五月の雨は突然に(Side:Ruby)(桂木京介 マスター) 【難易度:とても簡単】

プロローグ

 穴場的な古刹にて今日はふたりきりのデート。静かな庭に他の観光客はなく、なんだか貸しきりという気分だった。
「心が洗われるみたい……」
 とうっとりするあなたの心を、悪い意味で洗い流してしまったのは突然の雨だった。
 通りで観光客なかったはずだ。ぽつりぽつり雫のようだったのはわずかな間のこと、たちまちバケツをひっくり返したような、しかもそのバケツから猫や犬が飛び出してきたような徹底的な土砂降りとなる。
 なのに不幸にしてふたりとも、傘を持ってきていないのだった。
 慌てて飛び出しこんだのは小さなお堂。がらんとしていて、やはり無人だ。
 やれやれ、と思うまもなく、
「きゃっ!」
 あなたの頬が一瞬にしてルビー色に染まった、彼がいきなりTシャツを脱いだのだ。
 パッと両手で目を覆ったが、あなたの目にはすでに、彼のすべすべした鎖骨のラインが焼き付いていた。
「何してるの! いきなり!」
「……いや、びしょびしょだから。お前も脱いで絞ったら? 大丈夫、後ろ向いててやるから」
「な、な、何をバカなことを……っ!」
 と大声をだしたものの、あなたは……さて……どうしよう?

 ……というのはあくまで一例だ。
 五月のいたずらな空がもたらした突然の大雨、相合い傘で楽しくデート、おそろいのレインコートでトレッキング、雨漏り天井と大格闘……などなど、あなたと彼だけの物語をここに紡いでみようではないか。

解説

 五月の突然の雨。これがもたらした小さな、けれども、記憶に残る出来事を描きたいと思います。
 ある日大雨に見舞われたあなたと精霊が、がどんな風に過ごすか教えて下さい。(本文に書いた話はモデルケースですが、もちろんこのシチュエーションに当てはめていただいても構いません)
 突然の雨、というテーマさえ押さえていただければ、どんな展開でもOKです。

 モデルがあったほうがいい、というのであれば、たとえば……。
 ●雨で過去のトラウマが蘇り、苦しむあなたを彼が後ろから抱きしめる。
 ●「雨の日でなきゃできない実験をしたい」などと言い出す彼と困るあなた。
 ●雨の日の観覧車から、濡れてより美しくなった夜景を眺めるデート。
 なんていうのはどうでしょう?

 どうぞ自由に発想してみてください。

 なお、参加費ですが、傘代や飲食費等で、アクションプランに応じて300~500Jr程度かかるものとさせていただきます。
 ご了承下さい。


ゲームマスターより

 お世話になっております。GMの桂木京介です。
 六月は割と傘を持って出かけますよね。ところ五月だと「五月晴れ」のイメージがあるせいか、なんとなく傘を持たず出かけてしまいがちです。
 で、そうすると意外と降る雨にでくわし途方に暮れてしまいます……と言うのは私だけでしょうか(汗)

 あなたのプランを楽しみにお待ち申し上げております。
 次はリザルトノベルでお目にかかりましょう! 桂木京介でした。

リザルトノベル

◆アクション・プラン

油屋。(サマエル)

  下校中突然の大雨 トラックに泥を跳ねられる
出会った精霊に誘拐される
テメーは何脱いでんだコラ(ジト目 
精霊を追い出す

和解はしたものの気まずさはあり
適度な距離を保ちつつ接したいと思う神人

誘拐・監禁された少女が犯人を愛してしまい
二人はそのまま愛し合うという話
結末→犯人はいつか少女が自分の元から逃げて行くのでは
という不安に駆られ殺してしまう

恋愛ジャンル自体に興味は無いが 
どこか耳に残るセリフもあって見入る

どこが!途中までは良かったけど
最後は吐き気すらしたね

背後に嫌なものを感じてゾワリ
後ろから手が伸びて唇をなぞられる
逆らえずに緊張から息をのむ
早く止んで欲しいと願う

※両者ともアドリブ大歓迎


ミオン・キャロル(アルヴィン・ブラッドロー)
  暫く帰れそうにないわね
少し濡れた髪やら服の水を払う

雷の音が近づいてくるのを感じる
雷も鳴ってるし、すぐ止みそうね
首を傾け精霊に言う

はぅぁ…何っ!?
狼狽え思わず壁に張り付く

あ…、確かに激しく打ち付けて煩いわよね
か・み・な・り!!
すぐ止みそうねっ!!
俯いて力いっぱい叫ぶ
きっと顔が赤いもの
鼓動も煩い
雨で聞こえない事を祈るわ

急に触られてびくっと見上げたら目が合った
どうしよう…あぅあぅとしてたら相手が先に目を逸らした
滴が髪から垂れてる事に気づく
よく見たら体半分がずぶ濡れ

庇ってくれてたのね
ありがとう
ハンカチを取り出す

歩き出した精霊の行く先が違う事に訝しげる

わ、私も歩くわ!
私のせいで濡れたんだし(もにょもにょ



ペディ・エラトマ(ガーバ・サジャーン)
  「あら…ら。雨、ね…」
ガーバに誘われて紅月神社で散歩していたけど、凄い雨だわ

ガーバが申し訳なさそうな顔で私を見るから笑ってしまうわ
「小さな子供じゃないもの、濡れるくらい平気よ」
髪を絞ったら見苦しくならないようにゴムで束ねておこうかしら

質問に少し驚くけど正直に答えるわ
「そうね。無事の保障はないもの」
神人として頑張りたいけど、依頼を受けるということはガーバを危険に晒すことでもあるのよね
「申し訳ないし、怖いと思うわ」

ガーバの話を黙って聞くわ
「だからあの時、会えたのね」
あの時のガーバはとても頼もしく見えて、悲しみには気づかなかったわ
無力な人を救いたいというのは私も同じね
「私も一緒に、頑張らせて?」



ヒヨリ=パケット(ジルベール=アリストフ)
  ★裏庭でハーブ摘み+お茶会

振り向き様に目が合った

彼は他の大人達とは違う
優しい眼差しで微笑む
慣れなくて戸惑う
でも嫌ではない、と思う


★突然の雷鳴に思わず蹲る
ふわりとマントを広げて雨から守ってくれる彼に
心がきゅんとした、気がした
ふと彼との出会いを思い出す


☆あの日も突然の雷雨だった
屋敷裏の林にある泉に
彼は安らかな笑顔で浮かんでいた
周りには色鮮やかな(一部焦げた)茸が無数に浮いていて。
「まあ!なんて事!人と茸が!茸が!!きのこ」


