手料理でナイト(side:Rosé)(桂木京介 マスター) 【難易度:とても簡単】

プロローグ

「夕食を作りに行ってあげるよ!」
 と言って当日、あなたの家を訪れた彼は……
「どうしてメイドの格好をしているんですかっ!?」
 あなたは半分あきれ顔だ、アホ毛もぴんぴん、跳ねまくっている。
 ところがこれを聞いて正面から右30度ほど斜めの立ちポーズのまま、彼は握ったグーを口元に当てて首をかしげる。
「え……ダメ? 変?」
「変というわけじゃ……」
 言いながらあなたは、彼のメイド姿を上から下までとっぷりと眺めるのだ。
 黒と白のエプロンドレス、フリルたっぷりヘッドセット、いずれも、まるでこれを着るために生まれてきたのではないかと思うほど似合っている。きゅっとまとめた黒髪を真っ赤なリボンで束ねているのも、悔しいくらい可愛いではないか。
 もともと彼は中性的な顔立ちだったが、今では疑う余地もないほどの少女っぷりなのであった。
 ――いや、待て。
 あなたはここで冷静になる。
 似合う似合わないの問題ではない。
「やっぱりどう考えても、晩ご飯作るだけでいちいち女装してくるのは変です!」
 あなたは声を大にするのだが、彼はまったく意に介さない。
「まあまあ、僕、形から入るほうなんで」
 などと笑いながら精霊は部屋に上がり、近所のスーパーのロゴが入った買い物袋を開けはじめたのである。
「キミは何もしなくていいからね。任せて任せて!」
 かくしてメイド男子は厨房に入った。
「ざる借りるねー」
 と米をとぎだしたのだが、
「ちょっと待って」
 その様子を見てあなたは腰を抜かしそうになった。決して誇張ではなく。
 彼はこともあろうに、ザルにあけた米にたっぷりと、食器用洗剤をかけていたのだ!
「もしかして……料理したこと、ないんですか?」
「ないよ」
 精霊は屈託なく笑った。
「僕、形から入るほうなんで」
 こうして彼の手料理は、『彼を監視しながら主として私が作る手料理』へと変化したのである。

 ……というのはもちろん、あくまで一例である。
 このエピソードのテーマはシンプル、『手料理』だ。あなたと彼の手料理にまつわる物語を、ともに作ろうではないか。
 彼があなたの家を訪ねて台所で腕を振るうという展開はもちろん、二人で一緒に料理をしても、逆に彼に手料理を食べさせてあげても構わない。
 難しく考える必要はない。焚き火で芋を焼くのだって立派な『手料理』だ。少しでもテーマにかかわっていれば、どんなシチュエーションでも大歓迎なのだ。
 あなたと彼の記録に、手料理の思い出を残そう。

解説

 ある日、あなたと精霊が一緒に料理を楽しんだり、どちらかがどちらかに腕を振るったりする展開を楽しみましょう。
 タイトルが『ナイト』ですが、夕食に限った話ではありません。ランチでも朝食でもウェルカムです。騎士(knight)の包丁さばき、とくとご覧じろ! みたいなアクションプランもグーであります。
 なんとなくコミカルなタイトルですけれど、心のすれ違いを描いたり、哀しみにくれる展開になるというアクションであってもきっちり対応させていただきます。

 本文に書いた話はモデルケースですが、もちろんこのシチュエーションに当てはめていただいても構いませんよー。

 モデルがあったほうがいい、というのであれば、たとえば……。
 ●料理を覚えたい、と言う精霊に、簡単なものをあなたが手ほどきしてあげる。
 ●お袋の味を再現しようとする精霊と、一緒に奮闘するあなた。
 ●安売りで大量のサツマイモを買ってしまった。よし焼き芋だ! と焚き火を開始(焼き芋も立派な料理です)
 なんていうのはどうでしょう?

 どうぞ自由に発想してみてください。

 なお、参加費ですが、材料費等で、アクションプランに応じて300~500Jr程度かかるものとさせていただきます。
 ご了承下さい。

ゲームマスターより

 得意料理はぶり大根! 桂木京介です。

 手料理をテーマにしたハピネスエピソードです。
 この料理というのはかなり幅広い概念と考えていますので、庭でバーベキューするような展開でもまったく問題ありません。あるいは、この手のお話では王道のカレーにいってみますか……?
 あなたと彼らしいプランをお待ちしております。

 それでは、次はリザルトノベルでお目にかかりましょう! 桂木京介でした。

リザルトノベル

◆アクション・プラン

篠宮潤(ヒュリアス)

  ●焚き火で焼き芋、絶対経験した事無い、と思うんだ…!
「ヒューリ、こっちこっち」
精霊のアパートへ昼頃お邪魔
良かった居た。お昼まだ、だった?
安堵しながらアパート庭へ誘い出し

「えっと、ね、冬はこういうの、定番…っていうか」
誤魔化しながら焚き火へ持参した焼き芋、ホイルに包んでくべていく

「実は、こんなのも持ってきてみた、り」
ウィンナーにジャガイモ、家にあったから
何でもホイルに包んじゃえば美味しくなるよ!なんて
ウィンナーは串に刺して直接炙る
あっ呆れられちゃった!?
ホッ


「え?」ドキィ
ただ僕が、久しぶりに焚き火したいなって…
う、嘘、です…ヒューリと楽しみたいなって、思い…マシタ←目泳ぎ片言
(あ。笑った…)


レイナス・ティア(ルディウス・カナディア)
  ルディウス様──ではなく、ルディウスが風邪を引いて自炊が出来ないと…聞きました…!
ここは、これをチャンスだと…思って!
いつもは入れもしない家まで押しかけて、料理を作ります……っ!!


ここが、ルディウス様がいつも自炊している台所……とても、綺麗に片付いています……(感動)

まずは、お粥を……作ります……!
何か元気になりそうな物をいっぱい…買って来たんです、美味しいものを作らなきゃ

健康に良さそうなナスを入れたらお粥が真紫に! 怖くなって醤油で緩和できるかなと思ったら、どどめ色に!
(恐れ戦きながら次から次へと叩き込み最早お粥ではない何か)

ルディウス様っ!
作りました!頑張りましたっ!食べて下さいっ!(涙目)


ユラ(ハイネ・ハリス)
  アドリブ歓迎

急に呼び出されたから何かと思えば…え、本当にどういう状況?
うん、料理はともかくなんでその恰好?普通にエプロンで良かったんじゃないかなぁ
ハイネさん、実はコスプレが趣味なの?(説得力がない…!

