【例祭】花、暴く(真名木風由 マスター) 【難易度:とても簡単】

プロローグ

 『あなた』達は、ルーメンとテネブラが浮かぶ夜空を見上げた。
 遠く遠く響くのは、祭の楽の音。
 先程まで、『あなた』達のあの場にいた。
 今は、帰るまでの僅かな時間だ。
 手にあるのは、ガラスカップ。
 ムーンアンバー号の準備が整うのに少し時間がかかると天使の乗務員から渡されたのは、工芸茶だ。
 フィヨルネイジャに咲く花らしく、神秘的な印象の佇まいだ。
 これから、ゆっくり花開くのだと言う。
 どんな花が開くのだろう。
 この花の香りは? 口に運んだらどんな味がするだろう?
 尽きることのない興味は会話を弾ませる。
 やがて、『あなた』達が見ている前で、グラスカップの花が開いていく。

 どくん。

 花が、開く。
 何故だろう、心が騒ぐ。
 まるで花開くように自分の心の奥底の扉が開くような。
 パートナーの声が遠く聞こえる。
 自分で何を言っているか分からない。

 ただ、花が開くように。
 封じているものが。
 忘れようとしているものが。
 溢れ出そうとしている。

 ここは、どこ。
 今は、いつ。
 ここで、何をしている。
 今まで、何をしていた。
 これから、何がしたい。

 溢れ出るそれは、留まることを知らない。
 怖い、怖い、怖い。
 誰か、助けて。

 『あなた』は、今の自分が自覚出来ないまま震える。
 焦点の合わない目は、何も映さず。
 溢れ出たものにただ、翻弄され。
 それでも、助けを求める。

 助けて。
 助けて、───。

 何を言ったか分からない。
 けれど、『あなた』は訳も分からず手を伸ばす。
 その先にいるのは───

解説

●状況整理
・タブロス以外の場所で開催されているフェスタ・ラ・ジェンマの帰り道、ムーンアンバー号の出発準備を待っている間に工芸茶を貰いました。

・神人または精霊のいずれかが花開く工芸茶を見ている間に、突然自失状態。

●プランの書き方
・自失した神人または精霊の場合

下記のいずれかをフラッシュバックさせています。
(映像だけか声だけか両方か、フラッシュバックの具合はプランよりこちらで判断します)
・辛い過去(トラウマ)
※無意識の自衛で忘却している過去もOKです。
原則プラン・自由設定に準じますが、ワールドガイドに反しているものや描写上困難なものの場合、問題ない範囲まで暈したり、主観による誤差や概念的なものとなります。

・将来の願望に関する不安
※『現時点の自分』の心の奥底、自覚していなかったような将来(未来全般を指します)に関する不安の具体化となります。

・自失しなかった神人または精霊の場合
言葉や温もりを与え、パートナーを取り戻すことになります。
その話に耳を傾け、恐怖や不安を取り除いてあげましょう。

●消費jr
・この日、500jr、既に祭で楽しんだそうです。

●注意・補足事項
・個別描写となりますが、天使達が出発準備を整えています。周囲無人ではないので、TPOにはご注意ください。(キス以上の具体行為は描写しません)

ゲームマスターより

こんにちは、真名木風由です。
今回は、フェスタ・ラ・ジェンマの帰りに起きたトラブルのお話です。
工芸茶自体には、特別な力はありません。
花が開く過程を見て、自分の心の奥底で閉ざしてた扉を無意識に開いてしまった形に過ぎません。
が、無意識に忘れていた辛い過去、自衛で自覚していなかった未来への不安のどちらかが暴かれます。
それがいいことなのか悪いことなのかは、皆様次第。
傍にいるパートナーの言葉や温もりを信じるのが、自身を乗り越える近道かもしれません。
突きつけられることは辛いことですが、『そうである』『そうであった』ことを知ることもまた、大事なことなので、パートナーを信じましょう。

それでは、お待ちしております。

リザルトノベル

◆アクション・プラン

ニーナ・ルアルディ(グレン・カーヴェル)

  小さい頃、両親の病が治って私は今年も皆でクリスマスが出来るとはしゃいでました。
食事まで皆でお話していたら誰かが雪の上を歩く音が聞こえてきたんです。
村長がサンタとして訪問する予定だったみたいで、深夜の訪問を両親は疑問に思わなかったみたいです。
外は寒いだろうと玄関に走って行ったら突然扉が壊れてオーガが…
気がついたら一番奥の部屋にいました。
勇気を出して扉の外に出ると両親が…

まだ何か忘れている気がするんです、
ずっと誰かと手を繋いでいたはずなんですが、思い出そうとするほど…
…いえ、両親の最期を思い出せただけで十分です。
グレンがそばにいてよかったです、
また思い出して怖くなったらお話聞いてくださいね。


かのん(天藍)
  会話が急に途切れた事に戸惑い隣の天藍を見上げる
呆然とした様子にまず手のカップを取り自分のと2つ零さない所へ

天藍?
そっと天藍にだけ聞こえる位の声で名を呼ぶ
こちらに気付いて貰えるように片手を伸ばし頬を包む

少し震える様子と何となく天藍が不安と恐れを感じている気がする
安心して欲しいと静かに体を引き寄せ、広い背中に腕を回し大丈夫と繰り返しながら、幼子をあやす時のように背中をさすり、時折ぽんぽんと手のひらで軽くリズムを取る

落ち着いたのか顔を上げる天藍に笑みを向ける
ぽつりと感じていた事を話す天藍に、大丈夫ですと繰り返し心からの思いを
そんな事にならないように私が天藍を支えますから
1人で抱え込まないでくださいと



出石 香奈(レムレース・エーヴィヒカイト)
  自失する方
過去を思い出し震えながら蹲る

あたしはいらない子だと思っていた
親の顔も知らず、施設でも「しっかりしているから」とか言われて甘えられなかった
本当は縋りつける誰かが欲しかった
そのせいで最低な男に入れ上げて利用された挙句捨てられたことも何度もあった

レムに言われて忘れようとした、でも忘れたいのに忘れられないの!

