ふたりがここにいる不思議(桂木京介 マスター) 【難易度:簡単】

プロローグ

 平日午後のクジャク。
 平日午後のホッキョクグマ。
 平日午後の、ゴリラ。
 太陽は、電子レンジで作った温泉卵の色。
 しかし気温はそう高くなく、なにより風があるので心地良くはあった。
 それがせめてもの救いか。平日午後の動物園が灼熱だったり、豪雨だったりしたら目も当てられまい。
 それにしても――と言いたい。
 静かすぎないか。
 園内は閑散としていた。ほとんど客の姿がない。ときおり散歩中の老人や、よちよち歩きの幼児を見ることがある程度だ。BGMといってもせいぜい、ひょろろとシギの鳴き声がするくらいで、まるで銅版画の世界である。
 それでも同行者がまあ、キャッキャッウフフできる間柄の精霊であったのならいいのだが、困ったことに今日あなたをここに呼び出したのは、最近組んだばかりの無表情で無口で、世間話の一つもできない(しようともしない)新パートナーだったりするのである。
 どういう理由で、彼はあなたをここに呼び出したのか。
「えーと、あの……」
 石臼のような沈黙に耐えきれなくなり、あなたは言った。
「動物園とか、よく来るんですか?」
「いや」
「動物好きとか?」
「別に」
 なんだこれ。
 よもや彼、『2文字で会話を成立させようコンテスト』にでも出場しているのではあるまいな。
 途方に暮れつつあったあなたを見越したかこのとき、ようやく彼が2文字以上の台詞を口にした。
「貴殿が、動物好きかと思って」
「……え?」
 まあ嫌いではないが、老後は動物ランドを作ってアライグマに甘噛みされたり鰐に追いかけられて暮らしたい、なんてこと夢想したことすらないあなたなのである。
 ぽつりぽつりと、イタズラが露呈した少年のように、彼は話すのだった。
「私は……口べただ。だから……会話せずとも、その……過ごせる場所を、と……」
 ふっ、とあなたは息を吐いた。
 なんだろう。緊張しているのは彼も同じだ、と思うと楽になってくる。
 彼は彼なりに、親しくなろうとしているのだろう。他ならぬあなたと。
 だったら、取るべき行動はひとつだ。あなたは言った。
「だったら楽しみましょうよ、動物園を」
 レッサーパンダを見に行きません、そう言ってあなたは彼をリードするのである。

 ……というのは、あくまで一例だ。
 彼とあなたは、ある場所に出かけることになった。それをデートと呼ぶのは自由だ。
 ただ、その場所が、普段のあなたたちならまず行かないような場所であったり、はっきりいって周囲の客から浮いてしまうような場所であったり、互いに完全な初体験でドキドキしっぱなしの場所であったり、と、あまりないシチュエーションにしてもらえないだろうか。もちろん自発的に出かけた結果ではなく、たまたま巻き込まれたというパターンもオーケーだ。
 思いつかないというのであれば、いくつか『解説』欄で提案してみるので、気に入ったものを採用したりアレンジしてみてはどうだろう?
 どうしてこんな場所にいるのか不思議だが、それがかえって幸いして、いつにないミラクルな一日になったとしたら幸いである。
 さあ、あなたと彼は今、どんな場所にいるだろうか? 教えてほしい。

解説

 普通なら行かない場所、珍しいシチュエーション、ちょっと場違いな印象のある空間……そのような状況を楽しむエピソードです。
 不思議だけど面白い、いい思い出になった……そんな展開にしてみたいと思っています。
 もちろんコミカルでもハートフルでもシリアスでも、どんなパターンでもウェルカムですよー。

 本文に書いた話はモデルケースです。
 他には、こんなシチュエーションなどいかがでしょう?

●ホラー苦手なのに、上映日を間違って、超ホラー映画のかかっている劇場に入ってしまった!
●スタジアムに野球観戦に来ただけなのに、ハーフタイム中『本日のベストカップル』としてスクリーンに大写しにされた。(しかもキスしたら賞品がもらえると言われた!)
●幼稚園児でぎっしりの電車に乗り合わせてしまった。なぜか遊んでとせがまれる彼とあなた。
●まだ大して親しくないあなたたち。なのに、依頼からの帰路、うっかりカップルだらけの夜の海岸を歩くはめに……。
●堅物のふたりが、なぜかメイド喫茶に迷い混んでしまった。
●マジデスカ!? 彼の元カノたちが集まって定例会を開いているところに遭遇……!

 他にも色々パターンがあると思います。どうぞ自由に発想してみて下さい。

 なお参加費ですが、アクションプランに応じて300~800Jr程度かかるものとさせていただきます。ご了承下さい。


ゲームマスターより

 いつどこへ行っても場違い! 桂木京介です。
 
 今回のハピネスエピソードは、「なぜこんな場所に? こんなシチュエーションに?」と、思わず自問せずにはいられなくなるような状況を楽しむというものです。
 親しくなるきっかけや、互いの気持ちを確認しあう展開になってもいいですね。
 あなたと彼らしいプランをお待ちしております。

 それでは、次はリザルトノベルでお目にかかりましょう! 桂木京介でした。

リザルトノベル

◆アクション・プラン

アキ・セイジ(ヴェルトール・ランス)

  ◆場所と経緯
春から一緒の大学
サークルもテニスに決まった
学食で友達とお昼を食べているとイベントを手伝って欲しいといわれた
次のAROA活動で休む場合のノートが交換条件でOK
そしたら自費出版や自主創作物の即売会の売り子だった


依頼主は出たきり同人とやらをしに出かけた(呆然
気持ちを新たにして売り子を頑張る
販売物は本が色々
全て男子が2人表紙に居るマンガで
R18の表記…あー…(目が泳ぐ
パラリと捲って閉じる(

ランスの話にそんなわけあるかいとツッコミ
いや、俺達がモデルじゃないんで(男二人が売り子ってキツイ…
なんでそんなにノリノリなんだよ(八つ当たり
うー、ノートのためだから頑張る(ひーん

心遣いに内心感謝しつつ…


蒼崎 海十(フィン・ブラーシュ)
  出掛けにフィンがキスとか変な事言うから、フィンが自分の書類と俺の楽譜の封筒を間違えて持っていったのに気付くのが遅れた
フィンの携帯も不通
今日は学校は休み、バンド練習は自主練
書類の封筒には出版社の住所の記載が…届けに行くか

出版社まで来たものの
関係者以外は入れない
呼び出してもいいけど、フィンに迷惑掛けないようそっと渡したい
バンドで世話になった事のある雑誌編集者を思い出し電話
中に入れて貰う

旅雑誌の編集のある場所を教えて貰い、向かったら
フィン
悪い、間違えた(と言っておく

何だよ、変な顔して
…もしかして必要なかった?
…って、恥ずかしいだろバカ

待つ間、やたらジロジロ見られる…何でだ
けど、フィンの職場は興味深い


信城いつき(ミカ)
  金髪の女性が突然ミカに声を掛けてきた
そのまま強引にお昼一緒にすることになった。えっとどなたですか?

