say goodbye(桂木京介 マスター) 【難易度:とても簡単】

プロローグ

 さよなら、再見、farewell。
 別れを告げよう。あなたの言葉で。
 あなたらしく。

 ◆◆◆

 あなたは最後に、チャコールカラーのコートを羽織った。
 振り返って部屋の中を見渡す。
 がらんとして、何もない部屋を。
 残っている荷物はもう、手元のボストンバッグだけだ。
 4年暮らしてきた部屋だった。冬枯れのような感傷を抱いてしまう。
 神人として目醒めるよりずっと前、この街に越してきた。そのときに借りた部屋だ。
 それから顕現し、彼と組むようになり、いくつもの任務と思い出を経て、
 今日、あなたはここを出て行く。
 なぜって――。
「やっぱり、まだここだったか」
 ドアが開き、彼が入ってきた。
 今出るところだった、と言おうとするあなたを彼はとどめて、
「急ぐことないよ。思い出の詰まった部屋だもんな」
 と、部屋に上がってひんやりした床に腰を下ろした。
 そこは……あなたと彼が初めて結ばれた場所だ。
「弁当、買ってきたんだ。温かいドリンクも」
 見れば、彼のかたわらにはコンビニの袋がある。
「もう少しゆっくりしてから行こう……いや、帰ろうか」
 彼は頬を薄紅色に染めてほほえんだ。
 まだ少し、この言葉を口にするには照れがあるようだった。
「俺たちの家へ」
 あなたはうなずいて、彼の隣に座った。
 あなたはこの部屋を出て行く。なぜって、彼と暮らすことになったのだから。

 冬枯れの後には、春の芽吹きが訪れるものだ。

 ◆◆◆

 ……と、いうのはあくまで一例だ。
 テーマは『別れ』。けれどもこれが永遠の別離のみを意味するのではないということは強調しておきたい。
 転職もひとつの別れだし禁煙も別れだ。ダイエットの目標値達成というのや、大作小説を書き終えた、というのも広義の別れになるだろう。昨日までの怒りっぽい自分にさよなら、といった感覚的なものだっていい。
 あなたと彼の、ひとつの転機となるような物語をともに紡ごう。

 au revoir So long! 新しい自分に逢いに行こう!

解説

 別れといっても色々ありますよね。
 なにかにサヨナラして、新しい自分になったり、また新しくなにかを始めるようなお話にしたいと思っています。
 たとえば、
 ・中途半端な状態はやめだ。今日から正式に付き合おう!
 ・やっとゲーム解き終わったよ……ごめんよ今までほっといて。
 ・今日から衣替えです。私の中では冬はおしまい! え? 早い?
 ・悪いね、もう僕だって子どもじゃないのさ。
 ・夜更かしはやめた。今日から早起き健康ライフだよ。……君も付き合ってね。
 ・本の買いすぎで家が超狭くなったんで引っ越します!
 ・マスター業やめるとか言ってたけど、やめるのをやめました(誰の話だ)
 と言った風に色々ありますね。
 これが初参加というみなさんは、新生活のスタート、という展開にしてみるのも一興でしょう。
 
 神人と精霊、どちらが中心の話でも自由です。二人一緒に、というのもいいですね。しんみりした話も歓迎です。軽い話、コメディ寄りの話でも歓迎です。逆に「やめようとしたけどやめられないや、テヘッ」という展開もありですよ。楽しく、ロマンティックに、はたまたシリアスに――ご希望に応じて描かせていただきます。

 なお、なんだかんだで一律『400jr』を消費するものとします。ご了承下さい。


ゲームマスターより

 読んでいただきありがとうございました。
 マスターの桂木京介です。
 ご存じの方もいらっしゃるかもしれませんが、実は私はマスター活動の休止を宣言していました。けれども先日、これを撤回しております。すいませんでした! これからもよろしくお願いします!

 というわけで本作は、私の最終エピソードのつもりで作っていたものですが……そういうことではなくなりました。でもせっかくなので、元々用意していたプロローグには手を加えていません。

 難しく考える必要はありません、ランチにカレーライスばかり食べるのをやめて、今日はカツカレーにしてみました、程度の小さなお話でも、新たな人生に向けた大きな一歩でもいいのです。
 あなたらしい「say goodbye」をどうぞ。

 それではまた、リザルトノベルでお会いしましょう! 桂木京介でした。

リザルトノベル

◆アクション・プラン

セイリュー・グラシア(ラキア・ジェイドバイン)

  買い物から帰ってみたら。
ラキアが何やら浮かない顔と言うか、少し不機嫌そう。何か言いたげな表情して居間に居るじゃん。
どーしたのか聞いてみた。
ラキシスがタブロスへ引っ越してきた?
いいじゃん、別に?
やっぱ血の繋がった兄弟が側に居ると何かあったときも安心じゃん。
ラキシス、悪いやつじゃないし?
ラキアの事も尊重してくれてるじゃん。
愛情が行き過ぎてたのも以前の話じゃん?
…でも、あいつオレに「ラキアと別れろ」とか言って来たことないぞ?
「ラキアを泣かせたり傷つけるのは許さない」とは言われた事あるけど。
やっぱラキアの近くに居たいんじゃね?
あんまり邪険にしてやるなよ。隣に来た訳じゃないんだし。
ラキアの頭を撫でるぜ。


蒼崎 海十(フィン・ブラーシュ)
  俺は高校を卒業する
この制服ともお別れ
今日は何時にも増してアイロンが効いてる?
フィン、有難う

三年前の今頃は…神人として顕現し、生まれ育った村を出る準備に追われてた
タブロスに一人で出て来て、高校に入学し制服に初めて袖を通した俺は、仮面を被っていた
上手く立ち回っていたつもりだったけど…それは勘違いだった
仮面を取った今だからこそ、分かる

昔の俺に教えてやりたい
未来はお前が思う程、悪くないし
お前が思っている以上に、周囲は見てくれている

…フィン、有難うな
制服の事じゃなくて…色々だ

大学で臨床心理士の資格取得を目指し、音楽でもプロを目指す
まだまだ、ここからだ

父さん、母さん、来てくれて有難う
(海十似の穏やかな夫婦


明智珠樹(千亞)
  ☆ルームシェア解消

●前提
ウィンクルム活動を休止し、二人で千亞の兄を探していた
結局兄は見つからず、千亞の両親から千亞に家に戻るよう命令がくだる

●引越準備
千亞さん、私の方は準備終わりました
(千亞の部屋を見て)
お手伝いしましょうか?
報酬は千亞さんの捨てる下着を私に(蹴られ)

●別れ
交換日記を受け取り
「お心遣い、ありがとうございます…!」
愛しげに日記を抱き

千亞の「これからどうするんだ?」に
「ふ、ふふ…!私はいつでも千亞さんの傍に…!」
呆れつつも不安げな千亞に意味深な笑みを

部屋を出る際の千亞の力ない兎耳に
「千亞さんに寂しそうにしていただけるなんて光栄です、ふふ…!」

●日記
ふふ、悦んでお願いいたします…!