叫んでから嗚咽を漏らし始める

それまで黙って聞いていてくれたレムが手を頬に当ててきた
見つめられてハッとする
レムのことだけ…?
手の温かさにひどく安心して頷いて返す
再びレムの胸に顔をうずめる
言うまいと思っていた気持ちが溢れてしまう
「好き…」
答えてくれなくてもいい、でも今だけはあたしだけを見て



桜倉 歌菜(月成 羽純)
  無意識の自衛で忘却している過去を思い出す

恐ろしい声と人の悲鳴と
故郷は、一瞬で地獄に

私はお父さんとお母さんに床下に隠された
恐ろしい音がして、お父さんとお母さんの声が…聞こえなくなって

暗く寒く怖く…震えていたら、温かい手が助けてくれた
黒い髪に黒い瞳の優しい笑顔の男性
力強い腕が抱き上げてくれて、もう大丈夫だよって…

けれど、家を出て村の出口に向かう途中、沢山の恐ろしいモノに囲まれた
その人は私に逃げろと言って、私だけ先に…

そして、その人は…

私を守る為に、お父さんもお母さんも、優しい笑顔のあの人も…!

思い…出した…

黒曜石の瞳の人は…
子供が居ると話してくれた
ハスミという名の男の子
友達になれると

私のせいで…!



瀬谷 瑞希(フェルン・ミュラー)
  ・呆然自失状態に。

自分の立てた作戦で誰かが傷つく事が怖い。
救助が間に合わないのもとても悲しい事だけれど。
実際に目の前に居て、対応策を考えて。
でもその対応が間違っていて。
関わった人達が傷つくのがとても怖い。
あるいは、救いきれなかった人達の在る事が。
余計な事を言わなければその人達は無事だったかも。もっと他に良い方法があったかも。否、きっとあったに違いない。
誰も傷つかずにすむ方法。
そこに到達出来ず不利益をもたらすことがとても怖い。
振り返ると数多の倒れ伏した人々。それは他の誰でもない私自身の招いた、過ちの証だと――。
でも関わらずに居る事はもっと怖い。
関わらなくても、無かったことにはならないから。



●独りじゃない
 フェルン・ミュラーは、カタカタ震える瀬谷 瑞希を落ち着かせるように背中を撫でた。
 フェルンが2人分のカップを脇に置くと、瑞希の口から小さく、小さく呟きが漏れる。
「私は……怖い、です」
「怖い?」
 フェルンは、じっくりゆっくり聞くつもりで瑞希の言葉を繰り返す。
 心の中の言葉を口にするにしても、そこに行き着きやすいようにするのも大事。
 口に出すことで、自身の中で整理されることもある。
 今、自分がすべきことはその手助けだ。
「フェスタ・ラ・ジェンマはどこも賑わっていて、平和で……でも、オーガは世界に確実にいて、今も誰かを傷つけようとしているかもしれません」
「うん。瑞希は、それが嫌だよね?」
 マイナス方向に走り過ぎないよう、フェルンは優しい誘導を忘れない。
 すると、瑞希はその身体を大きく震わせた。
「勿論、助けに行きます。皆を守りたい。でも……自分の立てた作戦が原因で誰かが傷つくことが怖い……」
 それは、フェスタ・ラ・ジェンマで楽しそうな人々を見たからこそより具体化したかもしれない。
「救助が間に合わなかったのもとても悲しいことですが、目の前で助けられる人の為にどうすればいいか対応策を考えて……それが間違っていたら皆が傷つくかもしれない……それが、とても怖い……」
 或いは、救い切れなかった存在があることが。
 自分の一言がなければ、無事だったかもしれない存在があるかもしれない。
 他に方法はなかった? もっと良い方法があったかもしれない。……あったに違いない。
 全て終わってしまっていると分かっていても、その可能性を考えずにはいられない。
(……ミズキらしいね)
 フェルンは、落ち着かせるように背中を撫でつつ思う。
 可能性は可能性……終わってしまったからこそ見えることもある。どうあっても無理である場合も実際あるが、瑞希は諦めたりしない。
 だからこそ、『ベストがあったに違いない』と追い込んでしまうのだろう。
「誰も傷つかずにすむ方法。そこに到達出来ず不利益をもたらすことがとても怖いんです。口先だけで何も出来なかった時が……」
「瑞希は、どうしたい?」
 フェルンは、柔らかく問いかけてみる。
 ここで、初めて瑞希が自分を見た。
 話したことで自分の恐怖を知っただろう。
 その恐怖を抱く自分を客観的に見ることも、今この瞬間は無理でも落ち着けば出来るようになる。
 けれど、恐怖を客観的に知っても答えが出なければ、苦悩が続く。
 否、瑞希は明確な答えを持っている。
 けれど、それをきちんと口に出来る自分も知っておいた方がいい。
 迷いが出ても、その自分が道標となるように。
(俺は、その手助け。ミズキ、君ならちゃんとそこに至れるよ)
 フェルンは心の中で呟き、もう1度尋ねた。
「ミズキは、どうしたい? 怖いなら諦める?」
「それはありません!」
 敢えて反対を尋ねたフェルンへ、瑞希が反発するように答えた。
 鋭さも伴った声と発した言葉……それが何よりもの答えだ。
 瑞希は、フェルンの表情でわざとそう尋ねてきたことに気づく。
 自分の答えを知っていて、フェルンは尋ねたのだ。
「今のミズキが、答えだよ」
 瑞希が尋ねるまでもなく、フェルンは微笑んで暗にそれを認めた。
「ミズキが抱く恐怖は、誰もが抱くもの。それは恥ずかしいことではないと俺は思う。誰だって、怖い。……と言うより、怖さに慣れてしまってはいけないんじゃないかな」
「どうして、そう思うんですか?」
 瑞希はフェルンが言い出したことがよく分からず、聞いてみる。
 メンタルの強弱は時として戦況を揺るがす。
 だから、強くあらねばと思うのに、フェルンは怖いまま、つまり慣れないで弱いままでいいと言う。
 心の奥底にあるものを紐解き、受け止めようと思うフェルンは、自身がそう思った理由をこう語った。
「だってさ、強いってことはさ、殴られても死なないから平気、どんなこと言われても平気、平気平気平気……自分基準で他の人の弱さに鈍くなるよね? 自分が平気なら、その攻撃が怖い意味が分からない、その言葉で傷つく意味が分からない。転んだことがない人が転んだ痛みを本当に理解するかなって、俺なんかは思うんだ」
「あ……」
 瑞希は、フェルンが言いたいことを察した。
 論理的思考の自分と違うフェルンは、感覚的に物を言う。
 が、それが必要な時もあると知っている。
 それが、人でもあると思うから。
「弱くても俺はいいと思う。迷っても弱音を吐いても時として逃げても……大事なのは、『自分を見失わず、最後は自分に負けず自分を乗り越えること』だと思うし」
「ミュラーさんは……本当にミュラーさんですよね」
「何それ」
 瑞希がやっと微笑むと、フェルンはくすくす笑った。
 自分だけでは、到達出来ない答え───フェルンがいるから、行き着くことが出来る。
「私が振り返った時、数多の倒れ伏した人々がいて。他の誰でもない私自身が招いた過ちの証があろうとも……過去を受け止め、現在に立ち、未来へ進んでいかなくてはいけませんね。関わらずにいること、何もしないことなんて出来ない。だって、その事実は世界に起きている。なかったことにはならない」
 瑞希が改めて、自身が抱えていた恐怖に近い不安を語る。
 けれど、その瞳は先程のような弱さはない。
 未来を見据えた、まっすぐな眼差しだ。
「それに、ミズキは独りじゃないよね?」
 フェルンが自分の存在を示すように瑞希を抱きしめる。
 瑞希がフェルンの胸に寄せれば、共に戦うフェルンが生きている音が響く。
 力強く、優しい音だと、瑞希は思った。
「どんな時でも俺はミズキの傍にいるよ。ミズキが怖いなら、こうして手を握って、君と離れないと教えてあげる」
 フェルンはそう言い、空いた片手で瑞希の手を握る。
 女性にしては長身の部類に入るであろうが、瑞希の手は自分にとって守るべき可愛い手。
 ……大切な手だ。
「君の不安を、怖がらないであげてほしい」
 瑞希が抱く不安、恐怖は罪悪感から来る。
 それを、たった1人で背負う必要などない。
 俺が、いる。
 俺達は、パートナーだろう?
「ミュラーさんは、本当に不思議ですよね」
 瑞希が、ぽつりと零した。
「私があってはいけないと思う弱さもあっていいのだと言う、私の不安を怖がらないでほしいと言う……他の人に言われたら、きっと否定するのに、ミュラーさんに言われると、それでもいいのだと思えてくるんです。魔法使いみたいです」
「ミズキ限定の魔法使いというのもいいね」
 フェルンは、その言葉に笑う。
 将来……近くても遠くても未来に対する不安はずっとついて回る。
 明日の今頃を正確に知っている者など、この世界のどこにもいない。
 昨日真実であったことが、今日真実であるとは限らない。
 そして、未来の真実は何も決まっていない。
 今まで大丈夫であったことが、その次も大丈夫なんて保障はどこにもない。
 同じ方法で最善の結果と最悪の結果を呼ぶこともあるだろう。
「魔法使いでなくとも、俺はミズキの傍を決して離れないけどね」
 それが、どんなに最悪な状況だったとしても。
 全てを背負おうとする、たった1人の女の子。
 俺にとっては、君が女神みたいなもの。
 けれど、君は女神ではないから……俺が支える。
 だから、可愛い君も忘れないでね。

