冬にさよならする前に、(桂木京介 マスター) 【難易度:簡単】

プロローグ

 ひらひらと綿雪が舞い落ちる。
 風はなく、ただまっすぐに舞い落ち、積もりゆく。
 寒さ厳しいこの時期に、幾度となく見た光景だった。

 あなたは雪を眺めている。
 透明な傘の小間ごしに、
 暖炉を背にして窓越しに、
 取り壊しが決まったビルの屋上で、
 試合開始の笛を待つサッカースタジアムで、
 パートナーと電話でやりとりしながら、
 どうにもはかどらない編み物をしながら、
 あるいは夜行列車、うたた寝する彼の肩に頭を乗せながら……
 まだまだ骨に染みるほど寒くて、朝は寝床から出るだけでも大英断が必要で、蛇口をひねって出てきた水に、触れたとたん飛び上がりそうになるくらいだというのに、気がつけばもう、如月もあとわずかを残すばかりとなっていた。
 カレンダーをめくって『March』の文字を確認すれば、それでたちまち春になるというわけではない。春がドアをノックすれば、寒さは嘘のように消えるわけでもない。それでも暦の上では、そして、気持ちの上では……もうじき、この季節は終わる。
 
 ひらひらと綿雪が舞い落ちる。
 ――もしかしたらこれが、この季節の雪の見納めとなるかもしれない。

 冬にさよならする前に、あなたにはひとつ、どうしてもやっておきたいことがあった。

解説

 気がつけば冬も終盤だというのに……! と、去りゆく冬を惜しむように活動するあなたと彼のお話です。
 たとえば、
 ・この冬はスキーに行ってなかった!
 ・よし、鍋シーズンの最後に、とっておきの具材で豪華な鍋をしよう。
 ・まだ湖が凍ってる間に行きませんか、ワカサギ釣り。
 ・彼のマフラー編み上がってなーい! ラストスパートォ!
 ・コ、コタツ出してなかった……まだ間に合うよね?
 ・拙者、雪合戦がしとうござる。しとうござる!(強調)
 ・やっぱりイルミネーションを見るなら、空気が澄んだ冬ですね。
 ・まさか、カニを食べずに春を迎える気ではあるまいな。
 ・フッ、寒中水泳ってのは、冬にやるから『寒中』というのさ。
 ……というのは一例ですが、あなたと彼、どちらからの提案でも自由ですので、『冬にやり残したこと、もう一回だけやってみたいこと』をテーマに自由に発想してみてください。
 楽しく、ロマンティックに、はたまたシリアスに――ご希望に応じて描かせていただきます。

 なお、出かけたり食材を購入したりするのに、一律で『400jr』を消費するものとします。ご了承下さい。


ゲームマスターより

 お恥ずかしながら……活動を再開しました。
 はじめましてのかたも、お帰りなさいと言って下さるかたも、「休止って?」と言って下さるかたも、皆様よろしくお願いします。出戻り(というか出ていなかった)ゲームマスターの桂木京介です。

 実は冬が苦手な私なのですが、いざ冬の終わりが見えてきたら、なぜか毎年、一抹の寂しさに襲われます。
 冬の味覚もお別れかあ、とか、冬は冬で楽しいイベントあるよね、とか、冬景色がきれいなあの場所に今回も行かずじまいだったなあ、とか……なんでしょうか、やっぱり私は冬が好きだったのでしょうか。
 冬が好きなかたも、苦手なかたも、お気軽にご参加下さい。どなたでも大歓迎いたします。

 それではまた、リザルトノベルでお会いしましょう! 桂木京介でした。

リザルトノベル

◆アクション・プラン

かのん(天藍)

  エゾリスさんの観察ですか?勿論行きたいです!
天藍が夏の指切りを気にしていてくれた事も嬉しいし、彼の助言を聞きながら防寒着の準備も楽しい
何だか子供の頃の遠足に行く時の気分です
温かい物も用意した方が良いですよね…
アップルジンジャーティー作ってアヒル特務隊に入れて持って行く

早起きして森に着けば、目の前を横切っていくリスを発見
枯れ葉に紛れない分前の時よりも見つけやすいですね
ふかふかです
雪を掘って何をしているんですか?
こんなに積もっているのにちゃんと見つけてすごいです

