This is S(桂木京介 マスター) 【難易度:とても簡単】

プロローグ

 マントゥール教団にはテューダー派という傍流があってだな――という話はこの際、あまり本筋には関係ないので今日はさっさと流してしまおう。あえていうなら『悪者』、この一言だ。(ひどい)
 で、その悪者の悪いアジトでは、今、悪の幹部二人がバッドな日常会話を交わしているのだった。
 ひとりはバル・バラという青年だ。いわゆる残念な美形というやつで、顔かたちは優男なのだが、かなりずれた美意識の軍服風コスチュームに身を包んでいる。頭の両サイドに渦巻きがあるが、これは癖毛らしい。
 もうひとりはプリム・ローズと名乗っていて、デレの存在しないツンデレ、といった容姿の少女である。
 なおこの二人は兄妹なので、容姿はどことなく似ている。渦巻きも含めて。
 バルはなにやらキョロキョロしながら、プリムのいる作戦司令室に入ってきた。
「なあ、これくらいのサイズの小瓶を見なかったか?」
 バルは栄養ドリンクほどの大きさをジェスチャーで示した。
 イエスともノーとも言わず、プリムはじろっと流し目して質問を返す。
「なんの瓶よ?」
「対ウィンクルム用に開発した新薬だ。これを飲ませてやつらの信頼関係を破壊してやろうという深淵な計画でな」
「ふうん」
 と言って部屋を出ようとしたプリムに、待て待て、とバルは手を振って、
「気にならんのか? どんな薬か」
「それより同志バル、先日留置所から助け出してあげた恩、いつか返してもらうから覚えておいて」
 それを言われると苦しいようで、バルは苦笑いしつつもなんとか自分の話を続ける。
「ま、まあ聞くがいいぞ。信頼関係を破壊する方法……それは、性格を一変させてしまうことにあるッ!」
 一応聞く気になったようで、プリム・ローズは腕組みして「それで?」と言った。
「例の薬というのは、見た目も味も栄養ドリンクのようだが、その実は服用者の性格をS、つまりサディスティックなものにしてしまうというそれはそれは恐ろしいものなのだ! おとなしい男が急に攻撃的になったり、優しい娘が急に意地悪になったりする。まだ開発中なので効果は一時的にすぎず、またその現れ方も個人差が大きいが、いずれにせよ、うまく行けば連中の信頼関係にヒビを入れることができるやもしれんッ! そうなればやつらの弱体化は言うまでもないわ! フハハハハ、素晴らしいではないか! 最小の攻撃で最大の効果を導き出せる可能性があるということだ!」
 得意満面、といった様子でバル・バラは胸を張ったのだが、その妹のほうはさして興味もない様子で、
「ふーん」
 と短く告げて、またも出て行こうとした。
「待て待て待たんか! お兄ちゃんが何を気にしているのかわからんのか? まさかお前が小瓶の中身を飲んでしまったのではないかと……」
「どっちでもいいことでしょ。あと、いい歳をして『お兄ちゃん』て名乗りはやめて」
 またもプリムは明確な返答を避けるも、今度はバルも譲らなかった。
「なあ、お前本当に飲んでないんだな?」
「なんで答えないといけないわけ?」
 プリムは肩をすくめるジェスチャーをして、バル・バラの横をすり抜けようとしたのだが、
 ドンッ、
 と、顔の真横に腕を突き入れられ、兄に通せんぼをされる格好となった。バルはその体と壁とで、プリムの身を挟むようにしている。要するに、『壁ドン』体勢だ。
 プリムは、きっと眉を怒らせてバルを見上げた。
 しかしバルはたじろがなかった。
 そればかりか彼は、プリムに顔を寄せたのである。
 ――近い。
 息がかかるほどの距離だ。
「言いたくなければ言わんでもいい。いやむしろ、そうしてほしいものだ」
 バルは冷たい薄笑みを浮かべた。手負いの得物をいたぶる猫のような目をしている。
「口を割らせる手立てを、たっぷり試せそうだからな」
 プリムは、思わず目をそらせた。
「ど……同志バル、私にそのような態度は……」
「同志バル? 他人行儀はよせ。兄と呼んでほしいものだな」
 誰が――と言いかけたプリムだったが、ぐいと強引にむき直させられる。バルの射貫くような視線に抗えなくなったか、彼女はかぼそい声で答えた。
「兄……さん、やめて……」
「違うだろう?」
 再び、ドンッ。
 右腕でもう一度壁を打つと、空いた左手でバルは、プリムの顎を軽くつまんだのである。
「ベル、可愛い妹よ。幼少のみぎり、お前は私を『お兄様』と呼んだはずだぞ。それとも、躾が必要なのか?」
「やめ……わ、わかったから……」
「よし、言うがいい。『お・に・い・さ・ま』だ」
「お……お兄……」
「声が小さいな? ほら、もっとその小さな口を開けてみろ。聞こえな……ぶべらっ!!」
 踏みつぶされたヒキガエルのような声を上げてバル・バラは跳んだ。直後、崩れ落ちるように、腹部を押さえてうずくまる。プリムに強烈な膝蹴りを入れられたのである。
 そんな兄を冷ややかに見おろしながら、プリムはローブのポケットから空の小瓶を取り出していた。
「なるほど、効くみたいね」