ミカと古くからの知り合いみたい。かなり親しげだし…
でも、ミカなんだか嫌そうな感じに見える

「えっと、ミカにはいつも親切にしてもらって」
ミカとの事を色々聞かれる、”俺が困るのを見て喜ぶ人”とか言えず曖昧に話せば、さらに聞かれる。弱ったなあ

迷惑…?
「そんなことないっ、俺はミカにいっぱい優しくしてもらってるよ!」
ミカの事一杯知ってるみたいだけど、俺が辛い時にどれだけ支えてくれたか知らないくせにっ
「ブランコだって付き合ってくれたよ!」

愚息…?つまりミカのお母さん!?見えない、若い……
怒ってごめんなさいっ!


カイエル・シェナー(エルディス・シュア)
  エルディスと買い物に行った帰り、不思議な姿の女性(ヴィクトリアンメイド服しか知らない。ミニス半袖はメイド服と認識出来ない)から一枚のチラシを受け取った
休憩場所らしい、エルディスが休憩したいと言っていたのを思い起こした。
丁度良いな、ここにしよう

連れて来られたのは、良くあるビルの3階のフロア
不思議で同じ姿をした女性がこちらを囲んで一斉に、
「お帰りなさーい! ご主人様v」
……な、に?(息を呑んで驚愕)

席でエルディスから色々と聞く
「あれが、メイドの作業着だ、と…」
驚きが隠せずついメイドへ目が…ち、違う! 脚を追い掛けていた訳では!

最後に
そんな破廉恥なメイドに囲まれて(女性耐性無し
料理と共に来た掛け声に撃沈


咲祈(ティミラ)
  …本屋に行くだけなのに、なぜついて来るんだい
僕は君のことは分からないと言っただろう…
(…タブロスも大分慣れたし今頃迷わないさ…)
なんだい?
……そうかい? 普通だが
これが俗にいう構ってちゃん……
いや、なにも

君の足元……犬がわんさか集まっているようだ?
……その発想は、なかったな

…本屋に行くだけなのになぜ犬に囲まれるんだい…
……猫派だ
一匹の犬の飼い主に「二人とも顔が似てるね。兄弟?」と訊かれ、思わずショーウインドーに映る自分の顔と精霊を見比べ
…似てる、の? これは

って。…そのブラコンっぷり、振りまくのは止めてくれ…
本屋に行きたいだけなのになぜ……


「たまにはサラリーマンみたいに、朝早く出るというのもいいものさ」
 フィン・ブラーシュは水色の瞳を細め、鼻歌でも唄いだしそうな表情で振り向いた。片手にはアタッシュケース、背広姿でネクタイも締めている。
「こうやって玄関先で、海十に送ってもらえるからね」
「朝早く……か?」
 蒼崎 海十は壁時計を見上げた。短針はとっくに『IX』と『X』の間にあった。
 在宅ワーカーのフィンにしてはめずらしいことに、今朝は午前中に外出の用件が入った。出版社で打ち合わせがあるのだという。このシチュエーションを楽しんでいるようで、
「通勤電車……魅惑的な響きだねえ。乗車率200パーセントだとかでぎゅうぎゅう詰めにされたりするんだろうか?」
 などとのたまうフィンの口調は雪中の白ウサギのようにあいまいで、どこまでが冗談でどこまでが本気なのかはかりかねるものだった。
「もうそういうのとっくに終わってるから。むしろがら空きだと思う」
「ま、それはそれとして」
 腰から上を軽く曲げ、ひょいとフィンは首を突き出した。
「じゃあ、『いってらっしゃいのキス』を頼むよ」
 ぶほっ、と海十は吹き出しそうになった。
「ちょ、それ、マジで言ってる!?」
 じわっと頬が熱くなる。
「サラリーマンの家庭では毎朝行われている儀式だろう?」
「聞いたことないないっ、そんな儀式はっ」
 だがもうこうなったらフィンのペースなのである。フィンはそのことをよくわかっているので拗ねたような口調で言う。
「イヤなのかい?」
「イヤなわけ……ないだろ」
 精一杯『不本意です』と言いたげな目を作りこれを瞼の下に隠して、すいっとごく自然に、海十は両手をフィンの首に添え唇を与えた。
「ふふ、行ってきます」
 二秒後、フィンは手を振った。
「……行ってらっしゃい」
 心臓がドキドキいっているのを気取られないよう、海十は平静を装って応じた。
 初々しい反応で可愛いなぁ――フィンはスキップしたい気分で駅に向かう。
 本日、海十は学校が休みで、バンドも自主練の予定だった。とりあえず、これから二時間ほどギターに集中するとしよう。
 リビングに戻ったところで海十の目は、ダイニングテーブル上の封筒に止まった。A4サイズの茶封筒である。
 そうそう、昨日作曲したばかりの楽譜があったんだ。練習ついでに弾きながらブラッシュアップしてみようか。
 何気なく封筒を裏返して、あっ、と海十は部屋で声を上げていた。
 封筒の裏には出版社のマークがあった。開封してすぐ、フィンの資料を発見する。同じサイズなので取り違えたのだ。とすれば海十の楽譜は、今フィンの鞄の中にあるということになる。ああもう、と海十はうめいた。
「出がけにフィンが変なこと言うから……!」
 忘れ物ないか? と確認するのを失念してしまったのである。自分の楽譜はいま手元になくても構わないが、フィンのほうはそうもいくまい。
 慌てて携帯でコールするも、『電源が入っておりません』という仏頂面アナウンスが返ってきただけだった。
 仕方ない、海十は海外バンドのロゴが入ったTシャツを乱暴に脱いでポロシャツを探した。
 届けにいくほかないだろう。

 着いた。
 駅まで走ったがフィンに追いつくことはできなかった。けれどうろ覚えの道ながら、海十は迷わずに出版社のビルまで来ることができたのだった。
 ところが入り口で立ち往生するはめになった。海十の目に、『関係者以外立ち入り禁止』の立て札が飛び込んできたのである。ブルドッグみたいな体型と顔をした警備員が、彫像みたいに微動だにせず立っている。
 受付でフィンを呼び出してもらってもいいが、できれば彼に迷惑をかけないよう、そっと渡したいところだ。なんといっても、半分は自分のミスでもあるのだから。
 関係者のふりをして突破を試みるか、と一瞬思ったが、ブルドッグに羽交い締めされる光景を想像し、海十はそのアイデアを却下した。
 ならば……?