天藍の指が示す先を辿れば真白なまん丸の小鳥
やっぱり可愛いですね
じっとしていると冷えてくるので2人寄り添って紅茶を
今日一緒に来れて嬉しいです


ハロルド(ディエゴ・ルナ・クィンテロ)
  ディエゴさんの要望で冬の海で日の出を見にいくことにしました
折角なので寝台列車で遠くの方まで行きましょう
列車ですが二人部屋なのでちょっとしたホテルみたいですね
海沿いをずっと走っていますが地方によって海の模様が違うので飽きません。

寝る前に少し思うところがあってカーテンを開けて夜の海を見ていました
雪が降っていて、黒い海は少し荒れているようです
いつの間にか隣にディエゴさんがいて、コーヒーをくれました。

失礼な事言いますけど
冬の海って出会ったばかりのころのディエゴさんに似てるなと思って
色がなくていつも寒そうで
今は違いますけどね…海って冬の姿だけじゃあないでしょう?
これから見に行くきれいな海が楽しみです。


八神 伊万里(アスカ・ベルウィレッジ)
  もう片付けちゃうの?
今日まだ寒いし、今年はあんまり使わなかったから
最後にもう一度入ろうと思ってたんだけど…
やった!それじゃアイス持ってくるね
ふふ、分かった、砂糖とミルクは一つずつね?

冬はやっぱりこたつでアイスだよね
これなら寒くないし
ここで受験勉強なんかしてたら絶対捗らなかったから今まで我慢してたの
そのおかげで手応えあったし、もう春まで思う存分こたつむりになる!
突っ伏してご満悦

ん?アスカ君、どうかした?
そうなんだ…寂しくなるね
春からは新生活が待ってるんだ
でもまた戻って来るんでしょう?
アスカ君の部屋はそのままに…えぇっ!籍!?

な、並々ならぬ覚悟を感じる…
言葉だけの『婿殿』扱いじゃなくて
本気なんだ…


フィオナ・ローワン(クルセイド)
  「…ジュエリーアイス、ですか? ええ、名前は存じてますわ」
クルセイドから突然のお誘い
今のうちでないと見られないから、と、彼は少し強引でした

私たちの棲む町からは、少々離れたそこ
宿を取り、翌日の早朝
彼とともに、浜辺へ出かけました
私たち以外でも、そこに向かう方々はいるようです

防寒はして来たものの、肌を刺す夜明け前
暫く待てば、息を呑む光景が

大海から、霧の中に朝日が顔を出しています
河口に打ち上げられた氷が輝いています
耳を澄ますと、透明な音が響いてきます
その見事な様子には、寒さも吹き飛ぶ思いでした
寒さが、それほど気にならなかったのは
抱き寄せてくれた、彼の腕が、暖かかったからかも…?


 明日の休日、雪が溶ける前に――と天藍は言った。
「エゾリスたちを探しに森へ行こうか」
 晴れて夫婦となり、ひとつ屋根の下で暮らすようになってもまだ、外出に誘うには恋人同士の頃のような照れがあった。ましてやそれが、夏に約束した話であったとすればなおさらだ。
 なので天藍の声はかすかに上ずっていたのだけれど、かのんは両腕をひろげるように、彼の気持ちを受け止めてくれた。
「エゾリスさんの観察ですか? もちろん行きたいです!」
 花が咲いたような笑顔だ。改めて、もっと早く時間を作れば良かったと天藍は思う。
「紅月ノ神社の夏祭りで約束したよな……また森に動物観察に行こうと」
 覚えてるかと天藍が問うと、「はい!」とかのんは迷わず告げた。
 煌びやかで華やかな境内を、天藍とかのん、朽葉の三人で歩いた。途中で朽葉は帰宅し、ふたりは花降る丘で手を握りあって花火を眺めたのだった。あの夜に指切りした約束だ。
「遅くなってすまない。ずっと気にはしていたんだが」
 わかってます、と言わんばかりにかのんは大きくうなずいた。夏の指切りを彼が、ずっと忘れずにいてくれたことが嬉しかった。
 行くと決まればさっそく準備だ。リュックサックを棚から下ろすだけで、ふたりとも気持ちが高ぶってくる。
「何だか子どもの頃、遠足に行くときのような気分です」
 違いない、と天藍は笑った。
「この時期だから時間は限られる上寒いが、草木が少ない分冬の方が探しやすいのも事実だろう」
「何を着ていったら良いでしょう?」
 かのんはクローゼットを開き思案顔だが、レンジャーの天藍はこうした話は得意だ。
「寒さ対策はしっかりしておいたほうがいい。動きやすさも大事だ」
 たとえばこれとこれを組みあわせて、と、てきぱき提案をするのだった。すぐに冬のアウトドアコーディネートが完成する。
「温かいものも用意した方が良いですよね」
 かのんは、アヒル特務隊「ポカポカ・アッタマール」を取りに行く。
 今夜は早く寝よう。