 ……という事情で近々、マントゥール教団テューダー派が流した新薬、『Sになっちゃう薬』(仮称)があなたたちを急襲するのであるッ!

解説

 ハピネスエピソードです。
 ハピネス? ええ、きっと、ハッピーになることでしょう。ええ。

 神人、精霊のどちらかが、サディスト(つまり『S』)な性格に変身します。
 といっても効果は一時的で、個人差もありますが、数分からせいぜい1時間程度くらいのものです。
 どれくらいサディスティックになるかにも差があるようです。いわゆるドSになる人もあれば、ちょっと皮肉がキツくなる程度まで様々でしょう。暴力的になるわけではなく、精神的にS化するものとお考え下さい。(DVとSは違いますよー)
 効果が切れると嘘のように元に戻ります。しかも本人にとっては、S化していたときの記憶はボンヤリしたものとなってしまうことでしょう。

 急にS化したあなたに、驚きとときめき(?)を感じてしまう彼、あるいは、S化して普段にない魅力を発してしまう彼を目撃するあなた……などなど、一風変わった展開が味わえそうです。

 これは非番の日の話なので、出かけているなどの理由で300から500ジェールの費用がかかります。

 なお、本編に悪者たち(バル・バラとプリム・ローズ)は出さないつもりです。ですので、彼らがどういう人かなんて、まったく知る必要はありません。


ゲームマスターより

 ここまで読んで下さりありがとうございました! マスターの桂木京介です。

 神人、精霊のどちらがSになってしまうか、ゆっくり考えてお選び下さい。(二人ともS化すると単にケンカになって終わりそうなのでそれはなしとします)

 どうしてこんな薬を服用したかについては描写してもしなくてもOKです。
 特に思いつかないけど発端があったほうがアクションプランが書きやすいという方は、路上で配っていた『試供品』にやられた、という内容でいいのではないでしょうか。

 どれくらいSなのか、どんな傾向になるか(オラオラ系なのか冷淡系なのか、言葉責め系なのか、等々)はもちろん自由です。色々なパターンがありそうですね。
 S化が解ける部分まで描かず終了というのも、解けたあとに「あれ?」となる部分まで描くというのも、ご希望に応じさせて頂きます。

 それでは次は、リザルトノベルでお目にかかりましょう!
 桂木京介でした。

リザルトノベル

◆アクション・プラン

かのん(天藍)

  かのんの家に来る途中で天藍が貰ったという試供品
庭の手入れをしていたタイミングで貰ったので水分補給兼ねて飲んでみる

何かのキャンペーンだったのかモデルみたいな娘が数人配っていたと聞いて眉が上がる
…それは綺麗な方達だったのでしょうね
庭石に腰掛けて何気ない話をしていたつもりの天藍に近づき見下ろす形に
手を伸ばし指先を顎に添え上を向かせる
私の前で他の女性の事を話すなんて…

