手料理でナイト(side:Blanc)(桂木京介 マスター) 【難易度:とても簡単】

プロローグ

 よく練り上げた豚ひき肉200グラムに、塩少々、醤油と大さじ2とごま油大さじ1を足し、可能なら粒状の中華スープの素を小さじ1程度加えておく。
 さらに、みじん切りにした白菜400グラム前後、ニラ半束と、ショウガ(チューブで可)を加えてよく混ぜる。
 これをいくらか寝かせたら、中身つまり『あん』のできあがりだ。家庭の夕食用なのでニンニクは抜いておいた。
「……と、まあこんな感じですけど」
 ボウルの中身を示したところで、あなたは恐る恐る顔を上げた。
 彼がずっと黙っていたからだ。
 つまらない説明に退屈しきっているのではないか。あろうことか居眠りまでしているのではないか――そんな危惧をしたからだ。
 ところがそれは取り越し苦労だった。いやそればかりか、期待を上回るリアクションなのである。彼は、いつもは眠そうにしている目をぱっちりと見開き輝かせて、
「そっかー……餃子の中身ってそうやって作るのかー!」
 と、地球は丸いと理解したばかりの幼児のようなピュアな反応を返したのだ。
「あの……もしかして全然、知らなかったんですか?」
「うん、想像もつかなかった!」
「でもクリスだって、餃子には肉と野菜とニラが入ってることくらいわかっていたのでは?」
「おいおい俺を甘く見るんじゃねぇぜ。俺、餃子ってのは、『ギョーザノナカミ』っていう植物の実かなにかをすりつぶして包んだだけ、とか思ってたくらいだからな!」  
「それ、威張っていうことではないと思います……」
 余人であれば冗談と思えるような発言も、彼のことだからおそらく、いわゆるガチだと確信できるあなたがいる。今だって彼は、
「どんなもんだ!」
 と意味不明な反応を返しているではないか。彼つまりパートナーの精霊ののことを、言葉使いこそ粗野だが、基本は神秘的な美少年ととらえていたあなたのイメージは、彼と親しくなるにつれどんどん崩れ始めていた。もしかしてアホの子なのかと。
 ……だからといって、彼の魅力が減じるわけではないが。
「えーっと、じゃあ、ここからは一緒にやりましょう。このあんを、餃子の皮で包みます」
「待ってました!」
 本日あなたは精霊の自宅に招かれ、一緒に餃子を作ることになっている。
 それというのも彼が、「料理得意なんだってな? 今度の休み、ウチに来てなんか作らねぇ? ていうか作ってくれ」と、あなたを自宅に誘ってきたからである。
 あなたと彼とはウィンクルムを組む間柄ではあるものの、まだ出会って半年にも満たないし、それなりに仲良くはなってきたが親友というにはまだ距離があるように思われた。ようするに、あなたの尺度ではまだ、家に言ってて料理をふるまう、という段階には来ていないのである。(終電を逃して自宅に泊めてもらったことはある) 
 ところが彼はお構いなしに、「メシ作ってよ」と来たわけだ。
 けれども嫌と言えないばかりか、嬉々として「じゃあ餃子でも」と応じてしまったあなたがいる。
 生死を共にするパートナーとは仲良くしておくべきだ、というのは建前だ。でも本当のところになると、その理由はあなたにもわからない。まあ先日泊めてもらった礼ということに……しておきたい。
 さて、その彼はというと、市販の餃子の皮を左手の上に乗せたまま、
「包み方わかんねー! 教えてくれー!」
 とだだっ子のように言うのであった。まあ、予想してしかるべき展開ではあった。
 やれやれと大袈裟にため息して、
「仕方ないですねえ……見てて下さい」
 ここをこうやって、と実演してみせたあなただが、彼はまったく理解を示さなかった。そればかりか、
「えー? 全然わかんねぇ。……なあ、俺の手を取って教えてくれねぇか?」
 と言いだしたのである。
 手を取って、ですと――!
 それはつまり、密着して手ほどきということなのか、なにこれ!? どんな新婚さん!?
 こうしてまたもあなたに、試練の時が訪れたのであった。

 ……というのはもちろん、あくまで一例である。
 このエピソードのテーマはシンプル、『手料理』だ。あなたと彼の手料理にまつわる物語を、ともに作ろうではないか。
 あなたが彼の家を訪ねて台所で腕を振るうという展開はもちろん、上記の例のように二人で一緒に料理をするというのも、逆に彼からのサプライズ手料理に舌鼓をうつというのもいいだろう。
 難しく考える必要はない。昨日炊いたご飯をさっとチャーハンにするのだって立派な『手料理』だ。少しでもテーマにかかわっていれば、どんなシチュエーションでも大歓迎なのだ。
 あなたと彼の思い出日記に、手料理のページを残そう。

解説

 ある日、あなたと精霊が一緒に料理を楽しんだり、どちらかがどちらかに腕を振るったりする展開を楽しみましょう。
 タイトルが『ナイト』ですが、夕食に限った話ではありません。ランチでも朝食でもウェルカムです。騎士(knight)の包丁さばき、とくとご覧じろ! みたいなアクションプランもベネ(良し)であります。
 なんとなくコミカルなタイトルですけれど、彼の料理があなたの悲しい過去を癒すというハートフルなアクション、料理の謎を探るというミステリアスばアクションであっても対応させていただきます。

 本文に書いた話はモデルケースですが、もちろんこのシチュエーションに当てはめていただいても構いませんよー。

 モデルがあったほうがいい、というのであれば、たとえば……。
 ●とにかく不器用なあなたに、彼がぶっきらぼうに(でも優しく)料理をレクチャーする。
 ●隙を見せれば激辛味付けにしようとする彼を、あなたが必死で妨害する。
 ●今日はピクニック、弁当はあなたの担当。奇想天外なサンドイッチの数々で彼を驚愕の世界へいざなう……。

 なんていうのはどうでしょう?

