物語の結末は(雪花菜 凛 マスター) 【難易度:普通】

プロローグ

 貴方達がその本を手に取ったのは、全くの偶然の出来事でした。

 A.R.O.A.での事務手続きの待ち時間。
 ふと雑誌などが置いてある場所にぽつんと存在していた、真っ白な表紙。
 何となく手に取って捲ってみると、何処か惹かれる華やかなイラストが目を引く絵物語。
 気付けば、貴方と精霊は引き込まれるようにその本に見入っていました。

 ※

 昔々ある所に、一人の漁師の男が居ました。
 ある日、漁師が一人で漁に出かけた所、思いがけない嵐に遭い、船は沈んでしまいます。

 漁師は死を覚悟しました。暗い水の中に沈んでいきます。

 しかし、次に目が覚めた時、漁師は陸の上に居ました。
 ぽつり、ぽつり。
 頬に落ちて来る滴の先を見上げると、何とも妖しく美しい男がこちらを見つめています。

 漁師は一瞬で悟りました──これは、『ヒト』ではないと。
 そして、自分を助けたのは、この男である事を。

 怪しく美しい男は言いました。

 ──今日、私に出会った事を誰にも話してはいけない。もし話してしまったら、私はオマエを──

 最後のところだけ、よく聞こえないままに意識が薄れ、次に漁師が目覚めた時、男はもう何処にも居ませんでした。

 それから数か月後。
 漁師の記憶から、男の姿は日に日に薄れて、おぼろげになっていました。

 そんな漁師の元に、一人の美しい男が尋ねて来ました。
 男は旅の途中、荷物を海に流してしまい、食べるものにも困っていると言います。
 漁師は快く男を迎え入れ、温かい食事でもてなしました。

 数日の滞在予定が、一週間、二週間と延びていき──二人は、いつしかお互いを深く愛すようになっていました。

 男は大変に美しく、村に行けば、多くの男女に愛を告げられました。
 けれど、男の心は漁師だけのもの。
 漁師は幸せを感じていました。

 一つだけ、心の片隅で感じる違和感以外は──。

 ある日の夜、漁師はとうとうその事を男に尋ねる事にしました。
 この先、男と幸せな家庭を築くために、どうしても知りたかったのです。

「俺は、お前と海で出会った事はないか? お前はあの時、遭難した俺を救ってくれたのではないか」

「……話してしまいましたね」
 男は悲し気に瞳を伏せます。
「私はヒトではありません。それでも、貴方に会いたくてここまで来てしまった」

 沈黙が落ちました。
 お互いの息遣いのみが響く長い長い沈黙の後、男がゆっくりと唇を開きます。
「貴方は、私のことを話してしまった。私は、貴方を──」

 その時でした。
 急に外が明るくなったのです。
 漁師と男は顔を見合わせ、漁師が窓の外を見ます。

「バケモノは殺せ!」

 手に松明を持った村人達が、恐ろしい形相でこちらを睨み付けていました。
「話は聞かせて貰ったぞ! そいつ、ヒトじゃないんだろう? 前から怪しいと思ってたんだ!!」
 唾を飛ばしながら捲し立てるのは、以前男に愛を告げて断られた事のある、村の有力者の男です。
「バケモノに襲われる前に、殺すんだ!」
「殺せ!」
「ころせ!」
「コロセ!」

 嗚呼と、男が口元を押さえます。
 漁師は男を見つめて──……。

 ※

 そこで、ウィンクルム達の目の前が真っ白になりました。
 不思議な浮遊感の後、目を開いて──神人は大きく瞬きします。
 先ほどまで居た、A.R.O.A.の一角では、ありません。
 木造の、素朴な家──。
「おい……!」
 精霊の緊迫した声がし、顔を上げると、窓の外には松明を持った恐ろしい形相の人々。
 ──もしかして。
 和服に身を包んだ精霊を見て、神人は信じられない思いで呟きます。
「これは……あの本の中、なのか──?」

「殺せ!」
「ころせ!」
「コロセ!」

 物語の結末を描くのは、貴方達です。

解説

突然、絵物語の登場人物になってしまった状態から、どのようにその場を切り抜けるか、皆様のプランで物語の結末が変化するエピソードです。
完全に個別描写のエピソードとなります。
ウィンクルム達の行動した結果で、物語が完結しますと、元の場所に戻れます。

プランには以下を明記して下さい。

・漁師、男、どちらを演じるか。(神人と精霊のプラン冒頭に、それぞれ『漁』『男』を表記して下さい)

・どのように行動し、その場を切り抜けるか。
 (例:裏口から二人で逃げる 等)

※『男』は、現在ヒトに化けている為、特殊な力等は使えません。

※同様にウィンクルムのジョブスキルも利用不可です。

<場所情報>
純和風な村の一角。
村からは少し離れた所に立つ、木製の素朴な一階建ての家。
家の周囲を、松明を持った村人達が取り囲んでいます。
村人達は『男』を恐ろしいアヤカシと認識し、『男』を捕まえようとして来ます。
もし、二人が家から出て来ない場合は、家に火を付けるつもりです。

なお、A.R.O.A.への移動代などで、一律「300Jr」消費しますので、あらかじめご了承下さい。
EXエピソードの為、雪花菜のアドリブが多く炸裂すると思われます。拘りやNG項目あれば、プラン、または自由設定に明記頂けますと幸いです。

ゲームマスターより

ゲームマスターを務めさせていただく、『泳ぐのだけは得意な』方の雪花菜 凛(きらず りん)です。

男性側では、少し久し振りのEXエピソードです。
アドリブ多めになりますので、ご注意下さい。

物語の結末を皆様がどのように描くのか、今からワクワクしています!

皆様のご参加と、素敵なアクションをお待ちしております♪

リザルトノベル

◆アクション・プラン

セイリュー・グラシア(ラキア・ジェイドバイン)

  『漁』
家を襲う村人達に「止めろ」と恫喝。
「誰か実際に襲われた者が居るのか?」と大声で問う。
襲われてもいないのに襲うとの流言で害をなすのは駄目だろ。
ラキアが人間の天敵で捕食者だとか、実際に襲われたというのならともかく。
それ以外の理由で誰かを傷つける行為はやっちゃ駄目だろ。人として。お前達自分がそうされても構わないのか。
と堂々と村人達を問いただす。
「ラキアは誰も傷つけない。文句があるならオレが相手だ」
大事な人は絶対護る。指咥えて見ているつもりはないぜ。
攻撃を避け、相手の武器を奪う。丸腰なら荒事の苦手な奴は大人しくなるだろ。スポーツ得意だから格闘も負けない。
村から出てけというなら2人で堂々と出てく。



フレディ・フットマン(フロックス・フォスター)
 
