泡沫フェアリーテイル(柚烏 マスター) 【難易度:普通】

プロローグ

 ――さあさあと、寄せては返すのは海の波。耳をくすぐるのは、そんな心地好くも懐かしく、そして微かな切なさを孕んだ音だった。
 この身を横たえる水は、ひんやりとしつつも優しくて。燃えるような茜色に紫が入り混じった空の彼方には、今まさに鮮やかな夕陽が沈んで行こうとしている。
(ああ、あの果てではきっと、空と海が混じっているのだ――……)
 きらきらと終わりの光を受けて海面は輝き、手ですくえば宝石が零れ落ちてきそうなほど。そんな昼と夜のはざまのほんの僅かな時間、『彼女』は『彼』とひとときの逢瀬を楽しむことが出来た。
 彼の語る話に耳を傾けたり、一緒に海を泳いだり。時には岩場に腰掛けて、のんびりと沈む夕陽を見つめてみたりもして。
 そうする内に、いつしかふたりは――互いをかけがえのない存在だと感じるようになっていた。ほんの僅かな時間でもいい、けれどずっとこの時が続けば良いのにと。
 ――しかし、終わりのときはやって来た。優しい魔法が解けて、ふたりは離れ離れになってしまう。
(そう、私とあなたは、一緒にはなれないもの……)
 彼女が顔を伏せたその先で、魚の尾がぱしゃんと水飛沫を立てた。そう、『彼女』は海の底に住まう人魚で。そして『彼』は、地上に暮らす人間だった。
『地上の人間と言葉を交わしてはいけない』――その掟を守ることで、彼女は彼と出会うことが許された。けれどそれも、今日でお終い。彼女は海の底の人魚の国へと帰り、二度と地上へは戻れないのだ。
(……でも、最後に……)
 ――彼に、想いを伝えようかとも思う。だけれど、自らが声を発すれば、掟を破った彼女は海の泡となり消えてしまうだろう。
 彼はそんなことを、望まないのかもしれない。それでも――ただ一言、好きと言う言葉を伝えられたのなら。その声は彼の中で、永遠になれるのかもしれなくて。
(……あ)
 じゃり、と砂を踏む靴音が聞こえる。彼が、やって来た――最後のときが、訪れたのだ。

 ――これは聖地フィヨルネイジャが見せる白昼夢。
 人魚姫と彼女に恋した男性の、或る終わりの物語。

解説

●今回の目的
聖地フィヨルネイジャでの不思議な試練を乗り越え、パートナーと絆を深める。

●ふたりの試練
聖地を訪れたウィンクルムの皆さんは不思議な現象に巻き込まれ、白昼夢の世界に迷い込みます。其処では神人さんは『人魚』に、精霊さんは『地上の人間』になり絆を育みますが、ふたりが一緒に居られる最後の時がやって来ました。最後の時、ふたりはどうするのか……と言う試練です。

●お二人の設定
・神人さん……海の底に暮らす人魚です。『地上の人間と言葉を交わさない』ことを条件に地上に向かうことを許され、其処で精霊さんと出逢い仲を深めます。しかし別れの時がやって来ました。掟を破って声を出してしまうと、人魚は泡となって消えてしまいます。それでも最後に想いを伝えるか、それとも言葉以外で何かを伝えるかが問われます。
・精霊さん……地上に暮らす人間です。人魚と出逢い、彼女に惹かれていきました。ふたり一緒に居られるのがこれで最後なのだと、気付いていても気付いて居なくても構いません。けれど神人さんの想いにどう応えるのか、彼女が居なくなってしまうとどうなるのかなど、お伝え下さればと思います。

●補足
不思議な現象は数時間で自然と収まります。ふたりの別れは避けられません。自然にお別れをしても、泡となって消えてしまっても、この現象を通して親密度が上がれば成功になります。

●参加費
フィヨルネイジャへ向かう準備やら色々で、一組300ジェール消費します。

●お願いごと
今回のエピソードとは関係ない、違うエピソードで起こった出来事を前提としたプランは、採用出来ない恐れがあります(軽く触れる程度であれば大丈夫です)。今回のお話ならではの行動や関わりを、築いていってください。

