プロローグ
●古城カフェに雨は降る
しとしと、しとしとと、窓の外は雨に煙っている。
「雨の匂いも好きだけど……」
このじめっとした空気は毎年のことながら少しばかり苦手かもしれないと、古城カフェ『スヴニール』の主――若きパティシエのリチェット青年は仄か眉を下げて微笑した。丁寧に窓を拭いていた手が、ふと、思いつきにぴたりと止まる。
「ああ、そうだ。このじめじめを吹き飛ばすような、この店を訪れてくれる人たちがスカッと笑顔になれるような、そんなスイーツを作ろう」
ウィンクルムの皆さんにもぜひ日頃の疲れを癒していただきたいな、なんて、リチェットは口元を幸せ色に綻ばせた。その双眸に、窓の向こう、鮮やかに咲き誇る紫陽花の花が映る。雨垂れに愛らしい花が揺れるのに、リチェットはその目元を和らげた。
「大丈夫、君たちのことは忘れていないよ」
こっそりと呼び掛けて、リチェットは想いを馳せる。この季節のじとっとした煩わしさを吹き飛ばしてくれるような、そんなおもてなしをしよう。ああ、だけど、あの雨の日の花のことは忘れちゃいけない。
A.R.O.A.へと、紫陽花模様の封筒が届いたのはその数日後のこと。薄紫の便箋は、雨の古城カフェへの招待状だ。憂鬱な雨の日をちょっと特別なものにするために。パートナーと連れ立って出掛けてみるのも、きっと、悪くはない。
解説
●古城カフェ『スヴニール』について
タブロス近郊の小さな村の外れに位置する本物の古城内にあるカフェ。
豪奢な造りの古城の中で、価値あるアンティークやとびきりスイーツがお客様を待っています。
この時期は、窓際の席に座れば満開の紫陽花が見られるのだとか。
なお、ウィンクルム達が古城カフェを訪れるのは雨の日となっています。
『古城カフェの~』というタイトルのエピソードが関連エピソードとなりますが、ご参照いただかなくとも古城カフェを楽しんでいただくのに支障はございません。
●雨の限定メニュー(※冒頭の数字で食べたい方をご指定くださいませ)
1)ミントミルクティー・セット
自家製の甘めミントティーは、ミントの葉を閉じ込めて凍らせ、グラスの中に。
そこにミルクを注いで、爽やかな風味が溶け出すのをじっくりと楽しむドリンクです。
マドラーで氷を鳴らしつつ、ご一緒に紅茶とミントのパウンドケーキもご賞味ください。
2)紫陽花ヨーグルトムース・セット
カフェの周囲に咲く紫陽花を模したきらきらクラッシュゼリーを飾ったムース。
真っ白ヨーグルトムースはほんのりグレープフルーツが香り爽やかな味わい。
アンティークのグラスも楽しみながら、カフェ自慢のホットローズティーもご一緒に。
※リチェットからウィンクルムへ感謝を込めてのお誘いなので、いずれもお代は不要です。
●リチェットについて
一族に伝わる古城をカフェとして蘇らせたパティシエの青年。
カフェの危機を何度も救ってくれたウィンクルム達に、感謝と親愛の情を抱いています。
特にご指定なければリザルトには登場しませんが、ご用がありましたらお声掛けください。
●交通費について
ウィンクルム様お一組につき300ジェール頂戴いたします。
タブロス市内から古城カフェまでの交通費です。
ゲームマスターより
お世話になっております、巴めろです。
このページを開いてくださり、ありがとうございます!
今までお届けできずにいた雨の時期の古城カフェのお話を。
じめじめじとじとは苦手ですが、雨の匂いや色とりどりの紫陽花は素敵だなぁと思います。
雨の日を楽しむスイーツをリチェットと一緒に考えましたので、スイーツと一緒に、とある雨の日、とある時間を、パートナーさんと共に満喫していただけますと幸いです。
皆さまに楽しんでいただけるよう力を尽くしますので、ご縁がありましたらよろしくお願いいたします!
