【春の行楽】ハンドベルと時間の旅(雪花菜 凛 マスター) 【難易度:普通】

プロローグ

 そのハンドベルは、イベリン王家直轄領の小さな教会に大事に大事に保管されていました。

「ハルモニアホールの完成を祝って、ハンドベルで音楽を奏でて頂きたいのです」
 教会の神父は、そう言って、教会の礼拝堂に集まってきたウィンクルム達を見つめます。
「このハンドベルは、ベーツァルト・シューバッハ様に縁のある品。この音色に感動した彼が、即興で作った曲がありまして……」
 神父は古い楽譜を取り出しました。

 ベーツァルト・シューバッハは、イベリン出身の昔の音楽家です。
 王立音楽堂の設立に立ち会い、イベリン王立音楽堂が初めて完成した時に、花と音楽にまつわる曲を作り、王家を祝福した事が伝わっています。
 少し変人で、ちょっと感動する毎に、即興曲を仕上げては高らかに歌ったとも伝えられています。

 ウィンクルム達は、興味津々で楽譜を覗き込みました。
 音楽初心者でも弾けそうな、やさしいリズムが並ぶ曲です。
「本日はこちらで練習をして頂いて……明日、ハルモニアホールで演奏を披露していただきます」
 練習が一日?
 不安そうにするウィンクルム達に、神父はにっこりと微笑みます。
「大丈夫ですよ。このハンドベルは魔法のハンドベルなのです。演者の清き心と祈りに反応し、音色を奏でます。
 皆様なら、特別な技術は無くとも、きっと素敵な音色を奏でられるでしょう」
 そう言い残し、神父は奥へと消えていきます。
 礼拝堂に取り残されたウィンクルム達は、顔を見合わせました。
 スポンジマットの上にテーブルクロス。その上に整然と並べられているハンドベルは、何処か聖なる光が灯っているようにも見えます。
 ──兎に角、触って音を出してみよう。
 貴方とパートナーは演奏用の手袋を嵌めてから、ハンドベルの一つを恐る恐る手に取ります。

 チリン。

 ゆっくりと振ると澄んだ音色がして、その瞬間、貴方の視界は一瞬真っ白になりました。

「?」

 思わず瞬きして瞳を開くと、目の前に見知らぬ人の顔があり、貴方は驚きます。
 そう、知らない人──でも、知ってる。この人は……。
「どうかしたのか?」
 穏やかに問いかけてくるのは、間違いなく貴方のパートナーでした。
 ……けれど、外見年齢は大分違います。そう、まるで10年は時が経過しているような。
 直感的に貴方は何だか分からないけれど、理解しました。
 そう、これは未来の世界なのだと──。

 一方、貴方のパートナーもまた、目を大きく見開いていました。
「どうかしたの?」
 きょとんと自分を見つめるのは、己のパートナーです。それは間違いありません。
 しかし──。
(年の頃は10歳くらいか?……しかも、俺も同じ年頃になっているらしい)
 目の前で握ってみる己の手は、いつもの力強さはなく、頼りない小ささでした。

 魔法のハンドベルで、思わぬ時間旅行をすることになった貴方とパートナー。
 貴方は、未来、または過去のパートナーとどんな話をするのでしょうか。

解説

魔法のハンドベルのせいで、未来、または過去へ飛んでしまうエピソードです。

時間旅行の時間は、5分~10分。
何もしなくても元の世界へと戻ります。

何故か目の前に居たパートナーと会話したり、はたまた観察したり、自由にお過ごし下さい。

行く先は、未来と過去、どちらでもお好きに選んで頂けます。
なお、未来はIFの世界となります。必ずこんな未来になるとは限りませんので、予めご了承ください。

プランには以下を明記お願いいたします。

1.行き先
2.場所
3.時間帯
4.どんな状態?

(記載例)
1.10年後の未来
2.パートナーと結婚して住んでいる一軒家
3.朝
4.同じベッドで寝ていて目が覚めた

※らぶてぃめっとは全年齢対象ですので、余り過激なプランはマスタリングさせて頂きます。ご注意ください。

なお、ハンドベル管理のための寄付として、一律「300Jr」が掛かります。

ゲームマスターより

ゲームマスターを務めさせていただく、『キラリンって呼んでいいのよ?』雪花菜 凛(きらず りん)です。
べ、別にコメントのネタが尽きてきたって訳じゃないんだからね!

文字数が溢れる未来しか見えないので、またもやEXです。
皆様の過去や未来を覗き見出来たら嬉しいです!

なお、EXですので、もの凄くアドリブが入ります。あらかじめご了承ください。
また、ハルモニアホールでの本番演奏は、皆様のプランと文字数次第で、入ったり入らなかったりになります。

皆様のご参加と、素敵なアクションをお待ちしております♪

リザルトノベル

◆アクション・プラン

ミサ・フルール(エミリオ・シュトルツ)

  ☆行き先
10年後の未来

☆場所
精霊と結婚して住んでいる、森にひっそりと佇む木造の一軒家

☆時間帯


☆状態
一人娘のエマと共に精霊の誕生日を祝う

☆状況を掴めていない精霊に
(くすくす笑い)寝ぼけてるの?
今日は貴方の誕生日でしょ
さ、誕生日会の続きしよう!

☆誕生日会
(静かに涙を流す精霊を見て泣く)ふふ、2人とも泣いちゃってごめんね、エマ
私達はエマのおかげで凄く幸せなんだ…ありがとう(精霊と共に娘を抱きしめる)

☆悪夢
(精霊の父親の手によって自宅が炎上、倒れてきた柱から娘を庇う)
(炎に包まれながらも気丈に微笑み、何かを暗示するように)
大丈夫、未来はつくるものだから
貴方が望んでくれたなら、また3人で笑いあえるから



リゼット(アンリ)
  1.数年前
2.中規模のライブハウス
3.夜
4.最後方でライブを見ている

20歳記念バースデーライブ…アンリのライブ!?
そういえば私、あいつの年齢知らない
それだけじゃなくて契約するより前のことは何一つ

この人達みんなアンリを見に来たお客さん、なのかしら
みんな楽しそう。人を盛り上げるのだけは得意よね
ちょっとカッコいい…かもしれないし
か、顔と歌だけはね!

そこのお前って私の事?
跳べって言われても…やればいいんでしょ!

演奏後みんな口々にアンリに最高、大好き、だのと声をかけている
好き…何でむしゃくしゃしなくちゃいけないのよ!