楼城 簾(白王 紅竜)
  「何て言うか、災難だったよね」
昨夜、紅竜の住むマンションの隣の家が火事
紅竜の部屋は高層で放水の影響もなかったけど、僕の家に避難
気が紛れるからってことで、朝食にクロワッサン焼いてくれたんだ
で、凝ったものは作れないけど、僕がオムレツやサラダ、スープ担当
「不謹慎だけど、嬉しい。毎朝こうだといい」
2人で作った朝食を2人で食べられるし
紅竜の言葉に固まった
僕は何て恥ずかしい事を…

その瞬間におじい様が咳払い
いつからいたんだ

「紅竜がここに引っ越すって…!?」
(あの夢【9】を思い出したら大変だ)
けど、独り暮らし卒業決定…
「紅竜じゃなかったら却下してたよ」
キスと卒業祝いに真っ赤になるけど、今は2人で朝食を食べよう


アーシェン=ドラシア(ルーガル)
  パンケーキ【1】をもう一度食べたくて、ルーガルをカフェに誘う
舌鼓を打ち、穏やかな楽しさに浸る

が 由々しき事態に思い至る
ウィンクルムになって早ふた月
全く戦ってない
夢【2】で殺し合ったくらいか

以前は鍛錬を欠かさなかったのに、最近空いた時間はルーガルと食べてみたいものをリストアップしていた
このままじゃ駄目だ

ルーガルを外に連れ出し特訓を開始する
戦闘において重要なのは、いかにスムーズにトランス状態になるかだろう
危機的状況においては一瞬の遅れが命取りだ
さあ、「戦闘開始だ」

早速失敗した
口の中に鉄の味が広がる
狼の牙は鋭いな

よし、もう一度
言おうとして様子に気付く
…嫌だったか?

そうか
俺も嫌じゃなかったから問題ないな


 両手に二つずつオリーブ色のエコバッグを下げ、これをガサガサと揺らしながらセイリュー・グラシアはなんとか細く開けたドアの隙間に、まずブーツの爪先、それから左手、ついで右手、と器用に差し入れて体全体でグイと押し割るようにしてドアを開け部屋に帰り着いた。
「うわー、重かった!」
 どさっとエコバッグ三つを玄関に置くと、最後のひとつだけはそーっとその横に並べた。これには、卵のパックが入っているのである。
「買い物終了、っと。なんかさ、今日いつものスーパーと八百屋とディスカウントショップが全部決算期セールをやってたんだよな。ちょっとした買い物のつもりが、思わず買い過ぎちゃって……」
 奥に呼びかけながらセイリューは、どうにも落ち着かないのだった。違和感、と呼ぶほうが適切だろうか。何か変だ。
 すぐに彼は、ラキア・ジェイドバインが迎えに出てこないことに思い至った。
 普段のラキアであれば、ドアを開けるのにも一苦労しているセイリューの気配に気づくやいなや、飛んできて手を貸してくれるだろう。荷物も手ずから受け取って、「お帰り。ずいぶん買ったんだね。大変だったろう?」と春の陽差しのようにほほえみかけてくれたはずだ。
 ところがこの日に限ってそれがないのだ。
 そもそもラキアは家を空けているのだろうか。今なお姿を見せない。
「ラキア……?」
 セイリューは首をかしげた。ラキアが施錠もせず外出したというのは妙だ。急用でもあったのだとすれば、携帯に連絡のひとつも入ったはずである。
 予想外の、それも歓迎したくない凶事が発生した可能性がある……!
 セイリューは肌に粟を生じていた。靴を脱ぐのももどかしく、エコバッグを飛び越え居間に走る。
「ラキアッ!」
 平時とはいえセイリューとラキアはA.R.O.A.のエージェントだ。宿敵と呼んでいい存在なら枚挙に暇がない。たとえば、少し前に剣を交えたマントゥール教団ヴェルメリオ派はどうだろう。その幹部にして「四鬼士のひとり」と名乗ったクリムト・ロートという男は、グラシアの家系のことまで知っている。クリムトが手引きして、この場所をダイレクトに狙ったという可能性はあった。
 どっと居間に駈け込んだところで、セイリューはつんのめって転びそうになってしまった。
 ソファに身を沈めて、ラキアが腕組みをしていたからだ。
「ラキ……ア?」
「……あ、セイリュー? お帰り。ごめん、気がつかなくてさ」
 セイリューの姿に気づいたせいか、ラキアはふわっと、花を愛でるような微笑を浮かべた。
 とりあえず、安堵はした。
 しかしセイリューの不安がこれですべて払拭されたわけではない。まだ彼は、くもったガラス戸のような心境だった。
 自分の姿を認知するまで、ラキアがずっと浮かぬ顔をしていたからである。落ち込んでいるようであり、不機嫌そうでもあった。不快なメールでも送りつけられたような様子だ。
「ラキア、何かあったか?」
 するとラキアは顎を右の人差し指で一度さすって、
「うん……まあ……」
 と口ごもる。けれどセイリューはすでに、ラキアが何か言いたげなことに気がついていた。
「どーしたの?」
 ラキアは今度は後れ毛を撫でたものの、ようやく肚が決まったらしい。
「春は『出会いと別れの季節』と言うけれど……実は」
 と切り出したのである。
「引っ越してきたんだ、このタブロスに……ラキシスが」
 まさかこんなことが起こるなんて、とラキアは嘆息した。
 ラキシスというのはラキアの双子の兄だ。偶然がもたらした初対面の席で、彼が「ラキアの恋人」と自称したことをセイリューはよく憶えている。彼の顔は本当にラキアとよく似ていた。けれども性格はかなり違っているようで、もっぱら剣を得手とし、生真面目な弟とは対称的なまでに頻繁に戯れを口にした。どこまでが本心でどこまでが冗談なのか、その線引きに困るほどに。
「ああ、ラキシスね。タブロスへ越してきたんだ」
 ふうん、と軽く返すセイリューとは正反対に、ラキアは頭を抱えんばかりにして、窮しきった声を出す。
「ついさっき、セイリューが出かけているときを狙って、引越しの報告に来てさ……」
「そりゃ兄弟だから報告にも来るだろ。でも、オレの留守を狙って、ってのは考え過ぎじゃないか?」
「違うって!」
 思わずラキアの声は上ずっていた。
「ラキシスはね、そういう男なんだよ!」
 その勢いに思わず、セイリューは圧されたようになって、
「ま、まあ……弟が言うんならそうかもな」
 両手をパーにして、まあまあ、となだめる。そうして、身を寄せるようにしてラキアの隣に腰を下ろした。
「ごめん、大きな声を出してしまって。でもね……」
 またひとつ、ラキアは深い溜息をついた。
「聞いてよ。ラキシスは単に報告に来ただけじゃないんだ。『お前のことを諦めたワケじゃないからな』とか言いだして……」
 うなだれているラキアは、ちらりと上目づかいでセイリューを見上げた。
 少し、言いづらいと思っているのだった。だが意を決して、
「確かに、故郷にいた頃はそんな関係だったけど」
 ぽつりと、まるで自分以外の誰かの話をしているように告げたのである。
 ところがセイリューにショックを受けた様子はない。「そうなんだ」というような顔をしているだけだ。
 そんな彼をラキアは頼もしく思う。だから、つづく言葉は顔を上げ、しっかりとセイリューを見つめながら述べることができた。
「でも昔の話だからね。色々あって、べったり一緒なのはよくないと距離を置くことにして。やがて自分はこの街に移って、それでセイリューに出会って……だったのに……また俺の前に現れるなんて」
 素直な、偽りのない言葉だった。
 その誠意はセイリューに通じていた。この世界の誰よりも、セイリューはラキアを信じている。だから何を聞いてもラキアへの気持ちが揺るぐことはないのだ。
 ゆえにセイリューの返しは、ごくあっさりとしたものだった。
「いいじゃん、別に?」
「えっ?」
「やっぱ血の繋がった兄弟がそばにいると、何かあったときも安心じゃん」
「それは一般的な話だよ。彼は、一般の範疇に収まらないから」
「でもラキシス、悪いやつじゃないし?」
「それは定義によるよね。マントゥール教団と比べたら、そりゃあ悪くないほうに入るさ」
「手厳しいなあ、ラキア。……けどさ、あいつって、ラキアのことも尊重してくれてるじゃん。愛情が行き過ぎてたのも以前の話じゃん?」
「尊重……なのかな。行き過ぎが、過去の話に留まっていればいいんだけど、あまり安心はできないよ」
 身びいきの反対だな、これは――とセイリューは思う。ラキアは他人に優しく自分に厳しい。だから自分とそっくりの顔をしているラキシスには、どうしても評価が厳しくなるのだろう。
「……でも、あいつオレに『ラキアと別れろ』とか言ってきたことないぞ? 『ラキアを泣かせたり傷つけるのは許さない』と言われたことならあるけど」
 だから大丈夫、とセイリューはラキアを包み込むように告げる。
「ラキシスも、やっぱラキアの近くにいたい、ってだけじゃね? あんまり邪険にしてやるなよ。隣に越して来たわけじゃないんだし」
 セイリューの手は、ラキアの頭を優しく撫でていた。
 父親が息子を励ますように。
 あるいは兄が弟をなだめるように。
「……」
 ラキアは静かに息を吐き出す。ふっ、と蕾が開くようなやわらかな笑みが口元に浮かんでいた。
「君は物事を善意にとるよね、ホント。ラキシスとの関係も知っているのに」
「それ以上に、オレはラキアを知ってる、って自信があるからだな」
 ふふ、とセイリューも笑み返す。
「自信家だね」
「おかげさんで」
 とん、ラキアは頭をセイリューの肩に預けた。
 けれどなお、音もなき胸騒ぎはやまない。
 ――俺が色々心配し過ぎなのかもしれないけど……平穏な日々にサヨナラな気分だよ。
 波乱の予感がする。

