音楽のある場面(桂木京介 マスター) 【難易度:とても簡単】

プロローグ

 それはあなたにとってとても、勇気が必要な瞬間だった。
 告白、したのだ。
「実は私……ギターが弾けるんです!」
 これだけでも清水の舞台から、五体投地の姿勢でダイブするクラスのブレイブリーアクションだったわけだが、真に厳しいのはここからだ。それこそ虎の尾を踏むどころか、大あくびした虎の口に手を突っ込んで奥歯を一本失敬するような大胆不敵なスタント……というのはさすがに大袈裟か。
 まあそれくらい、緊張したということである。あなたにとっては。
「だから……だからその、バ、バンドのギタリストを探してるって話、ですけど……」
「ああ」
 けれども彼は、至極あっさりとこう言ったのだった。
「じゃ、明日、オーディションしてやるから来いよ、俺のスタジオ」
「え!?」
「いやだからバンドに入りたいんだろ? 今のところ俺一人しかいないから気にすんな。見てやるよ、実力」
「い……いいんですか!?」
「いいも悪いもそれが普通だろ? 昼の一時以降な。午前中は多分俺寝てるから。来るときメールしてくれ」
 はい、じゃあまた明日、そんな簡単な言葉をポートボールのフリースローみたく投げ込んで、彼つまりあなたとウィンクルムを組む精霊は、背を向けてばいばい、と手を振った。
 これは予想もつかぬ展開が訪れた。誰にも見せたことのないギターの腕を、こともあろうに彼の前で初披露することになるなんて。しかも、スタジオという名の密室でふたりっきりでなんて!
 彼は気付いているのだろうか。あなたの心臓が鳴らす爆音を。
 知っててやってるのだとすれば、腹が立つ。
 知らずにだったら……やっぱり腹が立つ!!
 彼と組んで三ヶ月ほど、ようやくうちとけてきた二人のパートナーシップだが、距離が近づくほどに、あなたの彼への複雑な想いは高まっていった。
 彼のことが気になる。それは、仕事とはいえときに生死を共にする間柄ゆえだろうか。
 それとも、彼に惹かれつつあるからだろうか。
 明日、あなたが爪弾くギターの調べは、彼のドラムと見事なセッションを決めることになるのだろうか。あるいは、単なる不協和音に終わるのだろうか。


 ……というのはもちろん、あくまで一例である。
 今回のテーマは音楽! 芸術の秋だから! もう秋終わりじゃん、ていうか冬じゃん、なんていう子は先生嫌いだな。遅れてきた秋と言うことでひとつ。
 例で示したように、彼とあなたで楽器を通した会話を行う展開もよし、終電逃しちゃって二人で朝までカラオケボックスというシチュエーションももよし、野外で焚き火しているときに突然彼がギターを弾き出して「歌え」と言い出すという状況もよし、ある歌を思いだし、その記憶についてあなたが彼に語るという話もよし、とにかく音楽がどこかに流れていれば、どんな話でも大丈夫だ。
 あなたと彼の、音楽がある物語をここに紡ぎたい。

解説

 秋はもう終わり冬が訪れつつあるこの時期、そんなある日の物語です。
 音楽が流れているという場面での、おふたりの心の交流を描いてみたく思います。
 ロックでもダンスでもジャズでもクラシックでも、著作権切れの曲名以外はちょっと具体名が書けませんけれど、どんな音楽が流れているかも書いていただけるとイメージしやすくて嬉しいですね。もちろんオリジナル歌詞も歓迎です。

 なお参加費ですが、飲食費やスタジオ使用料等でアクションプランに応じて300~500Jr程度かかるものとさせていただきます。ご了承下さい。


ゲームマスターより

 桂木京介です。
 音楽をテーマにしたエピソードですが、楽器が弾けるとか弾けないとか、歌が上手いとか音痴だとか、そんなことは一切気にしなくて大丈夫です。ふと立ち寄った喫茶店で、流れてきた懐かしい曲に涙ぐんでしまう……というだけでも、ひとつの場面にはなると思います。
 あなたらしいプランをお待ちしております。

 それでは、次はリザルトノベルでお目にかかりましょう! 桂木京介でした。

リザルトノベル

◆アクション・プラン

アキ・セイジ(ヴェルトール・ランス)

  小さなコンサートに行って帰宅した後の夜
食事も外で軽くシャレたのを済ませ、少し酒も入って上機嫌な俺達

●ギターと共に
結構上手いな
どんな曲が弾けるんだ?(興味
じゃあクリスマスっぽいので

耳に優しいな
思わず目を閉じ聞きほれる

最初に覚えた曲…なんてどうかな

●未来の話
そっか、ランスはお兄ちゃんだもんな(微笑
子供は好きなのか?
やっぱりなと納得
ランスの家に行った時の大勢での食事を思い出す

あ、けど
俺と2人って事は子供は無理…だろ(寂しくないかと目で問う
俺は別に良いんだけどランスが好きなのは知ってるから

彼の答えにじんわりと広がる心地良さ

な。ギター、教えてくれないか?
ランスのBDには弾いてやろうと思いつつ手を伸ばすと


蒼崎 海十(フィン・ブラーシュ)
  タブロス市内小さなライブハウス
対バン形式
バンド『ミアプラ』(歌とギター担当)で出演

最初の曲はロックで飛ばす
いつも通り最高のテンションでステージに躍り出た瞬間、直ぐにフィンの存在に気付く
内心の動揺を押さえ、声に乗せないよう
でも、フィンに見られてると思うだけで…平常心で居られる筈もなく
最後はバラード
寄りに寄って…フィンを想って作った歌…

アルカディア
優しさをくれる場所

ライブ終了後、カインさん達とフィンと落ち合う
知り合いに見られるって照れ臭い
カインさん、この間イェルクさんの事、べた褒めだったと照れ隠しについ暴露
あ…カインさんが赤い
仲良いなぁと見送り

心臓止まるかと思った
…ほめ過ぎだ、バカ
仕方ないから許す


フラル(サウセ)
  家から近くのバーで、2人で一緒に酒を飲む。
そんなに広くはないが、一番いい場所によく手入れのされた一台のピアノがある。
たまに演奏している人がいるが、今日はいなく、店内に流れているのは録音の演奏だった。