で、さっきから捏ねてるそれは、何を作ってるの
ナンって自宅で作れるんだ~ていうか、ハイネさん料理できたんだ
だって普段何食べてるのか、想像できない
普段料理しない人って急に凝ったもの作りだすよね
い、嫌味じゃないよ!楽しみだなー

え、今こねてたのは一体何だったの!?
そうだね、お腹すいたしね…
いただきます…うん、美味しい!
お店で食べるのと同じくらい美味しいよ!
……えっ!?
(本当に冗談かな…うん、考えちゃだめだ


秋野 空(ジュニール カステルブランチ)
  得意なのはいわゆる和食、なので、ジューンさんのお口に合うかわかりませんが
クリスマスの時にお持ちした料理をとても喜んでいただいたので…
今回は料理器具も持ち込んで頑張ってみます
ここのキッチンは、本当に何もなかったですから…

以前…私を守るためにも、鍛錬は欠かさないと仰っていましたよね
でしたらお食事も鍛錬の一環ですよ

ご飯はカルシウムをとれるように、じゃこご飯にしましょう
旬ですからふろふき大根の柚味噌かけを
あと白菜・大根・人参と塩昆布の浅漬け風サラダ
動物性たんぱくを取るため、鶏肉を酒蒸しにして…
豚汁には七味もいいですが、しょうがを刻んで入れると温まりますよ

…また、作ったら…一緒に食べていただけますか?


水田 茉莉花(聖)
  今晩はあたし達だけでご飯作ろっか
調理マニュアル本もあるし
簡単なカレーくらいは作れないと困るでしょ?

ニンジン嫌いを治すのも目標です
さーて、材料切っていくわよ、ひーくん
まずはジャガイモの皮を剥いて

次は材料を炒めるの
そうね、その深いフライパンなら
ひーくんも上手にできると思う
肉が最初、次が野菜の…こら、ニンジンも入れなさい!(お尻ペンペン)

よく煮えたかな?
そしたら、ひーくんの分だけこっちのお鍋に分けてね
ちっちゃい頃から刺激の強いものを食べると
お料理の味がわからなくなるんだって
だからひーくんのは、刺激の少ない甘口カレーね
…急がなくて大丈夫よ、ひーくん

ひーくん、お迎えお願い
じゃあ、ひーくんも残さず食べてね


●今日はぼくがカレーを作りました

 この時期、カレンダーには綺羅星が並ぶ。
 なぜなら年末年始だから。祝日、クリスマス、仕事納に大掃除、歳末感謝祭、忘年会、カウントダウンにお正月、初詣新年会に初売りバーゲン……等々、それこそ七色のマーカーがあっても足りないくらい、カレンダーは大小様々なイベントに埋められるのだ。
 ところがこれら恒星的イベントの合間、ぽっかりと開いた『通常営業日』に、この小さな出来事は起こったのである。
「パパ、おしごとでおそくなるってメールが来ました、ママ!」
 携帯を手にした聖は、とたたたたーっという効果音が似合う調子で、水田 茉莉花のいるダイニングに駈け込んできた。
「そうみたいね」
 すでに報はキャッチしているらしく茉莉花はうなずく。聖のいう『パパ』つまり八月一日智は、年内に済ませるべき小仕事を片付けるべく、単身会社に残っているのである。
 だから、というように茉莉花は、オレンジ色の布を手にして告げた。
「今晩はあたしたちだけでご飯作ろっか」
「え? ぼくとママでごはん作るの?」
 聖がウサギだったとすれば、今頃ピンと両耳を立てているに違いない。それくらい予想外の言葉だったというわけだ。聖は「え?」とでも言うように、大きな瞳をぱちくりとさせる。
「そう、せっかくだから料理を覚えない? と思って。調理マニュアル本もあるし、楽しそうじゃない?」
 と言って茉莉花が聖に手渡したのは、さきほどのオレンジ色した布、つまり三角巾とエプロンなのだった。ちゃんと自分用のセットも用意している。こちらは、目の覚めるようなペパーミントグリーンだ。
 普段彼女はエプロンはしても、三角巾まで巻くことはそうない。けれども今日は料理の世界に入門する聖のため特別に、RPGで言う『革の鎧』に『銅の剣』なみの基本装備に身を包んだというわけである。
「やったー!」
 もちろん聖に否やはない、茉莉花に手伝ってもらい、たちまち料理人レベル1へと変身した。
「なにを作るのー?」
「カレーにしようと思ってる。簡単なカレーくらいは作れないと困るでしょ?」
 暖かに笑む茉莉花は、本当に聖の母親であるかのようだ。
 その一方で聖のほうも、本当の子どものように、
「か、カレー……ニンジンキライ……」
 半ベソで返したのである。あの赤いヤツは彼にとって、いくつかある宿敵のひとつだ。
 聖がそんな回答をすることなど茉莉花は百も承知だ。チョコレート色の瞳に決意を浮かべ、腕組みして逃げ道をふせぐかのように、
「ニンジン嫌いを治すのも目標です」
 ぴしゃりと言ってのけたのである。
「でも……」
「『でも』はなし! 料理、やってみたいんでしょう?」
「それは……そうだけど……」
 フローリングの床を足の爪先で、つんつんつつきながら聖はごねて見せる。普段は、その情け容赦ない毒舌ぶりでIQの高さを知らしめることしばしの聖だが、こうして言葉を詰まらせていると、外見通りの幼さに思えてくるではないか。
「そうと決まれば始めるよ! はい、こちら材料になります」
 料理番組のような口調とポーズと笑みで、茉莉花は聖を厨房にいざなう。台所の作業スペースには、すでにニンジンとジャガイモ、タマネギ、パック入りの牛肉が用意されていた。
「さーて、材料切っていくわよ、ひーくん」
「うー、かわむきなら、ぼくも手つだえますけどー」
 聖の目はさきほどからずっと、赤い野菜へと注がれたままであった。
 はいこれ、と茉莉花は聖に包丁を手渡した。先端の丸いセラミック製だ。踏み台も用意して、彼が自分と並んで作業できるようにする。
「まずはジャガイモの皮を剥いて」
「お手本、お手本!」
「ハイハイ、わかりました」
 茉莉花は包丁を器用に使って、凹凸の多いジャガイモをみるみる裸にしていく。剥かれた皮も極薄だ。
「ママすごーい。すごすぎて、目にもとまらなかったー」
「ま、こういうのは慣れればすぐよ。今度はゆっくりやってみるから、真似して一緒にやってみて」
 こうしてジャガイモ、タマネギの処理が終わって、あえて目をそらしていた存在と、ついに聖は向き合わなければならなくなった。
「やっぱり……さわらないとダメ?」
「ダメ」
「ぼく、このどろくさいのがイヤなんだよなー」
「それは偏見ね。滋養たっぷりっていうの」
「うー……げんじつから目をそらしてるだけだと思う……」
 半ば諦め半ばため息のミックス状態で、聖はニンジンを手にしたのである。
 やがて肉を含む材料をきれいに刻みきったところで、茉莉花は安定感のあるフライパンを出してきた。
「次は材料を炒めるの。この深いフライパンなら、ひーくんも上手にできると思う」
 油を引かず、ぽとんとバターを落とす。カロリー的には非推奨行動だが、一度バターで下味をつけた具材の味わいを覚えてしまうと、どうにも抗えないものである。茉莉花がパンを火にかけると、とろりとバターは溶けいい香りをあげはじめた。
「おにくいためるのは、フライパンですか?」
 フライパンを渡され、聖はおっかなびっくり材料を火にくべ始めた。
「肉が最初、次が野菜ね」
「えっと、おにくやけたらジャガイモ、タマネギと……」
 聖はいつのまにか、鼻歌でも唄うような口ぶりとなっている。
 けれども、
「……こら、ニンジンも入れなさい!」
 茉莉花は見逃さない。ちゃっかり聖が、ニンジンをシンクに追いやろうとしたのを。まるで最初から、ゴミがここにありました、とでも言わんばかりのナチュラルな動きだったので、注意していなければ見落としていたかもしれない。
「うわぁん、ママいたーい!」
 ハエ叩きみたいに正確無比な、お尻ペンペンが飛んだのである。
 かくして、ニンジンを含めたカレーの具材オールスターズが、フライパンの上で踊ることになった。
 十分に火が通ったあたりで水を加えて煮る。
「こうするとね、具の味が逃げないの」
「そうなんだー、きれいないろになってきたね」
 水が沸騰したらアクを取り、さらに十五分前後弱火にかけた。
「よく煮えたかな? そしたら、ひーくんの分だけこっちのお鍋に分けてね」
 小鍋を手に、茉莉花は奇妙な指示を出したのである。
「どうしてぼくの分だけわけるんですか?」
 それはね、と、茉莉花はタンポポみたいな笑みを見せた。
「ちっちゃい頃から刺激の強いものを食べると、お料理の味がわからなくなるんだって。だからひーくんのは、刺激の少ない甘口カレーね」
 茉莉花の手には、サン=テグジュペリ風の王子のイラストが描かれたカレールゥの紙箱があった。
 すると聖は、急に自分の小鍋が、はるか天竺の彼方にあるかのような目をする。
「……ぼく、早く大っきくなって、からいカレーが食べられるようになるね」
「急がなくて大丈夫よ、ひーくん……」
 いくら天竺が遠くても、一歩一歩、歩いて行けばいつかたどり着けるだろう。必ず。
 火を止めるのはカレールゥを割り入れるため、入れたら、ごく弱火で再開だ。茉莉花は自分たち用には辛口、どこかの原人が好むと言われている通向けルゥを投入している。
 こうして数分もせぬうちに台所はカレーの芳醇な香りに満ち、鍋の中身もとろりと魅惑的な姿を見せたのである。
「できた……できたよ!」
「うん、できたね」
 聖はもう、ニンジンのことなど忘れてはしゃいでいる。これなら気にせずニンジンを口にするかもしれない。アレルギーなど体質的な問題ではない『単なる好き嫌い』を直す近道は、自分でその食材を料理することだと言われているのだ。
 炊飯器も少し前に炊きあがりサインを明滅させていた。このとき、まるでカレーの完成を待っていたかのように、玄関のチャイムが、ぽんぴーん、と軽やかな音を立てたのである。
「あ、げんかんのチャイム! パパが帰って来た!」
 聖はオレンジ色のゴムボールみたいに跳ねた。
「ひーくん、お迎えお願い」
 すると今度は、聖は転がるボールさながらに玄関へと走って行くのである。
「パパおかえりなさい! 今日はぼくがカレーを作りました、残さず食べて下さい!」


