プロローグ
●転機
「は? お父さん、今……何て言ったの?」
「だからぁ、店を畳むと言ったんだよ。見えないか? この閑古鳥も怖がって寄り付かねぇ、寂れた店内がよ」
白衣を纏い、白い帽子を被った中年の男が、カウンターに頬杖を突きながら娘に向かって言い放った。それは彼女……アレクシアにとってはまさに青天の霹靂と云う奴であった。
「だ、だって! お店はいつも清潔にしてるし、味だって落ちてないんだよ? 皆があの噂さえ忘れれば……」
「人の噂も75日、ってか。けど、あの事件があったのはもう1年も前の事だぜ。なのに、この状態だ。菓子だってタダで作れる訳じゃねぇ、メシ食ってく為には他に仕事探すしかねぇンだよ」
「くぅっ……あの時、あの人さえ店に来なければ!!」
アレクシアは俯いて歯を食い縛りながら、ある男の顔を思い出す。それはこの世界の頂点を争うと噂されるパティシエと名高き男……アンドレ・オーリックの事であった。
●来訪
「なってないね。素材が泣いているよ。変な菓子にされたばかりに、自分達は食べて貰えないとね」
「クッ……お、俺だってなぁ! 良い材料をふんだんに使えりゃ、もっと良いモン作る自信はあるさ!」
「おやおや、腕の悪さを素材の所為にするのかい? 見下げ果てた男だ……この店は評判が高いからと云うから、期待して来てみたのだがね。残念だよ」
フッ、と髪を掻き上げ、キザな仕草を強調して文句のダメ押しをするアンドレ。そして、噂のパティシエが来るという事で、近所は勿論、遠方からも客が押し寄せ、その日は店の前に大行列が出来るほどの盛況だったのだ。ここで下手を打たなければ、店は寂れるどころか、大繁盛していたに違いなかった。
「何だ、大した事ねぇンだってよ」
「オマケにあのパティシエ、態度悪い! 何か気に入らないよ」
「やめやめ! あーあ、折角来たのにな。無駄足だったぜ」
サーッと波が引くように客は去って行き、後にはガランとした店内に、主……セザールとその娘アレクシア、そしてアンドレが残された。
「お客は正直だからねぇ、不味いと批評された菓子なんか味も見ないでこの通りさ」
「あ、アンタねぇ! ウチに何の恨みがあって、こんな……」
「おっと、誤解しないでくれたまえマドモアゼル。僕は嘘がつけない性質でね、正直に感想を述べただけ。客足が遠のいたのは僕の所為じゃないよ」
「クッ……!!」
それだけを言い残すと、アンドレも店を後にして待たせてあった馬車で去って行った。
決してセザールの腕前が悪い訳では無い。ここ数年の凶作続きで、粉も乳も質が落ちたものばかりしか手に入らない状況が続いていたのだ。それでもセザールは何とか味を落とさぬよう頑張った。だが、結果はこの通りだったのだ。
●再来
「どうしても店を続けてぇってんなら、アレクシア。オメェが仕切ってみろや。俺は建設現場でも何処ででも働けるが、菓子作りしか取り得のねぇオメェじゃ、何処も雇っちゃくんねぇだろうからな」
この状況となって、セザールもすっかりやさぐれていた。丁度そんな時、彼らにとっては二度と見たくないであろう顔が、ドアから入って来た。
「やあ、相変わらず寂しい事で……でも、お菓子の味は上がったようですねぇ」
「あ、味も見ないで……余裕のつもり? で、この店をこんな状況に追い込んだアンタが、今更何の用なのよ!!」
「お、落ち着きたまえマドモアゼル……ちょっと近所に用があったので、ついでに寄ってみたのだ。まさか、僕のあの一言が未だに響いているとは思わなくてね。いや、この土地の人は、自分の舌で味を確かめるという事をしないんだね。ビックリしたよ」
一呼吸おいて、アンドレはアレクシアの方に向き直り、語り始めた。
「失礼だが、話は聞かせて貰ったよ。お父さんはもう、お菓子作りに対する情熱を失ってしまったようだね。だが、君は違う。君の作ったお菓子からは、熱意が感じられる……そしてそれが、味にも表れているよ」
失礼、と棚に並んでいるマカロンを一つつまみ、口に放り込むアンドレ。そしてその顔はニッコリと満面の笑顔を作っていた。
「僕はお世辞を言う人間ではない。が、君のような職人がこのまま埋もれてしまうのは大きな損失だ。そこで、このお店がこうなってしまった事への罪滅ぼしに、僕と君の主催でお菓子作り教室を開催しようじゃないか」
「……あのー? 急展開過ぎて付いて行けないんですけど……」
おっと失礼、興奮しすぎたね……と、アンドレは笑い出した。
つまり、彼はこう言いたいのだ。
以前、不味いと評したお菓子屋さんの娘がお店を継ぐ事になった宣伝を兼ねて、その腕前を披露すると同時に、お菓子作りの楽しさを広くアピールしよう、と。
その宣伝に彼が加われば、お菓子好きな紳士淑女の皆さんはどっと詰めかける筈。そして、その講師がこの店の職人だと分かれば、店は再び繁盛するだろう、と……かいつまんで言えばそういう事である。
「言いたい事は分かったけどぉ……どういう風の吹き回し?」
