《贄》都忘れ(巴めろ マスター) 【難易度:とても簡単】

プロローグ

●最後の一日
「これでよし、と……」
 パートナー精霊の見舞いに向かう用意を整えて、貴方は小さくひとりごちた。慣れない見舞いの準備も5日目ともなれば、ある程度手際も良くなってくる。
「早くA.R.O.A.本部に行かなくっちゃ……彼が、きっと待ってる」
 見舞い先が彼の自宅でも病院でもないのは、彼の罹った病が、酷く特殊なものであることに由来している。そのことを思うと、貴方の胸を、ちくり、痛みが刺した。
(今日が、彼に会える最後の日なんだ……)
 未だに実感の湧かない、けれど、逃げようのない事実。彼は明日には病死する。そういうことになっている。けれど真実は違うと、貴方はそのことを知っている数少ない人間だった。彼は明日、A.R.O.Aに密かに殺されるのだ。彼が未だ公にはされていない病を患って今日で5日目。明後日の朝が来るまでに、彼は世の平穏のために死ななくてはならない。――彼の病は、罹患して7日目の夜明けと共にオーガに堕す奇病だった。病の密かな流行を知るのは、政府とA.R.O.A.に所属する一部の人間、病に罹った精霊本人、そしてウィンクルムの片割れのみ。
(私は、この世界の均衡がとても危ういものだと知ってしまった。街にはびこる平和が、仮初めのものだと知ってしまった)
 それでも、私は彼に会いにいこうと、貴方は荷物を手に立ち上がる。彼の死の瞬間には立ち会えないと定められた身だからこそ、彼と過ごす最後の一日を大切にしたかった。
(さあ、行こう)
 現実から逃げ出すことを許さぬ堅牢な牢獄の如く病室で自分を待つ、大切な人の元へと。

 此処は『フィヨルネイジャ』が生み出した幻想の世界だと気付くことなく、貴方と彼は最後の日を迎え、そして終える。

解説

●『フィヨルネイジャ』について
ウィンクルムしか訪れることができない天空島。
訪れたウィンクルムに、現実ではありえない不思議な現象が起こります。
今回はプロローグのような内容の白昼夢をパートナーと共有することになります。
お二方がこれは夢だと認識することはございません。

●白昼夢について
大体プロローグの通りです。
精霊さんが『7日目の夜明けと共にオーガに堕す奇病』に罹って5日目。
オーガと化す前に彼は殺されることが決まっており、お二方の気持ちに関わらず、状況が逃げ出すことを許しません。
精霊さんのいる病室(一人部屋)は大きな病院のようにきちんと設備が整っていますが、逃走を防ぐため窓がなく、外には見張りがいます。
精霊さんは7日目の夜明けまでは問題なく自我を保てますが、病の影響で性格に多少の歪みが生じるという場合もあるようです。
オーガ化の兆候として、彼の頭部にはディアボロの物とは異なるオーガの角が小さく生えかけています。
精霊さんは角以外は姿を保ったままでオーガになりかけていますが、どのランクのオーガになるかは不明のため描写いたしかねます。
なので、『間もなくギルティになってしまう』等の表現はNGです。
リザルトでは病室での出来事を描写いたしますので、プランではその部分について思いの丈をぶつけていただければと。
なお、武器等は病室には一切持ち込めず、病の影響でトランスも出来なくなっております。
自殺や殺し(例:神人さんが精霊さんを殺す)等の描写はNGとさせていただきます。

●消費ジェールについて
気付いたら300ジェールがなくなっていました。ご容赦ください。

●その他の注意事項
白紙プランや公序良俗に反するプランにご注意ください。
また、このエピソードでの出来事はすべて白昼夢ですので、この病は実際には存在しないものとなっております。
なお、親密度によってプランを採用できない場合がありますことをご了承くださいませ。

ゲームマスターより

お世話になっております、巴めろです。
このページを開いてくださり、ありがとうございます!

