、海十――。
 澄んだ眼で授業に聴き入り、真剣にノートを取っている海十は、本人がどう思うかにかかわらず、立派に大学生だとフィンは思う。
 教授の話は念仏調で、脈絡のない方向に飛んだりもするものの、海十のように熱心に聴いていれば、きっと見えてくるものがあるに違いない。けれどもフィンにとってはどうにもこうにも、眠いものでしかなかった。海十の観察という眼福がなければきっと、なかばにしてうたた寝の世界に落ちていたに違いない。

 講義終了とともにそそくさと席を立つと、フィンは学食の一角に席を見つけた。
 広い。とてつもなく広い食堂だった。野球のグラウンドが丸ごと食堂になったような感じだ。賑々しい雰囲気も野球場風であろう。
 カフェテリア方式というやつで、めいめいが好きな物を取って代金を先払いし、席で食べるものらしい。まさしく定食といったラインナップからカレーやうどん、ラーメンなどの単品、はたまたイタリアンパスタやステーキなんてものもある。量がふんだんにあるあたりも実に学食的だ。大学らしくビールとワインも売っているが、うどんやカレーと一緒に呑んで果たして旨いかは謎だった。
 自分の位置をメールで海十に知らせ、フィンは取材ノートをまとめながら彼を待つことにした。
 本日出版社で打ち合わせしてきたネタだ。興味深いテーマだったがどこからとりかかればいいのか迷う。
 そろそろかな、と、フィンは腕時計で時間を確認する。

 海十はフィンを探していた。昼時の学食は学生や職員でいっぱいだが、メールに添付された位置情報を見るまでもなく、なんとなくフィンのいる場所はわかっていた。
 なぜって、それは人の視線がある方向に流れていたから。
 視線の先を追った海十はやがて、やっぱり、とうなずいた。
 人の視線の流れが河だとすれば、流れの先にあるのは滝壺だろう。
 滝壺さながらに、視線を集めずにはおれぬ存在。
 それがフィンだった。
 フィンは学食のテーブルに陣取り、取材用らしきノートを広げている。悠然と微笑を浮かべて、それでも、どこか険しい視線でこれを注視している。
 その姿は黄金の獅子のようで、威風堂々として近寄りがたく、それでも称賛混じりの眼差しを、向けずにはおれぬ至高の美を伴っていた。
 フィン、こうして見ると凄く目立つ――。
 誰もがフィンに注目している。誰もが、彼のことを知りたがっている。
 海十の胸に湧き起こるのは、恋人として誇らしい気持ちと、焦燥感だった。
 彼は俺の恋人なんだ! そう叫びたい想いと、でも彼に俺は釣り合っているのだろうか、という不安、その両方だ。
 駆け寄ろうとした海十に、フィンが片手を上げてみせた。

「海十、こっちだよ」
 フィンは告げて、周囲の学生という学生が、海十を見ていることに気がついた。
 笑みがこぼれてしまう。
 海十が注目されている。それはやはり、海十が美しすぎるからだろう。
 理解できるね――フィンは思った。その海十を独占できるというのは、本当に贅沢なことだとも。  
「……待たせたか?」
 フィンの行動が自分にも衆目を集める結果になったことを意識し、顔を火照らせながら海十は言った。
「ううん、全然」
 それならいいけど、と海十はフィンの正面の椅子を引いて、
「凄く目立ってるぞ」
 そうぽつりと告げたのである。
「え? 学生さんの中で浮いてた?」
「大学生っぽく見えないってわけじゃない」
「じゃあ、どういうこと?」
「フィンはもうちょっと鏡で自分の顔とか見たほうがいいぞ」
 アハハとフィンは声を立てた。
「……その言葉、海十にも返しておくね」
 前髪が当たるくらい顔を近づけてこう言ったものだから、海十はどぎまぎして言葉に窮して、
「えっと……何食べる?」
 とだけ告げて席を立ったのだった。

 ふたりが選んだのは定食だった。それも、『本日のお薦め定食』なるひねりのない名前のものだ。
 ところが『お薦め』の言葉は、決して伊達ではなかったのである。注文してからおばちゃんが揚げてくれるメンチカツは舌が火傷しそうなほど熱いが、分厚くて身がしっかりと詰まっていて、噛めばジュウッと肉汁が溢れてくる。添えられたオムレツは綺麗な黄色で香ばしく、キャベツは大雑把な切り方ながらシャキシャキしてボリュームがあった。これに具だくさんの味噌汁とてんこ盛りの白米までついて、目を疑うほどの安価だったのだ。
 これを笑顔で平らげつつ、フィンは問いかけた。
「大学生活はどう?」
 お茶を口にして海十は言う。
「まだ慣れないけど、授業は面白い」
 目が輝いていた。充実しているという目だ。フィンは嬉しくなる。
 ときどきさ、と海十は言った。
「こうして一緒に昼食食べないか?」
 是非に、とフィンはうなずいた。
「俺も今それ考えてた」