我に返った
…えっと
まず現在の状況に記憶を反芻
漠然と不確かながらもとんでもないことを口走りそうになった気はする
慌てて手を離そうとしたら逆に天藍に捕まる

さっきまでのって何なんですか?!
声を抑えてはいるものの楽しそうに笑う天藍の腕の中でジタバタ


瀬谷 瑞希(フェルン・ミュラー)
  S化

テューダー派一連事件の反省会をしましょう。
一度首謀者を現行犯逮捕しているのに釈放されている。
罰金等払う潤沢な財力を持ち、事件を不起訴に出来る地下権力を持っていると考えられます。
少なくない金額を出したでしようからイイキミですが(S成分)
相変わらず事件を起こすのが癪に障りますね。
悔しいですよ。その前の温泉騒動でも首謀者に逃げられたのが残念です。
逮捕してれば、また釈放工作をしたかも。ならば彼らの財力を更に削ぎダメージを与えられたのに残念です。(S成分な主張)
バルさんの人となりや育った環境を考察すると生活背景が結構絞れて来ますよね。四六時中考えてます。
フェルンさんの事はもっと考えてますよ?(微笑


紫月 彩夢(神崎 深珠)
  深珠さんとはぐれちゃった。困ったな…
きょろきょろ探してたら向こうから見つけてくれて合流
…できたと思ったのに、あの、深珠さん?

積極的な深珠さんに違和感
待って、深珠さんどうしたの、なんか怒ってるの?
気がつけば路地裏で壁ドン。近い近い近い
待って待ってあたし壁ドンはする方が心臓に優しくて…っ、無理!(突き飛ばして逃走

恥ずかしさで気まずい中の二度目の合流
そしてまさかの壁ドン再び
深珠さんがまだおかしいのかと思ったけど…いつもの、真面目な顔
…なにもないよ
深珠さんが好きすぎて、ドキドキしただけ

されっぱなしってのも悔しいし、あたしから抱きついてみる
深珠さん、声裏返ってる
これくらいの仕返しなら、許されるわよね?


シャルル・アンデルセン(ツェラツェル・リヒト)
  薬を飲みました。

ごきげんよう、ツェラツェル。相変わらず難しい顔をしているわね。
それにいつもいつも真面目過ぎてつまらないわ。
たまには冗談の一つでも言ってみたらいいんじゃないかしら。
その点ノグリエの話術は完璧よね。
同じ精霊なのにこんなにも違うの…扱いにくいったら。
顔の作りは悪くないのだから笑顔の一つも見せればいいのよ。
ウィンクルムとしてやっていくのならそう言うのも必要なんじゃないかしら…なにより…私を可哀想な目で見るのだけは止めなさいそれだけは絶対許せないわ。
もうそんな目で見ないと誓うなら掌に誓いの口付けを。
それが約束の仕方というものではないかしら

…???…約束??