「気紛れさ。気紛れ!」
そして、ふとアンドレが髪を掻き上げたその時……長い髪に隠されて分からなかったが、確かに長い耳が見えた。彼はエルフ族の精霊、ファータだったのだ。
「あ、アンタ……精霊だったの?」
「おや、御存じなかった? これはこれは……こう見えて僕は、A.R.O.A.の一員なのですよ。普段はこうしてパティシエをやっておりますが、有事の際にはローラーとナイフをソードに持ち替え、剣士として戦っているのです」
開いた口が塞がらない……と云った感じのセザールとアレクシア。だが彼のアイディア自体は悪い物ではなく、店を立ち直らせる事が出来るなら……と、アレクシアはアンドレの話に乗る事になった。
●教室
「生徒さん達にも、実際にお菓子を作って貰わなくてはいけないからね。この教室を借り切ったよ」
「……賃貸料、払えませんけど……」
「そこはそれ、お店をあんな事にしてしまった僕からの罪滅ぼしさ。キミは気にしなくていいんだよ、マドモアゼル」
ふぅん……と、教室全体を見て回る。調理台は全部で25基、つまり一回の講義で25人に教えられる事になる。広さとしてはまあまあだ。これを1日に4回、一週間続けて期間限定イベントとして開催するのだ。
「全ての卓を見て回るんだ、大仕事だよ? ともすれば、自分が作るより大変だ」
「ふん! お店の評判を取り戻す為なら、やってやるわ!」
鼻を鳴らして、意気込みを露わにするアレクシア。
「あ、でも、日程や時間は決まったけれど、どうやって広告を……」
「心配は要らないよ、A.R.O.A.はマスメディアにも顔が利くんだ。明日の新聞の折り込みを見て、みんなビックリするよ」
またも、唖然としてしまったアレクシア。ここまで来ると、1年前からこの日の事を計画していたように見えるわよ……と。
ともあれ、日程は来週の月曜から一週間、つまり準備期間はあと5日しかない。
一回の講義で一つの菓子を作り切らなくてはならないので、簡単な物しか出来ないが、初心者が対象なので丁度いいだろうという事になり、お題は『パンケーキ』となった。
さてさて、いきなり二代目を継ぐ事になった若きパティシエ―ル・アレクシア。彼女の前途や如何に……
解説
●目的はですね
さてさて、いきなり二代目を継ぐ事になったパティシエ―ルの開くお菓子作り教室・始まり始まり!
お菓子なら何時も作ってるわ、今更パンケーキなんて……というそこの貴女! パンケーキを舐めたらいけません。単純だが奥の深い、素材の味を何処まで引き出せるかも美味しく作るキーになる、基本中の基本なのです。
なお、トッピング等は自由。教室で用意する物は各種小麦粉とベーキングパウダー、卵に牛乳、各種甘味料、香料、バター。とにかく一通りパンケーキ作りに必要な物は揃っています。但し、飽くまでそれは基本となる土台の部分の材料だけ。トッピングの材料は、参加者各位の創意工夫にお任せ致します。
フライパンなどの器具も完備してありますので持参して頂く必要はありませんが、持ち込みも禁止してはおりません。追加の材料を持ち込んでも結構、粉もご自分で納得の行くモノを用意してくれて構いません。
一回の講習は2時間、簡単な座学から入って実習、試食までが大まかな流れになります。
なお、参加費は200ジェール、トッピングに必要な素材は各々で用意する事が条件となります。参加される際には、材料費に何ジェール使ったかを明記して下さいね。
また、パートナー同席での参加が基本なので、神人と精霊が同席していても構いません。
●コンテストじゃないのよ
あくまで『お菓子づくり講座』です。勝負事とは関係ありませんので、そこらへんを勘違いなさらないよう。
●くどいようですが
この教室の真意は、アレクシアがヘタクソでは無い事、彼女のお店『パティスリー・マルセイユ』が美味しいお店である事を証明する事です。
その為にアレクシア自身が皆さんにアドバイスをしますが、主役はあくまで参加者である皆様方。
アレクシアは皆様から質問を受けない限り、本文には登場致しません。冒頭で『さあ、始めて下さい!』と宣言するだけです。
ゲームマスターより
こんにちは! 県 裕樹です。
今回はバレンタインもホワイトデーも外した、季節外れのスィーツ教室をご用意させて頂きました。
なお、『なぁんで女性限定なんだよぉ! 男だって菓子を作りたいぜ』と仰る御仁、ゴメンナサイ。こればかりは……マスターの性格上ダメなんです。ただし、神人と一緒にやって来て、精霊が抗議を受けるのはアリなのでその辺はご安心を。
ハピネスなので、ほのぼのと楽しく、皆でお菓子作りを楽しみながら、彼女や彼の意外な一面を見出すというのも、面白いんじゃないでしょうか♪
リザルトノベル
◆アクション・プラン
ハロルド(ディエゴ・ルナ・クィンテロ)