「あっ、買い物袋! 玄関に置きっぱなしだ」
 唐突にセイリューが気がついたのは、それから数分の後であった。



 休日の午前中、それもまだ早い時間帯。
 まだタブロスモール内はどこか眠たげで、ひんやりした冬の残り香と、ぬるい春の気配が混じり合い、どっちつかずの相を呈している。
 カフェの扉を押し開けると、カラン、とカウベルが鳴った。
「あのときのパンケーキ、もう一度食べたくてな」
 アーシェン=ドラシアが振り向くと、夜のように黒い前髪がはらりと揺れた。アーシェンは立ち止まり、片手をドアにかけたまま足を止めている。
「ああ、二人三脚したときのか」
 ルーガルはふっと笑みをこぼす。今朝ルーガルは「朝食がまだなら、一緒に行きたいところがある」というアーシェンからの連絡を受け、よく状況も理解できぬままモールで彼と落ち合ったのだった。
 二人三脚障害物競走……あれに挑戦したのは、まだ空気がずっと冷たく、骨に染みる風が吹いている頃だった。つい最近のことなのに、なんだか昔の出来事のように感じる。あれからアーシェンも変わったものだと思う。
「最近はお前も、あれ食べたいこれ食べたいと素直に言うようになってきたよな」
 うん? と言うような顔をアーシェンが見せた。ルーガルは微笑んで、
「もちろん悪い意味じゃない。自然体っていうのかね、いい傾向じゃねえの、って思うわけさ」
「ウィンクルムのパートナーとしてそう思うのか」
 アーシェンのポニーテールがするりと流れる。彼が軽く首をかしげたからだ。
「違う違う」
 ルーガルはパタパタと手を振った。
「なんていうか観察者、いや、保護者としてな」
「そうか」
 アーシェンは軽く片眼をすがめたが、それは『了解した』という意味なのか、『よくわからんな』という意味なのかルーガルには解釈しかねた。もしかしたらアーシェン自身、わかったようなわかっていないような気持ちなのかもしれないが。
「それで」
 戸に片手をかけたまま、アーシェンはまだ店に入らず、ルーガルに顎をしゃくってみせた。
「入らないのか? 誘ったのは俺だから、あんたに扉を開けてやっているのだが」
「あっ、悪ぃ悪ぃ。俺そういう気遣いされたこと、あんまねーからさ」
 いくらかはにかみながら、「ありがとよ、ジェントルマン」と会釈してルーガルは店に入った。こうした配慮も、出会ったばかりのアーシェンにはなかったと思う。
 続いてアーシェンが入る。
 もう一度、カラン、とカウベルが鳴った。

 ふたりのテーブルに一皿ずつ、この店の名物たるパンケーキが置かれた。
 三枚重ねのパンケーキの塔は、指でサイズを測りたくなるくらい分厚い。その頂(いただき)のほぼ三分の一を、新雪のように白く、なめらかなクリームが覆っている。クリームが描くらせん状の軌跡は、触れて崩すのが惜しくなるくらいだ。ふんだんに添えられているのはベリー。ブルーベリーにラズベリー、ストロベリーがたっぷりと。いずれも新鮮で色が濃く、夢でも見ているようにラズベリー色のソースに身を浸している。添えられたミントの葉が、全体を引きしめるアクセントとなっていた。
「これだよこれ! 実を言うと俺も、こいつとの再会を待ち望んでてさぁ」
 へへっ、と笑ってルーガルはパンケーキにナイフを入れた。湯気とともに浮かんでくるバニラの香りが、優しく胃を目覚めさせてくれる。白いカップに入った珈琲は、うんと濃く淹れてもらったブラックだ。
「美味いな」
 うなずき、ミルクティーを口に運んだアーシェンだったが、半分ほど皿が進んだところで、かすかな唸り声を発した。
「どうした? 財布を忘れてきたことでも思い出したか?」
「由々しき事態に思い至った」
 アーシェンの口は真一文字に結ばれており、険しい視線もあいまって、顔全体で「真面目な話だぞ」と告げている。
「そりゃ穏やかじゃないな。どうした」
「ウィンクルムになって早ふた月というのに、俺たちはまったく戦っていない」
 夢で殺し合った記憶はあるが、あれはカウント外だろう。
「以前は鍛錬を欠かさなかったというのに、最近、空いた時間はルーガルと食べてみたいものをリストアップしたりしていた。このままじゃ駄目だ」
 その『食べてみたいものをリストアップしたりしていた』という言い方が乙女チックで可愛いとルーガルは思ったが、茶化したら怒り出しそうなのでやめておく。
 このときすでにルーガルは、すべて食べ終えてくつろいでおり反応が鈍かった。だから、
「よし、食事が終わったら外で特訓を始めるぞ」
 とアーシェンが断じても、その意味を理解するのに数秒かかったくらいだ。
「ああそう……って、えっ!?」
 やっぱりこいつ、わっかんねぇ――内心、ぼやかざるを得ない。