 早朝の空は白い。
 足元も、木々も。
 森は深い雪に包まれている。
 それでも春の気配はたしかにあった。芽吹いている樹がある。冷え込みが緩やかなのも間違いなかった。
 ブーツでざくざくと雪を踏んでいた天藍が、そろそろだな、と歩調を緩めた。
 顔をかのんに寄せ囁き声で告げる。
「このくらいの気温ならきっと、巣穴から外に出ているはず」
「本当ですか!?」
 と目を輝かせるかのんはまるで、年端もゆかぬ幼子のようだ。
 まもなく予想は的中した。
 あっ、と声が漏れそうになって、かのんは自分の口を押さえる。
 灰褐色のエゾリスが一匹、白い腹部を見せ二本足で立っているのだった。両前足は胸の位置、つぶらな黒い目を遠くに向け、熱心に何か探している様子だ。ずっとせわしなく、ムクムクと鼻口を動かし続けている。
 天藍は笑みを見せ、そっと後退して木陰に移動する。エゾリスはあまり人間を怖がらないが、やはりじっと見られているのは落ち着かないだろう。彼はかのんを手招きして、
「ここが特等席だ」
 と、よく見える位置で腰を下ろせる岩を示した。かのんは天藍の好意に甘えることにする。
「ふかふかです……ふかふかが、いっぱい」
 エゾリスは一匹ではなかった。愛くるしい姿をしたその仲間たちが、ちょろちょろと木の枝に飛び乗ったり、枝から枝へ飛び移ったり、すとんと雪面に着地したりしている。仲睦まじげに追いかけっこをしている小さい二匹は兄弟だろうか。
「枯れ葉に紛れない分、前のときよりも見つけやすいですね」
 温かい時期に茶褐色だった体毛が、今は灰色がかっているとはいえ、雪中ではあまりカモフラージュになっていない。彼らを観察するに最適の季節といえよう。
「雪を掘って何をしているんですか?」
 エゾリスたちは跳び回っては、しきりにその小さな前足と頭で雪を掘っているのである。散ったきめ細かな雪が、頭やヒゲに乗っている様も愛くるしい。
「雪が降る前に埋めた木の実を探しているんだ」
 天藍は一匹を指した。
「ほら、見つけた」
 エゾリスが木の実をくわえて、モクモクと美味しそうに頬張っている。
「こんなに積もっているのにちゃんと見つけてすごいです」
「彼らなりの生活の知恵なんだな」
 このとき天藍は空を仰ぎ見ている。聞き覚えのある鳴き声を耳にしたのだ。
「かのん、そこにシマエナガがいる」
 真白でまん丸の小鳥が、ぱたたと木々の間を飛んでいるのだった。かのんの心はとろけそうになる。
「やっぱり可愛いですね」
 絵本の中から出てきたような小動物たちだ。
 じっと観察していたので少し冷えてきた。やはりまだ冬なんだな、と天藍が思ったとき、その気持ちを見越していたように、
「どうぞ」
 かのんが、湯気の立つプラスティックカップを手渡してくれた。
 アッタマールに入れてきた紅茶だった。
「ありがとう」
「どういたしまして。今日は一緒に来れて嬉しいです」
 俺もだ、と告げて天藍は、熱い茶に唇を付けた。
 一緒に来ることができて、本当に嬉しい。