「今日はお祝い、だから」
 ラキア・ジェイドバインは今にも鼻歌でも歌い出しそうな様子だ。
「御馳走を作ったよ」
 振り向いたラキアはキルティング生地のエプロン姿だ。とってもいい笑みを浮かべている。エプロンが明るい花柄なあたりも、彼の気分を象徴しているかのよう。
 テーブルには次から次へと、セイリュー・グラシアの好物がならんでいく。カリッカリに焼き上げたケイジャン風スパイシーチキン、キャベツをじっくり茹でるところから作った濃厚なロールキャベツ、わざわざインディカ米を買って作ったサラダボウル、オニオンリングとポテトのフレンチフライ、それから、それから……とにかくたくさん! ところ狭しと展開されるのだ。いずれもラキアが腕によりをかけた逸品ばかりだった。
「こんなに!」
 セイリューは驚きのあまりしばし言葉もない。
「大変だったろ?」
「全然、とはさすがに言わないけど、嬉しさが原動力だから苦にならなかったよ」
 なんといっても、とラキアは言うのである。
「セイリューの就職祝いなんだからね」

 ここで時間をさかのぼる。
 その日の朝、セイリューはポストに届いた封書を開くと、入っていた書面を何度も読み返し、感極まったようにラキアを呼んだのだった。
「ラキア、報告が遅くなったけど」
「うん、どうかした?」
 庭の花に水をやっていたラキアは、手に植木用の小さな如雨露を提げたままだ。
 実は、と言って少しだけ溜めの時間を作って、おもむろにセイリューは明かしたのである。
「オレ、スポーツジムのインストラクターをすることになった!」
 ぱっと取り出した書類は労働契約書だった。賃金や労働時間などの条件が事細かに記してある。仕事内容も。
 書類の最上部には流れるような書体で、セイリューの名前もしっかりと記されていた。
 ええっ、と声を上げてラキアは書類をしげしげと眺める。何度も読み返すその仕草は、数分前のセイリューそっくりだ。
「これ、セイリューがいつも通っているスポーツジムだよね?」
「ああ、そのインストラクターになったんだ」
「すごいよ。まさに天職じゃないか」
 ラキアは自分のことのように喜んでいる。顔も上気していた。
「でもいつの間に」 
「ごめん、面接受けたことすら黙ってて……正式に決まるまでナイショだったのさ」
 セイリューはいくらか気まずそうに言った。
「このあいだのアレックスからスカウトされちゃってさ」
「ああ、あの山猫系テイルスの彼……」
 ラキアの声がちょっと曇った。しかし彼は、いつまでも気にしないと決めたかのように、
「だったら今宵は祝賀会にしなくっちゃ」
 と宣言したのだった。
「俺とセイリューのふたりっきりでね」

 そうして今宵のディナーとなったのである。
 手伝うというセイリューをキッチンから閉め出して、「メニューは時間までのお楽しみだよ」とラキアは、半日近くかけてこれだけの食卓を用意したのだった。
 テーブルの中央には燭台と、リボンがけしたブーケまで飾られている。美を競うような花々は、ガーベラにシャクヤク、薔薇とライラック、それにスズランを少々、これも、庭で咲いているものからラキアが選んで作ったものだった。
「本当に豪勢だな……なんていうか、ありがとう」
「どういたしまして」
 向かい合って椅子につく。ふたつ揃えたグラスが、キャンドルの灯りを反射していた。
 ナイフをチキンに入れながらラキアが言った。
「就職どうするとかの話をあまりしなかったから、どうするの? 思ってたよ」
「一応は考えてはいたんだけどな」
 さしあたってセイリューに、経済的な不安がないことだけは事実だった。彼は実家の事業決裁権を一部保持しており、少なくない配当金が定期的に入ってくるのである。もちろんA.R.O.A.の仕事も、不定期ながら収入源になっている。だがいわゆる正業、日常の仕事もしたほうがいいとラキアは考えていたし、セイリューもそう公言していた。
「それがジムのインストラクターだったとはね。好きな仕事で良かったじゃないか」
「声をかけてもらえたのはラッキーだったんだけどな。あのジムにもう数年通ってるし、資格も大学で取れたからちょうどいい、やってみるか! ってさ」
「セイリュー、大学でインストラクター資格とってて本当に良かったよね。ところでもしかして、先日からジムに行くこと多かったのはこれが理由だったの?」
「いや」
 セイリューは首を振った。
「新しいトレーニング機入ったから」
 はははと、ラキアは笑ってしまった。
「あるあるすぎる」
「オレに意外性を求めないでくれ」
「それは失礼」
 と笑顔のままグラスを傾け、ラキアは続ける。
「これから指導員になるわけだけど、上手にできそう? なんだかセイリューだったら擬音の多い指導になりそう」
「『そこ、ガーッと引いてみよう!』とか『パパーッと腕の筋肉つけるにはこれが一番!』とか?」
「そうそう、そんな感じ」
「……否定しきれない。いや一応理論も頭には入れてんだよ、これでも」
「ふふ、でも結構やる気を引き出してくれる言葉もかけてくれるから好きだよ、セイリューって」
「そうかな?」
「『できるできる!』とか『あとちょっと』とか言われると、そうなんだって気になっちゃう」
「そんなこと言ってるか、オレ?」
「言ってるよ。よく。おかげで助けられたこと、何度もあるから」
 エメラルドグリーンのラキアの瞳に、誇張や嘘の色はまるでなかった。
「自分では意識したことないけど……」
 照れたようにセイリューは鼻の頭をかいた。
「教えてくれてサンキュな。インストラクターとしてそういう言葉は大切にしていく」
 セイリューは思う。自分という人間を一番知っているのは、自分自身ではなくラキアだろうな――と。
 食事があらかた終わる頃、灯を見つめながらセイリューは口を開いた。
「最近はオーガの討伐任務も減ってきてる。それはすごくいいことだ」
「その通りだね」
 このところ、小規模な騒動なら頻発しているものの、世を混乱に陥れるほどの大事件は発生していない。だがそれは嵐の前の静けさという予感もあって、セイリューは決して気を緩めていなかった。
「でも体は動かしていないと鈍るし、勘も鈍る」
「わかった。どうしてジム通いしているか、って話だね」
「察しがいいな、その通りだ。オレ、討伐任務か少ないときこそ日々の鍛錬は大事だと思うんだよな。何より、体動かしてると楽しいし」
「わかるよ。俺もときどき同行してるからね。スポーツジム」
「この楽しさを広めていきたい……そんなことを漠然と考えてた。だからほら、朝方、ラキアが言ってくれたことあるだろ?」
「どれのこと?」
「オレがインストラクターになったことを指して『まさに天職』って」
「ああうん、言ったし、今もそう思ってる」
「言われたとき、なんだかガーンと雷が落ちてきたような気がした。もしくは、ずーっと解けなかったパズルが、なにかの拍子にビシーッと解けたとか、そんな感じだ。オレが思ってたことを実現できる仕事にオレは就いたんだ、って、ドーンとそんな実感が涌いてきた。嬉しかったし、誇らしくなったぜ」
「ちょうど俺がキーワードを投げたってことかな。それにしても」
 ラキアはふふっと微笑した。
「さっきの言い方、セイリューらしい表現だよね」
「え? そうか?」
「『ガーンと』雷が落ちて、『ビシーッと』パズルが解けて、『ドーンと』実感が涌いてきたんでしょ? セイリューらしい擬音でいっぱいだよ」
 これにはセイリューも噴き出してしまう。
「まったくだ! オレってよっぽど擬音が好きらしいな。ドカーンだ」
 どうしてだろう、とラキアは思う。
 ガーンにドーンにドカーン、そんな風に他愛ない言葉を交換しているだけで、こんなに楽しい。
 就職してセイリューは、ひとつ成長してまた歩き出す。願わくばその隣に、ずっと自分もいたいと願う。
「オーガだけじゃなく、教団員の動きも気になるからさ。新たな気持ちで頑張るぜ」
「その意気だよ。俺も頑張らなくちゃね」