パンケーキ…パンケーキ? ディエゴさんに教えてもらった事あったかな? ディエゴさん甘いもの苦手って言ってたから、確かお菓子の作り方は教わってなかったかも…。 作るんだったら… ディエゴさんに美味しいっていってもらえるようなパンケーキを作りたいな。 彼のために作るのなら… シンプルで甘さ控えめの方がいいよね。 コーヒーマーブルとか良さそう、つけあわせにオレンジとかレモンを添えて… でも難しそうだから、アレクシアさんに作り方を教えて貰おうかな。 記憶をなくす前はどうだったかわからないけど、少なくとも今の私はディエゴさんより食べ物を作る腕は良くないと思う…だけど、喜ばせたいって気持ちは沢山あるよ。 |
班目 循(チェスター)
ニヤケ面(チェスター)に「女の子なんですから料理ぐらい…」とイヤミを言われたからね 僕だって多少は出来るというのを見せてやるさ。 僕はチョコバナナケーキだ 必要な材料はパシリに用意させる。ほかの参加者との試食会用を考え少し多めに用意。 基本の材料にココアパウダーとヨーグルト、カットしたバナナを入れてしっかり混ぜる。 生地にヨーグルトを入れるとふっくらすると本で読んだから、物は試しだ。 焼く工程は先生やほかの参加者を参考にする。上手く焼けたらチョコソース、バナナでデコレーション、本をモチーフに盛り付けだ! ふふ、僕だってやれば出来るじゃあないか。 他の参加者と試食会。ふふ、僕も甘いものは好きだからね。楽しみだ! |
七草・シエテ・イルゴ(翡翠・フェイツィ)
材料 私物の割烹着、蒸しタオル 米粉、豆乳、豆腐、フルーツ缶、マーガリン、蜂蜜、アラザンで387ジェール使用 パンケーキ生地を米粉と豆乳と豆腐で作り、2枚焼きます タオルで蒸した後、2枚の間にフルーツを挟む パンケーキが熱い内に一番上をトッピング 蜂蜜をさっとかけて、中心にマーガリンを 仕上げはアラザンを飾り、粉糖をふるって完成です 「どうぞ召し上がって下さい」 皆さんに自分のをお裾分けしつつ、皆さんのも試食 翡翠さんも味見しますか? あと、どんなパンケーキが好きか教えて下さい 今度作りますから……って!私の分、取らない! 今日もまた一つ良い思い出ができました 翡翠さん、お付き合いありがとうございます |
リヴィエラ(ロジェ)
リヴィエラ: 【調理】 何だかロジェ様が張り切っているんです。 もしかして甘い物がお好きなのかしら…? そうだとしたら、私頑張ってパンケーキを作ります! 例え以前ロジェ様に『お前は台所に立つな』と言われた事があっても…! わかりました、ホイップクリームを混ぜるのですね。 …あっ。…い、今私が入れたのは砂糖? 塩? 【試食】 ふふ、他の皆様にも、パンケーキのお裾分けです。 あ、あら? …私が入れたのは塩だったの? うぅ、凄くしょっぱいです…。 でもロジェ様は食べてくださっています…良かった。怖い時もあるけれど、本当は優しい方です。 …あぁっ、他の皆様にもお裾分けをしていたんだったわ! 大変、謝りに行かないと…! |
●開場30分前
「……嘘……」
「いいえ、紛れもない事実です。言ったでしょう? 僕が参加する事が、大きな宣伝効果を持つと」
未だ、信じられない……と云う感じでビルの窓から、入り口に出来た行列を捌く警備員たちが忙しそうに動いているのを見て、アレクシアは呆然としていた。いや、人が集まらなくては困るのだが、ここまでの盛況となるとは予想外であったらしい。
「ともあれ、これはまだプロローグに過ぎない。これが一日4回、一週間続くのですから……大変ですよ?」
「ちょ、ちょーっとビックリしただけよ! 私だってプロのパティシエールなんだもん、このぐらいこなしてみせる!」
ふん! と鼻を鳴らすアレクシアを見て、アンドレはクスッと笑った。人にモノを教えるという事がどういう事か、手を出す事の出来ないもどかしさがどれだけイライラするか……兎に角、自分で作るのとは比にならない辛さが待っているのですよ、と。
しかし、これをこなす事が出来れば、アレクシアと『パティスリー・マルセイユ』は一躍有名となり、寂れた店を盛り返す事が出来るようになる。この素人相手のお菓子作り教室の真意は、まさにそこにあったのだ。
●ご挨拶
「えー、本日は『パティスリー・マルセイユ』店主のアレクシア・ベシェントリが主催するお菓子作り教室にお越し下さり、誠にありがとうございます。なお、特別講師と致しまして、アンドレ・オーリック氏をお招きしております。初めてお菓子作りに挑戦する方はお菓子作りの楽しさを学び、経験者の方は更なる腕前の上達を目指して頑張ってください」
ここでペコリとお辞儀をすると、ワッと拍手が起こった。そして諸注意などを簡単に行った後、簡単な座学を行い、いよいよ実習の時間となった。教える方も、教わる方もまさに真剣そのもの。何せ、アレクシアは『人に教える』のは初めてなので、質問された時にどう答えれば良いか、それだけで頭が一杯だったのである。
(いざと云う時は、助けて下さいね!)