「あの、ミュラーさん、そろそろ……」
 腕の中で瑞希が恥らう頃、いよいよ出発。
 窓の景色を見ながら、飲んでいない工芸茶を楽しもう。

●『ここ』が居場所
 グレン・カーヴェルは、ニーナ・ルアルディの様子が明らかにおかしいことに気づいた。
 ニーナの手からやんわりとカップを取り上げ……取り上げたことに気づいた様子すらないことに危機感を覚えながら……グレンはニーナを抱きしめる。
 まず、落ち着かせる必要がある。
 温もりを与え、言い聞かせる言葉を浸透させるように背中を撫でていく。
「以前俺に言ったこと覚えてるか?」
 まだ、ニーナの反応はない。
 グレンは構わず、言葉を続けた。
「どこにも行かない、何があっても傍にいる、不安や怖いこともずっと傍で支えるって……そう言ったよな?」
 デミ・ハーピーの悪影響を受けた黒薔薇の園で、その力に囚われた自分相手にニーナはそう言った。
 くっついていると落ち着きますね。
 瞳を和らげ、花のような微笑を浮かべ、想いを形にしたのは、お前だろう?
「こっちを見ろ」
 グレンの手が、ニーナの頤を上げる。
 見えているのに、心がどこかに行ってしまったかのような瞳。
 遠い遠いその瞳を戻すかのようにグレンはニーナへ言った。
「お前が今いる場所はどこだ?」
 世界のどこかではなく、『ここ』にいるだろう。
 『ここ』に戻って来い。
 言葉以上に顕著に語る眼差しと温もりは、徐々にニーナの瞳が世界を認識し、『ここ』にいることを自覚させる。
「私……」
 ニーナは、グレンの腕の中で小さく呟いた。
 至近で見る顔は、不安そうなもの。
「この茶、何かあったのか?」
「いいえ……見ていたら、昔を思い出したんです……」
 グレンが場合によっては天使をシメそうな勢いで問うが、ニーナは緩く首を振った。
 この工芸茶自体に特別なものがある訳ではない。
 ただ、フィヨルネイジャの花の工芸茶……フィヨルネイジャはウィンクルムでなければ行けない場所。グレンと契約しなければ足を運ぶこともなかった場所。
 契約するには、顕現しなければならない。
 オーガに襲われる子供を救う為に飛び出したことがきっかけで顕現した自分。
 オーガ?
 そう、どこにでも現れて……私の小さな農村はどうだった?
 家族が早々に亡くなった後、私は村の人に囲まれて、顕現するまで平和で穏やかに暮らしていて。
 家族は早々に…… 家 族 は ど う し て 亡 く な っ た 。
 記憶が溢れ出て、ニーナは『それ』の扉を開け、今まで自失してしまっていたのだ。
(小さい頃、流行り病で亡くなったんじゃなかったのか?)
 グレンはかつて聞いたことを反芻するが、ニーナの話を遮らないようその話に耳を傾けた。