 休日の午後。芝生の中央にしつらえられた白いガーデンテーブル。
 木製のパラソルの下で千亞はひとり、春のティータイムを愉しんでいる。
 ちょうど花ざかりの庭だ。ポーチュラカの赤い花、黄色のキンギョソウ、マーガレットの白が目に優しく、センテッドゼラニウムのレモンに似た香りも、心をくつろがせるものがあった。
 ティーカップから昇るはダージリンの湯気、茶請けは、バター風味たっぷりのマドレーヌ、遠くに聞こえる小鳥のさえずりが、耳からも千亞を安らぎにいざなう。
「チチチチチチ……」
「ああ、あれはスズメの鳴き声だろうか、それともシジュウカラかなあ……なんて言うと思うかこの阿呆ッ!」
 ガタッ、千亞は立ち上がり怒りを込めて振り返った。
「うるさい! 五月のハエと書いて『五月蝿い』ッ!!」
 うひー! とその場に転がるや甘える猫のようにお腹を上に服従のポーズを取るのは、今やこのコスがすっかりお馴染み、メイド姿の明智珠樹なのだった。なお本日はメイドといってもいわゆるクラシカルスタイルで、レース飾り多め、スカートは長め、ヘッドドレスも大きめのしっとり楚々としたメイド扮装である。(転がってジタバタしていたら楚々もなにもあったものではない気もするが)
「誰が小鳥の鳴き声をやれと頼んだ! そういう演出いらないから!」
 クワっと目を怒らせ思わずガニ股でゴリラ風ファイティングポーズをとってしまう千亞だったが、左手のティーカップが微動だにせず、一滴の茶もこぼれていないあたりはさすがといえよう。
「いえいえっ、これは決して小鳥を模したモノではなくてですねえ……」
「じゃあ何だ!」
「えーとえと……しりとり……そう、しりとりです! アンニュイなティータイムの余興、ザ・突然しりとりがはいスタート! 『ち』で次は千亞さんの番ですよ」
「は?」
 ぴく、とこめかみが動いた千亞だが、一口茶を口に含むと半月型の目でこう告げた。
「『散れ』」
「ひいい! なんとゾクゾクするお言葉! では『れ』で……えーと、『冷酷』!」
「『くたばれ』」
「あひい! 『隷従』ぅ……」
「『うざい』」
「ふ、ふふ……もっと……もっと言って下さいっ!」
 珠樹は芝生の上でくねくねと、荒い息をして身をよじらせているのだった。
「もうなんか珠樹が悶えるのが嫌だからやめやめ!」
「『い』で『E気持ち』……」
「だから続けるな! なんか色々台無しだよもう!」
 ぐいと紅茶の残りを煽って千亞は座り直した。
 ところで、と前置きし、千亞は正面に珠樹を来させて、
「なぁ、珠樹。何かやりたいこととか好きなこととかないのか?」
 はて、と珠樹は小首をかしげる。ライラック色の髪がふぁさりと揺れた。
 じゃあ、と千亞は言葉を変えて、
「得意なことでも……」
 そこまで聞いて珠樹は、ぱんと嬉しげに両手を合わせたのである。
「ありますともありますとも! やりたいことであり好きなこと、しかも得意なことがひとつ!」
「というと?」
 千亞は身を乗り出した。
「千亞さんを悦ばせるイメトレは十分! ですので是非実務経験を……!」
 言うそばからもう、珠樹は服を脱ぎだし右肩をするりと露出させているではないか!
「聞かなきゃよかったド変態!!」
 ごすっと鈍い音が轟く。千亞渾身の前蹴りが炸裂したのだ。
「まったく……」
 ティーポットから二杯目を注いで、千亞は乱れた前髪を手で直していた。
 珠樹はまともな対応をしてくれない。最初からする気がないのかもしれない。彼はすぐにろくでもない方向に話を転がすのだ。場が暗くなりそうなときはそれも長所として働くこともあるものの、千亞なりに珠樹を気遣ったときですらこれだから、どうしたらいいのか本当に困る。
 珠樹は幸せなのだろうか――それが千亞には気になっていた。
 現在、押しかけ住み込みメイドボーイ(?)として千亞の実家に収まり再スタートを切った珠樹であるが、常に千亞のことを気にかけるばかりで、自身の記憶を取り戻すことには、まるで積極的ではない様子なのだった。千亞としては一年半、兄捜しに付き合わせたという負い目もあって、できれば一度は、ちゃんと珠樹のやりたいことをさせてあげたいという気持ちがあった。
「たまには真面目に答えてほしいよ」
「ふ、ふふ……真面目に答えたつもりなんですがねえ……」
「どういうときに幸福だと思うかとか、そういう話でもいいんだ。もちろん、変態要素抜きで」
「今のままで十分幸せですが……あ!」
 ぺたんと千亞の前に正座して、忠犬のように珠樹は上目づかいで告げた。
「そういえば……絵は、いいですね。絵筆を執ると無心になれて心地よかった……ええ、千亞さんのお兄さん捜しをしていたころも、暇つぶしに色んなスケッチをしていましたねえ、私」
「そういえば、そうだったよね」
「だから」
 と珠樹は両手を組んで、祈りを捧げるように告げたのである。心なしか、その目が潤んでいるように千亞には見えた。
「千亞さんの絵を描きたいです。描かせてください」
 えっ、と千亞は絶句する。珠樹のこんな表情、これまで見たことはなかった気がする。
「あ、全裸でお願……」
 いや気のせいだった。頭突き。
「おほっ! で、では譲歩してパンツ一丁……」
 本当に気のせいだった。
 再度頭突き。