ゲームマスターより

 柚烏と申します。お久しぶりのエピソードは、フィヨルネイジャでの白昼夢となります。ちょっぴり甘く切ない、お伽話のようなシチュエーションになった時、おふたりはどのような結末を選択するのでしょうか。
 ハッピーでも切ない感じでも、ぜひウィンクルムの皆さんならではの結末を紡いでいただければと思います。どシリアスでもコメディでも大丈夫ですよ! それではよろしくお願いします。

リザルトノベル

◆アクション・プラン

リチェルカーレ(シリウス)

  柔らかく細められる翡翠の双眸を切なく見つめる
彼がこんなにも優しい顔をするなんて 誰が知っているだろう
こんなにも好きになるなんて思わなかった
少しでいい 地上の人と仲良くなりたかっただけなのに

会えなくなるのは嫌 …離れるのは嫌なの

泡になっても構わない
空気に溶けて 風になって
彼の側にずっといられたらー

そう思って開いた口を 大きな手で塞がれて瞬きをひとつ
(…知っていたの?)
ぽつぽつと紡がれた言葉に涙が溢れる
彼に抱きついて何度も頷く

時間になり 陸から離れようとして
響いた水音に振り向く
慌てて彼の隣りに 
告げられた言葉に一拍遅れて泣き笑い

最後に愛しい人の顔を見る
(ずっとまってる) 
唇の動きで告げて 彼にキス

…愛しているわ


クロス(オルクス)
  ☆心情
(あぁ、もう、時間が無い…
この時を逃したら気持ちを伝える事はおろか…
なら最期位は声を出して伝えたい…!
例えこの身が泡となって消え様とも…!)

☆行動
・最初は口パクで話すが別れの時に声を出す
『オルク!
ううん、今来た所だから平気だぞ
(暫く世間話をする)
……なぁオルク、もし俺が泡になって消えたりしたら、どうする?
繋ぎ、止める…?(指輪を左手薬指に』

「…お、るく……(涙ぐむ
あり、ありがとう……っ(涙
俺、オルクと出逢えて良かった
でもね、それも今日で終わり…
俺は声を出さない事を掟に来た人魚
だが俺は掟を破った
掟を破った人魚は泡となって消える…
オルク御免、有難う(泣微笑
愛してる…幸せに、ね…(綺麗な笑顔」


ハロルド(ヴェルサーチ・スミス)
  綺麗な人に出会ったと思ったら男の人でした
驚愕、地上っていうのは凄いところですね
でもヴェルサーチさんは私に驚くでもなく追い返す訳でもなく、ただ当たり前のようになんでもないような話を聞かせてくれます。
ともすれば彼の方が変な存在かもしれないと思いましたが楽しいです。

だからこそ、話せないのが辛いです
私も海の中の話をしたり、気さくに接してくれるお礼が言いたい…何より、そろそろお別れしなければいけない時が来ていることを伝えたい。
言わなければ彼は1人で海で待ち続けるんじゃあないかなって。