ずっと…今は歌ってないわよね
私と契約したから?
この人達から彼の歌を奪ってしまったのかしら


クロス(オルクス)
  1.10年後の未来
2.庭付き一戸建て
3.昼
4.庭で日向ぼっこしてると私服の未来のオルクスに呼ばれる

お、るく…?
(あれ?雰囲気が違う…
オルクの髪が長いし格好良い…
ん?お腹が大きい…って、は!?
何がどう……あぁ、未来の夢か)

あっ御免、ちょっとボーッとしてただけ…
ふふっ心配性だなぁ
大丈夫、この子達も俺も元気さ(微笑
(オルクとの子が此処にいるんだ…
夢だとしても凄い嬉しいな(お腹撫でながら微笑む)

おっ動いた!
生きてるんだな…
この子達を護る為に俺ももっと頑張んねぇと、な(優しい微笑み
この子が生まれたら、墓参り行こう?
初孫、見せに行かないと(微笑

君達の世界は優しく暖かいよ
きっと好きになるから早く出ておいで…


テレーズ(山吹)
  1.10年前
2.自室
3.夕方
4.勉強教わり中

あら、山吹さん随分若く…というか学生服?
10年ほど前、でしょうか
まだ山吹さんも学生で放課後に勉強を教えてくれていたんですよね
あのベルの影響だろうかと首傾げ

ここがわからなくて。先生、教えてくれませんか?
考えてぼうっとしていたら声をかけられ誤魔化し
この頃はまだ先生と呼んでいたなと懐かしむ

解説を聞きつつ昔も学んだ事なのですらすらと問題を解く
当たりですと頭を撫でられはにかむ

勉強だけでなく、色々な感情も
あの日々の積み重ねがあるから今の私があるんですよね
山吹さんも、私と同じだと嬉しいのですけれど…
そこまで願うのは贅沢ですね
せめて今は懐かしい日々に浸っていたいです



アメリア・ジョーンズ(ユークレース)
  1.10年前の過去
2.ユークレースの家
3.夜
4.屋敷の物陰でユークレースを見る


ハンドベルの音が鳴り終わると、あたしは見知らぬ洋館に居た。
廊下の角から聞こえて来たのは、いつも聞いてるアイツの声。
見た目もそう変わらないけど、学生服っぽい格好してるってことは、ここは、過去かな?
でももっと驚いたのは、ユークが今してる行動。
ユークは可愛らしいメイドを壁に押しつけ、口説いていた。
困っているメイドのに対して、ユークは手品で出したバラを彼女の耳に掛け、そして優しく甘い言葉を囁いた。
メイドは顔を赤らめたまま、その場から離れたが、残されたユークは「あーあー、失敗しちゃった」と言った。
こんな光景、見たくなかった…。



●1.

 チリン。

 澄んだ音色の残響と純白に染まる視界。
 テレーズは瞬きして、下ろした視線の先にあった、自分の手に違和感を覚えた。
 シャープペンシルを持つ白い手は、何だか小さい。
「──で、この数式の答えなのですが……」
 傍で聞こえてきた声に、反射的にテレーズは顔を上げた。
「山吹……さん?」
「はい?」
 首を傾けた彼の鉛色の繊細な髪がふわりと揺れる。窓から射す橙色の光が、彼の髪と瞳を染めていた。
 パチパチとテレーズは瞬きを繰り返す。
 瞳に映る彼の顔は、随分と幼い印象だ。
 着ている服も──。
(学生服?)
 襟に光る校章を見て、懐かしい記憶が込み上げてきた。
 ああ、これは──。
「今の説明で分からない所でもありましたか?」
 山吹の指先──これも今に比べて少しほっそりとした繊細な手が、テレーズの手元にある参考書を指す。
(10年程前、でしょうか。もしかして、あのハンドベルの影響で、過去に来てしまったとか?)
 山吹の手を視線で追って、テレーズは口元が上がる自分を感じていた。
 可愛い白猫が付いたシャープペンシルも、レース柄のケースに包まれた消しゴムも、薔薇の表紙のノートも、カラフルな付箋が貼られた参考書も。全部、昔テレーズが使っていたものだ。
(この頃は、山吹さんもまだ学生で……放課後に勉強を教えてくれていたんですよね)
「テレーズさん?」
 戸惑う彼の声に、テレーズは再び山吹を見上げる。
「分からなかったですか?」
 僅か心配そうに語り掛ける声。優しい大好きな声。
「ええっと……ここがわからなくて。先生、教えてくれませんか?」
 誤魔化しながらテレーズはにっこり微笑むと、参考書を指差す。
「ええ、では説明しますね」
 頷いた山吹は、ノートに丁寧に図形を描いた。
「柱体の体積は、底面積×高さです。底面の図形がその高さ分だけ平行移動……増えていくイメージで考えると分かりやすいと思います」
(ええ、覚えています)
 テレーズはノートに描かれていく数式と図形を、懐かしむ眼差しで眺める。
(まだ山吹さんも学生で……放課後に勉強を教えてくれていたんですよね)
「ですから、この図形の場合は、まず底面積のひし形の面積を出して下さい。ひし形の面積の出し方は分かりますか?」
「はい、先生。ひし形の面積は、対角線×対角線……これを2で割ったものですよね」
 テレーズは頷いて、山吹の書いた箇所へひし形の面積を出す数式を書き加えた。
「当たりです」
 にっこり微笑んだ山吹の手が、ふわふわとテレーズの頭を撫でた。テレーズははにかみながら、懐かしい心地に浸る。
 この手がとても好きだった。
 褒められたくて、予習にも余念がなかった。
「では、このひし形の面積を使って、柱体の体積を出して下さい」
「はい、先生」
 スラスラとノートに答えを書き記せば、山吹が赤いペンで花丸を付けてくれる。
 嬉しい達成感。
「それでは、次の問題もこの調子で行きましょう」
 山吹が参考書を捲り、新たな次の問題がテレーズの前に広がった。
「先生、ここが分かりません」
「それは、この間の問題の応用ですね。昨日説明した数式は覚えていますか?」
 未知の問題も、山吹が居れば、何でも解けるような気がした。
 彼に褒められたいのは勿論だったけども、考える事自体が楽しくて。
 山吹が居ない所でも勉強した。
 山吹が来ない日は、淋しくてつまらなくて。
 テレーズの毎日は、山吹を中心に、色鮮やかな感情と共に回っていた。
(思えば──勉強だけでなく、色々な感情も……あの日々の積み重ねがあるから、今の私があるんですよね)
 夕焼けに染まる部屋。夕焼けの優しい色に微笑む山吹。
 テレーズにとって、大切な大切な想い出で、原点。
(山吹さんも、私と同じだと嬉しいのですけれど……)

『お手柔らかに』

 アロマカフェでそう言って微笑んだ彼の顔を思い出す。
 諦めてあげる気なんか毛頭ないけれど──。
(そこまで願うのは贅沢ですね)
 今はまだ。
「先生、答えはこれで合っていますか?」
 せめて今は、懐かしい日々に浸っていたい。
 テレーズは心からの笑顔で、山吹を見つめる。