 梅雨の谷間というのだろうか、うんざりするほど続いた雨が、週末のこの日になってぴたりと止まった。
「さて」
 かのんは朝から腕まくりしていた。待ちに待ったこの好天、すべきことはたくさんある。
 彼女は自宅の庭の、手入れにかかった。
 軍手をはめて草をむしり、位置のずれた縁石を動かすと、シャベルを使って足場を整える。豪雨に打たれ傾いた日よけを、汚れを取ってから元の位置に戻した。朝顔の蔓が巻き付くための支柱も、一本ずつ丁寧に差し直す。
 日が出て間もない頃から始めた作業は、九時の鐘を聞くあたりで一通り整っていた。
「精が出るな」
 かのんが顔を上げると、そこに天藍の姿があった。
「大変だったろ? 言ってくれたら手伝ったのに」
「ありがとうございます。でも、好きでやってることですから」
 はにかむような笑みが、かのんの目元に浮かんだ。
「そうだ。これ、ここに来る途中でもらったんだが」
 天藍は茶色の小瓶を彼女に手渡した。ひんやりとした質感。表面に水滴が付いている。
「何ですか?」
「栄養ドリンクの試供品らしい。これで水分補給してくれ。よく冷えてる」
 彼は日よけの下、庭石のひとつまで歩いて行って腰を下ろした。紫陽花の隣だ。
「ありがとうございます。いただきます」
 キュッとキャップを絞り、かのんは瓶に口を付けた。
「美味しいです」
「それはよかった」
「この試供品、どこで配っていたんですか?」
「大通りのところだったな。何かのキャンペーンだったのか、モデルみたいな娘が数人で配っていた。のぼりを立てて……」
 何気なく応えながら、天藍は目の前の紫陽花を観賞する。
 丁寧に日よけされ直射日光をしのいでいたこともあり、今週よく降った雨をたっぷり含んで、みずみずしく綺麗に咲いていた。目が覚めるような青紫色の花弁は、蝶が集まって羽根を休めているようにも見える。
 天藍は前に聞いたことがある。紫陽花の花言葉は、『冷淡』、『高慢』、『移り気』……ちょっと厳しいものがいくつもあるのだと。されどその反面、『元気な女性』という素晴らしいものもあるという。最後のひとつを彼は気に入っていた。朝から庭を手入れし、草花を慈しむかのんの姿と重なっているようではないか。
「知ってるか? 紫陽花の花言葉は……」
 言いかけて天藍は、かのんが近づいてきていることを知った。
「そうですか……キャンペーンで、モデルのような女性が……それは、綺麗な方たちだったのでしょうね」
 かのんは天藍の真正面で足を止める。彼を見おろす目は、冷ややかだった。
「えっ?」
 天藍は戸惑った。様子が変だ。これまで彼女が、こんなに冷淡な話し方をするのを聞いたことはない。
 かのんはゆっくりと軍手を外すと、白い指を天藍の顎に伸ばす。
 ぴたりと指先を彼の顎に添え、上を向かせた。
 女王然と、高慢げにつぶやく。
「ずいぶんと移り気ですね……私の前で他の女性のことを話すなんて……」
「いや、それは……誤解……」
 ――またか。
 まず天藍の胸に浮かんだのは苦い後悔だった。
 もらったものを口にしたら何かしら影響がでてしまった……このパターンは、ウィンクルムになってから既に何度か経験している。
 この手の事態は、契約前にはまずなかった。ウィンクルムには、この手の厄介事を引き寄せる力でもあるのだろうか。
 とはいえ――。
 彼は同時に、甘美な感覚を味わってもいる。
 普段は控えめな彼女の、こういう言動はそれなりに悪くない。
 たぶん、ヤキモチを焼いてもらっているんだよな、と思うのは、背徳的ながらいい気分ではある。
 こうやってかのんを見上げる体勢も新鮮だ。
 震えるほどに、彼女は美しい――。
 天藍の返答を聞いて、どう考えたのか、
「そう、だったら……」
 かのんの唇がすっと開いた。
 けれどもこのスリリングな状態は続かなかった。すぐに、
「……えっと」
 と、かのんがまばたきを繰り返したのだった。その視線はもう、氷を含んではいなかった。
 かのんは思いだそうとしたのだが、いくら反芻しようとわずか数秒前の記憶ですら、霞がかかったように曖昧だ。
 ただ、漠然と不確かながらも……とんでもないことを口走りそうになった気はする。
 すぐに天藍も彼女の変化を感じ取った。
 彼女は自分の姿勢に気がついたのだろう。彼の顎に触れたままの手を慌てて離そうとする。だが天藍は許さない。はっしとその手首を捕まえて、自分のほうに引き寄せ、両腕の中に閉じ込める。
 かのんは抗おうとする。けれど本気で嫌がっているのではないと、天藍にはわかっていた。
「逃げないでほしい。もっと近くで顔を見せてくれ」
 言葉でかのんの口を塞ぐように、彼は彼女の耳元で囁いた。
「さっきまでのかのんもいいが、どちらかと言えば今のかのんのほうが、俺は好きだな」
「さっきまでのって何なんですか?!」
 声を抑え、天藍は低く笑った。あえて返答しない。そうして、彼は、かのんからこの声を引き出したのである。
「朧気に……すごく、恥ずかしいことをしていた気がします……」