 からりと雨戸を開いて、まぶしい陽射しに目を細める。雲ひとつない好天、昨夜の雨模様が嘘のようだ。
 もう春なんだな、とアスカ・ベルウィレッジは思う。まだ暦上はギリギリ冬だが気持ちは春だ。そういうことにする。
 アスカの頭頂、きれいに揃った双つの耳がピクッと動いた。
 ――決めた。
「よし! 今日は和室を掃除してこたつを片付けるぞ!」
 くるっと振り返ると、アスカは八神 伊万里を呼びに行くのである。
 諸手をあげて賛成してくれるかと思いきや、意外や伊万里は「あれ?」というような顔をした。
「もう片付けちゃうの? 今日まだ寒いし……」
 言われてみればそんな気がする。いや実際、天気こそいいものの雨が上がった翌朝のせいか、室内にいてもひんやりと肌が冷えるのだ。
「うーん、確かに寒いな……」
「それに、こたつ、今年はあんまり使わなかった気がする」
 そうだ。アスカは思った。言われてみればこの冬は、じんわり温(ぬく)いあの感覚を、あまり味わっていないではないか。カンカン熱いストーブでもなく、なんだか乾く暖房でもない。こたつだけがもつ、あの、丸みを帯びた優しい暖かさを……。
「だから、最後にもう一度入ろうと思ってたんだけど……」
 と伊万里が潤んだような翡翠色の目で見上げてくると、もうアスカはたまらなくなってしまって、
「それじゃまた今度にするか」
 君子豹変、片付けは延期とした。
「やった! それじゃアイス持ってくるね」
 しゅた、と音がするくらい元気にアスカは手を上げる。
「あ、俺餅入りのやつな! あとコーヒー!」
「ふふ、分かった、砂糖とミルクは一つずつね?」
 オッケー、と告げて伊万里は、軽やかに台所へ姿を消す。
 
 こうして無事、こたつにはあかあかと火が灯ったのである。
 じわじわ広がる、包み込むような優しい熱。こたつぶとんも柔らかくてぬくぬくだ。
 にこーっと嬉しそうに、伊万里はガラスの器に手を伸ばす。足は暖かく、口中は冷たくて甘い。これぞ極上のひとときだ。
「冬はやっぱりこたつでアイスだよね。これなら寒くないし」
「だよな」
 濃厚でなめらかなアイスに、とろりとやわらかい餅が乗る。この組み合わせの妙……! 思いついた人は天才ではないか。
 舌で溶けてゆくバニラエッセンスを感じながら伊万里は言った。
「ここで受験勉強なんかしてたら絶対捗らなかったから、今まで我慢してたの」
「そうか」
 アスカは合点がいった。
「こたつで勉強したら眠くなりそうだもんな」
 この冬は、伊万里にとって受験の季節だった。こたつに入る彼女をほとんど見なかったのはそのためだろう。
「冷え性には辛かったろ? よく頑張ったな」
 こく、とうなずく彼女にアスカは問う。
「それで手応えの方はどうだった?」
 聞きにくいことかもしれないが、やはり気になった。
 だけど安心だ。待ってました、とばかりに伊万里は破顔したのだから。
「そのおかげで手応えあったよ。もう春まで思う存分こたつむりになる!」
 言うなり天板に突っ伏し、伊万里はぺたっと天板に頬を当てるのだった。感じるのは木製家具の匂い、そして、温かみ。まさしくご満悦、ため息まで漏れてしまう。
「それならよかった」
 アスカはコーヒーカップを置いた。
「これで俺も安心して……」
 と言いかけたもののアスカは逡巡する。琥珀色のカップをしばし眺めたのち、意を決したように顔を上げて、
「実は、所長から誘われたんだ。助手じゃなく正式な所員にならないか、って」
 えっ、と伊万里も身を起こす。朗報ではないか。
「ん? アスカ君、どうかした?」
 それなのに――それなのにどうして彼は、いまひとつ浮かぬ表情なのだろう。
「ただ、条件として、居候……住み込みをやめて一人で自活しろってさ」
 つまり、と一拍おいてアスカは告げた。
「春には俺、出ていくことになるな」
「そうなんだ……」
 伊万里は視線を落とした。
「寂しくなるね」
 何秒か、沈黙の時間が流れた。
 でも、と告げたとき伊万里の口調には力が戻っていた。
「また戻って来るんでしょう? 大丈夫だよ。アスカ君の部屋はそのままに……」
 アスカは、心底驚いたように目を見開いていた。
「おいそれ、意味わかって言ってるか?」
「意味?」
「そうだよ」
 アスカはいつの間にか、自分の手がかすかに震えていることに気がついた。
 緊張、している。
 でも言わずにすませたくはなかった。だから軽く息を吸って、告げた。
「俺が戻ってくるのは、本当の家族になる覚悟を決めたとき……つまり籍を入れるときだからな」
 今度はその緊張が、伊万里に伝播する番だった。
 どうしよう。
 なんて返せば。
 けれどアスカの眼差しはまっすぐで、いささかの曇りもない。
 並々ならぬ、彼の覚悟を感じる。
「そ、それはつまり、言葉だけの『婿殿』扱いじゃなくて……」
 物を言わず、ただ、重々しくアスカはうなずいた。
 ――本気、なんだ……。
 こたつは温かい、居心地がいい。
 いつまでもこうしていたいと感じる。
 けれど、いつまでもこのままじゃいけないとも、伊万里は感じている。