初めて出来た地上の友達
私は最後に振り返って笑顔で手を振ります
「さようなら!」
この日々を覚えていてくれる限り私は生きている。


ミミ(ルシード)
  言葉で気持ちを伝えたい
…でも泡になるのも怖い
私はどうしたらいいんだろう…

気持ちの整理がつかない
一緒にいるのに沈みがちな表情

心配かけちゃった…これじゃ駄目だよね
彼の中の最後の私がこんな暗い顔なのはいや
笑顔の私を覚えていて欲しい

精霊に向けて微笑む
少しぎこちないが一緒に過ごすうちに固さが取れる

そろそろ帰らなきゃ
これで本当に最後、だから…
精霊の手を取り頬に
この手の暖かさ、私は絶対に忘れない

潜りながら最後に一度振り返
水越しに見える精霊の赤い顔に自分の顔も赤くなりつつ

今まで言葉を交わさなくても想いは通じ合ったのだもの
もう直接会えることはなくても…想い続ける事はできる
海の底から貴方の幸せをずっと祈っています


オンディーヌ・ブルースノウ(エヴァンジェリスタ・ウォルフ)
  明日、顔も知らぬ男へ嫁ぐ
それに疑問はなかった
彼に出会うまでは

立場を考えれば、想いを伝え泡と消えるのは叶わぬ事
ならばせめて彼を愛した証を残したい

痛みを堪え剝ぎ取る鱗
以前彼に贈られたショールを腰へ巻き傷を隠す

鱗をネックレスに仕立て
別れ際に彼の首へ
記憶に留めて貰えるなら本望
そう自分を欺き別れ

突然の激情に想いを止められない
…わたくしの名はオンディーヌ
名を告げて
ずっとお慕い申し上げておりました、貴方を

最期の時が近づく
想い人を置いていかねばならない現実に胸が軋む
反面、告げぬはずの言葉を、想いを、口にできた喜びに胸が震える

どうか覚えていて
けれど早く忘れて幸せになって
相反する心

最後に言葉にするのは貴方の名前


●一期一会の友情
 波の音が夢へと誘い、いつしか現と幻の境は曖昧になっていく。水平線の彼方に夕陽が沈み、世界の果てで空と海が溶け合って――やがてぱしゃりと水面に顔を覗かせるのは、ひとに恋した人魚の姫君だった。
 ――これは、夢。それなのに彼女の胸を満たすのは、焦がれた地上で出会った男性への思慕。想いは溢れて止まらないのに、それを伝える術は無いばかりか、間もなくふたりには永遠の別れが訪れる。
 終わりの運命は変えられない。だとすれば彼らは、この物語にどんな幕を下ろすのだろう――。
「違う方の精霊だと思いました? 残念! ヴェルサーチ・スミスこと、さっちゃんでした!」
 突如あらぬ方向を見て、キュートなウインクを決めたのはヴェルサーチ・スミス。聖地フィヨルネイジャの白昼夢の中であろうと、彼は絶賛通常営業中のようだ。
(綺麗な人に出会ったと思ったら、変人……いや、男の人でした)
 そんな彼を生暖かい目で見つめつつ、人魚となったハロルドは波に乗ってそっと、いつもの岩場に腰掛ける。地上のことはよく分からないが、皆が皆こんな人間ではあるまい――取り敢えずワンピースのナース服は、男性が着るものでは無い筈だ。
 嗚呼、地上とは凄いところだったと、既に半分くらい疲れた様子でハロルドが溜息を吐いていると、其処へヴェルサーチがスキップしながら近づいて隣に座り込んだ。
(でも、ヴェルサーチさんは私に驚くでもなく追い返す訳でもなく、ただ当たり前のように、なんでもないような話を聞かせてくれるんですよね)
 そんな彼は鼻歌をうたいながら、好き勝手にハロルドのピンクブロンドの髪を編んでくれたりして。きっと妹がいたらこんな感じなのかと考えつつ、ヴェルサーチはとりとめのない話を続ける。
「人魚にはあまり良いイメージないんですけどね。誰かと見る海っていうのは良いもんですねぇ」
 ――一日の終わりの僅かなひと時を、彼は何気に気に入っていた。まさか人魚のハロルドが、ヴェルサーチの方が変な存在かもしれない、などと思っていることには気づいていないだろうけど。でも――。
(……ここのところ表情が暗い)
 最近のハロルドの思い詰めた様子に、彼はとっくに気付いていた。彼女との時間が終わると、必ず笑顔で手を振って挨拶をして別れるのに、何故だかその笑みがぎこちないのだ。
 それでも、あちらさんにも事情があるのだろう、と彼は敢えて疑問を口にはしなかった。例えば、会える時間が取れなくなっているとか――そんな風に思っていたのだが、ハロルドの抱える事情はもっと深刻だったのだ。
(話せないのが、辛いです……)
 人魚の掟で、彼女は言葉を口にしてはならなかった。口にすればその身は海の泡となり、跡形も無く消えてしまうから。
(私も海の中の話をしたり、気さくに接してくれるお礼が言いたい……何より)
 ――そろそろお別れしなければいけない時が来ていると、自分の口からはっきり伝えたい。もし言わなければヴェルサーチは、ひとりずっと海で待ち続けると言う予感があった。
「――、っ」
 覚悟を決めてハロルドが顔を上げると、其処にあったのはヴェルサーチの優しい顔。深呼吸をひとつしてから、彼はハロルドの肩をぽんぽんと叩いて――自分にも言い聞かせるようにそっと言葉を紡ぐ。
「私の住むところの諺でね、一期一会って言葉があるんですよ。……縁ってのは必ず別れがやってくる、だからこそ今と思い出を大切にするんです」
 初めて出来た、地上の友達。彼はハロルドの葛藤を見抜き、間もなく訪れる別れを予感して、この言葉を贈ってくれたのだろう。ならば自分も今を大切に、いつも通りの笑顔でさよならをしよう。
 ――水平線に夕陽が沈むころ、ハロルドは魚の尾を揺らして海へと還る。そして最後に一度振り返って、彼女は地上で見送るヴェルサーチに笑顔で手を振った。
『さようなら!』
 人魚の友人との日々を、ヴェルサーチは忘れない。
 そして彼が、その思い出を覚えていてくれる限り――ハロルドは、ヴェルサーチの心の中で生き続けるのだ。