サウセに演奏を聞いてみたいと言われたので、マスターに弾いていいか聞いてみる。

実家にはピアノがあるが、こっちの家にはピアノはない。
あいつの前で弾いたこともなかったなと思い出す。

許可をもらい、ピアノを弾く。
サウセにリクエストがないか聞いてみる。

リクエストをうけ、優しく穏やかな曲を1曲弾いてみた。

このピアノ、とても大切にされているな。
いいピアノだ…。

弾き終わった後席に戻り、サウセにどうだったか聞いてみる。


カイン・モーントズィッヒェル(イェルク・グリューン)
  海十の歌は凄かったな
ミアプラのライブの帰り道、イェルと話しながら歩く※恋人繋ぎ
あれじゃフィンは大変だな(ニヤッ
※先程本人がいない時に惚気た(雅臣EP2)のを暴露された為仕返し続行中(自分で言うのはいいが誰かに明かされるのは流石に照れる

歌?普通じゃね?
子守唄は赤子の頃の娘に…違和感殺人?奴は尊い犠牲になったと思え

今日のは子守唄には向いてねぇけど…

※ライブで歌われてたバラードのサビを歌う

イェルに歌うならいいか
嫁に恋歌は普通だろ
(ピャアアアレベル3か)
分析しつつ、海十の歌を口ずさむ

しかし、アルカディアか…(呟きを聞く
その意味は…
なら、イェルは俺のTir Taimigiriと言ってキス

※アドリブ絡みOK


カイエル・シェナー(エルディス・シュア)
  依頼の終わりに、豪邸に住む依頼主の部屋に見るからに極めて高価なグランドピアノを見つけた
昔、家にあったピアノを髣髴とさせた

「懐かしい」
呟いたら、依頼成功の礼に弾かせてくれるというので、エルディと共にピアノの側へ

「昔はよく弾いていた」
無意識に言葉に懐かしさがこみ上げた
しかし、昔の記憶にある譜面をそのまま弾き始めてみたら……指が、届かない。回らない。更にはもつれる……!

ただでさえ速い曲で、弾き始めから曲はもはや原型を留めていなかった
腹を押さえて笑いを押さえるエルディに、頭を抱えながら「10歳の頃は弾けた…!」と絶望を交えてぼつり

そうしたら席を替わったエルディの方が上手く弾く
聞けば何故か、視界が霞んだ


●新しい感情

 雑居ビルの地下一階、鉄製の重い扉を開くと、バーボンウイスキーの馥郁たる香りと、ニューオーリンズ・ジャズ特有の刻むようなベースラインに、ふたりはたちまち包まれた。
 隅のカウンター席に並んで腰を下ろす。いくらもせぬうちに、影絵調に沈丁花のシルエットが描かれたコースターがふたつ置かれ、霜の降りたショットグラスがひとつ、背の高いカクテルグラスがひとつ、それぞれの上に乗った。
「お疲れ」
 フラルはショットグラスを掲げた。ストレートのウォッカ、それも通常、冷蔵庫ではなく冷凍庫で保管するという強い種類のものだ。飲み口はすっきりと甘いが、秘められた牙は鮫のように鋭い。
「ええ、お疲れ様でした」
 サウセが手にしているグラスは、すうっと背の高い不思議な形状をしていた。中身は、ロイヤルブルームーンに似た色のオリジナル・カクテル、優しい香りと爽やかな飲み口が気に入っている。
 軽く乾杯の真似事をすると、フラルは一息でショットグラスを開けていた。彼はグラスをコースターに戻さず、音を立てずバーテンの前に置いて「もう一杯頼む」と平然と告げている。バーテンも慣れた様子で、そよ風のようにこれに応じた。
 いつものことではあるが、サウセには驚くべき光景である。フラルは水か、せいぜいが炭酸水のようにあの酒を飲んでいるものの、その中身はこのバーでも屈指の『濃い』アルコールなのだ。かつてサウセも一口だけ試してみたことがあるが、その晩はそこから、ノンアルコールで行くことを余儀なくされた。一見、女性と見まがうような華奢な容貌のフラルだが、その内面と同様、酒についてもかなりの剛強なのである。
 サウセのグラスの中で、ブロック型の氷が一度、くるっと回転した。
 店内は普段と変わらず静かで、決して広くはないものの、ゆとりのある空間を提供してくれている。
 マホガニー製のカウンターは顔が映るほどに磨きぬかれ、物静かなバーテンは、決して雰囲気を乱さない。常にそれなりに席は埋まっているものの、入店できないほど混むことはまれだ。
 ルームシェアする以前から、フラルは何度かここを訪れていたという。一方でサウセが来店するのは今夜が二度目、けれど、もうずっとここに通っているかのようなくつろぎを覚える。現在の自宅からはほどよい距離にあるので、これから馴染みになりそうだ。
 会話を楽しみたいとき、バーはいい。アルコールは舌をなめらかにし、音楽は会話にリズムと豊かさを与える。
 けれど会話しないときも、バーはいい。いわばこの環境そのものが、言葉を交わすに等しい濃密な時間を提供してくれる。
 しばらく無言で過ごしたのち、ふとサウセが言った。
「今日、ピアニストはいないんですね」
 平日の夜のせいもあろうか、店は以前来たときよりずっと空いている。
