プロローグ
目の前でさーっと西へ流れてゆくのは、本日の最終列車だ。
プラットフォームでジュリエットよろしく手を伸ばし、あなたは短いストップモーションに入っていた。悲しみに暮れるほかない。逝ってしまった恋人に、永遠の別れを告げるかのように。
声にならない叫びをあなたは上げているわけだが、彼のほうはしかし、商店街の福引きで五等のポケットティッシュが当たった程度の反応だった。
「あー、行っちゃったな」
「く……ッ、あと一分、早く出ていれば……!」
「そうカリカリすんなって」
「けど、朝までまだ六時間もあるんですよ!」
あなたは両足を踏ん張り、両の拳を握るのだ。信じられないし信じたくない現実を受け止めるために。
すると彼は、ごく当たり前のようにこう言った。
「なんならお前、俺んちに泊まるか?」
「……!」
予想外の返答。あなたは一瞬、言葉を失う。
「言ってなかったっけ? 俺の部屋、ここから二駅くらいなんだ。歩いてもそうだな……30分もかかんねぇかな」
彼は実にあっけらかんとしている。
「ま、ヤローの独り暮らしなんで片付いてねぇが、二人寝るくらいのスペースならあるさ。ゲームもあるしよ。『キング・オブ・デストロイヤー3』、やったことある?」
だがあなたとしては多少、いや大いに、迷わないではいられなかった。そもそも彼とウィンクルムを組むようになってまだ二週間くらいなのである。今日だって、申し合わせて一緒に帰っているのではなく、A.R.O.Aの研修後の打ち上げが、つい長引いた(三次会まで行ったのがまずかった)うえ、たまたま同じ方角へ帰るのが彼と自分だけだったという話なのだった。正直、彼と自分はまだ互いに打ち解けているとは言いがたい。少なくとも、あなたはそう感じている。
それに――あなたが迷う理由はそれにとどまらなかった。
粗野な口こそきくが、彼は、とても美しいのだ。まるで少女かと思うほどに。
いまは軽く酒が入って、頬が桜色に染まり、眠たげな半閉じの瞳(め)もあいまって、妖艶とすら言える。
――まずいよ……緊張する。
いやもちろん彼に対してやましい感情を抱いているわけではないし、一緒に仕事をする関係になったのだから仲良くしておくべきだとは思うし、秋になったばかりとはいえ朝は冷えるわけだからこのまま駅で、震えながら朝を待つのはまったくもって歓迎しないし……正当化する理由ならいくらでも見つかる。
けれども。
彼と会話が続くのかという不安はあった。
気まずい時間が訪れたら――それを危惧してしまう。
いやもうこの際だから書いてしまおう!
最大の心配ごと、それは、彼に対してとんでもない気持ちをもってしまわないかということ!
ものすごく直球で言えば、あなたにとって彼の容貌は、はっきりいって好みのタイプなのだった。女の子であったとしたら、まず間違いなく一目惚れしてしまったであろう。ところが彼は『彼』つまり男性であり、これまでの人生、好きになった相手はすべて女でガールフレンドもいたことのあるあなたとしては、間違いを起こすことはないと思いたい。
「でも……」
うっかり迷いが口に出てしまい、はっとしてあなたは口をつぐむ。
「デモもゲバもねぇって。そうと決まれば歩こうぜ」
「ちょ……まだ私は何も言ってません。勝手に決めないでくださいっ!」
ところが彼は聞く耳を持たぬ様子で、はいはい、っと背中を押してきた。
「いいっていいって、なあ、途中でコンビニあるから、酒でも買ってこうぜ。なんだか楽しくなってきたなあ」
あなたにとって初めての、彼との一夜が始まろうとしている……。
……というのはあくまで一例である。
約束して彼の家に行くのでも、彼があなたの家を電撃訪問するのでも、あるいは彼の実家に連れて行ってもらうとか、上で示した例のように、不可抗力で同じ屋根の下すごす一夜であろうとも、いずれでも大丈夫。
テーマは訪問、お宅訪問、そのシチュエーションであればなんでも可能! あなたと彼だけの物語をここに紡いでみようではないか。
解説
ようやく暑い夏が終わり、涼やかな九月、そんなある日の物語です。
あなたが精霊の家を訪れるという話でも、彼があなたの家にお呼ばれするという設定でもオーケー、もう同居してるよ、というお二人なら、どちらかの実家にご招待するという展開も面白いでしょう。
もちろん、終電を逃して不可抗力的に泊まる、というお話も見てみたいですね。
どうぞどうぞ、自由に発想してみてください。
なお参加費ですが、飲食費等でアクションプランに応じて300~500Jr程度かかるものとさせていただきます。
ご了承下さい。
ゲームマスターより
お久しぶりです! 桂木京介です。
もう親しい間柄でも、まだ知り合ったばかりでも、親しくなるてっとりばやい方法は、お宅に及ばれすることではないか……と思って作ったお話です。自宅で見るパートナーは、きっと普段とはちがう顔を見せてくれるのではないでしょうか?