 フィンが連載を持っている旅雑誌編集部は、やや年齢層が高いあたりを主な読者にしているせいか、なんとも落ち着いた雰囲気である。黙って立っていたらタキシード姿の給仕が出てきそうなほどに。
 その落ち着いた空間に向かって歩きつつ鞄を開けたフィンは、そのまま優雅に回れ右して来た道を戻り始めていた。ポップコーン製造器みたくなっている内心は必死で隠す。
 ――何という失態!
 ドライアイスでも飲み込んだような気分だ。ようやく彼も封筒に気付いたのである。
 あの封筒には資料や、原案がぎっしり詰まっているのだ。忙しい編集長を待たせて家に取りに戻ったりしたら、連載打ち切りも覚悟せざるを得ない。
 悪いことは重なるもので、携帯は充電が切れており黒い画面のまま動かない。
 まずはどこかで急いで充電して海十に連絡を……!
 そう決意して顔を上げたとき、フィンの視線が、海十の視線と綺麗に交わった。
「海十? どうしてここに……」
 幻覚ではない。廊下の向こう、たしかに海十はそこにいた。
 そして彼の手には、フィンの命綱とも言えるあの封筒があった。
 封筒が聖なる光を放っているように見える。
 それを言うなら、封筒を手にする海十のほうは天使だ……!
「フィン、悪い、間違えた」
 と、いうことにしよう、というくらいの気持ちで海十は言ったのだが、フィンは聞いていないようでぷるぷると震えていた。
「何だよ、変な顔して? もしかして必要なかった?」
 この海十の発言が引き金になったかのように、フィンは反射的に行動していた。
 すなわち彼は駆け出して、自分の天使を両腕に抱きしめたのである。
「……って、恥ずかしいだろバカ」
 悪態をつきながらも海十は、フィンの背中に腕を回して背をぽんぽんと優しく叩いていた。
 通行中の社員やライターたちが、クエスチョンマークを浮かべながら二人の横を通り過ぎていく。

 ここの社食のプリンが美味しいんだ、とフィンは海十を誘った。
 フィンの会議はつつがなく終わり、ふたりは出版社の社員食堂で遅めのランチを取っている。『A定食』なんて色気のない名称のメニューで食器もプラスチックだったりするが、食事そのものの見た目はかなり魅力的だ。
 割り箸をパキっと割りつつ、フィンは感心したように言った。
「……なるほどね、こうして、海十の音楽は世界を救ってくれたわけだ」
「世界を、って大袈裟な」
 海十は苦笑する。そもそも海十の音楽が、直接フィンを助けたというわけでもないのだから。海十はバンド活動で世話になった音楽雑誌編集者のことを思いだし、電話して中に入れてもらったのである。
 ゆえに大したことはしていないと海十は言ったのだがフィンはこう申し出た。
「お礼に俺のプリンをあげるよ」
「いいってば。待ってる間、出版社のなかを散歩できて結構楽しかったし」
「でもそれじゃ俺の気持ちが……」
 と問答していたところで、ぞろぞろと現れた小団体がフィンに軽く挨拶した。どうやら旅行誌の編集者たちらしい。そのうちの若い女性が声をかけてきた。
「先生、そちらの方は?」
 すると一秒も逡巡せずフィンは答えたのである。
「恋人です」
 編集者たちから一斉に、おおー、と声が上がった。
「なっ……!」
 絶句して立ち上がりそうになった海十だが、怒るのも変だし逃げるはもっと変なので、
「ど、どうも……」
 とその場を動かずおずおずと笑うしかなかった。
「そうかあの子が……!」
 などと聞き捨てならない声もする。どうやらフィンは、一度ならず海十のことを彼らに自慢していたようである。
 海十の額に玉の汗が浮いていた。視線が自分に集まっているのを感じる。堂々と紹介してくれたフィンには感謝もしているが……それでもやっぱり、恥ずかしい!
「……フィン、俺、どんな顔してればいいんだよ」
 小声で海十は問うも、フィンはくすくすと笑うばかりで、何も答えてはくれない。
 海十をお披露目できて嬉しいなあ、というのがフィンの気持ちだ。それに、
 ――こうやって、変な虫が付かないよう牽制しとかなきゃね。
 と思っていたりもするのである。



 目が点になるというのは、こういう状況での心境を言うのであろう。
 アキ・セイジは立ち尽くしていた。
 言葉の通じない外国に来た気分だ。
 イベントと聞いていたからてっきり、アウトドアのお祭りでもあるのかと思っていた。
 ところが……?
 屋内。普段はそれこそ国家資格の一次試験や、企業の就職セミナーに使われる規模の広々とした会場、そこにはびっしりと、一定のルールに基づいて簡易のテーブルとパイプ椅子が並べられている。ざっと見回しただけで二百人はいる参加者が、それらテーブル間を行き来していた。
 テーブル一つと椅子二つで、それぞれ模擬店のような体裁である。これはブースと呼ぶらしい。
 そのブースで売るもの、正しくは『頒布するもの』の大半は本だ。
 といっても普通の書籍ではない。いわゆる薄い本、つまり同人誌なのである。なかには手作りのレターセットなどを扱っているところもあった。
「自身の制作物を扱うイベント、ということなのか?」
 セイジが問うと、「なんだか硬いねえ、その言い方」とヴェルトール・ランスは笑った。
「要は、同人誌即売会ってやつだよ」

 この春からセイジとランスは同じ大学に通っている。テニスサークルへの所属も決まり、まるで海図に赤鉛筆で引いた航路をゆくかのように、ふたりのキャンパスライフは順調に進んでいた。
 しかし航路を行く船が、しばしば嵐や座礁に見舞われるように、大嵐とまではいかずともそれなりに大きな波に、このとき彼らは直面していたのである。まあ、この波を妨害とみるか、ちょっとしたアクシデントとして楽しむかは、受け取り方次第であろうけれど。

 この日、揃って午後は休講となった。そこでセイジとランスは学食で悠々とランチを楽しんでいた。値段は安いわりにボリュームはあったりして、少なくとも気持ちの上では豪勢な昼餉だ。
 そこへ、最近親しくなったばかりの友人が通りかかった。彼らからすれば年下なので、ちょっと妹的な存在になりつつある少女だ。大学に入ってオシャレに目覚めたばかり、といった風な、濃い目の茶髪に簡単なメイク、白いひらひらのついたスカートも、きっと背伸びして買ったものだろう。ゲジゲジ眉の整え方を知らない風なのは、初々しくてむしろ可愛らしい。
 セイジもランスも明日はオフだと知って、
「明日のイベント、手伝ってもらっていい?」
 と彼女は切り出した。
 なんのイベント――とセイジが尋ねるより前にランスが返事した。
「いいよ。ただ、交換条件と言っちゃなんだが、次休むときの講義ノートを頼んでいいかな?」
 あっさりと交渉は成立した。実際、セイジとランスにはA.R.O.A.の活動と、それにともなう不定期休学があるので、もしものときに備えて講義ノートを確保できるのはありがたい。