確かあの時も心がきゅんと
いえ、ギュン!?としたような

私、予感がしましたの
何か大きな事が始まったのだと

身長差であまり見えない横顔が少し歯がゆい
胸がざわり
この気持ちは何なのかしら



哀川カオル(カール三世)
  学校から帰る途中、突然の雨。
慌てて店の軒先で雨宿り。
スマホは家に忘れてきたし…仕方ない、走って帰ろう
と、決意をした所に偶然、傘を持ったカールが通りかかる
「…カールちゃん?何してん?」
この人の私生活、謎や…と思いつつ
「え?送ってくれるん?」
相合傘に

元は日傘、二人入るには小さめ。カール濡れてる
「カールちゃん、濡れてるで。もっと密着せんと」
その反応に
(あー、この人意外とウブなんやなぁ)
零れる笑みと感謝

まだ出会って間もないが、意外と良い人?と

「ちょっと家に上がってお茶でもしてき。
 お礼もしたいし、カールちゃんのこと家族に紹介したいし…」
…走って行ってもうた

カールちゃん、おおきに。
風邪引かんといて、な。



●パートナーとして

 まるでカラー撮影した写真が、みるみる色あせていくかのよう。
 紅月神社の上にかかる空が、青いものを失いつつあると思いきやたちまち、透明度の低い、水で溶いた灰のような色に変わった。
 雲間から最初のしずくが、ペディ・エラトマの手のひらに落ちたのはそれからまもなくのことだ。
「あら…ら。雨、ね……」
 気のせいかもと言いたいところだが、冷たいしずくは次々と落下し、はっきり『雨』と呼ぶしかない状態になるまで数秒とかからなかった。
 まばらな粒はびっしり隙のない棒状になる。まるで滝の下だ。このままここにいたら、あっという間に歩く洗濯物になるだろう。
 ペディ以上に動揺したのはガーバ・サジャーンだった。屋外生活が長いゆえ彼は、この雨脚が速いものだと見抜いている。
「しまった……」
 天気予報が得意だと、自他共に認めるガーバである。神社の散策に誘ったのは彼、朝方の空模様を見て傘はいらないと、自信を持って告げたのも彼……見立てたところ雨は早くても今夜と思われた。だというのに今はまだ昼前だ。こんなに雨雲が早く到達するとは予想外だった。
 この場合、弘法も筆の誤りとするところなのだがガーバの胸は痛んだ。
「どこか雨宿りできるところを……」
 あいにくと広い鎮守の森である。すぐに駆け込める場所もない。早くもぐっしょり濡れた額をぬぐって、ガーバは離れた屋根を指さす。
「あそこの東屋(あずまや)に入ろう」
 ペディは無言でうなずいた。怒っているのかも――ガーバはまた身が縮む思いだがうながして小走りになった。
 ペディも駆け出し、ばしゃばしゃと水を跳ねながら、競争するようにしてふたりは亭の中に入る。
 簡単な造りの休憩所だった。四方に木の柱があり、あとは屋根があるだけ。正方形の卓と、それを囲む形状で腰を下ろす場所がしつらえてあった。風がなかったのは不幸中の幸い、もし横殴りの風があったとすれば、この程度では雨を防ぐのに、大して役には立たなかったことだろう。
 とはいえなんとか、一息つくことはできた。
 さて、とガーバは唇を噛んだ。バケツの水を頭から被ったような状態だ。見れば服の袖からも、水滴がぽつりぽつり落ちている。けれども我が身のことはどうでもよかった。降られるのにも濡れ鼠になるのにもガーバは慣れている。服を着たまま川に落ち、向こう岸まで泳いで渡ったことだってあるくらいだ。
 だがペディのほうはそうではあるまい。
 彼女が眉をつり上げたり、ましてや大きな声を出したりするところを見た記憶はガーバにはなかった。けれども彼は考える。この場合彼女が、自分に腹を立てたとしてもおかしくはないだろう、と。自分の気まぐれにつきあわせたことを心から申し訳なく思った。
「そのうち止むだろう」
 と言って彼女のほうを向く。
 ここでガーバは、意外なものを目にして軽く息を飲んだ。
「どうしたのそんな顔して?」
 ペディの笑顔だった。
 かわいそうに、淡いライムグリーンの髪はぺったりとなって額にも張り付き、服だってガーバ同様、わざわざ濡れたものを選んだみたいになっているが、それでもペディは楽しそうで、あははと声を弾ませている。
「小さな子どもじゃないもの、濡れるくらい平気よ」
 叱られた小学生みたいにしているガーバに、思わずペディは吹き出してしまったのだった。彼女とて神人である。依頼では短刀を抜いて切り結んだり、逃走車のハンドルを握ってアクセルを踏み込んだりしてきたのだ。雨に濡れた程度なんということもない。
「一瞬だったわね。土砂降りになるまで」
 鼻歌でも唄いだしそうな調子でペディは長い髪を絞った。面白いくらい水がしたたる。それを見苦しくないように縛って、ゴムで束ねて頭の後ろで止めた。
「そうだな……」
 しばし、見とれたようにペディの動作を眺めていたガーバだが、やがて気がつき慌てて目をそらす。
 どうしてだろうか。胸が高鳴った。
 すぐに思いだすことはできないが、ガーバはこんな光景を、どこかで見たことがあるような気がした。
 髪を絞って背でまとめる、それだけの動作、ペディではない誰か……美しい誰かの、そんな仕草を目撃した記憶が彼にはかすかにあった。それがいつで、誰のことなのかは思いだせない。やがて、もしかしたらそれは、母親の記憶かもしれないと思い至った。
 おかしなものだ。自分はペディの保護者的存在のつもりなのに、彼女を見て、一瞬とはいえ生みの親のことを想うとは。
 あまり黙っているのも気まずい。かといってとっさには、話題も出てこない。
 ガーバは雨空に目を凝らした。ほんの半時間前までさんさんと輝いていた太陽が、今はその片鱗すら見えない。
 そういえば――と、急に彼が思いだしたことがある。
 ――オルロックオーガの悪夢の中で、ペディが私の身を案じていると言っていた。
「私がオーガと戦うのは心配か?」
 ぽつりとガーバは唇から言葉を漏らした。返事がなくても構わなかった。
 されどペディはしっかりとその言葉を聞いていた。そうして少し、驚いてもいた。まさかこんなことを訊かれるとは思ってもみなかったから。
 でも正直に返答すべきだとも思った。
「……そうね。無事の保障はないもの」
 神人として背負った使命を果たしたい。ペディのその気持ちに偽りはない。
 ただその一方で、依頼を受けるということは、命の恩人であるガーバを危険にさらすことでもあるとペディは知っている。
「申し訳ないし、怖いと思うわ」 
 雨音が鎮まる気配はまだない。間断なく爆ぜるようなその低い音はどこか、オーガとその眷属たちが迫り来る音を思い起こさせる。
 十年前のあの日、ペディはその音に怯えた。
 十年前のあの日、ガーバはその音に、己の無力を知った。
 ふたりにとってすべてがはじまったのは、十年前のあの日だった。オーガ率いる集団が、小さな村を襲ったのだ。
 ……雨音だけが彩る静寂を、ガーバが破った。
「気に病むことはない」
 あまり弁の立つほうではない――自分のことをガーバはそう考えている。だからたくさんの言の葉を用いるより、要点だけ簡素に告げることを選んだ。
 ガーバは語った。
 ペディが住んでいた村、今はもう地図にない村には、彼の親友もいたということ。
 友は、助からなかったということ。
「だからあのとき、会えたのね……」
 もう十年も前のことで、ペディはまだ幼かったためその詳細までは思いだすことはできない。けれどもガーバの第一印象は、今でも彼女の胸に焼き付いている。
 燃えさかる家や橋、むっとする血の匂い、恐慌がもたらす皆既日食のような淀み……その中で、毅然と自分の手を引き、安心させようと笑いかけてくれたガーバは、彼女にとって光そのものだった。
「あのときのガーバはとても頼もしく見えた。私は、あなたの悲しみには気づかなかったわ」
 それを耳にしても、ガーバは否定も肯定もしない。ただ自分の襟を緩めながら、そっと彼女に微笑みかけた。
 その笑みは、かつてのペディの光、そのものだった。
「誤解してほしくないのだが、私が今の立場にいるのは個人的な復讐のためではない。仇を討つ気はないが、無力な人々を救うため、オーガに対抗する力を持てたことは幸せだ」
 言ってみてはじめて、ガーバは気がついた。
 彼女に伝えたかったこと、それがこのメッセージなのだと。
 ペディと共にある限り、ガーバは無力ではない。ウィンクルムとして、かつてのような悲劇の再現を防ぐことができるのだ。そのための危険であればむしろ望むところだ。何を恐れることがあろう。
「無力な人たちを救いたい……それは私も同じね」
 ペディはまっすぐに彼を見た。手を引かれるだけの幼子ではなく、彼とタッグを組む神人として。
「私も一緒に、頑張らせて?」
 依頼を受ける中で、彼女がずいぶん、大人になっていたことを彼は知っていた。だから返答するに迷うことはなかった。
「そうだな。一緒に」
 ペディはもう子どもじゃない――ガーバは認めた。
 ――私の、パートナーだ。