コメディ展開ウェルカム、シリアスな展開もハートフルな展開も、ホラーだろうがなんだろうがめいっぱい対応させていただきます。
それでは、あなたのプランを楽しみにお待ち申し上げております。
次はリザルトノベルでお目にかかりましょう! 桂木京介でした。
リザルトノベル
◆アクション・プラン
アキ・セイジ(ヴェルトール・ランス)
*泊まる方 ◆行動 休みに実家にかえると言うランスを駅まで見送り 土産の荷物が多いので荷物持ちで席まで運んでやる 駅弁が欲しいというランスに仕方ないなと慌てて売店へ 秋の釜飯とお茶を買って渡すと荷物が転がる 拾ってるうちに発車のベルが って、えーっ なんてベタなお約束orz と言う訳で済し崩しにランスの実家にこんにちは… 家族の紹介に大家族だなと一寸呆然 ランスが人見知りしないのは家系だと確信する その後はもう弟妹達の遊んで攻撃とか 父母達の「あら可愛いお嫁さん」攻撃とか 山盛りのコロッケの夕食とか 順番守らない弟妹達のお風呂襲撃とか お前の家っていつもこんなにガチャガチャしてるのか? いや楽しいよ(本当に楽しい いい家族だな… |
柊崎 直香(ゼク=ファル)
生憎の空模様にここから近い実家へ雨宿り 僕を引き取って育ててくれた伯父夫婦の家 はいタオル 緊張しなくても本人達不在だし僕の部屋だし。 言っておくけど僕が住んでた頃からこの状態だからね 片づけくらい自分でするよ 僕良い子だもん 写真の。 両親の記憶はほとんどない 家より診療所に居る時間がずっと多かった人達 スタッフや患者に囲まれ無邪気に笑う子供 柊崎先生の自慢の息子さん 髪、濡れたままだから拭かないと あんなに悲しいことがあったのに 泣かなくて良い子だね さすが先生の子だ しかも神人に? きっと素晴らしいウィンクルムとなって 皆を護ってくれる 本当に良い子だね 懐かしい場所と写真に唐突に思い出しただけ 僕はちゃんと良い子でいられてる? |
日下部 千秋(オルト・クロフォード)
(オルトの家にお泊り。遠出の依頼から帰ったもののバスに間に合わなかった模様) ギリギリのバスなんて間に合うはずなかったんだ…… 先輩の家……うっ緊張する…… ……先輩の部屋……難しそうな本以外必要最低限のものしかないし整頓され過ぎててなんか殺風景な気が…… (彼との距離に悩み、近づきたいと思った故に問う) 先輩の関心あることって何ですか。 (答えが返って来て) は? ……は?! 俺?! えっと具体的には……全部?! ……まさかいつも感じる視線の意味って。つまり。 (近づかれて) うわっ?! えっなんでってそんなの……!(プチパニック どうしようこの精霊(ひと)…… 補足: 日下部君は戸惑っているだけで嫌悪感はない模様。 |
安宅 つぶら(カラヴィンカ・シン)
新人ウィンクルムのつぶらサンはね、お友達が欲しかったワケですよ それで色んな人に声かけて、3次会まで楽しんでたら丁度最後の電車が出た所で… しかもその電車からカーラが… …くっそ、どうせ帰れないよ!て言うかアンタ家あんの? 野宿は流石に憐れだとかで連れてこられたのは意外にも一軒家だったけど…同居人もいない割には広すぎて カーラ、アンタ契約する前本当は何やってたの? その見た目で演出家って…本当? (台本を見て)この舞台知ってる! でもこんな舞台効果使われてなかっ…もしかして (カーラの話を聞き)この台本、ちょっと借りていいかい? アンタの描きたい物って奴…ちゃんと知りたい つぶらサン、アンタの事何も知らないから |
スコット・アラガキ(イナフナイフ)
打ち上げなんて行くんじゃなかった 後から混ざるって言った彼も、仕事の都合で来なかったし 「ソファ借りるね あとTV見ていい?気になる番組があって」 話すことなんか何もない 番組に集中してるふりしてそのまま寝ちゃえ 「うぇ!?ないの!?暇な時とかどうするの…」 クソッ自分から話振っちゃったよ 勝手に話を進めやがって それに呑めなかったんじゃない、酒量を抑えてたん、 …あ。 「きれいな景色…」 隣で何か喋ってるけど耳に入らない 遠くの夜景とテネブラに見入る 最悪な一日だったけど気分が少しよくなった 明朝までは笑顔を作っていられそうだ 「んー…。ないしょ!」 そんなの彼と俺の幸せに決まってる だからまずは、邪魔者であるおまえの不幸だよ |
●警戒した猫のように
夜のバス停、『停留所』と書かれた鉄のプレートに触れる手のひらが冷たい。
――ギリギリのバスなんて間に合うはずなかったんだ……。
その日、日下部 千秋とオルト・クロフォードは依頼に出ていた。遠方ではあったものの内容は比較的容易で、日帰りは十分可能に思えた。
ところが予想外のことは起こるもの、少なくとも千秋にとっては、思ってもみなかったことばかりが待ち構えていたのである。大小様々なトラブルが、それこそ罠のように彼らの足首をとらえ、驚かせ、七転八倒のスラップスティックへともつれこませたのだ。
結果なんとかミッションは終わったものの、予定時刻を大幅に上回った状態でやっと達成したという状態だった。
しかもこれだ。
ボロ雑巾のようになってバス停に到達したところで無情にも、その日最後のバスは五分前に行ったばかりだと判明したのである。容赦ない五分、情け知らずの三百秒――!
千秋は額を、ぺたっと停留所の鉄板に押しつけていた。
オレのせいなんだろうな――ため息が漏れた。
『たらちねの』、が『母』という語の枕詞であるように、『不幸な星の下』が自分の枕詞なのだろうと千秋は思っている。
昔からそうだった。遊具に登れば落ち、歩けば棒に当たり、旅行となれば前夜に熱が出る……日下部千秋の個人史において、バッドラックは常にそばにあった。肝心のバスに乗り遅れたのも、自分の不幸星が平常運転したものと考えるほかない。つまりオルトは巻き込まれたわけだ。
申し訳なさと諦めをカクテルしたようなため息をつき、千秋は弱々しい笑みとともに振り返った。
「すいません……こんなことになって……」
なんだか電車の遅延を知らせる駅員のようだなと、我がことながら千秋は思う。
パートナーのオルトとも、いくつかの依頼をこなしていくらかは距離が近づいた。けれども、やっぱり千秋には彼への苦手意識があった。同じ学校の面識のない先輩ということもあるが、やはりなによりその理由は、オルトというのが今ひとつ、何を考えているかよくわからないところがあるからである。
だからこのとき、マキナらしく起伏のない口調で彼に非難されても、千秋は驚かなかっただろう。
けれども実際はまったく違った。
オルトは軽く首をかしげたのである。
「なぜ謝る? むしろ状況を読み切れなかった俺の責任だろう」
でも――と言いかけた千秋を押しとどめるようにして、オルトはさらにこう続けた。
「幸いなことに、俺の家は近場だ」
さっとオルトはきびすを返して歩き始めた。
ついて来いと言っているのは明白だった。
――先輩の家って、こんなところにあったんだ……。
ドイツ風の邸宅はそれほど広大ではないものの、格調高いものを感じさせる。高級なものであるのは疑いようがないだろう。
「ここが先輩の家……ですか」
唾を飲み込む音を、聞かれやしなかったかと千秋は心配した。背中に軽く汗をかいていた。
「ああ」
千秋を振り返ったオルトの唇が、うっすらとほころんでいた。とはいえ千秋に、そのことに気がつく余裕はなさそうである。
「普段から家の者はいない。遠慮なくあがってくれ」