 そうして安請け合いしたイベントが……これだったというわけだ。
 朝早く起きてモノレールに揺られ会場入りする。彼女と合流とすると、指示されるままに薄い本を取り出し、ならべて『新刊!』などとポップを立てる。さらには頒布料などの事項を書いたシートを敷き、釣り銭などの準備も完了、ちょうどその瞬間に開場を知らせるアナウンスが流れた。
 とたんに、
「じゃあ、人気サークル回ってくるから!」
 と言い残すや風のように少女は姿を消してしまったのである。
「え……! ちょっと」
 セイジは手を伸ばしたまま固まってしまう。店番を任された格好だ。
 ここで、本章冒頭の場面となる。
「同人誌即売会……」
 そういうものがあることは知っていたが、と呟くセイジは居心地が悪そうだ。
 けれどランスはニヤニヤするばかりである。
「ところであの子、少なくとも昼までは戻らないと見た。出たきり同人、ってやつかな」
「どういうことなんだ?」
「作り手であると同時に買い手でもあるってことさ。今頃、人気サークルの前の行列に並んでると思うよ」
「わからないことだらけだ……」
 セイジはもう、理解しようとするのを諦めていた。それはそうとして、と続ける。
「この売り物の本、彼女が作ったもののようだが……漫画か?」
 テーブルの上の本をセイジは眺めた。何種類かあるが、すべて男子ふたりが表紙に描かれている。たしか、人気アニメの登場キャラクターだったと思う。ただ、もっとたくさんキャラはいるはずなのに、いずれの本も同じ少年ふたりが表紙なのがなんとなく解せない。
 一冊を手にしてパラリとめくってみた。
 やはり漫画だ。人気アニメのパスティーシュというものだろう。
 そして、セイジは凍り付く。
「あ……!」
 漫画のなかで少年たちは愛を交わしていたのである。それも、爽やかなタッチの表紙からは予想もできないような濃いやりかたで。なまじ絵が巧いだけにヴィジュアルイメージは強烈だ。もちろん原作はそんな話ではないはずなので、これは少女の想像力がなしえた偉業だといえよう。表紙にちらりと見えた『R18』という表記はそういう意味だったのか。
 顔から火が出る思いで本を閉じたセイジを見て、ランスがくっくと笑った。
「……こういう本だと知っていたのか」
「俺はピンときてたけどね。だってあの子アニオタだもん。作品もカプもメジャーだし、これは忙しくなりそうだ」
「カプ?」
「またの名をCP、つまりカップルのこと」
「……そういう用語もあるのか」
 それきり黙ってしまったセイジを見て、ランスは興をそそられたらしく身をすり寄せる。
「なあ、見てどう思った? 参考になりそうなこととかあったか?」
 さらには本を開いて、
「こういうシチュやってみたくね?」
「そ……」
 一瞬、酸素不足になって言葉が出なくなり、大至急息継ぎしてセイジは立ち上がっていた。
「そんなわけあるかいっ!」
 びくっ、とした反応があった。
 彼らの前に立っていた見知らぬ少女のものだ。いつの間にか、彼らの前にも二三人集まっている。
「あ、ごめんごめん、いらっしゃい」
 客と見るやランスはすぐに営業用スマイルを繰り出し、てきぱきと接客を開始した。
 そこからたちまち、ランスはすごい勢いで客をさばきはじめたのである。さすが現役ホストだ。
「新刊あるよー。試し読みも歓迎!」
「え、全部一冊ずつお買い上げ? まいどありー」
「これ買うの? お目が高い! でもこっちもお薦めだぜ-」
 あっけにとられるセイジだが無事ではいられない。
「ねえ、この表紙再現したら買ってくれる?」
 などと言ってランスが彼の肩を抱き、軽く耳たぶを噛んだのだ。たちまちキャーと歓声が上がった。その本がすぐに売れたのは言うまでもない。
「うわ! お前、人前で……! い、いや、この表紙、俺たちがモデルじゃないんで……」
 慌てて弁明(?)しながらも、セイジは職務を忘れず釣り銭を用意していた。なのに、
「そうかなぁ、描く時のモデルは俺たちかもなぁ」
 などとランスが混ぜ返すから、赤面してしまったりして大変だ!
 ランスの軽妙なトークと、求められればすぐにセイジを後ろから抱きしめたり頬にキスしたりして見せるサービス精神のおかげもあって、いつの間にか彼らの前には女子の人だかりができていた。
 こうして2時間もせぬうち、潮が引くようにして本は売り切れたのである。既刊を含め、もうテーブルには一冊の本もない。
「完売御礼ってやつだねえ」
 ランスが笑顔を向けるも、セイジはなんだか、ベソをかいたような顔をしている。
「なんでランス、そんなにノリノリなんだよ……」
 ノートのためと自分に言い聞かせていたので真面目に仕事はしたが、ずっと裸で立たされていたような気分のセイジなのだった。
「まあ、こういうのもたまにはいいもんだろ」
 な? と言って、ランスはセイジの頬に、冷たいものをぴたりと当てた。
 凍らせて持参したペットボトルだった。中のソフトドリンクは、ちょうどいい加減に溶けている。
「喉が渇くだろうと思って、用意しておいたんだ」
「まったく、何から何まで用意周到なやつだ」
 などと言いながらもセイジの口元には、隠しきれない内心の感謝がうっすらと表れていた。