 花壇を背景に椅子を立て、腰を下ろして膝を組む。
「いいですね。じゃあ、手は膝に乗せてみましょうか? ふ、ふふ……完璧です」
 千亞は言われるままにポーズを取って、
「目線くださーい」
 そのリクエストにも応じる。気恥ずかしく、ちょっと緊張してもいた。
 結局千亞は、絵のモデルになることを了承したのだった。もちろん服は着たままだ。
 絵筆を握って千亞の周囲をうろうろしていた珠樹だったが、やがてポジションが決まったのか、イーゼルを設置してカンバスに向かう。
「じゃあ始めましょうか。まず千亞さん、好きなものや人のことを考えて下さい」
「え? モデルをすることと何を考えるかに関係が……」
「あります。その人の内面は、どうしても表に出てくるものですから」
 いつになく真剣な珠樹の口調に千亞は口ごもって、
「そんなこと言われたって……」
「いいんですよ。素直に私のことだけ考えてくれれば」
「なんでだよ! ならそれ以外のことを考えるから!」
「ふ、ふふ……それもまた一興」
 などと謎めいた言葉を最後に、それきり珠樹は口を閉ざしたのである。それからはずっと絵筆を動かしている。何度も千亞を見て、また絵に向かう。それを繰り返した。
 ――いつになく真剣な眼差し、してる……あいつ、普段は戦闘中だって飄々としてるのに……。
 ああは言ったもののどうしても千亞は、珠樹のことを考えずにはおれない。
 黙っていればマトモなのにな、と千亞は思う。
 珠樹の深紫の瞳と視線が合った。その瞬間千亞は、肌が粟立つような感覚に襲われる。自分が、蜘蛛の巣に捕らえられた蝶になったような気がした。けれどそれは、決して悪い気持ちではなかった。
 なぜだか、兄のことを思い出しそうになった。
 けど――。

 空が暗くなる前に千亞は解放されていた。
「ほぼ完成ですが、あとは部屋で仕上げにかかりたいところですね。もう一度色塗りをしっかり施したい」
 と言って珠樹が見せてくれた絵に、千亞は素直に驚嘆の声を洩らしていた。
「へぇ……上手いな」
 お世辞ではない。心を込めて描いてくれたのが伝わる優しいタッチだった。細部まで描きこまれているのに黒っぽさはなく明るい。背景の花々も鮮やかだ。こそばゆくて、嬉しい。
「久々にしっかりと絵にかかれて楽しかったです」
「本当に?」
「ええ、千亞さんの喜ぶ顔も見れましたし」
「別に喜んでは……ま、まあ、珠樹が絵が好きだということはよく分かったよ」
「ふ、ふふ……絵は、趣味として続けたいですね」
「あぁ、ぜひ続けてみろよ。僕も珠樹の絵、もっと観てみた……」
「次は油絵がいいですね。じっくり千亞さんのフルヌードを……!」
「シャーーッ!」
 脱ぐか阿呆! そう叫ぶや否、千亞は回し蹴りで珠樹の尻を直撃したのだった。