こーやGM主催の連動エピソード、《贄》に参加させていただきました!
タイトルの『都忘れ』は花の名前で、花言葉は『しばしの慰め』『別れ』です。
大切な人との最後の時間をどのように過ごすのか、皆さまの素敵プランをわくそわしながらお待ちしております!
皆さまに楽しんでいただけるよう力を尽くしますので、ご縁がありましたらよろしくお願いいたします!

また、余談ですがGMページにちょっとした近況を載せております。
こちらもよろしくお願いいたします。

リザルトノベル

◆アクション・プラン

手屋 笹(カガヤ・アクショア)

  今日がカガヤと会える最後の日…ですか…
…行きましょう…

(病室へ)
カガヤ、笹です。入りますよ。

ええ、見えますよ。
(やっぱりというか…手が震えていますね…
これから死ぬ事が分かっているのに怖くないわけはない…
ですよね…)

(カガヤの頭を抱きしめる)
カガヤ…わたくしは貴方がこの5日間気を張って
頑張っていたのをよく知っています。
…他の方が居ない状況ですし
わたくしの前では「格好いいウィンクルム」ではなく
「カガヤ」で居て良いのですよ…。

わたくしも…守られるなら貴方が良かったです…
貴方に今まで守ってもらえて頼もしかったです…

お別れですね…
(カガヤの額に自身の額を当て)
カガヤ…どうかゆっくりおやすみなさい…



日向 悠夜(降矢 弓弦)
  ●心境
…明日弓弦さんは死んでしまう
彼もまた、私を置いて逝ってしまう
……いけない、私は笑顔でいないと

病室に入ったら弓弦さんがまだ元気な事を確認してほっとするね
無理をしてでも笑顔で接するよ

昨日弓弦さんに頼まれたアルバムを持ってきたから
一緒に写真を見ながらその旅先の思い出を語るね
楽しそうな弓弦さんを見てると、言葉が詰まるよ

…笑顔の事を弓弦さんに突かれたら私は駄目になってしまうよ

手を握られたら、ハッと顔を上げるね
弓弦さんの言葉には彼の顔をじっと見て聞くよ
…弓弦さんの表情は何時もの彼だけど、その瞳に恐怖を感じるよ
けれど、けれども、彼の最後の頼みには
私は頷くしか出来ないよ

●持ち物
旅先で撮った写真のアルバム



リヴィエラ(ロジェ)
  ※ショック過ぎて既に現実を見れていない状態

リヴィエラ:

(花を抱えて)ロジェ、今日もお見舞いにきましたよ。
うふふ、もう、ロジェったら。唯の風邪なのですから
あまり気に病んではいけませんよ♪

(ロジェの体をタオルで拭きながら、彼の話を聞き)
うふふ、はいはい♪ 大丈夫ですよ。
もし貴方が本当にオーガと化す事があっても、貴方を愛していますから。
(微笑んでロジェに口付ける)

(係員の手によって部屋の外に出され、涙を流して歌う『スキル・歌唱レベル4』)
ロジェ…私が歌えば、貴方は私を迎えに来てくれるって仰ったじゃ…ありませんか…
うっ、ぐすっ、あああぁぁぁああッ!!!(崩れ落ちて天を仰ぐ)



ミオン・キャロル(アルヴィン・ブラッドロー)
  ■心情
行きたくない、扉を開ける手が震える
嫌だ

■行動
せめて元気に
「今日は空と海の写真を持ってきたの、窓くらい欲しいわよね」
壁には沢山の風景写真
「キッシュ作ったわ、食べましょう」
食べ始めると会話が途切れる
もっと料理を覚えてたら良かった
何か楽しく話さないと
口を開くとぐっと涙が我慢したいのに溢れてくる