 ニーナは、はしゃいでいた。
 だって、大好きな両親の病が治ったから。
 今年も皆でクリスマスを迎えられる……サンタさんが願いを叶えてくれたのかな?
 でも、そうするとプレゼントはどうなるのだろう?
 いいこにしていれば、プレゼントはクリスマスにも貰えると両親が教えてくれて、サンタさんにはお礼が言いたいなって笑って、クリスマスのご馳走を食べていた。
 何て、最高のクリスマスだろうって。
 そうしたら、家の前の雪道を誰かが歩く音が聞こえてきて。
 サンタさんが来たかもしれないと両親が笑って自分を見たから、外は寒いから早くお迎えに行くとニーナは玄関へ走った。
 扉を開ける直前、扉が壊れ、寒い風が家に吹き込む。
 目の前にいたのは、サンタさんではなく、オーガがいた。
 何が起こったか分からないまま、気づいたら1番奥の部屋にいて。
 怖かったけど勇気を出して扉の外に───

 そこで、ニーナが言葉を詰まらせた。
 扉の外には、先程まで笑いかけてくれた両親の変わり果てた姿があったかもしれない。
 グレンは殊更、その詳細について踏み込まなかった。
 詳細を聞くことは、ニーナへ両親の最期を明確に話させることを意味し、傷つけるからだ。
 話せそうな所までは黙って聞くつもりだったグレンは、引っかかったことを聞いてみた。
「サンタさんがって言ってたみたいだが、来訪の予定があったのか?」
「あ、村長がサンタとして村の子供達の家を訪問していたみたいで、私の家にも予定がありました。だから、両親は疑問に思わなかったんだと思います」
 村の子供達が少しでも楽しくクリスマスを過ごせれば。
 そうした配慮があったからこそ、オーガの来訪と思わなかったのだろう。
(……成程な、それであの反応か)
 頭に過ぎったのは、カロンという都市での出来事。
 後に、『クロック』と名づけられたギルティに支配された都市において、神人と精霊それぞれ囚われた一件があった。
 救出はされたが、ニーナの様子はグレンの印象によく残っている。
 潜在的にこの過去があるからこその様子だったのだろうとグレンは当時を振り返りつつ、ニーナがまだ何かを思い出す仕草をしているのを見た。
 が、ニーナはやがて緩く首を振る。
「まだ何か忘れている気がするのに……思い出せません」
 逃げろという声、庇った誰か───ずっと誰かと手を繋いでいたような気がするのに、その手の先にいたのが誰なのか分からない。
 思い出したい、思い出そうとすると……雪が、記憶を遮る。
「無理に思い出すこともねーだろ。覚えてようと忘れてようとお前はお前だ」
 恐らく、まだ『その時』ではないのだろう。
 グレンは何となく、そう思った。
 記憶が雪で遮るのだとしたら、それはまだ『その時』ではないのだとニーナ以外の誰かが言っているのだろう。
 大切だからこそ、ニーナが『その時』を迎えるまで教えないことで守っている気がする。
(こいつの両親なのか手を繋いでた奴かは知らねーけど)
 ニーナがニーナであるように願うなら、そういうこともありえなくはない。
「……そうですね。両親の最期を思い出せただけで十分です」
 ニーナは、両親との思い出を大事にするかのように自身の胸へそっと手を当てた。
 今までそうであると思い出せなかったことを、謝っているかもしれない。
「グレンが傍にいて良かったです」
 ニーナが微笑み、グレンを見上げた。
 グレンがいなかったら、不意に思い出した事実に潰れていたかもしれない。恐怖に震えるだけで、思い出せただけでも良かったなんて言えなかったかもしれない。
 グレンがいたから、そう言うことが出来た。
 ニーナはそう思うから、グレンへ心から感謝する。
「また思い出して怖くなったらお話聞いてくださいね」
「ばーか」
 グレンがニーナの頭をくしゃりと撫でると、ニーナは嬉しそうに瞳を和ませた。
「嫌なこと思い出したら話しに来い、お前が落ち着くまでこうやって傍にいてやるよ」
 そこで、やっとニーナは現在の状態に気づく。
 今までずっと……グレンに抱きしめられていた?
 気づいた瞬間、ニーナの顔は耳から首筋まで見える範囲全て紅へ染まった。
 が、グレンはニーナを離すことなく、更に近づける。
「グレン、その……そろそろ発車しますよね?」
「まーだ、問題ないよな?」
 ニーナは離れてと暗に言うが、グレンはその反応を楽しんでいるかのようにニーナを離さない。
 見つけた新たな楽しみが飽きることなど、彼にはないのだ。
「タブロスへ帰ったら、一緒に甘い物でも食いに行くか」
 ようやく発車したことに気づいたグレンが、ニーナへそう言う。
 タブロスへ帰る頃には、多くの店が閉店しているだろうから翌日になってしまうだろうけど。
「たまにはお前が行き先決めていいぜ、難しいことは後回しだ」
 グレンが笑い、ニーナの頭を撫でる。
 いつでも、どこでも、『その時』が来ても、お前の場所は『ここ』だろ?