(良いですけど、なるべく貴女がやらないと意味が無いのですよ。貴女が優秀な職人である事を証明する為に、この教室を設けたのですからね。本当にピンチになったら助けてあげます、それまでは頑張ってくださいね)
……と、裏でそんなやり取りがあった事は、参加して来た彼女たちは知らなかった。
●リヴィエラさんの場合
「……おいおい、卵を握り潰すつもりか?」
小麦粉と牛乳を配合し、更に卵を割り入れようとしていた『リヴィエラ』に、『ロジェ』が呆れ顔でツッコミを入れていた。彼女は『頼むから台所に立たないでくれ』と言われた程の腕前の持ち主である為、それを何とかしようとこの教室にやって来た。無論、一人ではない。普段は勇ましく戦うウィンクルムの仲間数名と語らい、話の合った者が集まってここに集ったのだ。左右に目を配れば、彼女たちの姿が目に入る。皆はどんなものを作るのだろう……それも気になるが、先ずは自分の課題をこなさなくてはならない。しかし、頑張らなくちゃ、失敗しちゃダメだ……そう考えれば考えるほど肩に力が入り、動きはぎこちなくなっていく。
「こ、この分量なら、卵は……えぇと……あぁっ、殻が入っちゃった!!」
「……それ、後で皆に味を見て貰う話になってたよな、大丈夫なのか?」
「だ、大丈夫ですっ! き、きっと美味しく作ってみせます!」
そうやって生地の入ったボウルと格闘するリヴィエラだが、彼女は『自分の力で事を成し遂げる!』と張り切っていた為、講師に手助けを求める事はしなかった。が、どう見ても一人で最後まで作れるとは思えない。
「リヴィー、先ずはパンケーキ自体を上手く焼く事を考えろ。俺がホイップのコツを聞いて来てやる」
「で、でも……」
「目玉焼きもろくに焼けん奴が、一遍に上達できる訳ないだろ? 慌てず、ワンステップずつ階段を上るんだ」
「はいぃ……」
ガックリと肩を落とすリヴィエラだったが、ロジェの言は正しい。功を焦って全てを台無しにしては大変だ。そう考え直し、先ずはパンケーキそのものを上手く焼く事に専念する事にしたのだった。
●七草さんの場合
「今日は皆さんに味を見て頂くのだから、少し張り切りましょう」
『七草・シエテ・イルゴ』は会場に用意された素材には一切手を付けず、器具だけを借りて調理に掛かっていた。まず粉は小麦粉ではなく米粉を使い、そこに牛乳ではなく豆乳と豆腐を配合して巧みに生地を混ぜ合わせていく。それを見ていたアレクシアは『あんな方法があったのか!』と、逆にメモを取る始末だった。アンドレが眉間を押さえながら首を振っていたのも無理はない。
「俺の出番はなさそうだな」
「膨れないでくださいな。お味見の時に頑張って頂きますから」
ニッコリと微笑みながらそう切り返すシエの仕草を、やや退屈そうに見守る『翡翠・フェイツィ』。彼は本当に出番が無いので非常に退屈そうだった。しかし会場内をウロウロする訳にもいかないので、優雅そのもののシエとは対照的に必死に素材と格闘するリヴィエラの方に目を向けた。彼女はどうやらパンケーキ自体はどうにか焼けたようで、トッピングに使うホイップクリームの作成に掛かるところだった。生クリームに甘味を付けてから泡立てる訳だが、そこで彼女が手に取った瓶を見て翡翠は思わず声を上げた。
「な、ちょ、アンタ! それ!」
「え!?」
いきなり声を掛けられたリヴィエラは驚いて、計量スプーンに計ったそれをドサッと生クリームの上に落としてしまった。
「な、何かありましたか?」
「い、いや……何でもねぇ、悪かったな。脅かしてよ」
翡翠は見て見ぬふりをしたが、どうやら傍らのロジェは彼が何を言おうとしたのかハッキリと分かっていたようだ。そう、リヴィエラはグラニュー糖と間違えて塩を生クリームに投入していたのである。
(……どんな味になるんだ?)