 緑だ。
 ずっと緑。陽をいっぱいに浴びた鮮やかな緑だ。
 木々のアーチをくぐりながら、セラフィム・ロイスは顔を上げ木漏れ日に目を細めている。
 水色したセラフィムの髪も、森の中では淡い緑みを帯びていた。
 何だろう、この感じ――。
 セラフィムは戸惑う。
 この先に待っている人が誰なのかは知っている。彼が何か、サプライズを用意していることも予想がついていた。だから恐れる必要はないはずだ。不安は、無縁のはずだ。
 でもそれなのに、どうしても落ち着かないのだ。まるで自分が、掌ほどの足場で回る独楽になったような気分だ。
 とはいえセラフィムも理解はしている。
 この先、森の中に進むことで、間もなく自分は人生のターニングポイントを迎えるであろうということを。
 セラフィムは足を止めて、二人の同行者が追いつくのを待った。
「きっともうすぐだよ」
 両親に呼びかける。このところ白髪が増えてきた父ノア、年経てなお美しい母ソフィ、その二人に。
「タイガなら、すぐそこで待っていると思う」

 昨日のことだ。
「明日、なんだけど……」
 いつになく神妙な面持ちで、火山 タイガがセラフィムの正面の席についた。両ひじをテーブルに乗せ、手で顎を支えるようにしてまっすぐにセラフィムを見ている。
 バロック音楽の解説書から目を上げ、「うん?」とセラフィムはまばたきした。
「ご両親と一緒に来てほしいところがあるんだ!」
「うちの親と……かい?」
「そうそう! 忙しいのなら、明後日とかでもいいけど」
「僕なら大丈夫だよ。父さんと母さんにも、時間を作ってもらうよう頼んでみる」
「いいのか!?」
「いいも悪いも」セラフィムは目元を緩めた。「タイガにそんな顔されちゃ、断れないから」
 ぎょっとしてタイガは身を起こした。頬に両手を当てている。
「俺、そんな変な顔してた!?」
「変じゃないよ。なんていうか……決意してる、って感じの顔」
「決意!? おうっ、それなら自信ある!」
 タイガは拳で自分の胸をどんと叩いた。
「それでさ……」
 と、言うところまでは勢いがよかったものの、突然そこから、タイガの語調はごにょごにょと不明瞭なものへと変わったのである。水に浸された角砂糖が溶けていくように。
「……ん? 何? なんて言った?」
「あ、いや、まあ……セラ、心は決まってんだろ?」
 決まってるよ、とセラフィムは思う。
 もう準備はできてるつもりだ。何を提案されたとしても。