 車内は思っていた以上に閑かで、こととん、こととん、とかすかな振動が伝わってくるほかは、五感に割り入ってくるものはない。
 窓の外に目をやれば、見えるのは流れゆく冬景色。それは、列車が常に動いていることを教えてくれるものだった。ときおり目の前をかすめる針葉樹には、粉砂糖をまぶしたような雪が積もっている。
「冬が終わってしまう前に、海の日の出を見に行きたかった」
 ディエゴ・ルナ・クィンテロがぽつりと言った。彼はハロルドの隣に腰を下ろし、大きな窓からハロルドと同じものを眺めている。
「……そういう心境になれたのは、時間や周りの環境のおかげなのかもしれない」
 くす、とハロルドは小さな笑みを浮かべた。
「寝台列車の旅を選んだのも、心境の変化のあらわれでしょうか」
 言われてみれば、とでもいうかのようにディエゴは少し口を閉ざした後、
「自分ではわからないが……おそらくそうだろう。それにしても今回のこと、一方的に計画してしまったかもしれない。だとしたら、すまない」
 ハロルドは、「いいえ」と首を振って、
「素敵な提案だと思いました。二人部屋の寝台車って、ちょっとしたホテルみたいですね」
 そう告げ、頷いてみせる。ディエゴも頷いた。
 本当は――ディエゴは思う。
 本当は、海を見に行きたいというのは単なる口実で、ハロルドとふらっとどこかに遠出したかっただけなのかもしれない。
 それはそれで、やはり心境の変化なのだろう。
 夕焼けの朱色が少しずつ、宵闇のダークブルーへと混じりゆく。