 ※

 チリン。

 山吹は一つ息を吐き出した。
 軽い酩酊感にも似た感覚。
 それを深呼吸で遣り過ごして、彼は周囲に視線を向ける。
 公園だ。見たことのある街灯やベンチ。ハト公園かと推測する。
 人通りは無いようだった。夕方のオレンジ色の日差しに、己の影が長く伸びている。
 山吹はそこで、伸びている影が一つで無い事に気付いて隣を見た。
 サラリと白金の髪が肩口で揺れる。藤色の瞳が不思議そうに山吹を見つめていた。
 よかった、傍に居たのか。
 そう思ったと同時、山吹は違和感に瞬きした。
「テレーズ……さん?」
 思わず小さく呟いた声は、同じタイミングで襲った強い風に掻き消され、彼女には届いていないようだった。
「凄い風ですね」
 白金の髪を手で抑え、彼女が微笑む。
 間違いなくパートナーのテレーズだ。だが、山吹が知っている彼女と少し違った。
 柔らかい微笑みには、大人の女性の落ち着きと色気があるし、何より髪が──。
「随分と短くしたのですね……」
「髪の事ですか?」
 口を出た言葉に、何を今更と言いたげな視線で、テレーズは笑う。
「いつも長い髪だったのに……」
 そこまで言って、山吹は気付いた。
(ここは……もしや未来?)
「長い髪だったのは──」
 テレーズの声に、山吹は彼女に視線を向け、息を飲んだ。
「貴方が似合うと言ってくれたからです」
 微笑む彼女が眩しい。髪が夕焼けに輝いていた。
(私はそんな事を、言っていたのですか……)
 口元に手を当て、山吹は想い出を探る。しかし、己の言った言葉を思い出す事は出来なかった。
 彼自身は覚えていない言葉。けれど、彼女はその言葉を大切に覚えていた訳で。
 チクリと僅かに胸が痛むと同時、山吹はハッとした。
(ではなぜ今は短いのだろう)
「寒くなって来ましたし、そろそろ帰りましょう」
 そう言ったテレーズは、ごくごく自然な動作で山吹に手を伸ばして来て。
「ね、──」
 山吹は目を見開いた。
 彼女の口から出たそれは、教えていない筈の、山吹の名前で。
 握られた手が温かい。
(ああ)
 山吹の口元が僅か上がる。
(そうですか。未来の私は、貴女に心を許しているのですね……)
 自分の名前は、はっきり言って気に入ってない。だから、可能なかぎり秘密にしている。
 テレーズも例外ではなく、彼女に尋ねられる度に、山吹は誤魔化し続けていた。
 それなのに──。
「風が冷たいですね」
 歩き出す。テレーズに手を引かれ、ゆっくりと夕焼けの中を。
 揺れる短いテレーズの髪を眺め、山吹は瞳を細めた。
(貴女に対して、素直になれたのですね、未来の私は──……)
 羨ましいとそう思う理由を、山吹は知らない振りをして、ぎゅっとテレーズの手を握り返したのだった。

 ※

 気が付いたら、テレーズと山吹はハンドベルを手に、教会に居た。
「あら?」
「あれ?」
 二人、同じタイミングで顔を見合わせる。
「……不思議な夢を、見た気がします……」
 ぽつりと山吹が呟けば、テレーズは奇遇ですねと微笑んだ。
「私は懐かしい夢を見ました」
「懐かしい夢、ですか?」
「はい」
 にっこり笑って、テレーズは山吹を見上げる。
 あの頃と変わった所もきっと沢山あるけれど……変わらないものもある。
 それを大切にしていきたい。
(……あの未来……)
 微笑むテレーズに、先程まで一緒に居た未来の彼女の姿が重なった。
 山吹は気付かれないよう、そっと微笑む。
(いつか、またあの貴女に会える、そんな気がします)


●2.

 チリン。

「何所よ、ここ?」
 リゼットは、いきなり変わった風景に目を丸くした。
 先程までいた、神聖な雰囲気の教会内とは違う、喧騒に包まれた空間。
 照明が絞られた薄暗い空間は、熱気に溢れている。
 大勢の人々が、飛んだり跳ねたり前後に手を振っていて、彼らの視線の先には、ライトアップされた光輝くステージ。
 照明が眩しいのと、距離のせいで良く見えないが、ギターにベース、ドラムにキーボード、そしてマイクを手にしている人達が居た。
(ライブハウス……よね?)
 大きさでいえば、中規模くらい。満員御礼らしく、ステージ前では多くの人がひしめいて居るのが見える。
 リゼットが居るのは、最後方らしかった。
 直ぐ後ろは壁で、非常灯の灯りが足元を照らしている。
(どうしてこんな所に来ちゃったのかしら……)
 あのハンドベルのせい?
 リゼットが首を傾けた時だった。

「皆、今日は俺の20歳記念バースデーライブに来てくれて、有り難う!!」

 よく知っている声がした。

「え?」
 リゼットは思わず前に一歩踏み出す。
 ステージの上、煌々とスポットライトを浴びるヴォーカリスト。
 金の髪に、同じ色の獣耳。
 紫の瞳は涼しげな色に熱っぽさを湛えて、ファン達へ視線を投げ掛ける。

「きゃーアンリー!!」
「勿論だぜー!!」

 男女入り混じった歓声が上がる。

「アンリ……?」
 照明が切り替わって、逆光気味で見えなかった彼の顔が見えて、遠目でもはっきりと分かった。
「嘘……20歳記念バースデーライブ……アンリのライブ!?」
 リゼットはマイクを手に立つ彼を凝視する。
(そういえば私、あいつの年齢知らない)
 これは過去なのか、未来なのか。何となくアンリが少し幼い気がするから、過去?
 リゼットの胸を何とも言えない感情が渦巻いた。
(それだけじゃなくて……契約するより前のことは何一つ、あいつのこと知らない)
 胸元で握った手に、ぎゅっと力が入る。

「今日という日は、最ッ高の一日だぜ! そうだろ!?」
 アンリがそう笑えば、観客達は一体となって、そうだ!と叫んだ。
(この人達みんなアンリを見に来たお客さん、なのかしら)
 皆一様に、キラキラした眼差しで、ステージ上のアンリを見ている。

 アンリは心から楽しんでくれている様子の観客を見下ろし、満足の吐息を吐き出した。
 この一体感、満足感は、ライブでないと味わえない。
 めいっぱい飛んで跳ねて歌って、身体はクタクタだったけども、気持ちは最高に高まっていた。
 サポートメンバーもそれは一緒で、ギラギラした空気を感じる。
 残すはアンコールのラスト一曲。
 一番人気のある、最高に盛り上がれる曲だ。
 最高の歌とパフォーマンスで、満員御礼のこのライブを締める!

「ラスト行くぜ! 女も野郎もみんな声出してけよ!!」

 腹の底から声を上げれば、観客が拳を突き上げて応えた。

 ドラムの合図に合わせて、音楽が始まる。
 踊るようにリズムを取る観客を見ながら、アンリはウインクすると重くなった上着を脱ぎ捨てた。
 キャーッと、黄色い声が上がる。

(凄い……)
 リゼットはぽかんと熱狂の渦に染まる周囲を見遣った。
 アンリの歌に合わせて、それぞれが身体を揺すり、腕を振る。
(みんな楽しそう。アンリって、人を盛り上げるのだけは得意よね)
 何度か彼が歌う所を見る機会も、一緒に歌う機会もあったけれども、あの時とはまた違う、圧倒的なカリスマさえ感じた。
(こんなアンリ、知らなかったわ……)
 やや高めの澄んだ優しい歌声。
 この声に包まれるのは、嫌いじゃない。
(ちょっとカッコいい……かもしれないし)
 ぼーっと歌うアンリに見惚れて、リゼットはハッと我に返り首を振る。
(か、顔と歌だけはね! そう、顔と歌だけ!)