 いつしか雨は小降りになっている。



●軒と壁と、視線と、視線

 あまり広い軒下ではなかった。
 だからどうしても、身を寄せ合うような格好になる。
「しばらく帰れそうにないわね」
 ミオン・キャロルの黒髪は湿って、それなのに、いや、それだからこそますます、つややかな光沢を放っている。
「参った参った」
 と言いながらも、アルヴィン・ブラッドローはどこか涼しげだ。これを楽しんでいる風もある。五月雨(さみだれ)という言葉もあるではないか、四月や六月では味わえない現象だ。
 頃は夕方、A.R.O.A.からふたり帰る途中、ぽつりぽつりと雨が降り出した。小雨なら頑張って帰れないこともなかったがまもなく、ごうごうシャワーのような本格的な降りとなったため彼らは強行を諦めた。もちろん傘はなく時間をつぶせる店もないあたりであったため、こうして付近の軒の下、そろって雨宿りとなったのである。
 空は涙にくれるにとどまらず、ごろごろと低くドラムロールまで鳴らしている。
「なんだか、雷の音が近づいてきてるみたい」
 ふうとグレーのため息が出る。テーブルがあればきっと、ミオンは頬杖をついていたことだろう。とはいえ洗濯物をしまってから出たことだけは、今朝の自分を褒めてあげたい。
「まあ、雷も鳴ってるし、すぐ止みそうね」
「そうだな」
 生返事しながらアルヴィンは頭上を調べていた。
 あまり上等な軒とはいえないようだ。むしろ良くないほうに入る。あちこち亀裂があって、雨水は軒下にも伝い落ちてくるのだ。しかも伝い方が一様でなく、どこにこぼれてくるのかわからないときている。ゆゆしき事態だ。
 どんなときであってもミオンを守るのがアルヴィンの誓いであり使命である。このままこうしていて、彼女にしずくが落ちるのを見たくない。
 だったら――アルヴィンに躊躇はなかった。
 ミオンを守る手段、それはひとつだけだ。
 背を雨空に向け自分と壁の間にミオンを置くと、斜め上に覆い被さるように、右手と右肘を壁について彼女を挟む。
 このときドンと音が立つのは自然法則である。
 音を立てるのはもちろん壁だ。すなわち、壁がドン。略して壁ドン。
 ……なにか問題でも?
 なおこの防衛姿勢(と呼ぶことにする)は、彼と彼女に身長差があるからこそ実現できるものでもあった。
「はぅぁ……何っ!?」
 ミオンからすれば彼が、突然顔を正面から寄せてきたような体勢だ。
 うろたえるなというほうが無理。息がかかるほどの距離。
 アルヴィンの目、色素は薄いがそれゆえに、つい見入ってしまいそうな琥珀の瞳……そこから目をそらすことができない。けれども動悸は高まり背にうっすらと汗をかき、思わず両の手のひらでぺたっと、ミオンは背後の壁を触ってしまう。
 あまりにも突然、こんな急接近、わずか数秒前でも想像すらしていなかった。
 このとき雨が勢いを増した。それこそナイアガラ瀑布かというくらいに。やけになったような大雨だ。
「ち、ちょっと……!」
「ごめん、雨の音で声が聞こえない」
 必然のこととして、大量のしずくを頭や腕に受けながらアルヴィンはこたえた。実のところ「聞こえない」というのは建前だったのだけれど。
 だけどもミオンだって、彼がどういう意図なのかは理解できていた。冷たい雨から自分を守ってくれているのだ。それを嬉しく思わないはずがない。
 しかし、だったら自分はどう言えばいいのだ。ミオンは迷わずにはいられない。「守ってくれてありがとう! 素敵!」か? ……そう素直に口に出せれば苦労はない。
 だからミオンは、多少声を大きくしてこう言うにとどめた。
「あ……、確かに激しく打ち付けてうるさいわよね」
 その一方で彼女は足元に視線を落としていた。というよりも顔そのものを下に向けていた。
 ――きっと顔が赤いもの。
 ところがここでますます雨はボリューム増となる。乾いた豆を一千万だか一億個だが、どかどか空から落としたのではないか。それほど騒々しい雨音となったのだった。しかも雷光が走り、ややあって巨大な地響きと雷鳴が轟いたとあっては、ほとんど戦場にいるかのようだ。
「うるさい!? なにが!」
 アルヴィンは声を上げた。今度は本当に、ほとんど彼女の声は聞こえなかった。
「か・み・な・り!!」
 負けじとミオンも声を張り上げる。本当はツーバスドラムみたいになってきた自分の鼓動もうるさいのだけど、さすがにそれは言えない。心臓の音が彼に聞こえていないことを祈るばかりだ。
 さらにミオンはうつむいたまま力いっぱい叫んでいた。
「すぐ止みそうねっ!!」
 そうあってほしいと彼女は願う。そうでないと……どうにかなってしまいそうだ。どのように『どうにかなる』のかは、自分でもわからない。
 さすがに空も疲れたのだろうか、爆発的な雨量はすぐに収まってきた。
 やれやれとアルヴィンは安堵した。この姿勢とスコールみたいな雨のおかげで、自分の首から背中はこっぴどく濡れてしまった。それでも少なくともミオンは無事だ。ならば、それでいい。
 ところがここで、彼の防衛網をすり抜けたしずくがひとつ、ミオンの上に落ちた。生え際あたりに着地して、彼女の額をつーっと滑り降りている。
 なにか考えての行動ではなかった。
 このとき反射的にアルヴィンは、ミオンの額を指でぬぐっていた。
 びくっ、とミオンが、昼寝から覚めた途端の猫のような反応を見せた。
 顔を上げたミオンの黒真珠のような目、これが最初にとらえたのはアルヴィンの目だ。
 視線と視線がかっちりとぶつかった。
 ――近い。
 とアルヴィンは思い。
 ――近っ!
 とミオンも思った。
 というか近すぎかもしれない。もう少し具体的に言えば、キスの一秒前くらいの距離である。
 どれくらい長く見つめ合っていたのか。彼は彼女に、そして彼女は彼に、吸い込まれそうな気がしていた。
 どうしよう……というのはミオンの心の声だが、これを言語化しても「あぅあぅ」にしかなるまい。陸に打ち上げられた金魚さんのよう。
 さすがに気まずくなったか、先に視線を外したのはアルヴィンだった。
「お……驚かせたのなら、すまない」
 けれどもようやく動かせたのは目だけだ。一瞬ミオンの胸に視線が落ちたが、それはそれでまずいと思い額の上、ゆたかな黒髪に着地させることができた。ところが体のほうは彫像になったかのように、まったく姿勢を変えることができなかった。
 同時にアルヴィンは、夢見るような佳い匂いをとらえていた。
 ――シャンプーかな。
 ここでやっと体が動いた。
「止んだな」
 彼は彼女から体を離すと、振り返って空を見る。雨は終わった。雲間から太陽までのぞいているではないか。
 そうね、と何気ない口調でミオンは合わせた。ほっとしたような、ちょっと残念なような。
「アルヴィン、髪の毛から水が垂れてる」
「おっと確かに」
 とはいえ実際はそれどころではないので、アルヴィンの言葉はなんだかなおざりだ。
 不審に思ってミオンは彼の背後に回り込んだ。
「よく見たら背中、ずぶ濡れじゃない!」
 まさしくぐしょぐしょだった。ここまでひどいと雨宿りした意味がないくらいだ。けれどもアルヴィンはいつもの微笑を浮かべて、
「暑いからちょうどいい」
 などとうそぶくのだ。
 ――いいわけないじゃない。
 と思ったときようやく、ミオンは素直になることができた。白いハンカチを取り出して渡す。
「かばってくれたのね……ありがとう」
 アルヴィンはまた、晴れやかな微笑を見せてこれを受け取った。
「洗って返すよ」
 そして歩き出す。ところが、彼が足を向けたのが駅とは違う方向だとミオンは気づいた。
「どうしたの、そっちは……」
「歩いて帰るよ、このざまじゃ電車もバスも乗れないだろ?」
 と平然としているアルヴィンの笑顔が憎らしいくらいさわやかで、もうミオンはいとおしいというか切ないというかその両方が混じって狂おしいというか、ともかく複雑な感覚になって彼に並んだ。
「わ、私も歩くわ!」
 と宣言しておいて、小さくもにょもにょと付け足すのである。
「……私のせいで濡れたんだし」