 どうぞ自由に発想してみてください。

 なお、参加費ですが、材料費等で、アクションプランに応じて300~500Jr程度かかるものとさせていただきます。
 ご了承下さい。


ゲームマスターより

 考えるのが面倒なとき、作る料理は大抵カレー! 桂木京介です。

 手料理をテーマにしたハピネスエピソードです。
 この料理というのはかなり幅広い概念と考えていますので、どこかに料理らしきシチュエーションが入っていればそれで構いません。作るところを中心の描写でも、食べるところ中心の描写でも歓迎ですよ。
 時期的に、クリスマスディナーを作る話なんてのもいいですね。あるいはおせち料理、行ってみますか?
 あなたと彼らしいプランをお待ちしております。

 それでは、次はリザルトノベルでお目にかかりましょう! 桂木京介でした。

リザルトノベル

◆アクション・プラン

信城いつき(レーゲン)

  ※薔薇の形したアップルパイを作成

レーゲンもう帰ってきちゃった…キッチンは今は見ないで
…ダメな訳じゃ無いけど…はい、手伝いお願いします

スライスした皮付きのリンゴに少し熱を通して、それをシートに並べてくるくると巻いたら、まるで赤いバラみたいに見えるんだ
それを焼いてジャムぬって完成

レーゲンが帰る前に完成予定だったけど、21個は多かった
出来た…ちょっと待って(パイをまとめてぐるりとリボンで結ぶ)

誕生日おめでとう。そして今年もそばにいてくれてありがとう

ごめんねまた誕生日過ぎちゃった【エピ30】
プレゼントもないけど、せめて今の俺ができることしたかったんだ

思ったよりボリュームあるね。全部食べたらお腹壊すよ!


アキ・セイジ(ヴェルトール・ランス)
  御節には、気構えや縁起が詰まっていると思う
出来合いの物も悪くはないが、作れるものは作りたい
今年は一寸頑張って色々作ってみようかなと提案
1人じゃなく2人なら結構行けるんじゃないかな

クリスマスが洋風だったから今度は和風な
とりあえず一通り作ろうと、まずは2人で手順を相談←そこからかい
煮ている間に切るとか、漬け込む時間とか…
うん、ごめん
あとは作りながら言うから(ぽふぽふ

朝から台所に詰めっぱなし(感謝
頑張ってくれたお礼に鶏の照焼きも作っておく
有る程度作ったらランスに詰め物は任せる
出来たの声にエプロン取りつつ駆けつける
鶏肉の数が明らかに減っているけど気付かないフリ(くす

さ、そろそろ年越しソバを打とうか(爽


セイリュー・グラシア(ラキア・ジェイドバイン)
  いつも料理はラキアが作ってくれるんだけどさ。
作ってもらってばかりじゃ悪いじゃん?
なので今日はオレが料理を作ることにした!
メニューはカレーだ。カレーライスとサラダ。
超本格的な物じゃなくて、キャンプ系メニューな感じで?

猫達が調理中、戸棚の上から料理する姿をじーっと見つめてくる。視線が超熱いぜ。
(主に猫のおやつ作っているラキアの方へ、だが)
作る手順はごく普通に、だぜ。
先に肉をナツメグやオールスパイス、ガラムマサラでまぶして暫く置いておくことと隠し味にコーヒー入れるのがコツだ。
市販のカレールー使用。違う物を2種類混ぜて使う。その方がウマそうじゃん(力説。
機嫌良く作って、自信作が完成!
さあ、食べようぜ。






咲祈(サフィニア)
  夕飯:カレー
本を読んだりして、いろいろ知識は身に着いた(ような気がするだけ
…? そうかい?
 それなら、全然、どこも問題ない
要するに、かれーというのはあれだろう? じゃがいもを茹でて、…え、違うのかい(首傾げ
ああ、野菜は切る、と。ふむ……。だけどサフィニア、そうすると手、切るだろう

いや、全くない
それよりサフィニア、これなんだい(たまねぎ
すまない。よく分からない。ねぎなら長いやつがあるだろう? なぜ長いねぎをわざわざ丸くしたんだい。意味が分からない
 …そういえば、なぜ君はそんなに手際が良いんだ?
…ふむ、そうかい。でも感覚で味付けしてたらまずいんじゃないかい


葵田 正身(うばら)
  “偶然”家の前でうばらを見付け、寄って行かないかと誘い。
温かいお茶でも淹れます

折角の来訪。長引かせてしまおうかと。
手伝って貰いたい事があるんだと言えば
屹度彼は応じてくれるでしょうから。

と云っても大掃除は済みましたし
お節の準備も今朝方――と暫時考えて至り。
栗金団を一緒に作ります。
実は少量作ってあるのですが、沢山作って持たせたら
おやつ代わりに兄弟で食べて貰えるかなと

薩摩芋や梔子の実の下準備中にお節の説明をしたり。
栗甘露煮は冷凍ですし完成まで一時間以内かと

甘い物だよ、嫌いだったか?
甘味が『苦手だとしても』味の良し悪しぐらいは
分かるだろう?と完成品を彼の口へ。
少しでも綻ぶ表情が見られると良いのですが。


●夕飯はカレーです

 咲祈とサフィニアは協議の上、本日一緒にカレーを作ることで見解を一致させていた。
「できると思う。本を読んだりして、いろいろ知識は身に着いたから」
 どことなくぼんやりとした口調で咲祈は言うのだが、それこそ、サフィニアからすれば危なっかしいことこの上ない話だ。
「知識……いやいやいや! それ普通に基本的知識覚えただけでしょ!? 肝心なこと抜けてるし!」
「そうかい?」
 なんだか他人事のような咲祈の返答だ。
 正直、『カレー』と『鰈(カレイ)』の違いですらわかっているのかどうか怪しい――と考えたところで、ふとサフィニアは恐ろしい考えに思い至ったのである。
「……あれ、咲祈カレーってなにかわかってる?」
「それなら、全然、どこも問題ない」
 なにを訊くかと思えば、とでも言うように息を吐いて咲祈は言った。
「要するに、かれーというのはあれだろう? じゃがいもを丸ごと皮のまま茹でて……」
「ほらもういきなり違う! 丸ごと茹でないよっ!? 別の料理になるよそれじゃ!」
「え、違うのかい?」
 大前提を崩された格好で、思わず咲祈は聞き返した。
「野菜は切るんだよ……まあ世間には俺の知らない『じゃがいも丸ごと茹でちゃいましたカレー』なんてのもあるかもしれないけど、少なくとも一般的には、違う」
「ああ、野菜は切る、と。ふむ……」
 メモを取りながらインタビューする新聞記者みたいな口調でうなずいていた咲祈だが、突然顔を上げた。
「だけどサフィニア、そうすると手、切るだろう?」
「それは……切る人による、かな」
 この煮え切らない回答がピンとこなかったらしく、咲祈はこのときまるで、「赤ちゃんはどうやって生まれるの?」とお父さんに訊く子どものような無垢な目でさらに問うのである。
「切ってもいいの?」
「いや……よくないけど、切っちゃうことも、たまに、ある……」
 その目はやめてー、サフィニアはちょっと泣きたい気分だ。視線は大きく逸らしている。
 けれども咲祈はあきらめず視線の先に回って、
「よくないのに、ある、ってどういうことなんだい?」
 と食い下がるので、「えーい!」とサフィニアは両腕を振り上げざるを得ないのだった。
「手を切らないように気をつけよう! 俺が見ててあげるからな? それでいいな?」