 前回サウセが来店したときは、店の一番いい場所に設置されたグランドピアノを女性のピアニストが弾いていた。正直、女性の風貌も服装も忘れてしまったが、ジャズ・スタンダードとクラシックを交えた演奏曲の音色は、今でも思い出せるほどだ。端的にいえばいい音だったのである。張りがあって胸に迫るよう。コンサートホールの音質に匹敵する、といっても過言ではないほどに。音響にはよほど、気を配った構造なのに違いない。
 しかし今、ピアノには蓋が下ろされ、席にも赤いベルベットの布が被せられていた。
「そうだな。実は、奏者がいるのはたまにのことだ。今日はレコードだな」
 昔のジャズコンボによる実況録音盤、フラルはさらりとそのタイトルをそらんじたが。サウセにはなじみのない名前だった。
 フラルは、空いたばかりの三杯目のグラスをバーテンダーのほうに押し出した。
「次はドライ・ジンを」
「そういえば……フラルさんはピアノを弾けるんですってね?」
 ふと思いついたようにサウセが言う。
「ああ。まあ、な」
 フラルが何気なく答えると、サウセは短い逡巡ののち、思い切ってこう言ったのである。
「演奏……聴いてみたいと思います。フラルさんの」
「オレの?」
 フラルは少し戸惑ったようだ。透明なグラスを手にしたまま、しばらくこれを唇に運ぶこともなく見つめている。
「実家にはピアノがあるが……こっちの家にはピアノはない」
 だからだな、とフラルは思うのだ。――あいつの前で弾いたことはなかった。
 けれどもこれは言っておくべきだろう。フラルは静かにグラスを傾け、柑橘類のようなその味と香りを楽しんでから告げた。
「ピアノってのは毎日の鍛錬がものを言う。よく言うだろう? 一日練習を怠ると、取り戻すのに三日かかると」
 サウセは白い仮面の下でまばたきした。断られるかと思いきや、しかし、フラルは「だからあまり期待しないでほしい」と言っただけだった。続けて彼は初老のマスターに、あのピアノを弾いていいかと問うたのだ。
 マスターは笑みとともにうなずいた。どうやらこのマスターも、フラルの演奏を見てみたいと思っていたようだ。
 ピアノの前に座り、フラルは静かに息を吸って、吐き出す。
「リクエストはあるか?」
「リクエスト、ですか……」
 サウセは無意識のうちに顎に手をやっていた。彼はあまり音楽に詳しいほうではない。
 なのでサウセは、具体的な曲名ではなくイメージで答えることにしたのだった。
「今夜の月みたいな、優しい雰囲気の曲をお願いします」
 了解の意を眼で示し、さて、とピアノに向かい合ったフラルは、強い酒を重ねてきた人物とは思えぬほど冷静な表情でこれを見つめた。それはまるで、彫刻家が作品になる前の素材を見るかのようだった。
 やがて彼の細く白い指が、最初の一音をもたらした。
 静かな、さざ波のような幕開け。
 やがて音楽は、ゆるやかに語り出す。語るべきものが、最初から内在されていたかのように。
 その旋律は夜のイメージだ。けれども凍えるような夜ではない。月が万物の眠りを見守るような、穏やかな夜のイメージこそが近い。
 調べは美しいばかりではなく、仔に乳を含ませる母鹿のような、暖かく柔らかく、無償の慈愛に満ちている。音に光が宿って、じわっと心にしみこんでくるかのようだ。
 これを奏でるフラルの表情もまた、優しいのだった。固い蕾が開いたかのように。
 ――フラルさん……!
 サウセは、自分の知らぬ彼を見た気がした。
 瞬間、息を飲むほどにフラルに魅せられた――それは確かだ。鼓動がひとつ、強く胸を打ったのである。
 音楽は火の粉に似た光の粒子となり、夜に吸い込まれるようにして終わった。
 多くはない客だが、そのすべてと、バーテンが拍手を送ってきた。軽く会釈してフラルは言う。
「このピアノ、とても大切にされているな。いいピアノだ……」
 フラルは静かに蓋を降ろした。調律は完璧、ペダルも踏みやすく、念入りに手入れされているのがフラルには判る。形だけ掃除し、ルーチンワーク程度にメンテナンスしたところでこの域には到達できまい。音楽への敬意、ピアノへの愛がなければ、なかなかここまでのことはできないだろう。
 恐縮です、とバーテンがお辞儀した。彼はバーテンダーであり店のオーナーでもあるという。いつか、音楽談義に花を咲かせてみたいものだとフラルは思った。
 そうして、フラルはカウンターに戻る。スツールを引いて、
「酔っ払いの余興だ。耳汚し、というやつでなければいいが」
 と控えめに告げて座り直し、サウセに感想を求めた。
「余興だなんてとんでもない……!」
 サウセは首を振った。そうして、胸が詰まったかのように押し殺した声でこう言ったのである。
「とても素敵でした……!」
 こう表現するのが精いっぱい、あらゆる絶賛の言葉を使っても、このときの自分の気持ちを表現できまいとサウセは理解している。胸が熱い。この多幸感、震えるような気持ちを、どうやったら伝えられよう――。
 今、サウセは感じていた。
 自分の中に、フラルへの新しい感情が生まれたかのように。
 その感情に付けるべき名は、まだ見つからない。