●相合い傘も突然に

 学校から帰る途中だった。
 哀川カオルが、突然の雨に遭遇したのは。
 それもガミガミ親父みたいなざんざん降りである。
 傘もレインコートも水びたしになる覚悟もあいにく持ち合わせていなかったので、カオルは銀行の軒下に飛び込んだ。ちょうど電光掲示板があったので仕方なく、そこに映し出されるニュースのテロップをぼんやりと眺める。
 ほうほう、『マントゥール教団に新たな一派が出現との未確認情報』か――まあそんな情報は家でも見られるのだが。
 まったくもって納得できない。朝、彼女がテレビで見た天気予報は『快晴』だったから。そればかりか『明日も快晴』のおまけつきだった。どこがやねん。
 気象庁だかなんだかに抗議したろかと思って悶々としていたら、ちょうど電光掲示板の情報が天気予報に変わった。これを見てカオルはあっけに取られた。天気予報はしれっと『本日は曇り時々雨』と言っているではないか。たしかこの予報はテレビのそれと同ソースだったはずだ。なのに「ずっとそう言ってましたよ?」と言わんばかりである。これにはさすがの温厚なカオルちゃんも頭にくるのであった。
 だが陸の孤島において行かれたようなこの状態で、ひとり怒っていても仕方がない。うっかり今日は、スマホも家に忘れてきたという体たらくなので、もう走って帰ろうと彼女は決めた。ダッシュすれば半漁人みたいになるより先に、家のドアにたどりつけるかもしれない。
 ところがここで!