 曲が間奏に入って、アンリはふとステージの後方に居る少女に気付いた。
(ん? あの髪の長いちっちゃいの、あんま見かけない奴だな)
 アンリクラスともなれば、いつも来てくれるファンの顔を覚えているのは当然なのである。
(子供までファンにしちまうとはさすが俺様!)
 新しいファンが増える。アーティストにとってこんな嬉しい事はない。
(周りばっか見てるけど、ライブ初めてなのか?)
 少女は、しきりに周囲を気にしているように見えた。
(よし、煽ってやる!)
 ニヤリと笑みを口元に貼り付け、アンリは真っ直ぐにリゼットを指差した。
「そこのお前!」

「え?」
 アンリの視線と指先が、こちらを指しているのに気付き、リゼットは瞬きする。
(そこのお前って……まさか私の事?)
 リゼットは恐る恐る自分を指差す。と、アンリは大きく頷いた。
「お前も跳べ!」
「ええっ?」
 リゼットに周囲の視線が突き刺さる。
(なんで、どーして? 『お前』って呼ぶって事は、アンリは私のことをまだ知らない……のよね?)
 軽くパニックになりつつ、リゼットはアンリを見返した。
「ほら、行くぜ!」
 間奏が終わり、アンリは再び歌いながらステップを刻む。
 観客達はそれに合わせ、地面を蹴って跳んだ。
(跳べって言われても……やればいいんでしょ!)
 リゼットは意を決して、跳び始める。

(あ、跳んだ)
 その様子を確認して、アンリは頬が緩む自分を感じた。
(なんかぎこちないが、ぴょこぴょこかわいいじゃねぇか)
 一生懸命跳ねている様子が、堪らなく可愛いと思う。
(っしゃ! もっとノれるように俺も限界まで出してくぜ!)
「付いて来いよ!!」
 曲が最高潮に達し、アンリは声で仕草で観客を煽り、跳ばせたのだった。

「い、意外と疲れるのね……」
 曲が終わって、最後まで跳び続けたリゼットはぜいぜいと肩で息を付いた。
「今日はサンキューな! お前らマジ最高だ!」
 ステージ上では、アンリが満面の笑顔で観客達を見渡している。
「俺はお前らと、俺自身のためにずっと歌ってく。これからもずっと! 愛してるぜー!」
 手を振るアンリに、一際大きな歓声が上がった。
 名残惜しそうに手を振りながら、彼とバンドのメンバー達はステージから去っていく。
 暗かった照明が明るくなった。
 リゼットは眩しさに目を伏せる。

「あーん、もう終わっちゃった!」
「アンリ最高!」
「もう、大好きっ!」
「すっげー格好良かった!」

 口々に観客達がアンリを褒めている声が聞こえてきた。
(曲の合間でも、皆叫んでたわね、大好きとかって……)
 イラッ。
 胸の奥がムカムカしてきて、リゼットは唇を噛む。
(好き……何でむしゃくしゃしなくちゃいけないのよ!)
 ぶんぶんと首を振ってから、アンリが居なくなったステージを見上げた。

『ずっと歌ってく』

 確かにアンリはそう言った。
(でも、今はこんな風に歌ってないわよね?)
 どうして?
 浮かんだ疑問に、リゼットは身体を小さく震わせる。
(私と契約したから?)
 考えたくはない想像に、リゼットは己の身体を抱き締めた。
(私が……この人達から彼の歌を奪ってしまったのかしら)
 だとしたら……。
 答えの出ない疑問が心を支配していく間、リゼットは段々と喧騒が遠のくのを感じていた。

 ※

「おーい、大丈夫か? リズ」
 ヒラヒラヒラ。
 目の前を掌が行ったり来たり。
 リゼットは大きく瞬きした。
「立ったまま寝てたのか?」
 ひょいと覗き込んでくるのは、いつも通りのアンリの顔。
「……寝てないわよっ」
 思わず顔を赤くしてから、リゼットはぷいと顔を背けた。
 どうしてだろうか。胸が早鐘のようで。
「変な奴」
 アンリはぷっと吹き出してから、呑気にハンドベルを鳴らす。
(あのアンリは……本当に過去のコイツ?)
 リゼットはアンリの横顔を眺め、正体不明の胸の痛みに顔を曇らせたのだった。


●3.

 チリン。

 そこは大きなお屋敷だった。
「立派なお屋敷ねぇ……」
 西洋風の外観、所謂洋館という奴だ。
 アメリア・ジョーンズは、物珍しげにキョロキョロしながら、大きな廊下を歩いている。
 磨かれて鏡のように光る大理石の床。
 ふかふかの絨毯は、乗ると踝まで埋まってしまいそうだ。
 壁に掛かる絵も、よく分からないけれど額縁も重厚だし、きっと高価なものだろうと思う。
 置いてある壺には、直感的に絶対に触れたら駄目だと、アメリアは細心の注意を払った。割ってもきっと弁償出来る額ではないだろうから。
「一体、何所のお屋敷なんだろ?」
 教会でハンドベルを鳴らした後、アメリアは気付いたらここに居た。
 あのハンドベルは、神父の言う通り、本当に魔法のハンドベルだったらしい。
 兎に角、じっとしてても状況は変わらなさそうだし、パートナーのユークレースもこの屋敷の何処かに居るかもしれない。
 そう考えたアメリアは、人を探して歩いているのだ。

「ねぇ、いいでしょう?」

 その声は、何処か密やかな響きを持って、アメリアの鼓膜に飛び込んでくる。
(この声……)
 知っている。良く知っている。
 アメリアは声の方へと、静かに歩いて行く。
「あ……」
 渡り廊下まで来た所で、アメリアは瞬きした。
 庭に面したバルコニーに、彼は居る。
「やっぱり、ユークだ……」
 まるでお伽話に出てくるような豪奢な手すりの向こう、立っているのは間違いなくユークレースだった。
 いつも聞いてるアイツの声。アメリアが聞き間違える訳が無い。
(でも、少し変……)
 アメリアは違和感に眉を寄せる。
 彼の顔は、ほんの少し幼く見えるし、何よりもその服装。
(学生服……かな? だとしたら……ここは過去の世界?)
 有り得る。あのハンドベルが魔法の力を持っていたとしたら、理解は出来ないけれど納得は出来る。
 確かめるには、あのユークレースと話してみるのが手っ取り早い。
 彼がアメリアの事を『知らない』と言えば、ここは過去の世界だって確信出来る。
 そうと決まったら、アメリアはユークレースの元へ歩いていこうとした。
 のだが──。