 ――まったく現状がつかめない。
 ツェラツェル・リヒトは戸惑う。何が起こっているのか。
 視覚、聴覚に入ってくる情報が混沌としていた。それは、ぐしゃぐしゃにした銀紙に映る鏡像のようであり、チューニングを半音上げたヴァイオリンだけで奏でられる弦楽四重奏曲のようでもあった。
 シャルル・アンデルセンが、普段とは違う口調と雰囲気でしゃべっているのは理解できる。
 だが、それにしても――。
 この日、待ち合わせ場所に現れたシャルルは、最初の一言からして棘を含んでいた。一言目から、
「ごきげんよう、ツェラツェル。相変わらず難しい顔をしているわね」
 と告げ、剃刀のごとく冴えた目をしてツェラツェルを捉えたのである。
「それに、いつもいつも真面目過ぎてつまらないわ。たまには冗談の一つでも言ってみたらいいんじゃないかしら」
 平板な口調で語っているだけに、その冷たさが際立つ。
 ――それにしても、なぜこうも上から目線なのか。
 あまりに直線的な非難すぎて、ツェラツェルは彼女が口にした内容そのものよりも、その態度について考えてしまう。
 ――まぁ、普段私と過ごすときは緊張した面持ちになることが多かったし、緊張して寂しそうな顔をされるよりはいいが。
 どう返事したものかわからず、しばし逡巡の上ツェラツェルは口を開いた。
「シャルル、あいにくと私は……冗談は得意なほうではない」
 すると蔑むような顔をシャルルはするのである。嫌悪感もあらわに告げる。
「その点ノグリエの話術は完璧よね。同じ精霊なのにこんなにも違うの……扱いにくいったら」
 明らかに酷いことを言われているものの、扱いにくい、と言われること自体は、ツェラツェルはさほど気にはならなかった。客観的に見て認めざるを得ないと、合理的判断を下したからである。
 ただどうにもひっかかるのは、シャルルにとってもう一人のパートナーとなるノグリエの名が出たことだ。もちろん『もう一人の』というのはツェラツェルの立場から説明したものにすぎない。シャルルにとっては、ノグリエのほうがずっと長く親しんできた精霊であることは事実だ。それにしたって……。
「ノグリエのような、口から先に生まれたようなやつと比べるのはやめてもらおうか」
 言いながら彼は胸に痛みを感じていた。ざらざらした硝子の破片で、心の一番やわらかい部分を引っ掻かれたような。
 しかし口でノグリエを非難しても、自分のみじめさが薄らぐはずもない。むしろつのるばかりだった。
「……あいつの会話能力は、悔しいがかなり高度だ。それにお前と接してきた時間も違えば……想いも違う」
 ノグリエ・オルト――弁の立つ男。爽やかで、ただ存在しているだけで魅力を振りまかずにはおれない男。ずっとシャルルの傍らにいて、その大きな心と柔和な言葉で、彼女を包み込んでいる男……。
 比較は無意味だと判っているのに、どうしてもツェラツェルは、彼我の差を思わずにはいられなかった。
 ツェラツェルの返答に苛立ったのか、一歩、シャルルは距離を詰めてきた。金色の瞳に彼の姿を映して言い切る。
「顔の作りは悪くないのだから笑顔の一つでも見せればいいのよ。ウィンクルムとしてやっていくのならそういうのも必要なんじゃないかしら……」
 今日のシャルルはやはり奇妙だ。冷酷なようでいて、こうして救いの手を伸ばしてくる。つかまずにはいられないような手を。
 それなのにツェラツェルの口調はつい、拗ねたようになってしまう。
「とりあえず不愛想だから笑えと? 私とのコミュニケーションを円滑にしたいということか?」
 けれども、シャルルが少し、言葉を和らげたのは罠だったのかもしれない。
「ツェラツェル、それよりもなによりも、まず、変えてほしいことがあるわ」
 ふたたび冷然と、突き放すように彼女は言ったのである。
「私を可哀想な目で見るのだけは止めなさい。それだけは絶対許せないわ」
 そうか――ツェラツェルはついに悟った。
 これこそが今日、シャルルが最も訴えたかったことなのだと。
 繊細な顔をうつむき加減にして、彼は答(いら)える。
「可哀想などと思っていないとは……言えないな」
「もうそんな目で見ないと誓う?」
「お気に召さないのなら、応えよう」
「誓うの?」
「そうしてもいい」
「なら、証を示して」
 シャルルは小さな白い手を差し出して、眉一つ上げることなく続けた。
「掌に誓いの口付けを。それが約束の仕方というものではないかしら」
「……了解した」
 ツェラツェルは片膝をつくとシャルルの手を取り、静謐な心で述べたのである。
「誓い、そして約束だ」
 そうしてそっと、彼女の掌に接吻した。
 唇が触れると同時に、ツェラツェルは気持ちが軽くなるのを覚えていた。もしかしたらこの誓いは、彼自身、望んでいたことかもしれない。
 ツェラツェルはずっと瞳を伏せていたから、このとき、
「?」
 シャルルが目を見開き、
「……約束?」
 と自分で自分の言葉に、驚いている様子なのに気がつくことはなかった。