 さて話変わってほぼ同時刻、カオルとは正反対に大変に上機嫌なカール三世である。雨に唄えばというわけじゃないが、るんたったとスキップでも披露したいくらいだ。
「はーっはっはっは! この僕の晴雨兼用日傘が役立つ時がきたね!」
 思わず高笑いしてしまう。
 彼の頭上には傘が広がっていた。一目でそれとわかる高級品で色は黒、握りには馬の頭部が彫ってあるという凝ったものだが、ゴージャスな容貌のカールには大変に似合うのである。黒い傘の下から、きらり輝く彼のブロンドやよし、育ちの良さそうな整った容貌もよし、浮かべる余裕のある表情も大変によし、雨の日の王子かくあれかしと、教科書に載せて全国に配布したいくらい決まっている。
 彼も朝の天気予報には騙されたクチだったが問題はなかった。日傘男子たるカールの日常が、この状況を可能にしたのだ。
 ところがここで!
「カールちゃん? 何してん?」
 通り過ぎた銀行のあたりから声がかかった。
 はて、銀行にカールの知り合いはいない。
 とはいえ求められればいつだって、流し目&極上スマイルをいずれも0円で提供するカールだ。このときも例外ではなかった。
「はーはっはっは、銀行員さん、この僕の美しさに保険でも紹介してくれるのかい?」
 カールはくるっと大仰にターンした。見よこのキラキラっぷり!
 あまりの豪華反応に一瞬、カオルは目が点になった。
 ――この人の私生活……謎や……。
 ただ呼んだだけなのに、どうして彼はこう派手な反応をするのだろう。
 相手がカオルと知ってもカールは態度を変えたりしない。そればかりかなんだか嬉しそうに言うのである。
「おっと、カオルくんだったね。僕は美容のためにウォーキング中さ!」
 と言ったところで、彼はカオルが徒手なのに気がついた。
「おや、傘がないのかい?」
「そやねん……」
 それはいけない、とカールはつぶやいて、止みそうもない空を見上げた。
「よかったら一緒に傘に入っていくかい? お家まで送ってあげるよ」
 ナルシーな彼がそんなことを言ってくれるとは夢にも思わず、カオルは驚いて声を上げていた。
「え? 送ってくれるん?」
「そうとも! そこで待っていたまえ」
 まっすぐ歩いてくればよかろうものを、なぜかカオルのもとに行く数メートルを、カールはワルツを踊るがごとくクルクル周りながらやってきた。
「さあどうそ!」
「おおきに! ほな遠慮なく……」
 ちょこんと傘の下に入って、思った以上にその面積が小さいことにカオルは気がついた。兼用とはいえ元々は日傘なのだから致し方ない。
 しかしそのことには何も触れることなく、
「いざや行かん!」
 などと仰々しいことを言ってカールは歩くのである。
 ところが彼、傘だけ持って妙にカオルに傘の下を譲るのだった。だから彼は外に体がはみだして濡れているではないか。
「カールちゃん濡れてるで。もっとくっつかんと……」
 カオルはごく当然のように彼に肩を寄せた。
 ところがカールのほうは、ぴん、と黄金の髪を逆立てるような反応を見せるが早いか、
「は、はっはっは! 僕は水も滴るいい男だからね! 雨だって僕を美しく輝かすフレーバーさ!」
 などと意味不明なことを言い離れようとする。カオルは彼を引き戻した。
「うちは気にしてへんで、カールちゃん濡れたら申し訳ないわ」
「あ……いや、僕が気にするというか……その、み、密着というのはどうも……うん」
 みるみる彼の頬は、赤く色づいていくのである。
 すぐにカオルは合点がいった。カール三世はどうやら、女性と近い距離にいることに慣れていないようなのだ。というかあきらかにカオルのことを、意識しすぎるくらい意識している様子である。
 ――あー、この人意外とウブなんやなぁ。
 思わずカオルは笑みをこぼしていた。ナルシストすぎる一方で思春期男子……そんなカールの素顔に触れたような気がする。
 それに、彼は王子ぶっているが紳士でもある。本気のナルシストで傲慢な少年なら、カオルの窮状を見ても「お気の毒に」と一言だけ告げてさっさと行ってしまうだろう。
 ――もしかしたら、けっこういい人なんかもしれん。
 カールを見直した気分のカオルである。組んだ当初はどうかと思っていたが、いい精霊と契約できたのではないかと考えを改めた。
 さてこうして閑静な住宅街に入り、歩くことしばし、
「あれがうちの家や」
 カオルは行く手の建物を指さした。純和風木造の平屋である。
「はっはっは、なかなか立派な門構えだねえ。僕の美しさにも釣り合いそうだよ」
「そらよかった」
 ところが近づくにつれ、建物の異様さが目立ってくる。
 家はかなりの敷地面積のようだったが、これをぐるりと囲む高い塀があるのだ。しかも塀の上には、刑務所みたいな有刺鉄線がはりめぐらされていた。さらにはほうぼうに、一目でそれとわかる監視カメラが仕掛けられているではないか。
 門は大きなシャッターで、その両側に一人ずつ、コワモテの男が立っている。警備員……と言いたいところだが、顔の傷、威圧的なサングラス、似合っていないスーツなどから、彼らがカタギの人間でないことは一目瞭然だった。
 そしてきわめつけ! 大きすぎるほどの表札には毛筆で『哀川組』と書いてある! ドーン!
 ひいき目で見れば「ご実家は建設会社さんですか?」と言えないこともなかろうが、そういう言い逃れを許さないほど状況証拠が多すぎた。
 強烈なほどの極道感! 端的にいえば、ヤ・ク・ザ!
 このときちょうど雨が止まった。
 門の前に立ち尽くして、カールの心臓も止まっていた。(心象表現)
「お嬢さん、お帰りなさいましっ!」
 両側のヤクザ者がカオルに深々と頭を下げた。それを平然と受けてカオルはカールに声をかける。
「ちょっと家に上がってお茶でもしてき。お礼もしたいし、カールちゃんのこと家族に紹介したいし……」
 ところがカールはそれどころではない。トラの檻に飛び込めと言われたってこれほど焦らないだろう。
「ぼ、僕はこの辺で失礼するよ!」
 真っ青な顔でそう叫ぶと尻に帆かけて逃げだしてしまった。
「カールちゃん、ほんま、おおきになー」
 その背にカオルは呼びかける。
「風邪引かんといてなー!」
 しかしその声を聞きながらもう、カールは大きなくしゃみをしているのだった。
「……ふふ、誰か美しいこの僕を噂してるね……!」
 猛ダッシュしながらもこう一言述べるのは、ナルシストとしての矜持であろうか。