「会ってからの事、沢山思いだすの
2人だから頑張れたって今更気付いたわ
…1人でも大丈夫って言えたら良かった…!」

「こんなのって…ないっ!!」
1つだけちゃんと伝えないと
「私、あなたの事が…っ!?」

「ありがとう」最後くらいは笑いたい

■現実
あ、あ、バレてる、バレた!?
ちらっと相手を見る
…何かいつもと変わってない



ペディ・エラトマ(ガーバ・サジャーン)
  最後まで絶対に取り乱さないように自分に言い聞かせるわ

「ガーバ?今日もお邪魔させてね」
調子はどうとかは言えないわね
ガーバはもう覚悟を決めたみたい

頼みは快く引き受けるわ
私からも頼みごとを
「その代わり、抱いてくれる?子供の時みたいに」
子供の時みたいにガーバの身体に手をまわしてみるわ
「10年経つもの。重くなったでしょ?」

「髪の一房でももらいたいけど…少し短いわね」
トランスできないことは分かっているけど、ガーバの求めに応じるわ
ガーバは本当に最後まで「強いお兄さん」だわね

ガーバを憐れむのは、覚悟を決めたガーバへの侮辱
でも少し理不尽だわ
「ありがとうガーバ。その時がきたら、必ずあなたにも会いに行くわ」



●君を縛る満月
(不思議だ)
 読んでいた本から面を上げて、降矢 弓弦は窓のない病室の迫るような灰色へとぼんやりと視線を遣った。
(明日死ぬというのに心は凪いでいる。彼女を置いて逝くというのに……)
 何気ない日常の続きのように、弓弦は穏やかな時間を過ごしている。この先の未来を知らないわけでも、目を逸らしているわけでもない。それなのに、常のように読書に興じているのが自分でも不可解だった。と、その時。
「おはよう、弓弦さん」
 病室の扉を開けて、分厚いアルバムを抱えた日向 悠夜がひょこりと顔を出す。弓弦の元気そうな様子にほっと安堵の息を吐いた彼女は、弓弦とは対照的に胸中に重い塊を抱えていた。緩く向けられる金の眼差しに、つきり、胸が痛む。
(……明日弓弦さんは死んでしまう。彼もまた、私を置いて逝ってしまう)
 自然と脳裏に浮かぶのは流星融合の際の出来事だ。あの時と同じように、悠夜はまた失わなくてはならない。けれど。
(……いけない、私は笑顔でいないと)
 と、悠夜は無理矢理にそのかんばせに笑みを乗せた。上手く笑えているかはわからないけれど、出来ていると信じたい。
「ほら、頼まれてたアルバム、持ってきたんだ。一緒に見よう」
「ありがとう、悠夜さん。悠夜さんの旅の話、聞きたいな」