 モールから離れ、草の生い茂る空き地に二人は立っている。
「戦闘において重要なのは、いかにスムーズにトランス状態になるかだろう」
 アーシェンは腕を組んで立っている。まるで決斗相手を待っている剣客だ。
 風が吹いてきて、草がざわざわと揺れた。
「危機的状況においては、一瞬の遅れが命取りだ」
「……まあ、そりゃそうだな」
 珈琲のおかわりをしそこねたこともあって、ルーガルのほうは声に勢いがない。けれどもアーシェンはお構いなしだ。
「なので今日の特訓メニューは、高速のトランスとする」
 その言葉が意味するものを理解して、おいおい、とルーガルは返した。
「端的に言うと頬キスの練習ってことか。落ち着け」
「俺は落ち着いている。さあ、はじめるぞ」
 ぐっとアーシェンは構えの姿勢を取った。といっても接吻の構えゆえ、顔をやや突きだしておりどことなく滑稽なのは否めない。
「そんなリレーのバトン練習みたいなノリで始めようとすんな、待て!」
 しかしアーシェンに躊躇はなかった。
「戦闘開始だ!」
 言うなり突進してきたのである。顔から先に、ルーガルの顔を目がけて。
「マジかよ! って!!」
 ルーガルはとっさに両腕で彼を抱きとめようとするも、そのため顔が正面を向いてしまう。
 あっ、と思ったときにはもう、ルーガルの視界はアーシェンで埋められていた。
 ――近くで見ると肌綺麗だな……。
 そんな思いが一瞬よぎった。そのとき、
 ごちっ、という歯の音が聞こえた。
 ルーガルの唇とアーシェンの唇は、二台の列車のように正面衝突したのである。
「うわっ!」
 よろめいて尻餅をつきそうになったものの、ルーガルはこらえていた。
 アーシェンはと見ると気の毒に、尻餅どころか両手を地面にぺたっとついている状態だ。
 反射的に唇を、さらに顔全体を隠すようにして、
「ふ、普通にキスじゃねえかよ!」
 ルーガルは大きな声を上げている。頬がじいんと熱い。激突したせいか涙目になっている己を自覚していた。
 アーシェンの立ち直りは早かった。ぱっぱと腰をはたいて立ち上がると、
「失敗したか」
 と、不利な戦局を分析する指揮官のように言ったのだ。
 このときアーシェンは口中に、鉄のような味を覚えていた。
 ――狼の牙は鋭いな。
 失敗の味だとも、思う。
「よし、もう一度」
 そう告げたところで、アーシェンはルーガルの様子に気がついた。
 まだ彼は少女のように、顔を両手で覆ったままなのだ。
 はっと目が覚めた気がして、アーシェンは恐る恐る問う。
「ルーガル……嫌だったか?」
「嫌だよ」
 ルーガルが短く返した。
「何が嫌って 嫌じゃなかったことが嫌なんだよ」
 ほっとしてアーシェンは両手を下ろす。
「そうか、俺も嫌じゃなかったから問題ないな」
「何言ってんだ!」
 手をどけたルーガルの眼差しに、怒りがこもっていることを知りアーシェンは絶句した。
「問題しかねぇわ!」
 帰る、と言い捨ててルーガルは背を向け、肩をそびやかせ早足で去っていく。
 なぜだ――。
 アーシェンはかける言葉が見つけられず、そこに立ち尽くすことしかできなかった。

 ルーガルは唇を噛みしめていた。
 血の味がした。それに、アーシェンの唇に残っていたミルクティーの味も。
 ――ちくしょう駄目だ。
 また彼は顔を覆っていた。そうしないと、嗚咽が口から洩れてしまいそうで。
 あいつの本当の一番が現れるのを見守るとか、もう絶対、できそうもない――。