恰好が男の物と気づく
(僕が…殺されれば、いいの?
精霊じゃなくて少し安心
手を引かれ慌てて振り払う

オジさん、裏から出て…僕は、皆の所に行く…
…僕は、死ねばいいん、だよね?
(大丈夫、僕だけ我慢すればいい、我慢すれば終わる…
どうにかする、から…一人で行っ…え?(頬押さえ
あ…(そうだ、僕、自分のことしか考えてなくて…オジさんの気持ちとか、全然考えてなくて

う、ぅ…(泣き崩れ
嫌だ…オジさんと、一緒がいい…独りは、嫌…!
(我儘だって、分かってるのに…言葉が勝手に…
でも、どうするの…?
うん、うん…大丈夫、一緒に…
(少し怖いけど、一緒なら…大丈夫
離さないよう手を握り締める

読後
迷った末精霊を撫でて慰め
大丈夫、だよ


カイン・モーントズィッヒェル(イェルク・グリューン)
 
イェルの機先を制する言葉に驚く
今度は逆か※E3
(やっと気づいてくれたが、俺はそんなに強くない。あの夢で間際に漏れた言葉が全てだろう)※E42、7
『生き抜け』と言うイェルはこれが現実でも俺がそうする事に気づいてる
「悪かった。ちっと考えてた」
さて、どう切り抜けるか
考えてイェルの手を引いて出る
「悪ぃ、こいつ腹の中に俺の子いんだわ。子供欲しくて人になる為力全部使っちまった」※嘘
呆気に取られた瞬間にイェル抱えて逃走
世界の果てにでも逃げっから、じゃーな!

現実
どの位時間戻ったか確認してたら、イェルから衝撃の一言言われた
驚いてたら甘えられたので、イェルにしか聞こえない声で囁く
「両方」
その前に入籍が先だがな!


テオドア・バークリー(ハルト)
 

狙いは俺のはずだけど、この様子だとハルに危害が及ばないとは限らない
なら俺一人が出て行けば…
いや、駄目だ、ちゃんと2人で元の場所に帰るんだ
考えないと、ハルと生き残る方法…ハル、裏口とかってない?

逃げてる途中繋いだ手、外れないように気をつけよう
この暗さではぐれたら見つけられる気がしない

何処まで逃げればいいんだか検討もつかないし不安だな…
でも…ホント、ハルの言葉を聞いてると
どうにか出来そうな気がしてくるから不思議だよ
ハルを信じる、ハルなら何とかしてくれるって

さあな、男は何て言いたかったんだろうな…
漁師を自分のところへ連れて行きたかっただろうか?
俺なら…いや、内緒
謎を残した方が想像の余地あるだろ?


●1.

 胸を突く嫌な言葉が、繰り返し響いている。
 それは地鳴りにも似た激しさで足元を揺らすようだった。
 フレディ・フットマンは、震える手で己の纏う着物に触れる。
 先程まで、パートナーのフロックス・フォスターと共に読んでいた絵物語──その中の登場人物が来ていた着物に酷似していた。
「早く出るぞ」
 声に顔を上げる。
 そこには、血の気の引いたフロックス。
 眼鏡の奥の瞳が酷く揺れていたから、彼がとても動揺しているのが分かる。

 ──コロセ──

(僕が……殺されれば、いいの?)
 指先が冷たくなったフロックスの手がぎゅっとフレディの指を握る。彼の手は震えていた、フレディ同様に。
 フロックスを見上げる。
 彼の纏う衣装は、絵物語の『漁師』の衣装。
(良かった……オジさんじゃなくて……)
 それが何よりの救い──フレディは小さく息を吐き出す。
 その時、ぐいと強い力で手を引かれた。
「裏口は何処だ?」
 フロックスが辺りを見渡していた──いけない。
 フレディは慌てて掴まれた手を振り解く。
「え……坊主?」
 振り返って来たフロックスが目を見開いていた。その表情に痛む胸を押さえて、フレディは声を絞り出した。
「オジさん、裏から出て……僕は、皆の所に行く……」
「……な、何言ってるんだ?」
 理解不能といった様子で、フロックスが更に目を見開く。
「……僕は、死ねばいいん、だよね?」
 か細い声で言って、フレディはフロックスから視線を逸らした。彼の目を見たら、決心が鈍りそうだったから。
「自分が死ねばって……おい」
(大丈夫、僕だけ我慢すればいい、我慢すれば終わる……)
 これは絵物語。
 物語が完結さえすれば、元に戻れる──そんな確信があった。
(もし、本当に僕が居なくなるとしても、オジさんは、オジさんだけは──)
「ちょっと待て……」
「オジさん、一人で行って……」
「おい」
「どうにかする、から……一人で行っ……」