また、余談ですがGMページにちょっとした近況を載せております。
こちらもよろしくお願いいたします。
リザルトノベル
◆アクション・プラン
蒼崎 海十(フィン・ブラーシュ)
2 古城カフェ、久し振りだな 八重桜も綺麗だったけど、紫陽花も鮮やかで…雨の粒がキラキラ光り、雨の日も悪くないと思える 春のあの日と同じように、店主さんにフィンと一緒にお礼の挨拶をして、窓際の席に座ろう 目の前に微笑むフィン うん、これもあの時と同じ…いや、ちょっとだけ違う あの時は…俺の片思い、だった 気付いたばかりで、フィンの一挙一動にドキドキして なのに、フィンは間接キスも平然と… 思い出したら、ちょっとむかついてきた 俺ばかり振り回されてる気がする よし、ここは… フィン、俺のを一口やる(一口掬ってあーんを) …駄目だ 俺が恥ずかしい 俺はフィンが格好付ければ付ける程、余裕を崩したくなる …俺に必死になって欲しいから |
エルド・Y・ルーク(ディナス・フォーシス)
2) ディナス、そんなにかき混ぜたら氷が溶けすぎてミントの風味がきつくなりすぎてしまいますよ ええ、いつも依頼やアクシデントでばたばたしてしまっていますから、たまにはこのような機会も良いですねぇ おや、魅力的なグラスですねぇ。この古城と雰囲気がよく合っています ──おや、雨の日はストレスが発散できないと、もやもやしているものだとばかり思っていました ……時折、依頼で地方の自然あふれる景色を目にして、足を止めているのは知っていましたが。そのように、落ち着いた側面もあるのですね。……これは黙っておきましょう、余計に怒られてしまいます ええ、せっかくこの情景に合わせられたものですから、おいしくいただきましょうか |
胡白眼(ジェフリー・ブラックモア)
1 彼が家族を失ったと最近知った 幻と対面した様子からして 悲惨な別れだったのは疑いようがない 少しでも慰めになればと古城へ 花言葉なんて意外ですねと返したら 奥さんの話を振られてむせた 気にしていたのは事実だ 折合いなんて嘘でしょう 離縁の話も自分を守るための嘘では とは言いたくても言えない 不用意に触れたら傷つけそうで 一方で傍に居たいと強く感じる あの時、この人の内側に残る生々しい傷を見てしまったから 独りになんてできない したくないと、思う あーんに再びむせた 自分が情けない 慰めるはずが心配かけて ミント茶に気持ちの切替を手伝ってもらい ぎこちなくとも他愛ないお喋りを 薄荷の香るこの時間が 彼の心を少しでも晴らしてくれるように |
レオ・スタッド(ルードヴィッヒ)
絶対あんた雨男でしょ! 前に誘われた時も雨だったわよ (髪がヤバいんだっつーの! 迷った末1 ミントが氷に入ってて綺麗ね、良い香り(一手間加えただけで印象が変わんのな 爽快な風味に頬緩ませ 雨に濡れる紫陽花を眺め そうねぇ…(そういやもうすぐ誕生日だ、ルードに言ってたかな…別に祝われたい訳じゃないけど! 白い紫陽花? ふーん…ご自慢の知識自慢?(嘲笑 へぇ、耐え忍ぶ恋に勤しんでるってか 相手がいるならソイツと来たらよかったじゃないの(ふんっ はぁぁ? あんた何しに来たのよ?食べなさいよ っ!? そ、そうだっけ……ありがと(ボソ …ほら、あーん あんたの分なんだから一口は食べてよね じゃあ、頂き…(あれ、これ間接キ… う、うるさい! |
カイン・モーントズィッヒェル(イェルク・グリューン)
2 雨か 初デートを思い出すな(笑) ※E6 あの辺りからイェルもちょろちょろ素顔出してくれるようになったな 自分が思ってる以上に判り易いぜ 拗ねるな、可愛いって事だよ 俺の雨の思い出か あー…リタに失礼な事言われた出会いがそうか あいつ、俺の職場近くにある食堂の調理師で、俺はそこの常連だったんだが、別に特に喋る事もなく意識もした相手じゃなかった 帰宅途中ちっちぇえ野良猫が濡れて寒そうにしてたんでジャケットの中入れて持ち帰ろうと歩き出したら、帰宅途中のリタに遭遇して、チンピラがコテコテの事をしていると驚愕された これがあいつとのファーストコンタクトだよ って笑うな(頭わしゃわしゃ) 猫は尊いんだ、仕方ないだろ(真顔) |
●雨色バースデイ
「絶対あんた雨男でしょ!」
前に誘われた時も雨だったわよ、と苛立ちを隠そうともせずにレオ・スタッドは目の前の席に座る男を睨みつけた。『雨男』と称されたルードヴィッヒはしかし微塵も動じずに、
「梅雨だからだろう? なんでも俺のせいにするな、うつけが」
といった具合で、レオに淡々と正論を浴びせ掛ける。相変わらずムカつくと胸中に毒づきながら、レオは湿気のせいで言うことを聞かない自身の髪に触れた。
(ああくそ、髪がヤバいんだっつーの!)