そう言って無造作にドアを開くと、オルトはどんどん先へ進んでしまう。慌ててそれを追う千秋の背中が、いくらか丸まっているのは致し方ないところだろう。
「ここが俺の部屋だ」
殺風景ですまんな、というオルトの言葉尻がどことなく跳ねているのだけれど、やはり千秋は気付かない。
――たしかに殺風景かも……。
失礼ながら、と千秋はそんなことを思った。
木の匂いと、本の匂いがする部屋だった。落ち着く香りである。本棚にはぎっしりと書籍が並んでいた。
しかし。本棚のほかに目に付くのはベッドと黒い事務机くらいで、あとは壁にクローゼットがあるのがわかる程度だった。板の間でカーテンは灰色、ベッドのシーツも白一色だ。テレビはおろか絵の一枚、写真立てのひとつだって存在しない。
つまり、本をのぞけば必要最低限のものしかないということになる。いちいち整理されすぎていて、なんだかモデルルームのようでもあった。
感想は? と訊かれているような気がして、千秋はおずおずとコメントした。
「……先輩らしい部屋だと、思います」
「そうか……なるほど」
オルトはうなずいて見せた。いまの千秋の様子たるや、連れてこられたばかりの小動物的でなんだか可笑しかったのだが、さすがに実際に笑ったりはしないでおく。
「飲み物でも用意しよう。珈琲でいいか?」
「あ、いやそんな……気を遣ってくれなくてもいいですから」
けれどもその数分後には、サイドテーブルにティーカップが二つ、並んで湯気を上げていた。
オルトが持ってきた食卓用椅子に千秋は腰を下ろしている。オルトは、机に付属したチェアの上だ。
どうしても生じがちな沈黙から逃れるように、千秋は口を開いた。
「あの……えっと……」
どうせならこの機会を、好機であると考えたい。
オルトとの距離を縮めたい――それは、千秋の偽らざる本心であったから。彼とウィンクルムを組む以上、いつまでもぎこちない関係ではいたくなかった。
「先輩の関心あることって何ですか」
カップから顔を上げ、千秋はしっかりとオルトの瞳を目でとらえた。
「俺が関心のあること……そうだな」
自室ということもあり、また、身を固くした千秋の様子をなんとなくほほえましくも感じているせいもあって、オルトの口調は軽く砕けている。
だからかもしれない。素直に、そして大いに真面目に、オルトはこう断じたのである。
「日下部のことだ」
「……は?! 俺?!」
千秋は腰を浮かせそうになる。
そうとも、と続けるオルトはいつになく饒舌だった。
「具体的に言ったほうがいいだろうか。それなら……ふむ、日下部の一挙一動すべてということになるか」
「全部、ってことですか!?」
「そういうことだな」
冗談を言っている口ぶりではない。
反射的に千秋は立ち上がっていた。強烈にキツい炭酸水を一気飲みした気分。じっとしてなんかいられなかった。
――まさかいつも感じる視線の意味って。つまり……。
嫌悪感はなかった。少なくとも、オルトが口にしているのは好意だろうから。
けれども意外だった。むしろオルトは、自分になんか興味を持っていないと千秋は考えていたのだ。
だがそれにしても……それにしても!
ぐしゃぐしゃになった針金のボールが、頭の中で跳ね回っているような気がする。
一方でオルトは落ち着き払っていた。保育士のように優しげに、けれども、やはり首をかしげて、
「どうした日下部?」
と立ち上がった。そして一歩、小さく(けれども千秋の心理的には大きく)、千秋に近づいた。他意はなく、ただ気遣うように千秋の二の腕に触れる。
「大丈夫か」
「うわっ!?」
ところが千秋としては、「大丈夫じゃないです!」と即答したい気分なのである。
「……見ていてずっと思っていたが、日下部は身体的接触に敏感に反応する。なぜだ?」
「えっなんでってそんなの……!」
エラー、エラー、エラー……千秋の脳内には、エラー音がけたたましく轟いていた。四肢のほうは、もうとっくにフリーズ状態だ。
ここは彼の自室、そばにはベッド、ふたりの距離だって、もう息がかかるほどに近い……。
このエラー音は危険信号? それともなにかのファンファーレか?
目眩がする。近くで見ればますます、オルトは麗人(こう表現するほかない)なのだった。目も肌も髪も、創造主が全力をかけたのではないかと思うほどに。
――どうしようこの精霊(ひと)……。
いや、どうかされるのは自分、なのか――。
ところがオルトはそれ以上何もせず、手を離すと小さく息を吐き出した。
そうして、ぽそっとこうつぶやいたのである。
「……まるで警戒した猫のようだな」
そこにいてくれ、とオルトは単身、部屋を後にした。
「珈琲、冷める前に飲んでおけ。俺は客間に寝床を用意しておく」
とだけ短く告げて。
これが二人が、はじめて一つ屋根の下に寝起きした夜の顛末である。
●実家にゴー!
選んだのは秋の釜飯。栗入りだそうである。
六角形のケースに入った駅弁だ。ペットボトルのお茶も一緒に購入した。
「まったく……出発直前に言うなよな」
駅弁とお茶の入った紙袋を、無造作に片手でアキ・セイジは渡した。
「お世話になっておりますー」
仰々しい仕草で両手にて受け取ると、ヴェルトール・ランスは白い歯を見せたのだった。
「やっぱほら、列車の旅の楽しみは駅弁ってものじゃないか。かの泉鏡花もそう言っている」
「言っとらん。せいぜい人参と干瓢でも楽しむんだな。だいたい、旅と言ったところで単なる帰郷だろうが」
「実家に帰るだけでも、また旅というものさ」
ああそう、と言うようにセイジは聞き流して、
「実家に帰るだけならその荷物は大袈裟すぎやしないか?」
片眉を上げた。ガラ空きの列車だから構わないだろうが、四人がけの席が、紙袋や手提げ鞄で一杯なのである。これすべて、ランスが実家に持っていく土産品なのだという。
本日セイジは、ランスの荷物運びを手伝って駅まで共に来たのであった。最初は改札で別れるつもりが、ランスが「荷物重ーい」などと泣きマネをしたのでホームまでついていくことになり、特急自由席に運び込むのを手伝う流れとなって、それが「駅弁買い忘れたー」の一言で、使いっ走りサービスまでするはめになった。
とはいえランスとは、これでしばらくお別れだ。そう考えると少し寂しいではある。
「じゃあ俺は行く。達者でな」
「ああ」
立ち上がったところでランスの腕が当たったか、土産物の包みがどさっと席から落ちた。しかも次々、雪崩をうって倒壊したではないか。当然、丸い包みは転がるし、雑誌のたぐいは床一面に散らばるしで大変な惨状だ。
「なにやってる! まったく……」
「すまーん!」
セイジはしゃがみこみ、ランスとともに散らばった荷を集めるもそのうちに、発車のベルがけたたましく鳴り響いていた。
慌てるも後の祭りだ。
セイジが出口に向かおうとしたとたん、列車は滑るように走り出していたのである。
ギリシャ彫像のようにかたまったセイジをよそに、力なくランスは笑った。
「ごめんな……次の駅まであと三十分はかかる……それに、降りて帰ると金がもったいないぞ?」
などと言ってちらりちらりと、ランスはセイジに何か言いたげな視線を投げかける。
セイジはしばらく腕組みして電車の振動に揺られていたが。やがて、黙って席に座ると、
「お前は車内販売で買え」
とだけ告げてまた無言に戻り、自分で買ってきた秋の釜飯のパッケージを解き始めたのである。
「そうと決まれば♪」
小躍りしてランスは、スマートフォンを取り出して実家にメールをはじめたようだ。『嫁をつれて帰ります』……そんな文面を打っている。
――もしかして俺、はめられたのか?