●想い合うからこそ
「香奈!? しっかりしろ!!」
 レムレース・エーヴィヒカイトは、自失状態になった出石 香奈へ声をかけた。
 震え方が尋常ではない。
 先程までは工芸茶を興味深そうに見ていたのに、今は何も捉えていない。
 香奈の手がお湯で火傷しないようカップを取ると、腕を引き寄せ、落ち着かせるように抱きしめる。
 今は、香奈が自分を取り戻すことが大事。
 何も怖いことはないのだと指先で背中を撫でていくと、腕の中の香奈が身体を動かした。
「あたしは……いらない子だ、と思っていた、の……」
 零れたのは、そんな呟き。
 レムレースは、香奈が施設で育ったことを知っている。
 自分の親は自分のことなど忘れて、どこかでのうのうと暮らしているに決まっていると、そう言っていた。
 けれど、あの日、香奈は貝殻で『声』を聞いたのだ。
 生き延びて欲しいと、香奈へそう願う『声』を。
 あの時、香奈は自分の出生を知りたいと言った。
 自分だけでは怖いから、一緒に探して欲しい、とも。
 もっと頼られたいかもしれないと……あの時思った。
 その母親がマントゥール教団のテロで犠牲になっていたのを新聞記事で知り……誕生日に教えるのを躊躇ったこともある。
 香奈は自分で気づいているかどうか分からないが、強がっているけど強くなく、自分の本当の願いを口に出来ないのではないかと思ったから。
「だって、物心ついた時から、親が誰かなんて知らなかった。想い出は何もなかった。でも、施設では「しっかりしているね」って言われるから……」
 香奈は、きっといい子であろうとしたのだろう。
 泣かなくていい子、我侭言わなくていい子。
 甘えることなく、でも、本当は誰かに甘えたいのに、『しっかりしているいい子』という褒め言葉が香奈を縛った。
「本当は、あたしだって甘えたかった。寂しい時、誰かに縋りつきたかった。大丈夫って受け止めてくれる誰かが欲しかった」
 ずっと、飢えていたのかもしれない。
 愛されることも甘えさせてくれることもなく育ってきた香奈にとって、それは夢のような話で。
 レムレースは、香奈から聞いている話を思い出しながら今ここにあると腕の力を強くする。
「その所為で最低な男に入れ上げて、利用された挙句捨てられたことも何度もあった」
 愛されたかった為に付け入られ、傷ついた。
 それでも、この人はきっと違うと思って、同じことを繰り返して───
 だから、レムレースに恋心を抱いても、終わりが来る怖さから言わないままでいいとさえ思っている。
 生きている実感の為に刺激を求め、熱くなる何かを求めているのに、レムレースへ出来ない矛盾は、レムレースがレムレースだからだろう。
 今抱きしめてくれるこの人は、『昔の男など忘れてしまえ』と言ってくれた。
 新調した水着を見せるのは、自分だけにして欲しいとも、言ってくれた。
 自分をどうでもよく扱うことなく、いつもいてくれる。
 でも───
「忘れたいのに忘れられないの……」
「香奈?」
「レムに言われて忘れようとしているのに、昔付き合った男達の顔も声も、忘れたいのに忘れられないの!」
 それが苦しいのだろう、香奈は堰を切ったように泣き始めた。
 いい思い出は、ない。
 けれど、忘れられないレベルで傷ついたのだろう。
 嗚咽する香奈の背中を撫でながら、レムレースは自問する。
(俺が忘れろと言ったことが負担になってしまったのだろうか?)
 忘れれば、香奈は辛い過去を何度も思い返さなくていい。
 もう会うこともないくだらない男達に香奈が煩わされる必要はない。
 その男達と、自分は違う。
 香奈が、皆が思っているような女性ではないと知っているから。
(香奈を励ます為に言ったことが、逆に辛い思いをさせてしまったなど……)
 自分は配慮のない男だという自責がレムレースの胸に沸き起こる。
 同時に、自分の胸に言いようのない黒く昏く熱いものが焔のように燃え立ち、胸全体から全身へ広がっていくことに気づく。
 言いようのない感情……これは……。
(……嫉妬、か)
 香奈の中に残る記憶、過去のくだらない男達が忘れられない傷として彼女の中に息づいている……自分の傍にいるのに、囚われている。
 それは、間違いなく嫉妬だ。
(いや……)
 レムレースは、思い返して認識する。
 自分の一部であるかのような場所から焔は噴き上げた。
 この一部は今までレムレースに息づき、時として、自分にも予測不可能な行動を取らせている。
 例えば、他の男に水着は見せるなと壁際に閉じ込めたり。
 例えば、一生とは言わないが傍にいて欲しいと言われ、一生ではないことに何故か悲しくなったり。
(いや、あの言葉……自分でも気づかなかったが)
 もう、他の男に染まる必要はないという意味だったかもしれない。
 白無垢で自分の隣に立っていたら、自分の色に染まっている訳ではないという意味、つまり他の誰かによって染められるという意味だからだ。
 自身の全身を走るそれを堪えるように背中に回していた手をぎゅっと握ったレムレースは、香奈の両頬を抱きしめるようにそっと両手で包んだ。
「レム……?」
 涙に濡れる香奈の紫の瞳が、レムレースを映す。
 こんなにも香奈を泣かせた過去の男達への激しい嫉妬を覚えながらも、自分の前で無防備に涙を流してくれる香奈が綺麗だと思った。
「もう無理に忘れろとは言わない。代わりに、俺が忘れさせてやる」
 香奈の瞳が、じっと見つめてくる。
 このまま引き寄せたら───
(駄目だ。それでは昔の男達と何も変わらない)
 レムレースは、自分の欲望で香奈を傷つけてはならないと必死に自制する。
 自覚したからこそ、香奈を傷つけたくない。
「レムのこと、だけ……?」
「そうだ。お前は俺のことだけ考えていればいい」
 香奈が反芻すると、レムレースは自分が全て上書きするのだと言い放つ。
 過去の男を思い出す暇もない位、俺が傍にいる。
 俺しか考えられないように、俺が傍にいる。
 香奈が小さく、頷いた。
 瞳を細め、ひどく安心したような表情で。
 その表情が、愛しいと思った。
 レムレースの胸に香奈が飛び込んでくる。
 頬だけでなく、全身にレムレースの温もりを願うように。
(言ってはいけない……。言ったら、壊れちゃうかもしれないのに)
 言わなければ、終わりなんてこない。
 永遠に未完でいられる。
 頭で解っているのに、心は口を動かす。