 案の定その後、カールが風邪を引いたという事実を記してこの章を閉じよう。



●あの日も突然の雷雨だった

 やわらかな五月の風になびくは、絹のようになめらかなジルベール=アリストフの髪、長い髪。陽の光の一番まぶしいところだけ、集めて作ったような黄金の髪。
 髪のみならずその肌も、陶器のように白くてくすみひとつない。整った目鼻立ちながら鋭角的な美ではなく、突飛なたとえかもしれないがどこか菩薩のような、穏やかな容貌なのも魅力的だ。
 けれどもヒヨリ=パケットがもっとも惹かれるのは彼の目だった。
 若草色に澄んだジルベールの双眸はとても優しくて、ヒヨリに向けるまなざしにも、嫉妬とか敵意とか、その他冷めたマイナスの感情といったものはまったく見当たらないのだった。
 彼は、他の大人たちとは、違う。
 ヒヨリがはじめて彼を見たとき直感的に抱いたその印象は、数週間たつ今もってなお、まったく揺らぐことはない。
 ヒヨリはパケット家の、十数代目当主にして唯一の生き残りだ。
 一族が名門と言われていた時期は、とうの昔に過ぎ去った。かつては名政治家や学者、軍人を輩出した家柄だというのに、歴史の残酷な淘汰には打ち勝てず、とうとう彼女の両親の代には『貴族』の上に『没落』の二文字がつくようになった。その両親すら苦労の末に亡くなって、すでに家名は滅びかけている。
 広大な領地を所有していたのも昔話、現在パケット家に残されているのは古びた屋敷と小さな林、あとは裏庭程度の広さの泉に過ぎない。何百人といたという使用人にしたって、今ではヒヨリを育てた乳母と、メイド一人いるばかりだ。
 いくら没落しても貴族は貴族だから、『パケット』の名前ほしさに、他の貴族や、成り上がりの商人たちが訪ねてくることはある。彼らはまだ幼いヒヨリに縁談を持ちかけてくるのだ。そんな連中の目はいずれも欲にまみれ、ヒヨリを食い物にしてやろうという魂胆が見え見えだった。乳母とメイドを除けば、ヒヨリが知っている大人たちは、皆その手の者だった。
 ヒヨリは彼らの向けてくる侮蔑に対し、侮蔑をもって答えるという愚をしたことがない。「いかなる時も貴族らしくあれ」、それが両親の遺訓であり、彼女はその忠実な実践者だった。ヒヨリを甘くみた者たちはたいてい、一流以上の教養と礼儀と優雅さを兼ね備えた『レディ』を幼い彼女の中に見出し、己の卑小さを思い知っておののくのであった。
 だからヒヨリは戸惑う。
 どうしてジルベールは、自分にこれほど優しいのだろう。
 その目に、なんら下心が感じられないのはなぜなのだろう。
 彼のまなざしの純粋さには、まだ慣れない。
 でも嫌ではないと、思う。
「どうかしました?」
 ジルベールが振り向いたので、ヒヨリははっとなる。彼の視線を意識した。
 数秒、いや数十秒かもしれない、それまでヒヨリは彼の髪が風になびくのを、魂を奪われたかのように見つめていたのだ。もしかしたら、口はずっと半開きだったかもしれない。
 内心の動揺を隠しながら(そして、さっきまでの表情を彼に見られなかったか気にしながら)、ヒヨリはやや顎を上げるようにして言った。
「なんでもありませんわ」
「そうですか」
 ふっとジルベールは微笑を見せた。まるで、『わかっていますよ』とでもいうかのように。
 午後三時はお茶会、そうヒヨリは決めている。両親が亡くなる前も、亡くなった後もずっと守っている習慣だ。天気が良い限りは庭にテーブルを出して楽しむのが定番であり、今日はいくらか空が灰色だが、そうしていた。
 メイドは買い出しに出ており、乳母は具合が良くなくて邸内にいるため、庭にはヒヨリとジルベールがいるばかり。最初はティーカップを前にふたりとも黙っていたのだが、おもむろに「ハーブが育ってきましたね」とジルベールが席を立ち、庭の草むらにしゃがみこんだのが数分前のことだった。
「来てみませんか?」
 ジルベールが手招きしたので、ヒヨリはもう少し距離を詰める。
「本当にこの庭はいいハーブが育っています。ほらピヨ、見て下さい。これがレモングラスですよ」
 だがヒヨリはむっとして見せた。
「その呼び方およしになって」
 ぴしゃりと言ってのけたつもりだったが、別段ジルベールは気にする様子もない。
「ふふ。すみません。ヒヨリが可愛らしくて、つい」   
「子ども扱いは……」
 しないでいただけます、と言おうとしたのだがヒヨリの言葉は、唐突に鳴った銅鑼のような音にかき消された。
 雷だ。
 きゃっ、とヒヨリは言ったかもしれない。
 少なくとも彼女が、両手で頭をかばうようにして、その場にうずくまったのは事実だった。
 けれどもそのとき、ヒヨリは守られていた。
 ジルベールの大きなマント、それがすっぽりと彼女を覆っていてくれたのだ。
「雨ですね」
 ジルベールがそうつぶやくのをヒヨリは聞いた。ざあっと雨が激しく、それこそ堰を切ったように降る音も。
「大丈夫ですよピヨ。こちらへ」
 彼はそう告げて、ヒヨリを屋敷へとエスコートしてくれる。マントでしっかりと雨を防いでくれたまま。
 ヒヨリはとっさに手を左胸に当てている。
 心がきゅんとした……気がした。
 鼓動の音を聞かれただろうか、それが気がかりだった。
 雨は激しく加えて空も、何度か大きく明滅した。それに雷鳴、下腹に響く大きな音だ。
 それでもヒヨリはほとんど濡れていないし、怖くもなかった。
 歩きながら彼女はふと、彼との出逢いを思い出す。

 あの日も突然の雷雨だった。
 ヒヨリが発見したとき、ジルベールは屋敷裏の泉に浮かんでいた。顔を空に向け、ミレーが描いたオフィーリアの絵のように。
 けれどもミレーの死美人とは違い、彼は安らかな笑顔を浮かべていた。
 そして花のかわりに彼の周囲には、色鮮やかな茸が無数に浮いていたのである。茸が一部焦げていたのも含めて、なんとも奇妙な第一印象といえよう。
「まあ! なんてこと! 人と茸が! 茸が!! きのこ」
 濡れるを厭わずヒヨリは声を上げ、メイドのエプロンドレスを強く引っ張ったのだった。
 ――確かあのときも、心がきゅんと……。
 そうじゃない。そんな軽いものじゃない。
 ――いえ、ギュン!? としたような……。
 それは予感だった。
 何か、大きなことがはじまったのだと。

 このときジルベールもまた、やはりあの日の回想にひたっている。
 ――こんな天気になるたびに、思い出すのかもしれないね。
 ジルベールにとっても無論、あの日の邂逅は忘れがたいものだった。
 泉に彼が浮いていた顛末は、残念ながら絵のように美しいものではない。キーワードは『眠り茸』と『落雷』だ。狩りの罠用に茸を採取し、帰路を急ぐ途中で……というわけである。
 ――なぜあのとき、悪天候になるのがわかっていて、茸を採りに行ったのだろう。
 そんなことも彼は考える。
 雷が直撃しなかったこと、それに結果的にこれが、ヒヨリとの契約につながったことからすると運命の導きがあったのかもしれない。
 いや、それをというならばそもそも彼が、数週間前に三つ向こうの山からこの付近に移住してきた時点で、何かに導かれていたのかもしれなかった。
 ――無意識に神人に惹かれたのだろうか。
 ならばその流れに身を委ねよう。
 後悔はない。むしろこれからのことが楽しみだ。

 軒の下に入ると、ヒヨリは慌てて彼から離れた。ずっとジルベールに触れていたのだ。そのことが意識された。
「……ジルさま、感謝しますわ」
 頬がかっかと熱い。小走りだったせいだろうか。
「どういたしまして。けれど濡れていますね」
 自分はそれどころではないというのに、ジルベールはまずヒヨリのことを案じた。
「着替えませんと。中に入りましょう」
 うやうやしく告げる。膝をついて手の甲にキスするかのような口調で。
 つい手をさしのべそうになって、ヒヨリは右手を背に隠した。
 まただ。また彼は、『わかっていますよ』とでもいうかのような微笑を浮かべた。
 ヒヨリは胸に違和感を覚える。ざわり、と音がするような。
 ――この気持ちは何なのかしら。
 身長差でジルベールの横顔があまり見えないことが、少し歯がゆい。