●いつか君と出逢うために
(こんなにも、好きになるなんて思わなかった)
 銀青色の髪から雫を振りまいて、リチェルカーレは地上で待つ愛しいひとの元へと向かう。白い砂浜の波打ち際で、いつも通りに彼は待っていて――そしてリチェルカーレの尾が傷つかないように、優しく手を差し伸べて身体を抱きかかえてくれた。
(少しでいい、地上の人と仲良くなりたかっただけなのに)
 そっと見上げる彼――シリウスの表情は一見不機嫌そうに見えるけれど、その翡翠の双眸が柔らかく細められる様子にリチェルカーレはどきりとして、同時に微かな切なさを覚えてしまう。
 ――彼がこんなにも優しい顔をするなんて、誰が知っているだろう。自分が言葉を交わせない分、リチェルカーレはシリウスの表情や仕草のひとつひとつを見つめて、彼の姿を確りと瞼に焼きつけようとしていた。
(ずっと、こんな日々が続けば良いのに。今日で最後だなんて……)
 鮮やかな夕焼けは、次第に夜の薄闇へと取って代わられる。ふんわりとした笑顔でリチェルカーレは微笑もうとするも、自分が上手く笑えている自信がなかった。そしてその様子は勿論、シリウスにも手に取るように分かっていて――。
(子どものように無邪気に明るかった瞳が、少しずつ陰ってきたのはいつからだったろう)
 逆光でその表情が隠れていても、リチェルカーレが今にも泣きそうだと言うことを改めて感じ取り、シリウスはここ数日の出来事を思い起こしていく。
 彼女の陰っていく瞳の理由が知りたくて、人魚について調べて――そして、その訳を知った。
(会えなくなるのは嫌、……離れるのは嫌なの)
 彼の前で切なげに揺れるのは、海のような碧の瞳。非情な人魚の掟に縛られ、リチェルカーレが命がけで自分に逢いに来てくれていたこと。そして――。
(泡になっても構わない。空気に溶けて、風になって、彼の側にずっといられたら――)
 震えながら開かれようとしていた愛しい人魚の唇を、その時シリウスは己の手で塞いだ。
「……何も言わないでくれ。言葉を話すと、お前は消えてしまうんだろう?」
(……知っていたの?)
 耳元で囁かれた彼の声に、リチェルカーレは思わず目を見張る。その様子に微かに苦笑しつつ、シリウスはこつんと額を合わせて――やがて絞り出すような声で告げた。
「……頼むからそんなことをしないでくれ。会えなくなるのは、俺だって嫌だ」
 だけど、お前が消えてしまうのはそれより辛いのだと、目を伏せて呟く彼の表情は分からない。しかし、彼は言わないでくれと言った。消滅の果てにある永遠よりも、今ここに居るふたりのひと時を願ったのだ。
「……方法を探す。時間がかかっても、絶対に迎えにいく。だから待っていてくれ」
 ぽつぽつと紡がれるシリウスの言葉に、いつしかリチェルカーレの瞳からは涙が溢れ――その儚くも力強い約束に、彼女はありったけの想いを込めて抱きついて、こくこくと何度も頷いた。
 ――そして、瞬く間にふたりの別れが訪れる。陸から離れようとしたリチェルカーレの後ろで、不意に響いた水音に振り向けば、其処には反射的に海に飛び込んだシリウスの姿があった。
「……送っていく」
 ずぶ濡れになって沖へと泳ごうとする彼の隣に、慌ててリチェルカーレが駆け寄って。告げられた、彼らしい優しい言葉に一拍遅れて泣き笑いをすると、リチェルカーレはゆっくりとかぶりを振ってシリウスを押しとどめた。
(ずっとまってる)
 愛しいひとの顔を真っ直ぐに見つめて、人魚は最後に唇の動きだけで想いを伝える。そのままそっと、彼女はシリウスにキスをして――愛していると言う言葉は、再会の時まで胸に留めておくことにした。
(行くな――……)
 海の底へ還っていくリチェルカーレへ、掛けようとした言葉を飲み込んで、シリウスは最後に笑ってみせる。彼女が居たからこそ、自分は笑えた――そうして彼もキスを返して、やがてふたりの顔がゆっくりと遠ざかっていった。
 ――どんなに時間がかかっても、絶対に迎えに行く。だからこれは、もう一度出会う為の『さよなら』なのだ。