 言葉はそこで途切れた。

 頬に熱い痛み。
「え?」
 頬を押さえてフレディが目線を上げれば、目の前でこちらを睨み震えるフロックスが居た。
 フロックスは、フレディを平手打ちした手をぐっと握り締める。
「ふ、ふざけるな!」
 声は無様に掠れたが、そんな事には構って居られなかった。
「また俺を独りにする気か?」
 目頭が熱い。
「そんなの独り善がりだろ、俺の気持ちを何も考えちゃいない!」
 フロックスは湧き上がる感情のまま叫ぶように言う。
 フレディが弾かれたように肩を揺らした。
 緑の瞳がおずおずとこちらを見つめる。フロックスは真っ直ぐにその瞳を見据えた。
(──そうだ、絶対に独りにして堪るか……!)
 全身全霊を賭けて、彼を繋ぎ止める為に言葉を紡がなければ。
「……生き残っても独りじゃ意味がないだろ……?」
 しかし、出て来た声は酷く弱々しい声だった。
「逝くのも生きるのも、俺は傍にいたい」
 声に出して改めて、フロックスは己の感情の意味を呑み込む。
 ──傍にいたい。傍に、いて欲しい──
「あ……」
 フレディは身動ぎした。
 全身を震わせ、拳を握り締めて。フロックスは、まるで静かに泣いているようだった。
 先程とは異なる痛みが胸を刺す。
 それは、もっとずっと鋭く心を抉る痛み。
(そうだ、僕、自分のことしか考えてなくて……オジさんの気持ちとか、全然考えてなくて)
 逆の立場だったら?
 間違いなく、自分は泣いてフロックスに縋るだろう──傍にいたい、置いて行かないでと。
「う、ぅ……」
 膝が震えて、フレディはその場に崩れるように膝を付いた。
 せき止めていた感情が噴き出して、涙がとめどなく溢れて来る。
 ゆっくりと、フロックスが膝を折って視線を合わせて来た。
 優しい手がフレディの両肩を掴む。
「どうしたいんだ? 本当に一人で逝きたいのか?」
 問い掛けてくる声も、優しくて。
「嫌だ……」
 涙で曇る視線の先で、フロックスがこちらを真っ直ぐに見ている。
「嫌だ……オジさんと、一緒がいい……独りは、嫌……!」
(我儘だって、分かってるのに……言葉が勝手に……)
 フレディは胸元を押さえる。
 何て酷い我儘だろう。もう、思うように心がコントロール出来ない。
 なのに、フロックスは微笑むのだ。酷く優しく。
「……そうか、ならいいんだ」
 ズキリと胸が痛む。こんなに優しい彼の手を離せない自分が、恨めしい。それを嬉しいと思う自分が、恨めしい。
「でも、どうするの……?」
 外では怒号が高まっていた。
 火を点けるぞとの叫びまで聞こえる。このままでは、そう遠くないタイミングで家は火に包まれるだろう。
「俺達は村に二度と近付かないって、一緒に伝えよう……」
 フロックスは手を伸ばし、指先でフレディの涙を拭った。
「それで旅に出るなり、海の見える場所でひっそり暮らそう」
 そう言って微笑む彼に、フレディも釣られるように泣き笑いを浮かべる。
 潮騒の音が聞こえる小さな家で、共に暮らす未来。叶うならば、どんなに幸せな光景だろうと思う。
「それでもダメなら……」
 フロックスはそっとフレディの手を取った。少し寂しげな微笑みを浮かべて。
「一緒に、逝くか」
 感情が、弾けた。
「うん、うん……」
 何度も頷きながら、涙腺が壊れたのではないだろうかと、フレディは思う。
 フロックスの言葉は、何ものにも代え難く、こんなにも心を占めて。
「……大丈夫、一緒に……」
 怖くないと言ったら嘘になる。
 でも、一人で行くと決めた時とは全く違う、勇気が心に満ちてくるのを感じた。
 きっとこれは我儘である事は間違いない。けれど。
「……行くか」
 差し伸べられる手を、拒むことはもう出来ない。
 繋いだ手が震える。どちらの震えであるかも分からない程。
 強く握り締める。
 離れないよう、強く強く。
(少し怖いけど、一緒なら……大丈夫)
(独りにはしない、絶対に)
 二人で立ち上がる。
 火がこちらに近付いてくるのが分かった。
 顔を見合わせて、視線を合わせて。歩き出す。
 真っ直ぐに前へ。
 正面の扉から、二人は外の世界へ足を踏み出した。

「出て来たぞ!」
 一斉に二人に向けられるのは、悪意の視線と松明。
 松明の灯の眩しさに目を細めながら、フロックスは両手を挙げた。
 フレディも手は繋いだまま、一緒に両手を挙げる──戦う意志の無い事をまずは態度で示した。
「聞いてくれ」
 腹に力を込めて、フロックスは声を上げる。
「俺達はここを出ていく。二度とこの村には近付かない」
 凛と響く声に、村人達はざわめいた。
「だから、このまま行かせてくれ。俺達はアンタ達に危害を加える気は全くない」
 村人達が顔を見合わせる。
 少し戸惑うような雰囲気が広がった。
「だ、騙されるな、皆!」
 一人の男が叫ぶ。
 フレディは瞬きした。確かあの男は、『男』に愛を告げて断られた事のある、村の有力者。
「そう言って俺達の不意を突く作戦に違いない! 今コロスべきだ!!」
「……ッ! 違う、俺達はそんな事をしない!」
 フロックスが即座に言い返すも、男はぎらついた瞳で更に主張した。
「正体を隠して村に入りこんで居たのが証拠だ! 隙を見て俺達を食うつもりなんだ!」
 男の声に再び不穏が空気が辺りに満ちる。
(不味いな……)
 フロックスは舌打ちしたい気持ちで拳を握った。この男はどうあっても二人を悪者にしたいらしく、村人は男の言う事を信じている。
「……僕は……!」
 その時、フレディが声を上げた。
 視線が一気に彼へと集中する。
「坊主……?」
 こちらを見ているフロックスの手を強く握り返して、フレディはすぅっと息を吸った。
「僕は……この人と一緒に、生きていきたいだけなんです……」
 震える声が松明の灯りを揺らして響く。
「他に何もいらない。オジさんと一緒に、生きていきたい……」
 涙が溢れて来ても、フレディは村人達から目を逸らさなかった。
「お願いします……このまま、オジさんと一緒に行かせて下さい……」
 深々と頭を下げるフレディに、その場が静まり返る。
 暫しの間、パチパチと松明の炎が弾ける音だけが辺りに響いた。
「……行かせよう」
 やがて一人の村人がそう言う。
「出ていくと言っているんだ。村にもう関わらないならいいんじゃないか?」
「何を甘い事を言って……!」
 権力者の男が目の色を変えるも、村人達の多数は二人を行かせる事に賛成した。
「早く行け。二度と戻ってくるなよ」
 フレディとフロックスは顔を見合わせる。
「オジさん……」
「坊主……」
 どちらからとも無く微笑み合い、繋ぐ手に温かな力が籠った。
「……行くか」
「うん……」
 村人達に一礼して、歩き出す。
 行く宛て等ないけれど──二人ならば、何処へだって行ける。

「冗談じゃない……!」

 低い呻きのような怨嗟の声がして、二人は振り返った。
 村の有力者の男だ。
 男の手には鈍く光る斧が握られている。
「このまま行かせるか……! バケモノめ……!!」
 男が斧を手に駆け出し──……。

「オジさん……!!」

 考えるより先に身体が動いていた。
 フレディは渾身の力でフロックスを突き飛ばす。
「坊主!?」
 突き飛ばされながら、フロックスは見た。
 フレディの前に迫る凶刃。
 震えながらも、フレディはこちらを見て、微笑んで──……。

「止めろ……!!!!」


 ※

 フロックスは息を吐いた。
 ここは、何処だ──……?
 瞬きして、辺りを見渡して……同じように周囲を見渡しているフレディと目が合う。
「……坊主?」
「……オジさん……よかった……戻ってこれたんだね……」
 ほっと安堵の息を吐き出すフレディ。
 彼の手元には、絵物語の本がある。
 そうだ、ここはA.R.O.A.にある待合室だ。
 一気に力が抜けるような感覚を覚えながら、フロックスは両手で顔を覆った。
「……オジさん?」
 心配気にこちらを見て来る気配を感じる。
 フロックスは小さく鼻を啜った。
「大丈夫……?」
「……これは、花粉症だ」
 そう返しながらも、声に滲むものは隠せない。
「……」
 フレディは少し躊躇してから、そっとフロックスの髪に触れた。
「大丈夫、だよ」
 ゆっくりと優しく髪を撫でる。
 フロックスは顔を覆ったまま瞳を閉じた。
 瞼に浮かぶのは、凶刃の前で微笑んだ姿。
(──一緒に逝くと言ったのに)


●2.