●ふたりきりの映画鑑賞会

 現代人はすぐ「最悪」という言葉を使うが、最悪より酷い状態はなんといったらいいのか。「最悪の最悪」になるのか、それとも「最悪の二乗」だろうか。
 ともかくその最悪の上をいく状態に、現在彼女は陥っている。
「ぶっ殺すぞコラァ!」
 両手の中指を立てるという大変お上品なポーズで、油屋。は大型トラックを見送る。これがせめてもの抵抗であった。何に? あえていうなら天に対しての。
 油屋にとっては厄日である。
 下校中突然の大雨に襲われた彼女は、傘もないまま靴底はもちろん下着までびしゃびしゃ、服のままプールに飛び込みバタフライ25メートルでも決めたような状況となってしまった。構うものかと開き直ったように大股で歩いていたら今度は、前を横切ったトラックにざんぶと豪快痛快、派手に泥水を跳ねかけられたのだ。
 水もしたたる、というのが女にとっても褒め言葉だとしても、泥水で顔半分がチョコレート色になっているのは評価されまい。セーラー服に、茶色のロールシャッハテスト模様が踊っているのもファッションとしては最先端すぎといえよう。
 けれども肩を怒らせ歯を食いしばり、油屋は挫けない、拗ねない、負けたりしない。飢えた狼の目で通学路をゆく……のだが、途上で、
「迎えに来てやったぞ」
 と、頭の上に傘をさしかけられた。
 ところがその救いの手を、払いのけてしまう油屋である。
「……いらない」
 投げつけるように告げて彼女は、ドリブルで三人抜きするバスケ選手みたいに巧みに、サマエルの傘の下から抜け出てまた歩き出した。
 取り残される格好になったサマエルだが、あいにくとこの程度でめげる悪魔ではない。ふっと紫色の前髪をかきあげて、
「悪いが乳女、貴様のほうに選択肢はないのだ」
 言うが早いか颯爽と、黒い外套を雨中になびかせ、巨大な蝙蝠のように彼女に飛びかかったのである。
「おい! テメッ!」
 なんという不覚! 油屋は背後からサマエルに抱きかかえられ、そのまま弾丸のように走る彼の腕より逃れ得ず、悪魔が住む館またの名をサマエルの家に強制連行されるはめになった。
 一言で言い換えるならば『誘拐』だ。ロマンティックな表現がお好みなら『お持ち帰り』とでも言うことにしよう。(……ロマンティックか?)

「立派な犯罪だぞこれは!」
 なにはともあれ屋根の下、雨風をしのげたのはかなり助かるわけだが、それでも油屋は、くってかからずにはいられない。
 ところがサマエルのほうはまったくもって聞く耳を持たず、そればかりか雨にしとど濡れ、彼女を腕(かいな)に抱いたゆえ泥汚れがうつっているもまるで意に介さぬ様子で、
「なに、好いた女を気にかけるのは当然のことだ」
 呵々と笑って油屋を、シャワールームの脱衣所に押し込んだ。
「こんなこともあろうかと、貴様のそのセクシーダイナマイトすぎる体型にぴったりで、しかも我が抜群のセンスが炸裂した着替えも用意しておいた。そこの棚に入っている」
「セクシーダイナマイトなんて言葉を真顔で言うバカがいるなんて思わなかった……」
 言いながらもちょっと頬を染めつつ、スカートのボタンに手をかけた油屋だったが、このときやっと、サマエルが脱衣所から一歩も動かず、しかも彼自身、いそいそと服を脱ぎはじめているという事実をようやく認識した。
「テメーは何脱いでんだコラ」
 言いながら油屋は片足を上げ、どすんとサマエルの背中をどやす。目は半月形の三白眼、通称ジト目というものに変わっていた。
「無論俺も入るつもりだが……うぐっ!」
 いい角度で膝蹴りが入った。
 一瞬呼吸が止まったサマエルを油屋が脱衣所から押し出し、がちゃりとドアに錠を下ろすまでは一秒もかからなかった。

 ややあって。
「ほう……」
 タオルで髪を拭いていたサマエルは、さっぱりして出てきた油屋を目にするや、驚嘆の声を上げずにはいられなかった。
 彼女は美しかった。本当に。
 湯上がりの火照った肌、濡れ髪、潤んだような瞳は水晶の蒼で、はにかんだような笑みはまるで白百合、これでノーメイクなのだから恐れ入った。黒い半袖カットソーはバタフライスリーブ、胸元と背中は開き気味で、彼女の白い肌によく似合っている。
 そしてこの距離からでもわかる、鼻腔をくすぐる香り。シャンプーの匂いだ。ずっと嗅いでいたいくらいだった。
 手を止め黙ったままサマエルが突っ立っているので居心地が悪くなったのか、油屋は足元に視線を落とした。
「……一応、礼は言っておく」
「お礼のキスは唇に頼む」
「礼を言ったこと、いきなり後悔した」
 ふくれ面になる油屋である。けれどサマエルは上機嫌だ。
 しおらしい彼女もいいが、怒っている彼女もまたいいものだ。
「それで……雨はまだ止む気配がないな。どうだろう、時間つぶしに映画でも見ないか? これでも映画好きでな。ホームシアターには凝っている」
「ああ、まあ……他に時間つぶしも思いつかないし」
「よしよし。ホラー系恋愛映画の名作を買ったばかりでな」
「ホラー? あいにくとあたしは、キャアとか言って抱きつくタイプじゃないよ」
 などと言葉を交わしながら、サマエルの案内で油屋は地下への階段を降り、
「コラテメー!」
 直後、またまた声を荒げる結果となったのである。
「確かに立派なホームシアターシステムだが……座席、一つきりなのかよ! まさか……」
「そのまさかだ」
 ゆったりとした革張りのシートに背を沈め、サマエルはニヤリと笑った。サイドテーブルにはウイスキーとグラス、そして氷を用意している。
「姫様の席は、それがしの膝の上にございます」
 実に仰々しくそんなことを言う。
「アホか!」
 とはいうものの冷たい地下室の床に座るのはいただけず、また、姫と呼ばれたのはまんざらでもなかったということもあって、渋渋ながら油屋はこれに従った。ぺたっと両膝で、彼の膝を挟み込むようにする。
 サマエルは彼女の体温を楽しむ。吸い付くような肌の質感もたまらない。
「ちっ……」
「それでは始めよう」
 サマエルはリモコンで部屋の照明を落とす。スクリーンに映画が映し出された。
「……こ、こらっ!」
 油屋は声を上げた。暗くなって大胆になったのか、サマエルが背中から抱きすくめてきたのだ。
「さっきは大人しくしてやったんだから良いだろう」
「良いわけあるか!」
「それにこのほうが俺も見やすい。もちろん、映画をな」
「他の場所見たら覚悟しろ!」
「しっ、はじまるぞ」
 油屋は油屋で観念したらしく、そんな姿勢で映画鑑賞することにした。
 古い作品だったが、クリアな映像と最高の音響の効果もあって、彼女はすぐに作品にひきこまれていった。
 簡単にストーリーを要約すると、誘拐・監禁された少女が犯人と心を通じ、二人はそのまま愛し合うという物語である。
「……」
 恋愛ジャンル自体に興味のない油屋だったが、映像美と脚本、台詞の見事さには素直に心を動かした。 
 しかし結末、幸せなムードが一転する。いつか少女が自分の元から逃げて行くのではという不安に駆られた犯人が、彼女の首を締めて殺害してしまうのだ。
 こうして映画が終わった。
「ふむ 中々良い結末だった」
「どこが! 途中までは良かったけど、最後は吐き気すらしたね」
「見解が一致しないな……残念だ」
 このときぞわりと、肌が粟立つのを油屋は感じた。
 案の定、だ。
 何気なく、本当に何気なく、サマエルが手を伸ばしてきたのである。
 そうして指で、彼女の唇をなぞった。
 ただ撫でるのではない。慈しむように、食感を楽しむように、だ。
「まだ雨は止みそうにないなぁ、早瀬?」
 サマエルは彼女の耳元に口を寄せ、わざとらしく囁いた。
「……」
 きゅっと油屋は奥歯を噛みしめた。悔しさと恥ずかしさと腹立たしさがある。
 その一方で彼女は、甘いような、疼くような高まりも覚えているのだった。 
 けれどもこれは雨が止むまでの戯れだと、ふたりとも心得ている。だから、