そんなレオの心境をスルーして、ルードヴィッヒはメニュー表へと深紫の視線を落とす。暫しの逡巡の後、彼が店員を呼ぼうとする素振りを見せたのに、レオも慌ててメニューに目を走らせた。注文を済ませば、じきにテーブルに運ばれてくる雨色スイーツ。
「ミントが氷に入ってて綺麗ね、良い香り」
迷った末に選んだミントミルクティーの爽快な風味に、レオは頬を緩ませた。
(一手間加えただけで印象が変わんのな)
と、幾らかの驚きを胸に、眼差しを窓の向こう、雨に濡れる紫陽花へと移す。無駄のない所作でローズティーを口に運んだ後で、ルードヴィッヒはレオの様子に気づきその視線を追った。
「紫陽花の青が綺麗なものだ、今の時期ならではだな」
「そうねぇ……」
ルードヴィッヒの言に、レオが返す言葉は曖昧なもの。
(そういやもうすぐ誕生日だ、ルードに言ってたかな……)
咲き誇る紫陽花と目の前の男の言葉にそんなことを思い出したのが、ぼんやりとした返事の理由だ。
(いや、別に祝われたい訳じゃないけど!)
なんて、湧いた思いを即座に胸中に否定して、レオはルードヴィッヒの方をちらと見た。向こうは相変わらず、窓の外を眺めている。
「ここにあるか解らんが、真っ白な紫陽花もあるそうだ」
「白い紫陽花?」
「その花言葉が面白くてな。紫陽花そのものに辛抱強い愛情、白いものだと寛容というらしい」
ルードヴィッヒの言葉を耳に、レオは嘲るようにして口元を笑みの形に歪ませた。
「ふーん……ご自慢の知識自慢?」
「自慢ではない、俺の心情をよく表しているな……と」
「へぇ、耐え忍ぶ恋に勤しんでるってか」
相手がいるならソイツと来たらよかったじゃないの、と、ふんっ、と鼻を鳴らすレオ。
(……実は今一緒に来ていたりしてな)
とローズティーを啜りながら思うルードヴィッヒだが、それを口に出すことはしない。代わりに口にしたのは、
「それよりムースはいるか?」
という、唐突で端的な台詞だった。
「はぁぁ?」
呆れの色が鮮やかに乗った声が、レオの口から零れる。
「あんた何しに来たのよ? 食べなさいよ」
「いや……6月はお前の誕生日だろう?」
祝いのケーキ代わりだ、おめでとう、と続けられて、レオは虚を突かれたようにひゅっと息を飲んだ。そして、
「っ!? そ、そうだっけ……ありがと」
と、なるべく何でもないふうに聞こえるように、ぼそりと言う。ルードヴィッヒが、軽く眼差しを伏せた。
「外を見ていたら思い出しただけだがな」
付け足した言葉は真っ赤な嘘なのだが、声音にも表情にもそれは滲まない。静かに己の方へと寄せられた紫陽花ムースに、レオはそっとスプーンを入れた。白いムースときらきら光るクラッシュゼリーを運ぶ場所は、自分の口ではなくルードヴィッヒの顔の前だ。
「それはなんだ?」
「……ほら、あーん。あんたの分なんだから一口は食べてよね」
「そうか……では、遠慮なく」
言葉通りにムースを口にして、「甘酸っぱいな」と漏らすルードヴィッヒ。それを見届けて、
「じゃあ、頂き……」
と雨色の味を今度は自分の口に味わおうとしたところで、レオの手がぴたりと止まる。
(あれ、これ間接キ……)
「どうした? 手が止まっているぞ」
思考を遮るように、声。顔を上げれば、男はニヤと笑っていた。
「う、うるさい!」
言い返して、レオは自棄のようにムースを口に運ぶ。その様子を見遣りながら、
(間接キスくらいで動揺する歳か?)