と思ったがもう、問いただす気力はセイジにはなかった。
それにしても本当に人参と干瓢ばかりの釜飯だ。栗はどこだ。
――大家族だな。
これが、ランスの家族を前にしたセイジの率直な感想だった。
大きな平屋、その畳敷きの大広間、走り幅跳びでもできそうなほど長い食卓には、種類を数えていくだけで気が遠くなりそうなくらい盛大に、夕餉の支度がととのっている。テーブルの両側には、セイジと似た髪色をしたテイルスの一族が揃って着席していた。
そのうち子どもは四人、いずれも小学生くらいで男女比は半々である。それをランスが紹介してくれる。
「そこの腕白小僧二人はイエルラースとザックハーン、このおしゃまさんがアーデレーゼ、こっちの淑女はミアマーハ……この四人は下の弟に妹たちだ。他に年長組の弟妹が何人か、進学先の寮や下宿にいる」
幼い八つのまなざしがひたすらニコニコと、しかし好奇心まるだしの視線でセイジを見ていた。
しかし、セイジが冷や汗をかいている理由は、どちらかといえば大人たちにこそあった。
何人いるのだろう。老若男女、幅広く集まっているのである。その大半がどことなく、セイジに似ているのは遺伝子のタフさによるものだろうか。
中心にランスの両親がいることは言うまでもないが、それ以外にもおじやおば、祖父祖母、従兄弟に従姉妹……親族会議といってもいい有様なのだった。同居の者のほか、近隣から「すわ!」と駆けつけた親族もあるという。
そして、そんな彼らが、
「あら可愛いお嫁さん」
「うちの甥っ子をよろしく頼むよ」
「コロッケ食べるかい? コロッケ?」
「どうやって知り合ったんだい?」
と統一感もなく一斉に話しかけてくるのでセイジは圧倒されていた。
――ランスが人見知りしないのは家系だ。間違いない。
それがわかったからといって、今のセイジにはどうすることもできない。せいぜい、
「あ……はい、どうも……」
と愛想笑いするのが精一杯なのだった。
そうこうしていうるうちにまだまだ親戚はやってくる。従姉妹の子だという赤ん坊だの、その兄だという幼児だの、小学生くらいに中学生くらい、とにかく子どもが増えると走り回って大騒ぎ、一方で大人が増えると、先を争ってセイジの前にやってきて挨拶しようとするのでこれまた大騒ぎ、その上でエンドレスに山海の馳走が出てくるのだから、歓迎会という名の夕食は、賑やかを通り越してケイオティックな様相を呈してきた。
たぶんまだ一時間ほどしか経っていないはずだが、セイジは一気に四時間分ほどの疲労を感じていた。
「……本当に満腹ですから。はい、はい、本当にご馳走様でした」
食べ過ぎてよたよたしながら、なんとか食卓からセイジは逃れ出た。休みたいのだが、少なくとも静かな場所に行きたかった。散歩させてもらおう。
ところが縁側に下りたところで、セイジに静寂は訪れない。
兄ちゃん、と声を上げて少年二人が追いかけてくる。ランスの弟イエルラースとザックハーンだ。二人は口々に、釣りに行こうとセイジの袖を引っ張った。
「明日な。明日行こうな」
なんとか言い聞かせて逃れると、今度は女の子が、セイジの腕に飛びついてきたではないか。
「お、おい!」
この子は、ランスの妹のアーデレーゼだ。彼女は熱っぽい眼でセイジを見上げた。
「え? お嫁さんにする? 俺をか?」
セイジはギョッとした。小学生くらいなのになんと大胆な……さすがはランスの妹だ。
ここでセイジは安堵の息を吐いた。聞き捨てならぬ、とばかりにランスが駆けてきたからだ。
「こらー! セイジは……俺のだ!」
しっ、し、と犬でも追い払うようにして、ランスは妹を追いやった。アーデレーゼはすぐに数メートル離れたものの、足を止めるとアカンベーをして逃げていった。
「なにをー!」
ランスはさらに走り、妹を家においやって戻ってきた。
「わが妹ながら油断ならないやつ……」
ぶつくさ言いながら戻ってきたランスは、再び強烈な光景を目にしていきりたったのである。
なんと、もうもうひとりの妹ミアマーハが、セイジの手を引いて歩き出しているではないか。あたしのお部屋を紹介してあげる――などと言っているように見えた。
「そういうのを『泥棒猫』って言うんだぞー!」
わっと狼のようなポーズを取り、ランスはミアマーハも追わねばならなくなった。
小走りでセイジの元に戻ると、ランスは頭をかきながらバツの悪そうな顔をしていた。
「なあ、お前の家っていつもこんなにガチャガチャしてるのか?」
「あ……いやまあ、今日はみんなちょっと浮かれすぎっていうか……でも、大抵こんなもんかも……」
セイジが怒っているかと思い、ランスはおそるおそる顔を上げたのだが、あにはからんや彼は笑みを含んでいたのである。
「いや、楽しいよ。いい家族だな」
「本当か!」
「みんなでご飯食べて、このあとは風呂だろう? 大浴場があるって聞いた。こういうのも、ちょっとない体験だと思う」
「そっか……」
思わず、胸が一杯になったランスである。そんな自分の表情を見られるのが気恥ずかしくて、
「そう言ってもらえて嬉しいよ!」
彼はセイジを抱きしめた。
空には満天の星――。
●描きたいもの
腹を抱えて笑う、というのがこの場合ぴったりな表現だ。
「さては乗り損ねたのか! こいつは傑作だ!」
カラヴィンカ・シンは手を叩いて笑った。大爆笑、心から楽しそうにあっはっはと笑う。星の見えぬ都会の夜空に、笑みで明かりを灯そうとでもいうかのように。
カラヴィンカは電車の駅ホームで、茫然自失の体で立ち尽くしている安宅 つぶらを見つけたのである。カラヴィンカが電車を降りてみればそこにこの、真っ白に燃え尽きたボクサーみたいなつぶらがいたのだった。
ころころと笑う七歳の少年……ぱっと見、あどけない姿ではある。
けれどもつぶらは知っている。この七歳は普通の七歳ではないのだ。
外見に騙されてはいけない。見た目こそ天使のようなカラヴィンカだが、その中身は一癖も二癖もある老獪なる男、いや、ジジィなのである。寸鉄人を刺すような毒舌の持ち主でもあり、なにかというとマウントを取りにくる尊大さまであわせ持つ。そもそもカラヴィンカは声からして、誰かがどこかからアフレコしているのではないか、と疑いたくなるくらい塩辛声した壮年具合なのだ。まるで現代に生きる怪物だ。
まずいところを見られた――と言いたげな表情が一瞬、つぶらの顔に浮かんだものの、すぐに彼は口を『へ』の字にしてフンと息を吐いた。
「つぶらサンはね、有意義な活動に従事していたのですよ!」