「災難だったよね」
 カウンター式のキッチンから、楼城 簾は白王 紅竜に声をかける。
 ワイシャツの上にえんじ色のエプロンをつけた紅竜は、テーブルにクロワッサンを並べていた。
「先ほど情報が入った」
 紅竜は無感動に、それこそ他の街で起きた事件の新聞記事でも読むかのように告げた。
「放火だったらしいな。家人は旅行中だったようだが」
「そうなんだ……怖いね。っていうか紅竜、自分のマンションの話なのに、よくそんな平然としていられるね?」
 簾は感心半分、呆れ半分のような口調になっている。
 昨夜、紅竜の住むマンションの隣家が不審火による火事になったのである。二人がまだ勤務中のことだった。一時はかなりの炎となったそうだが、じきに鎮火したという。だから直接の騒ぎは目にしていないが、しばらくは野次馬と、行き交う消防車のせいでマンションに入るのも難しかったくらいだ。
 紅竜の部屋は高層で放水の影響もなかったものの、念のためということで彼は、着替えなど簡単な手荷物とともに簾の家に一時避難していた。
 そうして今朝、「気が紛れるから」と紅竜は実家仕込みクロワッサンを焼いてくれたのだ。すでに食卓には、パンの香ばしい匂いが満ちている。
「こっちもできたよ。これがサラダ、そしてオムレツ。はい、スープもお待たせ」
 同じくモスグリーンのエプロン姿で、簾はオムレツにサラダ、スープを準備したのだった。
 どう? と簾が、母親に褒めてもらいたい少年のような顔をするものだから、紅竜も少し口元を緩めた。
「よくできている。美味そうだ」
「そ、そうかい? でも僕こんな簡単なものしかできないから……比べるのもおこがましいけど、紅竜のクロワッサンはまさにプロの腕だよね」
 いただきます、と急ぐように告げ、簾はパンをちぎって口に入れた。
「味だって最高! サクサクしてて軽くて、深みがあって……」
「そうか。前も言ったが、実家では下手なほうだったのだがな。だが光栄に思う」
 しばらく話しながら食事をすすめた。といっても話題を振るのはもっぱら簾のほうで紅竜は聞き役に徹しており、うなずいたり、短いコメントを返すのが主だったが。
 食事が終わって紅茶を淹れた。イングリッシュ・ブレックファスト。紅竜はストレートで、簾はミルクを加えている。
 今日も出勤日だが、事情が事情なので遅れて出社すると会社に連絡は入れてある。
 贅沢な朝になったよね、と簾は言った。
「不謹慎だけど、嬉しい。毎朝こうだといいな」
 はは、と笑う。
「ふたりで作った朝食をふたりで食べられるし」
 もしかしたらまた夢かもしれない――そんな気がした。けれど夢なら、覚めないでほしい。
 そうだな、と紅竜が軽くうなずくのを簾は想像していた。
 それで十分だ、とも思っていた。
 ところが実際はそれを遙かに上回るものだった。
 紅竜は笑みを目にたたえ、こう言ったのである。
「可愛いプロポーズが朝から聞けるとは思わなかった」
 簾は心臓を紅竜に握られた気がした。
 それはあまりにも急な、不意打ち。
 胸の奥でキュンと音がした、そんな錯覚すらあった。
「プ……」
 焦って言葉が出てこない。顔が熱い。耳まで真っ赤になっているのではないか。
「プロポーズって……!? い、今のが!? 僕からの!?」
 またしても火事だ。といっても今度は、簾の心が大火事だ。意図したのではないが、なんと恥ずかしく、大胆なことを言ってしまったのだろう! 簾は身動きできず、脳がフリーズしたように固まってしまった。
 そのときウエッホンという派手な空咳が聞こえて、簾は振り向き、紅竜はとっさに簾の前に飛び出していた。
 ぬうっと物陰から姿を見せたのは、
「おじい……様……?」
 簾の祖父である。白髭を撫でつけながら、興味深げに含み笑いした。
 一方で紅竜はさすがである。恭しく一礼し、
「ご無沙汰しております」
 と告げたのである。だがまだ彼は簾のそばから離れない。万が一のことがあれば、たとえ相手が雇い主であろうと獣のように飛びかかるだろう。
「……いつからそこに」
 簾は容赦がない。眼鏡をかけ直すと彼は、白刃のような視線を老人に向けた。
「ちゃんと声はかけたぞ」
 気づいておらんかったようだがな、と老人は言う。
「それは……」
 簾は口ごもった。
 嘘だと直感する。
 巨大企業を単身で立ち上げた簾の祖父は、若い頃はかなり危険な仕事もしていたという。スパイ行為を働いていたこともあるようだ。だとすれば、老いたりとはいえ気配を殺して行動することができたとしてもおかしくなかろう。きっと、細心の注意を払って忍び入ってきたに違いない。
 けれどそれをあまり指摘しすぎると、警護の身として、簾宅への侵入者を許した紅竜に落ち度があることになる。最悪、役目を果たせていないという理由で、紅竜と引き離されてしまう可能性とてあった。それだけは絶対に、避けたい。
 間違いなくそこまでわかっていて祖父は「声はかけたぞ」と、とぼけてみせたのだろう。
 ――やっぱり狸じじいだ……。
 だから簾は決して笑わず、口調だけ和らげて、
「左様ですか、気づかなかった」
 と言ってカップをひとつ手にした。
「おじい様もいかがで?」
 だが祖父は手を振る。そして、ちょっと提案があってな、と言った。
 続く言葉を聞いて、簾は思わず立ち上がりかけた。
「紅竜がここに引っ越すって……!?」
 願ってもない提案だった。スペースは余っている。もともとこの部屋は、四人家族を想定して設計されたものなのだ。
 ――本当に!?
 また頬が熱くなってくる。『貍じじい』が、こんなに粋な提案をしてくるとは思わなかった。
 期待の眼差しで簾は紅竜を見るも、紅竜は目配せひとつすることもせず、普段通りのポーカーフェイスで老人にこう返したのである。
「それは如何なものかと」
 淡々と続ける。
「私は彼の護衛ですが、公私の別はつけたいと思います」
 ほほう、と老人はまた白髭を撫でつけた。
 簾は気が気でない。確かに紅竜の言っていることは正論である。
 正論であるからこそ、反対できない。
 とはいえ正論だからといって、納得できないものはある!
 でも――と、簾は紅竜に言いかけたが、それを制すように老人が告げた。
「恋人であれば、既に公私は一体ではないのかな?」
 お見通しだぞ、とでも言いたげに笑う。しかも彼は節くれだった右手で、テーブルに置かれた二つのアイピローを指さしているではないか。
「それに、簾も悪い気はしておらんようじゃないか」
 突然話が振られた格好なので、簾はそれまで「うんうん」と言いたげに目を輝かせていたのを急に、冷たく研ぎ澄まされた眼差しに切り替えねばならなくなって焦った。
「おじい様、孫とはいえ他人です。他人の心を憶測で断定しないでいただきたい」
 慇懃無礼な簾の口調ではあるが、慣れているのか老人は聞き流すように、
「回答は今日明日にでも頼む。引っ越し業者の手配がいるのでな。邪魔をした」
 と言い残してその場を、今度はわざとらしく足音を立てながら立ち去ったのだった。
 ドアが閉じると、紅竜はわざわざチェーンを下ろして戻ってきた。
 戻るなり彼は無言で簾を抱き寄せ、問答無用とばかりにキスを与える。長いキスを。
 唇がはなれると同時に紅竜は言った。
「今日は休んでも文句は出るまい。ふたりきりで卒業祝いをしないか」
「それって……ひとり暮らしからの『卒業』、ってことだよね?」
 紅竜はうなずいた。
「うん! しようよ卒業祝い! でもね、相手が紅竜じゃなかったら却下してたよ」
 それにしても同棲、か――思っただけだというのに、その言葉の響きに簾は胸を熱くしていた。
 紅竜が問う。
「以前、二人きりのオフィスの夢を見たが、あなたは見たか?」
 甘く切ない思いが蘇る。簾は溺れてしまいそうだった。紅竜への想いに。
「見たよ。確かに見た。正夢になりそうだね」
 なら祝いの昼食の準備をしないか、と紅竜は申し出た。
 そしてこう、控えめに付け加えたのである。
「ある意味初めての一日になりそうだな」
 と。
 言葉に続くのは、本日二度目のキス。