●これ以上はないほどに

 秋野 空が得意とする料理は、いわゆる和食だ。
 とりわけ煮物には自信がある。ちょっとしたデパートの総菜には負けないくらいの味と見た目を提供できるだろう。
 けれども――空は考えたのである。
 彼の口にあうだろうか、と。
 ジュニール カステルブランチに好まれそうな方向を選ぶなら、断然洋風で行くべきだろう。なぜならクリスマスのときに持って行った料理は、とても彼を喜ばせたのだから。とはいえ今夜は、自分のホームグラウンドを披露したい――そんな気持ちが空にはあった。
 食を知るというのは、人を識るということでもある。彼に自分を……識ってもらいたい。
 だから挑もう。
 彼の家での初料理に……!
 なお本日、空は彼に事前連絡はしていない。メールも電話もまるっきりだ。
 ゆえにジュニールが留守であったら、そのまま回れ右して自宅で多めの夕食を作ることになるがそれも覚悟している。アポなし突撃風になったのは、思い立ったが吉日、という古諺に従ったまでのことである。
 食材は行きがけの市場で慎重に選んだ。
 以前見せてもらったジュニールの自宅のキッチンには、まるで引っ越してきたばかりのようにガランとして何もなかったことを覚えていたから、空は調理器具一式も、デパートの紙袋に詰めて運んでいた。
 なので両手一杯に袋を下げたちょっとものものしい姿で、空はジュニール邸の玄関先に立ったのだった。
 仕事はもちろん料理もできる、クールな大人のワーキングウーマンが、ふと気まぐれを起こして料理をしに恋人の部屋を訪れた……というシチュエーションが空の理想ではあるのだが、がさっと荷物を抱えた現在の状況を急に客観的になって思うと、これはもしかしたらちょっと『重い』女ではあるまいか。これで彼がまさかの不在、ゴツいブーツをひきずるようにしてとぼとぼと帰ることになったとしたら、なんというか目も当てられないかも――そんな気がした。
 しかし杞憂に終わった。呼び鈴を押すより早くドアが開いたのだ。
「ソラ……!」
「……ジューンさん」
「どうかしました?」「どうして気がついて……」
 二人の声は重なってしまった。
 一秒の沈黙の後、先に質問に答えたのはジュニールである。
「ドアを開けたのは、玄関のあたりに気配を感じたからです。しかもなんだか嬉しい予感もしたもので……」
 端正な作りの瞳を細めて彼は続ける。
「予感は的中しましたね。お目にかかれて嬉しいです、麗しの君……ソラ」
 その言葉だけで空は、魂を優しく抱きしめられた気分である。頬が熱くなるのがわかる。どうして彼は『麗しの君』なんて言葉を、これだけ自然に言うことができるのか。
「それでソラ、今日はどうして……?」
 厚底ブーツを履いていようが、空からすればジュニールの顔ははるか上だ。だから上目遣いになって、顔が赤い自分を意識しつつも彼女は言った。 
「お食事……作りに来ました」
 そこから一気に空は述べた。ジュニールの台所は使った様子がない。つまり食事は大抵、外食か購入したものではないだろうか。しかもジャンクフードが好みというではないか。それは栄養バランス的にとてもいけない。だから気になって今日は、手料理を振る舞いに来たのだと。
「以前……私を守るためにも、鍛錬は欠かさないと仰っていましたよね」
「言いましたとも!」
 胸に手を当ててジュニールは誓う。その様子があまりに大仰で、けれども彼らしくて嬉しくて、それまで緊張気味だった空の頬にくすっと微笑が浮かんだのだった。
「でしたらお食事も鍛錬の一環ですよ」
 なるほど、とジュニールは言う。
「ジャンクフードばかりの俺を心配して……空が手料理を?」
「余計なお世話であったら断って頂いても……」
「とんでもない! そんな素晴らしい提案、断る訳がありません!」
 と口にしたときにはもう、ジュニールは彼女の両手から荷物を奪い取っていた。といっても力ずくではない。あくまでエレガントに、高級ホテルのボーイが貴人から荷を受け取るようにするっと手にしたのである。
「俺のために、こんなにたくさんの荷物を……重かったでしょうに。ソラ、ありがとうございます!」