 勿論、と作り笑顔でにっこりとして、悠夜はベッド脇のパイプ椅子へと腰掛けた。ベッドの縁に座り直し、悠夜が開いたアルバムの頁を覗き込んで。幾らも並ぶ写真の数々に、弓弦が顔を綻ばせる。写真を一つ一つ指で差しながら、悠夜は思い浮かぶままに旅先での思い出を語った。頷きや相槌を挟みながら楽しそうに話に聞き入る弓弦の姿が、悠夜の胸を詰まらせる。声が震えた。それでも懸命に、悠夜は出来るだけ明るい声で言葉を紡ぐ。
「……この時はね、大変だったんだよ。でも、すごく綺麗な場所で……」
 弓弦さんにも見せたかったと口にしようとして、その過去形の重みに悠夜は遂に言葉を詰まらせた。それでも何とか笑顔を取り繕い、声を励まして話の続きを語ろうとする悠夜を、
「悠夜さん」
 と、弓弦がやんわりと止める。
「笑顔も、無理をしなくて良いよ」
「……!」
 胸を突かれたような衝撃を確かに覚えて、悠夜は今度こそ声を失った。その顔から、笑顔の仮面が呆気なく剥がれ落ちる。俯いて涙を堪える悠夜の手を、弓弦はそっと握った。ハッとして顔を上げる悠夜。
「悠夜さん、僕の後悔を聴いてくれるかい。君が辿った旅路……その場所へ僕も君と一緒に行きたかった……」
 だからお願いがあるんだと、弓弦は静かな声で続ける。
「……悠夜さん、僕はもう天涯孤独の身だ。どうか、僕の遺灰を君の旅に連れて行ってくれないか」
「……私の、旅に?」
「そう。君の行く場所に僕を撒いて欲しいんだ。願わくば、何時までも君と」
 弓弦の言葉に、悠夜は彼の顔をじっと見つめて聞き入った。弓弦の表情はいつもと変わらない、悠夜が知っているままのものだ。けれど満月を思わせるその双眸には、どこか昏い色が滲んでいるような気がした。見つめていると、月の明かりしか届かない夜の淵に迷い込んでしまいそうだ。絡み取られたら逃げること叶わなくなりそうなその金の視線を悠夜は確かに「怖い」と感じたけれど、
(けれども、弓弦さんの最後の頼みだもの。私には頷くしか出来ないよ……)
 こくりと首肯して彼の願いを受け入れることを示せば、弓弦はその瞳を細めて悠夜をそっと抱き竦めた。今日を限りに失われる温もりに、悠夜の瑠璃の瞳に涙が滲む。
「ありがとう、悠夜さん」
 悠夜の耳元で優しく囁きながら、弓弦は知らずその口の端を上げていた。
(ああ、これで僕が死んでも、悠夜さんは僕を忘れられない)
 その身を蝕む病が自らの思考すらも歪な沼の底に沈めていることには気付かずに、弓弦はどこか恍惚として、腕の中の悠夜の温もりを死を待つだけの身体に刻むのだった。