と、ルードヴィッヒはローズティーの残りを静かに飲み干した。
●君の新しい姿を雨の中に見る
「ミスター、この飲み物は面白いですね」
グラスの中のミントミルクティーをストローで一口啜り、味を確かめて。ディナス・フォーシスは、目の前の席に座るエルド・Y・ルークへと子供のように無邪気な笑みを向けた。エルドも、それに柔らかな微笑を返す。
「ええ、中々に風流ですねぇ」
「ミスターのムースもきらきらで美味しそうです」
「ムースだけでなく、グラスも魅力的ですよ。この古城と雰囲気がよく合っています」
何気ないやり取りさえも、窓の外の景色が鮮やかに彩って。改めて、興味に煌めく双眸でミントの葉が閉じ込められた氷をじぃと見遣り、ディナスはグラスの中身を、マドラーでカラカラと無心にかき混ぜた。澄んだ音が、耳をくすぐる。
「ディナス、そんなにかき混ぜたら氷が溶けすぎてミントの風味がきつくなりすぎてしまいますよ」
夏色の音を耳に心地よく聞きながらそう静かに告げて、エルドはローズティーを口に運んだ。えっ、と短く声を上げたディナスが、ぴたりと手を止めて少し慌てたようにストローに口を付ける。整ったかんばせにちょっぴりほっとしたような色が浮かぶのを見て、思わず緩むエルドの口元。
「コホン! ……そ、それにしても、素敵な古城ですね。これがカフェというのはとても素敵です」
気恥ずかしさを吹き飛ばすように咳を一つして、気を取り直したようにディナスが言った。そう言えば、と、思いつきにその表情がぱあと明るく晴れる。
「いつもばたばたしているので、ミスターとこうしてゆっくりとした時間を過ごす機会は珍しいですね」
「ええ、いつも依頼やアクシデントでばたばたしてしまっていますから、たまにはこのような機会も良いですねぇ」
のんびりと言ったエルドの視線を追って、ディナスも窓の外、咲き誇る紫陽花とその花びらを濡らす雨に眼差しを遣った。
「とても素敵な景色ですね」
「――おや」
「おやって……ミスター? 何です?」
「いえ……雨の日はストレスが発散できないと、もやもやしているものだとばかり思っていました」
温和な老紳士の顔に浮かんだ驚きの色に、ディナスはむぅと唇を尖らせる。
「……僕だって、これでもフゼイを感じる時はあるんです」
良い景色に心満たされる事くらいはあるのだと、返るのは少し拗ねたような声。エルドに向けられたじとっとした眼差しが、「心外です理不尽です釈然としません」と言外に、けれどどうにもわかりやすく訴えている。ささやかな反抗の如く、黙々とパウンドケーキを食べる作業に移ったパートナーの様子に、
(……時折、依頼で地方の自然あふれる景色を目にして、足を止めているのは知っていましたが)
なんて、エルドは今目の前にいるディナスに、そんな時の彼の姿をそっと重ね合わせた。そのように落ち着いた側面もあったのかと、新たに知ったパートナーの姿を何とはなしにあたたかな気持ちで胸に沈める。けれど。
(……これは黙っておきましょう、余計に怒られてしまいます)
という次第で、意外な一面に触れたと感じたことは黙っておくことにした。パウンドケーキを味わっていたディナスが、ふと、視線をエルドへと寄越す。やや躊躇いがちに、彼は再び口を開いた。
「……ですが、食べ物が優先である事は否めません」
おいしいですよね、このケーキ、と続けられた言葉に、エルドは仄か目を見開いて――それから、どこまでも穏やかに微笑んでみせる。
「ええ、せっかくこの情景に合わせられたものですから、おいしくいただきましょうか」
「……はい」
可愛らしい怒りの矛を収めてこくりと頷くディナス。しとしとと降る雨が、2人の時間を優しく包み込んでいた。
●ずぶ濡れ猫と薄荷
「甘みは強いけど悪くない。鼻に抜ける香りが爽やかだ」
ミントミルクティーを口に運んで、ジェフリー・ブラックモアはそんな感想を漏らす。そのかんばせにはどこか草臥れた印象の笑みが乗っていて、胡白眼は常と変らぬジェフリーのその表情に、何と言葉を返せばよいか胸の内に逡巡した。ジェフリーが家族を失っていることを、知って間もなくの白眼である。
(……幻と対面した様子からして、悲惨な別れだったのは疑いようがない)
少しでも慰めになればと彼を古城カフェへ誘ったまではいいものの、掛けるべき言葉は喉を震わせることはなく。思案の内にマドラーでグラスの中身をくるりとかき混ぜれば、ミント入りの氷がからりと涼しげな音を立てた。