 ──コロセ! 殺せ! ころせ!
 呪いのような怒号が、闇夜を揺らしている。
「怖っ! 醜い嫉妬ってやーねー」
 こんな状況でも明るいハルトの声に、テオドア・バークリーは冷静になっていく己を感じていた。
 ハルトが纏う衣装は、絵物語で『漁師』が着ていた衣装と同じ。
 そして己が纏うのは──。
(ヒトではないナニカの『男』か……)
 窓の外を見遣れば、松明の火が煌々と燃え盛っていて、まるで昼のように闇夜を切り裂いていた。
 そして恐ろしい形相の村人が多数。
 向こうはこちらをバケモノと言っているが、松明の灯りに照らされた村人達の方がモンスターそのものに見える。
(狙いは俺のはずだけど、この様子だとハルに危害が及ばないとは限らない。なら俺一人が出て行けば……)
 ちらりとハルトを見る。
(いや、駄目だ、ちゃんと2人で元の場所に帰るんだ)
 そこまで考えた所で、ハルトがこちらを振り返った。僅か目を見開く。
「おお、テオ君!中々和服も似合って……じゃなくて!」
 ぶんぶんと首を振ってから、ハルトは少し深刻そうな顔で言った。
「……テオ、その格好で走れる?」
「……まあ、なんとか」
 軽く足踏みしてみる。着物の裾はヒラヒラしているし、素足に草履だって慣れてない。何とも頼りない気持ちにはなるが、走るのに支障は無さそうだ。
「よし。じゃあ、裏口から逃げるぞ」
「……!」
 当たり前のように言われた言葉に、テオドアは瞬きする。
「? どうした?」
「……なんでも」
 慌てて視線を逸らした。
 頬が熱い。
 ハルトの中には、テオドアと一緒に逃げるという選択肢が当たり前のように存在するのだ。
 その事が不覚にもとても嬉しかった。
(そうだな。考えないと、ハルと生き残る方法……)
「……ハル、裏口とかってない?」
 尋ねれば、彼は頷く。
「あるっぽい。あそこ」
 ちょいとハルトが指差す隣のキッチンらしき部屋の先には、確かに裏口らしい扉があった。
「裏口から逃げるとして……外の奴らをなるべく表に集めたいよな」
 ハルトの言葉に、テオドアは頷く。
「何か注目を集める事が出来たらいいんだが……」
「ここはちょっと一計を案じてみるか」
 キラリとハルトの瞳が輝いた。
「一計って……?」
 首を傾けるテオドアに軽く片目を閉じてみせてから、ハルトは窓に向かう。
 窓際に立つハルトに、外からの視線が集中した。
 視線に僅か眉間に皺を刻んでから、ハルトはすぅっと息を吸い込み、声を張る。
「聞いてくれ! 話し合いがしたい!」
 ざわざわと村人の訝しむ声が上がった。
「少ししたら、二人で外に出る! 玄関先に集まって欲しい!」
 村人達から困惑した声も聞こえて来て、ハルトは神経を集中する。
 声の聞こえる限りではあるが、村人達は玄関前に多く集まっているようだった。
「これでよし」
 窓を締め窓際から離れると、ハルトはテオドアに手を差し出す。
「窓から見られないように気をつけろよ」
「分かった」
 テオドアは差し出された手をしっかりと握り返した。
「裏口に人いませんよーに……」
 ハルトは忍び足で裏口の扉まで歩く。その後ろをテオドアが続いた。
(……いたら、最悪体当たり強行突破、だな)
 ギィ……。
 そっと扉を開けば、潮の香がした。
「……なるほど……」
 裏口の外は直ぐに海だった。
 所謂断崖という奴だ。これなら人は居ないだろう。
「テオ、足元気を付けろよ」
「分かってる」
 二人は並んで夜の闇に眼を凝らした。
「……逃げ場がない……?」
 周囲を見渡して、テオドアが呟く。
 見渡す限りの断崖絶壁。行ける方向は表玄関の方面しかない。
「いや……逃げ場は、ある」
「……ハル?」
 ハルトの視線は崖の下に向いていた。
 まさか──と思った瞬間に、もう腕を引かれている。
「時間がない。来い、テオ!」
「ッ!!?」
 後方から、乱暴に扉を破る音がしたと同時、テオドアの身体は宙に浮いていた。
「舌噛むなよッ」
 テオドアを両腕に抱え上げ(お姫様抱っこという奴だ)、ハルトは地面を蹴った。
 崖の岩を足場に、下の浜辺を目指し、飛ぶ、飛ぶ、飛ぶ!
 ハルトの荒い息と、心臓の音。
 潮風に、満点の星空。暗い海。
 永遠とも一瞬ともつかぬジェットコースターのような時が過ぎて。
「よっ……と……!」
 ざざっと音を立てて、ハルトは砂浜に着地した。
 ハルトの頬から流れた汗が、テオドアに落ちて来る。
「ハル……」
「テオ、悪いがグズグズしてる時間がねぇ。走るぞ!」
 ハルトはテオドアを降ろすと、ぐいとその手を引いた。
「あ、ああ……」
 ハルトの背中を見ながら、テオドアは走り出した。
「ハル……その……大丈夫、か……?」
「えー、何だって?」
 ハルトがちらりとこちらを振り返る。
 闇の中、彼の緑の瞳には強い光が宿っていた。
「だって、汗……」
「あー、流石に崖降りるの緊張したからな」
 軽い口調で言って、ハハハと笑う。
「……助かった」
「……!今ので疲れ吹っ飛んだかも……」
「……バカ」
 そんな訳あるかと言えば、ハルトが笑うのが繋いだ手から伝わって来た。
 テオドアはそんな彼の手をぎゅっと握る。
 彼の手を握っていると、安心出来た。
(それに……この暗さではぐれたら……見つけられる気がしない)
 それは背筋が凍るような恐怖だった。
 だから、絶対に離れないように強く掴む。
 ハルトの手も優しく握り返してくれた。
 二人はひたすら前を向いて走る。