●歌声は届かない
「ロジェ、今日もお見舞いにきましたよ」
 抱えた花束の鮮やかささえ褪せて見えるような笑顔を連れて、リヴィエラはロジェの病室を訪れた。灰色の牢獄には似つかわしくない明るい笑みに、仄か眉根を寄せるロジェ。
(俺は、いつかこういう日も来るだろうと思っていた。だが、リヴィーは……)
 ロジェは既に、己を飲み込んだ残酷な現実を冷静に受け入れている。けれどリヴィエラの心は、その事実の重さに堪え切れなかったのだ。彼女は、間もなく訪れる『ロジェの死』という現実から、目を背け続けている。その痛々しさに、ロジェは僅か目を伏せた。
「リヴィー……そろそろ約束の7日目になってしまう」
 ロジェの声に、花瓶に花を生けていたリヴィエラが振り返る。
「君はもう、ここにはこない方が良い。最近……自我を保つ事が難しい事があるんだ……」
 紫水晶の双眸の、焦点がぶれた。けれどそれには気付かない様子で、リヴィエラは「うふふ」とくすぐったそうに笑みを漏らす。
「もう、ロジェったら。唯の風邪なのですから、あまり気に病んではいけませんよ♪」
 噛み合わない会話。リヴィエラの中では、彼女の語ったことこそが真実なのだ。現実を受け入れてしまったら、彼女の世界は足元から無残に崩壊してしまうから。花を生け終えたリヴィエラが濡れタオルの準備を始めたので、眼差しには痛ましげな色を乗せたまま、ロジェはシャツのボタンを外した。そして、甲斐甲斐しく自分の身体を清めるリヴィエラへと、ぽつぽつと己の胸の内を零し始める。今のリヴィエラに自分の言葉が届くかはわからないけれど、今日を逃せば永遠に彼女へと声を掛けることは出来なくなると、ロジェは痛いほどに理解していた。
「前に……『俺がオーガになったら、君が俺を殺せ』と頼んだ事があったよな……」
「ロジェ、どうして今そんな話を? ――ああ」
 風邪を引くと気も弱ってしまいますものねと、リヴィエラが小鳥のさえずるように呟く。それには応じずに、ロジェは低く言葉を継いだ。
「ごめん……あの約束、実現できそうにない……あいつにもごめんと……言っておいてくれないか……」
 あいつというのはロジェの親友のことだ。どうかこの言葉が彼女の胸に届くようにとロジェは祈るような気持ちで声を絞り出したが、リヴィエラはやはり、くすくすと可笑しそうに笑うばかり。
「うふふ、はいはい♪ 大丈夫ですよ。もし貴方が本当にオーガと化す事があっても、貴方を愛していますから」
 届かない言葉、通じ合わない想い。それでもリヴィエラは、一つ微笑すると心からの愛を込めてロジェの唇に口付けを零した。ロジェの胸に、愛しさと痛みが滲む。自分は明日、命を絶たれる身だけれど。
(俺はオーガと化しても、君だけには手をかけるものか……)
 そんなことを思いながら、ロジェはそっと俯いた。そして、胸に湧いた想いを言葉にして溢れさせる。
「ああ……死刑になって、次に生まれ変われるとしたら、人間になりたいな……」
「ロジェ?」
「リヴィエラ。そうしたら、俺だってわかるかな……はは、その前に、人間じゃ君を守れないか……」
「ロジェ、何の……何の話をしているんですか?」
 リヴィエラの瞳が揺れた。けれどもロジェは、縋るような声を出すリヴィエラを突き放すように、
「……さあ、もう行け」
 とだけ言って、警備を呼ぶためのボタンを弄る。間もなく、やってきた男たちが抵抗するリヴィエラをロジェの希望通りに部屋の外へと連れ出した。
「ロジェ……!」
 堅く閉じられた扉の向こう側を想い、リヴィエラは涙を流しながら歌を紡ぐ。掠れがちな歌声は、それでも切々と美しかった。
「ロジェ……私が歌えば、貴方は私を迎えに来てくれるって仰ったじゃ……ありませんか……」
 けれど、彼がその約束を叶えることは、もう永遠にないのだ。
「うっ、ぐすっ、あああぁぁぁああッ!!!」
 崩れ落ちて天井を仰ぐリヴィエラの悲痛な叫びに、病室の中、ロジェは唇をきゅっと噛み締めた。