 消灯して枕に頭を乗せていたハロルドだが、いつしか音もなくベッドから滑り降り、琥珀色をした厚手のカーテンに手をかけていた。
 列車から眺む窓の外では、凍えるような夜の月が、水面を冴え冴えと銀色に照らしている。
 そして、雪。
 いつ降り始めたのか、鱗粉のような雪がはらはらと、海面に降り落ちているのだった。
 黒い海は少し荒れ模様で、雪を舐め取らんとする舌のように見えた。
「コーヒーを淹れた」
 かたわらを見るといつの間にか、ディエゴが湯気を上げるカップをふたつ手にして立っている。
「ありがとうございます」
 カップを受け取るとき、指と指が触れあった。その瞬間、ハロルドの胸は小さく震えていた。
 ややあって、ディエゴが言った。
「……面白いか、海は」
 ええ、とハロルドは笑みを浮かべる。
「飽きません。地方によって海の模様が違うので」
 海沿いを走るだけなので一見変化に乏しいようだが、実際のところ海は、さまざまな顔を見せてくれていた。色の変化、波の形、渦、波打ち際の飛沫……万華鏡のように変わっていくのだから。とりわけ、月光と雪に照らされる夜の海には、夢と幻の中間のような質感があった。
 心地良い音楽を聴くように、ディエゴは瞳を閉じ、ゆっくりと開いた。
「俺にとっての海は色々な思い出がある。憧れや誇りもあったし、時にはもう見たくないくらいに憎いときもあった……けど、俺の原点だ」
 そうして彼は、ふっ、と口元のカップの湯気を吹いた。
 ハロルドはカップに口を付け、熱いものをいくらか飲み下す。浅めに淹れたコーヒーだったが、芯にしっかりとした苦みがある。
「ふと思いました」
「何を?」
「失礼なことを言いますけど……冬の海って、出会ったばかりのころのディエゴさんに似てるな、って。色がなくて、いつも寒そうで。今は違いますけどね……海って冬の姿だけじゃあないでしょう?」
 ディエゴは否定せず肯定もしない。ただ彼は右手で、冷たい硝子窓に触れただけだった。
「冬の海は確かに寒々しいし水も暗いが、空気が澄んでいるときの日の出はとても綺麗なんだ……それに退屈ってわけでもない。ルアー釣りすればちゃんと魚は釣れるし、良いスーツを着ればサーフィンだってできる」
 ハロルドはディエゴの横顔を見上げる。その口元にすうっと浮かんでいるのは、笑みだろうか。
 空気が澄んでいるときの日の出――その言葉を口にしたときの彼の、いくらか恍惚としたような口調が印象に残った。
 自分の頬が染まっていないか、今すぐ鏡で確認したいとハロルドは思う。
 どうして自分が彼のことを愛しているのか、今一度、確認した想いがする。
 死んだような黒い波間に、ちらちらと明け方の薄明かりが差し込んでいくところ、そうして海が、徐々に褐返色……彼の髪の色を帯びてゆくところが見たい。とても、見たい。
 けれどそれを口にするのは気恥ずかしく、また、口にしたとたん想いが、夢か幻のように消えてしまう気もして、ハロルドはあえて短く、こう告げたのである。
「これから見に行くきれいな海が楽しみです」
 ディエゴも多弁なほうではない。彼とて想いは幾重にも募っていたが、冬の海を見つめたまま、
「せっかくだから、今度の冬での海は何か遊びにでも出かけるか」
 と、短く返すにとどめたのだった。
 こととん、こととん、と列車の振動が伝わってくる。
 ハロルドとディエゴは、どちらからということもなく、無言で見つめ合った。



 ほんの小さなきっかけが突然、記憶の扉を開くことはあるものだ。
 このときクルセイドにとってきっかけとなったのは、何気なく手にした写真雑誌の特集だった。
 風景写真作品、あるいはその撮影技法を扱った月刊誌だ。普段、彼はあまりこういった雑誌を読まないので、劇場の控え室に投げ出されるように置かれた一冊をめくったのはまったくの偶然である。
 パラパラと読み流していたページのひとつ、ある一枚の写真にクルセイドの目が留まった。
 途端、彼の瑠璃色の瞳は、写しとられた光景に釘付けとなる。
 まるで、魔法にかかったかのように。
『朝焼けの浜辺に響く、宝石氷の演奏会』
 写真には、そんなキャプションが添えられていた。
 ――この光景……見憶えがある。
 かつて、フィオナと出会うより前に。
 もうじき冬が終わる。卒然として彼は気がついた。
 冬が終わればもう、この光景を直接目にするには一年もの長きを待たねばならないということに。
 急がねば。
 基本、冷静すぎるくらいに冷静なクルセイドが、このときばかりは呼吸する間すら惜しむようにしてフィオナ・ローワンの姿を探していた。

