プロローグ
●
息が詰まる。吐き出しても吐き出しても、喉元を絞めつけられているように苦しい。
呼吸とは、どうするものだったか。
――吸って、吐いて、吸って。
それでもこの苦しみから解放されないのは、なぜだろうか。
後ろを振り向けば、おぞましい怪物が迫ってくる。何かを垂れ流し、何かを取り込み、何かを叫びながら。
あれは、何だ。どこか懐かしく、どこか不気味で、この心を深く抉ってくる『あれ』は。
「――……」
愛しい人の名を呼ぶ。彼女に縋ってしまいたいほど、弱くなってしまったのか。
怖い、苦しい、――寂しい。
孤独のまま、怪物に襲われるだけの世界。こんな無機質な世界、知らないはずなのに、妙な既視感があって。
もう一度、苦しまぎれに彼女の名を呟いた。怪物の手らしきものは、もう、俺の背を掴みかけようとしている……――。
●
一度沈んだはずの意識が、体ごと水面へ浮上するような感覚に襲われ、思わずあなたは目を開いた。
眼前に広がるのは、まるで幼児向けの絵本に出てきそうなほど簡略化された空と太陽。ぐるぐる巻きの真っ赤な太陽を見て、幼いころの記憶がよみがえりそうになる。
「ここは……?」
「――あなたの、夢の中ですよぉ」
体を起こし、声の方向へ目を向ける。そこには、角笛を片手に持つ羊飼いの青年と、ぬいぐるみのようなふわふわした毛並みを持つ羊が一頭佇んでいた。
夢、と言われて納得できる光景ではあるが、こんなにもはっきり意識がある夢もまた珍しい。あなたの訝しげな視線を受け取った青年は、それでものんびりと羊の頭を撫でた。
「あなたの大切な人の夢が、助けを求めているようでして。なんでも、怖ぁい悪夢に憑りつかれたとか」
大変ですねぇ、と他人事のような口ぶりだ。羊飼いの青年は、試すような視線をあなたに向ける。
「大切な人って、まさか」
「ふふ……さぁて、誰のことでしょうねぇ?」
「答えなさい、彼は今どこに……!」
『大切な人』――それに心当たりのあるあなたは、今にも掴みかからんとする勢いで青年に詰め寄る。
しかしあなたとは対照的に、青年は笑みを絶やさずマイペースだ。羊の毛並みを指先で梳きながら、まぁまぁと宥めた。
「『彼』の夢へ行くなら、この子に乗ればすぐですよぉ。でも……ほんとに行くつもりですかぁ?」
薄く開いた目が、あなたを捉えている。
偽りを口にしては、この夢からあっという間に覚めてしまう。そんな気さえした。
「悪夢とは、とても恐ろしいものです。あらゆる手段を用いて、心を壊しちゃうんです。そんなものがいるところに、ほんとに行っていいんですか? 勝てる相手でもないのに? 何故?」
今度は青年が詰め寄る番だった。
勝ち目のない強敵の前に、立ちはだかる勇気があるのか。問われて、それでもあなたはまっすぐに青年を見つめる。
「――行くに決まってるでしょう。だってわたしは、彼のパートナーだもの」
それを聞いた途端、青年はひとつ驚いて、すぐににんまりと笑みを濃くした。
傍らにいた羊が、あなたにすり寄る。メェ、と鳴いた羊は、首を振って自身の背を指した。
――乗れ、と。
「夢と夢とを繋ぐ星の道。分かれ道はありませんから、そのまま流れに乗っちゃってくださぁい」
「……ねぇ、あなたは」
「ぼくはただの羊飼いですよぉ」
行ってらっしゃい、と見送られる。あなたが背に乗ったのを確認した羊は、その言葉を合図に走り出した。
クレヨンで描かれた茶色の道を走り、飛ぶ。