 その日、「反省会です」と瀬谷 瑞希は言って、自室にフェルン・ミュラーを誘った。
 外は数日ぶりの快晴、透明な風が吹きいって、淡いブルー地のカレンダーを揺らす。気持ちのいい午後だ。冷房どころか扇風機だって必要がない。
 瑞希は紅茶と、手製のシナモンクッキーを出してくれた。クッキーは綺麗なきつね色だ。味だって見た目を裏切らない。軽やかな歯触りと適度な甘さ、シナモンの香ばしさがフェルンの舌を魅了する。
「お菓子作るの、上手くなったね」
 フェルンは翆色の瞳で微笑むのだが、対する瑞希の声は浮かない。
「反省会の主題は……テューダー派の起こした一連の事件について、です」
 やはりか、とフェルンはため息をついた。
 マントゥール教団テューダー派とは、本流の教団とはやや外れた秘密結社である。
 彼らは大小さまざまな事件を起こしている。結婚式破談代行業をはじめてみたり、幼稚園バスをジャックして自作自演のヒーローごっこに興じてみたり、インチキ温泉旅館を経営してみたり……フェルンから言わせれば、おかしな方向のベクトルばかり追求する愉快犯に思えてならない。
 今のところ知られているテューダー派の幹部は、バル・バラとプリム・ローズの二人だが、瑞希とフェルンはその両方と関わったことがあった。
 先日バルは、こともあろうにデミ・オーガ製の花粉をばらまいて市民を花粉症のどん底に陥れようという、迷惑にもほどがある犯罪をもくろんでいた。しかしその野望は潰え、バル一味は瑞希たちに現行犯逮捕された。……それなのに、その後留置所がプリム・ローズに襲撃され、まんまとバルとその副官は逃げおおせたのである。
「彼らは逮捕されても保釈されたり、先日のように強引な手段で逃げてしまったりしています。……罰金等をまかなえる潤沢な財力を持ち、さまざまな工作のできる地下権力を持っていると考えられるでしょう」
 事件の後、瑞希とフェルンがふたりで反省会をするのはこれが初めてではない。むしろ恒例化しており、よくあることではあった。
 けれども今回、彼女の声は沈んでいる。バルの逃走は瑞希の手落ちでは決してないはずなのだが、またあの悪人を野に放ってしまったのかと、彼女が自責の念に駆られているのは想像に難くなかった。
「そうだな、今後の対策は……」
 と言いかけてクッキーから顔を上げたフェルンは、思わず目を擦った。
 瑞希が薄笑みを浮かべていたのである。それも、残酷な笑みを。
「少なくない金額を出したでしようからイイキミですが」
「ああ、まあ、そうだね」
 彼女の辞書に『いい気味』なんて言葉が載っていたことがそもそも驚きだが――フェルンは己の目と耳を疑う――なぜあんなに嬉しそうなんだ? 
「相変わらず事件を起こすのが癪に障りますね」
 瑞希の語調は厳しかった。
「逃げられたのが悔しいかい?」
「悔しいですよ。その前の温泉騒動でも首謀者に逃げられたのが残念です」
 そういえば温泉事件の直後も、幹部プリム・ローズを捕まえられなかったことを瑞希はしきりと悔しがっていたものだ。
 ――もしかしたらミズキ、結構根に持っているのかも。
 苦笑する。フェルンとしては一応、あの事件では温泉旅行も楽しめたのであまり気にしていなかったりするのだが。
 フェルンも、瑞希が実はすごく負けず嫌いということはよく知っていた。正直、そこも可愛いところだと思っているくらいだ。
 ところがまた、プリムを逮捕できていれば、という前提で瑞希は彼女らしくないことを口にした。
「逮捕してれば、また釈放工作をしたかも。ならば彼らの財力を更に削ぎダメージを与えられたのに残念です」
 フェルンはおずおずとうなずくほかなかった。らしからぬ言いようであるばかりか、「財力を更に削ぎダメージを」といった言葉を口にするたび、サディスティックな薄笑みが瑞希に浮かぶのである。
 ミズキが理路整然なツッコミをするのはいつものこと――という気もする一方、でも普段より少し感情的になっているようにも思う。もしかしたら彼女は、事件のないときも結構彼らのことを考えているのだろうか?
「もしかして俺の事考えているより多いかも?」
 と言ったフェルンは、ティーカップを持ったまま硬直してしまった。
「四六時中考えてます」
 きっぱりと瑞希が言い放ったからだ。
「バルさんの人となりや育った環境を考察すると生活背景が結構絞れて来ますよね……と」
 ――なんだこの気持ち?
 苛立ちともどかしさがこみあげてきて、フェルンは思わず下唇を噛んだ。
 ミズキがバルのことをずっと考えている……!? それって……!
 ところが瑞希はここで、凄艶なまでの微笑を見せて告げたのである。
「でも、フェルンさんのことはもっと考えてますよ?」
 不覚! フェルンは心臓が高鳴るのをおぼえていた。
 ――キュンとしてしまった……!
 なんと意味深な笑みをするのか、今日の瑞希は。
 やっぱり変だ。
 でも、魅力的だ……。
 ハートを盗まれたような気がする……彼女に!