●彼を愛した、彼女のいた証
 明日、自分は顔も知らぬ男へと嫁ぐ。そのことにオンディーヌ・ブルースノウは、疑問を持っていなかった。――地上で彼に出会うまでは。
(立場を考えれば、想いを伝え泡と消えるのは叶わぬ事)
 野性的で逞しい姿をしているのに、意外に素朴で思慮深い彼は、エヴァンジェリスタ・ウォルフと名乗った。そんな彼は人魚である自分を、まるで女神のように敬い紳士的に接してくれた――ならばせめて、彼を愛した証を残したいと、オンディーヌは思う。
(……っ!)
 短剣を握りしめ痛みを堪えながら、彼女は自らの鱗をゆっくり剥ぎ取っていった。流れる朱は海へと溶け、オンディーヌは自らがつけた傷痕を、以前彼から贈られたショールで隠す。
「ああ、来てくれたのでありますか……!」
 やがて実直に浜辺に佇んでいたエヴァンジェリスタが、愛しい人魚の姿を認めて駆け寄ると――オンディーヌは普段通りの上品な笑みを浮かべて、彼の胸の中へ飛び込んでいった。
 ――そして、幸せな逢瀬はあっという間に過ぎる。夜空へ星が瞬き始めた時、別れ際にオンディーヌは彼の首へ、七色に輝くネックレスをかけた。
「これは……鱗?」
 星々よりもうつくしく煌めく胸元の光に、エヴァンジェリスタが目を細めると、儚げな笑みを浮かべて離れていく彼女の――やや緩んだ見覚えのあるショールの向こうに、今も血が滲む真新しい傷が見える。
 直ぐに分かった。彼女は己の身体を傷つけてまで、自分に贈り物をしてくれたのだと言うことが。喜びよりも彼女の抱える痛みへの辛さが勝って、エヴァンジェリスタは顔を歪め――そうしている間にも、オンディーヌは波間の彼方へと姿を消そうとしている。
(記憶に留めて貰えるなら、本望)
 まるで自分を欺くように――彼女のセルリアンブルーの瞳が切なげに細められるのを見た時、エヴァンジェリスタは弾かれるようにして飛び出していた。脇目もふらず彼女を追いかけて海に入り、海の中に沈もうとしていたその身体へ必死で手を伸ばす。
(彼女を行かせてはならない)
 その手はオンディーヌを確りと掴み、彼は激情のままに愛しい人魚姫を引き寄せた。そのまま折れるほど強く抱きしめて、彼女を地上に繋ぎ止めようとするかのように強引な口づけを落とす。
「……共にあることは、叶わぬ願いでありましょうか?」
 真っ直ぐに告げられたエヴァンジェリスタの言葉が、オンディーヌの心を激しく揺さぶり――彼女もまた、想いを止められずに艶やかな唇を開いた。
「……わたくしの名はオンディーヌ」
 ――例えこの身が海の泡と消えようと、最後に名を告げて。そして彼に伝えたいことがある。
「ずっとお慕い申し上げておりました、貴方を」
 人魚の瞳から溢れるのは真珠の涙。初めて耳にする愛しい人の名と声、そして求めて止まなかったその言葉――エヴァンジェリスタの心は幸福感に満たされ、彼は一層強くオンディーヌを抱きしめようとした。
「オンディーヌ……ディーナ!」
 ――しかし禁忌を破った彼女に、無情にも最期の時が訪れる。もう離さないと誓ったばかりなのに、まるで掌中の砂が零れるようにオンディーヌの手応えは薄れ、微笑む彼女の姿が揺らめいていく。
(想い人を、置いていかなければならないなんて……)
 想いを告げた故の現実に彼女の胸は軋むが、反面告げぬはずの言葉を、想いを、口にできた喜びに胸が震えた。
(どうか覚えていて)
(けれど早く忘れて幸せになって)
 相反する心に、オンディーヌの心は揺れ続けて。それでも最後に言葉にしたのは、愛しい彼の名前だった。
「エヴァン――!」
 その声が弾けると同時、人魚の身体は泡となり――見上げる空に輝くのは銀の月。エヴァンジェリスタはそんな彼女が消えた虚空を、ただ茫然と見上げていた。
 ――月影と波音。耳朶に残るのは、自分を呼んだ彼女の声。
「……ディーナ……」
 胸元に煌めく彼女のいた証――虹の鱗の首飾りと、微かに朱に染まったショールを握りしめて、エヴァンジェリスタは己の愛した人魚の名を呟く。
 涙に暮れるその姿を照らすのは、冴え冴えとした――どこか彼女を思わせる月の光だった。