乱雑に塗られた青色の空を越えた先に、あなたの大切なパートナーが、おぞましい怪物に追いつめられているのが見えた。
解説
精霊の夢の中に現れた『怪物』を、あなたが倒してください。
『怪物』とは、精霊が『恐れているもの』です。それは特定の人物かもしれませんし、オーガかもしれません。恐れているものなら何でもOKです。
精霊には立ち向かう術も力もない状態で、『怪物』に追いつめられています。壁際でも、崖っぷちでも、夢の中のシチュエーションは何でも構いません。
絶体絶命のピンチに、あなた――神人が現れる、という状況です。
『羊』は、あなたの夢から精霊の夢へと飛びます。事が終わるまではその場で待っていて、終わり次第あなたを元の夢に送り届けます。
※精霊の夢の中にいるまま目覚める、ということはありません。
精霊が『恐れているもの』を退治する際には、言葉でも、行動でも、利用できるものは利用してください。とにかく、精霊を助けてあげてください。
※羊を利用しても構いませんが、もふもふのぬいぐるみのようなものなので、物理的なダメージは期待できません。ふかふかしています。
※『恐れているもの』は明確に記載いただくと助かります。
※夢から覚めた後を書いていただいても構いません。(目覚めた後、精霊が神人に電話をする、一緒に暮らしているなら起きたときの反応等)
※個別描写になります。
※最近あまり寝つけないので、安眠グッズを買いました。300jr消費します。
ゲームマスターより
いつもお世話になっております、北乃わかめです。
久々に、女性側のエピソードです。
エピソードの内容とはまったく関連ありませんが、バレンタインが近いですね。
皆さまはどんなバレンタインを過ごすのでしょうか。わたしは友人宛のチョコだけになりそうです。
ぼっち、でも、寂しくないよ。
チョコレートは出てきませんが、どうぞよろしくお願いいたします。
リザルトノベル
◆アクション・プラン
リチェルカーレ(シリウス)
一度だけ幻の中に見たことのあるシリウスの故郷(依頼73) シリウス! 自分を見て 信じられないというように目を見開いた彼に飛びつく 氷のように冷たい体を抱きしめ 「かあさん」と 掠れた声に悪夢の正体を知る 震えながら それでも自分を守ろうとする腕を抜け 庇うように彼の前へ 嘘つき!貴女はお母さんじゃない! お母さんはシリウスを傷つけるようなことしない お父さんやお母さんを助けられなかったって 苦しんでいるシリウスの心に つけ込んだだけじゃない…! 悲鳴も上げられない 凍りついたような彼に涙が滲む インスパイアスペルを唱え 頬に口づけ 光の羽が消えるより先に 悪夢を浄化しようと両手を突き出す 目覚めたら彼に電話 ー大丈夫? うん 朝まで話そう |
ひろの(ルシエロ=ザガン)
こんなポップな夢、初めてだ。(移動中の感想 ルシェが怖がる夢……。私になんとかできるのかな。 「ぅ」悪夢だから、不気味?(洋館の感想 ホラー苦手だけど。ルシェ、探さなきゃ。(ぐっと手を握る 変な声が聞こえる。あれから逃げてるなら。あっち側に行ければ。 声の主は見つけた。束ねた赤い髪と、黄色い角はルシェに似てる。でも、ルシェはあんなじゃない。(振る舞いが そのままこっそりつけてたら、誰かいた。なんか若いけど、ルシェだ。 触られたらダメらしい。何か……。(壺を発見 走った勢いで、夢だから持てた壺を悪夢の主(たぶん)に叩きつける。「せいっ」 「夢なら、いいかなって」 「どう、いたしまして?」(でいいのかなと、首を傾げる |