 夜空の下、どれくらい走っただろうか。
 永遠に続くような砂浜を走って走って。二人は岩場にある洞窟に身を寄せた。
 辺りはしんと静まり返っていて、今のところ、追ってくる人の気配も感じない。
 二人並んで、丁度良い大きさの石に腰を掛け、荒い息を整えた。
「走った走ったー」
 ハルトは大きく伸びをする。漸く少しだけ緊張が取れた事で、疲労感がぐっと増すようだった。
 潮風は心地良いが、汗と混じって身体中がべとべとだ。
 ああ、シャワーを浴びたい──そう思ってから、テオドアが口を開いた。
「何処まで逃げればいいんだか……」
 知らず溜息が唇から零れる。
「検討もつかないし不安だな……」
「まあ、現時点では人は追ってきていないみたいだし? 取り敢えずは逃げ切ったんじゃねーの?」
 ぽんぽんと、温かい手がテオドアの頭を撫でた。
「……」
 不思議だ、とテオドアは思う。
 本来なら不安で堪らない状態の筈なのに、こんなにも落ち着いていられる。
「これから……どうする? 逃げる宛てはあるのか?」
「逃げるアテ?」
 テオドアの問い掛けに、ハルトがきょとんとした顔をしてから、きっぱり首を振った。
「ない、俺ココ知らねーし」
「……自信満々に言うな」
 思わずテオドアが半眼になると、ハルトが身を乗り出してくる。
「でも、物語はハッピーエンドにしてこそでしょ!」
 ぐっと拳を握って微笑んだ。
「土地勘なくても何とかなるって!つーか何とかしてみせる!」
「……」
 洞窟の入り口から注ぐ月光が、まるでスポットライトのようにハルトを照らす。
 不思議だ──テオドアは再度思う。
 ハルトの言葉は、暗闇に明かりを灯すようだと。
「まずはそうだな……取り敢えず、もうちょい離れた方がいいな。後一日ぐらい歩けば、結構離れられる筈……」
 真剣な眼差しでハルトが顎に手を当てた。
「んで、雨風凌げる場所を探すか。手始めはこういう洞窟かな。都合よく廃屋とかあればラクなんだけどなぁ……」
 それは贅沢かと、明るく笑う。
「漁師が居るくらいなんだし、海に行けば魚は採れそうだしな。火もその辺に木があればなんとか……」
 そこまでハルトの話を聞いて、くすっとテオドアが肩を揺らした。
「でも……ホント、ハルの言葉を聞いてると──」
 テオドアは、ふっと自然と笑みが浮かぶ自分を感じる。
「どうにか出来そうな気がしてくるから不思議だよ」
 想像できる。洞窟だろうと廃屋だろうと、きっとハルトは迷わずテオドアの手を引いていって、一緒に生きていくのだ。
「ハルを信じる、ハルなら何とかしてくれるって」
「……テオ……」
 ハルトは魅入る。月光に照らされたテオドアの笑みを。
「……ああ、任しとけ」
 手を伸ばしてテオドアの頬に触れる。
 温かい体温。守り、共に生きていく。必ず。
「あ」
 ハルトはふと重要な事を思い出した。
「……そういや、テオ君のこと話しちゃった俺……どうなんの?」
「?」
 テオドアの首が傾く。
「ほら、本に書いてあったじゃん。ヒトではないテオ君のことを話してしまったら、テオ君が俺をどうとか……」
「ああ……」
 テオドアは一つ頷いてから、緩く首を振った。
「さあな、男は何て言いたかったんだろうな……」
「肝心なとこ、漁師は聞いてなかったしなあ」
 うーんとハルトは腕組みする。
「折角逃げ切ったのに、最後で命を貰う!とか勘弁な!」
「いや、俺自身『男』がどうする気だったか知らないし」
(それに、ハルの命を俺が奪うなんて──有り得ない)
 心に浮かんだ言葉は飲み込んで、テオドアは海を見遣った。
「いや相手がテオ君なら別にそれも……いやよくねえよ!」
 一人ツッコみをしているハルトに僅か口の端を上げてから、テオドアは口を開く。
「『男』は、漁師を自分のところへ連れて行きたかっただろうか?」
 ──それでも、貴方に会いたくてここまで来ました──
 本に書いてあった『男』の言葉を反芻する。
「俺なら……」
「テオ君なら?」
「……いや、内緒」
「えー!? そこまで言っておいて、ナイショとかヒドイ!」
 盛大に抗議の声を上げるハルトに、テオドアは口元に人差し指を立てた。
「謎を残した方が想像の余地あるだろ?」
「想像だけじゃ物足りないし」
 拗ねたようにこちらを見つめるハルトにテオドアが笑った時、二人の視界が白く染まった──。

 ※

 気付いたら、見知った部屋の中に居た。
「戻った……?」
 テオドアがまだ夢見心地で呟くと、その身体を衝撃が襲う。
「テオ君、良かった!!」
 それがハルトが抱き着いてきたのだと、テオドアが気付くまで30秒。
 更に、ハルトが突き飛ばされ床に転がるまで60秒。
 テオドアの手の中の本──絵物語のラストページで、漁師と男が幸せそうに笑っていた。


●3.