●誓いの指輪
 ああ、もう、時間が無い――恋人の元へと向かうクロスは、最後の時を前に選択を迫られていた。しかし、この時を逃したら気持ちを伝えることはおろか、もう二度と彼と――オルクスと出会えないのであれば。決意を固めたクロスは、そっと深呼吸をして己の唇をなぞる。
(なら最期位は、声を出して伝えたい……! 例えこの身が泡となって消え様とも……!)
 ――そして地上では、恋人の訪れを待ち望むオルクスが、紅の双眸に微かな不安を滲ませて海を見つめていた。
(最近、クーが消えていなくなりそうで怖い……)
 凛々しくも愛らしい人魚姫は、今まで一言も言葉を発することは無かったけれど。きっと彼女には何か理由があって、それは自分に隠し事をしていることに関係があるのかと考えるものの――取り敢えず今日は渡すものがあるのだと、オルクスは握りしめた指輪の感触を確かめながら溜息を零す。
「それにしても、胸騒ぎがするな……あ」
 いつもふたりで過ごす砂浜に足を向けたオルクスは、其処で夕陽を背にしたクロスが波間に浮かんでいるのを認めて、大きく手を振った。
「すまん、待ったか?」
『ううん、今来た所だから平気だぞ』
 口をぱくぱくさせて応えるクロスの言葉を、オルクスは読唇術で読み取って会話をして。普段通りの世間話を暫く行った後、やがて意を決したかのようにクロスが、真剣な表情で彼に問いかけた。
『……なぁオルク、もし俺が泡になって消えたりしたら、どうする?』
 ん? と艶やかなクロスの髪を優しく梳きながら、オルクスは微笑を浮かべて彼女に応える。
「そうさなぁ……クーが泡にならない様に繋ぎ止める、かな」
『繋ぎ、止める……?』
 きょとんとした様子で首を傾げるクロスへオルクスが見せたのは、ずっと彼女に渡そうと思っていた指輪だった。こうすれば阻止出来るだろ、そう言って指輪をクロスの左手薬指へはめたオルクスは、彼女の顔を真っ直ぐに見つめて想いを伝える。
「だからクー、オレと、結婚してくれ……!」
「……お、るく……あり、ありがとう……っ」
 ――気が付けば掟のことも忘れて、クロスは涙ぐんで声を発していた。左手の薬指で輝く指輪――それが本当にふたりを繋ぎ止めてくれたらいいのにと、クロスは願わずにはいられない。
「……っ! クー、おまっ声が!」
 初めて聞いた彼女の声は、想像した通りの綺麗な声で。ああやっと声が聞けたとオルクスは微笑み、彼女の瞳に滲んだ涙をそっと拭う。
「俺、オルクと出逢えて良かった。でもね、それも今日で終わり……」
 既に覚悟を決めたのだろう。凪いだ海のような穏やかな表情でクロスは顔を上げて、静かに己の運命を語り始めた。自分は声を出さないことを条件に、地上へとやって来た人魚だったが、今こうして掟を破ってしまった――そして、掟を破った人魚は泡となって消えてしまうのだと。
「人魚……? だが関係ない! 俺はキミ自身を愛している!」
 オルクスは必死にクロスへ呼びかけ、その身を抱きしめようとするが――彼女の輪郭がぼやけ、触れた先からはらはらと、海の泡となって彼の手をすり抜けていく。
「オルク御免、有難う。愛してる……幸せに、ね……」
 ――最期にクロスが浮かべたのは、綺麗な笑顔。ああ、やっと想いを伝え合ったのに、彼女は消えてしまって。
「クー、逝くな、オレを……置いて逝かないでくれ!」
 それなのに、キミの居ない世界で幸せになってと自分に願うのか――。