八神 伊万里(蒼龍・シンフェーア)
そーちゃんの夢の中の見覚えがある人物 彼にそっくりなディアボロの男性、お父さんの黒龍さんだ 精霊に対する憎しみの言葉を聞きショックを受ける 精霊を庇うように立ち 黒龍さん、昔は家族であんなに仲がよかったじゃないですか あれは全部嘘だったんですか? そんなのそーちゃんがかわいそうです… そーちゃんはお父さんとは違うよ! 他の人への思いやりもあるし 何よりアスカ君とも仲良くなれた もしも私達に子供が産まれても、そーちゃんならきっと心からその子を愛することができる 私はそう信じてるよ だからそーちゃんも私のことを信じてほしい 手を取りじっと見つめる 夢の中とはいえすごいことを口走ってしまった気が… 私とそーちゃんの子供…(真っ赤 |
シエル・アンジェローラン(レーゲン・アーカム)
あぁ!レーゲンさんが今にも屋上から落ちてしまいそうです。 追い詰めてるのは…子供? レーゲンさんと同じ銀色の髪の男の子。 と、とにかくあの男の子を止めないと。 そこの少年、待ってください! 銀髪に蒼い瞳。あぁ、やっぱり同じじゃないか。 レーゲンさんですよね…少年時代、レーゲンくんです。 そんな風に厳しい目でみないでください。 貴方がいつまでもそんな風だからレーゲンさんは心穏やかになることが出来ません。 貴方が憎んで恨んで苛立ってずっとレーゲンさんを見つめているからレーゲンさんは幸せ顔を背けて生きてるんです。 だからどうか泣き止んで。 (少年を抱きしめる) |
●奪わせない
「こんなポップな夢、初めてだ……」
流れていく絵本のような光景を見てそう呟けば、ひろのを乗せる羊がメェと応えるように鳴いた。どことなく持っているポーチに似ているその姿には、マスコットのような愛嬌がある。
しばらく走っていると、やがて銀砂を散りばめたような夜空が一変した。深淵の闇に塗り潰されていき、後戻りできないのだと悟る。この先に、『彼』がいるのだ。
(ルシェが怖がる夢……。私になんとかできるのかな)
思い浮かぶ、ルシエロ=ザガンの姿。いつも背を支えてくれる彼が、恐れている『何か』。打ち勝てるかどうかなんてわからないのに。
それでもひろのははっきりと、行かなきゃ、と告げたから。
視界が開けていく。まるでスポットライトに照らされたように浮かび上がったのは、どっしりと聳え立つ洋館だった。羊が徐々に歩調を緩め、扉の前で止まる。
ひろのを招き入れようとしているのか、巨大な扉は甲高く軋みながら僅かに開いた。
「ぅ……」
幽霊やら吸血鬼やら、ホラー映画に出てきそうなほど纏う空気は不気味だ。
ひろのは、あまりホラーは得意ではない。むしろ叶うなら避けたいジャンルだ。足は縫いつけられたように動こうとしないし、指先の震えはおさまらない。
だけど。それでも。
「――ルシェ、探さなきゃ」
短く息を吐き、決意を声に出す。震えを、今だけは忘れて。冷たいドアを押してその隙間に体を滑り込ませた。
正面の螺旋階段がひろのを出迎える。真っ赤な絨毯が四方へと伸び、あしらわれた金糸はそれだけでも豪奢な物だと主張していた。
「――変な声が、聞こえる」
声、と呼ぶにはいささか違和感があるそれは、何かを嘲笑っているように聞こえた。
悪夢か、と見当をつける。ルシエロが、あの声から逃げているならば。あの声の主を恐れているならば。