「好き……」

 レムレースの身体がびくりと動いた。
 答えてくれなくてもいい……ううん、今は、何も言わないで。答えを聞くのが怖いから。
 でも、今だけは、あたしだけを見て欲しい。
 レムのことしか考えないから、あたしのことだけ考えて。
(両思い、なのにな……)
 言葉を発しないレムレースは、香奈の溢れる想いに何も言わない。
 聞こえているのか聞こえていないのか分かっていないように、ただ、香奈の背を優しく抱きしめる。
 聞こえている。香奈の言葉を聞き漏らすことなどない。
 だが、レムレースは知ってしまった。
 香奈に思われている程、自分は安全な男ではないということ。

 自分だけが誰も知らない香奈を知っていればいいという独占欲。
 自分以外の男が香奈の心にいつまでも居座っていることに苛立つ激しい嫉妬。

(己の中にこんな感情があるとは……)
 自覚した以上、なかったことには出来ない。引き返すつもりもない。
 だが、こんな気持ちのまま香奈に応えてはいけないと思う。
 一生傍にいて、俺のことだけを考えてほしい。
 俺は他の男と同じにならない……今は、何も言わずお前を抱きしめるだけで許してくれ。

●蘇る記憶
 桜倉 歌菜は、その花が開く瞬間、自分の記憶に重なった。
 思い出せない記憶は、まるで蕾のようであったから。
 それは、今、この時……同じような状態になっている者も同じだろう。
 頑なに開花を拒む蕾……それが、手の中で開いたような感覚を覚えたのだから。
(悲鳴が、聞こえる……)
 歌菜の目は食い入るように工芸茶を見つめていながら、けれど、焦点は合っていない。
 空が裂けてしまうのではという咆哮が轟き、言葉にならない悲鳴が響き渡る。
 あの悲鳴は、誰のもの?
 助かった? ううん、助からない、最期の断末魔。
 オーガは故郷を襲い、一瞬で絶望の世界を作り上げた。
「お父さん……お母さん……待って、危ないよ……」
 あの時、床下にいなさいと押し込められた。
 でも、オーガが迫っていて、一緒に隠れなかったら……。

 直後、お父さんともお母さんとも解らない絶叫が轟いて……何も聞こえなくなった。

「お父さん……お母さん……返事して……」
 暗いよ。寒いよ。怖いよ。
 どうして、返事してくれないの?
 誰か、誰か来て───

「歌菜っ!」

 歌菜の暗くなった視界に光が射し込んだ。
 見上げると、月成 羽純の顔があった。
「羽純……くん……?」
「大丈夫か、歌菜」
 初めて耳にした時から、惹かれた声。
 いつも勇気づけてくれる温もり。

 いつも?
 初めて?

 違う。

 ワタシハシッテイル

 あの時、同じように光が射し込んだ。
 温かい手が、抱き上げてくれた。
 泣きじゃくる私の背中を撫でて、大丈夫だよと笑ってくれた。
 黒の髪と瞳を持つ、優しそうな男の人。
 優しくて力強い腕で、安心した……。

 黒の髪と瞳……。
 優しそうな男の人……。

 歌菜は、羽純を見た。
 蘇るその人と羽純が重なり合う。

『息子がいるんだ。羽純という名で、君より年上かな?』
『ハ……スミ……?』
『そう、きっと友達になれるよ』

 思い……出した……。

「私が……殺した……」
「歌菜?」
 歌菜が、震える唇でそう言った。
 大粒の涙を流しながら、自分が全て悪いと責めるように。
「私が、いたから……お父さんもお母さんも羽純くんのお父さんも皆死んでしまった……」
 羽純は、その一言で全て理解した。
 歌菜が思い出せないその日何があったのか。
 そして、母親が何故、羽純へ真実を語ろうとしなかったのか。

 6年前のあの日、羽純は商人の友人の仕事を手伝う為、出掛けた。
 そこでオーガに殺された、と母は言った。
 その時、自分はいなかった為、トランスすることは出来ず、それでも誰かを守る為に戦って死んだのだと聞かされたのだ。
 ウィンクルムであった母が、己のパートナーである父親の死の詳細を知らない訳がない。
 そのことに対し、疑問に思ったことがない訳ではなかった。
 だが、母が何故それを話さなかったか。
 父に守られた女の子は何も悪くなく、責められることなどあってはいけないから。
 母は『教えないこと』で、父と同じように女の子を守る道を選んだのだ。

 その女の子が、今、目の前にいる。
 私の所為だと涙を流している。

「家を出て、村の出口へ向かう途中……沢山の恐ろしいモノに囲まれた。オーガだって……。その人は立ち止まらず、後ろを見ないで走れって……さっきまで優しく笑ってた人が怖い顔で言ったから、わ、私だけ、先に……」
 無我夢中で走った。
 何度も転んだ。
 あの人が言ったから、言うことを聞いて走った。
 でも、あの人は、私を追ってこなかった。
「私がいたから……私がいなければ……」
 その後は、言葉にならない。