 洗濯に炊事、これらは普段の家事であり、決して楽しいものではないけれど、ときとして鼻歌のひとつも唄いたくなる場合がある。
 いま、フィン・ブラーシュはまさにその状態だった。
 いつもよりずっと早起きした彼は、夜のうちに洗って干しておいた服に、念入りにアイロンをかけているのだった。
 蒼崎 海十の制服だ。
 高等学校の、制服である。
 アイロンがけが終わったので、ハンガーに架けて眺める。
「よしよし、いい感じだ」
 うっとりしたようにフィンは目を細めた。
 都合三年間着た服だというのに、丁寧に洗濯して糊をきかせ、しっかりアイロンがけをしたお陰だろうか、制服は惚れ惚れするほど美麗に仕上がっていた。
 もちろん新品同様とはいかない。使用感はある。けれどもむしろ、使い込まれて味が出たというか、晴れの日の一張羅としてふさわしい、たくましさのようなものをフィンはこの服に感じるのだった。
「おっと、見とれている場合じゃなかった」
 足元に丸めた黒いエプロンを拾うと、ぱっと振ってこれを巻き、フィンは台所にとって返す。
 炊飯器が湯気と、馥郁たる香りを放っている。
 もち米が炊けたとき特有の、湿り気のある甘い香りだ。
 そこには小豆の香りも混じっているのだ。なぜなら、炊いたのは赤飯だから。
 弱火にかけていた鍋の蓋を開けて見る。醤油と砂糖と酒、生姜が、混じり合ったいい匂い。鍋の中身は鯛のかぶと煮、いい塩梅に仕上がりつつあるではないか。ごちそう感は満点だ。
 胃が悲鳴を上げそうなほど空腹になってきたが、こらえてフィンは冷蔵庫から鶏ささみを出すと、包丁でサッと観音開きにした上で一口大に切った。塩を振って寝かせ、その間にコンロに鍋をかけて湯を沸かす。沸騰するより前に、ささみに片栗粉をまぶすのを忘れないようにしよう。これは鶏くずたたきのおすましになるのだ。
 おすましの準備がすむと、ほうれん草の白和えにかかる。ほうれん草はあらかじめ茹でておいたのであとは簡単だ。今のうちに、冷やしておいた林檎の寒天ジュレの具合も見ておきたい。
 一通り済んだいいタイミングで、海十が台所に顔を出してきた。
「おはよう、海十」
「ああ、おはよう、フィン。ところで」
 Tシャツ姿の海十は、ハンガーごと制服を提げてきていた。
「なあ、今日、いつにも増してアイロンが効いてないか?」
 にっこりとフィンはうなずいてみせた。
「その制服とも、今日でお別れだからね」
「……あ、うん」
 頬を染めて海十はうなずくと、
「ありがとう。大事に着るよ」
 胸が一杯になったように、小走りで部屋に戻っていくのである。

 本日、蒼崎海十は高校を卒業する。

 雲ひとつない好天。
 お祝いの朝食をたっぷりと味わった後、十分な時間的余裕をもって海十はフィンと通学路を歩いていた。
 海十としては少し照れくさくもあったが、フィンが卒業式に出席したいというので首を縦に振ったのだ。
 最初は楽しく、普段とかわらぬ雑事を話していた海十が、歩むにつれ言葉少なくなり、やがてすっかり無口になってしまったことを、あえてフィンは指摘したりしなかった。
 ――海十は感慨深いみたいだね……。
 無理もないことだ。だからフィンも半歩ほど海十に遅れて、黙って彼を見守ることにする。
 暦の上では春、けれどもまだ桜には早い季節だった。
 風だって、いくらかひりりとする北風ではある。
 けれどもどこか、暖かい。
 通い慣れた道、けれども、この制服を着て歩くのはこれが最後となる道。
 海十の胸中、たくさんの想いが現れては消えていく。
 三年前の今ごろ――海十は思った。
 そのころ海十は、神人として顕現した。だからまだその時分は生まれ育った村にいて、タブロスに出るための準備に追われていたはずだ。
 一ヶ月経って、無事高校入学にこぎつけたものの、村の外で暮らすのはもちろん生まれて初めての経験で、生活の変化があまりに慌ただしかったこともあり、高校生になったという感慨など持つ余裕がなかったような気がする。
 この制服に袖を通して、最初にしたのは仮面を被ることだった。
 ――俺はごく平凡な、それなりに人当たりのいい学生を演じようとしていた。
 上手く立ち回っていたつもりだったけど……それは勘違いだった。
 仮面を取った今だからこそ、わかる。
 海十は唇を軽く噛んだ。
 昔の俺に教えてやりたい。
 未来はお前が思うほど悪くないし。
 お前が思っている以上に、周囲は見てくれている、と――。
 過去の、いじましく小さくなっていた自分、表面上の付き合いにだけ長けようとしていた自分、道化芝居のできない道化のような、自分……そんな自分に、手をさしのべてあげたい。
 こんな風に思えるようになったのはきっと、三年かけて成長したということなのだろう。
 海十は知っている。この成長は、独りで成し遂げたものではないと。
 導き、励まし、抱きしめてくれる最愛の人がいたからこそのものであったと。
 校門が見えてきた。
「……フィン、ありがとうな」
 このとき海十の唇を開いたのは、その最愛の人への感謝の念だった。
「ん?」
 さっとフィンは海十に並んで、
「制服のことなら、さっきお礼言ってもらったけど……」
「いや、そうじゃなくて、それもだけどさ……なんていうか、色々だ」
「色々?」
「そう、色々。この三年間の」
「それは色々だろうね」
 ふふっとフィンは微笑した。
「どういたしまして、と言っておくよ。でも、お互い様だとも思ってる」
 色々感謝したいのは、フィンの側とて同じことなのだ。
 けれど海十は、ちょっとキョトンとした表情を浮かべている。そんな様子が小動物のようで、可愛いとフィンは密かに胸をときめかせる。
「あ、そうだ。そうそう」
 目を輝かせてフィンは言った。
「ね、海十。学校の門の前で記念写真を撮ろうよ。デジカメ持ってきたんだ」
「でも……」
「ほらそんな恥ずかしがらないで。みんなやってるじゃない?」
 たしかに、数人のグループ、あるいは親子連れが、和気あいあいと写真撮影に興じている。
「……わかった。まあ、確かに記念だしな」 
「そうこなくっちゃ! やったー、記念写真だ♪ JKの海十と記念写真♪」
「おいおい! そのJKっての、『女子高生』の略だろっ」 
「あはは、そうだっけ?」
 シャッターは、通りがかった職員に切ってもらった。

 デジカメのモニターで、綺麗に取れた一枚を見ながらフィンはニコニコしていた。それはもう、春の太陽のようにだ。
「嬉しいなぁ……本当に!」
「何が? まあ、良く撮れてるけど」
 フィンの黄金の髪が軽く風になびいており、海十の黒い大きな瞳には光が移って輝いているように撮れていた。引き延ばして飾っておきたいね、とフィンが言ったのもうなずける出来だ。
「写真にも喜んでるけど、それだけじゃないよ。俺は嬉しいんだ……こうして、海十の人生の節目に一緒にいられるってことがさ」
「節目、か。ああ、そうだよな」
 俺も嬉しい、と返そうとした海十より早く、フィンは感極まったように両手で海十の両手を握っていた。
「ありがとう、海十。これからも俺は、海十の人生に寄り添いたい。だから、良いことも悪いことも一緒に分かち合おうね」
「こちらこそ、よろしく頼む」
 海十は彼の手を握り返した。強く。
 卒業後の進路は決まっている。四月から海十は大学で臨床心理士の資格取得を目指し、音楽でもプロを目指すのだ。
「まだまだ、ここからだもんな。俺も、もちろん、俺たちも」
 手を放したところで、フィンが声を上げた。
「あ、ほら、お父さんとお母さんが来たよ」
「もう? ……本当だ」
 まだ開会まで半時間はあるのだが、海十とフィンと同様、そわそわして早く到着したものらしい。目と顔の形が海十によく似た母親、口元がよく似た父親、二人はそろってフィンに頭を下げ、海十に微笑みかけた。
 三年前と変わったことがもうひとつあると海十は思う。二人とも、髪が随分白くなったものだ。
「行こう」
 フィンは海十の背中を押す。うなずいて海十は駆けだした。
「父さん、母さん、来てくれてありがとう!」