●海の底で貴方を想う
「ミミ」
 夕暮れの浜辺に時間通りにやって来たルシードは、海に向かって愛らしい人魚の名前を呼んだ。それは以前、言葉を発する代わりに彼女が自分の手に書いて教えてくれた名前で――その声が届いたのか、波間からひょっこりと栗色の髪が覗く。
「今日も、会えたな」
 恥ずかしそうに顔を覗かせるミミの姿を見ると、ルシードは自然と微笑みを浮かべてしまう。彼女と一緒に居ると、不思議と心安らいで――この気持ちが何なのかは良く分からないけれど、ルシードにとって彼女と共に過ごす時間はかけがえのないものだった。
 言葉を話すことのないミミに、いつも通り彼は陸であったことを語る。元々言葉少なで、あまり無駄口を叩く方ではないけれど、最近はこうして色んなことを話して聞かせるのも悪くないと思うようになってきた。
(最初は、二人共ぎこちなかったからな……)
 初めて出会った地上の人間に怯えたミミは、此方が寄ったら逃げるの繰り返しをしていたのだが――それも今では懐かしい。思えば自分も何を話して良いのか分からず、出会って間もなくの頃は、言葉が続かずふたり無言で海を眺めていたりもしていたものだ。
(……それも、悪くない時間だったが)
 今はこうして、声はなくとも表情や仕草でミミと意思疎通が出来ている。自分の話にくるくると表情を変えて反応する彼女を見ていると、ルシードの心も弾むのだが――何故だか今日のミミは、表情が暗く沈んでいた。
「どうした? ……何か悩みがあるなら力になりたい」
(……!)
 心配したルシードが顔を覗き込んで来て、ミミは慌ててぶんぶんと首を振る。
(心配かけちゃった……これじゃ駄目だよね)
 力になりたいと言う申し出を却下されて、ルシードは少し落ち込んでいる様子だった。ああ――彼と会えるのはこれで最後なのに、ミミはずっと自分の想いを伝えるか否かで悩み続けていたのだ。
(言葉で気持ちを伝えたい……でも、泡になるのも怖い)
 気持ちの整理がつかなくて、自分はどうしたらいいのか分からなくて。それでもルシードと過ごしていて気づいたことは、彼の中の最後の自分がこんな暗い顔なのは嫌だと言うこと。
(ルシードさんには、笑顔の私を覚えていて欲しい)
 そうして彼に向けて微笑んだ顔は少々ぎこちなかったけれど、やがていつものように過ごす内に固さは取れていった。そのミミの様子にルシードも安堵したようで、楽しい時間はあっと言う間に過ぎていく。
(そろそろ帰らなきゃ。これで本当に最後、だから……)
 名残惜しそうにミミは地上を見渡して、それからそっと、ルシードの手を自分の頬に当てた。
「ミミ……?」
 別れ際に見せた彼女の積極的な様子にルシードは目をみはり、その覚悟を決めた表情を見て不意に思ってしまう――もしかしたらもう、彼女とは会えないのではないかと。
(この手の温かさ、私は絶対に忘れない)
 そうしてゆっくりと、ミミの頬からルシードの手が外されて――彼女は魚の尾をぱしゃんと一振りして、海の底へと還っていく。
 ――最後に、一度。水越しに振り返って見つめたルシードの顔は、ほんのり赤く染まっていて。そのことにミミの顔もまた、どきどきと熱をもっていった。
「ミミ、俺はずっと待っている!」
 海に向かって響くのは、愛しい人魚姫に向けてのルシードの誓い。真面目な彼はきっと、またいつかと希望を捨てきれず、幾度も海に足を運んで一人ミミを待ち続けるのだろう。
(今まで言葉を交わさなくても、想いは通じ合ったのだもの。もう直接会えることはなくても……想い続けることはできる)
 ――海の底から自分は、貴方の幸せをずっと祈っているから。そんな人魚が最後に零した涙は真珠になって、巡り巡っていつか、愛しいあの人の元へ届く日が来るのかもしれない。