「フーくん」
当のジェフリーに名前を呼ばれて、我に返る。白眼の様子に、仄か口の端を上げる赤い猫。
「ミントの花言葉って知ってる? 爽快、効能……まんまだよねぇ」
「へえ……花言葉なんて、意外ですね」
「女房が一時期ハーブに凝っててね」
といっても、聞きかじった知識を披露して喜ぶ程度のものだった、とジェフリーは続けたが、後の部分は、白眼の頭には殆ど入ってこなかった。彼の話に興味がなかったわけではない。ただ、不意打ちで『女房』の話がとび出したものだから、
「っ、ごほ、げほっ!」
という具合で、盛大にむせ返ってしまったのである。ジェフリーが、目をぱちぱちとさせた。
「……家族の話。聞きたいのかと思ったんだけど、違った?」
まだ少しむせながら、違わない、と白眼は思う。実際のところ、気にしていたのだ。
「安心してよ」
静かに言って、ジェフリーはマドラーで氷を鳴らす。
「あの時は幻術のせいで取り乱してしまったけど、他人に昔話をできる程度には折合いがついてるんだ」
――折合いなんて嘘でしょう。離縁の話も自分を守るための嘘では。
胸を突いた想いは、言葉の形になることなく白眼の胸の底に沈んだ。不用意に触れては、彼を傷付けてしまいそうで。けれど、その一方で、
(……傍に、居たい)
強く、そう思った。あの時、目の前の相手の内側に残る生々しい傷を、白眼は見てしまったから。
(独りになんてできない……いや、したくない)
そんなことを考えていたら、パウンドケーキの方にフォークを伸ばしていたジェフリーが、
「雨に紫陽花って景色もいいね」
と、窓の外に眼差しを遣って、何気ないように声を漏らした。その視線が、白眼へと戻る。一口分のパウンドケーキを乗せたフォークが、白眼の目前へと運ばれた。
「暗い顔してないでさぁ、フーくんも楽しもうよ。ほら、あーん」
「っ……」
驚きに息を吸い込んだ途端に、もう一度むせ返る。
「……冗談だよ」
ジェフリーが、低く小さく喉を鳴らした。情けない、という思いが白眼の胸を過ぎる。慰めるはずが、心配を掛けてしまった。グラスの中身を喉に通す。ミントの涼やかさに、気持ちの切り替えを手伝ってもらえればと思ったのだ。
「ええと……もう一つのメニューも、美味しそうでしたよね」
「ああ、紫陽花のムースね。中々に凝ってるよねぇ、面白いと思うよ」
白眼が振った話に、ジェフリーはさらりと乗ってくれた。白眼の胸を安堵に似たものが掠める。
(……薄荷の香るこの時間が、彼の心を少しでも晴らしてくれるように)
少しばかりぎこちなくも他愛のないお喋りを続けながら、白眼はそんなことを祈った。一方のジェフリーは、白眼の言葉に応じる笑顔の裏で、
(お優しい神人さまは、ずぶ濡れの猫を憐れんでくださるのだろうね)
と、昏い色をその瞳の奥に過ぎらせる。大方今日も励ますつもりで、等と考えていたら、ふと、思考が乱れた。生まれ出でた何かを振り払うように、緩く頭を振る。
(……反吐が出るがそれでいい。愛はウィンクルムを強くする)
俺には力が必要なんだと、作り物の笑顔の向こう、己に向かって呟いて。それでもちりちりと滲む罪悪感に、ジェフリーは右目の灰緑を細めた。
●雨の思い出、ひとつ、ふたつ
「雨か。初デートを思い出すな」
窓際の席、硝子の向こうの景色を見遣り、カイン・モーントズィッヒェルはあの日と同じく楽しそうに笑った。止まない雨の中を、自身の思い出の映画を再現するように濡れて帰った日のことを思って、
「まさか傘差さないで帰ると思いませんでした」
と、イェルク・グリューンも優しい苦笑交じりの声を返す。あの雨の日の帰り道が楽しいものであったことは、認めざるを得ない。
(それに、好きの原点とも聞いたし……あれは驚いた)
記憶はそのまま花嫁のヴェールを被った日へと繋がり、イェルクは頬を僅か朱に染めた。『嫁』の愛らしい姿に、カインの口の端がつと上がる。
「あの辺りから、イェルもちょろちょろ素顔出してくれるようになったな」
「そう……でしたか?」
「俺が言うんだから間違いねぇ。イェルは、自分が思ってる以上に判り易いぜ?」
「カインの察しがいいだけです」
応じて、イェルクはミルクが満たすグラスの中、ミントの葉を閉じ込めた氷をマドラーでカラリと鳴らした。目の前に座る愛しい人の顔をそっと盗み見れば、相手は丁度、ゼリーの紫陽花が乗ったムースにスプーンを入れているところ。
(大体何で気づくんだ。さっきも薔薇の方選ぶのかって思ってたら当てるし)