ひろのは無心で駆け出した。
***
少し、時間を遡る。広い洋館の中で、ルシエロは息を切らしながら廊下を走っていた。
どういうわけか幼くなってしまった体はかなり不自由で、いつもよりスピードが出ていない。成人前――十五歳くらいだろうか。忌々し気に小さくなった手のひらを見た。
荒い呼吸もそのままに、ちらりと後ろを見やる。そこには人型の、自分と同じ赤い髪を靡かせた『何か』が追いかけてきていた。
『そんなに大事か? ならば消してやろう、喰ってやろうなあ』
下卑た笑みを浮かべるそれは、この鬼ごっこを楽しんでいるようだ。わざと一定間隔をあけて、追いつくことも見失うこともない。逃げ惑うルシエロを見て嘲笑っている。
ルシエロは迷わず走っていた。飾られた絵画や彫刻の数々に、本来の使い方など一生されないだろう花瓶や壺や置物。ここは、ルシエロの実家によく似ていた。
一体なぜこの場所にいるのか。混乱する頭を整理する間もなく追ってきたそれは、口を歪めて笑っていた。
『ははは、そぅら逃げろ。最後に触れば勝ちだからさあ』
随分と悪趣味な思考をしているらしい。走っている途中でその姿を二転三転して、『あれ』は形を定着させた。
赤い髪はひとつに束ねられ、自分と似た形をした黄色い角。その容姿は、ルシエロの父親と酷似していた。
(ヒロノの記憶を消されて堪るか)
ルシエロは怪物を撒いて、とある一室のクローゼットの中に身を隠した。怪物はなおも、嗤いながらルシエロを探している。
『美味いだろうなあ、その想いは。どんな顔を見せてくれるだろうなあ』
奪われたくない、大切な想い。ルシエロは怪物の言葉に歯噛みした。父親の声がふと思い出されて、きつく体を抱きしめる。
遠ざかり、聞こえなくなった化け物の声。ひとつの場所に留まるのは得策ではないと、ルシエロはクローゼットから出た。この屋敷から出る方法を見つけなければ。
そう思って、柔いカーペットに降りると。
『見ィーつけたあ』
「!」
開けっ放しのドアのところに、怪物が立っていた。息を呑んだルシエロだが、すぐさま部屋の窓へ駆け寄る。しかしそこにはなぜか鍵がなく、はめ殺しとなっていた。
怪物はゆったりとした歩調で近づいてくる。獲物を嬲るようなその行動に、ルシエロは毅然とした態度で睨みつけた。どうすれば現状を打破できるか。少しでも希望を見出そうと、頭をフル回転させる。
すると、ここにいるはずのない人影が遠くに見えた。
(――ヒロノ……!?)
父の姿をした怪物の肩越しに見えた、奪われたくないもの。なぜここに、そんな疑問が頭をよぎる。守らなければ、そう思って思わず駆け出そうとした――刹那。
「せいっ」
がっしゃあん。盛大な音を立てたそれは、廊下に飾られていた壺、だったもの。脳天に叩きつけられた怪物は、見るも無惨に潰れていた。
ふう、と一息つくひろの。呆気にとられたルシエロだが、危機は去ったのだと理解する。
「……豪快だな」
「夢なら、いいかなって」
悪気のないひろのの言葉に、ルシエロはふっと笑った。
粉々に砕け散った壺の破片を踏み砕いて、ひろのの傍へ近寄る。体が若いせいか、いつもより視線が近かった。
「ありがとう。助かった」
「どう、いたしまして?」
言いながら首を傾げるひろの。それを見て、ルシエロはやはり奪われがたいなと実感したのだった。
●信じてる
真っ黒で、まるで自分の指先すら見失ってしまいそうなほどの暗闇の中。蒼龍・シンフェーアは、薄明りの中浮かび上がった一人のディアボロの男性と対峙していた。