 彼の着ている着物が『それ』だと気付いた瞬間、イェルク・グリューンは口を開いていた。
「自身を差し出す展開へ持っていくのは駄目ですよ」
 凛とした強さを宿した声。カイン・モーントズィッヒェルは驚いた。
 イェルクの新緑を思わせる瞳は、真っ直ぐにカインを見ている。
「自分が大切にしてる人が傷つくのを、あなたは死ぬ程嫌がりますから」
 ──カインはそう『生きられる』という事を、イェルクは知っている。
 悪夢の世界の中で、カインがした選択を──イェルクは忘れた事は無い。
 ギルティの眷属になれば、パートナーは見逃す。そう言ったギルティに、あっさりと己がなると申し出た。
 そして、イェルクに眷属に堕ちた己を殺す事を託した──。
 あの時、気付けた感情と、その感情に至るまでの痛みを思い出して、イェルクは首を振る。
 もう、あんな想いは二度と御免だ。
 物語の『男』であるカインが、イェルクである『漁師』を守る為に、己の身を躊躇なく差し出す事は容易に予想できる。
(……そんな風に生きられるカインだから、リタさんは顕現で諌めた)
 イェルクは、カインの亡き妻を思い浮かべる。
 妻子の命をオーガに奪われた際、喪失と憎悪の中で、カインは神人として顕現した。
 カインの手に浮かんだ紋章は、彼の憎しみを『否』とする、妻の強い想いを伝える光を宿していた。
 だからカインは、憎しみの中へ沈む事は出来なかったのだ。
(そして、ウィンクルムとしてカインが私と出会い、出会う私を心から心配する事もリタさんは知っていたのだろう)
 事実、カインはイェルクに心を砕き、同じ痛みを知る者としてイェルクを立ち直らせてくれた。
 イェルクの存在がまた、カインを支えた。
 二人が愛し合うようになった事も、今は必然だったと思う。
(本当に、大した女性だ)
 心の中でリタへ語り掛ける。
(だから、今は私が──カインの手を離さない)
「私を想うなら、一緒に『生き抜いて』ください」
 イェルクの射抜くような眼差しと声に、カインは心の中で降参の手を挙げた。
 カインの雰囲気が少し和らいだのを感じ、イェルクはそっと息を吐き出す。
 そんなイェルクを見つめながら、カインは笑みを口元に刻んだ。
(今度は逆か)
 いつかの悪夢の中では、イェルクが何かを言う前に先手を打ち、ギルティの眷属となる決断を下した。
(やっと気づいてくれたが、俺はそんなに強くない。あの夢で間際に漏れた言葉が全てだろう)
 あの夢──イェルクが決して癒える事のない病に倒れた悪夢。
 体温を失っていく、呼吸を止めてしまった唇のあの感触。
 強くないから、大切な人が傷付く事が怖い。
 だったら、己が傷付く方がずっと良いだけなのだ。
(『生き抜け』と言うイェルは、これが現実でも俺がそうする事に気づいてる)
 あの失う喪失感を、もう二度と味わいたくはない──けれど。
 カインは首を振った。
「悪かった。ちっと考えてた」
 それは間違いであると、引き上げてくれるイェルクが居る。
 目が合ったイェルクは、満足そうに綺麗に微笑んだ。
「さて、どう切り抜けるか」
 考え始めたカインの横顔に、もう迷いの色はない。
「裏口……から逃げるのは厳しいでしょうか?」
 イェルクは、隣のキッチンらしき部屋にある扉を指差す──所謂、勝手口という奴だろう。
 カインは慎重に勝手口の方へと移動した。
 僅かな扉の隙間から、外の様子を窺ってみる。
「……駄目だな」
「人が居ますか?」
「いや、そうじゃない。外は崖で……下は海みてぇだな」
「海、ですか……」
 イェルクが顎に手を添えて考える。
「海に飛び込むのは危険でしょうか?」
「この暗さだ。下の様子が確認できねーし……危険だと思うぜ」
「ならば、正面から出るしかありませんね……」
 イェルクはそっと窓の外を窺う。
 家を取り囲む村人達は、口々にカインを差し出すように叫んでいた。
 数はざっと見たところ、二、三十人は居そうである。
「全員の気を上手く逸らして、その隙に逃げられたらいいのですが……」
「……気を逸らす……」
 カインが一瞬目を閉じた。
「──イェル、俺に考えがある」
 目を開いたカインの瞳には、何処か悪戯っぽい色が浮かんでいる。
「考え、ですか?」
「ああ、イェルは俺に合わせてくれたらいい」
 カインが手を差し伸べて来る。イェルクにそれを拒む理由は無かった。
 しっかりと手を繋いで、指を絡ませた。絶対に離れないように、強く。
「──行くか」
「はい」
 カインの言葉に頷いて、イェルクは彼を共に扉から家の外へと出た。
 村人達の殺気立った視線が二人に突き刺さる。
「その男を殺せ!!」
 一人の男が、カインを指差して怒鳴る──村人を先導した村の有力者の男だ。
「ちょっと話を聞いて貰えねぇか?」
 カインが手を挙げると、男は大袈裟に眉根を寄せる。
「今更命乞いをしても遅いぞ、バケモノ!」
「そうじゃなくて……誤解があるようだから、解いておこうと思ってな」
「誤解だと……?」
 村人達がざわめく。
 カインはにこやかに微笑んだ。

「悪ぃ、こいつ腹の中に俺の子いんだわ」

 イェルクの腹を掌で撫で、はっきりとそう言った。
(え…………!?)
 イェルクは一瞬頭が真っ白になる自分を感じた。
 子供?
 私のお腹の中に、カイン、の──……?

「こいつとの子供が欲しくて、人になる為に、力全部使っちまったんだわ。
 だから、今の俺は全然無害。ただのヒトと同じ──」

「う、嘘だ!!」
 唾を吐きながら、男がイェルクを指差した。
「こ、子供なんて嘘に決まって……」
「嘘じゃねーよ。こいつの腹の中には、俺の子が確かに居る。だって子作りしたし」
 なぁ?と首を傾けるカインに、イェルクは反射的にこくこくと頷いた。
 顔が熱い。
 何という事を言い出すのだという思いから、じわじわと心の底から嬉しさが込み上げてくる。
 カインと私の子供──今は嘘でも嬉しい。
 イェルクは、カインに身を寄せ、腹をさすって見せた。
 愛おしい我が子が、この中に宿っていると見せつけるように。

「子供、だって?」
「アヤカシの力は使い果たしたってこと?」
「どうする?」

 ざわざわと呆気にとられた村人達が顔を見合わせる。声には、戸惑いの色。
(──今だな……)
「イェル、行くぞ」
 イェルクの耳元に囁くなり、カインは彼の身体を両手で抱え上げた。

「世界の果てにでも逃げっから、じゃーな!」

 捨て台詞と共に、イェルクを抱えたまま駆け出す。
 村人達は、ぽかんと思わず二人を見送った後、金縛りが解けるようにざわめいた。
 背後から制止の声が聞こえたが、カインに立ち止まってやる義理はない。
「カ、カイン……!」
「いいから、しっかり掴まっとけ」
 イェルクは言われるまま、ぎゅっとカインに抱き着いた。
 このまま、遠くまで攫っていって欲しい。
(あなたがいるから、私は世界の果てへも行ける)
 見上げる先には、明るい大きな月と、煌めく星空。
 潮騒の音が聞こえる。
 月明かりが道のように、二人の行く先を照らしている。
 それは二人を祝福するような、美しい光だった。

 ※

「……ここ、は……?」
 イェルクは瞬きした。
 先程まで聞こえていた海の音は、もう聞こえない。
 その代わりに聞こえてくるのは、ざわざわと人の声、事務員が端末のキーボードを叩く音。
「……?」
 イェルクはもう一度瞬きして、今自分が居るのがA.R.O.A.の事務室であると気付く。
「戻ったみてぇだな」
 隣から聞こえてきた愛おしい声に、顔を上げれば、カインがふっと安堵の息を吐き出していた。
 彼の膝の上には、絵物語の本が乗せられている。
「……無事でよかったです」
「イェルもな」
 視線を合わせて微笑み合って、イェルクはじっとカインを見つめた。
 カインは腕時計に視線を落とす。スノーフレークウォッチの雪の結晶は、絵物語を読み始めた時から、ほとんど動いていないように見える。
「然程時間は経ってない、か……」
 そう呟いてから、突き刺さる視線を感じてカインはイェルクを見た。
「……イェル?」
 その緑の瞳に、普段は影を潜めている艶っぽい輝きを見て、カインは僅か眉を上げる。
「──カインは……」
 ゆっくりとイェルクの唇が開く。声は酷く甘く聴こえた。

「カインは最初、男女どちらがいいですか?」

 それは一拍置いて、稲妻のような激しさでカインの全身を貫いた。
 衝撃の一言、という奴である。
 少し潤んだようなイェルクの瞳が、更にそれに拍車をかけた。
 男女、どちらがいいか──『男女』は、間違いなく、将来作るであろう二人の子供の事に間違いなく。