 さてこうして野菜を洗って、男二人、台所に並んだ。
「そういえば今日、いきなり『料理を作りたい』って言い出すなんて珍しいね。今度は料理に興味沸いた?」
 普段、夕食はすべてサフィニアが作っている。なんの関心も示さなかった咲祈が、突然「作りたい」と言いだしたのはついさっきのことである。
 ところがサフィニアを、すてっと転ばせそうになったのは咲祈の回答だ。
「いや、まったくない」
「え……?」
 戸惑うサフィニアのことなど構わず、次に彼は丸い野菜を持ち上げていた。
「それよりサフィニア、これなんだい」
「なにって、たまねぎ……でしょ?」
 つやのあるこのたまねぎは、サフィニアが八百屋で吟味を重ねて選んだものだ。すでに皮を剥かれており、食品のカタログに載っていてもおかしくないくらい綺麗な色をしている。
 ところがそれで問題解決とはいかない。このときまた、咲祈は無垢な目をしていたのだ。
「すまない。よくわからない。ねぎなら長いやつがあるだろう? なぜ長いねぎをわざわざ丸くしたんだい。意味がわからない」
「……ごめん、俺は咲祈が何を訴えてるのかさっぱりわからないよ」
 歴史に名を残すある天才発明家はかつて、些細なことにも「どうして?」を連発する少年だったそうだ。あまりにも連発しすぎて退学になったらしい。このときサフィニアは、天才発明家の担任教師の気分を味わっていた。
「だから、たまねぎの無意味さだよ」
「無意味じゃないって、たまねぎはたまねぎの良さがあるの! そもそも、ねぎとたまねぎは別モノなの!」
「別モノならどうして『ねぎ』って付くんだい」 
「ああいや、ネギ科……っていうのがあるかどうか知らないけど、親戚みたいなものだから……」
「ねぎに親戚があるの? ねぎにお父さんとお母さんがいて、兄弟とか従兄弟とか……政略結婚とか」
「どうして政略結婚とかこの場面で出てくるの!? オッケー、たとえ話を変える。咲祈も俺も同じA.R.O.A.所属だけど、ちゃんと役割が違ってるでしょ? どっちかが欠けても困る。無意味なんて存在はない。たまねぎも同じ、ねぎと両方あっていいわけ。たまねぎにはたまねぎの役割があるんだ。そしてたまねぎが大活躍する料理こそ、このカレーというわけさ!」
 どうだ、とサフィニアは両手を腰にあてた。天才児どんとこい、てなものである。お母さんに任せろ!(※お母さん呼ばわりはもう諦めた。でもオカンは禁止)
「ふーん」
 咲祈はしばらく目をぱちくりしていたが、
「まあ、それならたまねぎを切るよ」
 と、包丁をタマネギに入れたのだがたちまち、
「うわっ! なにこれ? 涙が出てきた。悲しくないのに……なぜ」
 サフィニアはニヤッと笑った。
「それがたまねぎというものさ」
「そうかわかった……僕を泣かせるのがたまねぎの役割……!」
「それ違うから。全然」

 さて野菜を刻み終えたらたまねぎを鍋に入れて存分に炒め、肉(今回は牛肉の細切れを使用)、他の野菜という順番で加えていく。炒まったところで水を加えて、沸騰を待つのだ。
「ほら、沸騰したらアクをとるんだよ。こうやって……」
「アク? 『悪は許さん!』と鍋が言ってるの?」
「ああもうそれでいいよと言いたくなってきたなぁ……真面目に言うと別にアク取り除かなくてもカレーはできるよ。ちょっと味が悪くなるけど」
「知ってるよそういうの、『濁併せ飲む』ってやつだね?」
「その、『上手いこと言ったった!』って顔やめない……? 別に上手くないし……」
 多少トンチンカンながらも楽しい会話を交わしつつ作業を進めているわけだが、その間もずっと、サフィニアは正確に手を動かしていた。それだけではない。野菜の切り方、具材の炒め方、アク取り……いずれも正確無比な動きで、最小限の労力にして最大の効果を上げているのである。
「……そういえば、なぜ君はそんなに手際が良いんだ?」
「んー……自然? いつの間にかこうなった。教えてくれる人いなかったからねぇ……全部我流だよ」
 言いながらサフィニアは粉末のカレー粉からルゥを作り、ぱっぱと手際よくスパイスを混ぜて色と香りを高めていく。
 やがて鍋の中は、思わず空腹の虫が鳴きそうな見事なカレーになったのである。
「ほれ、味見してごらん」
 咲祈は促されて、サフィニアの手から小皿を受け取った。
 サフィニアがよそってくれたカレーは、深みとコク、さわやかな辛さがまじった素敵な味わいなのであった。専門店で食べるカレーのような。
 咲祈は「おいしい」と前置きした上で、
「でもサフィニア、分量とか、まったく見ずに混ぜていたよね? どうやったの?」
「ああそれも慣れかな。こうしたら美味しくなるかなぁっていう感覚で今まで作ってた」
 にっこりと笑うサフィニアに、偽りを言っている様子は微塵もなかった。
「……ふむ、そうかい。でも感覚で味付けしてたらまずいんじゃないかい?」
「うーん」
 サフィニアはしばらく、おたまを持ったまま鍋を見つめていた。
 たしかに言えているかもしれない。きちんと分量を調べて、料理するほうが誠実な態度という気もする。
 けれど――とも思った。
 今日のカレーもこぽこぽとよく煮えている。野菜はいい色だし、肉だってやわらかそうだ。香りも色も申し分ない。味も咲祈が太鼓判を押してくれた通りだ。
 ――だったらいいんじゃないかな。
「それは、うん。する人の感覚によるかな……」
 と返すサフィニアには、照れたような困ったような、それでも咲祈に思わず釣られ笑いをもたらすような、素敵な苦笑が浮かんでいたのである。