「それにしても、ソラが俺の部屋を訪ねてくれるなんて、クリスマス以来ですね。殺風景な部屋が一気に華やかになります……」
 ジュニールの口調は芝居がかってはいるが、これは演技ではない。心からの言葉なのだ。その証拠に、彼の透き通った瞳には恍惚とした色が浮かんでいる。
 空は台所へと案内された。
 空が記憶している通りの場所だった。何もないのである。ぴかぴかと言えば聞こえはいいが、要するにまるで使った形跡がない。最低限の設備として流しとコンロはあるものの、いずれもモデルルームのように使用感ゼロだ。
「それでは準備させていただきます」
 空は黒いエプロンをきゅっと巻き、調理用具をてきぱきと出していく。それを見て感極まったようにジュニールは声を上げた。
「俺の部屋のほぼ使ったことがないキッチンに、エプロン姿のソラ……! なんと絵になることか! あぁ神様! 夢なら醒めないでください!」
「あの……大袈裟です」
「どうして?」
 このときジュニールは、嘘やごまかしのない純粋な顔で彼女を見ていた。
「どうして、って……その、私なんて……」
 けれども視線を外しかけた空をつなぎとめるように、ジュニールは彼女に笑いかけたのである。
「ソラ、俺は思ったことを口にしただけです。言わば大きな独り言……気にすることはないんですよ」
 大きいから気になるんですけど――という言葉を口にするかわりに、空はジュニールの優しさに感謝することにした。
 これまでの付き合いで彼女は知っている。ジュニールは、見え透いた世辞を使うような男性ではない。だから彼の言葉に尻込みして行動をためらうより、恥ずかしくても受け入れて、行動の糧にするほうがいいだろう。そもそも空は、行動するためにここにきたのだから。
「それでは……頑張ります」

 一時間ほどして食卓に並んだ料理は、ジュニールを瞠目させるに十分のものがあった。
 和食の小皿だ。ほとんどの皿はガラス製である。目に優しくこぢんまりとしたものが並ぶが決して地味ではなく、色と香りがあいまって空腹を刺激する。
「ご飯はカルシウムをとれるように、じゃこご飯にしました。それに、旬ですからふろふき大根の柚味噌かけを添えています」
「いい色ですね。ご飯の明るい白さと、雪に似たじゃこの白さ、そして大根の透明度が高い白さ……練り味噌というのですか? この味噌の濃さもいい。上に乗っているのはせん切りにしたゆずの皮ですよね? まるで黄色い花のようです」
 ジュニールの評に、空は勢いを得て続けた。
「あと白菜・大根・人参と塩昆布の浅漬け風サラダ、動物性たんぱくを取るため、鶏肉を酒蒸しにしたものも用意しました」
「このところサラダから遠のいているので体が喜びそうです。鶏肉の蒸したものって好きなんですよ」
 そして空は木の碗に味噌汁を注ぐ。ただの味噌汁ではない。具だくさんの豚汁だ。
「豚汁には七味もいいですが、しょうがを刻んで入れると温まりますよ」
「ご配慮痛み入ります。しょうがですか……試してみますね」
 ジュニールの言う通りだろう。豚汁のしょうがに限らない。空の料理はいずれも、隅々まで配慮されたものだった。色合いには美意識があり、もちろん栄養価的にも満点に近い。
「それでは……いただきます」
 ジュニールは本当に美味しそうに食べる。彼女の手料理だからだろうか、いずれも優しく、細やかな情の感じられる味だった。
 ため息をつくようにジュニールは言った。
「ソラ、本当に美味しいですよ」
 もはや言葉が追いつかない状況だ。これ以上の表現はちょっと考えられない。
 彼の高評価に勇気づけられたように、空はおずおずと切り出したのである。
「……また、作ったら……一緒に食べていただけますか?」
「もちろんです! 今度一緒に、鍋や炊飯器なども買いに行きましょう!」


●シェフと一緒!