 好天を待っていたのは、紫月 彩夢と神崎 深珠に限っていたものではないらしい。
 週末、街は大変なにぎわいで、駅を出るのにも一苦労、メインストリート内も、他人にぶつからずに歩こうとするだけでかなりの注意を要した。
 途上、軍隊蟻のように押し寄せる団体観光客を避けようとして、彩夢と深珠は左右に分かれた。
 それがいけなかったのだろう。
 砂漠のキャラバンさながらの団体がガラガラとスーツケースを引いて去ったとき、彩夢は深珠を見失ったことを知ったのである。
 ――困ったな……。
 ファータでも飛び抜けて色が白く、アマゾナイトのように澄んだ水色の目と、整った容貌をもつ深珠は人目を引くので、すぐ見つかるかと彩夢は思っていた。ところが人混みの壁は厚く、彼女はそれから十数分あてもなく、きょろきょろと彼を探すはめになったのだった。
 途方に暮れかけたとき、彩夢は横合いから腕をつかまれた。
 薄暗い路地裏へと彼女を引っ張り込んだのは、深珠その人だった。
 無言で手を取られたとき、彩夢は驚いて声を上げそうになったものの、いま、彼女はそれとは別種の驚きに包まれている。
 深珠はやはりなにも告げず、彼女の唇に指を添えたのである。
 口をきくな、ということらしい。