「い、いけません」

 ユークレースの後ろに、ふわりと揺れるスカートが見えて、アメリアは歩みを止める。
 反射的に柱の影に隠れていた。
 ドキドキと胸が早鐘のように打つ。

「本当に……困ります」
 可愛らしい女の子だった。見るからに新品なメイド服を身に纏っている。入りたての新人メイドといった雰囲気だ。
 頬を染め、眉を下げる彼女を、ユークレースは壁に押し付けている。
「いいから……じっとして」
 パチン!
 ユークレースが指を鳴らすと、彼の指先に大輪の薔薇が現れた。
 彼の得意とするマジックだ。
「これは……可愛い君へのプレゼントです」
 ユークレースは真紅の薔薇を、彼女の耳脇の髪にさす。
「とても良く似合いますね」
 ユークレースはにっこりと微笑むと、彼女の耳元へ唇を近付け、何事かを囁いた。
 瞬間、沸騰するように女の子の顔が更に赤く染まり、彼女は強引にユークレースの胸元を押すと、拘束を解いてその場から逃げ出す。
「……」
 ユークレースは、そんな女の子を見送って、ふぅと小さく息を吐き出した。
「あーあー、失敗しちゃった」
 瞳を伏せ、髪を掻き上げる。

「……ッ……」
 アメリアは柱の影に隠れたまま、息を飲んだ。
 今のは何? アイツは今、何て言った?
「こんなの……」
 嫌だ。自分の身体を抱き締め、アメリアは震えた。
(こんな光景、見たくなかった……)
 あの言葉も、あの行動も、全部……彼にとって単なる『遊び』なのだろうか?
(だとしたら、あたしは……)


(いつまで、こんな事を続けるんでしょうね……)
 空に浮かぶ白い月を見上げながら、ユークレースはそっと溜息を吐き出した。
 煌々と白く光る月は、無言でユークレースを照らしている。
(しかし、さっきのあの子の反応は……何だったんでしょうか)
 パチン!
 指先を鳴らせば、先程メイドにあげたものと同じ薔薇が出てきた。
 『いつも』と全く違う反応だったから、ユークレースも驚き、不覚にも戸惑ってしまった。
 そう、いつもなら──本気になって甘えてくるか、巫山戯て答えを返してくるか──女達の反応は、この二種類だけだった。

 ユークレースにとって、女性を口説く事は、双子の弟により課せられた日課だった。
 『屋敷中の女という女を口説け』
 それが弟の命令であり、ユークレースはそれに従っているのみ。
(僕は、アイツには逆らえない──)
 こうして、気付けば、嘘の笑顔と口説き文句が身に付いていた。いつしかソレは作業となり、失敗などしない筈だったのに──。
(どうして、あの子は──)

「兄さん」

 ビクッと無様にも肩が跳ね上がったのを感じながら、ユークレースはゆっくりと振り向いた。
 同時、強い力で胸ぐらを掴まれる。

「ボクの予定をよくも崩してくれたな……兄さん」

 己と良く似ている双子の弟の瞳が、怒りに燃えている。
 弟は、自分の思った通りに事が運ばないと許せない質だ。怒る事は予想出来ていた。
 ぐっと締める力が強まり、ユークレースは怯えた瞳を弟に向けるしかない。

 蛇に睨まれた蛙。

 そんな言葉がしっくり来る。
(僕らの関係は、変わらない──)
 変えられない。
 この弟が、ユークレースの弱味を握っている限り──。

(どういう、事……?)
 アメリアは目の前の光景を理解出来ず、目を見開いていた。
 ユークレースと良く似た少年が、ユークレースの胸ぐらを掴んで。苦しそうなのに、ユークレースはそれに抵抗しない。
(何よ……少しは抵抗しなさいよ、言い返しなさいよ、どうしてやられるままなのよ!)
 何処か怯えたような、諦めたような、そんなユークレースの顔を見ているのが辛い。


「兄さんは、ボクに逆らえない。逃げる事も許さないよ──」


 まるで呪いのように、ユークレースに良く似た少年はそう言った。
 じわじわと広がっていく悪意の塊。
 アメリアは目眩に似た感覚を覚える。
 そして、その言葉の意味を理解する前に、彼女の視界は再び白く染まった──。

 ※

「エイミーさん? おーい、エイミーさーん」
 いつも通りの軽い感じの口調。
 アメリアはハッと瞼を開けた。
「どうしたんです? ハンドベルを持ったまま硬直しちゃって……それ、落としたら大変な事になりますよ」
 にこにこ笑顔でこちらを見ているのは、ユークレース。いつもの彼だ。
「……アンタこそ、どうしたのよ?」
「え? 何がです?」
 反射的に問い掛けて、きょとんとした彼にアメリアは口を閉ざした。
(あれは夢? それとも本当に過去? 分からない。コイツの事、あたしは全然分かんない……)
「エイミーさん?」
「アンタの事、全然分かんない!」
 アメリアはそう叫んで、彼に背を向ける。
 胸が痛い。
 それは、ユークレースが嘘を吐いているかもしれない事を知ったからなのか、ユークレースが彼の弟に逆らえない場面を見ての事なのか、アメリア自身にも分からなかった。


●4.

 チリン。

 始めに感じたのは、日差しの柔らかな温かさ。

「クー」

 優しく呼ぶ声。

 クロスはゆっくりと瞼を開いた。
「寝ちゃったのか?」
「え?」
 視界に入った顔に、クロスは大きく瞬きした。
 良く知ってる。けど、知らない……。
「お、るく……?」
(あれ?)
 違和感にクロスは目を見張る。
「何だ、やっぱり寝てたのか」
 寝惚けてるんだなと、彼は喉を鳴らして笑い、ぽふぽふと大きな手でクロスの頭を撫でた。
 この声も、手も、間違いなく大切なパートナーであるオルクスだ。
(雰囲気が違う……)
 クロスはじーっとオルクスを観察する。
 表情がぐっと大人っぽく、髪も長い。まるで、未来のオルクスを見ているようだ。
 彼の後ろには、白い壁の立派な一戸建ての家が見える。
 どうやらここは、その家の庭らしい。
 クロスは木製のロッキングチェアに身を沈めていた。
「クー? 俺の顔に何か付いてるか?」
 コツンと額が当たりそうなくらい、オルクスが顔を近付けてきて、クロスの心臓は跳ね上がった。
「つ、付いてる!」
「何が?」
「め、目と鼻と口……」
 ぷっ。
 顔を離して、オルクスが笑い出す。
「うぅ……」
 笑うオルクスを見ながら、クロスは紅くなる頬を抑える。我ながら、咄嗟にとはいえ変な事を言ってしまった。
(だって……)
 チラリとオルクスを見遣る。
 長い銀髪を揺らして笑う彼は、どう贔屓目に見たって格好良いから。
(ん?)
 ロッキングチェアから身を起こそうとして、クロスは更なる違和感に気付いた。
(お腹が大きい……って、は!?)
 自分の大きく膨らむお腹に触れ、クロスは悟る。
(赤ちゃんが、居る……? 何がどう……)
 ぐるぐる思考が回って、理解した。
(……あぁ、未来の夢か)
 それならば、オルクスがこんなに大人っぽく格好良いのも理解が出来る。
「クー? まだ寝惚けてるのか? それとも拗ねた?」
 ひょいと再びオルクスが覗き込んできて、クロスは慌てて首を振った。
「あっ、御免、ちょっとボーッとしてただけ……」
「本当か?」
 コツンと、今度は本当に額が合わされた。
「熱はないみたいだな」
「ふふっ、心配性だなぁ」
 頬を染め、クロスは微笑む。こういうオルクスの優しさも好きだなと思った。
「大丈夫、この子達も俺も元気さ」
 もう一度、今度はゆっくりと優しく膨らんだ自分のお腹に触れる。
(オルクとの子が此処にいるんだ……夢だとしても凄い嬉しいな)
 自然と頬が緩み、クロスは幸せに浸った。
「おっ、動いた!」
「!? クー、俺にも触らせてくれっ」
「いいよ。優しく、な」
 身を乗り出して来たオルクスに笑い、クロスは彼の手を取って、ゆっくりとお腹へ触れさせてやる。
「……うん、動いてる」
 オルクスが頬を染め、嬉しそうにクロスを見つめた。
「生きてるんだな……」
 暫し、二人でお腹の中で動く子の気配を掌で感じる。
「この子達を護る為に、俺ももっと頑張んねぇと、な」
 溢れる幸せを噛み締めながら、クロスは青い髪を揺らし、オルクスを見上げた。
 その優しい微笑みに、オルクスは瞳を細める。
「この子が生まれたら、墓参り行こう? 初孫、見せに行かないと」
「……ああ、三人で行こう」
 ふわりと、愛しさを込めて、優しく優しくオルクスがクロスを抱き締めた。
 クロスはその背中に手を回して、瞳を閉じる。
 どちらからともなく、唇が触れ合った。
「君達の世界は優しく暖かいよ……」
 クロスの唇から、温かな言葉が零れ落ちる。
「きっと好きになるから早く出ておいで……」
 それは、もうすぐ産まれてくる命へと、大切に大切に伝わって──。