「やあ、早かったね」
 と自分を迎えてくれたハイネ・ハリスの服装に、ユラは戸惑いを禁じ得ない。
「……え、本当にどういう状況?」
 ここはハイネの自宅、つまり古びた教会である。その調理室だ。ユラにとっては馴染みのある場所であった。
 ところが肝心要、そこでユラを待っていたハイネの姿には、ユラはまったく馴染みがなかったのである。
 彼は白くて背の高い帽子を被り、純白の上下を着ていた。
「その服装って……」
「シェフ」
「だよね」
 本日のハイネはコック帽にコックコート、首元にはブルーの四角巾をマフラーのように巻いている。長い髪も束ねて帽子に入れているので、普段とずっと印象が違った。さっぱりして爽やかで……それはそれで格好良かったりもするのだが。
「料理本を読んでたら何か作りたくなってね」
 気のせいか彼の笑みも、普段より爽やか度が高かったりする。
「この間の鍋は任せっきりにしちゃったから、お詫び? というかお礼にご馳走してあげようと思って」
「うん、料理はともかくなんでその恰好?」
 するとハイネは、まるでユラが突然天動説を唱え始めたとでもいうような表情を見せたのである。「どうして?」と目を丸くしたのだ。
「普段の恰好だと料理しにくいじゃないか」
 そうナチュラルに返されるとユラとしても困るわけだが、とはいえ訊かざるを得ない。
「普通にエプロンで良かったんじゃないかなぁ」
「あ、やっぱりメイドの方が良かった? って、そんなわけないだろう」
「いやいやいやそういう意味じゃなくてっ……ていうかノリツッコミ!?」
 ちょっと今日はハイネの新たな側面を、見た気がするユラなのである。
「ハイネさん、実はコスプレが趣味なの?」
「まさか」
 はははとハイネは一笑に付すが、そういえば以前、バル・バラ一味(現在収監中)と戦ったときも、最初こそヒーローコスチュームの着用をハイネは嫌がっていたものの、いつの間にかノリノリになっていたことを思い出した。本日、案件『ハイネさん実はコスプレ好き疑惑』は一旦心にしまっておくが、いつか明らかにするものとしたい。
 それにしても彼のメイド服――軽く想像してしまったではないか。ハイネは色白だし髪は解けば長いし、華奢な肉付きなのでさぞや似合うことだろう。一緒にメイド衣装を着て記念撮影なんてしたら――おっと、妄想が先走りすぎたかもしれない。
 ユラは気を取り直して、
「で、さっきからこねてるそれは、なにを作ってるの?」
 彼に聞いた。ユラが訪れたとき、すでにハイネは作業中であった。小麦粉とイーストと思わしきものを混ぜて塊にし、何かを作っていたのである。パンだろうか。大きなまな板の上にこの塊を置き、こすりつけるようにしてこねていた。
「これ? ナンだよ、僕はナン派なんだ」
「ナンパ?」
「定番のボケをありがとう」
「どういたしましてー」
「けど驚いたなぁ。ナンって自宅で作れるんだー、ていうか、ハイネさん料理できたんだ」
 するとまたまたハイネはユラが突然、「我々の世界は大きな象と亀に支えられています」とでも言い出したかのような顔をした。
「君は僕をどういう風に思ってるんだ」
 失敬失敬、と後頭部に手を当ててユラは苦笑いする。
「だって普段何食べてるのか、想像できないから」
 どうも自炊しているハイネというのはイメージしづらい。
 ザルを水につけて米を研いでいるハイネ……なにか違う気がする。
 味噌汁を作るべく、カツオで出汁を取って小皿で味見しているハイネ……これも違和感バリバリだ。
 額に汗して大根おろしを作っているハイネ……それはそうとなぜ和食ばかり想定しているのだろうか?
 わかるよ、と言うようにハイネは軽くうなずいた。
「世の中には、惣菜という便利なものがあるんだよ」
「ふーん。普段料理しない人って急に凝ったもの作りだすよね」
「……嫌味をいうなら、あげないよ」
「い、嫌味じゃないよ! 楽しみだなー」
 そうこう言っている間にハイネの作業は終わった。
「そろそろいいかな」
 ぬるま湯を張ったボウルの上に、こねあがった材料を乗せたボウルを浮かべる。
「これであとは数時間発酵させたりして……」
「数時間?」
 ずいぶん悠長な話ではないか。ところがこのときハイネは一瞬奥に姿を消し、何かを手に戻ってきたのである。ふわりと香ばしい匂いがする。それは……。
「そうして、できたものがこちらになります」
 オーブンから出してきたのだろうか。皿に乗っていたのは、焼き上がったばかりのナンであった。大きさはノートパソコンくらい。形はアフリカ大陸に似ている。表面はカリッと焼けていて、白をベースに黄色ときつね色、軽い焦げ茶が交じり合った絶妙のできばえだ。
 まるきり料理番組のこの展開、やっぱりユラは訊かざるを得ない。
「え、今こねてたのは一体何だったの!?」
「だって待ってられないだろう?」
 余裕の笑みを浮かべつつ、ハイネはユラを食卓に案内し、フォークとナイフ、それに皿を並べる。飲み物のグラスには香りの高い茶を注ぎ、中近東風のBGMも流してくれた。
「さあ、召し上がれ」
 なんとも奇妙な話であるが、それでも目の前の焼きたてナンを見て、ユラは四の五の言う気をなくしていたのである。
「そうだね、お腹すいたしね……いただきます」
 手にとった。……熱い! びっくりしてこれを一旦置き、ふうふうと指先を吹くユラに、ハイネは優しく「端のほうからちぎるといいよ」と言ってくれた。それに従ってユラは隅の比較的冷めた部分を手にし、べりっと剥ぐようにして赤ちゃんの手くらいの小片を口にする。
 たちまち幸福感がユラの心を満たした。皮はパリパリ、中はもっちり、歯ごたえもあって甘みもあって、ナンは文句のない完成度なのだった。もう熱いのも忘れて、次に彼女は大胆に大きくちぎりとっていた。
「うん、美味しい! お店で食べるのと同じくらい美味しいよ!」
「そう……まぁ、それ店で買ってきたものだしね」
 正面のテーブルに腰を下ろしたハイネは、謎めいた微笑とともに彼女を見ていた。
「……えっ!?」
「冗談だよ」
 しかし彼の、謎めいたニヤリ笑いは消えないのである。
 本当に冗談かな――ユラは心の中で首をかしげる。
 ナンをこねていたハイネの手つき、ユラにはその巧拙はわからないが、少なくともぎこちないものではなかったと思う。買い置きのものであったとしたら、熱々なのもおかしいではないか。
 けれどオーブンをつけているような様子は彼にはなかったし、買い置きをレンジでチンしたとしても、ひょっとしたらこれくらいのできたて感は演出できるのかもしれない。
 といっても買っただけのナンをふるまうのに、あれだけ手間のかかる演出をするだろうか。もっと早くから準備して、オーブンだけセットするほうが楽ではないだろうか。実演してみせたのは、純粋に「こうやって作るんだよ」と見せたかっただけのことかもしれないし……。
 ――うん、考えちゃだめだ。
 もうユラは頭を悩ませるのをやめた。
 せっかくのナンだ。今は美味しくいただくことに集中しよう。
「そのまま食べても十分かもしれないけど、ちゃんとこういうのも用意しているよ」
 ハイネはいつの間にか、キーマカレーやチリビーンズ、シチューなど、ナンとコンビで食べやすそうな小皿を、色々と並べ始めていた。
「喜んでいただけたかな?」
「もちろん!」
 買ったナンでも作ったナンでも、シェフの服装も演出の一つだったとしても、彼が自分をもてなしてくれていること、それは紛れもない事実なのだ。
「じゃあ僕もご相伴にあずかろうかな」
 と自分用のナンに手を伸ばしたハイネは、やはりシェフの服装のままだったのである。帽子も含めて。
「ハイネさん、着替えないの?」
「メイドの格好に?」
「いやいやいやそういう意味じゃなくてっ……!」
 まったく彼といると……笑いが絶えない。


●好機到来!