 お前の所為ではない。
 自分を責めないでほしい。

 そう言うことは簡単だ。
 だが、本人が自分自身を許さなかったら、解決しない問題だろう。
(……それでも)
 羽純は、歌菜を抱きしめる力を強くする。
 父が助けた少女が、今この腕の中にいるならば、伝えたいことがある。
「俺は……父を誇りに思う。父がそこでお前を守らないで生き延びていたなら、俺は失望する所だった。お前は自分を守る為に『俺の父さん』が死んだと言うが、お前は『俺』が誇りとする『俺の父さん』を守ってくれた」
 トランスは出来ない。
 オーガへ対抗手段はなかった。
 歌菜を逃す為に足止めする方法があるとすれば、自分が犠牲になって時間を稼ぐことだけだ。
 歌菜を放って逃げれば助かっただろうが、それは最早羽純が誇りに思う父親ではない。
 死ぬとは理解していたとしても、父は最期までそう生きた。自分が誇りに思う父親のままに。
 それを誇りに思わなくて何が誇りか。
「俺は、お前が生きていてくれて、嬉しいよ。今、お前が俺の傍にいるのは、歌菜の両親だけじゃない、俺の父さんがいて、育ててくれた歌菜のおじいちゃんやおばあちゃんがいて……皆のお陰だと思う。ありがとうって思うよ」
 羽純は歌菜の背中を撫で、ゆっくり言って聞かせる。
「お前と出会わなかったら、俺の人生の楽しさは今の半分以下だろうな。お前は、俺の世界を楽しくしてくれる」
 そう、出会わなかったとしても、日々は過ぎ去った。
 何となく過ぎていく日々に疑問を持つことなく、母のバーでカクテルを作っていただろう。
 歌菜がいたから、日々は何となく過ぎていない。
「でも……あの時、お父さんもお母さんも羽純くんのお父さんも死ななかったら……。生きていて、出会えたなら……」
 そういう可能性は、全くなかった訳ではない。
 顕現すれば、間違いなく、適合したとして自分達は出会った。
 そうしたら、歌菜が故郷の両親を自慢げに羽純に語ったり、羽純が両親に歌菜のことをからかわれ、歌菜の耳に入らないようにする攻防戦があったかもしれない。
 けれど、それは起こり得ない未来───歌菜も分かっているだろうが、自分の所為でと思うからこそ、その起こり得ない未来を思わずにはいられないのだろう。
「俺は、皆の祝福があるから、今お前はここにいるんだと思うぞ?」
「しゅく……ふく……?」
 歌菜が、やっと顔を上げた。
 涙でぐしゃぐしゃの顔へ手を伸ばし、その頬にそっと触れる。
「生きていてほしいという祈りがあって、お前はここにいる。夢見がちで、思うより先に突っ走って行動して、分かり易い位分かり易くて……でも、まっすぐに前を見てここにいる。それが祝福じゃなくて何だって言うんだ?」
 歌菜の両親は、『生きていてほしい』から命懸けで守った。
 『生きていてほしい』と両親が願った歌菜だから、父も両親の祈りを聞き届け、『生きろ』と歌菜を逃し、そう生きた。
 祈りが繋いだ子、祝福の娘……どうか『愛された』からそう願われたのだと、そのことを誇りに思って欲しい。
「俺は、お前が……」
 羽純は、歌菜へ笑う。

「奇跡だと思っているよ」

 歌菜の青空の瞳から、また大粒の涙が溢れる。
 けれど、先程のように悲しみに歪んだ表情ではない。
 ありがとうと、嬉しそうに笑っている。
 人は、悲しい時だけ泣く訳ではない。嬉しくても泣く。
 そして、嬉しい時の涙は、とても綺麗だと思う。
「もうすぐ、発車するな」
「お茶……冷めちゃったね」
 羽純がそう言うと、歌菜はいつの間にか羽純が脇に置いてくれたカップを手にした。
「花は開ききってるみたいだし、冷めても美味しいって言ってたけどな」
「そうなの? ……あ、本当だ、飲み易いよ!」
 歌菜が羽純へ笑いかける。
 これからも歌菜は自分を責めてしまうことがあるかもしれない。歌菜は怖がりだから。
(でも、どんな時も俺は傍にいる)
 お前が好きだから。
 先程思わず言ってしまおうとした想いを心の中で反芻し、羽純はカップに口をつけた。

●乗り越えられない壁はない
 かのんは、天藍の顔を見上げた。
 今まで工芸茶を見ながら会話をしていたのに、急に途切れたからだ。
「天藍……?」
 戸惑いを感じて見つめた先の天藍は、工芸茶を手にしたまま動かない。
 花を凝視している訳でもなく、呆然とした状態だ。
 このままでは零して、火傷してしまうかもしれない。
 かのんは天藍のカップへ手を伸ばし、自分の分と合わせて零れたりしないよう遠ざけた。
 が、天藍の反応はない。
(何が……)
 かのんは天藍へ温もりで気づいて貰えるよう手を伸ばし、重ね合わせて……気づく。
 その手が、震えている。
 いつも揺るぎない強さを持つ手が、震えている。
「天藍……?」
 彼にだけ聞こえる位の声で名を呼ぶ。
 けれど、反応はない。
 かのんは、温もりの先を頬へ変えた。
 水が徐々に染みて湖へ向かうように、この温もりが天藍の心へ向かうように。
(あなたは……何故、今寒いのでしょうか)
 心が何かに凍えて震えている。
 その何かは、不安や恐れであるように感じられた。
(大丈夫。私は、ここにいます)
 かのんは安心してほしいと天藍の身体を静かに引き寄せた。
 彼が恐れるのだとしたら、それは彼自身が傷つくことではなく、私が傷つくことだと思うから。
 広い背中も、力強い腕も、優しい眼差しも、私を想ってくれる心も……いつも、いつでも私を守ってくれるから。
「大丈夫ですよ」
 かのんは何度も繰り返し、頼りになるその背中をこの時ばかりは幼子をあやすように撫でる。
 ほら、ね。
 時折、ぽんぽんと叩いて軽くリズムを取ると、天藍はかのんの存在を確かめるように肩へ額を乗せた。