 ――人魚姫と彼女に恋した男性の物語は、こうして幕を閉じる。
 その結末は夢を見たふたりの心に、泡となって静かに降り積もっていった。



依頼結果:大成功
MVP
名前:リチェルカーレ
呼び名:リチェ
  名前:シリウス
呼び名:シリウス

 

名前:オンディーヌ・ブルースノウ
呼び名:貴女、ディーナ
  名前:エヴァンジェリスタ・ウォルフ
呼び名:エヴァン

 

メモリアルピンナップ


( イラストレーター: Q  )


( イラストレーター: 渡辺純子  )


( イラストレーター: 牡牛まる  )


エピソード情報

マスター 柚烏
エピソードの種類 ハピネスエピソード
男性用or女性用 女性のみ
エピソードジャンル ロマンス
エピソードタイプ ショート
エピソードモード ノーマル
シンパシー 使用不可
難易度 普通
参加費 1,000ハートコイン
参加人数 5 / 2 ~ 5
報酬 なし
リリース日 07月14日
出発日 07月20日 00:00
予定納品日 07月30日

参加者

会議室

  • [7]リチェルカーレ

    2016/07/19-23:02 

  • 先ほど、プランの提出が完了いたしましたわ

    さて……どのような物語が紡がれるのかしら、楽しみですわね

  • [5]ミミ

    2016/07/19-02:26 

    こんばんは。ミミです。
    パートナーはルシードさんです。
    よろしくお願いしますね。

    かならずお別れしなくちゃいけないのは、切ないですね…。
    最後の時間をどう過ごすか、よく考えたいと思います。

  • こんばんは、オンディーヌと申します
    パートナーはテイルスのエヴァンジェリスタですわ
    どうぞ宜しくお願い致します

    フィヨルネイジャの白昼夢は初めてですけれど
    わたくし達らしい世界を紡げれば嬉しい限りですわね

  • [3]クロス

    2016/07/18-00:59 

    クロス:
    クロスとオルクスだ、皆宜しくな(微笑

    切ない感じだが大切な人に伝えられたら良いな…
    例え泡となって消えるとしても…

  • [2]リチェルカーレ

    2016/07/17-20:24 

    リチェルカーレです。パートナーはシリウス。
    よろしくお願いします。

    人魚姫な夢…おとぎ話みたいですね。わくわくします。
    すてきな時間が過ごせますように。

  • [1]ハロルド

    2016/07/17-08:22 

    ヴェルサーチ・スミスとおまけ付きですv
    よろしくお願いしま~す


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