「有意義な活動って、A.R.O.Aの研修後の打ち上げだろうが?」
カラヴィンカは鼻で笑って見せた。もちろんこの日、カラヴィンカもつぶらとともに研修に参加していた。その後の打ち上げも、とりあえず二次会までは出席している。
「一時間半前にわしが言ったこと、覚えておろうな?」
「新人ウィンクルムのつぶらサンはね、お友達がほしかったワケですよ。それで色んな人に声かけて、三次会まで楽しんでたら……」
「言い訳はいらん。わしの質問に答えたらどうだ」
「覚えてませんねっ」
「だからお前は道化なのだ! 過ちは誰にでもある、だが過ちを認められないうちは成長せんぞ」
この一喝はグサっときたらしい。つぶらは「ほんと、頭にくるちびすけだよね……」とぶつくさ言ったものの、視線を合わせないようにしながら認めたのである。
「一時間半前のアンタの台詞……? 『そろそろ帰らんと終電を逃すぞ』……だったかしら」
「よかろう。わしの忠告を無視して、それで、どうなった?」
形の良い眉に怒りの波を浮かべながらも、つぶらは答える。
「ご覧の通りよ! ちょうど最後の電車が出ちゃった! これでいい!?」
カラヴィンカは腕組みして、満足げに二度うなずいた。
「わかったら今度からは、年長者の言うことをきちんと聞くようにな」
ぷいとつぶらは横を向いた。ここでカラヴィンカは、ほんの少し声色を変える。
「それで、この駅はわしの自宅の最寄りなわけだ。これからわしは徒歩十分の距離に帰宅して、暖かい屋根の下で眠るわけだが……まさかお前、こんな『七歳児』に泊めてほしいなどと頼む訳にはいかんよなぁ?」
つぶらの口が、またまた『へ』の字になった。
ええその通り、余計なお世話! と言って背を向けてもいいのだが、この寒空で朝を待つのはいかにもみじめだ。かといって他に時間をつぶせる場所も思いつけず――ひとつ弱みを認めたのだから、ふたつ認めるのも大差はないだろう。
それでも、つぶらは憎々しげに言った。
「……くっそ、どうせ帰れないよ! て言うかアンタ家あんの?」
怒るかと思いきやカラヴィンカは、まるで本当の七歳児のように無邪気な笑顔を見せたのである。
「まあ、わしも鬼ではない。一晩寝る場所くらいは貸してやる」
閑静な住宅地、そのなかにある一軒家の前でカラヴィンカが足を止めたので、つぶらは目を丸くしてしまった。六人家族くらい余裕で住めそうな大きさではないか、しかも二階建てだ。
まさかと思いきや、ごく平然とカラヴィンカはその門をくぐり、カードキーを差し込んでドアを開けた。
「独り暮らし、って話よね?」
「そう言った」
「同居人もいない割には広すぎない!?」
「……お前には関係あるまい」
カラヴィンカは振り返りもしない。ダイニングに入って電気をつけた。
広いダイニングの中央に鎮座しているのはこれまた大きな、しかもマホガニー製のテーブルだ。鏡みたいにぴかぴかに磨かれている。
「道化であろうと客人は客人だ。茶くらい淹れてやる」
と言って台所に立つ。水場の前には踏み台がしつらえてあった。七歳の背丈でも使えるように用意したものだろう。
玉露の入った湯飲みがふたつ、テーブルの上に置かれた。
「カーラ、アンタ契約する前本当は何やってたの?」
言いながらつぶらは、緑茶の美味さに内心おののいている。それほど詳しくはないが、高級品ということくらいすぐに理解できた。
「黙って飲めんのか」
とはいえ黙っているわけにもいかないと思ったのか、一拍おいてからカラヴィンカは言った。
「……契約する前か……演出家だ。舞台演劇のな」
「その見た目で演出家って……本当?」
「真面目に聞く気がないなら、それを飲んでさっさと寝ろ」
「ちょっと待ってよ、別に嘘って決めつけてるわけじゃないんだから。せめてどんな舞台を手がけたのかくらい、教えてくれてもいいんじゃない?」
ふむ、とカラヴィンカはモノクルを外して、布で拭って立ち上がった。
「待っておれ」
数分して戻ってきたカラヴィンカの手には、オレンジ色の書籍があった。
「これで信じるか」
手渡されてつぶらは気がついた。これは書籍ではない。舞台演劇の演出用台本だ。
しかも、ある有名な演劇のものだった。
「この舞台知ってる!」
ぺらぺらとめくって、しばらく一生懸命読むも、つぶらは妙な顔をせざるを得ない。
「でもこんな演出使われてなかっ……もしかして」
カラヴィンカはその先を言わせない。両手で湯飲みを包み込むようにして言葉を挟む。
「……わしの案は悉く採用されなかった。大衆受けが悪いからとな」
一口して、ふうとため息をつくように続けた。
「描きたいものと、求められ描かねばならぬものが違いすぎた……それだけのことだ」
「けど……」
あるページに手を止めて、つぶらはその場面を思いだしながらしばらく読み込んだ。
悲劇的な場面を描いた部分である。この舞台では一、二を争うほどの名シーンであろう。
たしかにその内容は、つぶらの記憶にあるものとは違っていた。
彼が実際に目にした舞台では、大袈裟なほど悲壮な背景が使われ、強い脚光が組まれ、主人公の独白に合わせてセンチメンタルな音楽が流れ出していた。
ところがカラヴィンカの筆による演出では、そうした派手な仕掛けは圧倒的に少ない。むしろ簡素なほどに抑えた内容なのであった。
けれどもその淡泊さ、静謐さが逆に、観る者に想像の余地を与えるのではないかとつぶらは思った。足し算ではなく引き算の思考だ。演出しないことで、逆に場面を際立たせる……この場面はカラヴィンカ版のほうが、ずっと感情移入できる気がする。
つぶらは顔を上げると、できるだけ平静を装って言った。
「この台本、ちょっと借りていいかい? アンタの描きたいものってやつ……ちゃんと知りたい」
しかしカラヴィンカは辛辣だ。冷笑するように言う。
「……お前に理解できるとは思えんがな」
だがカラヴィンカに、拒否するつもりはなさそうだ。
「どうせ複雑な顔で返しに来るのが目に見えている」
と言って、台本が入っていた紙袋を手で押し出した。
「わしの描きたいものを知りたいとな……知ってどうする?」
「わからない」
つぶらは正直なところを口にした。でも、と続ける。
「知りたい。つぶらサン、アンタのこと何も知らないから」
ふうん、とでも言うような眼をカラヴィンカは見せたが、それも一瞬のことだった。
「さて……風呂を沸かしてやるからそこにいろ」
と告げて、席から立ったからである。
その晩、つぶらは遅くまで台本を読んで過ごした。