 ※

 チリン。

「ルク兄……ルク兄……」

 ひっくひっく。
 泣いている。
 可愛い声が、涙に滲んでいる。

「ルク兄……」

 大丈夫だ。
 俺が、その涙を止めてやる──。


 大きく瞬きして、オルクスはハッとした。
「ルク兄……?」
 潤んだ瞳でこちらを見上げているのは、クロスに良く似た女の子だった。
「ん、クー……?」
 反射的にそう呼び掛けて、オルクスは首を振る。
 違う。クロスはこんな小さな女の子じゃない。
「君は──……」
 誰?と問い掛けようとして、オルクスは違和感に気付いた。
 己の声が高い、気がする。
(……うぉ?!)
 視線を落として、オルクスの瞳が見開かれる。
 明らかに小さな手、汚れた服に懐かしさを覚えた。
(もしかしなくても……オレ、縮んでる?)
「ルク兄、痛いの……?」
 少女が心配そうに瞳に揺らす。
(じゃあ、この子は……過去のクー? オレ、過去の夢でも見てるのか?)
 こちらを真っ直ぐに見つめる少女の瞳に涙が浮かんで来るのに気付いて、オルクスは慌てて手を伸ばした。
「あっあぁ大丈夫、大丈夫だから泣きそうになるな」
 ぽふぽふ。
 青い柔らかな髪を撫でてやると、クロスはひっくと肩を揺らす。
「でも、怪我……」
「これくらい大した事ないって。クーは泣き虫だなぁ」
 指摘に自分の身体を観察すれば、泥で汚れた服の破れた箇所には血が滲んでいた。
(てか何で怪我してんだオレ?)
 頭上からは、ヒラヒラと桜の花びらが舞い降りている。どうやら桜の木の下にオルクスは座り込んでいるようだった。
 クロスの背後には、遠くに町の風景が見え、ここが小高い丘である事を告げている。
「ごめんなさい……」
 ぽろっとクロスの瞳から大粒の涙が落ちた。
「ん? 何故クーが謝る?」
「だって……」
 指先で涙を拭ってやると、更にクロスの涙腺は崩壊したようで、止めどなく涙が溢れる。
「迷子になって……そしたら、知らない人達に囲まれて……それをルク兄が助けてくれて……」
(あー成程。大体分かったぞ。迷子だったクーがマセた餓鬼共に虐められてオレが助けて退治したんだな。昔、そんな事もあった気がする……)
 オルクスは優しく泣いているクロスの頭を撫でながら、懐かしさに微笑んでいた。
(という事は、やっぱり過去の夢か。夢にしてはやけに感触がリアルな気もするが……まぁ、いっか)
「クーは気にすんな。オレが好きで助けたんだしな」
 涙を服の袖を使って拭ってやると、クロスは『でも……』と瞳を歪める。
「こんくれぇ平気だ」
 真っ直ぐに瞳を合わせて、ニッと笑ってみせると、クロスの頬が赤く染まった。
「だから泣きやめ」
 コツンと、彼女の額に自分の額を押し当てる。
 触れ合った箇所から、じんわりとお互いの体温が伝わる。
「キミの幸せとキミは、オレが護るから……」
 過去も未来も。クロスを守り、愛す。それがオルクスの誓いだ。
「ほら」
 立ち上がるとオルクスは手を差し出した。
「帰ろう」
 微笑んでそう言えば、クロスの瞳から溢れていた涙は止まっていた。
「うんっ」
 花咲くような笑顔で、オルクスの手を握る小さな手。
 この温もりを離さない。
 二人の周囲を、まるで祝福するように桜が舞い踊った。

 ※

「あれ?」
「おっ?」
 気付けば、クロスとオルクスは、ハンドベルを手に見つめ合っていた。
「「何だ夢か……」」
 声が重なって、思わず二人できょとんとする。
「オルクも夢を見たのか?」
「って事は、クーも?」
 二人で見た夢の内容を話す。
「俺達に子供……」
 オルクスは感動に震え、クロスは懐かしい想い出を振り返ったのだった。


●5.

 チリン。

「パパ、お誕生日おめでとうー!!」

 パンッ! パンッ!

 軽やかなクラッカーの音と、優しく包み込む祝福の声。
 クラッカーから放たれた紙テープと吹雪を浴びて、エミリオ・シュトルツは硬直した。

 一瞬の事だった。
 パートナーのミサ・フルールと共に、教会でハンドベルを鳴らした筈だ。
 それが、瞳を開けた次の瞬間、見たことのない場所に居る。
 木の温もりに溢れた空間だった。
 木製の壁に床、並ぶインテリアも温かみのある優しい雰囲気。『家族』の匂いがする。
 木枠の窓の外には、夜の闇が広がっていた。
 木製のテーブルの上には、チェック柄のテーブルクロスが敷かれ、その上に美味しそうな家庭料理が並んでいる。特に特大のホールケーキが目を引いた。
 
(ここは……一体……)

「パパ、どうしたの?」

 『パパ』。
 耳慣れない単語に、エミリオの視線は声に主を探し下へと向く。
 こちらを見上げ、きょとんとしている瞳の色に、心臓が跳ねた。
 この色は知っている。この色は……そして柔らかそうなこの髪の色は──。