●その命は我が誇り
「ガーバ? 今日もお邪魔させてね」
 最後まで絶対に取り乱さないようにと自分に言い聞かせて、深呼吸を一つ、ペディ・エラトマは病室の扉を開けた。ベッドの上からこちらに向けられたガーバ・サジャーンの深い緑の眼差しが含む静けさに、ペディは悟る。ああ、この人はもう覚悟を決めたのだ、と。そして実際、彼女の勘は正しかった。見苦しくないよう、潔く在れるよう。ガーバは昨晩の内に、既に心を定めていた。
「ありがとう、世話をかける」
「ガーバったら、その言い方って大袈裟だわ」
 ガーバの真面目な物言いに、ペディは苦い微笑を返す。「最後まで」という言葉は敢えて腹の底に飲み込んだガーバ。ペディもまた、
(調子はどう? とかは言えないわね)
 なんて想いを胸の内に沈めて、この5日ですっかり自身の定位置となったベッド脇のパイプ椅子へと腰を下ろした。2人の間に流れる時間は、ごくごく穏やかだ。
「いくつか頼みがある」
 ほんの僅か俯いて、ガーバが言った。こくり、頷くペディ。
「私に出来ることだったら、何でも」
「恩に着る。……私の代わりに、オーガに殺された友人の墓参りをしてほしい。それから、発病前に自室で書いていた家族宛の手紙の投函を頼みたい」
「わかったわ、任せて」
 だから安心してほしいという想いを、ペディは短い返事の中に込めた。ガーバの表情が、仄か緩む。そんな彼へと、ペディは言葉を重ねた。
「その代わり、抱いてくれる? 子供の時みたいに」
 唐突な頼み事に緑の双眸を瞬かせるガーバ。けれど彼は、暫しの逡巡の後ベッドの端に座り直すと、ここに座れというように自身の膝を軽く叩いてみせた。促されるままに彼の膝に座って、ペディは子供の時にそうしたように、ガーバの身体に手を回す。しみじみとしてガーバが言った。
「大きくなったな」
「10年経つもの。重くなったでしょ?」
 彼女が幼い頃からの縁があるとはいえ、相手は女性である。答える代わりに僅か苦笑したガーバは、その脳裏にペディとの出会いを過ぎらせた。オーガの襲撃を受けた村から、彼女を連れて逃げたことを思い出す。
(ウィンクルムとしては活躍できなかったが)
 それでも、この膝の上にある温もりは、命は、確かにガーバが守ったものだ。ガーバの命が明日途切れても、その先に在り続けるものだ。そう思うと、冷えた胸の内に温かな光が灯ったような心地がした。安堵の息が口をつく。ペディの温度が、ガーバの心に優しく染み渡る。
「そろそろ戻った方がいい」
 どこか救われたような心地で、ガーバは短くペディへと告げた。大人しくその膝から降りて、
「そうね、行きましょうか。髪の一房でももらいたいけど……少し短いわね」
 と、短く切り揃えた金の髪を見遣り眉を下げるペディ。その左手を取って、ガーバは手の甲へと契約の再現の如く口付けを零した。そして、ペディの青の双眸を真っ直ぐに見つめる。
「最後のトランスをさせてくれ。私が最期まで尊厳を保てるように」
「……ええ、わかったわ」
 もうトランスができないことをペディは知っているし、ガーバもそれは同じのはずだ。けれどペディは、彼の求めに確かに応じた。
(ガーバは本当に最後まで『強いお兄さん』だわね)
 そんな彼を憐れむのは覚悟を決めた彼への侮辱だとペディは思う。
(でも少し理不尽だわ)
 噛み締めるようにスペルを唱えてその頬に口付けを落とせば、ガーバはその口元をふっと和らげた。柔らかな表情に揺さぶられた心を彼には見せずに終われるように、ペディはそのかんばせに笑みを乗せる。
「ありがとうガーバ。その時がきたら、必ずあなたにも会いに行くわ」
「ゆっくり来てくれ。幾らでも私を待たせるといい」
 ペディの命が長く続くことを心から願って、ガーバはそう応じた。『その時』は――彼女の命が終わる時は、ずっとずっと先だといい。自分のせいでまた一つ辛い思いをさせてしまった彼女のこれからにどうか多くの幸があるようにと、ガーバは胸の内に祈った。