(さあ……流石に味を見た事が無いのでね)
状況を把握していた二人の精霊は、本人には聞こえぬようにコソコソと耳打ちで会話をしていた。無論、その額には汗をかきながら……
●循さんの場合
「何だか騒がしいようだが……何を慌てているのだか。さて、僕だって少しは女らしい事も出来るのだと、証明してやるからな」
「楽しみにしておりますよ、循様」
相変わらず薄笑いを浮かべたような表情の『チェスター』が、『班目 循』に少々意地悪っぽく声を掛ける。循はまず本を参考に粉や卵、牛乳などを配合して生地を作って行く。同じ初心者でも、教科書通りにキチッと冷静に事を進める辺りが、緊張して手元が狂いまくりのリヴィエラとは違うところであった。が、生地の配合が終わった所で彼女はピタリと手を止め、再び本を手に取って『よし、これにしよう』と言っておもむろにメモを取り出し、何やら書き出している。そして……
「おい、ニヤケ面! ここに書いてあるものを買って来い、大急ぎだ」
「……御冗談を」
「僕は冗談が嫌いだ。皆の分もあるから、多めにな。50ジェールもあれば足りるだろう?」
大真面目な顔で、メモとお金をチェスターに手渡すと、循は『やれやれ、一休みだ……』と云った感じで生地の入ったボウルに布巾で覆いをして椅子に腰かけ、本を読み始めた。
「何をぼやぼやしている? 時間が無くなってしまうじゃないか」
「本当に何も持って来なかったんですね……」
「材料は買いたての物を使いたいのでな」
それを冗談で言っているのではないという事は、彼女の表情と声色から窺い知る事が出来た。メモには『ココアパウダー、ヨーグルト、バナナ、チョコレート』と書かれている。探すのに手間のかかる物ではないが、何故に講義が始まってから用意させるのか、それがチェスターには分からなかった。しかし、これが循の『照れ』の裏返しである事は、彼女だけの秘密であった。要するに、少々意地悪な素振りを見せる事で本心を隠す、一種のツンデレである。が、チェスターに言わせるとそれだけに収まらず、『高圧生意気クーデレ系眼鏡っ娘』であるという。無論、それを本人に言う事は無かったが。
●ハロルドさんの場合
「……」
「……」
「ハリー、眺めていてもパンケーキは出来上がらないぞ」
「……懐かしい感じがして……昔作った事があるような、そうでないような……」
人間としての基本動作を含む、全ての記憶を失った経験を持つ『ハロルド』がそう言うと洒落にならない。が、もうそのようなやり取りも慣れたものだという風に『ディエゴ・ルナ・クィンテロ』が『時間が無くなるぞ』とけしかける。
「……大丈夫、そんなに凝った物を作るつもりはないから」
ディエゴは甘いものが好きではないので彼の為にパンケーキを作った事は無いが、自分用に何度か作った事はある。それに独自のアレンジを加えた物を彼女は用意していた。
分量通りに材料を配合してから、彼女はコーヒーを濃い目に淹れ始めた。成る程、周りが甘味で決めるならこちらはビターで行こうという考えか、とディエゴは頷いた。しかし、マーブル状にする為のコツが分からない為、ハロルドはアレクシアを呼び止めてコツを聞いていた。
「こういう場合、少しずつ生地に混ぜ入れながら粗めにかき混ぜると、綺麗なマーブルになりますよ」
「……有難うございます」
そして程よくコーヒーが配合された生地を、バターを溶かしたフライパンで一枚ずつ丁寧に焼いて行く。目立った行動は無いが、確実な仕事捌きだ。恐らく、全てを覚えなおしたばかりなので『真面目にやるしかない』のだろう。つまり、遊び心を挟み込む余裕が無いのだ。しかし、それだけに彼女は真剣だった。そして甘味を抑えたビター風味のベースをチョイスするあたり、ディエゴの好みを狙った物である事は確実だった。
●続・リヴィエラさんの場合
「さて! あとはトッピングをするだけですね。私にしては上出来です、シンプルな物を選んだのが正解だったみたいです」
リヴィエラはまだホイップクリームに塩を入れてしまった事に気付いていない。恐らく漬物並みに塩辛いクリームを満面の笑みでパンケーキに飾り付け、その上に苺を乗せている。
(うう、このままでは塩辛いパンケーキを食べる事に……って云うか、これ全員で試食するんじゃなかったか!?)