●流れ星に願いを
後悔先に立たずとはよく言ったものだ。
――打ち上げなんて行くんじゃなかった。
ため息の色はブルー、それも、北極圏の流氷の下みたいなダークブルーである。
スコット・アラガキがそんな蒼ざめたハイウェイになる気持ちも以下、かみ砕いて言えば理解してもらえるだろうか。
つまり、A.R.O.Aの研修後、あまり乗り気ではないのに打ち上げに参加して、
後から混ざる、って言っていた彼がなかなか来なくて、待ちわびて、
とうとう三次会、はっきりいって店のチョイスはミスっていると誰もが思ったが、店の親父がすぐカウンターの前だったので皆それを口に出せず、参加者同士、ただアイコンタクトで「失敗だよねえ」と意志を交わして(ちなみにその席には、安宅つぶらもいた)、
それなのに待ちわびていた彼は、仕事の都合で来られないということが判明して、
とほほな気分でそれでも看板までいて、時計を見て緊急事態だと悟って、
駅までダッシュするも空しく、改札をくぐるより先に『本日の最終電車』が葬儀場の列のようにゆったりとしかし確実に、走り去るのを目にしたというわけなのである。
これぞ踏んだり蹴ったりというやつだ。スコットの心の中は豪雨警報発令中である。
ところが、捨てる神あれば拾う神ありという。
「おや、こんなところで」
季節外れの春風に頬を撫でられたような気がして、スコットは振り返った。
視線の先には桜の色、けれどもそれはソメイヨシノの花弁ではなく、つい最近組むようになったばかりのイナフナイフの髪の色だったのである。夜の駅の明かりは決して明るくはないものの、むしろその抑えた光が、緋色の緋色たるものをぐっと引き立てていた。
「今日はお疲れ様でした」
イナフナイフは、どことなく合成音声じみた平板な口調で述べた。そういえば彼も、三次会まで付き合った組である。
「もしやアラガキさん、帰宅する電車がなくなった……とか」
どうにも血の通っていない言い方だ。入社二年目の堅物アナウンサーのようでもある。とはいえその口調がイナフナイフにとっては普通なのだと、このところスコットも理解はしていた。言葉が単なる社交辞令ではないのは、イナフナイフの眼に浮かぶ同情の色からも読み取れよう。
でもイナフナイフの視線に宿る曳光弾のような眼光、言い換えれば『目力(めぢから)』に、スコットが少々の苦手意識を持っているのもまた事実だった。彼の視線に遭うと、どうしてもスコットは居心地が悪くなる。まるで彼に心の底の底まで、見透かされているかのように。
このときもそうだった。強いてイナフナイフと視線を合わせないようにしながら、肯定の返事をスコットはつぶやいていた。
二十分ほど後。
「どうぞ」
とイナフナイフに差し招かれ、スコットは彼の自宅に上がっていた。
駅そばの賃貸マンションだ。比較的新しく建てられたもののようで、白いペンキの匂いが、まだうっすらと廊下に残っている。
神人の一人歩きは物騒なので……と言って、イナフナイフがスコットを自宅に招いてくれたのである。それほど気乗りはしなかったものの、結局のところスコットは、断るよりは受けるほうが楽だと思うことにしていた。
いい部屋だ。それは間違いない。独居には広すぎるほど広く、北欧風に統一された家具も、多少乙女風とはいえセンスがよかった。高層階ということもあって窓からの展望もすばらしい。繁華街のそばの割には、静かなのもポイントが高いだろう。
といっても、その静けさは少々問題だった。スコットにとっては。
――話すことなんか何もない。
しんと沈黙が、見えない火山灰のように降り積もってくるのである。
「ソファ借りるね」
承諾を得て腰を下ろすと、イナフナイフと差し向かって、どう時間をつぶしたものやらたちまちスコットは窮してしまった。
それほどに接点のない二人なのだった。スコットが神人でなければ、一生知り合うことのない相手だっただろう。生い立ちを語る気になんてさらさらなれないし、仕事の話をするのも無粋すぎる気がした。かといって部屋の内装を誉めるのも、しらじらしすぎるのではないか。
無言の行のようなこの居心地の悪さから逃れたい――ただそれだけの目的でスコットは口を開いた。
「あとテレビ見ていい? 気になる番組があって」
スコットはリモコンを探すも、すぐにそれが無意味であることを知った。
「テレビないんですよ~」
こともなげにイナフナイフが言ったのである。
「引っ越したあとなんとなく買い損ねて」
ほんの少し彼の口調がやわらいでいた。自宅にあるからだろうか、リラックスしているようだ。
一方で、リラックスどころではないのはスコットだ。
テレビをつけたら番組に集中してるふりしてそのまま寝ちゃえ――そう考えていたのである。
いよいよすることがないではないか。話題を探しながら数十分、いや下手をすると数時間、さして親しくもないイナフナイフとふたりきり会話を続けられる自信はなかった。というか、まったくもって話したいなどと思っていなかった。
「うぇ!? ないの!? 暇なときとかどうするの……」
思わずそう口にしてしまって、すぐさまスコットは後悔する。
自分から話を振ってしまった。会話せざるをえないではないか。
「最近は……ちょうどいいや。そっちで呑み直しましょう」
などと言って、冷蔵庫から缶ビールをふたつ、手にしてイナフナイフはからりとガラス戸を開けベランダに出た。
もう夏の気配はどこにも残っていない。酒で軽く火照った体には夜風が涼しい。
勝手に話を進めやがって――と腹立ちを覚えるも、スコットは拒否する言葉を思いつけず、イナフナイフと並んでベランダの柵に両肘を付けるほかなかった。
風がイナフナイフの髪を揺らす。薄くも黒い雲の間から、冷え冷えとした黄金の月が顔をのぞかせていた。
「アラガキさん、三次会でも食べるか喋るばかりで呑めてませんよね?」
この言葉に、スコットは軽く苛立ちを覚えていた。
――呑めなかったんじゃない、酒量を抑えてたん……。
こう言いかけて、やめる。
「……あ。きれいな景色……」
確かに、絶景だ。都会の中にしかない見事な眺望、さやけき月影が、そこに興を添えている。
かつん、とビールの缶をイナフナイフは柵に乗せた。ただのビールではなかった。カクテルタイプの、甘く爽やかなフレーバーの缶だ。
スコットは冷えた缶を開けた。胸がすくようなシトラスの香がひろがっていく。