●黄金の羅針盤

 小さな会場での小さなコンサートは終わった。三十人も入ればフルハウスになる規模のところで、客入りは八割といったところ、実際、ささやかという言葉こそが似つかわしい。
 けれどもその内容は、払った金額に見合うものであった。むしろそれ以上だったといえよう。いずれあの奏者はブレイクする、そう確信できるほどの内容だった。
 その夜、良質の弦楽器の調べで心を満たしたアキ・セイジとヴェルトール・ランスは、続けて今度は胃袋だとばかりに、高級店ではないものの適度に洒落たイタリアンにて、ワインとオリーブオイルのハーモニーを楽しんだ。
 帰宅してエスプレッソメーカーを起動し、今夜の思い出を交換する。
「それにしても楽しいコンサートだった。しばらくは記憶にこびりつきそうだ」
 赤ワインはセイジを、いつになく饒舌にしていた。それから彼は、あの曲のあの部分が……といったコンサートの細部について、自身の想いを口にし始める。
 しばらくそれに付き合っていたランスだが、
「じゃあ」
 と言って席を外した。すぐに戻ってくる。
「……こんなのはどうだ?」
 かくしてランスはギターを爪弾き始めたのである。一時的に席を外したのは、これを取りに行くためだったのだ。
 セイジはすぐに、ランスが送り出すフレーズに気がついた。
「結構上手いな」
 数時間前に聴いたばかりの楽曲だ。つまり、コンサートで奏でられたものである。
 セイジはその主旋律を数回繰り返し、メジャーコードで楽しげに締めくくった。
「知っている曲……だったわけではなさそうだな」
「ああ、耳コピーだよ。我ながら、けっこういいセンいってたんじゃないかな?」
「認める。上手いばかりじゃなく耳もいい、ってことか」
「お褒めにあずかり光栄」
 ランスは仰々しく一礼してみせる。オーケストラの指揮者のように。そうしてさらに、
「たまに店でも請われて弾くことがあるんだよな」
 と言って手すさびに、陽気なジグを鳴らしたりするのだ。セイジからすれば、ギターはランスの感覚器のひとつのように見えた。ランスは己の感情を、口の代わりにギターに唄わせているのだろう。
「どんな曲が弾けるんだ?」
 無意識のうちにセイジは椅子から身を起こしていた。ランスはニッと微笑んで、
「リクエストしてくれよ。店で弾くときはいつも客席から募ってる」
 と告げ、また、しゃらんと弦を撫でるのである。
「じゃあクリスマスっぽいので」
「お安い御用」
 この言葉に嘘はない。リクエストがかかる最たるものは、やはり季節モノなのである。
「なら、ムーディにひとつ」
 彼が奏でたのは定番中の定番、『ホワイト・クリスマス』だった。もともとレパートリーでもあるためアレンジは容易だ。テンポは原曲通りながら、さらにアダルトにジャジーに、独自の展開を交えて演奏する。
「……」
 期せずして、セイジはため息をついていた。
 しばし言葉もない。
 目を閉じればたちまち、恋人たちの冬の光景が浮かんでくるようではないか。
 曲が静かに終わると、セイジはしみじみと言う。
「耳に優しいな」
 聴き惚れた。ランスの弦に、たちまちにして虜にされてしまったような気がする。恋しているかのように、胸が切ない。
 セイジの精悍な顔立ちに夢見るような表情が浮かぶのを確認し、ランスの心もとろりと溶けた。ちょっと色っぽいではないか――これで盛り上がらないはずがない。
「よーし、もうひとつリクエストしてくれ! 思いっきり応えちゃうぞ」
「そうだな……」
「遠慮せず聴きたい曲を言ってくれ」
「待ってくれよ……」
 しばらくランスは考えていたが、やがてためらいがちに言った。
「じゃあ、最初に覚えた曲……なんてどうかな」
「そんなのでいいのか?」
 ランスは笑って、あまりにも有名なあのフレーズを奏でるのである。
 そう、ハッピーバースデーのあのメロディ! なお、捧げる相手は『神様』とした。
「知っての通り、俺には弟妹がたくさんいるんでな。だから、自然とな」
 そのたくさんのきょうだいには、その全員ではないとはいえ、先日セイジもお目にかかっている。あのときランスの実家に招待されたのは、ちょっとしたサプライズだった。今考えれば、嬉しいサプライズでもあった。
「……そっか、ランスはお兄ちゃんだもんな」
「長男はつらいよ、ってなもんだ」
 とは言うものの、ランスの口調は少しも嫌そうではない。むしろ楽しそうである。賑やかな誕生日パーティの席で、明るく場を盛り上げるランスとそのギターがありありと想像できた。
 セイジはこのとき、ランスのギターに陽性の音色が常にある理由がわかった気がした。
「こういうのもよく演(や)ったな」
 つづいてランスは楽しげに、有名な童謡やアニメのテーマソングをメドレーで演奏してみせた。実家にいた頃、彼がギターを手にすればたちまち、幼い弟や妹がわっと駆けつけたのではあるまいか。
「子どもは好きなのか」
 ふと口に出して、たちまちセイジは愚問だったかと考える。訊くまでもないではないか。
「もちろん!」
 満面の笑みとともにランスは言う。
「ま、俺自身が子どもみたいなもんだし」
「あ、けど……」
 セイジはこのとき、湯気を上げるコーヒーカップを傾けて、その中身がドライアイスを浮かべた冷水だったと知ったかのような表情になった。
 まずい話題だったかもしれない。
 けれども黙っているわけにも……いかないだろう。
「俺と二人ってことは子どもは無理……だろ」
 言いながらつい、セイジの眼は上目遣いになる。彼がこんな表情をする相手は、きっとランスだけだろう。
 寂しくないか――そう問うているのだ。
「……俺は別に良いんだけど、ランスが……」
 ところがランスに気を悪くした様子はない。彼はギターに腕を預けると、歌うように言ったのである。
「俺には夢があんだ。郊外で開業して、沢山の動物に囲まれて暮らすっていう……親父たちや弟妹たちも呼んでも楽しくね?」
 騒がしいだろ、と言い加えるもその口調は確かで、ランスがこの夢想を抱いたのは、一度や二度ではないと想像させるに十分なものがあった。
 今日聴いたすべての音楽に負けず、その言葉はセイジの心を洗ってくれた。
 たとえるなら新品のシーツを敷いたやわらかなベッドに、大の字で身を預けたような気分だ。
「な、ギター、教えてくれないか?」
 見てたら覚えたくなって、とセイジはランスのギターに手を伸ばす。
「オーケー。じゃ、今日は一番簡単なコードだけでも覚えてもらおうか」
 快くこれに応じて、ランスはセイジを背中から抱くような姿勢で、彼にギターの手ほどきをはじめるのだ。
「左手をしっかり固定することが大切だ。ほら、こうやって……」
「こんな感じか?」
「力が全体に入りすぎだな。力を入れるにしてもポイントってものがあるんだ。ここと……」
「ここ?」
「お、察しがいいな」
 彼にギターをレクチャーしながらも、ランスはちらちらとセイジの横顔を盗み見ている。
 ――わざわざ口に出したことはないが……俺が、資格を取って……って決心したのはセイジのお陰だ。
 ランスはセイジに感謝している。深く、感謝しているのだ。
 彼がランスに与えてくれたのは、地に足をつける契機だった。
 それと、力強い後押し。
 決して大袈裟ではなく、セイジこそランスの人生に道筋をつけてくれた恩人なのである。いわばセイジこそ、彼にとっての羅針盤だ。
 太陽のように燦然と輝く、黄金の羅針盤だ。
 ランスの教え方は緩やかだが、セイジの表情は真剣だった。
 数日中に自分用のギターを購入しよう――すでにそう決意している。こっそりと練習も重ねたい。
 セイジが奏法を覚えたくなったのは、次のランスの誕生日に弾いてあげたいと思ったからである。
 ランスが最初に覚えた曲を。
 それはきっと、セイジにとっても最初の曲になることだろう。