自分だけが辛い思いをするならともかく、これを全員に食べさせたらアレクシアの評価に影響する。それは何とか回避したい。だが……と、同じく事情を知っている翡翠に目線を送ると、彼は自分の方に向けて十字を切っているではないか。
(たっ、頼みの綱が……くっ、かくなる上は……!!)
ロジェは生唾を飲んでカラカラになった喉を潤しながら、覚悟を決めていた。アレクシアの評価を上げる為、他の皆に辛い思いをさせない為に……
●続・七草さんの場合
「さあ、ベースは焼けました。あとはトッピングですね」
焼き加減も上々だったのか、シエはご機嫌で飾り付けを行っていた。二枚のパンケーキの間にフルーツの缶詰を敷き詰め、熱があるうちに素早く蜂蜜と四角くカットしたマーガリンを乗せ、アラザンをあしらって、仕上げに粉砂糖をふるって完成。仕上げの粉砂糖が銀色のアラザンに被り、まるで雪景色のようにキラキラと輝く美しい仕上がりとなった。恐らく味の方も上々だろう。
(ロジェ、すまねぇ……骨は拾ってやるからな)
美しい仕上がりのパンケーキの向こうに、ロジェに向かって憐みの視線を送る翡翠が居る。この時ロジェは、やはりリヴィーを厨房に立たせるべきでは無かった……と心から後悔していた。
●続・循さんの場合
「……遅かったではないか」
「む、無理言わんで下さい……まさか講義が始まってから買い出しに走らされるとは思ってなかったんですから」
いつもは薄笑いを浮かべているような表情のチェスターも、流石に息を切らせて苦しそうな顔になっている。その手に握られている買い物袋の中には、注文通りの品がしっかりと揃っていた。
「よし、取り掛かるか」
循はまず、あらかじめ混ぜ合わせてあった生地にココアパウダーを混ぜ合わせ、更にヨーグルトを加えてフンワリ感を向上させる工夫を施した。これが先刻本で仕入れた知識だったらしい。そして刻んだバナナを混ぜ合わせて生地は出来上がった。
「……焼かないんですか?」
「おいニヤケ面、ちょっとスパイして来い」
「そんな事しなくても、お隣さんとか前の人のをカンニングすれば良いじゃないですか」
「人聞きの悪い、参考にさせて貰うだけだ」
……やはりフライパンに敷くのは普通の油よりバターが良いらしい。但し使い過ぎるとココアの香りまで飛んでしまうので、適量を見極めるのが難しかった。そこで敢えて一枚犠牲にして少々多めのバターを溶かして焼成し、味見をして適量を見極めた。この辺の勘と云うか計算能力は優れているらしく、どの程度加減をすれば上手く焼けるかは一枚焼けば分かるようだ。
「最初の一枚、勿体無いですね」
「じゃあ食べるか? 僕の食べ掛け……や、やっぱり僕が食べる!」
「カロリー気にしないんですか?」
「……乙女心の分からん奴め」
最後にボソッと呟いた一言は、チェスターの耳には届かなかった。要するに自分の食べ掛けをあげるという事は、間接キス成立であり……彼女にとってはとても恥ずかしい事だったのだ。
「ふん、多めに材料を用意しておいて正解だったな。一枚犠牲にしても皆の分が焼ける分量だ」
「凄いですね……女子らしい事は苦手だと思っていたのに」
「何か言ったか?」
「何でもありません」
ふん……と鼻を鳴らすと、いよいよトッピング。とことんチョコバナナで統一しようと決めていた彼女は、まず上面にバナナをあしらい、そこにチョコソースで絵を描いてコミカルに仕上げた。因みに描いたのは猫やウサギなどの小動物系をデフォルメした、如何にも女の子らしいものだった。
「意外だ、意外過ぎる……」
「食べさせてやらんぞ」
「そ、そんな! 使いっ走りやらされた挙句にご褒美なしじゃ、あんまりですよぉ」
「ま、真に受けるな……それに声が大きい、みっともないではないか……ちゃ、ちゃんと君の分もあるから心配するな」
……今度はチェスターの勝ちであった。わざとゆさぶりを掛けたら見事にヒット、循は赤面しながら彼を宥めに掛かった。
(なんだかんだ言って、やはり女の子なんですねぇ……可愛い所もあるじゃないですか)
チェスターは腹の中でニヤリと笑っていた。
●続・ハロルドさんの場合
コーヒーマーブルのビター風味パンケーキは良い香りを放っていた。あとはトッピングだけなのだが、折角ベースだけで美味しいものが焼けたので、それを上物で隠してしまうのは勿体無いと思ったのだろう。それに、ディエゴはごてごてとしたトッピングを好まないだろう。そこで彼女が選んだのはオレンジ。これの皮をむき、花をあしらうように配置していく。ただそれだけ。しかしベースが綺麗なマーブルなので仕上がりはシンプルながら美しいものとなった。
「美味そうに出来たじゃないか」
「……一所懸命、作ったから……」