 表通りの騒がしさ、混み合いからすれば、嘘のように静かな道だった。
 人の姿はまばらで、ほの暗い。
 その寂寥とした通りを、深珠は足早に歩いて行く。片手で彩夢の手首をつかんだまま、引きずるようにして。
 何度か道を曲がった。
 曲がるたび、ただでさえ少ない通行人は減っていった。
 ――あの……深珠さん?
 口をきくのを禁じられているので、彩夢の問いは音をなさない。
 やがて深珠は足を止めた。
 同じ街とは思えぬほど寂れた一角だった。朽ちかけた看板の下に、シャッターが下りたままの店がいくつか並んでいるばかり、捨てられたリヤカーと、うず高く積まれた廃材が道を塞ぐ行き止まりになっていた。日が沈んだのかと錯覚するほど暗い。当然のように、無人だ。
 やっと深珠が手を離してくれた。
 どうしてこんなところへ――と彩夢が質問するより早く、深珠は口を開いた。
「彩夢はいつも俺から逃げるだろう。だから今日は、逃がさない」
 暗く冷たく、断定するような口調だった。
「待って、深珠さんどうしたの、なんか怒ってるの?」
 がしゃん、と古びたシャッターの蛇腹が音を立てた。
 深珠はシャッターを叩いたわけではない。右手をシャッター壁に突いたのである。さらに右の肘を曲げて、ぐっと彼女との間隔を狭めた。
 深珠の顔が、彩夢の真正面にある。
 ――近い近い近い。
 すぐそばだ。
 彩夢が両目さえ閉じれば、深珠はすぐキスできるほどの距離。
「好きなんだろう? 俺が」
 普段の深珠からすれば、予想も付かぬほど大胆な発言だった。
 思考回路はショート寸前、この状況で彩夢に、まともに返答できるはずがない。
「待って待ってあたし壁ドンはする方が心臓に優しくて……」
 しかし深珠はそれを遮った。
「目を見て言え、彩夢。それともまた黙らせて欲しいのか。指先ではなく、唇で……」
 彩夢は確信する。目でうなずくだけで、今の彼はこの言葉を実行するだろう。
「……っ、無理!」
 彩夢は強く両腕を前方に突きだし、彼を突き飛ばしていた。
 ああもうっ、と歯を食いしばり、高鳴る胸に鎮まれと命じて彼女は走った。
 深珠は目が覚めたばかりのように、呆然と彩夢の背を見送る。
 何があったのか。
 彼の記憶にあるのは少し前、彩夢を探しながら歩いていたときのことまでだ。栄養ドリンクの試飲を勧めている集団がいた。礼を言い、一本もらって飲んだ。
 それ以後のことになると……はっきりしない。
 ひとつ判るのは、彩夢を追ったほうが良さそうだということ。

 深珠は彩夢の手をつかんだ。
 けれど怯えているのか、彩夢は顔すら向けず邪険に手をふりほどこうとする。
 聞いてくれ、と深珠は手を壁について彩夢の目を正面から捉えた。
 それがまさかの壁ドンの再現となった。深珠にその自覚はないのだが。
「彩夢……俺はお前に、何をした?」
 焦りを含みつつも、なるだけ落ち着いた口調で彼は告げた。
「頼む、彩夢、はぐらかさずに答えてくれ……俺はもう、無闇にお前を傷つけたくはないんだ」
 彩夢が顔を上げた。彼の目をしばらく見て、やがて彼女は安堵したように笑みを見せたのだった。
「……なにもないよ」
 彩夢はそこに、普段の深珠を見つけたのだ。やっと会えたという気がする。
「深珠さんが好きすぎて、ドキドキしただけ」
「ドキドキ……? いや、答えになってない……って、彩夢!?」
 今度は深珠がうろたえる番だった。
 彩夢が飛び込むようにして深珠に抱きついたのである。腕を彼の背に回し、ぎゅっとする。
「深珠さん、声裏返ってる」
 抱きとめた深珠の胸に、彩夢の鼓動が伝わってきた。
 ――心音が早い。嘘じゃない、のか……。
 深珠の頬に、じわじわと赤みがさしていった。きっともう、耳まで恥ずかしさが昇ってきていることだろう。
 路地裏でよかった……。
 



依頼結果:成功
MVP
名前:紫月 彩夢
呼び名:彩夢
  名前:神崎 深珠
呼び名:深珠さん

 

メモリアルピンナップ


( イラストレーター: 渡辺純子  )


エピソード情報

マスター 桂木京介
エピソードの種類 ハピネスエピソード
男性用or女性用 女性のみ
エピソードジャンル コメディ
エピソードタイプ ショート
エピソードモード ノーマル
シンパシー 使用可
難易度 とても簡単
参加費 1,000ハートコイン
参加人数 4 / 2 ~ 4
報酬 なし
リリース日 06月11日
出発日 06月18日 00:00
予定納品日 06月28日

参加者

会議室


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