●歌なき歌曲
 
 依頼は無事、終了した。首尾は上々、会心の成果であったと言っていい。
 依頼主の邸宅、そのホールで、カイエル・シェナーは依頼主の老婦人を相手に報告を行っている。
 依頼主の一族は、王族に連なる名家中の名家であると聞く。おそらく祖先は、周囲の大領主であったと思われた。すなわちこのホールは、かつては謁見や、宴の際の社交場に使われていた場所に違いない。それほどの広さがあり、高い天井と、年季の入った大理石の柱が印象的だった。
「……ということで以上、すべての問題は解決しました」
 老婦人はかなりの高齢で、電動式の車椅子に深く腰掛けた姿は、そのまま椅子に埋まってしまいそうだ。カイエルからすれば祖母はおろか、曾祖母くらいの年齢に見えた。
 しばらく老婦人はカイエルの言葉にうなずいていたが、やがておもむろに口を開いた。
「ピアノが気になる?」
 幼子に言い聞かせているような口調である。声はこもることなくはっきりと聞こえた。
「……え? ああ、よくわかりましたね」
「シェナーさん、あなたが何度か、あれに視線を送るのが見えましたから」
 老婦人は首を巡らせ、ホールの隅に置かれたグランドピアノを示した。
 ――なんと、俺は気が付かなかったな!
 エルディス・シュアはひそかに舌を巻いている。彼はカイエルの隣にずっと侍していた。カイエルの見ているものも把握していたつもりだったが、ピアノのことなどついぞ気にならなかった。
 家運衰えたりとはいえ、さすが歴史ある名家の長ではないか。尊大な物腰は一切せず、口調も柔らかではあるが、それでも老婦人の観察眼は鋭いようである。また、その言葉には気品と、樫の大樹のごとき威厳がにじんでいた。
 カイエルは素直に認めて、少女のように瞳を伏せる。
「失礼しました。とてもいいピアノのようだったので」
「大きな家具はあらかた売ってしまったのですけれどね、ピアノは買い手が見つからなくて……」
「きっと、値段がつけられないほどいいものだと思います。実は……昔、家にあったピアノを髣髴とさせたもので、気になっていたのです」
「よければ弾いてみます? 一応、定期的に調律師を呼んでおります」
「いえ、そんなつもりは……」
 言葉こそ遠慮しているものの、すでにカイエルの蒼い目はピアノに釘付けだ。
「どうぞどうぞ。お願いしていた件が、無事成功したささやかなお礼です。私は席を外しますわ」
 ごゆっくり、と言って、老婦人は車椅子を操作してホールから出て行ってしまった。きっと在りし日は、多数の侍従が彼女の後に続いたに違いない。
 老婦人の背に礼を言って、カイエルはピアノに歩み寄る。
「懐かしい」
 そんなつぶやきが唇をついていた。
「ふーん、カイエル、ピアノ好きだったんだなっ?」
 シルクハットをちょんと斜めに頭に乗せると、ネクタイの結び目をいじりながらエルディスもピアノに近づく。
「ああ、昔はよく弾いていた」
 カイエルは嬉しげな語調になっていた。ピアノ、とりわけグランドピアノに、カイエルは特別な感慨を抱いている。それは彼の幼少期の象徴であり、温かみを帯びたセピア色の記憶と直結しているのだった。
 老婦人の言い様からすると、このピアノを弾く者はもうあまりないらしい。加えてこれは、下手をすると百年近い年代ものにも見えた。けれどもきれいに掃除されているようで、黒いボディには埃ひとつ付いておらず、カイエルの蜂蜜色の髪と、澄んだ瞳を鏡のように映し出している。
 ゆっくりと蓋を開けると、なんとも表現できぬほどに微細な、心地よい木の匂いがした。
「昔、っていつ頃?」
「十歳ぐらいかな」
 エルディスはなにか言いかけたが、考え直したらしく口をつぐんだ。
 エルディスの目は、いつも通り毛糸のような茶色の前髪に隠されており、その表情は読みにくい。だが彼が、お手並み拝見、とでも言いたげな様子なのはなんとなくカイエルにも理解できた。
 椅子に座ると、雪色の白鍵、それと艶めかしいほどに濃い黒鍵をカイエルは眺め、小さく深呼吸した。
 そして、過去の記憶にある譜面通りに、エボニーとアイボリーの鍵盤に挑むのだ。
 フレデリック・ショパン1834年の作品、『幻想即興曲(Fantaisie-Impromptu)』。
 空を舞う若鳥のように自由かつ情熱的で、ピアノの詩人と呼ばれたショパンらしい、美しく印象的な楽曲である。
 けれども、
 ――指が、届かない。
 今、カイエルの頭の中で流れている音楽と、彼の指が鳴らしているものは明らかに違った。
 指が届かないばかりではない。回らない。さらには、もつれる……!
 それでも強引にカイエルは音楽を進もうとするものも、平原だったはずの行く手は鬱蒼と茂る密林となり、彼は蔦にからめ取られるようにして迷い、戸惑い、やがて混沌にいたった。
 つまり、ただでさえ速いこの曲が、弾き始めにつまずいて以降崩壊をはじめ、いつしか原型を留めぬほどにぐしゃぐしゃになったのである。
 こんなはずでは、というかのようにカイエルは手を止めて、視線を落としたまましばし呆然としていた。
 最初、エルディスはぷっと噴いただけだった。だがくすくす笑いで止めることはできず、やがて腹を抱えんばかりに、身をかがめゲラゲラと笑い出していたのである。
 カイエルは怒る気力もなかった。ただ、顔を上げると形の良い眉をほとんど八の字にして、
「十歳の頃は弾けた……!」
 と、絶望的な口調になるばかりであった。
「ははは、失敬失敬……いやしかし、はは……!」
 どうもツボに入ったらしく、エルディスの爆笑はしばらく止まない。他人の失敗を笑うのはよくないという気もするのだが、相方のプログレッシブすぎる演奏はもちろん、珍しいほど、ひどく恥ずかしげにしている表情が、エルディスにはおかしみを誘うのである。
 ようやく落ち着いてきたところで、息も絶え絶えな様子でエルディスは言う。
「いや、十歳の頃から弾いてなきゃ、もう指回らないだろう! そんなんで、あんな難しい曲弾けてたまるか!」
 やはりカイエルは怒気を発さない。けれども、エルディスとは正反対にひどく冷たく、淡々とこう切り出したのである。
「……十三年前だ」
 エルディスはようやく黙って、ずれたシルクハットを脱いで胸に抱いた。
「十三年前に家族が死に、家もピアノもオーガの襲撃で焼けた。それ以来、ピアノなど触れる機会もなかったから、忘れていた」
 自分のことなのに、カイエルは悲しい顔をしない。それどころか感情が欠如した人形のように、事実を単なる事実として語った。
 過去は変わらないし、変えられない、だから同情はいらない――と言っているかのように。
 逆に、腹を立てたのはエルディスである。
「そうかい」
 あからさまに怒りを隠さず言うと、それきり口を真一文字に結んで、どいてくれ、というような手振りをする。
「エルディ……弾くのか?」
 されどエルディスは無言のまま、カイエルが開けたチェアに腰を下ろした。
 試奏したり指慣らししたりしない。いきなり、弾き始める。
 静かで黒い、音だった。
 深い井戸の底のような。冬の夜の小糠雨のような。
 しかもその音は生気を宿しているのである。切れば血が流れるような音。悲痛と言えばいいか。
 モーツァルト『レクイエム(The Requiem Mass in D minor)』の一節だ。「ラクリモーサ 涙の日」と名付けられたパートである。
 本来は合唱曲だが、エルディスは歌のパートも鍵盤で代行させている。
 歌のない歌曲、それがむしろ、喪失や哀しみを表現するには適しているといえようか。
 ――せめて、その落ちない涙の代わりになるように。
 没頭するあまり、やがてエルディスは両目を閉じている。そうして、凍傷のように冷たく悲しい楽曲を奏でるのである。
 ――エルディ……。
 カイエルもずっと口をきかなかった。
 ふたりの間には、ただずっと、グランドピアノの調べが流れるのみである。
 やがてカイエルは、視界が霞むのを感じた。
 そうさせたものは、何だろうか。
 戻らぬ過去か。その記憶か。
 それとも……?
 答は、まだ出そうもない。