「よしよし、上出来だ」
ポンとディエゴの大きな手が、ハロルドの小さな頭の上に乗る。子供をあやすような仕草だが、彼女はこれが好きだった。感情を表現するのが上手な方では無い為に無表情に見えるが、実はこの時、彼女は飛び上がってはしゃぎたいほど嬉しかったと後に語っている。
●講習が終わって
「はい皆さん、お疲れ様でした! 全員の方が飾り付けまで完成出来たようなので、講習はこれで終わりになります。なお、改善したい所や分からなかった所がある方は、この後設けてある試食の時間を利用して質問しに来てくださいね! そして御自分のお菓子の出来栄えは、ご自身で採点なさってください。これはコンテストでは無く、講習会なのですから」
アレクシアの号令と挨拶を兼ねた一言で、講習はお開きとなった。無論、試食の後には後片付けが待っているのだが、それは度外視である。
リヴィエラ達ウィンクルムのグループは兼ねて打ち合わせの通り、皆で集まって試食会を行う事になった。
まず最初に注目を集めたのは、シエ作の米粉パンケーキである。最も豪華で、工夫の点でも最上位と言えるだろう。
「すっご、フワフワだ!」
「二段重ねになってる所も泣かせるー! トップの蜂蜜バターの甘さを、中のフルーツが中和してくれるんだ!」
「でも、それだけじゃこのフワフワ感は出ないでしょ、何か秘密があるね?」
「えへへ、何とお豆腐を練り込んであるのですー! その分粉を加減しているので、弾力よりフンワリ感の方が勝ったのです!」
ぐぬぬ、と些か悔しそうになっていたのは循だった。フンワリ感の演出は自分のヨーグルトの方が優っていると思ったのだが、これには敵わない。しかしフンワリ感ではシエに軍配が上がったが、中身の充実感では循の圧勝だった。トッピングは勿論、生地の中にまで仕込まれたバナナの甘さと僅かな酸味、それにヨーグルトによるフンワリ感の演出も評価され、豪華版と云う面ではこの二人がトップを争った。
続いてシンプルさで勝負! のお二方。ハロルドとリヴィエラである。
先ずはハロルドのコーヒーマーブルケーキが皆を驚かせた。先の二人の作品が甘味に拘った作だった所為もあってか、ビターなケーキ部分とオレンジの酸味が絶妙に溶け合った味わいが見事であった……が、評価されたハロルド自身はそれどころではなかった。
「ディエゴ様、どうして食べて下さらないのです?」
「食べる、食べるよ。ただし、『あーんして』は勘弁してくれ、恥ずかしいじゃないか」
「あら、私にこうされるのはお嫌?」
「そ、そうじゃないが……こら、お前ら! あっち向いてろ!!」
普段クールに決める彼が、ここまで狼狽えるのは珍しい。あっちを向けと言われれば、当然そっちを向くだろうと全員の視線に晒されながら、ディエゴはハロルドのケーキを美味しく頂いたそうである。但し、照れが先だってしまって味は殆どわからなかったと彼は後に懐述している。
そして、最後に回されたリヴィエラのパンケーキ・ホイップ苺添えであるが……男連中はともかく、幾らスィーツ好きの女子とはいえ4枚目は少々きついと見えて、食べるのを躊躇っていた。
「あ、あのぅ……お腹いっぱいですよね? 無理して食べて下さらなくても……」
「そ、そうですか? そう言って頂けると助かります……実は、もう苦しくて……」
リヴィエラの言に反応したのはシエであり、他の2人も同じくギブアップ宣言をしていた。無理も無い、小ぶりとは言え甘味を強めた菓子をそうバクバク平らげられる女子が居たら実際怖い。だが、実はこれを狙っていた男がいたのだ。ロジェである。
「む……仕方ないな、ウチの神人さんが作った物だからな。俺が頂く事にする」
そう言って、塩の効いたホイップ掛けパンケーキをムシャムシャと腹に収めていく。しかも、実に美味しそうに、である。
「……毎日フライパンを新調する羽目になるリヴィーにしては、上出来だ。美味いぞ、このパンケーキ」
実際、パンケーキ部分は良く焼けていた。彼女の今までの最高傑作と言っても過言ではないだろう。
「そ、そんなに美味しいのかしら……では、私もちょっとだけ……」
「ぶっ! よ、よせ!!」
「……!! ロジェ様、これは……」
あちゃー、と後ろ頭を掻くロジェ。一番ばらしたくない相手に真相がばれてしまい、参った、と云う顔になる。が……
「……焼き方はまぁ、及第だ。いつもこのぐらい出来るように頑張れ」
「はいっ!!」
そう返事をした時、彼女の目が僅かに潤んでいたのは、塩辛さの所為ではないだろう。少なくとも、翡翠にはそれが分かっていた。無論ロジェ本人にも。
そして余談ではあるが、この講習会が終わった後、アレクシアの店は口コミで評判が広がってそこそこの繁盛ぶりを見せる事となり、父を顎で使う娘の姿が名物になったという……合掌。