「さっきの続きですけど、最近はよくお月見するんです。なかなか乙な肴でしょう? TVを買い忘れ続けてるのは、この景色のせいもあるかもしれません」
けれどもスコットが返すのは生返事だけである。聞いていないのだ。
冷たい缶に唇で触れながら、スコットは夜景から目を離さない。
最悪な一日だった――そう思っていたのだけど、これで少しだけ、気分が良くなった。
明朝までは笑顔を作っていられそうだ。
「……今夜はとくに綺麗ですね」
イナフナイフは空を見上げて言うのである。
「ここからだと、流れ星もよく見えるんですよ。アラガキさんなら、流れ星に何をお願いしますか?」
「んー……。ないしょ!」
何を訊くんだ――というのがスコットの正直な気持ちだった。
そんなの、彼と俺の幸せに決まってるではないか。
だからまずは、邪魔者であるおまえの不幸だよ――そう言ってやりたかった。
けれどよしておこう。この景色と、冷えたビールに免じて。
ふふ、とイナフナイフが微笑するのが聞こえた。
「なら僕も秘密です。叶ったら教えてください」
それでもふと、イナフナイフはつぶやいている。
「……いうても僕のは半分叶ってもうたけど」
肝心なのはあと半分――イナフナイフのその想いは、言葉となることはなくフレイバービアの泡に溶けていった。
●写真の中の少年
買い物帰りに突然の雨、天気予報はたしか、一日快晴と言っていたはずだ。
けれども天気予報に文句を言っても始まらない。ゼク=ファルが今すべきなのは、柊崎 直香にこう問いかけることだろう。
「本当にここ……なのか?」
『ジョークだよ。信じた?』
という回答を一瞬、ゼクは直香に期待した。
ところがもちろん、そんな淡い望みが成就するはずもなく、
「そう、僕を引き取って育ててくれた伯父夫婦の家」
直香は、無邪気と呼びたくなるくらい素直にうなずいたのである。陽を透かした、天然の琥珀のような眼をして。
ゼクは、濡れて額に張り付いた前髪をかきあげる。
そうして眼前の洋館を見上げた。
一九世紀後半の倫敦(ロンドン)郊外には、きっとこういう邸宅がたくさんあったに違いない……そんな気持ちになるようなクラシック感のある造りでありながら、丁寧にメンテナンスされているのか、少しもくすんでいたり朽ちてはいなかった。石造りの壁に苔はなく、煙突も立派に使えそうに見える。芝も綺麗に剪定されており、住み心地はよさそうだ。窓が鈍く光っているのは、雨を浴びたからだけではあるまい。
思った以上に立派な『実家』ではないか。しかしゼクとしても臆してばかりはいられまい。外でこの、温水の出ないシャワーみたいな雨に耐え続けることを思えば、たとえ目の前の館がエリザベート・バートリの邸宅であったとしても選択の余地はないだろう。
直香は懐から大ぶりの鍵を取り出し、両開きの扉に手をかける。
「すまん。手伝う」
押し開けてホールに踏み込んだゼクは、思わず息を飲んだ。
タイムスリップしたのだろうか。そこはまさに、二百年前の貴族の家というのにふさわしい。
中央には大きな階段、張り出しの廊下、アンティークな柱時計が、コチコチと時を刻んでいる。そして天井には、派手すぎずそれでいて流麗なシャンデリアがあった。
とはいえいずれの家具にも壁紙やカーペットにも、冷たく突き放すような印象はない。それどころか訪れた客人を、ようこそ、と迎え入れるような暖かさが感じられた。
服の好みと同じで、家、とりわけその玄関には、住む者の性格が反映されるものだ。ゼクは会ったことはないものの、きっと直香の伯父夫婦というのは、温かい心の持ち主なのだろうと想像できた。
「こっちだよ」
室内灯を付けると、妖精のように軽やかに直香は階段を上がっていった。その楽しげな様子は、階段を昇るるというより巨大なピアノの鍵盤を、ひとつひとつ踏んで鳴らしているようである。
生まれ育った家というのは間違いないだろう。直香の足取りたるや、目隠しをしていても目指す場所に着けそうなほど確かなものだったのだから。
「はいタオル」
一室に通されたゼクは、柔らかで清潔なタオルを手渡された。
すでに直香は別のタオルで頭を多い、濡れた上着をハンガーにつるしている。
「ああ……感謝する」
捕獲されたばかりの獣のように、周囲を睥睨しながらゼクはこれで紫陽花色の髪を包み、雨で重みを倍ほどにした上着を脱いだ。
「貸して」
と伸ばされた直香に上着を手渡したとき、少女のようなその体つきがまともに眼に入った。そんな必要はないと頭では判っているものの、ついゼクは目をそらしてしまう。
ところが彼の動きをどう誤解したのか、
「緊張しなくても、今日は本人たち不在だし僕の部屋だし」
言いながら直香はこざっぱりした服に袖を通して、どっとベッドに腰を下ろした。
「お前の部屋か……」
玄関ホールで受けた印象と同じだ。部屋は小ぎれいで上品で、すべてが年経ているもののリラックスできる色使いに統一されている。
「なるほど。片付いているのは、部屋の主が越した後だからだな」
むっ、と直香は片頬を膨らませた。
「言っておくけど僕が住んでた頃からこの状態だからね」
笑止、とゼクは返す。
「おい、今のお前の部屋の惨状は何だ」
都合の悪いところは聞こえません、とばかりに、唱うカナリアのような口調で直香は言うのである。
「片づけくらい自分でするよ。僕良い子だもん」
「『良い子』?」
わずかながら直香の言葉尻が、ゼクの頭にひっかかった。目に見えないほど小さな傷がついたレコード盤のように、幽かなノイズを聞いた気がしたのだ。
しかしどちらかといえば、ゼクが気になったのは直香の視線、その先にあるものだった。
棚に並べられた写真立てだ。それも複数。
「家族写真……」
つぶやくと、左から右へと視線を滑らせていく。
時代別に並べたものらしい。右に行くほど、写真の中の光景は時間を逆行するようだ。
写真は十ほどもあったが、とくに印象的なのは以下の三枚だった。
直香に似た少年が、はにかんだような笑顔でこちらを見ている写真。少年はたくさんの人たちと並んで、王女様のようにその中央に立っている。
その少年がもっと幼い夏の日、水着姿でプールサイドに座っている写真があった。やはり彼と同じフレームに、何人もの姿があった。
やがて少年は、立つこともできない赤ん坊に戻っている。三つめの写真は、そんな彼を抱いて微笑んでいる美しい女性、その夫とおぼしき青年、この三人だけが一枚に収まっているものであった。