 千亞は、窓から空を眺めている。
 果ての見えない青い空、冬の終わりを惜しむかのように、湿り気のない澄んだ空を。
 あの人もいま、同じ空を眺めているのだろうか。
 千亞の兄、大好きな兄、キラキラ輝く千亞の両目を、冬の朝焼けのようだと言ってくれた兄も――。
 ウィンクルム活動を休止したのは、ふたりで千亞の兄を探すためだった。
 そうしてここ一年半ほど、旅から旅を繰り返したものだ。
 見捨てられた宿場町をさまよい、墓石の土埃を払って刻まれた名を確認し、似た風貌の人物の背を追いかけた。情報屋、酒場のあるじ、吟遊詩人に地方政治家、その他あらゆる人間に手がかりを求めたものだ。一度などは、目の下に稲妻型の刀傷をもつ山賊の首領にまで目通りを願ったほどである。
 八方手を尽くした。
 けれどついに、兄は見つからなかった。
 その行方はおろか、たどった足取りすら定かではない。そも、彼が生きているかどうかすら明らかになってはいないのだ。
「諦めたつもりはないんだけどね……」
 我知らず千亞は、空に向かって呟いていた。いつかは捜索を再開するつもりだ。
 けれど千亞の両親は、このときついに命令をくだした。
 実家に帰れとのことだった。今の部屋は引き払うように、と。
 もともとこの部屋は、両親からの援助があって住めている状態だった。それに千亞の実家はそれなりの名家である。いつまでもふらふらと、ウィンクルムの仕事もしないで遊ばせておくわけにはいかないということなのだろう。とりわけ、本来の跡継ぎであるべき兄の消息が途絶えた今となっては。 
 もう一度空を見上げて息を吐くと、千亞は、手にしていたガムテープを放り投げる。テープはフローリングの床で、ぽすぽすと空気の抜けたボールのように跳ねた。
 なんだかもう、面倒臭くなった。
 だがガムテープは、エアホッケーさながらに勢いよく跳ね返ってきた。
 そうしてテープの輪は、梱包途中の段ボールにコーンと命中したのである。
「千亞さん」
 にょき、と首から先に部屋に入ってくると、明智珠樹は艶めかしい視線を千亞に向け、胸に手を当てて一礼した。
「失礼、ガムテープの輪っかが爪先に当たってしまいました」
「別にいいよ。蹴ったわけじゃなくて偶然当たっただけなんだろう?」
「もちろんですとも。でも……いいシュートだったでしょう?」
「蹴ってんじゃん!」
「ちなみにドライブシュートというやつです……!」
「そういうこと訊いてんじゃないっ!」
 どうも珠樹と話していると話は深刻にならない。憂鬱とかそういう気分とも、多分無縁だ。
 で、と言って千亞は立ち上がった。
「なんか用?」
「ええ千亞さん、私のほうは引っ越しの準備終わりましたので……!」
 美しい蛇のように、あるいはファッション誌のモデルのように、珠樹は身をくねらせながら千亞の部屋を見回す。
「千亞さんのお手伝いをしましょうか、と、思いまして……! ふふ……!」
 口さえ閉ざしていれば、見る者が鳥肌立つほど美形だというのに、どうしても珠樹はミステリアスな含み笑いをやめられないものらしい。(まあ千亞は、そんな彼に慣れっこになっているのだけども)
「もう準備終わったのか!?」
「その通りです……! すっきり&すっかり、という感じで……ふ、ふふ……!」
 珠樹の部屋、あんまりモノ置いてなかったからな――と千亞は合点して、
「手伝う? あぁ、それじゃ……」
 終わりの見えない作業に正直飽きてきたところだったのだ。ふたりでやればはかどるだろう。ところが、
「お待ちを……!」
 両手でバリアーでも張るようなポーズを珠樹は取った。
「どうかした?」
「私もかつて『引っ越し名人珠樹ちゃん』と呼ばれた男……!」
「いつ呼ばれたんだ! いつ!」
 今考えただろそのアダ名ー! という千亞の指摘を、闘牛士のように華麗にかわして珠樹は言うのだ。
「名人芸の世界ですから、ロハ(無料)でお手伝いというわけには……ふふ!」
「じゃあ幾らか払うよ」
「いいえお金は結構です。報酬は千亞さんの捨てる下着を私に」
「ドライブシュート!」
 伸びやかな蹴りが珠樹にヒットした!
「ああン! それはボールとかガムテの輪に食らわすものであって私の尻には……!」
「知るか! ていうかもう手伝いは結構だド変態!」
 まったくもう……千亞は感傷が、因果地平の彼方へ吹き飛んでいくのを感じていた。
 無理! 珠樹のいる空間でセンチメンタルになるの、無理!
 ――まあそれが、いいんだけども。

 陽は落ち、薄闇があたりを覆っている。
 引っ越し業者のトラックが小さくなっていくのを見送った。
「これでルームシェアも解消かあ」
 千亞は息を吐き出した。このごろ春めいてきたとはいえ、日没ともなると肌寒い。
「ですね……だからといって、会えなくなるわけではないです……」
 このとき珠樹は、ふざけたりせず落ち着いた口調だった。
「……やっぱり寒いな」
 千亞は両腕をこすった。
 寒い。体だけじゃなくて、胸の内も。
 クッキーの型抜きで、ぽんと心に丸い穴を開けられたような気持ちだ。
「そうだ」
 思い出して千亞は肩掛け鞄を下ろした。革張りの装丁がなされたノートを取り出す。茶色い表紙はいくらか剥げていた。
 これまでふたりでつけてきた交換日記だ。
 たくさん思い出を記した。
 くだらないこともいっぱい書いた。笑いあった記録も、ちょっと切なくなった話も。
 日記帳はそれほどの質量ではないが、ずっしりと重い。重く感じる。
「珠樹、これ」
 千亞は日記帳を、彼の手に押しつけるようにして渡した。
「……万が一、何かあったら困るだろ。持っておけ」
「お心遣い、ありがとうございます……!」
 珠樹は愛おしげに日記帳を胸に抱くのである。珠樹の目が輝いて見えるのは、空の星が映り込んでいるからだろうか。
「でさ、珠樹はこれからどうするんだ?」
「ふ、ふふ……! 私はいつでも千亞さんのそばに……!」
「そういう心の距離感の話じゃなくて、現実問題として」
 ところがこの問いに珠樹は答えず、「言った通りですよ」と意味深な笑みを浮かべるばかりだった。
「何言ってんだか」
 珠樹は浮き世草にでもなるつもりだろうか。放浪して野宿の日々とか……それはそれで気楽なような気もして、なんだか少し、千亞はうらやましくも思う。
「じゃあそろそろ、管理人さんに鍵を返して出ましょうか……!」
「うん……」
 と告げて歩き出す千亞の頭の兎耳は、ヤジロベエのように両サイドに垂れ下がっている。
「千亞さんに寂しそうにしていただけるなんて光栄です、ふふ……!」
「さ、淋しくなんてないっ。元に戻るだけだ」
 千亞は頬を膨らませると、早足で先を行く。
 千亞は胸の中で、別れの言葉を繰り返すのだ。
 さよなら、ルームシェアの日々。
 さよなら、珠樹との奇妙な共同生活。
 さよなら……。