●shape of rose

 帰宅したとたんレーゲンの鼻をついたのは、ふわりと甘い香りだった。
「ただいま……?」
 なんだろう。シナモンの匂いのようだ。優しくて切なくて、なんだかセンチメンタルになるあの香りだ。
 シナモン風味の食べ物を買った記憶はない。だとすれば――。
「いつき、お菓子でも買ってきたの?」
 キッチンのドアを開けたところで面食らう。いきなり、両手を前に伸ばした信城いつきが通せんぼしてきたのである。
「レーゲンもう帰ってきちゃったんだ……キッチンは今は見ないで!」
 甘い香りがいっそう増していた。シナモンに加えてリンゴの香りもする。いや今は、リンゴの香りのほうが強い。
 いつきの肩越しに見えるのは、食卓の上に散らかったクッキングシートにリンゴの皮、シナモンにジャムの瓶……。
 ああそうか、とすぐにレーゲンは悟った。
「もしかして、いつきが料理してる?」
「そういうわけじゃ……いや、そういうわけだけど……」
 下を向くいつきを見て、レーゲンは思わず彼の小さな唇に口づけたくなった。いつきの甲斐甲斐しさを思って胸がいっぱいになる。
「慌てなくてもいいじゃないか。私にも手伝わせてよ」
「あーでもそれは……」
「ダメ?」
「ダメなわけじゃないけど……はい、手伝いお願いします」
 数分後、着替えたレーゲンはいつきの説明を聞いている。
「作ろうとしていたのは薔薇の形したアップルパイ、スライスした皮付きのリンゴに少し熱を通して、それをパイシートに並べてくるくると巻いたら、まるで赤いバラみたいに見えるんだ。それを焼いてジャムを塗ったら完成」
「なるほど。丸くも四角くもないアップルパイということだね」
 まずはやってみることにした。リンゴはいつきが準備してくれていたので、細く裁断したシートに並べるところから作業に入る。
「えっと、リンゴを切ったものを六枚ずつ並べる……と」
「そうそう、じゃあ巻いてみて。芯をしっかり作るようにね。あと、隙間ができないよう真っ直ぐ巻くのがコツなんだって」
 やってみると意外に簡単である。一度熱を通したことで、リンゴが十分にやわらかくなっていたためだろうか。
「巻き終わったけど、最後はどうしたらいいの?」
「しっかりつまんでくっつけてみて……そう。あと、花びらを整えたら準備完了」
「ホントにバラみたいだ、面白いね」
 こうして巻き終わったものを上から見ると、たしかに薔薇の花にそっくりだ。リンゴは皮を残しているので、エッジだけ赤く中は白い二色薔薇といった仕上がりになる。
「あとは焼くだけ……でも、まだ数が足りないから」
 いつきは言いながら、さらにひとつを手がけていた。
「たくさん作るんだね?」
「ああ、うん」
 個数のことになると、いつきは言葉少なになった。どういうことだろう? レーゲンにはわからない。だが数が必要らしいので、手分けしてせっせと作るのだった。
 リンゴも足りなくなってきたのでどんどん切る。そしてパイシートに並べて巻く……。
 数が揃ったのでいつきはこれを並べ、すでに熱してあるオーブンに入れた。
「はあ、やっぱり多かったか……レーゲンが帰る前に完成予定だったけど」
「でも私は手伝えて楽しかったよ」
「うん、喜んでもらえたのは、いいんだ」
 どうも煮え切らない口調のまま、いつきはオーブンを見つめていた。
 15分きっちりと焼き、オーブンから出してすぐ仕上げにジャムを塗るとつやが出た。リンゴとシナモンの香りをした薔薇、なんとも美味しそうなパイのできあがりである。
「できたね」
「できた……ちょっと待って」
 いつきはレーゲンの前で、パイをまとめてぐるりとリボンで結んだのである。
「この薔薇、いくつあるかわかる?」
「ひいふう……21個だね?」
 まだ意味がわからずレーゲンは首をかしげていた。21個のアップルパイ、それも、きちんとそろった薔薇の花のアップルパイだ。リボンでくるむとまるで花束のようで…………!
「……あぁ」
 小さくレーゲンは声を上げた。
 薔薇の花束。そういうことだったのか。
「誕生日おめでとう。そして今年もそばにいてくれてありがとう」
 いつきは満面の笑顔である。
「いつき……」
 レーゲンはしばらく、言葉を失った。
 受け取った薔薇のアップルパイは、彼の気持ちを代弁しているかのように熱々だ。
「ごめんねまた誕生日過ぎちゃった。プレゼントもないけど、せめて今の俺ができることをしたかったんだ」
 クリスマスが近いということもあって、レーゲンはあまり自分の誕生日を祝うことに熱心ではない。だから昨年、いつきはレーゲンの誕生日を過ぎてから知った。今年もレーゲンは誕生日についてまるで触れなかったが、いつきのほうは昨夜レーゲンと交わしたメールの途中でそれを思いだしたらしい。そしてそれから、レーゲンのためにずっと考えていてくれたのだ。だから今日、レーゲンが不在になる短いタイミングで大急ぎで作業をしてくれたのだろう。……それを思うと、レーゲンはもう、いつきのことしか考えられなくなる。
「どうしてこう私を喜ばせるのがうまいのかな、いつきは」
 もうたまらない。ほとんど衝動的に、レーゲンは両腕をいつきの背中に回していた。
「思わず抱きしめたくなるじゃないか」
「もう抱きしめてる……よね?」
 レーゲンの胸に顔をうずめたまま、いつきははにかむ。そしておずおずと、彼の背にも腕を回すのだ。染まったいつきの頬の色は、ちょうどリンゴのような色をしている。
「改めて、おめでとう、そしてありがとう」
「私からも、心からのありがとうを返すよ」
 いつまでもこうしていたかった。

 本当の花束なら、リボンを解いてできるのは飾ることくらいだが、この花束は解いたあとがいわば本番だ。
「さっそく食べよう」
 いつきの心がこもったアップルパイの薔薇、そのひとつをフォークに刺してレーゲンは口に運んだ。
 甘い。
 そして、香ばしい。
 歯触りもすばらしい。普通のアップルパイとは食感が違うのだ。普通のパイだとパイ生地が歯に触れるが、こちらはリンゴのほうが先、そのしゃりっとした感覚に、パイのサックリ感が追いつく。見た目は小さいのに、なかなか食べでがある。
「美味しい。ほら、いつきも食べてごらんよ」
「では遠慮なく……」
 いつきもこれを存分に楽しんだ後、
「思ったよりボリュームあるね」
 うなずきながら言うのである。淹れておいたダージリンティーを一口した。
「せっかく作ってくれたものだから、食べるよ、全部」
「だめだめ、全部食べたらお腹壊すよ!」
「はは、そうかもね」
 レーゲンは頬をかいて、そうだ、と言った。
「じゃあミカやご近所さんたちにあげようよ。一個ずつリボンかけて。色々してくれたお礼に。そしてこんなに回復しましたよって」
「そうだね……先週ずっと具合悪くて、迷惑かけちゃったから」
 うっかり暗くなりそうになるいつきだが、レーゲンはいつきの気持ちを優しく受け止めた。
「気にする必要はないよ。それに、誰も迷惑だなんて思ってないから安心して。色々あったけど結局、クリスマスだってミカと三人で楽しく過ごせたし」
「ならいいんだけど」
「それにこの回復記念、というのかな? この薔薇もきっと喜んでくれるよ。こんなにいいものがもらえるのなら、いつきにはちょいちょい体調不良になってもらってもいいな、なんて思うかもしれない」
「へへっ、それは困るなあ」
 いつきの声に張りが戻った。そんないつきを見ているのが、レーゲンは好きだ。
「さて、でも配る前に、もういくつかいただこうかな」
「ふふ、なら俺も!」
 いっぱいいっぱいありがとう――メールでいつきは、彼にそう言った。
 レーゲンも同じ気持ちだ。感謝で心が満たされている。
 いっぱいいっぱい、ありがとう。
 来年末も、こんな気持ちでいたい。 