そんなことを考えていたら、眼差しを上げたカインとばっちり目が合った。イェルクの表情にまた何か見抜いてか、カインがくつと喉を鳴らす。
「拗ねるな、可愛いって事だよ」
「……また事も無げにそんなことを……」
照れ臭さに唇を尖らせるも、ゆらゆらと揺れるイェルクの尻尾。そういえば、と、イェルクは思いつきを口にした。
「カインにも雨の思い出あります?」
「俺の雨の思い出か」
繰り返された言葉に、頷く。きっと何かはあるだろう、そう思った。亡くした妻や娘に纏わる思い出が。カインは、暫し思案を巡らせて、
「あー……リタに失礼な事言われた出会いがそうか」
やがて、丁度雨色の思い出に行き当たったという感じで、亡き妻の名前を出した。
「あいつ、俺の職場近くにある食堂の調理師で、俺はそこの常連だったんだが」
別に特に喋る事もなく、意識もした相手ではなかったのだとカインは語る。けれど、ある雨の日のことである。
「帰宅途中ちっちぇえ野良猫が濡れて寒そうにしてたんで、ジャケットの中入れて持ち帰ろうと歩き出したら……」
「……どうなったんです?」
「帰宅途中のリタに遭遇して、チンピラがコテコテの事をしていると驚愕された」
淡々としてカインが言う。その様子を想像すると、どうにも笑いを噛み殺すこと叶わずに。イェルクはせめて声を漏らさないようにと手を手でぎゅっと握って、ちょっぴりぷるぷるしながらも静かに笑った。
「これがあいつとのファーストコンタクトだよ……って、笑うな」
その様子を確かに見咎めて、話を締め括ったカインは、逞しい手でイェルクの頭をわしゃわしゃとかき混ぜる。触れる温もりの中で、イェルクはぼんやりと思った。
(あの商店街は私の生活範囲じゃなかったな)
そして、乱れた髪を整えながら、顔を上げてカインへと微笑を向ける。
「リタさんだって訴訟ものだと思ったんじゃないですか」
自分だって、その状況に遭遇したら同じことを言っただろう。そんな気がして仕方がない。
「カインって猫好きですよね」
「猫は尊いんだ、仕方ないだろ」
言葉を零せば真顔で返ってきた台詞に、
(……違和感、仕事しろ)
イェルクは久しぶりに、そんなことを思わずにはいられないのだった。
●きみがすき
「古城カフェ、久し振りだな」
古城の重厚な扉を潜った蒼崎 海十が春の色を思い出すように目を細めれば、
「そうだね。春のあの日、海十にここに行こうと誘われて……嬉しかったのを覚えてるよ」
なんて、応じたフィン・ブラーシュの口元もあの日見た八重桜のように綻んで。不意打ちの言葉に、海十は照れ臭いのを誤魔化すように窓の外へと眼差しを移した。
「……八重桜も綺麗だったけど、紫陽花も鮮やかだな」
キラキラ光る雨粒の眩しさに、雨の日も悪くないなんて想いが海十の胸を過ぎる。そんな海十の横顔をそっと見遣って、フィンは共に八重桜を眺めた日のことを思い出した。
(あの時は、ただのパートナーだったけど、今は違う)
そのことを思うと、嬉しさにどうしようもなく頬が緩むのだって仕方がないこと。
「雨音も紫陽花も、よい雰囲気だよね」
と声を零せば、自分も雨の音が心地いいと感じていたのだと海十が小さく笑った。そうして2人は、カフェの主たるリチェットへと声を掛ける。雨色の誘いへの感謝を紡げば、青年は2人との再会を喜び、「素敵な雨の時間を」と微笑んだ。案内された窓際の席へと腰を落ち着ければ、やがて運ばれてくるのは雨の日の為の特別なスイーツ。
「うん、これは美味しいね。今日も、特別な時間になりそうだ」
ミントミルクティーで喉を潤して、フィンは海十へと柔らかな微笑を向ける。その笑みに、海十はまたあの春の日を思い出した。
(うん、これもあの時と同じ……いや、ちょっとだけ違う)
あの時は自分の片想いだったと、海十はあの日のやり取りを脳裏に描く。
(気付いたばかりで、フィンの一挙一動にドキドキして。なのに、フィンは間接キスも平然と……)
余裕綽々だった今の恋人の様子を思うと、何だか少し腹が立った。自分ばかりが、愛しい人に振り回されているような、そんな気がして。
(よし、ここは……)
胸の内に思い決めて、ゼリーの紫陽花が煌めくムースをスプーンに掬う。海十はそれを、フィンの口元までずいと運んだ。
「フィン、俺のを一口やる」
一方のフィンが、その言葉にくるりと目を丸くしたのは瞬間のこと。
(ん? 海十の様子が少し変だと思ったら、海十からあーんを?)