いや、対峙とは言い難い。蒼龍は男の前で、自らの体を抱きしめて座り込んでいた。男は責め立てるような冷たい視線を蒼龍に向けている。
『――我が子という理由で星蘭の愛情を一心に受けていたお前が憎い』
這うような声で男が口にした名前は、蒼龍の母の名だった。男の目はギラギラと鈍く光り、隠そうとしていない嫉妬心が垂れ流されている。
(父さん……)
男――蒼龍の父・黒龍は、星蘭を愛していた。周りが見ても仲睦まじい夫婦であったが、それは二人の間に子どもが生まれたことによって一変した。
星蘭は、生まれた蒼龍にめいっぱい愛情を注いだ。それは母親として、至極当然の行為だった。
だが、黒龍は認められなかったのだ。すくすくと育っていく蒼龍に、愛した人を独占されることが。自分にだけ向いていた愛の矛先が、いつしか違う方向へ向いてしまったのが。
『お前を可愛いと思ったことなど、お前が生まれてから一度も無い』
氷柱のように冷たく突き刺さる言葉。蒼龍はそれを振り払うこともできず、ただただぶつけられるままだ。
蒼龍には、彼を否定できるだけの言葉がなかった。
「――そーちゃんっ!!」
暗闇を打ち払うような声に、蒼龍は顔を上げる。そこには、今まさに羊の上から降り立った八神 伊万里の姿があった。
今までの黒龍の言葉を聞いていたのだろう。庇うように蒼龍の前に立った伊万里は、悲痛な表情で黒龍を睨みつけた。
「黒龍さん、昔は家族であんなに仲がよかったじゃないですか! あれは全部嘘だったんですか?」
黒龍はゆっくりと伊万里に視線を向ける。
『そうだ、それを愛してなどいなかった』
「っそんなの……そーちゃんがかわいそうです……!」
断言された言葉に、伊万里が顔を歪める。今にも泣きだしてしまいそうな顔で、胸の前で組まれた手は震えていた。
自分を想ってくれる伊万里の言葉が、蒼龍は素直に嬉しかった。だが、黒龍は消えない。蒼龍は気づいていたのだ、なぜ実の父親なのにあのようなことを言ってくるのか。
「違うよ、イマちゃん」
徐に首を振る。振り返った伊万里は、うつむく蒼龍を見つめた。
「父さんが怖いのは、愛されなかったからじゃない。……彼が僕にそっくりだからだ」
愛を得られなかったことが、つらかったのではない。
黒龍から向けられる視線にはいつも、嫉妬の感情が渦巻いていた。黒龍は星蘭を強く愛していたがゆえに、他の誰も愛することができなかった。自分の愛情をすべて、星蘭に向けることしかできなかったのだ。
それはとても、自分に似ていると。蒼龍は心のどこかで感じてしまっていた。
「僕もいつかこうなるんだ……イマちゃんの周りの全てに嫉妬して……」
ぎゅう、と自らの肩を抱く。
伊万里を心の底から愛しているから、それを止めることができない。自分だけを見てくれるように、閉じ込めてしまいたくなる。
蒼龍はそれが、自分の中にある父親と同じ嫉妬心が、怖かった。
だが、今にも沈んでしまいそうな蒼龍の心を、まっすぐな伊万里の声が引っ張り上げた。
「――そーちゃんはお父さんとは違うよ!」
「え……」
「他の人への思いやりもあるし、何よりアスカ君とも仲良くなれた。もしも私達に子どもが産まれても、そーちゃんならきっと、心からその子を愛することができる」
蒼龍と視線を合わせるようにしゃがむ。不安げに揺らぐ蒼龍の瞳の中でも、伊万里は揺るがぬ心でそこにいた。