 イベントはいつも、予告もなしにやってくる。
 年の瀬のこの日、レイナス・ティアに突然訪れたイベント、それは一本の連絡から始まった。
 ――ルディウス様……ではなく、ルディウスが風邪を引いて自炊ができないと……聞きました……!
 これはもしかしたら看病イベントというやつではないか。
 もちろん死ぬような大病であったらそれどころではないが、聞けば本当に単なる風邪なのだという。静養すればすぐ良くなると医者にも言われたそうだ。だとすれば少々不謹慎ではあるものの、
 ――ここは、これをチャンスだと……思って!
 とレイナスが心に希望を抱いたとして誰が責められよう。
 ナウ・ゲッタ・チャンス! 彼女は受話器を置くやすっくと立ち、拳を握って自分に宣言していた。
「いつもは入れもしない家まで押しかけて、料理を作ります……っ!!」
 恋愛に覇道と王道あり、不倫や略奪愛が覇道とすれば、看病イベントは王道中の王道、いわば錦の御旗なのだ。なんぞためらうことがあろうや!
 いざ突き進まん、キングスロード!

 ……と、勢い込んでいたものの、燃え上がっていたレイナスも、ルディウス・カナディアの自宅が近づくに従ってだんだんと色調が落ち着いていった。
 あくまでイメージ的な話だが、髪は真っ赤な焔の色をして逆立っていたはずが、彼の家のドアの前まで立つともう、普段通りのつややかな銀色に復しており、当然ながら逆立つはずもなく、しっとりと豊かに、絹の滝のごとく腰のあたりまで垂れ下がっている。炎を浮かべていた瞳も同様で、戦闘色は消えていまでは、どことなく憂いを秘めたアメジスト色に戻っていた。
 そうしていつの間にかレイナスは、臆病なペルソナに回帰していたのである。
 勢い込んできたものの、ルディウスに嫌われたらどうしようという気持ちは、常に彼女の中にあった。迷惑がられたり疎まれたり、関わりたくないなと思われたら……という恐怖が、歩むにつれて募り、いつしか彼女の士気をしぼませていたのだった。
 だからルディウスがドアを開けたとき、目の前にいたのは普段バージョンのレイナスだった。
「あの、ルディウスさ……ルディウス、こんにちは……」
「どうも……本当に……このたびは…………ありがとう」
 普段のルディウスは太陽の王子のように、輝かんばかりの黄金の髪をなびかせ、サファイヤの瞳を笑みに宿している。表情は常に優しく、声にも生命力が満ちあふれているのだった。
 ところがこのときのルディウスはまるで逆だ。喉を痛めたそうで声はくぐもっており、まなざしは暗く、笑みは分厚いマスクに隠されている上、心なしか髪色もくすんでいた。
「電話でも言いましたが、わざわざ来てくれなくっても……風邪がうつったら大事ですし……」
 言うそばからもう、彼は苦しそうに咳き込んでいる。
 しかしその様子を見てレイナスは気持ちを挫かれるどころかふたたび、彼を想う気持ちが昂ぶってくるのを感じていた。
 ――こんなに衰弱なさって……お可哀想に……!
 自分が助けなければ、そんな使命が与えられたようにすら思う。持ってきた荷物の重さなど、たちまち忘れてしまったのである。
 一方でその『荷物』のほうに、ルディウスのほうは震え上がっていた。
 ――どうして、「お粥を作りに参ります」というだけの話でそんなに装備が……!?
 なにせレイナスときたら華奢な身なりをしているというのに、旅行でも行くのかと言いたくなるほどの巨大なボストンバッグを提げていたからだ。
 ここで結論を先に書いておく。数分後、彼の不安は、的中する。
「ここが、ルディウス様がいつも自炊している台所……とても、綺麗に片付いています……」
 ぱん、と両手を握り合わせて、ミュージカル俳優のようにレイナスは台所を見渡した。
 実際、男性の独り暮らしとは思えないほど整理された台所であった。必要なものがすぐ取れるように配置もされており、床だってピカピカに磨かれている。
「突然の来客に備えて、部屋は常に掃除していましたから……」
 と言いながら、緊張気味に、ルディウスはレイナスの降ろした荷をちらちら見ている。
 ところがこの視線を――期待されている?――と誤解してレイナスは、わかっていますと言うようにうなずいた。
「まずは、お粥を……作ります……!」
 鞄を開ける。
 思わずルディウスは天を仰いだ。
 食材行商人のような中身だったのである。明らかにお粥とは共存できないはずの甘味等が、あふれんばかりに詰め込まれているではないか。
「あの、あまりお粥に関係なさそうなものが……」
「なにか元気になりそうな物をいっぱい……買って来たんです、美味しいものを作らなきゃ」
 いっぱいすぎると思います、その言葉を口にするほどのエネルギーが今の彼には存在しない。
 ――おお、神よ。僕の風邪を今すぐ治してください……!
 もう祈るしかない。
 いやしかし、とルディウスの中の冷静な声が告げた。
 ――『神に願いが届く』よりも、彼女が作ったお粥で『神に召される』方が先では……?
 このとき彼を震わせた悪寒は、風邪のせいではないだろう。