●おやすみなさいを貴方に
(今日がカガヤと会える最後の日……ですか……。……行きましょう……)
 覚悟を胸に沈めて、手屋 笹は病室の扉に手を掛けた。静かに扉を開けて、笹はベッドの上、枕で顔を隠すようにして横になっているカガヤ・アクショアへと呼び掛ける。
「カガヤ、笹です。入りますよ」
 その声に、カガヤはハッとしたように半身を起こした。そうして、普段通りの懐っこい笑顔を笹へと向けてみせる。
「笹ちゃんいらっしゃい」
「起こしてしまいましたか? わたくしの事は気にせずに、横になっていて大丈夫ですよ」
「ううん、笹ちゃんが来てくれてよかったよ。ただ待ってるだけって暇で仕方ないよね」
 もう退屈でさ、と淀みなく言葉を紡ぐカガヤ。彼の姿は、灰色の病室にはちっとも馴染まないと笹は思う。と、寸の間思考を飛ばした笹の心を、現実に引き戻すカガヤの声。
「ねえ、笹ちゃん……俺ちゃんと元気に見える?」
 カガヤは薄く笑っていたけれど、俯き問うその声は固かった。掛け布団を握り締めるカガヤの手が震えているのを見留めて、笹は彼に悟られないようごく僅か眉根を寄せる。
(やっぱりというか……手が震えていますね……)
 それも道理だと、笹はきゅっと唇を噛んだ。
(これから死ぬ事が分かっているのに怖くないわけはない……ですよね……)
 だからこそ笹は無理矢理に少し笑って、カガヤの問いに優しく応じる。
「ええ、見えますよ。ちゃんと、元気に見えます」
「そっか。そう見えるんなら良かった……」
 安堵に似た色が、その声に滲んだ。そして、カガヤは苦笑交じりの声で続く言葉を紡ぐ。
「オーガになるから殺されなきゃいけないって聞いた時に暴れちゃったからね……ちょっと負い目というか何と言うか……」
 仕方がありませんよ、と笹は応じようとした。すぐに受け入れられるような話ではないのだから、と。けれど、その言葉が音となることはなく、笹はただ、カガヤの頭をそっと抱き締めた。
「……笹ちゃん?」
 そう呟いたカガヤは、きっと、驚いた顔をしていることだろう。けれども笹は、慈しむように彼の頭を抱いたままで、彼から離れることはしなかった。
「カガヤ……わたくしは貴方がこの5日間気を張って頑張っていたのをよく知っています」
 笹の腕の中で、カガヤが新緑の双眸を見開く。
「……他の方が居ない状況ですし、わたくしの前では『格好いいウィンクルム』ではなく、『カガヤ』で居て良いのですよ……」
 カガヤが息を詰まらせるのを、笹はすぐ近くに聞いた。今はもうどうしようもなく震える声で、『カガヤ・アクショア』という一人の精霊として、カガヤが想いを絞り出す。
「……ほんとは……ほんとはね……まだ死ぬの嫌だし、笹ちゃんの事これからも守りたかったし、一緒に生きたかった……!」
 カガヤの緑の瞳から、止めようもなく零れる涙。
「でも……どうにもならないし、せめて皆に迷惑掛けないようにって思ってたんだけど……やっぱり駄目だった……うう……」
 嗚咽混じりの言葉は、カガヤの心底からの想いだった。落ち着かせるための方便ではない嘘偽りのない想いを、笹もまた言葉に乗せる。
「わたくしも……守られるなら貴方が良かったです……。貴方に今まで守ってもらえて頼もしかったです……」
 言って、笹はそっとカガヤの頭を抱く腕を解いた。黒耀の双眸で、笹はカガヤを真っ直ぐに見つめる。カガヤが、ふにゃりと笑った。力強くはない、けれど今度こそ何を構えることもない自然な調子で。
「笹ちゃん、聞いてくれてありがとう……すっきりした……」
「カガヤ……」
「俺が居なくなってもどうか……幸せになって……」
「お別れ、ですね……」
 笹の言葉に応じる代わりに、カガヤは切ないような色を乗せたその目元を仄か和らげる。そんなカガヤの額に、笹は自分の額を合わせた。温もりが、2人を繋ぐ。
「カガヤ……どうかゆっくりおやすみなさい……」
 あとはただ言葉もなく、2人はしばらくの間、互いの温度を分かち合った。