<了>
依頼結果:大成功
MVP:
エピソード情報 |
|
---|---|
マスター | 県 裕樹 |
エピソードの種類 | ハピネスエピソード |
男性用or女性用 | 女性のみ |
エピソードジャンル | イベント |
エピソードタイプ | ショート |
エピソードモード | ノーマル |
シンパシー | 使用不可 |
難易度 | 簡単 |
参加費 | 1,000ハートコイン |
参加人数 | 4 / 2 ~ 5 |
報酬 | なし |
リリース日 | 04月02日 |
出発日 | 04月08日 00:00 |
予定納品日 | 04月18日 |
参加者
- ハロルド(ディエゴ・ルナ・クィンテロ)
- 班目 循(チェスター)
- 七草・シエテ・イルゴ(翡翠・フェイツィ)
- リヴィエラ(ロジェ)
会議室
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2014/04/07-22:55
出発時刻、二時間を切ったね。
プラン提出まだの人は頑張って。出した人はお疲れ様。
……僕はこれから頑張る。
試食会の件、了解したよ。僕の方も書いておく。
では簡潔にですまないが…もう少しプラン粘ってくるよ。
じゃあ、お菓子教室で会おう! -
2014/04/07-20:16
試食会ですか~面白そうですね
プランに書いておきます! -
2014/04/07-17:11
パンケーキのお裾分け、素敵なアイディアですね!
さっそくプランに盛り込んでみます。
き、緊張してきました…美味しいパンケーキを作らなきゃ(ぐっ) -
2014/04/07-01:51
ハロルドさん、こんばんは。
循さん、初めまして。
シエテといいます、よろしくお願いしますね。
私は米粉と豆乳と豆腐で作った生地で
フルーツカクテル(缶詰に入っている方)をサンドしたものを考えています。
一番上は今のところ、悩んでいます。
>バラバラな方が面白い
皆さんのパンケーキを一部試食し合えたら楽しそうですけど、お時間があるでしょうか……? -
2014/04/06-23:00
いえいえー、よろしくお願いしますね。
私は…そうですねぇ
コーヒー味でレモンかオレンジをトッピングしようかなって思ってます
甘党だから甘くないもののさじ加減がわかりませんが -
2014/04/06-20:47
おおっと、僕としたことが更新忘れを……ごめんね、ハロルド。
改めて三人ともこんばんはだ。
そうだな……僕は生地にチョコを混ぜ込んでみようかと思っている。
まあ被っても問題なさそうではあるが、できるだけバラバラな方が面白そうだしね -
2014/04/06-12:13
(照れながら)は、はい! シエテ様、循様、宜しくお願いします。
ハロルド様、この前はケガの手当てをありがとうございました(お辞儀)
私たちは、苺とホイップクリームをトッピングしようかと思っています。
ちゃんと作れるかどうか、とてもドキドキしています。
うぅ、調理場で爆発を起こしたら申し訳ございません。 -
2014/04/06-01:48
二人共、こんばんは。
初めまして。僕の名前は班目循。そこのニヤケ面の執事はチェスター、僕の精霊さ。
まあ雑用にでも使ってやってくれ。
ふむふむ、本では読んだことがあるが……このようなモノからパンケーキが作れるのだな。
興味深い。まあ僕ならレシピどおりに出来るはずだ。……多分
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2014/04/06-01:32
はじめましての方ははじめまして、そうでない方はこんばんは
ハロルドです、よろしくお願いします。
ほんとはチョコマーブル派だけどディエゴさんのために作りたいから
甘さ控えめのものにチャレンジしてみる。 -
2014/04/06-01:05
パンケーキはメープルよりバニラアイス派。
七草シエテです。
リヴィエラさん初めまして
翡翠という精霊と参加しますから、どうぞよろしくお願いします。
当日、お借りできるか尋ねたい所ですけど、
衛生面を考えたら、自分で持ち込んだ方がいいかもしれませんね……。 -
2014/04/05-00:18
こんにちは、リヴィエラといいます。
パートナーはプレストガンナーのロジェ様です。
お、お料理はあまりした事がないのですが、アレクシア様のお店の繁盛の為に
頑張ってパンケーキを作ります!
あっ、え、エプロンって必要なのかしら。
あわわ、どこに置いておいたかな…(あたふた)