「さあ……準備ができるまで寝ていて下さいな」
 とルディウスが彼女に台所から追い出されてから小一時間が過ぎた。
「ルディウス様っ! 作りました! 頑張りましたっ! 食べて下さいっ!」
 運命の声はレイナスが発している。
 パジャマの上にセーターを着込み、食卓についたルディウスは目をこすった。熱で視覚が狂ったのだろうか。
「あの……お粥、一風変わった色をしているように見えますけど……」
 ああ、とレイナスは顔を覆った。
「健康に良さそうなナスを入れたらお粥が真紫に! 怖くなって醤油で緩和できるかなと思ったら、どどめ色になってしまったのです……!」
 他にもなにか酸鼻を極める様子で入れられているようだが、尋ねたいとはもう彼も思わない。
 ここで「具合がちょっと……」などと誤魔化して寝床に戻ることはルディウスにもできただろう。実際、一瞬そうしようと思ったのも事実だ。
 しかし彼は自分を見つめるレイナスの顔を見上げて、それはやってはいけないことだと思い直した。
 ――できたものがどうあれ、これは彼女が、心を込めて作ってくれたもの……。
 病気がうつる危険も顧みず、しかもあんなに大量の食材を購入し独力で運んで、一生懸命考えながら用意してくれたものなのである。彼の身を案じ、あんなに不安そうな顔をして……。
 これを袖にすることはできない。少なくとも自分は、やりたくない。
「ありがとう。いただきます」
 手を合わせてルディウスは、大量破壊兵器風の粥をスプーンで大きくすくった。躊躇せず口に入れる。
 名状し難きものは、想像以上に恐ろしい存在であった。飲み込むのと同時に、未知の言語がルディウスの唇をこじ開ける!
「=~)(’&%$#”!!!!」
 味覚が槍を持ち、腰巻き一つで暴れているような感覚!
 即、気絶してもおかしくない状態だが、ルディウスはこらえて手を伸ばし、棚から一冊、自分のレシピ本を抜き取って開いた。
「レイナス、次はこれの通りに作って、隠し味はすべて事前に教えてくださいね」
 一般的なお粥の作り方が書かれたページだった。
「……そうすれば覚悟の上で、次こそはかならず完食しますから」
 脂汗が浮いてくるがルディウスは曇りのない笑顔を浮かべた。
 苦しいときこそ笑え、それが騎士の心意気だ。
 けれども精神は肉体を凌駕できない。彼の意志とは無関係に、体のほうがシャットダウンを選択したようだ。
 ドタン! 派手な音がした。
 ルディウスが座っていた椅子ごと、後方に転倒した音であった。
「ルディウス……ルディウス様! ルディウス様、お気を確かにー!」
 結局ルディウスが寝込んでしまい、イベントはここでお開きとなった。
 看病イベントとして成功したのかといえば疑わしいが、どうしても遠慮しがちであったふたりの心の距離が、ぐっと縮まったのは事実であろう。


●午后の焚き火

 その日の正午、篠宮潤はヒュリアスの部屋のドア前で立ち尽くしていた。
 彼のアパートの呼び鈴を押しても、何の返事もなかったのである。
 残念、留守かなと思って階段に足をかけたとき、ドアが開いた。
「失礼。読書に集中していたのでね」
 と言うヒュリアスの右手には、確かに漢籍らしき和綴じの書物があった。その書名に潤は軽く驚く。
「『論語』、じゃないか」
「ああ。前も言ったかもしれないが、書物で常識や一般教養を独学するようにしている」
「一般教養……まあ、かなり昔の、一般教養では、あるね」
 一般教養として四書五経が出てくるところが、ヒュリアスらしくてなんだか微笑ましい。
 ところで、と潤は問うた。
「お昼まだ、だった?」

「ヒューリ、こっちこっち」
 潤がヒュリアスを導いたのはアパートの裏庭であった。普段はなにもない空き地みたいな場所なのだが、今日に限ってその中央に、見慣れぬものが用意されていた。
 石を並べた囲いだ。その中に、枯れ草や新聞紙を丸めたものが置いてある。
「……これは何かね?」
「焚き火の、準備……」
「いや焚き火は分かる」
 ヒュリアスの口調は無感動で平板なものだったが、彼が決して興味を抱いていないわけではないことを潤は知っていた。本当に興味がなければ尋ねようともしないだろう。ただ彼は、考えていることを表に出すのが不得手なだけなのだ。
「見てて」
 すぐにはヒュリアスの問いに答えず、潤はまず枯れ葉に火を付けた。
 空気は冷たく乾ききっている。蛇の舌のようだった火はすぐに成長し燃え上がり、ぱちぱちと爆ぜる音を立てた。黒を含んだ白の煙が、ゆらゆらと天に昇っていく。煙の香りがした。けれどもそれは決して、不快なものではない。
 ごく自然にヒュリアスは手を火にかざしている。穏やかな熱が対流を起こし、彼の長い白縹 (しろはなだ)色の髪が、ふわりと持ち上がってかすかに波打っていた。指先が温まってきたのだろう、わずかだがヒュリアスの目元が緩んでいるように見えた。そこで潤はおずおずと言うのである。
「えっと、ね、冬はこういうの、定番……っていうか」
 そうして彼女は、新品のアルミホイルを取り出した。同時に、よく洗っておいたサツマイモも。
「火にくべて焼く?」
「うん。焼き芋、って、いうんだけど」
「ほぉ……それが冬の定番とは初耳だな」
 ヒュリアスは頭から信じきっている様子だ。潤がホイルを引き出し、持参した芋をくるむのを興味深げに眺めていたがやがて、
「……手伝わせてもらっていいかね?」
 と彼も、おもむろにホイルを引き出してカットしたのである。それを見て、
「実は、こんなのも持ってきてみた、り」
 わずかに語尾を跳ねさせて潤が出したもの、それは、ウィンナーとジャガイモだった。ジャガイモは握り拳大のよく育ったもの、やはり綺麗に洗ってある。ウィンナーのほうは、弁当に入れるような小ぶりのものではなく、フランクフルト用の大きなものだ。
「ジャガイモはわかる。だがこの場合ウィンナーも『芋』と呼ぶのかね……? だとすれば謎めいた作法だな……」
 ヒュリアスはカルチャーショックを受けたらしく、表情こそ同じものの、顎に指を当てている。
「いや、そうじゃなくて、ね。これらは単に、家に、あったから」
 照れたような表情で、潤はナイフを出してジャガイモに十字型の切れ目を入れ、ウィンナーのほうは持参の鉄串に刺した。
「何でもホイルに包んじゃえば美味しくなるよ! なんてね……ウィンナーは直接炙ったらいいと思う」
「……そのようにして食べていいものなのかね……?」
 ジャガイモを受け取り、ぎこちなくホイルでくるみつつヒュリアスは、自転車の乗り方を父親に教わっている子どものように素直に問うた。
 これには、質問された潤のほうが驚いた様子だ。
「あっ呆れられちゃった!?」
 声色に不安げな色が混じっている。それに気付いたのか、ヒュリアスは普段に増して穏やかな口調で返事した。
「面白い、と思っただけだ。そう慌てるな」
 ふう、と潤は安堵のため息を吐く。炎が近いせいか、その色は白くならない。