 もうすぐ、とセラフィムが言った通りとなった。
 そこからいくらも行かぬうち、視界がぱあっと広がったのだった。
 清流のせせらぎが聞こえる。さんさんと陽差しが降り注ぐも、風通しが良いためか涼しい。
 森はこの部分で、ぽっかり広い平地になっていた。
 そしてその中央には、おとぎの国から出てきたような、真新しく大きなログハウスが建っていたのだった。
 自然のなかの人工物だが浮いた印象はない。家は、周囲のすうっと高い白樺の木々と調和しており、そこにあるのが当然のように馴染んで見えた。家のすぐそばには、やはり木製のブランコがひとつ揺れていた。
 そのブランコに腰を下ろしているのが、誰あろうタイガだった。
「あっ!」
 セラフィムたちの姿に気がつき、転がるようにタイガが駆けてきた。
 そして、
「じゃーん!」
 見せたかったのはこれ! と、タイガは大ネタに成功した奇術師のようなポーズを取る。
 セラフィムは驚きのあまり声が出ない。ペンションでも経営できそうなほど立派なログハウスではないか。新築の家ならではの、心地良い木材の匂いがただよってくる。
「すごい……」
 ようやくセラフィムは言葉を口にした。両親も同様らしく、ただただ目を見張っている様子だ。
「これ……タイガが建てたの?」
 へへっ、と白い牙を見せてタイガは笑う。
「一人で――って言えたらかっこ良かったんだけど、兄貴たちと一緒に作った家だ。完成まで半年までかかったし、セラにサプライズしたくて独断で進めちまったところもある。けどこれが、俺の決意」
 決意、という言葉にタイガはアクセントを置いていた。昨日のやりとりを意識しているのだ。
 本気なんだ――セラフィムは胸が詰まった。自分が彼にあげられるものなんてせいぜい、この身ひとつくらいしかないというのに。
「今日は来てくれて、ありがとうございます!」
 タイガは真剣な表情で、セラフィムの両親と向かい合った。ノアとは面識があるためか、前ほどたどたどしい口調ではなかった。
「俺、マタギを継ぎながら一人前の大工を目指してます。セラとゆくゆくはここで暮らせたら、と思ってます。だから……結婚を前提とした交際を認めて下さい!」
 こうしてはいられない、とセラフィムも飛ぶようにしてタイガにならんだ。
「僕も……僕もタイガと一緒にいたい」
 父はにこりともせずにセラフィムを見ている。
「……彼の決意は聞いた。次はセラ、お前が決意を語るべきではないのか?」
 ――決意を語れ、って!?
 突然のことにセラフィムは面食らう――『一人前』になったのを証明するの!?
 証明はできないかもしれない……けれども自分が、すでに心に決めたことならば堂々と語れるはずだ。
 セラフィムは顔を上げた。
「お願い三年だけ待って。オカリナ奏者の道を目指してみたいんだ。一度だけチャンスを下さい」
 必死だった。
 父が、反対する恐れがあった。
 母が、懸念を示す不安があった。
 ログハウスはさすがに意外だったものの、今日この日正式な交際について、タイガが両親に許可を求める予感はあった。ここへの途上セラフィムが感じていたのは、それゆえの恐れであり不安だったのだろう。
 永遠にも思える数秒が過ぎた。
 ノアは穏やかな笑みを浮かべた、ふふ、と声を洩らしてソフィを見た。ソフィも微笑んでいる。
「私たちの若い頃を見ているようじゃないか」
「あのときノアは、緊張で真っ赤になっていたものね」
「それはお互い様だろう」
「さあ、どうかしら」
 夫婦は夫婦にしかわからない秘密めいた視線を交わした。
 やがてノアが告げる。
「好きにしなさい。出て行く決意があるなら。私も現役なんだ家業は気にしなくていい」
 えっ、とセラフィムは声を上げている。
「……反対されると思ってた」
「お前が自分で決めたことだ。反対はしないし、できんよ」
 苦笑気味に母がその言葉を継ぐ。
「そうよ。実はね、ここに来る前からもう決めていたの、私たち。ウィンクルムの報告書も目を通してるのよ……セラフィムを変えてくれたタイガ君なら良いかな、って。ね、あなた?」
 同意を求められた父は、照れくさそうにうなずいた。
「てことは!?」
 タイガの目が輝いた、耳もひょこっと動く。そして彼は、
「セラやった! 交際認めてもらえたぞ!」
 がばとセラフィムを抱きしめたのである。
「お……おい!」
 セラフィムは頬を染める。額には汗が浮いていた。両親の前でこういう姿を見せるのは恥ずかしい。
 だがそれでも、セラフィムは腕をタイガの背に回していた。
 ノアとソフィはうなずき合った。
「じゃあ、後は若いふたりに任せて……ね?」
「私たちは帰ろう。今日は大事な話ができて良かった」
 それを聞いて驚いたのはタイガだ。
「せっかくだから内装も見ていきません? ハウスには暖炉もあるんですよ」
「また次の機会にしよう。今日はふたりで、将来のことを、じっくりと話し合ってほしい」
 立ち去る彼らの背に、セラフィムは手を上げて呼びかけるのである。
「父さん、母さん……ありがとう!」
 母が一度だけ振り向いた。父は、振り返らなかった。
 両親が見えなくなっても、まだセラフィムは立ち尽くしていた。
「セラ?」
 泣いているのか、と言いかけてタイガは口をつぐむ。もうとっくに、聞くまでない状態だったから。
「最近どれだけ愛されていたか、わかった……意見をぶつけたことなんてなかったから、わからなかった……」
「……おう」
 タイガはそれだけ告げて、軽くセラフィムの背を叩くにとどめた。
 ――セラは良い子になろうとしてたけど、誰より心配してたのは両親だったんだよな。



 新月の夜は都会でも闇が濃く、ゆえにか瘴気も、活性化するきらいがあるようだ。
 明け方に近い深更、蛇の如くのたうつ長屋の奥の奥。襖で区切った自室にて、ルゥ・ラーンは単身、『それ』と静かに対峙している。
 『それ』に名称はなかった。強いて呼ぶなら瘴気の元凶とでもいうべきものか。
 単なる黒よりなお深い黒、毎秒姿を変える蠢(うごめ)きの中に、時折、ちらちらと赤い目がまたたく。意思のある霊とみて、まず間違いはあるまい。
「さて今宵、こうして巡り会えたのも、不完全とはいえ私の霊力が復活したお陰でしてね」
 ルゥが語ると、『それ』の赤い瞳孔は針のように狭まった。
「ああ失礼、私の事情など、あなたには関係ない話でしたね。余談でした。お忘れ下さい」
 このとき、風もないのにルゥの菫色の髪がはたはたと揺れた。ナイフで引いたような笑みがルゥの口に浮かんでいる。
「話を聞きたいんです、あなたの。私はいい聞き手だと思いますよ。占い師が本業なんでね」
 ルゥの金色の眼、その中心にあるものと、『それ』の中心にあるものが向かい合っている。
 耳ではなく心で、ルゥは霊の言葉を受け取った。
 霊は多弁なほうではなかった。零す言葉は、落葉のように単調で不定期だった。しばしば単なる呻きや、まるで無関係の単語まで混じる。いやむしろ、本題から外れた雑音のほうが圧倒的に多いのだった。言うなれば砂金取りをしているようなものだ。ただし丁寧に篩(ふるい)にかけていけば、大量とは言わずとも黄金は着実に手に入っていった。
 こうしてルゥが聞き出した話を統合すると、おおよそこんな風になる。
 今では名もなき『それ』でしかないが、かつてはこの霊も、精霊としての名があったという。この部屋で暮らしていたものらしい。
 未契約の状態で、いつか運命の神人が現れると信じていたそうだ。だがその幸運よりも病のほうが、先に彼に訪れたのだった。息を引き取ったのもこの場所だ。邂逅の夢破れ、その無念から地縛霊となったという話である。そうしてこの場所で、瘴気をこんこんと湧かせつづけているのだ。
「……なるほど事情はわかりました。同情はしますよ。これは社交辞令ではなく、本心から」
 ルゥの髪を留めていた星形のヘアピンが、音を立てて弾け飛んだ。
 長い髪が腰のあたりまで垂れる。ルゥの髪はずっと揺れていたが、最初、そよ風に吹かれていたようなものが今では、暴風に煽られるかのように荒れ狂っていた。
「……!」
 私を取り込む気か――すぐに悟った。引こうとした右手が、直後しっかりと、黒いものにつかまれている。
「私はあなたの神人ではありません。契約はできない……!」
 だがすぐに左手も闇に飲み込まれる。両足を踏みしめ、ルゥは逃れようともがいた。
 なにかが『それ』を刺激したのだろうか。きっかけがあったのだろうか。
 あるいは最初から、この行動をなすつもりで姿を現したのか。
 もはやこれは霊の残留思念などというレベルではない。邪気の妄執である。ルゥは精神を統一し場の収束を目指すも、長い時間をかけ熟成された念は深く、こちらの心に入り込んでくるため難しい。
 肉体でいくら抗おうとも、これは精神の闘いなのだ。攻防は短くも烈しく、まもなくルゥは、己の限界が近いことを知った。
 ここで呑み込まれるわけには、とルゥは目を閉じて想う。
 愛しい人のことを。
 そうして気を奮うのだ。大波に溺れながらも流木にすがるように。
 コーディ、私を導いて。
 繋ぎ止めて――!