 一方、イェルクは珍しく動きを止めて固まったカインを、微笑んで見ていた。
 先程、物語の世界ではカインに驚かされた。今度はこちらの番だ。
 二の句が告げない彼が、何だかとても可愛くて、愛おしいと思う。
 イェルクはそっと、カインの肩に頭を乗せた。
 甘えるようにすり寄れば、カインの硬直していた身体が身動ぎする。
 カインは天を仰いだ。
 ──やっぱり、俺の嫁は可愛過ぎる。
 深呼吸して、イェルクの耳元に唇を寄せた。
 彼にだけ聞こえる程度の低い低い声で、囁く。

「両方」

 イェルクが、華が咲くように微笑んだ。
 全く実に彼らしい物言いだと思う。
 僅かに紅潮する耳も、優しい眼差しも、全部がとても嬉しくて、緩む頬を抑えられない。
「頑張ります」
 そう笑って見せれば、更にカインの頬がうっすら紅をさす。
 イェルクだけが知っている、カインの顔だ。
「でも──」
 カインがふっと笑みを零した。
「その前に入籍が先だがな」
「!」
 入籍。
 イェルクは無意識に、左手薬指に光る指輪を見た。
 繊細な細工が美しい指輪。カインの手にも同じ指輪が光っている、婚約の証。
(入籍の日取り、考えるか)
 奇しくも、来月は花嫁が幸せになれる月──ジューンブライドだ。
 勿論、どんな時にどんな形になったとしても、カインとならば幸せになれない訳はない、そう思うけれど。
「……未来が、待ち遠しいです」
 ──貴方と生きる未来だから。
「……俺もだ」
 カインに引き寄せられて、掠めるように唇が触れ合う。

 絵物語の中の二人も、幸せな口づけを交していた。


●4.

 ──実に理不尽で、絶対に受け入れる事など出来ない。
「ラキア」
 セイリュー・グラシアは、菫色の瞳に強い色を宿してパートナーを見た。
「セイリュー?」
 さらりと紅い髪が揺れて、ラキア・ジェイドバインが心配げに首を傾ける。
 そんな彼の身を包むモノ──先程まで、絵物語の中に描かれているのを見た『男』の着物だ──に、セイリューがぐっと拳を握った。
「正面から出よう」
「正面から?」
 ラキアが驚いたように翠の瞳を瞬かせる。
「けど、外にはあんなに村人が──」
 ラキアが振り返る窓の外、松明を持った村人達がこちらを睨んでいた。
 家を取り囲む村人達は、少なくとも二、三十人は居るようだった。
 彼らに一斉に襲われたら、幾らセイリューといえども無事では済まないのではないか。
 相手は松明を持っているのだ。
「話をする」
 セイリューは凛とした強さを失わない声で言った。
「話し合いで何とかするぜ」
「……君がそう言うなら、俺は付いていくだけだよ」
 ──果たして話し合いが出来る相手なのか。
 ラキアの胸には不安が過ぎるが、セイリューを止められない事も分かっていた。
 それに、逃げるという選択肢を選んだとしても、村人と対峙しない訳には行かないだろう。
 話し合いで切り抜けられるなら、セイリューの身の安全の為にも、それが一番だと思った。
「ラキア、サンキュ」
 セイリューは少し表情を緩めてから、ラキアの手を取る。
 ぎゅっと手を握ってから、セイリューは歩き出した。
 手を引かれながら、ラキアはその後に続く。
「ラキア」
 扉に手を掛けて、セイリューがいつもより低い声で名前を呼んだ。
「何?」
「お前は手出しするなよ」
 ラキアが目を見開くと同時、セイリューは勢いよく扉を開けた。
「出て来たぞ!!」
 敵意に満ちた村人達の視線が、二人に突き刺さる。
 松明の炎に照らされて、ラキアは瞳を細めた。
 炎は禍々しいまでの苛烈さで、脅すように二人を取り囲む。
 セイリューは背筋を真っ直ぐに、すぅと息を吸った。
「やめろ!!」
 腹の底から出た制止の声に、一瞬村人達は気圧されたようだった。
 セイリューは強く大地を踏み締めると、村人達をぐるっと見渡す。
「この中に、誰か実際に襲われた者が居るのか?」
 吼えるように尋ねれば、しんと辺りが静まり返った。
 誰も声を発しない。誰も手を挙げない。
 セイリューは大きく両手を広げた。
「襲われてもいないのに、襲うと決めつけるのか!」
 村人達が顔を見合わせる。
「でも……」
「そいつはヒトじゃないって……」
「ヒトじゃないから? ヒトじゃないから、何もされてないけど、何かされるかもって流言で、害をなすのか?」
 セイリューはだんっと大地を蹴り付ける。
「そんなの、駄目だろ!!」
 セイリューの怒号が、夜の空気を震わせた。
 爛々と燃える紫の瞳。その体全身から怒りを迸らせているようだった。
 ラキアはその隣で、真っ直ぐに村人達を見つめる。
(俺が敵対行動を起こしたら、村人達がこちらを襲う理由を作ってしまう)
 セイリューに向けられる敵意の視線に、ラキアは拳を握った。
(その理由も判るけど……でも君が危険な目にあうのも見て居られないよ)
 ──だから、ごめん。
 何かあれば、俺は君を守る為に動くよ。
 ラキアは村人達の動きを、隙無くじっと見据える。
「け、けど何かしないっていう保証もないだろ!」
 村人の一人がセイリューに怒鳴り返した。セイリューは否と首を振る。
「ラキアが人間の天敵で捕食者だとか、実際に襲われたというのならともかく!
 そんな証拠はないし、そんな事はないって俺は断言できる!」
 再び辺りが静まり返った。
「ふ、ふん! そんな言葉、信用できるか……!」
 沈黙を破ったのは、身なりの良い男だった。
 セイリューの眼差しが険しくなる。
 この男は、絵物語の中で『男』の正体がヒトでないと知った途端、村人を先導してきた男──諸悪の根源だ。
「お前もバケモノで、そいつの仲間かもしれない!」
 男が叫べば、村人達の目の色がまた変わり出す。
「証拠はあるのか」
 低い声でセイリューは声を上げた。
「ラキアが、オレが──そうだという証拠があるのかって言ってるんだ!」
「しょ、証拠はこの私が──……」
「それこそ、信用なんて出来ないぜ!!」
 びしっと指差し、セイリューは吼える。
「もう一度言うぜ! 実際に襲われたというのならともかく、それ以外の理由で誰かを傷つける行為はやっちゃ駄目だろ。人として!!」
 村人達の視線が、セイリューの指差す男に集まった。
 男がどっと冷汗を浮かべる。
 ぶるぶると震える男は、ラキアに視線を向けて来た。
 ラキアは真っ直ぐにその目を見返す。
 ──心にやましい所のある人間は、この視線を受け止めきれない。
 視線が絡んだのは一瞬。
 男は直ぐにラキアから視線を外した。青ざめた顔に怒りを滲ませてセイリューを再び指差す。
「コイツはアヤカシの仲間だ! 皆、騙されるなッ!」
 村人達は、男の言葉に困惑した様子でセイリューと男を交互に見る。
「お前達! 自分がそうされても構わないのか!」
 セイリューは、男を村人達を強く見つめる。
「ラキアは誰も傷つけない。文句があるならオレが相手だ!」
 どん!と胸を叩けば、村人達は困惑したようにお互いの顔色を窺い始めた。
(大事な人は絶対護る。指咥えて見ているつもりはないぜ……!)
「おのれ……おのれ、アヤカシが!!」
 男が叫ぶなり、セイリュー目掛けて駆け出した。
 その手には光るナイフがある。
「セイリュー!」
 ラキアの声に手を挙げ制止してから、セイリューは真正面から男を迎え撃った。
 ウィンクルムとして日々戦闘を重ねたセイリューにとって、男の動きは全くの素人。
 突き出されたナイフを身を捩って避け、その腕を掴んで捩じり上げる。
「ひ、ひいいいい!」
 情けない声を上げる男からナイフを取り上げ、地面に叩き付ければ、村人達は一斉に身を縮こまらせた。
「来るなら、幾らでも相手になる!」
 ナイフを突き上げて叫ぶセイリューに、村人達はじりじりと後ろへと下がった。
「村から出ていけと言うなら、オレ達は二人で出ていく。だから、もうラキアを追い立てないでくれ!」
(セイリュー……)
 ラキアは温かい感情に包まれながら、セイリューの隣に並んだ。
「俺からもお願いします。二人で行かせて下さい。もう二度とここには戻って来ませんから……」
 深々と頭を下げれば、村人達はどうする?と顔を突き合わせる。
「出ていくと言ってるんだし……」
「このまま出て行って貰えれば……」
 村人達が左右に分かれて、セイリューとラキアの前に道が出来た。
「ありがとう!」
 がばっとセイリューが頭を下げる。ラキアも丁寧に頭を下げた。
「ラキア」
 セイリューの差し出す手を、ラキアが取る。
 二人は手を取り合って歩き出した。
 並んで歩く二人を、村人達は黙って見送ったのだった。