●さあ、食べようぜ

「セイリュー……」
 なんと言うべきだろうか、嬉しくて誇らしくて、そして晴れやかなこの気持ちを。
 ラキア・ジェイドバインは言葉を探す。いま、セイリュー・グラシアを前にして告げるべき言葉を。
 そしてようやく、気がついたのである。見て思ったことをそのまま口に出せばいいのだと。
 だから言った。
「似合ってるよ」
「似合ってる? マジ?」
「うん」
 そうかあ、と言うセイリューはまんざらでもなさそうである。
 このときセイリューは、黒いエプロンを身につけていたのだ。胸から隠れるような本格的なもの、白いステッチが入っていて革細工を彷彿とさせるところもある。腰の辺りにはポケットがあって、鋏など小物が顔を見せていた。
 このときのセイリューの姿は、戦場に臨む甲冑の騎士のごとく頼もしいもののようにラキアの目には映った。
 戦場といってもそれは台所で、戦う相手も食材なのだが、それでも、彼が何かと戦わんとする姿は勇ましくて、素敵だ。ましてやそれが、不得手分野とセイリューが自称する料理なのだから、ラキアが嬉しくて誇らしくて、晴れやかになるのも当然といえよう。
 さてセイリューがエプロン姿で、厨房に立っているというのはつまり、
「今日はオレが料理を作ることにした!」
 ということなのだ。普段はラキアが包丁をふるっているのだが、年の瀬の本日、セイリューは突然思い立って『男子厨房ニ入ル』の図を実行に移したのである。(ラキアも男子だが、まあそれはともかく)
「でも今日は、どういう風の吹き回し?」
「前から思ってたんだ。いつも料理はラキアが作ってくれるんだけどさ、作ってもらってばかりじゃ悪いじゃん? って」
「なるほど。依頼もないし、タイミングとしてはいいからね。ところでメニューは?」
 それも考えてあるんだ、とセイリューは胸を張って言った。
「メニューはカレーだ。カレーライスとサラダ」
 初心者にはお勧めのチョイスである。なるほど、とラキアはうなずいた。けれどもセイリューのほうはちょっときまり悪げに、こう付け加えていた。
「……超本格的な物じゃなくて、キャンプ系メニューな感じで?」
「いいよいいよ凝らなくて、キャンプ系メニュー、楽しみだな」
「じゃあラキアは休んでいていいから」
 とセイリューは言うのだが、謹んでその言葉をお断りするラキアがいる。
「まさか、セイリューが料理してくれる姿を見逃すなんてとんでもない。ここにいたいよ。どんな風に作ってくれるか見たいから」
「いや、見られてっと緊張するんだが」
「ならこうしよう」
 ぽん、と手を打つようにしてラキアは言うのである。
「セイリューがカレーを作っている間、俺は猫達のおやつに茹でササミを作るよ。それならじっと観察することにはならないし、いいんじゃないかな?」
「そうか、それなら、まあいいとしようか」
 うん、と自分を納得させるようにセイリューはうなずいた。
 それでは戦闘開始、もとい、料理開始だ!

 セイリューは念入りに手を洗い、冷蔵庫から肉を取り出した。
 いわゆるカレー用の分厚い牛肉、サイコロ状に切るのがセオリーだが、切るよりも先に彼は、その表面にナツメグやオールスパイス、ガラムマサラをまぶしている。
 料理は不得手と彼は言うが、決してそんなことはないだろう。手つきは悪くない。ざっくりしたまぶしかたも骨っぽくていいではないか。
「質問、それは下味をつけているのかい?」
「ラキア、茹でササミを作りはじめないのか?」
「その前に気になってしまってね。教えてよ」
「まあ、想像の通りってやつだ。こうやってしばらく置いておくだけで、肉の香ばしさが段違いなんだぜ。ちなみにオレは、キャンプのときも肉はあらかじめ仕込んで持って行くようにしている」
「なるほど、案外工夫しているんだね。おっと、『案外』は余計だったかな」
「ははっ、いいっていいって。ちょっとしたこだわりだからな」
 次にセイリューは包丁を握って野菜を刻み始めた。尖ったギターサウンドのような、ザクザクと気持ちのよい音が立つ。香りの少ない野菜から順番に切っているようだ。
 にゃあ、と声がしてラキアは振り向いた。飼っている猫たちが、どうやらおやつの気配を察したらしく、のぞきに来ているのだった。
「おっと、せかされているね。……待ってて」
 ラキアは冷蔵庫に飛んでいった。猫たちが彼の邪魔をしないよう、気をつけてあげなければ。
 ササミを茹ではじめてすぐ、ラキアはチリチリとした視線を感じた。ともすれば火傷しそうな熱視線だ。戸棚に飛び乗った猫たちがならんで、「まだか?」と待っているのだ。猫は言葉を発しないが、その目は口ほどにものを言うのである。といっても急に近づいてきたりはしないのは、やはり火が恐いからだろう。
 ――うーん、でも猫以外の視線も……やっぱり。
 開いている扉の向こうに、ラキアはユキシロ(レカーロ)の姿を見出した。
 ユキシロも見つめているのである。こちらを、じーっと。ドリルで穴を開けるように。
「お肉のいいにおいがするからだね」
 ラキアが呼びかけると、ユキシロは恥ずかしげに物陰に身を隠した。(けれども数分もしないうちに、ふたたび現れてじーっと見つめる作業に戻った)
 ジューッという音を聞いてラキアは振り返った。
 セイリューがたまねぎを炒めはじめていたのである。
 セイリューは、たまねぎには念入りに火を通すようにしている。弱火で時間をかけるというやりかたもあるが、それは効率が悪いのであまりおすすめではない。彼は一気に最大火力で、ただし焦げないようせわしなくかき混ぜるという手法を選んだ。人によってはたまねぎは透明になればオーケーらしいが、彼はそこで火を止めたりはしない。飴色になるまで炒めたほうが、ずっと美味になると知っているからだ。……ただし少々、焦げができてしまうのがこの場合の欠点である。
 じわっと額に汗が浮かぶほど炒めたところで、 
「よし、肉だ」
 火を止め、下準備しておいた肉に取りかかった。一口サイズにカットして、タマネギの上から放り込む。そして再び火を回すと、じゅうじゅうと食欲をそそる香りが立ちのぼったのだった。
 ニンジンは入れるがジャガイモは入れない。水を加えて月桂樹も一枚、落として煮込む。このとき、隠し味に珈琲を入れるのがセイリュー流だ。
「セイリューは凄く楽しそうにカレーを作るんだね」
 我を忘れ作業に没頭していたら、ラキアに声をかけられた。
「そうか?」
「うん、鼻歌でも唄いそうだった」
「まあ、楽しいちゃあ楽しい」
「好きなメニューのひとつだっていうことも大きいかな?」
「ああ、それ、あると思う。だけどラキアの作ってくれるカレーも大好きだぜ」
「ふふ、ありがとう」
 野菜が煮えてきたところで火を止め、セイリューは市販のカレールゥを取り出したのだ。二種類。まったく違うメーカーのものだ。
「二つもどうするの?」
「半分ずつ混ぜるのさ。そのほうが美味そうじゃん」
 ここは力説しておく。コーヒー同様、混ぜれば深みが増すというのが彼の持論だ。