 ゆっくり、ゆっくり。

 大丈夫、私はここにいる。

 あなたの傍にいる。

 やがて、天藍の肩が動いた。
「かのん……?」
 ゆっくり顔を上げた天藍の瞳は、先程見上げたような時を停めたものではない。
 かのんがよく知る瞳だ。
「俺は、今まで……。どの位時間が……」
「落ち着きましたか? まだ、発車すらしていませんよ」
 かのんが、状況を把握し切れていない天藍へ微笑を向ける。
 天藍はかのんへ礼を言い、かのんの肩に顔を預けたことで少し乱れた髪を整えた。
 けれど、その表情は難しいもので、何かが彼の心に沸き上がったと推察するのは簡単だ。
 かのんの穏やかで柔らかい眼差しを受けて、天藍は小さく、零した。
「今後……俺達はどうなるのだろうと、思って」
 フェスタ・ラ・ジェンマという4年に1度の大祭、しかも今回は女神ジェンマが感謝の気持ちとして、この期間中、ウィンクルムの為にと『ムーン・アンバー号』を稼動させてくれた。
 フィヨルネイジャの天使達が今、この時も発車準備をしてくれているように、運行してくれる。
 今まで……こんなことはなかった筈。
 この世界であるミッドランドに関し専門的な知識を有している訳ではないが、一般的な範囲での知識ならある。
 女神ジェンマが過去に同じような力添えをしていれば、昔話として誰もが知っていてもおかしくはないだろう。
 そうでないということは、ウィンクルムの力が過去にない程増しているのではないか。
 それはつまり、それだけオーガ、ギルティの活動が活発になっているということではないか。
 天藍は、それらを自分の過剰な心配だとは思っていない。
 何故なら───
「最近、神人の新しい力が通達されただろう?」
 かのんは、天藍の問いかけに頷く。
 精霊がギルティ化することもある、それを制御する。
 新たな力であると通達されたが、その詳細は明らかにされていない。
 研究中である為だというのが理由らしいが、言葉と可能性だけ先行して教えられても、具体的な対応策が分からなかったら、その事態に遭遇しても対処しようがない。
 自身がもしギルティ化してしまった時、それは間に合うのか?
 間に合わなかったら……かのんを傷つけてしまうかもしれない。
 いや、その力が、かのんに負担を掛けてしまったり、かのんが傷ついてしまったり……その生命が脅かされるようなことがあったら、あったとしても使いたくない。
(俺は、忘れていない)
 トライシオンダリア───宿主の好意を殺意に変えて急速成長する、バレンタイン地方の寄生型植物は、あの日、左胸で咲き誇った。
 ここでかのんを殺せば彼女は遺される悲しみに暮れることもなく、他の男のものになることもないと声に支配されたように、かのんの首へ手を伸ばしたのだ。
 自分自身のかのんに対する独占欲を、あのダリアは見逃さなかった。
 あの時は、かのんが「ここに居るでしょう……?」と大輪の花を散らせてくれた、支配から脱し、自己嫌悪に苛まれる自分を「本気で殺したいと思う程、殺意に変わる前の想いが深かった」とかのんははにかんでくれた。
 けれど、あの時、天藍は自分の力というものを改めて強く意識したのだ。
(この力は、オーガを討つ力になるだろう)
 けれど、使い方を誤れば、かのんを害することも出来る。
 もし……ギルティ化した自分があの時と同じようにかのんを傷つけようとし、あの時と違ってそれが成されたら?
 天藍は、その可能性に対する恐れ、不安を持っていた。
 フィヨルネイジャの花を見、女神ジェンマの恩恵があって今があると感じたからこそ、言葉だけしかまだ伝えられていない事実が自分達の今後を左右するのではと気づいた。
 この力が強まっているからこそ、抱く恐怖と不安。
「俺は、何よりかのんが大切だから守りたいだけなんだけどな」
 緑と花が溢れる庭で、穏やかに微笑むかのん。
 かのんの目標が、晴れ渡った深い空色の薔薇を咲かせることなら。
 その薔薇が咲き乱れるのを見て、嬉しそうに微笑むかのんを誰よりも近くで見たい。
 愛しくて、守りたい……世界でたった1人のかのん。
 かのんだから、2人で前に進もうと思える。
「にも拘わらず、この手で傷つけてしまうようなことを起こすのかもしれないかと思うと怖くなった」
 考えを整理しながら、天藍が話をそう締め括る。
 かのんは天藍が話し易いよう黙って耳を傾けていたが、その背を優しく撫でた。
 今度は幼子をあやすようなものではなく、愛しい人へ想いを伝えるように。
「大丈夫ですよ」
 繰り返す言葉は、心からのもの。
 天藍への絶対的信頼の言葉。
「そんなことにならないように私がいます。私が天藍を支えますから、1人で抱え込まないでください」
「かのん……」
 かのんは、微笑して天藍を見つめた。
「あなたが私を守るなら、私はあなたの心を支えます。……2人で誓ったでしょう?」
 白ウサギの懐中時計で事なきを得たものの、魔槍が自身を串刺しにした瞬間は、依頼を受けるのに躊躇するレベルで思い出せば手が震えた。
 宿命の羅針盤の明滅で気になっていたと話してくれた天藍は自分の話を聞いて絶句したが、あの洞で改めて文様に口づけを落として誓い合ったことがどれだけ心を強くしてくれたか。
 足りない所は補い合い、2人で前へ進もう。
 あの日の誓いは、何も変わらない。
「ありがとう、かのん」
 かのんの温もりも柔らかな声が紡ぐ言葉も……砂漠で得る水のように優しい。
 天藍は両腕を回し、力強くかのんを抱き返した。
「これからも、ずっと共に」
 これからも不安や恐怖に囚われることがあるかもしれない。
 けれど、愛しい人が傍にいるなら───越えられない壁はない。
 その愛しい人が、今抱きしめている人だからこそ、心からそう思うことが出来る。
「私は、これからも……あなたと出会う選択肢以外を選びたいとは思いませんよ」
「俺も……言葉で語り尽くせないのは、これからも変わらない。ずっと想ってる」
 何があっても、未来は乗り越えてみせる。

 緩やかに、ムーン・アンバー号が発車する。
 寄り添いあったまま、2人は窓の外を眺めた。
 窓辺に置かれた2つのカップは、2人に存在を教えることなく、今はただ、静かにその花を咲き誇らせている。



依頼結果:大成功
MVP
名前:かのん
呼び名:かのん
  名前:天藍
呼び名:天藍

 

メモリアルピンナップ


エピソード情報

マスター 真名木風由
エピソードの種類 ハピネスエピソード
男性用or女性用 女性のみ
エピソードジャンル シリアス
エピソードタイプ EX
エピソードモード ノーマル
シンパシー 使用不可
難易度 とても簡単
参加費 1,500ハートコイン
参加人数 5 / 2 ~ 5
報酬 なし
リリース日 09月10日
出発日 09月16日 00:00
予定納品日 09月26日

参加者

会議室


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