●ライブハウスにて

 その夜、タブロス市内小さなライブハウスは、限度一杯の客を詰め込み大いに賑わっていた。
 本日の二番手すなわちメインアクトは、トリオ編成のバンド『ミアプラ』だ。
 すでにドラマーとベーシストはステージに姿を見せ、ザクザク切り進むようなストレートなリズムを刻んでいる。
 誰も聞いたことのないメロディだった。新曲なのかもしれない――と会場の多くが思った頃合いで急激にテンポは加速し、バンドの名と同じくらい知られた名曲の、鮮烈なリフへと転調した!
 どっと会場が沸く。ほとんど瞬間的に!
 このとき剃刀のようなギターサウンドとともに、ステージ中央のフロントポジションに、蒼崎 海十が颯爽と姿を見せたのである!
 ほとんど地鳴りのような声援が飛ぶ。たちまちライブハウスは爆発寸前だ。
 アルバムバージョンより五十パーセント増しの激しいテンポ、けれども爆走しながらも、ドラムもベースももちろん海十のギターも、一切調子が狂うことはない。
 さあいよいよヴォーカルパート、会場中の視線が海十に集まる。 もちろん海十の気合いも最高潮、今夜も力強く決めてみせよう。
 立てたマイクスタンドに飛びついた海十は、しかしこのとき、
「!」
 一瞬、息が詰まった。
 会場の後方やや中央寄りに、フィン・ブラーシュのブロンドヘアを見つけたのである。
 ――照れくさいから来ないで、って言ったのに……!
 何十回と場数を踏もうと、やはりステージに立って注目を浴びるのは緊張をともなうものだが、フィンが来ているとなれば次元が別だ。初ステージのときよりきっと、今の海十は動揺しているだろう。
 フィンはそんな海十の心を知ってか知らずか、何事か言うように口を動かした。
 もちろん声は聞こえないものの、海十はすぐに理解している。
「がんばれ」
 フィンはそう言ったのだ。
 もちろんそのつもりだ、と言うように海十は己を奮い立たせ、なんとか声を絞り出すことに成功した。
 シャウトの語尾がいくらか震えたが、これは「満員の客入りに感激した」とごまかせるレベルだろう。
 ああもう! フィンの応援は、嬉しいのだけども、つらい。
 考えずとも体が動くまでに練習したギターと違い、歌は心と直結している。内心の動揺を抑え声に乗せないよう、考え考えしつつ歌うのは大変なのだ。
 けれども海十だって、バンドのフロントマンとしての意地がある。それに無様をさらしては、せっかく越境してまで来てくれた対バン相手に対し申し訳ないというものだ。なんとか一曲歌いきって、ラストのフレーズも完璧にこなした。
 この調子でいけばなんとかなりそうだ――そう海十は思った。
 一方客席では、フィンが静かに微笑んでいる。
 ――やはり、気付かれたようだね。
 海十と一瞬、確かに目が合った。だからフィンは「がんばれ」と声を上げた。
 こっそり潜入したつもりだったが、こうしてすぐに見つけてもらえたことも嬉しいことではある。
 なぜってそれは、海十が意識的にしろ無意識的にしろ、自分を求めてくれているということだから。
 ――ごめん、海十。来てしまったよ。
 たしかに海十は「嫌だ」とはっきり、ライブをフィンが観に来ることを拒絶した。
 だけどそう言われたところで、やっぱり歌う海十をフィンは観たかった。
 そもそも、海十だっていけない。
「バンド名? 『ミアプラ』って言うんだ。星の名前で、『水』と『静かな』が合さった言葉で……」
 海十はバンド名についてそう教えてくれた。バンド活動について尋ねると、その楽しさ、やりがい、あふれんばかりの作詞アイデアに、作曲という生みの苦しみ、タイトなリハーサルの厳しさ等々、海十はいくらでも嬉々として語ってくれたものだ。
 そんなとき海十の目は、夜空の星よりもずっと輝いて見えるのだ。実際にライブハウスのスポットを浴びておらずとも、まさにその直下にいるかのように。
 海十こそ、生まれながらのロックミュージシャンなのだろう――そうフィンは思う。彼は気がついているのだろうか、自分の有するカリスマ性に。
 だからそんな海十の晴れ姿を、観ないで我慢しろだなんて、それは酷というものだ。
 ――陰ながら応援させてもらうつもりだったけど……。
 フィンは苦笑した。隠せていたのは、数分にすら満たなかったのではないか。
 ――でも、ここからはもう隠す必要もないから、思い切り海十を観ていられるね。 
 フィンの周囲の客は皆、拳を振り上げ飛び上がって、全身で『ミアプラ』のロックに酔いしれている。客の男女比はほぼ半々、若い客が多いせいか、もてあましたエネルギーをライブにぶつけているようにも見えた。
 さて分析はここまでだ。フィンもいつしか袖をまくり、拳を突き上げて海十の歌声に唱和していた。
 緩急あるライブ構成は『ミアプラ』の魅力だ。常に押せ押せではなく、ミドルテンポの楽曲をゆったり流すかと思えば、多少疲れてきたところでコミカルなナンバーを入れ、瞬発的な賑わいを獲得する。
 そしてバラード。
 これこそこのバンドの真骨頂といえようか。対バン相手がゴリゴリのガレージ系ということもあり、今日は対抗の意味も込めて意図的にスローバラードはセットリストから削ってきたが、この一曲だけはどうしても外せない。
 なにせこれこそは、オープニングナンバー以上の人気曲なのだ。
「今夜は来てくれてありがとう。聴いて下さい……」
 実際、海十がさわりのギターリフを弾き始めるや否、再びライブハウスを揺るがすような声援が上がった。
 アンコールは対バン相手と同じステージに立ち、70年代ブリティッシュロックのカバー大会で締める予定なので、『ミアプラ』にとっては実質的に、これがラストの一曲となる。
 ここで海十は、唐突に演奏を止めた。もちろん観客からは、止めないでと声が上がる。そこで海十はまた弾き始める。これはある意味お約束の焦らしである。
 ――よりによってこの状況で、これがラストナンバーとはな。
 海十としては恥ずかしさで逃げ出したい気持ちだが、それは赦されないだろう。
 彼はマイクに向かって、そっと囁くように告げた。
「曲は、『アルカディア~優しさをくれる場所』」
 誰にも言ったことはないが、このラブバラードこそは海十が、フィンのことを想って書いたものなのだ。
 海十はマイクに向かう。
 だが実際は、フィンに向かっている気持ちだ。
 そうして歌い出す。
 フィンに、語りかけるように。