 やがて、
「できたね」
 ササミを猫たちとユキシロにふるまって、ラキアが戻ってきた。
「おう、できたぞ」
 セイリューはすっきりといい表情をしていた。どうやら、思った通りの味に仕上がったのだろう。
「どうだった?」
 ラキアが訊くと、彼はニッと笑みを見せた。
「自信作がだぜ!」
 炊いておいたご飯を、オフホワイトのオーバルボウルに盛りつけ、そこにたっぷりカレーをかける。
「さあ、食べようぜ」
「うん、とても美味しそう。いただきます」
 香り、絶妙。味、絶品のカレーライスとなった。さっと作ったサラダも、レタスの白、トマトの赤、キュウリの緑がいいハーモニーを織りなしておりみずみずしい。
「これならカレー作りは、毎回セイリューに頼もうかな」
「おう任せろ! ……ってなんか上手に乗せられたような気がするな」
 まあいいか、美味いし!


●一瞬の表情

 偶然出会ったものとする。
 まあ、この偶然は鉤括弧つきの『偶然』といったほうがいいだろうが。

 冬の夕刻、グレーの曇り空が黒みを増しつつある時間帯、『偶然』に葵田 正身は自宅前でうばらを見かけた。

 その日うばらが葵田の家まで来たのは、うばらなりの責任感に基づく行為だった。
 彼がこの家に初めて行ったのは、つい先日のクリスマスだ。今日はとりたてて用件はない。もっというと正身に会うつもりもなかった。
 ただ、道順と家の周囲を確認するために訪れただけだ。急な変事があっても、すぐ駆けつけられるように――と。
 それだけだ。他意はない。
 和風の平屋、なんとも落ち着いたたたずまいの邸宅だ。といってもそのほとんどは、大きな塀に隠されているのだが。よくわからないものの、昔日の武家屋敷というのはこういうものだったのではないかとうばらは思う。こういった都心部より郊外が似合いそうな作りである。
 確認を済ませ、さっさと帰ろうとしたところ、
「奇遇だね。会いに来てくれたのかい?」
 門が開き、和装の正身が姿を見せた。
「……通りかかっただけだ」
 険のある視線でうばらは正身を見る。どうして気付かれたのだろう。ほとんど物音は立てていないはずだ。
 ――このでかい家、監視カメラでも付いてんのか?
 ところがうばらの刺すような赤い瞳を見ても、正身はまるで動じなかった。
「まあ何にせよ、せっかく来たんだ。少し寄っていかないか」
「……断る理由が見つからねぇな」
 結構結構、と薄笑みを浮かべて、正身はうばらを門の内に誘う。
「で、本当は遊びに来てくれたんだろう?」
「帰るぞ」
「怒らせたのなら謝る。まあ、気になってね」
「この家への道順を調べにきたんだ。あと、周囲の調査」
 ぼそっと呟くようにうばらは言って、他人事のようにつけ加える。
「……契約した以上、神人に何かあっちゃ困るからな」
「お気持ち、痛み入るよ」
 ちょうど良かった、と正身は言うのである。
「手伝ってもらいたいことがあるんだ」
「そうか。まあ仕事と思ってやってやる」
 まったく愛想というもののないうばらの口調だが、それが逆に背伸びしている雰囲気が良く出ているようで、正身は可愛らしく思った。
 広い畳敷きの客間に通し、香りの高い茶を淹れる。
 正身は美しい姿勢で正座していたが、うばらはほんの少し正座してみたものの、すぐにあぐらになってしまった。
 しばらく、茶をすする。
 会話はない。
 やがて茶を干すと、
「……手伝い、ってのはまさか、茶を飲むことじゃねぇよな?」
 ぐっとうばらは体を前に傾けたのである。
 内心、落ち着かないものをうばらは感じていた。前に訪れた際は兄のいばらと一緒であったが、今は彼一人だ。正身も単身なので、客間と言っても十六畳はありそうなこの広い部屋で一対一という状況なのだった。くつろぐのは難しい。
「まさか。手伝いというのは……」
 実は正身が黙っていたのは、この間ずっと、『手伝ってもらいたいこと』について考えていたからだった。
 要するにこれは口実、せっかくの彼の来訪を、長引かせてしまおうと考えて口にしただけのことである。
 ゆえに肝心の中身はないのだった。中が空洞の卵のようなものだ。
 この時期、手伝ってもらうことがあるとすれば――正身は考えた。
 大掃除はもう済んでしまった。
 おせち料理の準備も今朝方――と暫時考えて、やがて思い至った。
「栗金団、一緒に作らないか? おせちに入れるのでね。作り忘れてしまって」
 実はすでに葵田家ではすでに、栗金団は少量作ってあるのだった。だがたくさん作ってうばらに持たせたら、おやつ代わりに兄弟で食べてもらえるかもしれない、という考えが正身にはあった。
「料理ってことか? ……他に用もねぇし仕方ない。けど、俺の料理って適当だからな?」
 そうと決まれば、と正身は彼を厨房に連れて行く。
 使うのはまず、サツマイモ、それとクチナシの実。本来イモは三時間程度水に浸しておくのが望ましいのだが、今回は省略して輪切りにした上で茹でる。クチナシは色をつけるためだけに必要なので、使ったら取り除いておく。
 大ぶりの鍋にいれてぐつぐつ、イモが煮えるのを待ちながらうばらが言った。
「……笑うなよ」
「いきなりご挨拶だね」
「笑わない、と言わねぇと次を話さない」
「わかった。笑わないよ」
「よし、じゃあ訊くが……おせち、ってなんだ?」
 思わず噴き出しかけた正身だが、約束を守ってぐっとこらえる。そうして応えた。
「一言で言えばお正月の料理かな。本来は、中国から伝わった五節句……まあ、季節ごとの行事だね、このときに作られる料理だったというよ。でも、この節句のうち一番大切なのが年の変わり目、つまり正月であることから、正月料理だけをおせち料理という用になったらしい」
「詳しいな」
「旧い人間なもので。あ、これは旧家の育ちって意味だから、老けてるって意味じゃないから」
「そこまで言ってねぇだろ」