なんて、海十のちょっとした変化にも目聡く気づいていて、その上で――フィンは微塵の躊躇いもなく、甘い一匙を幸せ顔でぱくり。
「んっ、甘くて美味しい。あの時もこうして間接キスしたよね」
トドメのように余裕たっぷりの言葉と笑顔が返れば、真っ赤にさせられるのは海十の方だ。
「……駄目だ、俺が恥ずかしい」
平然とした顔をちょっと崩してやりたかったのだと小さな声で海十が白状すれば、フィンはぱちぱちと青の双眸を瞬かせた。そして、ふっと優しく笑う。
「海十の前では何時だって、格好良いオニーサンで居たいの。だって、海十に好かれたいもん」
マドラーでグラスの中身をかき回せば、からり、氷が清々しいような音を立てた。気を静めんとローズティーに口を付ける海十へと、フィンは穏やかに音を紡ぐ。
「思えば、出会った時から、そうだった。海十にいい顔見せたくて、余裕なフリをしてるんだ」
「……俺はフィンが格好付ければ付ける程、余裕を崩したくなる」
返ったのは少しばかり意外な言葉で、フィンは僅か目を見開いた。ぽつり、海十が続ける。
「……俺に必死になって欲しいから」
「俺は何時だって海十に必死だよ?」
言い返す言葉は、殆ど反射的に口をついた。だって、その想いが伝わっていないのだとしたら、フィンにしてみれば大問題も大問題だ。
(俺の気持ち、どうしたら伝わるのかな……?)
考えて、考えて。やがてフィンは、真っ直ぐに海十の顔を見遣って、
「好きだよ」
と、どこまでも真剣に声を零した。海十の顔が、また朱に染まる。海十の返事は、
「……知ってる」
という端的なもの。窓の外へと視線を逃がして、頬を熟させて。けれど確かにそう呟いたのが耳に届いていたから、フィンはふうわりと微笑んだ。
依頼結果:大成功
MVP:
名前:胡白眼 呼び名:フーくん |
名前:ジェフリー・ブラックモア 呼び名:ジェフリーさん |
名前:レオ・スタッド 呼び名:スタッド、うつけ |
名前:ルードヴィッヒ 呼び名:ルード、クソ猫耳 |
エピソード情報 |
|
---|---|
マスター | 巴めろ |
エピソードの種類 | ハピネスエピソード |
男性用or女性用 | 男性のみ |
エピソードジャンル | イベント |
エピソードタイプ | ショート |
エピソードモード | ビギナー |
シンパシー | 使用不可 |
難易度 | とても簡単 |
参加費 | 1,000ハートコイン |
参加人数 | 5 / 2 ~ 5 |
報酬 | なし |
リリース日 | 05月28日 |
出発日 | 06月03日 00:00 |
予定納品日 | 06月13日 |
参加者
- 蒼崎 海十(フィン・ブラーシュ)
- エルド・Y・ルーク(ディナス・フォーシス)
- 胡白眼(ジェフリー・ブラックモア)
- レオ・スタッド(ルードヴィッヒ)
- カイン・モーントズィッヒェル(イェルク・グリューン)
会議室
-
2016/06/02-22:51
-
2016/06/02-00:11
-
2016/06/01-14:45
-
2016/06/01-06:36
-
2016/05/31-13:52