 焼け具合を確認して、包みをひとつ、潤はヒュリアスに手渡した。
「ヒューリ、これはもう食べられるよ」
「感謝」
 小さくうなずいてヒュリアスは受け取ると、ホイルを剥いだだけでサツマイモのほうは、皮ごと口に含む。
 ぱくっと折れた芋の中身は、限りなく白に近い薄黄色である。あたたかな湯気と、甘い香りが流れ出した。
 黙って咀嚼するヒュリアスの様子を、文字通り固唾を呑んで潤は見守っていた。
「……どうかしたかね?」
「あ、いや、ちゃんと焼けてたかな、って……」
「食べられると言ったのはウルだ。信じている」
 その短い言葉に、思わず潤は目をうるませそうになった。彼はたとえ毒物であろうと、潤が保証すれば躊躇せず飲み下すのではないか。危ういところで目が濡れるのは避け、
「煙が」
 と言って手首で拭った。
「大丈夫か?」
「うん、平気」
「良かった。ところで芋は……予想外に、旨いものだな」
 ほんの少しだが、ヒュリアスの口元に柔和なものがあった。
 自分は人形と同じだ、感情というものを理解できない――とヒュリアスは言う。本当にそうだろうか――潤は思う。
 本当に人形であれば、ほんのわずかでも表情を緩めたりはしない。

 ジャガイモの切れ目にはバターを落とし、炙ったウィンナーは半分ずつに分ける。メインのサツマイモだって、まだまだ、食べきれないくらいある。
 いずれも立ったまま、ほとんど手づかみの食事なので行儀は良くないが、アウトドア料理らしくていいと潤は考える。少なくとも自分は楽しい。ヒュリアスも、楽しんでいてくれれば嬉しい。
 火が小さくなってきた頃、ぽつりとヒュリアスが口を開いた。
「して。突然なぜ焚き火をしようと思ったのかね?」
 潤にとってはナイフで不意打ちされたようなものだ。
「え?」
 と言ったまま、しばらく言葉を探すように視線をさまよわせたのち、
「ただ僕が、久しぶりに焚き火したいなって……」
 不安定ながら強引に着地しようとする飛行船のように告げた。
「…………」
 ところがヒュリアスは右手を自身の髪に当てたまま口を閉ざしている。
「……………」
 そして見ているのだ。潤を。
「………………」
 黙ったまま見ている。
「…………………」
 じっと見ている。
「……………………」
 眼力というものが実在するのであれば、いまごろ潤は、目と目の間に穴が開いていたかもしれない。
 1分素潜りしていた海女が、やっと海面に顔を出したときのように、たまらなくなって潤は白状した。
「う、嘘、です……ヒューリと楽しみたいなって、思い……マシタ」
 目が泳ぐ。語尾が片言になる。潤はいま、出来の悪い生徒が指名されて発表させられているときの気分だ。
 それを見て瞬間的にこらえきれなくなったのだろう、ぷっ、と小さくヒュリアスは噴きだしてしまった。
 だが自分自身それに驚いたように、さっと口元を手で隠すや、
「すまない。問い詰めるつもりはなかった」
 そして後は、自分に言い聞かせるように彼はつぶやいたのである。
「気になっただけだ。それに、なんとなく安心した」

 火を完全に消し埋められるものは埋め、ゴミは袋に入れて手に提げた。
「じゃあ、また」
「また」
 その先は互いにあえて言わない。
 また来年、なのか。また明日、なのか。
 また機会があれば焚き火をしよう、なのか。
 けれども納得したように、潤は手を振って帰路についたのである。
 ――ヒューリ……笑った……。
 かけがえのないその記憶を胸に抱いて。

 ところでヒュリアスは潤を見送った後、廊下で偶然、アパートの大家と顔を合わせていた。
「あ、どうも……」
 このところ彼は、この程度の挨拶はするようにしている。
 このとき大家から彼は、意外な話を聞いたのだった。
 大家氏曰く、庭で焚き火の許可を取るために、潤は数日前ここに来て、こっそり草むしりやゴミ出しの手伝いをしていたという。
 そんなことを彼女は、一言も語らなかった。匂わせることすらなかった。
「……剛毅木訥、仁に近し、か」
 『論語』の一節が、ヒュリアスの口をついて出ていた。 
 我知らずこのとき、彼の口元に、ふ、と微笑が現れていた。





依頼結果:成功
MVP
名前:篠宮潤
呼び名:ウル
  名前:ヒュリアス
呼び名:ヒューリ

 

名前:レイナス・ティア
呼び名:レイナス
  名前:ルディウス・カナディア
呼び名:ルディウス

 

メモリアルピンナップ


エピソード情報

マスター 桂木京介
エピソードの種類 ハピネスエピソード
男性用or女性用 女性のみ
エピソードジャンル ハートフル
エピソードタイプ EX
エピソードモード ノーマル
シンパシー 使用不可
難易度 とても簡単
参加費 1,500ハートコイン
参加人数 5 / 2 ~ 5
報酬 なし
リリース日 12月17日
出発日 12月24日 00:00
予定納品日 01月03日

参加者

会議室

  • [6]篠宮潤

    2015/12/20-22:50 

  • [5]篠宮潤

    2015/12/20-22:50 

    初めまして、と、お久しぶり、かな。
    篠宮潤(しのみや うる)と、パートナーはヒュリアス、だよ。

    …もう僕…、ヒューリが経験したこと、無さそうなこと、片っ端から…やってみようかな、って(メラァ)
    絶対、焚き火で焼き芋…したことないと思う、んだ…!

    (ヒュ:「………」←何かズレた方向に頑張り始めたのではなかろうか、と察知)

  • [4]秋野 空

    2015/12/20-20:52 

    初めまして、秋野空と申します
    パートナーはロイヤルナイトのジュニール・カステルブランチさんです

    …ジューンさんはあまりきちんとした食事をとられていないようなので、心配していたところなんです
    たまにはジャンクフードや出来合いの物以外も食べていただきたいので、プロ並みの腕前、というわけではありませんが、頑張ってみたいと思います

    よろしくお願いいたします

  • [3]レイナス・ティア

    2015/12/20-01:19 

    皆さん、はじめまして。場所は…違いますが、宜しくお願いします。

    定番、ですが、精霊さんの為に料理やお菓子を作ろうと思います…頑張らなくっちゃ……!

  • [2]ユラ

    2015/12/20-00:58 

  • [1]水田 茉莉花

    2015/12/20-00:11 


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