 そろそろ正午の鐘になる。
 当たり前のように台所に立ち、昼餉の準備で菜っ葉を刻みながら、コーディはどうにも名づけようのない苛立ちに身を焦がしていた。
 ――今日も来ない! 連絡もない!
 ぶつける相手がないので、包丁を刻む速度がぐんぐんあがる。
 前は度々僕ン家に避難してたくせに、
 僕に恋してるとか言って、
 花言葉の熱烈メッセージよこしたくせに……!
 それでもコーディの包丁捌きは正確だった。まるで裁断機のように正確に素早く、菜っ葉を刻み切っていた。
 あれがやはりまずかったのだろうか。
 なりゆきとはいえ、ルゥとキスを交わしてしまった。
 あれ以来だ。ルゥが顔を見せなくなったのは。
 なぜなのか、気になる。
 やはり気まずいということだろうか。それとも……考えたくないが、遊びだったというつもりなのか。
 様子を見に行くか? と思う。だが同時に、
 なんで僕が、
 という腹立ちもある。好きならそっちが来いっていう話だ。
「……やっぱり口先だけなのか?」
 いつの間にか独り言を口にしていることにコーディは気づかない。
 深く、溜息をつく。 
「ええい!」
 包丁を置くと手を洗い、コーディはエプロンを外して壁のフックにかけた。
 よく見ると菜っ葉を切りすぎてしまっているではないか。味噌汁に入れるにしても随分と量が多い。これでは昼食を、二人分でも作らぬ限り余らせてしまうことだろう。

 だしぬけにガラッとコーディは鎧戸を開けた。
「いるか!?」
 愛想なんて作る気はさらさらなかったので、奥に向かいぶっきらぼうに呼びかけている。
 鍵はかかっていなかった。在宅のはずだ。
 なのにルゥの返事はなかった。
 ……だがややあって、か細い呻き声が聞こえた気がした。
「ルゥ!」
 コーディは部屋に飛び込んだ。

 ルゥが目を開けると、見下ろしている顔はコーディのものだった。いつの間にかベッドに寝かされたらしい。コーディの部屋のベッドのようだ。
「おいバカヤロウ! なにやってたんだ!」
 いきなり耳にびんびんくるほどの怒鳴り声だが、お陰でこれが夢でも幻でもなく、現実なのだと理解する。
「水……もらえます?」
「待ってろ」
「あ、でもその前に……」
 とだけ告げて、ルゥは半身を起こしてルゥに抱きついた。
「会いたかった……」
「な、なに言ってんだこの調子いい奴は!」
 張り飛ばしてやろうかとコーディは思った。けれど彼が実際にしたことは、ルゥのやわらかな髪に顔をうずめることだった。
 水を飲み落ち着いたルゥは、隠さず顛末を語った。
「あなたとの絆が育まれる程に私の力は満ちてゆく、その高まりを実感したかった……」
 こんなことになり、とルゥは自分の手首をさする。
 ――自惚れ……無謀と呆れられてしまうでしょうか……。
 コーディは、とルゥが見ると、
「やっぱバカヤロウだな、ルゥ」
 案の定、彼は眼を怒らせていた。
「軽率でした」
「やったことをとがめてるんじゃないんだ」
「ではなにを……?」
「なんで事前に相談しなかった! それを僕は怒ってるんだ!」
 しかもその霊は過去、精霊だったというではないか。精霊がルゥを選んだ、その事実だけでコーディには焦りが生じている。
「すみません」
「もう今後こういう無茶しないよう、見張らないといけないよな」
 コーディは腕組みしている。そうして、もうこれしかない、というように断言したのである。
「だから君の告白受けてやる。今から恋人だ。ここに住め!」
 絆とか言われても、どうしても実感がわかない。けれど危なっかしいルゥを……恋人を、見守るのだとすれば全部解決できるではないかとコーディは思っていた。勢い任せかもしれないがこれでいい。そもそもルゥをもう、あの部屋には帰したくなかった。
 あまりに意外な彼の宣言だったが、その内容はすとんと腑に落ちたようにルゥは思う。それどころか、願ってもない話ではないか。結局のところ、自分が望んでいたのもこれだったのだから。
「はい、よろしくお願いします」
 これで決まりだ、とコーディは立ち上がった。
「毎日顔見るからな。見せろよ」
「もう、嫌というほどね」
 ふん、と返事してコーディは台所へ向かう。
「昼食、作るからそこで待ってろ」
 エプロンを取ったところでコーディはいくらか冷静になっていた。
 考えてみれば、大胆なことを言ってしまったものだ。遅ればせながら顔が赤くなる。
 けれど、
 ――また僕の生活に、君が戻った。
 そう思えば、悪い気はしなかった。