●傍に居たいと願うこと
(行きたくない……こんなの、嫌)
 どうしようもなく震える手と未だしかとは定まらない心を持て余しながらも、ミオン・キャロルは病室の扉に手を掛けた。受け入れたくない、いっそ逃げ出してしまいたいほどだけれど、この扉を開けずに終われば、ミオンはきっと後悔するだろう。扉は、ミオンの葛藤とは対照的にするりと開いた。
「ミオン、今日も来てくれたんだな」
「あ、当たり前じゃない。私たち、パートナーなんだから」
 ベッドに半身を起こしたアルヴィン・ブラッドローが、ミオンに気付いてそのかんばせに薄く笑みを浮かべる。鳶色の眼差しがこちらに向けられるだけでミオンは泣きそうになったけれど、ぐっと堪えて努めて元気な声を出した。
「今日は空と海の写真を持ってきたの、窓くらい欲しいわよね」
 言って、ミオンは荷物を置くと、病室の壁に持参した写真を貼り始める。外界の光を知らない灰色の壁は、この数日で風景写真でいっぱいになっていた。ミオンが貼った写真の青空の眩しさに、アルヴィンは目を細める。
「綺麗だな」
「だったら嬉しい。あ、キッシュ作ったわ、食べましょう」
「キッシュか。いいな、楽しみだ」
 ふっと笑み零すアルヴィン。手際良くミオンが食事の用意をして、キッシュを皿に盛る。ミオンが作った料理を一緒に食べるのは、この数日の日課だ。
「うん、美味しい。懐かしい味がする」
「そう、良かった」
 言葉通り美味しそうにキッシュを頬張るアルヴィンの賛辞に応じたきり、会話が途切れた。灰色の病室に落ちた沈黙が、ミオンの心を追い詰める。
(もっと料理を覚えてたら良かった……何か楽しく話さないと)
 とにかく、何か言わなくてはと思った。それなのに、口を開いた途端――ぽろり、涙が零れる。それを合図にしたように、感情の堰は呆気なく決壊した。
「私……会ってからの事、沢山思いだすの。2人だから頑張れたって今更気付いたわ。……1人でも大丈夫って言えたら良かった……!」
 我慢したいと頭では思うのに、涙が溢れて止まらない。堪らず口元を抑え顔を伏せるミオン。
「こんなのって……ないっ!!」
 アルヴィンは、ミオンの言葉を静かに耳に聞いた。ミオンが代わりに怒ってくれるから、アルヴィンは平静を保っていられる。ミオンが、面を上げた。一つだけ、どうしてもちゃんと伝えなくてはいけないことがある。
「私、あなたの事が……っ!?」
 想いの吐露は、他でもないアルヴィンによって止められた。唇に、そっと人差し指が当てられる。何も言わずとも、アルヴィンの優しい眼差しは、『知ってる』と語っていた。静かになるミオン。無意識に彼女の頭を撫でようと動いた手を、アルヴィンはそっとベッドの上に下ろした。会えて良かった、と胸に過ぎった言葉が口から零れることはなく、アルヴィンはただ曖昧に微笑する。そして、
「死なないし傍にいるって約束を破ってごめん」
 と代わりのように音を紡いだ。彼女の痛ましい姿に、どうせなら早く忘れてほしいとアルヴィンは思って――けれどその瞬間、胸にちりと痛みが走った、そんな気がした。
(傍にいる役を他に譲るのは……悔しいな)
 ぎゅっと、拳を握る。沢山のオーガを手にかけてきたアルヴィンだ。だから、これが相応しい最期なのかもしれないと思っていたはずなのに。
(……本当に最後まで、ままならない)
 思考の世界に沈むアルヴィンを、「ありがとう」という涙混じりのミオンの声が病室へと呼び戻した。顔を上げれば、ミオンは涙に濡れた顔で、それでも精一杯の笑顔を見せていて。

 やがて現に戻ったミオンは、自分の想いがアルヴィンに知れたこと、そしてそれでも彼の様子が常と変らぬことに翻弄されることになる。またアルヴィンもアルヴィンで、一連の出来事が夢だったことに安堵すると共に、ミオンを義務感から護るのではなく、自発的に傍に居たいと思うようになっている自分の変化に驚くことになるのだが――それはまた別のお話。



依頼結果:大成功
MVP

メモリアルピンナップ


エピソード情報

マスター 巴めろ
エピソードの種類 ハピネスエピソード
男性用or女性用 女性のみ
エピソードジャンル シリアス
エピソードタイプ ショート
エピソードモード ノーマル
シンパシー 使用不可
難易度 とても簡単
参加費 1,000ハートコイン
参加人数 5 / 2 ~ 5
報酬 なし
リリース日 07月02日
出発日 07月09日 00:00
予定納品日 07月19日

参加者

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