 と言いながらも少し、うばらの口調が緩むのが正身にはわかった。
「煮しめ 酢の物、焼き物の三種類からなる料理を少しずつ、こまごまと重箱に詰めた形態が一般的だね。一つ一つの料理は、火を通したり干したり酢に漬けたりして、日持ちするようにしてあるものが多い。以前は、元旦から三日間、おせちだけですごしたそうだから」
「三日もか? 飽きねぇのか?」
「だからバラエティ豊かになっているんだろうね」
 と話しているうちにイモが煮えたので、これを加工する手順に入る。砂糖を加え、イモをつぶすようにしながら再度弱火で煮るのだ。裏ごしの過程は省略した。
「さつまいもをなめらかになるまで混ぜろ? 加減がわかんねぇよ」
 すり棒を手にさっそくうばらが不平を鳴らしたが、
「好きな加減でいいよ」
 と言われて、まあいいかと思ったらしく黙って作業に戻った。
「そう、そんな感じ」
「ところで、これ、どんな味になるんだ?」
「甘い物だよ」
 それを聞いて、うばらは片眉を上げた。
「菓子っぽいのか……兄貴が好きそうだな。持ち帰ったら喜ぶんじゃねぇの」
「それは良かった。是非持ち帰ってくれ。うばらは、甘いものは嫌いだったか?」
「俺は別に――」
 好きとも嫌いとも言わない。まあ、うばららしい反応ではある。
「ではここに、みりんと、栗の甘露煮のつけ汁を混ぜてくれ。量は……これくらいだな」
 なお栗の甘露煮は冷凍のものを解凍しただけなので、ここの過程も簡単だ。
 ふわっとやわらかく甘い香りが昇った。
「まあこんな感じか」
 うばらは興味なさそうな風を装っているが、その実、視線をずっと鍋に注いでいる。
「艶が出るまで練ってくれればいい」
「だからその艶ってのがどんな加減かって……ああ、自分の納得するところまで、って言うんだろ? そうするからな?」
「わかってるじゃないか」
 正身は微笑した。うばらが一生懸命に練っているのがわかったからだ。執拗なまでに念入りにやっている。きっと楽しくなってきたのだろう。
「最後に、栗を加えて温まったら完成だ」
「……なら、こんなもんだろう」
 結局、イモを切る以外の過程ほとんどを正身に指示されつつ一人でこなしたこともあってか、うばらの口調には満足げなものがあった。
「さて、さっそく試食するとするか」
「任せる」
「そう言うな。自分で作ったものなのに自分で味わえないなんて残念じゃないか。甘味が苦手だとしても、味の良し悪しぐらいは
分かるだろう?」
 そう言って正身は完成品をひとさじすくい、うばらの口に運んだ。
 このとき、『甘味が苦手だとしても』のところには、いくらか力を込めて際立たせている。
 ……本当に苦手だとしたらきっと、うばらはあれほど、熱心に料理をしなかったに違いない。
 うばらは大袈裟に眉をしかめ、いかにも渋々といった体で、美しい黄色にそまった栗金団を口にした。
「どうかな?」
「……まあ、美味いが。ちょっと甘過ぎねぇか」
 と言ってうばらは思いっきり顔をしかめていた。けれども正身は見逃さなかった。彼の口が、明らかに綻んでいるのを。
「失敗か……これは私が処分しておこう」
 鍋を両手でつかもうとした正身の手に、咄嗟にうばらが手を重ねていた。
「いや、このままでいい、けど」
「そうかい?」
「そんな気が、する」
 うばらはこのとき、恥ずかしげに上目遣いをしていた。
 彼のそんな表情を正身は初めて見た。けれどもあえて、指摘はするまい。
 指摘した瞬間にきっと、うばらはたちまちしかめ面に戻ってしまうだろうから。


●おせち準備でナイト

 お題:『おせちには』で、アキ・セイジとヴェルトール・ランスに、それぞれの思いを語ってもらおう。
 セイジは言う、「おせちには、気構えや縁起が詰まっていると思う」と。
 だから彼は出来合いのものも悪くないとはしつつも、作れるものは作りたい、とエプロンを巻いていた。
「今年はちょっと頑張って色々作ってみようかな」
 ランスは言う、「オセチには……正月に休みたかったら年末に2倍働けという意味があると思う」と。
 だから彼は、マジで? と思わず聞き返している。とはいえど仕方なしに、やはりエプロンを巻くのだ。
「えー、買ったほうが早いじゃん」 
 ……それでもなおもぶうぶうと、ブーイングはしているのだが。
 というわけで年末の厨房、彼らはおせち料理作りに挑戦するのであった。まだ早朝といっていい時間帯だ。
「一人じゃなく二人なら結構いけるんじゃないかな」
 ランスの不満などどこ吹く風で、まずは手順の相談からだとセイジは言った。
「いや待って、それってセイジが全部段取ってくれるんじゃないの?」
「本年最後の協同作業だ。一緒に考えようじゃないか。煮ている間に切るとか、漬け込む時間とか……」
「本年最後の協同作業……ふぅむ、その響き、悪くないな」
「いいだろ?」
「けど、そもそも作り方がさっぱりわからない俺に、段取り考えるのは無理ってもんだぞ」
「それは失礼。手順だが、まず筑前煮は鶏もも肉、里芋にれんこん、ゴボウ、ニンジンに椎茸……」
 以下、とうとうと筑前煮の作り方をセイジは説くわけだが、もうこの時点でランスは目を回しそうになっている。
「説明聞いているうちに頭がパンクしてきたんだが……」
「うん、ごめん」
「しかも、オセチって筑前煮だけじゃないよな。昆布巻きとか数の子とか伊達巻きとか栗金団とか……」
「鯛の塩焼きは入れておきたいな。あとは酢レンコンは当然として、エビのうま煮、棒ダラ、合鴨の蒸し煮……」
「美味そう……だが料理名だけでやっぱりパンクだー」
 ははは、とセイジは笑った。なるほどたしかに、一気に語ろうとするとパンクしそうだ。落ち着いたほうがいい。
 ぽふぽふとランスの頭をなでつけながらセイジは言うのである。
「ならばまあ、待ち時間の長いものから始めようか。あとは作りながら言うから」
 ぼちぼちいってみよう。