 さっとシャワーを浴び、首にタオルを巻いたままバックステージに戻った海十は、意外な人物の出迎えを受けた。
「いいステージだったな」
 首にバックステージパスをぶらさげ、片手を挙げたのはカイン・モーントズィッヒェルである。長身にして整った顔だちゆえ、ギタリストの一人に見えてもおかしくない。
「お疲れ様でした」
 カインの傍らには、イェルク・グリューンの姿もあった。カインがギタリストだとすれば、知的な美貌をもつ彼はキーボーディストあたりだろうか。
「あっ、カインさん、イェルクさんも……」
「来てたんですか、って? そうです。来ていました。スタッフさんに事情を説明したら、バックステージに上げてくれましたよ」
 イェルクはくすりと微笑み、ライブ中は割れないよう取っていたのだろう、胸ポケットからモノクルを取り出し、丁寧に布で拭ってから右目にかけた。
「事前に言ってくれれば招待券くらい送ったのに」
 と言う海十に、ゆっくりとカインは首を振る。
「何言ってる。プロに対価を払うのは当然だ」
「でも俺たちまだインディーズで……」
「チケット代取る以上プロはプロだろ? それに俺たちは、払った金以上のものはもらったと思ってる。曲良しパフォーマンス良し、あとはメジャーブレイクのきっかけだけだな」
「はは、それはどうも……」
 気恥ずかしげに後頭部をかくと、知り合いに観られるなんて照れくさいな、と海十は言った。
「謙遜する必要はありません。堂々たるステージでした」
 されどここで、「もっとも」とイェルクは言うのである。
「客席にフィンさんがいることに気付いたときは、さすがの海十さんもちょっと動揺していたようですね」
「ちょ、ちょっと、なぜそれを……!」
 社交家で察しのいいイェルクゆえ、直観的にそれと悟ったのだろう。カインもイェルクから聞いているらしく、ニヤッと口の端に笑みを浮かべている。
 慌てた海十は頬を染め、話題を変えるべく勢い込んだ。
「そ、そうだイェルクさん、知ってました? この前……」
「この前……どうかしましたか?」
「カインさんはイェルクさんのこと、べた褒めだったんですよ」
 これは思わぬカウンターパンチだ。思わずカインは咳き込む。うっかり変な声を出しそうになった。
「褒めていた……どんな風にです?」
 イェルクは興味津々の体で聞き返すも、カインは彼の手を取って、
「この辺で帰るとしよう。じゃあまたな」
 そそくさとそう告げ手を振ると、イェルクともども姿を消したのである。
 けれど海十はしっかりと目撃している。カインが、耳までそれとわかるほどに紅潮していたことを。
「仲良いなぁ……」
 と呟いて彼らを見送った。
 カインとイェルクは肩を並べ、寄り添い合うようにして去って行く。
「うん、仲良いよね」
 出し抜けに背後から呼びかけられ、海十は飛び上がりそうになった。
「心臓止まるかと思った」
 振り向くとそこには、涼しげな笑みとともにフィンが立っていたのである。フィンの髪型は、起き抜けのように乱れている。上着は脱いだらしくシャツ姿だった。オールスタンディングの会場で、ライブの洗礼を浴びたのだろう。
「驚かした?」
「いや、今のはいいんだけど……客席にいきなりフィンのこと見つけたときは、本当に心臓が止まりそうだったんだからな」
 海十は両手を腰に当てていた。姉に抗議する弟のように。
 すると、ぺこっと素直にフィンは頭を下げたのである。
「黙って観に来てごめんね」
 でも、と続けた。
「海十、ライブは凄く……うん、凄く……えと、上手く言葉にできないや……感動で……この素敵な人が、俺の恋人なんだなぁと思ったら……」
 ライブはよほど劇的な体験だったのだろう。感情が押し寄せ感極まったかのように、フィンはこう言うことしかできない。
 そのとき海十は悟ったのである。今日のラストナンバー、フィンに込めた想いは届いたのだと。
 けれどそのことを口にするのが恥ずかしくて、ただフィンは、腕組みをするだけなのだった。ちょっと視線を外して呟く。
「……ほめ過ぎだ、バカ」
 仕方がないから、急に来たことは許してあげよう。