 早く雨が止んでほしい――そう彼女は願った。
 いつまでも止まなければいいのに――そう彼は想った。



依頼結果:成功
MVP
名前:ミオン・キャロル
呼び名:ミオン
  名前:アルヴィン・ブラッドロー
呼び名:アルヴィン

 

名前:哀川カオル
呼び名:カオルくん
  名前:カール三世
呼び名:カールちゃん

 

メモリアルピンナップ


エピソード情報

マスター 桂木京介
エピソードの種類 ハピネスエピソード
男性用or女性用 女性のみ
エピソードジャンル ハートフル
エピソードタイプ EX
エピソードモード ノーマル
シンパシー 使用不可
難易度 とても簡単
参加費 1,500ハートコイン
参加人数 5 / 2 ~ 5
報酬 なし
リリース日 05月10日
出発日 05月19日 00:00
予定納品日 05月29日

参加者

会議室

  • [12]油屋。

    2015/05/18-23:34 

  • [11]ヒヨリ=パケット

    2015/05/18-21:17 

  • [9]ミオン・キャロル

    2015/05/15-20:46 

    あ、えっと…
    名前を間違えてごめんなさい、カール三世さん(にこっと会釈)
    またお会いした時はよろしくお願いします。

    …江頭則夫
    (ぼそっと呟き、こっそり…顔をじーっつ見つめる、名前しっかり刻み付けたようだ)


    あ、ありがとう、ヒヨリさん。
    結構気に入ってるのよ、この服
    (褒められて嬉しかったらしい、両手で顔挟んではわはわ)

    《ドボーーーーーンッ》

    …?
    えぇ、リザルトで会いましょう!(手をひらひら)
    何か、悲鳴が聞こえたような…?

  • [8]哀川カオル

    2015/05/15-01:00 

    カール三世
     はーーーーっはっはっはっは!!
     見事に個性的なメンバーだね!絡み合うことはないのかもしれないけれど、
     出発する前から皆さんの行動が楽しみだね、はっはっは!
     そしてミオンくん、僕の名前は『カール三世』だよ!麗しの『カール三世』だよ!
     大事なことなので二回言ったよ!」

    カオル
    「だから煩いで江頭則夫さん。しつこい男は嫌われるで」

    カール
     僕はカールだよ!うわーーん、カオルくんのいじめっこー!エセ関西弁ー!(脱兎)

  • [7]ペディ・エラトマ

    2015/05/15-00:33 

    こんにちわ。はじめまして。
    私はペディ。パートナーはガーバよ。よろしくね。

    あら…雨だわね。え~っと、傘は……。
    …………どうしましょう、忘れてきたみたい。困ったわ。

  • [6]ヒヨリ=パケット

    2015/05/14-20:18 

    皆様、ごきげんよう、ヒヨリ=パケットと申します。
    (スカートの裾を軽く持ち上げ、うやうやしくお辞儀)
    お会い出来まして、嬉しゅう存じます。

    雨は嫌いではありませんけれど、こう突然だと困ってしまいますわね

    まぁ!ミオン様、素敵なお召し物ですこと。
    まるで一輪のお花のようですわ。

    《ドボーーーーーンッ》

    ・・・ごめんあそばせ(微笑して軽くお辞儀)


    《きゃああ!ジルーーーーッ!!》

  • [5]ミオン・キャロル

    2015/05/13-21:19 

    …あー、アルヴィン・ブラッドローだ。よろしく。

    作ったスタンプを早速使うの忘れたとか何とか言ってたので代わりに来た。
    「提出完了」とか「よろしく」とか文字入れれば良かったと
    とても後悔して、挨拶スタンプと言い切ることにしたとか…何とか。

    無駄にレス消費して悪い。

  • [4]ミオン・キャロル

    2015/05/13-21:17 

  • [3]ミオン・キャロル

    2015/05/13-21:15 

    あぁ、もうっ…
    あんなに晴れてたのに、どうして雨が降ってくるの!?
    傘なんて持ってないわよっ!

    あら、失礼
    サマエルさんと油屋さん以外は初めましてね。
    ミオンよ。皆さん、よろしくお願いします。

    カオルさんに江頭さ…ええっとカール三世…さん?楽しそうな方ね。
    (小首を傾げつつ…察したような察してないような)

    皆さんのお話も楽しみにしているわ。

  • [2]油屋。

    2015/05/13-18:57 

    ミオンさん以外は初めまして。
    私はサマエル、横でビショ濡れになっている女は油屋と申します。
    雨ですねぇ……雨の日は髪が言うことを聞かなくて困ります。(ため息)

    油「ぶぇっくしょぉい!!!!(くしゃみ)皆も雨に濡れて風邪引かないようにねー」

  • [1]哀川カオル

    2015/05/13-12:07 

    皆さん、はじめましてー。
    うち、哀川カオルと申しますー。
    隣の変なんは江頭……ちゃう、カール三世さんですー。
    よろしゅう、です(にっこり)

    カール三世
    「はーーーーっはっはっはっはっは!水も滴るいい男とはこの僕のことさ!
     皆さんがどんなレイニーデイを楽しむか興味津々だよ!
     ウィンクルムの数だけ雨のお話ありそうだね。楽しみにしているよ、あーっはっはっはっは!!」

    エガちゃん、煩いで。


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