 えっとどなたですか?――と尋ねるチャンスを信城いつきは逸してしまった。
 ことは休日、大型ショッピングモールでの正午ごろに発生した。
 このときいつきはミカとふたりで買い物に来ていた。やや暑いが風の涼しいちょうどいい気候で、互いに気に入った服を入手したりしてひたすらに上機嫌だったその空間の均衡は、ひとりの闖入者によって破られたのである。
 すらりと背の高い女性だった。
 髪はつややかな蜂蜜色で腰ほどの長さがあり、切れ長の目はぞっとするほど艶容だった。黒いワンピース姿、金色のベルトのほかは飾り気のない服装、バッグもカジュアルなベーシック色だったものの、それでも、モデルかと思うほどのゴージャスさがある。その理由は、フラットサンダルなのに思わず目がいくほど脚が長いところにあるだろう。あるいは、気品と情熱を感じさせる笑顔や、絹のごとき肌のきめの細かさにあるだろうか。
 その女性は彼らの姿を見るなり、しずしずと歩み寄ってきて、
「あらミカ、奇遇ね」
 と声をかけてきた。
「何が奇遇なものか。ここで待っていたんだろう」
 なぜかミカは苦々しげに返した。
 いつきはともかくも圧倒されてしまって、どなたですか、が言えず口をぱくぱくさせている。
「かなわないなぁ、やっぱり気がついた?」
「当たり前だ。いつきの事は話はしていたから、好奇心に負けて顔を見にきたといったところか」
 女性はいくらか歳上のようだが、ミカは随分とぞんざいな口をきいていた。
 ミカと女性、それぞれの顔を見比べながらいつきは思う。あの人はミカの前の職場の先輩だろうか? いや、それよりもっと親しい間柄のような……お姉さんとか? ひょっとすると元恋人だったりして……!?
 そうこうしているうちに、
「せっかく会えたんだもの、お昼、一緒にどう?」
 と彼女は切り出した。
 ミカは一瞬、いつきのほうを見た。あきらかに「追っ払おうか?」と訊いている。だがいつきは小声で言った。
「せっかく好意で言ってくれているんだから……」
 あいかわらず圧倒はされているが、このゴージャス美女の正体が気にもなりはじめていた。
 ミカはじろりと彼女を見た。口をへの字にして何か言いたそうな表情をする。
 それを真正面から受けても彼女は動じず、
「だったらあそこのファミリーレストランはどう? ちょうどあの店のクーポン持ってきてるの。ね? いいでしょ?」
 などとぐいぐい、圧すように笑顔を向けてくるのだった。こんな美人に言い寄られて、渋い顔をするミカもミカだが、さすがにもう観念したらしく、
「……なら、仕方ない。いつきも異存ないようだし」
 もう一度ちらりといつきのほうを見てから言ったのである。
 短い時間であったがいつきは、ミカのメッセージを読み取っていた。
 ミカは目で「すまん」と謝っていた。
 それがなぜなのか、いつきにはどうしてもわからない。

「だいたい、『ちょうどあの店の』とかなんとか言って、どうせ最初からここに来る計画だったんだろ」
 手早く注文を済ませると、ミカは憤然と腕組みしながら言う。
 女性はそれでもニコニコしている。しかもミカではなく、いつきのほうに視線を注いでいる。
 微妙な空気だ。
 いつきはおずおずと口を開く。とにかく、共通の知り合いであるミカの話題を振ってみよう。
「えっと、ミカにはいつも親切にしてもらって……」
 そのときミカが、がたんと音を立てて椅子から立った。
「ドリンクバー。行ってくる」
 いつきは、いつものやつでいいな、と確認してからミカは、女性に顔を向けて険しい目をした。
 しかしどこ吹く風、女性は笑顔のまま言うのである。
「私はコーラでいいよ」
 イエスともノーとも言わず、ミカはただ、
「……いつきに変なこと言うなよな」
 と彼女に釘を刺してその場を離れた。心なしかその背中は怒り気味だ。
 ふふ、とブロンドの女性は含み笑いすると、ネズミをもてあそぶ猫のような目でいつきに話しかける。
「色々困った子だし、迷惑とかしていない?」
「迷惑? ミカが、ですか?」
 しまった二人きりになるとは――いつきは急に緊張してしまった。なんだか入試の面接を受けている気分だ。
「そう。ほら、色々難しいところがあるし、あの子……」
「そんなことないっ、俺はミカにいっぱい優しくしてもらってるよ!」
 思わず声がうわずってしまう。馴れ馴れしい口をきいたかな、と気になったが、彼女のほうは気にしていないようだ。
「本当? あのチビちゃんは、芸術家だかなんだか知らないけどワガママで気まぐれで、人の気持ちをあまり汲み取らなくて……」
 ミカが『チビちゃん』呼ばわりされていることへの驚きもさることながら、いつきは彼女に対し反発を覚えていた。
 ミカの事一杯知ってるみたいだけど、俺が辛いときにどれだけ支えてくれたか知らないくせにっ――そう言ってやりたかった。
 けれどいつきの口をついたのはこの言葉だけだった。
「ミカは……ブランコだって付き合ってくれたよ!」
 もう少し勢いがあったのなら、ドンとテーブルを叩いていたかもしれない。
 なぜブランコのことが出たのか、いつき自身にもわからなかった。けれど、これだけは言っておきたかったのだ。
「ブランコ?」
 もしかしたら一矢報いたということになるのだろうか。不意を突かれたのか彼女は目を丸くしたのだ。
 しかしそれも数秒のこと、彼女はこれまでで一番、優しい笑顔を見せたのである。
「うちの愚息と仲良くしてくれてありがとう」
「ぐそ……えっ!?」
 ようやくいつきは事情を理解した。だが理解したとはいえ……それは新たな驚きを呼び寄せていた。
 つまりミカのお母さん!?
 見えない!
 若い、というか、
「若すぎ……!」
 といういつきの言葉に応じる声があった。
「義理の母だとか言ってやりたいが、残念ながらその人は、血のつながった正真正銘の実母だ」
 振り向くとそこには、三人分のドリンクを手にしたミカが立っていたのだった。
「残念ながらとはなによ、チビちゃん」
「『チビちゃん』じゃない! あと、歳相応に老けてくれ。頼むから」
 ミカは席につき、やや乱暴にガラガラと、氷の詰まったアイスティーをかき回してはじめた。
 一口飲んでふうと息を吐く。ようやくここで、ミカの眉が下がった。
「正直、変わった母だろ……母親参観みたいで言い出せなかったんだよ……」
 そうだ! いつきは思わず立ち上がって、90度の角度でミカの母に頭を下げていた。
「ミカのお母さん、怒ってごめんなさいっ!」
「いいえ、友達ために怒ってくれるなんて、ミカはいい人と巡り会えたものだと思うよ。本当に。だから頭をあげて、ほら、元の席に座ってね」
 彼女の口調は優しかった。見た目とのギャップはあいかわらずだが、そういえばこの慈愛あふれる口調は、まさしくお母さん的ではないか。いつきは素直に従う。
 ミカはまたアイスティーをかき回しながら言う。
「まったく、いまだに息子の交友関係が気になるなんて……俺を何歳(いくつ)と思ってんだか」
「でも心配なんだもの。ほら、この子ね、昔から、好きな子ほどいじめたがる困ったところがあって……」
 彼女がいつきに話しかけると、やはり気恥ずかしいのかミカは両手を振ってやめさせようとする。
「いいじゃないか、もう、そういう話は! 今日はいつきを見に来たんだろう? 俺の話はまた今度また今度!」
「ふふ、でも良かったわね、ミカ、いい人と組むことができて」
 こう言われて、うつむき加減にアイスティーに口をつけてミカは答えたのである。
「……おかげさまで」
 そういえば今日のミカがずっと変だったわけも、いつきには合点がいった。
 甘えているのだ。息子として、母に。
 ミカは絶対、そう指摘されても認めないだろうけど――そんなことを一人考えて、いつきの頬に笑みが浮かんだ。
 あとひとつ、いつきが知ったことがある。
 ミカがよく、自分を「チビ」とか「チビちゃん」と呼んでくるのは、母親から受け継いだ癖なのだと。
 だったらまあ、「チビ」呼ばわりも、喜んでおくべきなのか……なあ?