疑う気持ちなど微塵もない。伊万里は知っているからだ。もう一人の契約精霊とだって、蒼龍は打ち解けることができた。歩み寄ると、言ってくれた。伊万里の意思を尊重してくれた事実が、そこにある。
「……ホントにそう思う?」
「私は、そう信じてるよ。だからそーちゃんも、私のことを信じてほしい」
蒼龍の前に差し出された手のひら。この暗闇から救い出してくれる、確かな希望。
触れてみると、優しいぬくもりがそこから伝わってきて。蒼龍は自然と、顔を綻ばせる。
「うん……イマちゃんがそこまで言うなら、僕も信じるよ」
――キミが好きでいてくれる自分になれるように。
そう決意した蒼龍が気づいたときには、黒龍の姿は跡形もなく消え去っていた。途端、視界がまばゆい光に包まれる。伊万里は蒼龍に手を振って、羊の背に飛び乗った。
目を開けた蒼龍は、視界が少し滲んでいることに気づいた。夢で見た伊万里の姿と声が反芻される。
(……イマちゃんの夢、見ちゃった。もう少し、寝てたかったな)
自分を想ってくれた伊万里。それがたとえ夢だったとしても、蒼龍は許された気がしてたまらなかった。
自分の夢へと向かう羊の背の上で、伊万里は熱を持つ頬を両手で押さえていた。今さらになって、勢いとはいえ随分と大胆な発言をしてしまったと羞恥心が襲ってきたらしい。
(私とそーちゃんの子ども……)
自慢の毛並みをぽふぽふされようとも、羊はのんきにメェと鳴いた。
●泣かないで
超高層ビルの屋上に、レーゲン・アーカムは立っていた。空は快晴。穏やかな風が流れている。生き物の声は聞こえない。
視線だけ背後に向けると、数歩離れた場所に銀色の髪の少年がいた。あおい瞳。自分とよく似た姿に、レーゲンは眉をひそめた。あれは、自分だろうか、と。はっきりと瞳の色がわからず、よく似た弟と判別がつかなかった。
(苦しい。……息が、できない)
黙して、ただこちらを見つめる少年。その瞳に見つめられると、何も発せなくなってしまう。喉元を絞めつけられているような、そんな感覚。
少年が一歩、前に踏み出した。レーゲンも、同じように一歩進む。屋上に柵はなく、あと数歩で真下が見えてしまうだろう。それに対する恐怖などは、無いのだが。
憎んでいるように見えた少年の瞳。レーゲンはむしろ、安堵すら感じていた。
(あの日の自分はずっと俺を憎んでるんだ。……いや、憎んでいてほしい)
両親がオーガに殺された日。今でも鮮明に覚えている。子どもだったからと割り切れないほどの後悔が、日夜レーゲンを苛んでいた。
助けられなかった。もっと強ければ、違う未来があったかもしれない。自分の弱さが招いた事態だ。自分たちだけが助かってしまった。兄、なのに。
(弟は俺を責めない。『仕方なかった』と前を向き、俺の前を歩いていく)
思うことはあるだろうに、何も言わない弟が、理解できなかった。いっそお前のせいだと屹ってくれたならと何度思ったことか。
弟はレーゲンと違い、今を生きようとしている。好きなことを見つけて、楽しもうとしている。では、自分はどうだろうか?
少年が一歩進んだ。レーゲンも、一歩。
(――怖い。俺はあの日に囚われているのに、あいつは一人で歩いていく)
両親を殺したオーガを憎んだ。もっと強くならなければと心に決めた。そのためには、余計なものなど排除した。そうしなければ、壊れてしまいそうだったのだ。何よりも、自分自身が。
(俺が俺を責めなくなったらどうなる? 本当に仕方なかったことになってしまうだろう?)