「……ジュエリーアイス、ですか? ええ、名前は存じてますわ」
 珍しいこともあるものだ。どこかに出かけるにしても、ネットや雑誌で下調べを十分にするなどしたうえで落ち着いて提案をするクルセイドが、このときばかりはいささか性急に、思いつきのようにフィオナに遠出の誘いをかけてきたのだった。
 ジュエリーアイスを見に行かないか、そう彼は告げていた。
「流氷の宴……そんな風に呼ばれることもある。極寒の冬に氷が砂浜に打ち上げられ、水晶のように光を反射するという自然現象だ。凍結した河口付近の氷、その一部が割れたものがいったん海を漂流することで流木のように戻ってくることで起こるものらしい。氷は、まるで演奏会のように音を立てるだろう」
 今のうちでないと見られないから、とクルセイドは言葉を重ねた。
「興味はあります」
 急な話すぎていくらか戸惑いがないわけではないものの、それはフィオナの素直な気持ちだ。
 良かった、というようにクルセイドは、瞳と同じ瑠璃色の長い前髪をかきあげた。
「ならば、見に行くのがいいな。私は、見たい」
 そのまま彼女の手を取って、走り出しそうなほど言葉に熱がある。
 彼にしては少し強引――フィオナは思った。
 けれどそんな彼を見るのも、決して悪いものではなかった。
 むしろ新鮮で、好もしいと感じる。

 日帰りできる距離ではなく、目的地まで赴くのに一泊を要した。
 そうして翌朝、それも、まだ明け切らぬ黎明の時間帯。
 白い息を吐きながらふたりは宿を後にしている。
 しばらくは、霜柱をブーツが踏む音しか聞こえない。
 本当にもう、春の足音が間近に聞こえる時期なのだろうか。まったくそんな気がしなかった。
 幸い風は強くないが冷え込みは厳しく、せいぜい岩が点在しているだけの荒涼とした海辺は、なにもかもが白と蒼に見えた。分厚い防寒をしてきたにもかかわらず、尖った寒さが肌を貫いて骨に突き刺さるようだ。この地のすべての空気には、目に見えぬ氷の結晶が混じっているのではないだろうか。
「それでも……」
 周囲を見渡して彼女は言った。赤毛をすっぽり覆う毛糸の帽子を手で直して、
「私たち以外にも、何人かいらっしゃいますね。見に来た方々が」
 ジュエリーアイスを見るのに最適の場所という話に間違いはないだろう。決して多くはないものの、フィオナとクルセイド同様に防寒服を着込み、やや背を丸めながら波打ち際を目指す姿がちらほらと見られる。
「そうだな」
 とうなずいて、クルセイドは行く手を指した。
「見えてきた」
 どこですか? ――と言いかけてフィオナは息を呑んだ。
 すでに到達していたのだ。
 なのにあまりに壮麗すぎて、脳が理解するまでにいくらか時間がかかったものらしい。
 それほどの絶景だったのだ。
 河から流れ着いた分厚い氷片が見える。無数に、海を埋め尽くすように。
 大海を包む霧の中に朝日が顔を出していた。昇りゆく日輪に照らされ、氷の表面は白と赤、そしてそのふたつの間にある、数え切れないほどの中間色に輝いている。
 高波に煽られて氷は不規則に、想像以上の速度で砂浜に打ち上げられていった。
 波は氷をぶつけ合っていた。そうしてつぎつぎと、透明な音を響かせるのである。
 妖精の呼び声のような、硝子製の楽器のような、すうっと空に昇っていく高い音。
「これが……クルセイドの言っていた氷の宴なんですね。まるで氷の演奏会……」
 フィオナは澄んだ緑色の目を輝かせていた。心が洗われていく。寒さも吹き飛ぶ思いだ。
 けれど、フィオナが寒さを忘れた本当の理由(わけ)は、
「なぜ、私をここに……誘ってくれたんですか」
 と問うたとき、クルセイドが、
「……二人で、この景色を見たかったからな」
 そっと告げて、肩を抱き寄せてくれたからだろう。
 肩に伝わってくるクルセイドの腕には、じわり染みわたるような暖かさがあった。

 



依頼結果:成功
MVP
名前:八神 伊万里
呼び名:伊万里
  名前:アスカ・ベルウィレッジ
呼び名:アスカ君

 

メモリアルピンナップ


エピソード情報

マスター 桂木京介
エピソードの種類 ハピネスエピソード
男性用or女性用 女性のみ
エピソードジャンル ハートフル
エピソードタイプ ショート
エピソードモード ノーマル
シンパシー 使用可
難易度 簡単
参加費 1,000ハートコイン
参加人数 4 / 2 ~ 4
報酬 なし
リリース日 02月15日
出発日 02月22日 00:00
予定納品日 03月04日

参加者

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