 ひさびさの休日だ。先週壊れた卓上ハンディクリーナーの換えを買うため、カイエル・シェナーはこの日、エルディス・シュアと買い物に来ていた。
 そんなの通販で買えばいいんじゃない? とその前にエルディスは言ったのだがカイエルは首を縦に振らなかった。
「日々使うものは、きちんと実物に触れて確かめてから購入したい」
 信念とともにそう断じたのである。しかも、できるだけ候補がある中から選びたいということで、近所のディスカウントストアではなく、わざわざ電車に乗って電気街として有名なこの地まで足を伸ばしたのだった。
 数店舗回ったところで気に入ったものを見つけ、無事目的は果たしたものの、カイエルはなんだか釈然としない顔をしている。
「かつて電気街というのは、もっと電気電気していたように思うのだが」
「電気電気? まあ、言いたいことはなんとなくわかるけど……」
 ネオン輝くビルがならぶ雑多な街、その基本は変わらない。けれど、カイエルの言うように、いくらか街は表情を変えていた。以前はもっと家電量販店があったはずだが、いつの間にかその割合は減じ、代わりにトレーディングカードショップや模型店、アニメ関連の店舗や同人誌販売書店などが大量に進出していたのだ。いま、この土地は電気街というよりはカルチャー街というべきかもしれない。なお、カイエルはそのあたりのものに疎いので、「画廊が増えたのだろうか……?」といった漠然とした感想を抱いていた。
 目当てのものにたどり着くまでこまごまと歩いたこともあり、ふたりとも軽く疲労を感じ始めている。
「そろそろ休憩にしないか。足がくたびれたんだが」
 とエルディスが言ったちょうどそのとき、カイエルは不思議な姿の女性と遭遇した。
 彼女はミニスカートを履き上着は半袖だった。衣装は上下とも黒なのだが、その上にレース飾りをあしらった白いエプロンに似たものをまとっている。『エプロンに似たもの』と書いたのは、それがエルディスの目にはエプロンとは映らなかったからだ。あまりに華美で、丁寧な縫製がほどこされており、汚れることが前提の前掛けではなく、服飾としか思えない。それに、あんなに短いスカートと半袖姿で、料理なんてできないだろう。さらに彼女は頭に、やはりレース飾りのカチューシャをしていた。
「どうぞ来て下さいね~」
 不思議な服装の女性は、釣り銭を手渡すようにして両手でぎゅっと一枚のチラシをカイエルに握らせた。「きゅーん♪」とか意味不明な語尾もつけていたが、カイエルの耳には届いていない。
 執拗なほどにゴシック調の装飾が施されたチラシであった。ご主人様がどうの、というよくわからない文字も躍ってはいたが、カイエルが目を留めたのは、片隅にあったコーヒーの写真と焼き菓子のメニューであった。(なお、例の『不思議な服装の女性』の写真もたくさん載せられていたのだが、彼の目にはまったく入っていなかった)
 どうやら休憩場所のようである。
「丁度良いな、ここにしよう」
 カイエルはまるで迷わず、凜然と視線を上げて女性に告げた。
「案内してほしい」
 おいおいおいおい! エルディスはつんのめりそうになっている。
 ――丁度良いな、じゃねぇーっ! 確かに休みたいとは言ったが、イケナイ店すれすれなところで休憩したいとは思ってなーい! 
 とメガホンを使って叫びたいところではあるのだが、店の女性がいる前で口にするわけにはいかないし、第一、カイエルはもう店に向かって歩き出している。
 ええい、乗りかかった船だ。エルディスは肚をくくった。

「こちらでーす」
 また「きゅーん♪」と謎語尾をつけて、狭苦しいエレベーターから案内役の女性は降りた。
 雑居ビルの三階だった。目的地はエレベーターからわずか数歩の距離、これまでの殺風景さからすれば不釣り合いなほど、メルヘンな構えの喫茶店である。パステル調の看板もなんだかまぶしい。
 だが入口の奇妙さなど些細なことだった。
 ドアをくぐるなり、予想外の声がふたりを包み込んだのである。
「お帰りなさーい! ご主人様」
 店内にいたウェイトレスが全員、そろって和声を織り上げていた。
「……な、に?」
 あまりの衝撃に、カイエルは息を呑みまばたきを繰り返した。
 なぜ『お帰りなさい』と言う?
 ご主人様とは、自分たちのことか?
 それに……ウェイトレスが全員、あの不思議な服装だと!?
 困惑の極みだ。世界はどこでボタンを掛け違えたのか。
 ところがエルディスのほうは正反対で、
「はいはい、席はこっちだね。ありがとう」
 と、くつろいだ様子で案内されたソファに腰を下ろすのである。油が切れたロボットみたいにぎこちなく座るカイエルを眺め、楽しそうにエルディスは言った。
「……ま、でも入ってみれば天国だよな。堅苦しくもないし可愛い女の子沢山いるし」
「状況が把握できんのだが」
「はは、自分からイケナイ界隈に踏み出しておいてそれはないよな」
 などとからかいつつも、エルディスは相方に、この店がどんな店なのか説明した。もう一時的な流行の次元を過ぎて、こうした街のあちこちにある業態だということも含めて。
「メイド喫茶、と言うのか……」
 カイエルにはどうしても納得がいかない。彼の知るメイドというのは、いわゆるヴィクトリアンメイド服を着た女性の使用人であり、年齢もバラバラのはずである。なのにこの店内にいる『メイド』のは一人残らず若い娘だ。しかも、
「あれが、メイドの作業着だ、と……」
 目の前を通り過ぎた少女の後ろ姿を、つい目で追ってしまう。たしかにメイド風とはいえ、あまりに機能性の低い扮装ではないか。特に理解の範疇を超えているのはスカートだ。短すぎる!
 ところがエルディスは、カイエルの視線に気づきあらぬ誤解をしたようだ。
「おや、顔が真っ赤だぞ? ほう、スカートが気になるか……さてはカイエル、足フェチか」
 それを聞くなりますますカイエルは紅潮した。
「ち、違う! 脚を追い掛けていたわけでは!」
 なんとピュアな反応! とうとう我慢できなくなってエルディスは吹きだした。腹を抱えて笑ってしまう。はっきり言って楽しい!
「照れるな照れるな。では俺が、メイド喫茶の作法を手ほどきしてあげよう」
 エルディスは片手を挙げメイドを呼んだ。