「寝ぼけてるの?」

 クスクスと笑う声。良く知っている声にエミリオは震える己を感じた。
「ミ……サ?」
 少女の隣で優しく微笑む女性。
 ああ、見間違える訳がない。大切な女(ひと)。
「もう、ぼうっとして、どうしちゃったの?」
「パパ、だいじょうぶ? どこかいたいの?」
 トトトと、少女がエミリオの足元に駆け寄ってくる。
「いたいの、いたいの、とんでけー」
 小さな温かい手がエミリオの脚に触れて、おまじないの言葉が響いた。
「ママ! ママもいっしょにおまじないするのー」
「そうね、ママも一緒におまじないするわ」
 ミサの手がエミリオに肩に触れる。

「「いたいの、いたいの、とんでけー」」

 重なる声は、エミリオの身体に染み込んでいくようで。

(ああ……)
 エミリオは理解する。
 ミサと少女の後ろ、棚に飾られた写真立て。
 写真の中で、エミリオとミサ、中央に少女が並んで、幸せそうに笑っている。
 その隣には、ウェディングドレス姿のミサとエミリオの笑顔が並んでいた。

(これは、未来? 俺達の……娘……)
 年の頃は5歳くらいだろうか。
 ミサに似た可愛らしい少女。
 漆黒の髪、紅い瞳の色は、エミリオと同じもの。
 大人しそうな印象の、でもとても優しい子だというのは、一生懸命に脚を擦る手から十分に伝わってきた。

「貴方、いつまでもそんな顔をしてたら、エマが心配して泣いちゃうわ」
 耳朶を擽るミサの声に、エミリオは顔を上げる。
 パチンと片目を閉じる仕草は、変わらず可愛くて……愛おしい。
(『エマ』……娘の名前……俺の……家族)
 これは夢だ。エミリオはそう思った。
 叶う筈の無い未来だ。
 だって、この手は、許されない緋色に染まっている。
 ミサから両親を奪ったのは、他でもない、この手なのに──。
(だから、俺は──『アイツ』だけは道連れに……)
「貴方」
 ポンと肩を叩く優しい手に、エミリオの思考は途切れた。
 呆然と見上げると、ミサはにっこりと微笑む。
「今日は貴方の誕生日でしょ。忘れてたの?」
「誕……生日?」
「あのね、エマ、ママと一緒にケーキ、つくったの」
 くいくいとエミリオの袖を引き、エマが頬を染めて見上げてきた。
「そうなんだよ。エマ、とーっても頑張ったんだから! ね?」
「うんっ」
「さ、誕生日会の続きしよう!」
 ポンとミサは両手を合わせると、エマと二人、エミリオの前に並ぶ。
「あらためまして……」
「「パパ、誕生日、おめでとう!」」
 パチパチパチパチ。
 笑顔の華と、温かい拍手が響いた。
「お祝いに」「ママとエマでお歌を歌うの!」
 ミサの合図で、二人はすうっと息を吸い込み、歌い始める。
 楽しそうに、心からエミリオを祝って歌われる歌。
(……なんて……)
 温かく優しく響く歌なのだろう。
 ぽたり。
 気付けば、温かい雫が頬を伝った。
 それを拭う事もせず、エミリオは歌に聞き入る。
 歌い終わった二人へ、エミリオは拍手をしようとして、その手さえ濡らす止まらない涙に俯いた。
「っ、今日ほど生きてきてよかったと思ったことはない……ありがとう、ミサ、エマ」
「パパ、またどこかいたいの?」
「エマ、違うの。パパね……嬉しくて泣いてるの」
 心配そうにエミリオを見るエマの肩に、ミサが手を乗せた。
「ママ?」
「ふふ、ママも嬉しくって涙が出ちゃった。二人共泣いちゃってごめんね、エマ」
 溢れる涙を拭いながら、ミサは笑った。
 愛おしい。
 ああ、この想いをどうしたら伝えられるんだろう。
「ミサ、エマ」
 エミリオは立ち上がると、愛しい妻と子を抱き締める。
「パパ?」
「ありがとう……」
 伝わればいい。この腕から想いが伝わって欲しい。
「貴方……エマ……」
 ミサの手が、エミリオとエマを抱き締める。
「私達はエマのおかげで凄く幸せなんだ……ありがとう」
 幸せを噛み締めながら、三人は暫くの間、そうして抱き合っていた。

「いけない、ご飯が冷めちゃうわ」
 先に身を離したのはミサだった。
 紅くなった目元を擦り、照れくさそうに微笑む。
「折角エマと作ったんだから」
「……そうだね」
 エミリオも頷いた。二人で作ってくれた食事、大切に食べたい。
「それじゃ、席についていただきましょう!」
 三人は木製の椅子に座って、テーブルを囲んだ。
「まず、恒例のアレをしないとね」
「アレ?」
「エマ、ロウソクをケーキに刺してくれる?」
「はーい!」
 エマの小さな手が、大きなホールケーキに、エミリオの歳の数だけロウソクを刺していく。
「ママ、できたー」
「うん、よく出来ました!」
 ミサはエマの頭を優しく撫でて、マッチを手に持つ。
 そして、小さな炎でケーキのロウソクへ火を灯していった。
 ケーキをろうそくが彩り、幻想的な色を見せる。
 灯りに照らされたケーキには、『パパ、誕生日おめでとう!』とチョコレートで書かれたチョコプレートが可愛らしく飾られていた。
「それじゃ、貴方。ふーって吹き消してね」
「パパ、がんばってー」
 目の前にケーキが置かれて、少し緊張しながらエミリオは大きく息を吸い込んだ。
 ふーっ。
 息を吹きかければ、ろうそくの炎はふっと消えていく。
「「おめでとう!」」
 パチパチパチ!
 ミサとエマの拍手に、エミリオは顔が熱くなるのを感じた。照れ臭いけれど、幸せだった。
「ケーキ、切り分けるわね」
「パパ、この唐揚げ、エマが下ごしらえしたの。食べて食べて!」
「ああ、ありがとう、エマ」
 小さな手が運ぶ唐揚げを口に入れて、美味しさに頬が緩む。
「美味しいよ、エマ」
「ほんとうっ?」
 パァとエマの顔に笑みが広がった。
「ふふ、良かったわね、エマ。このケーキもね、エマが生クリームを泡立ててくれたの」
 瞳を細めながら、ミサが切り分けたケーキが乗ったお皿を、エミリオとエマの前へ置く。
「あのね、ボウルのそこにね、氷のお水をあててね、ぐるぐるしたのっ」
「そうなのか。すごいな、エマは」
 エミリオが頭を撫でてやると、エマは幸せそうに笑みを零した。
「はい、貴方。あーん」
 そんなエミリオの口元に、ミサがフォークでケーキを一欠片掬い、差し出してくる。
「……」
 エミリオは僅か戸惑うも、素直にそれを口に入れた。
「……美味しい」
「「やったー!」」
 頬を染めたエミリオを見て、ミサとエマがハイタッチする。
 目眩のするような幸福に、エミリオは再び浮かびそうになる涙を堪えた。
 これが例え夢だとしても、この幸せがずっと続けばいい。そう祈らずには要られなかった。

 パチッ……。

 何かが弾ける音がして、エミリオは顔を上げた。
「何だ……?」
「やだ、何だか焦げ臭いわ……」
 ミサが立ち上がった瞬間だった。

 ドン!!