少年が今の直香であることは疑いようがない。幼くあどけなくなるたび表情は柔和になるものの、はっとするほど美しい眼、それに長い睫毛も涼しげな口元も形の良い顎のラインも、すべて現在の直香に引き継がれていた。
「……両親の記憶はほとんどないんだ」
問わず語りに直香は話し始めた。
「家より診療所に居る時間がずっと多かった人たちだったから……どっちかっていうと、スタッフとか患者さんと過ごした時間のほうが長かった気がする。柊崎先生の自慢の息子さん、それが僕さ」
ゼクは眼を、過去の直香から現在の彼に戻した。
すると、
「髪、濡れたままだから拭かないと」
と独言して、直香はまたタオルを被り、くしゃくしゃとやりはじめたのだった。もうすでに、あらかたの雨は拭き取ったはずなのに。
「『あんなに悲しいことがあったのに……泣かなくて良い子だね』」
誰かの口調を真似ているのだろう。直香の口をついた直香の声でありながら、その言葉は無責任なほど明るく、それだけに残酷だった。
「『さすが先生の子だ。しかも神人に? きっと素晴らしいウィンクルムとなって皆を護ってくれる……良い子だね』」
直香の表情はタオルと、乱れた前髪のためにゼクからは見えない。
「……『本当に良い子だね』」
自嘲するように、くっくと喉の奥で直香は笑った。
その意図に反し、少しも可笑しそうに聞こえなかった。
「つまらない感傷だったね。懐かしい場所と写真に唐突に思い出しただけ」
少し、間を置いて問いかける。
「……僕はちゃんと良い子でいられてる?」
ゼクはすぐに返答しない。口をつぐんだまま、立ち尽くしていた。
この場所に足を踏み入れ、写真を目にしたために思いだされた記憶ではあるまい――ゼクは直観的に悟っていた。
おそらくずっと直香の根底にあるもの、良い子であれと演じるあまり置いて行かれた感情たちが顔を出したものではないか。
「着替えはあるか」
なければバスローブでもいいが、と言いかけたゼクは、直香があごをしゃくるようにして別の棚を指したのを見た。大ぶりのローブが用意してあった。
助かる、と告げてゼクは無造作にこれを取り、直香に背を向けたまま服を脱ぎ出す。
その途中で、
「お前が俺の前で良い子だったことがあるか」
唐突に告げた。
「先生の息子でも神人でもなく、俺は最初からお前しか見ていない」
ゼクの言葉は、確認だったのだろうか。宣言だったのだろうか。
それは、ゼク自身にもわからないことだった。
ただ一つ、彼は、うながすようにこう付け加えた。
「直香」
と。
窓の外の灰色の空が、そのわずかな光さえ失い、夜の黒へと変わっていった。
洋館の窓の外から見れば、直香がタオルを落とすのが見えただろう。
そうして、何か告げる口の動きも見えたことだろう。
依頼結果:成功
MVP:
名前:柊崎 直香 呼び名:直香 |
名前:ゼク=ファル 呼び名:ゼク |
名前:日下部 千秋 呼び名:日下部 |
名前:オルト・クロフォード 呼び名:先輩 |
エピソード情報 |
|
---|---|
マスター | 桂木京介 |
エピソードの種類 | ハピネスエピソード |
男性用or女性用 | 男性のみ |
エピソードジャンル | ハートフル |
エピソードタイプ | EX |
エピソードモード | ノーマル |
シンパシー | 使用不可 |
難易度 | とても簡単 |
参加費 | 1,500ハートコイン |
参加人数 | 5 / 2 ~ 5 |
報酬 | なし |
リリース日 | 09月03日 |
出発日 | 09月11日 00:00 |
予定納品日 | 09月21日 |
参加者
会議室
-
2015/09/10-23:59
プランは2日前の余裕提出だったつぶらサンです!(親指ぐっ
カーラの家とか全然想像できないけど‥‥どうなってんだろあいつの家。
んじゃ、いってきまーす! -
2015/09/10-23:53
こっちもプラン提出完了。
……胸騒ぎ……そうだな……嫌な予感はする……とても……
もう野となれ山となれだ(遠い目 -
2015/09/10-22:25
「胸騒ぎ」というより「大騒ぎ」のお宅訪問になりそうな気がする。
あいつとその家のことが分かるいい機会では有るので流されつつも楽しめたらと思うよ。
EXなので、たっぷりアドリブがくる期待も持ちつつギュッと詰め込んでみたけどどうなるかな。
プランは提出できているよ。
うまくいくといいな。 -
2015/09/09-22:47
日下部くんはどうして暗いお顔なのでしょう。
先輩のお家にお泊り☆なんてオイシイじゃありませんか。
ご実家に伺うのは直香ちゃ…くん…?さん?
なのか、それとも迷子の精霊さんなのでしょうか。
(渋い声に眉をしかめ)カラヴィンカくんは喉風邪のようですね。
つぶらん、夜は冷えますから、気をつけてあげてくださいね。
いずれも楽しい一夜を過ごされますように。 -
2015/09/08-01:06
挨拶が遅くなり申したー。
クキザキ・タダカと……精霊はそこら辺で迷子になってるんじゃないかな!
毎度おなじみも初めましてもどうもどうも。
僕のところは既に同居中なので実家話になりそう。
皆の素敵なお話を覗き見できるの楽しみにしてるね。 -
2015/09/08-01:04
-
2015/09/07-01:28
>ナイフ
カ「なに、気にする必要は無いさ。
雰囲気をぶち壊したのはむしろ道化の自業自得だからな、困ったものだ」
…にゃろう…。まーとにかくこっちは楽しめてたんで大丈夫だよ!
今回そっちも楽しめ…楽しめる? といいね! -
2015/09/06-23:16
どうも、日下部です……よろしくお願いします。
柊崎の方はこの前ぶり。
先輩の家に泊まることになりました。
……ドウシテコウナッタ(沈痛な面持ち -
2015/09/06-17:03
イナフナイフ:
アラガキさんとホmともだちになりたいイナフナイフです。
ややこし名前なのでナイフとか稲中とかええようにどうぞ。
いやぁん。つぶらんじゃありませんかあ。またお会いできて嬉しいです。
先日は僕とこのプランでリザルトの雰囲気を壊してもうて、えらいすみませんでした。
今回は大丈夫だと思うので、ご安心くださいね。
といっても個別描写なのですけど。 -
2015/09/06-01:15
おーっ、いなちんとスコットの兄貴はこないだぶりかねェ!
まだまだ新人のつぶらサンだよー!
…早速今晩きのこれるのかな、これ。色んな意味で早くも胃痛がマッハだよつぶらサン。 -
2015/09/06-00:31