「待て、これは……どういうことだ」
 カイエルの声は震えていた。どう繕おうとガチガチに緊張しているのが丸見えだ。
 それもそうだろう。いま、カイエルの正面テーブルにはメイドがオムライスを置き、別のメイドがケチャップでハートマークを描いてくれているのだ。そればかりではない。彼の左右にも、背後にまで一人ずつメイドが侍し、こぼれそうな笑みを浮かべているのである!
「これ? お約束のケチャップオムライスだよ」
 なんでもないことのようにエルディスは笑う。まあ『お約束』にしてはサービス過剰だが、それは黙っておくとしよう。
 実は注文時、エルディスはこっそりとメイドにチップをはずみ、「今日、俺の連れのお祝いで来てるんだ。みんなで彼と記念撮影してあげてよ」と吹き込んでおいたのだ。
「さあ撮るよ。ほらカイエル、笑って」
 ちゃっかりカメラ係となって、エルディスは片膝をつきスマホを構えた。
 メイドたちは満面の笑顔だ。調子に乗ってカイエルの肩に頭を乗せた子もいる。彼女たちは、声を合わせて言った。
「にゃんにゃんにゃん!」
 そしてポーズ! 全員一斉に!
 シャッターが切られた。
 そしてカイエルは……撃沈した。がくっ、と失神したように首を垂れる。ついに限界に達したらしい。
「……あー、世間知らずの女性耐性なしにこれはきつかったか……」
 エルディスは苦笑いして、そっとハンカチを取り出した。
「……!」
 顔を上げずにカイエルはこれを受け取った。
 のぼせきったものらしい。
 ハンカチについた赤いものは、決してケチャップではないのだった。
 げに恐るべし、メイド喫茶。
 げに恐るべし……ケチャップオムライス!
 しばらく電気街は、カイエルにとって鬼門となりそうである。



 ティミラが笑うと、薔薇が咲いたように場は華やぐ。
 白夜が終わった北方の大地の日輪のごとき明るい髪色、すらりと通った鼻梁、光沢のある瞳、高貴に整った顔立ちだが柔和な雰囲気もあって、ティミラはいつだって人目を惹くし、いつだって、周囲の人々に愛されている。
 けれどもこのとき、ティミラは万人のためにこの場所にいるのではなかった。
 いま彼はたった一人……咲祈のためだけにここにいた。
 歩道に。もう少し具体的に言えば、サフィニアの家の近場の、歩道に。
 咲祈は足を止めて振り返った。そして無感動な目でティミラを一瞥すると、やっぱりいた、とでも言いたげに軽くため息をつくのである。
「……本屋に行くだけなのに、なぜついて来るんだい」
 理解できない、という目をする。
「僕は君のことは分からないと言っただろう……」
 物憂げに睫毛を上げた。これはティミラに放った言葉ではあるが、返答は期待していないようでもあった。
 このとき風が吹いて、ティミラはかすかに震えた。
 もう初夏といっていい頃合いだというのに、今日の午後は長袖のパーカーを羽織りたいくらい肌寒い。
 けれどもティミラは気圧されない。彼はにこりと、氷の心臓を持った少女すら蕩かすような笑みを浮かべた。
「つれないなぁツバ、……咲祈は」
 ティミラは両手を広げるジェスチャーをとっている。
「いやほら、だってあれじゃん? 咲祈が道に迷ったらどうすんの。誰がサフィニアの家まで連れて帰るんだ?」
 判ってもらいたくて、あえて言葉に力を込めた。
「別に過保護じゃないんだ。ただ単に、咲祈が心配なだけなんだ!」
 わずか1ピコキュリーとて偽りの混じっていないティミラの真意だ。
 ティミラの人生最大の後悔、それは幼き日に、大切な弟を一人、外に出してしまったことだ。
 ごくありふれた一日と思われたその日は、兄弟にとって運命の一日となってしまった。
 その日、日が暮れても弟は兄の元に戻らず、そのまま果てしなく長い年月が過ぎたのである。
 だからこうして弟を取り戻した現在、いくらもう大丈夫だと頭で理解してはいても、つい弟……かつての『ツバキ』の名ではなく、『咲祈』と呼んでいる彼……の単身行を認めることは、どうしてもティミラにはできないのだった。
 しかしどれほど強く念じようと、ある人の気持ちが純粋に相手に届くことはない。いや、完全にないと否定はしないが、ごく難しいことは確かだ。
 このときも咲祈は、ティミラの真意を理解し得なかった。それはちょうど外国語で書かれた漫画本を読んで、絵だけで表面上のストーリーのみを理解することに似ていた。
 ――タブロスも大分慣れたし今頃迷わないさ……。
 咲祈はそう考えて首をすくめた。本屋に行くのは孤独な趣味だ。できれば、孤独のままにさせてほしい。
 薄い拒絶の色を咲祈の砂金色の目に見出して、さしものティミラの笑みもやや曇る。それでも、ティミラは努めて明るくこう言った。
「そういえば咲祈ってなんかオレに対して冷たくなーい……?」
 冗談だよ、と言われたら笑い飛ばせるくらいの声色、けれど、そうだよ、と言われたら自分は傷つくだろう、そんな予感もしている。
「……そうかい? 普通だが」
 こういうやりとりは予想していなかったらしく、咲祈が答えるまでやや間があった。
 その短い間が、ティミラにはこたえた。
 ティミラの明るさを慕う人には、脆いその内面は見えない。
 だが淡い期待をしていたのだ、ティミラは。我が弟なら、自分のことを判ってくれるだろうと。「そんなことはない」と即答してくれるだろうと。
 ところが返ってきたのは、酷い言葉ではないものの、ややよそよそしいかすかな空白だった。
 それが少し、ほんの少しだが、ティミラには、つらかった。
 しかしやはり兄弟ゆえか、咲祈もさすがに言葉を緩めた。
「じゃ、行こう」
 我知らずつい、そんな風に呼びかけている。
「行っていいのかい!?」
 たちまちティミラの声が、薔薇を背負った王子に戻った。その問いかけには直接こたえず、
「あと、そんな後ろからついてくるんじゃなくて、隣、歩いてくれないか。尾行されているみたいで落ち着かない」
 と言い残しもう咲祈は歩き始めている。
「うん! そうするそうする!」
 母ザルに抱っこされている赤ちゃんザルみたいな上機嫌で、跳ぶようにしてティミラは咲祈に並ぶのだった。
「これが俗にいう構ってちゃん……」
 咲祈はつぶやいている。
「え、なんか言った?」
「いや、なにも」