――それが、一番怖いのに。
一歩、一歩。同じように進んで辿り着いたそこは、あと一歩で真っ逆さまに落ちてしまうだろうギリギリの場所で。それでも心は落ち着いている。何も感じず、立っている。
眼下には底知れぬ闇が広がっていた。何かを叫びながら、真っ黒な手がこちらに向けて手招きしているのが見える。
最後の一歩を、踏み出そうとして――
「――そこの少年、待ってください!」
ぴたり、と動きを止める。最近聞き慣れた声だが、なぜこんなときに聞こえてきたのか。
体ごと振り向くと、少年のすぐ傍まで走ってきた彼女――シエル・アンジェローランの姿が見えた。
「あぁ、やっぱり……! レーゲンくん、ですね」
シエルは乱れた息を整え、膝をついて少年と向き合う。レーゲンくんと呼ばれた少年は、突如現れたシエルを睨む。邪魔をするな、と暗に言われている気がしたが、シエルはふるふると首を振った。
「そんな風に厳しい目で見ないでください。あなたがいつまでもそんな風だから、レーゲンさんは心穏やかになることができません」
言い聞かせるような、やわらかい声だった。固く握られた少年の両手をとり、包み込むように自身の両手で握りこむ。
離れているはずのレーゲンの両手も、ほんのり熱を持って。レーゲンは不思議そうに手のひらを見つめる。
「あなたが憎んで、恨んで、苛立って、ずっとレーゲンさんを見つめているから、レーゲンさんは幸せから顔を背けて生きてるんです」
少年はうつむく。銀色の髪の隙間から見える頬には、一すじの道が出来ていた。そこを滑る雫は、とめどなく両手を包むシエルの手に落ちていく。
肩を震わせ、それでも声は出なかった。嗚咽すらも。それが少年の、レーゲンの不器用さなのだろうとシエルは感じ取る。
どこかで、幸せになってはいけないと思っていたのだろう。両親を守れなかった呵責から逃れるすべを見つけられず、ひたすらに自分を傷つけてきた。本当は、苦しいと叫んでいたのに。
「だからどうか、泣き止んで」
シエルはそっと、その小さな体を抱きしめた。悲しいことも、つらいことも、今だけは忘れてほしいと願いながら。
少年が光をまとっていく。その眩さに、レーゲンは堪らず目を瞑る。シエルが、良かったと微笑んでいた気がした。
まだ、日が昇り始めた時分。レーゲンは見慣れた天井を見上げていた。頭はまだはっきりと回らないが、夢の内容はやけに鮮明に覚えている。
何故、一瞬でもシエルのことを思い浮かべてしまったのか。
何故――幸せなんていらないと、否定してしまえないのか。
答えなんて出てこなかったが、いつもより胸の内が軽い気がして、レーゲンは自嘲気味に笑みをこぼしたのだった。
●守りたい
息を吸っているのか、吐けばいいのか、それすらもわからなくなっていた。
なぜ、ここにいるんだ。目の前の化け物は、一体何だ。シリウスは視界に飛び込んでくる情報をまとめられないまま、呆然と立ち尽くしていた。
赤い、赤い部屋。それが飛び散った血液によるものなのか、燃え盛る炎に取り囲まれているせいなのか、はたまた両方によるものか。忘れられない幼い頃の記憶と重なって、シリウスは苦い顔をする。鼻をつく異臭、こみ上げる吐き気を必死に抑え込んだ。
『……ドウシテ逃ゲルノ?』
目の前に立ちはだかるそれが、シリウスに問いかける。ずるずると部屋を這う大蛇の体にくっつく、母親の上半身。オーガに襲われたあの日と、同じ姿。
光の失せた目と、抑揚のない声。その声に覚えなんてないはずなのに、頭のどこかでこれは母の声だと何かが叫んでいた。はっきりとした否定ができず、その化け物を見上げる。
青白い顔に、血のように赤い唇が弧を描く。徐に近づいてきた細く冷たい指は、シリウスの首に絡みついてきた。視線は虚ろな目で固定されて、腕も足も全く動いてくれない。
息はまだ荒く。ぐ、と込められる化け物の指先に、顔をしかめた。このまま、殺されるのか、なんて漠然と考えて。
「――シリウス!」
一瞬のことだった。声に導かれて向けた視線の先にいた彼女が、勢いそのままに飛びついてきたのだ。雪崩れるように床に倒れる二人。化け物が彼女――リチェルカーレを睨みつける。
なんで、と目を見開くシリウス。その氷のように冷たい体を、必死に抱きしめた。炎に囲まれたこの場所でも、こんなに冷たいなんて。自分の体温を分け与えるように強く強く抱きしめるのに、シリウスは震えたままだ。