 爆発音。
 突如吹き上がる炎に、エミリオの視界が赤く染まった。
(火事?)
「ミサ!! エマ!!」
 傍らの妻子へ視線を向けた瞬間だった。

「エマ、危ない!!」

 燃え盛る柱がエマへと倒れ、ミサが咄嗟にエマを突き飛ばしその下敷きになる。

「ミサー!!!!」
 エミリオは叫び、助けようとするが、天井が落ちてきて無情にも二人を引き裂いた。
「……!! どけ!! なんで、どうして!?」
 半狂乱になりながら、エミリオは固く燃える板を叩く。
「ママー! パパー!」
 泣き叫ぶエマの声。
「クソ……何か道具を……!!」
 エミリオは助けを求めるように周囲を見渡す。
 そして、見つけてしまった。
「……え……?」
 燃える木製の窓枠の外、佇む影があった。
 それは、決して忘れる事も許す事も出来ない『男』。
 男はエミリオと目が合うと、ニィと口元を引き上げた。
「き……さま……」
 ブルブルとエミリオの身体が震える。
「貴様はいくつ俺から大切なものを奪えば気が済む!!」
 ほくそ笑んでいる憎き男は、エミリオの叫びには答えない。

「パパー! ママー!」

 炎の勢いが増して、エマの声も弱々しくなっている。
「っ、ミサ!! エマ!!」
 エミリオは火傷も恐れず、二人の元へ行こうと行く手を阻む木材を掴んだ。
「チィ……!」

「エミリオさん」

 ミサの声が聞こえ、エミリオはぐぐっと木材を押す。
「ミサ、今助ける!!」
「大丈夫だから」
「絶対に助ける!!」
 渾身の力で木材を押し退ければ、柱の下敷きになり炎に包まれようとしている愛しい妻の姿が視界に入った。

「大丈夫、未来はつくるものだから」
 ミサは微笑んだ。気丈に微笑むその姿は、何処か神々しく見えて。

「貴方が望んでくれたなら、また三人で笑いあえるから」

「何を言って……」
 それだと、それだとまるで……!

「大好きだよ、エミリオさん……」

「ミサ!! エマ!!」
 手を伸ばす。
 届け! 届け! 届け!
 声の限り叫びながら。

 けれど、指先は届く事なく、エミリオの視界はホワイトアウトしたのだった──。

 ※

「エミリオさん?」
 ゆさゆさと肩を揺すられ、エミリオは瞳を開いた。
 静謐な空気の場所。ああ、ここは教会だ。
「どうしたの? 酷い汗……」
 ふわりと温かな優しい手が、ハンカチでエミリオの額の汗を拭った。
 心配そうに見つめる栗色の瞳。ミサだ。
「ミサ……!」
 ハンドベルを置いて、エミリオはミサを抱き締めた。
「え、エミリオさんっ?」
 ミサが耳まで赤くして慌てる。ここには他の皆も居るのに!
「ミサ……」
 けれど、エミリオの身体が震えているのに気付き、ミサはそっと彼の背中に手を回す。
 ポンポンと背中を叩けば、段々と震えは収まっていった。
「ミサは……」
 ポツリとエミリオが口を開く。ミサは聞き逃さないよう集中した。
「未来は……変えられるものだと、思うか?」
「うん、変えられるよ」
 きっぱりとミサが言った。
「未来は変えられるよ」
「……そうか……」
 エミリオはミサを抱く手に力を込める。失わないように、強く。

 ※

 後日、ウィンクルム達による、ハルモニアホールでの演奏は、大盛況の内、幕を閉じた。
 ウィンクルム達が奏でる音は、懐かしく、新しく、切なさや喜び、悲しみ……様々な色を纏い、観客達を魅了した。

『奏でる音色は感情を移す鏡だというけれど、本当に見事なものだね』
 ベーツァルト・シューバッハの言葉を改めて観衆達は思い出した。

 ハンドベルは、これからもウィンクルム達に奏でられる日を静かに待っている──。

Fin.



依頼結果:大成功
MVP
名前:ミサ・フルール
呼び名:ミサ
  名前:エミリオ・シュトルツ
呼び名:エミリオ

 

名前:テレーズ
呼び名:テレーズさん
  名前:山吹
呼び名:山吹さん

 

メモリアルピンナップ


エピソード情報

マスター 雪花菜 凛
エピソードの種類 ハピネスエピソード
男性用or女性用 女性のみ
エピソードジャンル イベント
エピソードタイプ EX
エピソードモード ノーマル
シンパシー 使用不可
難易度 普通
参加費 1,500ハートコイン
参加人数 5 / 2 ~ 5
報酬 なし
リリース日 05月20日
出発日 05月26日 00:00
予定納品日 06月05日

参加者

会議室

  • [7]ミサ・フルール

    2015/05/25-22:35 

  • [6]クロス

    2015/05/25-15:59 

    クロス:
    皆久しぶりー
    初見さんがいたら初めまして!
    今回も宜しくな!

    そうか、単体で行っても良いのかっ!!
    それは考えつかなかった!!

  • [5]リゼット

    2015/05/25-10:49 

    読み違いをしてマスターさんにご迷惑をかけてしまったらと心配していたのですが
    皆さん思い思いの内容で進められるようなので、私もそうしようと思います。
    ご意見いただきありがとうございました。

  • アメリアよ、今回もよろしくね。
    あたし今回は単独かしらね…。
    ユークの過去とか興味あるし。
    むしろ弱みを握って、今後アイツが好き勝手出来ないようにしてやるんだから!
    未来も気になるけど…別の奴と一緒に居たりしたら…って、ちがーう!
    と、とにかく、よろしくね!

  • [3]テレーズ

    2015/05/24-18:57 

    テレーズと申します。
    よろしくお願いしますね。

    私は行先は個人単位で異なり、
    両者共に未来(過去)に行くとしてもそこで遭遇するのは未来(過去)のパートナーであって、
    どこに行っても今のパートナーとは遭遇しないという認識でした。
    まあ必須事項さえ押さえていれば大丈夫かなとゆるく考えていました。

  • [2]ミサ・フルール

    2015/05/24-06:15 

    おはようございますー
    絡みはないけれど、みんなどうぞよろしくね!
    私もどれか色々迷ったのだけど、特にこうでないといけないっていう記載はないし、そこは私達が自由に決めていいんじゃないかなーと思ってるよ。

  • [1]リゼット

    2015/05/24-00:19 

    みなさんお久しぶりです。よろしくお願いしますね。
    ところで入ってから思ったんだけど
    これってたとえば私は過去、パートナーは未来、というように
    それぞれ違う場面にトリップして、今のパートナーとは行った先では会わない。ということかしら?
    それとも二人で同じ場面に行くのかしら。
    もしくはウィンクルムのどちらかだけが行くのかしら。
    どれとも取れたから、よろしければみなさんの見解を聞かせてもらえるとありがたいです。


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