 翌朝。
「にしても、出迎えのひとりもないなんて」
 いささかむくれつつ両開きの扉を開けると、千亞はガラガラとスーツケースを引いて屋敷に入る。
「帰ったよ」
 母親の名を呼ぼうとしたところでいきなり、
「おかえりなさいませ、ご主人様……!」
 にょき、と首から先に扉の陰から現れた姿が目に飛び込んできた。
 メイドだ。
 エプロンドレスにヘッドドレス、黒いブーツにニーソックス、やけに短いスカート丈とせめぎあうのは白い絶対領域。アメジストカラーのショートカットは色っぽく、なぜか生えている頭頂の猫耳がまたキュートな、
「なにやってんだド変態!」
 ……メイドコスの珠樹なのであった。 
「これからは、千亞さんの実家に住み込んでご奉仕することになりましてね」
「は? ……な、なら先に言っとけよ馬鹿!」
「夜のご奉仕のほうもご希望とあらば……ふふ!」
「ご希望しないよ!」
 まったくもう! 肩を怒らせながら千亞は自分の部屋に向かうのである。
 珠樹に顔を見られたくなかった。
 笑顔なのに、泣きそうなのを知られたくなかったから。
 けれどこれだけは言いたかった。千亞は振り返らずに告げる。
「………交換日記、続けてやってもいいぞ」
「ふふ、悦んでお願いいたします……!」


 



依頼結果:成功
MVP
名前:明智珠樹
呼び名:珠樹、ド変態
  名前:千亞
呼び名:千亞さん

 

名前:楼城 簾
呼び名:簾さん、または簾
  名前:白王 紅竜
呼び名:紅竜さん、または紅竜

 

メモリアルピンナップ


( イラストレーター: 圓マルオ  )


エピソード情報

マスター 桂木京介
エピソードの種類 ハピネスエピソード
男性用or女性用 男性のみ
エピソードジャンル ハートフル
エピソードタイプ EX
エピソードモード ビギナー
シンパシー 使用可
難易度 とても簡単
参加費 1,500ハートコイン
参加人数 5 / 2 ~ 5
報酬 なし
リリース日 02月18日
出発日 02月25日 00:00
予定納品日 03月07日

参加者

会議室

  • セイリュー・グラシアと精霊ラキアだ。
    プランは提出できたー!

    明智さん、超久しぶりだ―!!
    そして超相変わらずなアレやコレやに肩の震えが止まらないぜ。ぷぷぷ。

    みんな、良いひと時を過ごせるといいな!

  • [11]蒼崎 海十

    2017/02/24-22:53 

  • [10]蒼崎 海十

    2017/02/24-22:52 

  • [9]蒼崎 海十

    2017/02/24-22:52 

    フィン:千亞さんのツッコミも久し振り…(ほっこり)

    海十:アーシェンさん、さ、サイン…お、俺のなんかでよければ…喜んで…(カチコチ)

    フィン:海十、嬉し過ぎて固まったみたい♪
    簾さん達は大人の落ち着きだよねぇ…俺も見習わないと…!
    (見習うために観察しようとして、海十に引っ張られている)

    俺達もプラン提出したよ!
    とっても楽しみだね♪

  • [8]楼城 簾

    2017/02/24-22:45 

  • [7]楼城 簾

    2017/02/24-22:45 

    簾:
    …珠樹さんは具合が悪いのかな。
    脱ぐとまではいかなくても少し楽にしてもいいとは思うよ。

    紅竜:
    (絶対違うと思うがやっぱり突っ込みすると危険な気がして言えないが言わなくても危険な気がして物凄い迷っている)
    ……簾さん、彼(千亞さん)が対処してくれるだろうから案ずることはない。大丈夫だ(丸投げした)

  • 挨拶が遅れたが、アーシェン=ドラシアという。
    こちらは精霊のルーガル。よろしく頼む。

    ■珠樹さん
    はじめまして、ご丁寧にありがとう(90度の礼)
    俺も緊張しているが、千亞さんの言う通りお互いにリラックスしていこう。

    ルーガル「(つっこみたいがつっこんだら負けな気がする……)」

    ■海十さん
    ミアプラの……(そわぁ)
    いや、何でも(ふるふる)
    何度かすれ違ったな。今回もよろしく頼む(キリッ)

    ルーガル「雑誌で見ましたファンですサインください。 って上手く言えないみてえなんでよかったら後で頼む」

  • [5]明智珠樹

    2017/02/22-23:03 

    改めてこんにちは、千亞だよ。
    珠樹は緊張を解け。

    海十さん、フィンさん覚えててくれてありがとう(ぺこっ)
    僕もまた会えてうれしいなっ(にっこり)


    簾さん、紅竜さんご丁寧にありがとうございますっ。
    (大人っぽくてカッコいい人達だなぁと思いつつ)
    そうなんです、久しぶりで…

    明智
    「千亞さんが緊張を解けと言うのでついでにネクタイとズボンのベルトも解いても……」

    脱ぐな黙れド変態(蹴り)

    と、とにかく早々にプレイングは提出したよ。
    皆の一時も楽しみにしてますっ(ペコリ)

  • [4]明智珠樹

    2017/02/22-22:54 

  • [3]楼城 簾

    2017/02/21-19:50 

    楼城 簾だよ。
    今回は紅竜さんと一緒。

    >珠樹さん

    はじめまして。
    (色々な部分が緊張…? よく判らないけど、黙っておこう)お久し振りの方かな。
    よろしくね。

    >海十さん

    お久し振り。
    フィヨルネイジャ以来かな?
    今回もよろしくね。

    紅竜:
    (色々な部分の緊張は突っ込まない方がいいと忠告したいけどそこを突っ込まれると困るので結局黙って傍に立っている模様)

  • [2]蒼崎 海十

    2017/02/21-01:24 

    海十:!!
    明智さん、お久しぶりです。お元気そうで何よりです!
    俺達は変わらず元気ですよ(ほっこり)

    フィン:ふふ、明智さんに久し振りに会えて嬉しいな♪
    セイリューさん、簾さん、アーシェンさん、今回もよろしくね!

  • [1]明智珠樹

    2017/02/21-00:13 

    ふ、ふふ、ふふふふふふふふ…!
    まさかの予約当選に驚きを隠せない明智珠樹です。
    セイリューさん海十さんご無沙汰しております、お元気ですか?お変わりないですか?メロメロですか?
    そして楼城さん、アーシェンさんはじめまして、よろしくお願いいたします、ふ、ふふ…!

    久々のあれこれで私、色んな部分が緊張しておりますが、何卒よろしくお願いいたします…!ふふ…!


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