『コッチニオイデ、シリウス。母サンガ、チャント殺シテアゲルカラ』
化け物がのそりと距離を詰める。その目がリチェルカーレを捉えていることに気づき、シリウスは心臓が握り潰された心地になった。
伸ばされた化け物の腕が、大切なものを奪おうとしている。そんなことを、許してなるものか。シリウスは早鐘を打つ心臓も知らないふりをして、リチェルカーレを抱きしめた。
「やめて、くれ……っ、俺はいいからッ、リチェだけは……!」
詰まる言葉も気にせず、化け物に向かって叫ぶ。これ以上なくしたくないという思いが、リチェルカーレにも痛いくらい伝わってきた。
自分の体を守るように包むシリウスの腕は震えていた。それでもなお、自身を鼓舞してまで立ち向かおうとするシリウス。
そんな彼に、自分ができることはなんだろう。この悪夢を振り払うには、どうすればいいだろう。リチェルカーレはシリウスの腕に触れた。この震えを止めてあげるには、どうすれば。
呼吸を、ひとつ。するりと彼の腕を抜け、シリウスを庇うように化け物に向き合う。
「嘘つき! 貴女はお母さんじゃない!」
リチェルカーレの鋭い言葉が辺りに響いた。
「お母さんは、シリウスを傷つけるようなことなんてしない。お父さんやお母さんを助けられなかったって苦しんでいるシリウスの心に、つけ込んだだけじゃない……!」
家族のあたたかさは、リチェルカーレも知っている。シリウスの過去の全てを知っているわけではないが、彼がどれほど家族を大切に想っていたかはわかる。
そんなシリウスの優しい部分を殺そうとするこの化け物が、何よりも許せなかった。
悲鳴も上げられず、痛々しいまでのシリウスの姿に涙が滲む。だけど、まだ泣かない。彼を傷つけるこの悪夢から、守らなければ。
――「この手に宿るは護りの力」
祈るように唱えて、シリウスの頬に口づける。広がるあたたかな風と光が、彼を苛むこの部屋の業火を吹き飛ばした。二人の周りを守るように、たくさんの光の羽が舞う。
「私の大切な人を、これ以上傷つけないで」
悪夢を浄化しようという一心で、両手を化け物へ向けて突き出した。リチェルカーレの声に呼応するように、羽が一層光を増す。
目が眩むようなその光に、化け物は声とも呼べぬ音を発しながら消滅したのだった。
羊に送り届けられ、リチェルカーレは自分の部屋で目覚めた。まだ夢見心地だが、傍らに置いてあった携帯で電話をかける。
「――大丈夫? シリウス」
数回コールが鳴り、彼が出た。か細い声で、電話越しに名前を呼ばれたのがわかった。吐き出された息は震えていて、浅い呼吸を繰り返している。
もう一度名前を呼ぶと、少し落ち着きを取り戻したらしい彼の声が聞こえた。
「……頼む、もう少しだけ……声を、聴かせて」
「うん。朝まで話そう。あのね――」
他愛ない話をした。楽しかったこと、面白かったこと、それ以外も、たくさん。
きっと今日は、天気がいいから。彼の体をあたためてくれると信じて。
日が昇り、羊は眠りにつく。
あたたかな愛で、おなかは満たされた。
おやすみ、また夢で。
依頼結果:大成功
MVP:
エピソード情報 |
|
---|---|
マスター | 北乃わかめ |
エピソードの種類 | ハピネスエピソード |
男性用or女性用 | 女性のみ |
エピソードジャンル | シリアス |
エピソードタイプ | ショート |
エピソードモード | ビギナー |
シンパシー | 使用不可 |
難易度 | 簡単 |
参加費 | 1,000ハートコイン |
参加人数 | 4 / 2 ~ 4 |
報酬 | なし |
リリース日 | 02月04日 |
出発日 | 02月10日 00:00 |
予定納品日 | 02月20日 |
参加者
- リチェルカーレ(シリウス)
- ひろの(ルシエロ=ザガン)
- 八神 伊万里(蒼龍・シンフェーア)
- シエル・アンジェローラン(レーゲン・アーカム)
会議室
-
2017/02/09-16:14
遅くなりましたっ。よろしくお願いします!
-
2017/02/08-23:36
-
2017/02/08-15:56
-
2017/02/07-21:40