 おせち料理というのは凝ろうと思えばどこまでも凝ることができるし、そもそも手間暇かかるものが中心だ。しかも同時に複数のメニューを手がけるわけで、その忙しさたるや凄まじいものがある。あれをやっている間にこれが始まり、これをこなしながらそれの様子を確認、それが終わったかと思いきや、もう次のをてがけなければならない。アクロバティックかつ濃密な時間が過ぎてゆく。
「……ああ、あれがこれ、これはそれ、それはどれ?」
 菜箸を持って鍋を持って、包丁、フライパン、せいろ……手が八本くらいほしいものだとランスはうめいた。だんだん口調も崩れてきて、
「ここはどこ私は誰? 翼よあれがパリの灯だ?」
 などと言い出している。とん、とその肩にセイジは触れた。
「自分を見失うなランス、ちゃんと作業は進んでいる」
「うーん……だけど」
「だけど、どうした?」
「作っているうちに、結構楽しくなってきたな!」
 ずっと体を動かしているのがスポーツのようで、筋肉も喜んでいるようだとランスは会心の笑みを見せた。
「そうかそうか」
 ご褒美とばかりにセイジは、鯛の子煮を一切れ、箸でつまんでランスに差し出すのである。
「味見、するか?」
「そうこなくっちゃ!」
「はい、あーん」
「あーん」
 ぱくっとランスは、鯛の子を甘辛く煮たものを口にした。
 ぎゅっと詰まったツブツブに、みりんベースの煮汁がじわっとしみこんでいる。ほくほくした舌触りはまるで極上のウィンナーのよう。それでいて後味はさっぱりしているのも最高だ。これならいくらでも食べられそうである。
「……なにこれ、うっまーい!」
「だろ? 俺も好物なんだ。こういうときにしか食べられないから多めに作ってる」
「もう一つくれ! もう一つ!」
「わかったわかった。けど、あとは当日のお楽しみだぞ」
 またぱくついてしばし、ランスは至福の時間を味わっていたが、ややあってなにか悟ったように言った。
「これって結構優しい味わいだよな? 納得の美味さ、ってやつだ。出来合いのももちろん美味いが、買ったやつは味が濃いもんな」
「わかってるじゃないか。薄味は健康にもいいし、味覚も鋭敏になる。いつもそうとはいかなくても、正月くらいは、な」
「実家のおせちを思いだすなあ……小さい頃はあんま好きじゃなかったけど……」
 なんだか感激している様子で、ランスは熱っぽい目でセイジを改めて見ている。
「今のセイジって、なんだか母親って感じだ」
「いきなりなんだ」
 とは言うものの、髪をくくって三角巾で覆い、花柄のエプロン(※ランスが選んだ)をしている今の自分は、ちょっと女性っぽいという自覚はセイジにもあった。
「母ちゃん、って呼んでいいか?」
「呼ぶな」
「あっさり却下するなよー」
「そんな大きい息子を持った覚えはない」
 ふん、と鼻息してセイジは、「母親じゃないけれど」と断ってオーブンから、熱い鉄皿を引き出してきた。
「ランスの好物なら知ってる。ほら、朝から台所に詰めっぱなしで頑張ってくれたお礼だ」
 わーお、とランスは目を輝かせた。焼きたてで湯気をあげているのは、彼の大好物たる鶏肉の照り焼きだったのだ。
「ほぼすべて完成したな。あと細かい作業が必要な料理はやっておくから、重箱に詰めるのを頼んでいいか?」
「お任せあれ!」
 半時ほどその場を離れ、「できたぜー」の声に戻ったセイジは、重箱に入った照り焼きの数が明らかに減っているのに気がついた。ランスのほうはといえば、しれっとした顔をしている。まるで「何か問題でも?」とでも言わんばかりの。
 もちろんそれはセイジにとって予定通りなので、これまた予定通りに、気がつかないふりをする。
「うん、きれいに詰めてくれたな。あとはこの空白のスペースに、今できたばかりのこれを加えて……」
 気付かれていないと思っているようで、ランスはずっとニヤニヤしっぱなしだ。セイジは内心、苦笑いしていた。
 ――こういうところが母親っぽいのだろうか……。
 まあ、いいか。

 ぱこっと重箱に蓋をしたところで、時刻はまだ夕方より前くらいだった。
「思ったより早く片付いたな!」
 ランスは名残惜しそうに重箱を見ている。やりきったという気持ちがある反面、まだまだやれるという気力がある状態で終わってしまったので、ちょっと物足りないとも思っていた。
 だがそれを見越していたかのようにセイジは言うのだ。爽やかに、まるで、いま作業が始まったばかりだと言うかのように。
「さ、そろそろ年越ソバを打とうか」
 と。
「ソバも打つのか!? このコリ性め」
「俺の凝り性は知っているだろう」
 言いながらもうセイジは腕まくりをしている。
「ま、今日はトコトン付き合うよ……だって美味いし楽しいから!」
「その意気だ」
 木製のこね鉢にそば粉と小麦粉を入れ、両手を使って大きな円を描くようにして混ぜ合わせる。とにかく素早く、休む間もなく混ぜるのがこつだ。こうしてできたものに水を加え、さらにどんどんこねていく。力を込めるのはもちろんだが、入れすぎてもいけない。生地が固くなりすぎたら、適量の水を足すのも忘れてはいけない。
 あとはひたすら、こねてこねてこねて……。
 二人ならんでこねながら、ランスは肩をセイジの肩に当てた。
「なあ、提案していいか?」
「なんだ?」
「正月は実家にも一度帰るんだ。一緒に『帰ろう』ぜ?」
 ふっとセイジは笑みを浮かべた。もちろん回答は、イエスだ。
 楽しい正月になりそうである。



依頼結果:成功
MVP
名前:信城いつき
呼び名:いつき
  名前:レーゲン
呼び名:レーゲン

 

名前:葵田 正身
呼び名:葵田
  名前:うばら
呼び名:うばら

 

メモリアルピンナップ


( イラストレーター:  )


エピソード情報

マスター 桂木京介
エピソードの種類 ハピネスエピソード
男性用or女性用 男性のみ
エピソードジャンル ハートフル
エピソードタイプ EX
エピソードモード ノーマル
シンパシー 使用不可
難易度 とても簡単
参加費 1,500ハートコイン
参加人数 5 / 2 ~ 5
報酬 なし
リリース日 12月20日
出発日 12月26日 00:00
予定納品日 01月05日

参加者

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