 ライブハウスを出た帰り道、カインとイェルクは手をつないで歩く。
 ただつなぐだけではない。互いの指と指を絡め合う、恋人つなぎだ。
 冬の街は空気が澄んでいて、他の季節ならぼんやりとしている空の星も、ずいぶんくっきりと見える。街明かりがあるため粒はずいぶん小さいが、それでも、黒い布に散らばったダイヤ片のようである。
 ふたりはすぐに電車に乗らず、あえて一駅分、線路沿いの道を歩いていた。
 気持ちの良い夜だというのに、歩いている者は他にいない。そのためなんだか、夜を二人占めしたような気になる。
「海十の歌は凄かったな」
 ぽつりとカインが言った。ライブハウスが揺れるような経験は、そうそうできるものではない。
「引き込まれましたね」
 そう返しながらもイェルクは、冬だというのに汗をかくほど体温があがっていた。
 音楽で盛り立てられた気分は、そろそろ収まりかけている。
 原因があるとすれば、それはすべてライブの後だ。
 いま、イェルクが感じている熱はつながれた手、そして、海十にされた暴露話に起因するものなのである。
 ――人がいない所で何話しているんだ。
 まったくカインという男は、油断も隙もあったものではない。
 いつだって不意打ちのように、突然イェルクの鼓動を高めてくれる。ハートを盗んでいく。それが意図的か、そうでないかの区別なく。
 そんなイェルクの心の波を、感じているのかいないのか、
「あれじゃフィンは大変だな」
 と言って、またもカインはにやりとした。今回は海十にやられてしまった。また機会があれば、お返しさせていただくとしよう。
 歌に関連した何気ない話題をイェルクは振ろうと考えた。
 考えたが、その言葉を何気なく口にするのは……照れた。
 照れたのは話題ではなく、彼の呼び名のほう。まだ彼を、呼び捨てで呼ぶのには慣れていない。
 けれどもこの逡巡は、時間にすればせいぜい半秒ほどのものだった。次の瞬間イェルクはこう告げていたのである。
「カインは歌、どうなんです?」
 この『カイン』の部分に、蝶の羽ばたきのように微妙なビブラートがかかったが、気付かれていないことを祈りたい。
 カインは簡単に返す。
「歌?」
「自分が歌うほうです」
「歌な……普通じゃね?」
 普通、と聞いてなんだかイェルクは落ち着く。自分と同じか――と思ったのだ。
「子守唄は赤子の頃の娘に……」
 という彼の言葉に、おや、とでも言いたげな視線をイェルクは投げかける。
「わかってるって、違和感殺人事件だとか言いたいんだろ? 違和感の奴はな、尊い犠牲になったと思え」
 ちょっと拗ねたようなカインの口調だ。イェルクはこれを可愛いと思った。まあ、ミスター違和感は、やっぱり殺されていたようだが。
 そういえばラストの曲ですけど、とイェルクは言う。
「海十さんの歌は、誰かを想う歌のようでしたね……」
 言うまでもないことだ。イェルクはその『誰か』がフィンであることをとうに見抜いている。
 カインは、わかってるって、と言いたげに笑んで、
「今日のは子守唄には向いてねぇけど……」
 と前置きしてから、海十が最後に歌ったバラードの、サビの部分を口ずさみはじめたのだ。
「え?」
 ――歌われた?
 イェルクは小動物のように驚いて、しばし彼の歌に聴き惚れたのである。
 カインは、海十のような本業のシンガーではない。
 だから声楽的に正しい発声ではないだろう。
 されどもその声は深く、伸びやかで、男の哀愁のようなものすら感じさせる。
「どうしたんですか、突然」
「イェルのために歌うならいいか、と思ってな」
「私のため?」
 と訊かれ、ごく当たり前のようにカインは言うのだった。
「嫁に恋歌は普通だろ」
「あなたはいきなり何を……って嫁とか外で言うのはっ」
 ああ大変だ。ああもう、イェルクの心は乱れる。
 なぜだろう、おかしい。
 ――海十さんが歌うと引き込まれるのに。
 それなのに。
 ――カインが私のために歌うと、心臓が破裂しそうだ。
 まるで魔性の歌声だ。イェルクにとっては。
 しかし魔性は、魅力的という意味でもある。悩ましいほどに。
「しかしアルカディアか……」
 ふとその意味を考えるように、カインは夜空を見上げた。このとき、
「Ich denke nur an dich」
 こんなことまともに言えないので、イェルクはあえて、ぽそりと独語で呟いた。
 無論、カインがその呟きを聞き逃すことはない。
 しばらく意味を考えたのち、ふっと彼は表情を綻ばせたのである。
「なら、イェルは俺のTir Taimigiri」
 これがまるで、引き金であったかのよう。
 カインはイェルクの肩を抱いて半身を自分に向けさせ、いささか強引に、けれどもとろけるほどに優しく、その唇を奪ったのだ。
 手と手は、指を絡め合ったまま。
 ああ――声にならない叫びを、イェルクは胸の内で上げる。
 ――恥ずかしくていたたまれない……っ。
 見ているのはただ、夜空の星だけ。





依頼結果:普通
MVP
名前:蒼崎 海十
呼び名:海十
  名前:フィン・ブラーシュ
呼び名:フィン

 

名前:カイン・モーントズィッヒェル
呼び名:カイン
  名前:イェルク・グリューン
呼び名:イェル

 

メモリアルピンナップ


( イラストレーター: 朝霧圭  )


( イラストレーター: ふくろう  )


エピソード情報

マスター 桂木京介
エピソードの種類 ハピネスエピソード
男性用or女性用 男性のみ
エピソードジャンル ハートフル
エピソードタイプ EX
エピソードモード ノーマル
シンパシー 使用不可
難易度 とても簡単
参加費 1,500ハートコイン
参加人数 5 / 2 ~ 5
報酬 なし
リリース日 11月29日
出発日 12月07日 00:00
予定納品日 12月17日

参加者

会議室

  • [14]カイエル・シェナー

    2015/12/06-23:37 

    カイエル:
    スタンプの汎用性に感動しつつも、

    エルディス:
    HC不足でスタンプどころか、基本イラストすらまだ頼み切れていないこんな世の中なんて (【ガスッ!】という撲打音)

    カイエル:
    皆、様々なスタンプを持っているな。
    基本イラストが整ったら是非頼んでみたい。非常に目の保養になった。

    この度は、皆にとって、是非とも良き時間が過せますように。

  • [13]アキ・セイジ

    2015/12/06-22:35 

  • [12]アキ・セイジ

    2015/12/06-22:34 

    プランは提出できている。
    楽しい時間になるよう願っているよ。

    そうか、カインは動物にデレるんだな(ちょっとほっこり
    フラルがスタンプ増やすとしたら、サウセの仮面だけってのも有りかもな(

  • と、誤字ですね。

    >既にプランを書き終えたカインはこのように違和感が殺してますが。

    違和感を殺してますが、です。

  • イェルク:
    カインのパートナーのイェルク・グリューンです。
    出発まであと少しですね。
    既にプランを書き終えたカインはこのように違和感が殺してますが。

    ……このようにスタンプは色々な局面を大きめに表現できると思います。
    そろそろカインには一仕事終了の顔に戻って貰いましょうか。
    ……ということで、

  • [7]蒼崎 海十

    2015/12/06-00:24 

  • [6]蒼崎 海十

    2015/12/06-00:24 

    ご挨拶が遅くなりました!
    蒼崎 海十です。パートナーはフィン。
    皆様、宜しくお願い致します!

    俺にとって音楽は身近で大切なもの。
    けれど少しだけ特別な時間になりそうです。

    皆さんがどんな時間を過ごされるのか、とても楽しみです!

  • [5]フラル

    2015/12/02-22:54 

    こんばんは。オレはフラル。
    よろしくな。

    オレもそろそろスタンプとか頼んでみたくなるな…。

  • [4]カイエル・シェナー

    2015/12/02-12:56 

    カイエル:
    初めまして、カイエル・シェナーと言う。
    そうか、今回は個別描写になるのだな。

    エルディス:
    お疲れ様!エルディス・シュアだ。
    会議室だけみたいだが、どうか宜しく!

    カイエル:
    スタンプに憧れる。

    エルディス:
    シナリオ優先している時点で無理が…いや、何でも。
    ──それではっ、皆で楽しい時間が過せますように!

  • カイン・モーントズィッヒェルだ。
    パートナーは、イェルク・グリューン。

    個別描写みてぇだから、顔を合わせるのは会議室だけだと思うが、お互いいい時間過ごそうや。

    って、訳で……

  • [1]アキ・セイジ

    2015/12/02-00:03 


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