 サクサクと響く足音を聞きながら、ラキアは広がる海を見遣った。
 暗い波間に、星が宝石のように煌めいている。
 随分と歩いてきた。
 人の姿はなく、この世界の中にセイリューとラキア、二人きりになってしまったのではないかと思う。
「ラキア、疲れた?」
 足を止めたラキアに、セイリューが心配そうに尋ねて来た。
「ううん、大丈夫」
 ラキアは緩く首を振って笑う。
「海が凄く綺麗だったから、ちょっと見惚れちゃった」
「……確かに、改めて見るとすっげぇ綺麗だな!」
 セイリューは瞳を輝かせて海を見遣った。
「ずっと前ばかり向いて、今まで視界に入らなかったぜ……」
 ふわりと潮風が、セイリューの黒髪を揺らす。紫の瞳に星の光が煌めく。
 ラキアはセイリューの瞳を見つめた。
「ねぇ、セイリュー」
「んー?」
「……セイリューは俺が別の生物だ、なんて全く気にしていないんだね」
 セイリューは瞬きしてラキアの顔を見返す。
「だってさ。ラキアはラキアじゃん?」
 にかっと笑うセイリューに、ラキアは翠の瞳を細めた。

「そういう所が大好きだよ」
 
「え?」
 セイリューは顔が熱くなるのを感じた。
 目の前のラキアはとても綺麗で──その彼の唇が、確かに好きだと言った。
「セイリューは、俺の事をとても大事に思ってくれているんだね」
 紅い長い髪が夜風に舞う。
 絹のように美しい髪が怪しく揺らめいて、眼差しが真っ直ぐに自分を見ている。
「あ、当たり前じゃん? だってラキアだし!」
 反射的に答えれば、ラキアが笑った。
「やっぱり……君とずっと一緒に居たいよ」
 ふわり。
 ラキアの長い指がセイリューの手を取る。
 いつも庭で、植物達に語り掛けている手。
 黒猫のクロウリー、茶虎猫のトラヴァース、そしてレカーロのユキシロ達も、ラキアの撫でてくれる手が大好きだ。
 勿論、セイリューも。
 優しいラキアの手の温もりが、とても好きだ。
「だって、こんな所まで追いかけてきちゃったんだもの」
 少し悪戯っぽくラキアが微笑む。
 こういう時のラキアは、凄く大人びて見えて──綺麗で、胸が早鐘を打つ。
「オレも──」
 セイリューはぎゅっとラキアの手を握り返した。
「オレだって、ラキアとずっと一緒に居たい。ラキアの家で、家族皆で、ずっとずっと一緒に──」
 言葉はそこで途切れてしまった。
 何故なら、ラキアに抱き寄せられたから。
「君がそう言うなら……俺は誰も傷つけないよ」
 耳元でラキアの声。
 そして、とても近くにラキアの瞳があった。
 吸い寄せられるように近付いて、セイリューは瞳を閉じる。
 唇に甘い感触がして。
 温かい感情が胸を満たした。それから──。

 ※

 気付いたら、セイリューは絵物語の本を握り締めていた。
 パチパチと何度も瞬きする。
(あれ? あれ?)
 思わず口元に手をやって、感触を確かめた。
(オレってば、ラキアと──?)
「セイリュー」
 隣で名前を呼ばれて、肩が跳ねる。
 隣では、ラキアが微笑んでいた。
「おはよう」
「お、おはよう?」
 挨拶を返せば、ラキアはいつも通りの優しい笑顔。
(……夢?)
 セイリューは首を捻った。
「オレ……寝てた?」
「うん、そうみたいだね」
 ラキアは不思議そうなセイリューを見て、笑う。

 絵物語の中、二人は仲良く手を繋いでいた。

Fin.



依頼結果:大成功
MVP

メモリアルピンナップ


( イラストレーター: 白金  )


エピソード情報

マスター 雪花菜 凛
エピソードの種類 ハピネスエピソード
男性用or女性用 男性のみ
エピソードジャンル シリアス
エピソードタイプ EX
エピソードモード ノーマル
シンパシー 使用不可
難易度 普通
参加費 1,500ハートコイン
参加人数 4 / 3 ~ 5
報酬 なし
リリース日 05月01日
出発日 05月07日 00:00
予定納品日 05月17日

参加者

会議室


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