 同棲生活の始まりは、コーディの作った昼食をふたりで食べることだった。
 



依頼結果:大成功
MVP
名前:セラフィム・ロイス
呼び名:セラ
  名前:火山 タイガ
呼び名:タイガ

 

名前:ルゥ・ラーン
呼び名:ルゥ
  名前:コーディ
呼び名:コーディ

 

メモリアルピンナップ


エピソード情報

マスター 桂木京介
エピソードの種類 ハピネスエピソード
男性用or女性用 男性のみ
エピソードジャンル ハートフル
エピソードタイプ EX
エピソードモード ビギナー
シンパシー 使用可
難易度 とても簡単
参加費 1,500ハートコイン
参加人数 5 / 2 ~ 5
報酬 なし
リリース日 04月01日
出発日 04月09日 00:00
予定納品日 04月19日

参加者

会議室

  • [8]セラフィム・ロイス

    2017/04/08-00:18 

    :タイガ
    よおーす!俺タイガと恋人のセラだ!常連も初めてさんもよろしくなー!
    久々のEXで噂のGMさんでわくわくドキドキーっと。皆のサイカイも楽しみにしてるぜー!
    結構、幅広い題材でできそうなのだから悩みどころだけどさー

    俺もだー!明智節も健在だな(笑)差異下位、はじめてしったー「セラ:タイガは素直に信じちゃ駄目だよ」へ?
    俺らはバッチグーよ!元気で、そりゃあもう育みましたってな!
    明智のこれからの育みも期待してっぞ☆

    海十は大学か!いいな~。って落ち着いてるからすでに行ってるかと思ってた。頑張れよ~!

    ちなみに俺は、交際許可もらうために「ある場所」にセラの両親を案内する感じかなー
    うまくいったらだけど(セラにはサプライズなんだ)

  • [7]セラフィム・ロイス

    2017/04/08-00:15 

  • [6]明智珠樹

    2017/04/06-18:22 

    明智
    「ふ、ふふ。
    微修正はあるやも、と思いつつ早々にプランを提出してみた貴方の明智珠樹です。
    あ、交換日記は良いものですよ、お薦めいたします。
    文字でしか気持ちを素直に表現できない千亞さんのツンデレ感を感じまく…」

    黙れ(上段蹴り)

    コイツはさておき、改めてよろしくお願いいたします(ぺこり)
    ルゥさんとコーディさんははじめまして、だね
    良い時間が過ごせますように(にっこり)

    海十さんは大学入学なんだね!おめでとうー!(にっこにこ)
    素敵なキャンパスライフになりますようにっ。
    あぁあ、フィンさんあいつの言うことを耳にしちゃ駄目です、耳が汚れますからっっ

    明智「耳の汚れですか?私が千亞さんや皆様のお耳を綺麗にお掃除を…!膝枕で」

    頼むから黙れ(踏みつけ)

    明智「フィンさんこれが差異下位です(踏まれつつ)」

  • [5]明智珠樹

    2017/04/06-18:11 

  • [4]蒼崎 海十

    2017/04/05-01:30 

    蒼崎海十です。
    パートナーはフィン。
    皆さん、よろしくお願いいたします!
    ご一緒した事ある方々ばかりで、何だか勝手に心強く思ってます…!

    俺の『再開』は、ついに大学生としての生活のスタート…身が引き締まる思いです。

    よい一時になるといいですね!

    フィン:差異下位……(ぷるぷる←ウケている精霊一人

  • [3]ルゥ・ラーン

    2017/04/04-23:16 

    ルゥ・ラーンとパートナーのコーディです。
    よろしくお願いしますね。

  • [2]明智珠樹

    2017/04/04-09:27 

    おはようございます、貴方の明智珠樹です。
    ふ、ふふ。既に再開しまくっておりますが参加させていたたいちゃいました、てへぺろ!

    海十さんご両人、セイリューさんご両人、引き続きよろしくお願いいたします…!
    そしてセラフィムさんご両人、お会い出来てとても嬉しいです、
    お元気ですか?育んでますか…!

    皆様がどんなサイカイなされるのか楽しみです、ふふ…!
    私は千亞さんと差異下位を…!

    千亞「? どういう意味だ?」

    年の差、身長差がある私達、そして私が下に…

    千亞「黙れ口を開くなド変態(踏みつけ)」

  • [1]明智珠樹

    2017/04/04-09:18 


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