 さて兄弟の道中は、書店にたどりつく前でまたもや中断を余儀なくされた。
「君の足元……犬がわんさか集まっているようだ?」
 ドキュメンタリー番組のナレーション調で咲祈が言った。
「え?」
 と足を止めてティミラは四方を見回し、
「うお、マジだ! っていうか、犬の鳴き声がわんだから、『わんさか』と言ってみたのか?」
 などとおどけてみせる。どうしてもスルーしがたくて、咲祈はつい感想を漏らすのだ。
「……その発想は、なかったな」
「さすが咲祈! 無自覚なのが良い!」
 咲祈はにこりともしない。
「それはともかく、事情を説明してもらいたいのだが……」
 仮にここにいるのが咲祈でなかったとしても、同じ気分になったはずだ。
 なぜならこのとき、商店街の真ん中で十数頭を超える犬に兄弟は包囲されていたのだった。犬たちは、ティミラと咲祈を中心とした同心円を描いていたのである。犬をどけなければもう進めそうもない。
「本屋に行くだけなのになぜ犬に囲まれるんだい……?」
 いずれも飼い犬らしい。首輪をつけ、チェーンを引きずっていたりする。
 種類のほうは多様だ。チワワのような小さいものから、グレイハウンドのような大型までいるし、赤ちゃんから老犬まで、年齢もバラバラのようである。ぱっと見ではわからないが、性別も半々くらいなのではないか。
 共通しているのは、犬たちはみな友好的だということだった。そろって、「遊んで」というような目で彼らを見ている。にへーっと笑っている犬もいた。
 咲祈は冷めた目で腕組みしているが、ティミラはなんだか盛り上がってきたらしく、目をキラキラさせてしゃがみこみ、頭をなでたり背にさわったりして犬たちとコミュニケーションを取りはじめていた。
「なんかオレ、動物の中でも特に犬に好かれやすいっぽいんだよなぁ……」
 一匹のおなかをタッチしながら兄は咲祈を見上げた。
「咲祈はなに派?」
「……猫派だ」
「うん、まあ、そんな気はしてた」
 遅れて、ぱたぱたと走ってくる姿が多々見られた。いずれも飼い主らしい。散歩中、突然自分の犬が二人を追っていったのだと口々に告げた。恐縮している人も少なくないが、「いいですいいです、気にしてませんし犬好きですし」とティミラが笑顔を振りまき安心させていく。
 年配の女性が、ティミラと咲祈を見比べて言った。
「二人とも顔が似てるね。兄弟?」
 この発言に示した反応は、ほぼ正反対といっていい。
「はいっ! こっちが弟ね」
 と、学級委員に選出された優等生みたいに誇らしげにティミラは返事して咲祈を示し、
「えっ」
 と、言葉を見失い、咲祈は思わずショーウインドーに映る自分の顔とティミラの顔を見比べた。
 似てる、の? これは――と訊き返したい。太陽のように明るいティミラと月のように冷ややかな自分、目の色も髪色も全然違う。これでよく兄弟だと思ったものだ。
 だが咲祈に発言の機会はなかった。あまりにティミラの笑顔がまぶしかったのだろう、その婦人は続けて、
「二人とも仲が良さそうね」
 と言ったのである。このまま月に飛んでいきそうなくらいティミラは喜び胸を張った。
「ええ! まあ、弟のことは目に入れても痛くないよ!」
 うう――許されるのならいまここで、咲祈は貧血を起こして倒れたいくらいだ。
 本屋に行きたいだけなのになぜ、と天に問いたい。そしてティミラには言いたい。
 そのブラコンっぷり、振りまくのは止めてくれ――。
 ふたりがここにいる不思議。
 ふたりがここで、犬に囲まれている、不思議よ。



依頼結果:成功
MVP
名前:カイエル・シェナー
呼び名:カイエル
  名前:エルディス・シュア
呼び名:エルディス

 

名前:咲祈
呼び名:サキ、ツバキ
  名前:ティミラ
呼び名:ティミラ、兄さん

 

メモリアルピンナップ


エピソード情報

マスター 桂木京介
エピソードの種類 ハピネスエピソード
男性用or女性用 男性のみ
エピソードジャンル ハートフル
エピソードタイプ EX
エピソードモード ノーマル
シンパシー 使用可
難易度 簡単
参加費 1,500ハートコイン
参加人数 5 / 2 ~ 5
報酬 なし
リリース日 05月19日
出発日 05月25日 00:00
予定納品日 06月04日

参加者

会議室

  • [8]信城いつき

    2016/05/24-23:34 

    信城いつきと相棒のミカだよ、よろしくね。
    遅くなったけど、プラン提出と参加挨拶まとめてご報告。

    ……で、どうして俺たち女性と一緒にご飯食べてるんだろう?この人だれ?

  • [7]アキ・セイジ

    2016/05/24-23:19 

    一ヶ月ぶりのエピ参加になる。
    ちょっとゲームを休んでいたんだ。
    じかし、桂木マスターのエピとあっては、万障繰り合わせて参加したっていうね(笑)
    そんなわけでプランは提出できているよ。
    愛の形も初めて使ってみた。どうなるかな。

  • [6]咲祈

    2016/05/24-01:10 

    咲祈とサフィニア……あ、違った。
    えと、咲祈とティミラ、だ。よろしくね。

    本屋に行くだけなのにティミラが着いてくるんだ。
    …もう道とか慣れたから迷子になるわけないのに。…ふう…(溜息

  • [5]蒼崎 海十

    2016/05/24-00:44 

  • [4]蒼崎 海十

    2016/05/24-00:43 

  • [3]蒼崎 海十

    2016/05/24-00:43 

    蒼崎海十です。
    パートナーはフィン。
    皆様、宜しくお願い致します。

    俺はひょんなことから、フィンの忘れ物を届けに、フィンが仕事で通う出版社に行くことになりそうです。
    …どうしてこうなった。

    よい一時になりますように。

  • [2]カイエル・シェナー

    2016/05/23-18:25 

    カイエル・シェナーと精霊のエルディス・シュアだ。

    今回は、解説欄の設定より『メイド喫茶』に行く予定だ。
    どうか宜しく頼む。

  • [1]アキ・セイジ

    2016/05/22-02:00 


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