●休息は２人きりで
「わあ……綺麗だね、ラセルタさん」
　目前に広がるは、射し込む太陽の光にとりどりに色を変える幻想的な花畑。金の双眸に彩りのさざめきを映し込み、羽瀬川　千代は穏やかな声に喜色を乗せて傍らのラセルタ＝ブラドッツのかんばせを見上げる。自分へと顔を向けた千代の瞳の輝いているのに、
「ああ。まあ、悪くはない」
　と、ラセルタは薄く微笑した。その笑みに、千代の表情もなおのことふうわりと和らいで。
「ここなら、のんびり羽が伸ばせそうだね」
「俺様が推したのだから、当然だ。それに……」
　それに？　と千代が小首を傾ける。そんな千代の耳元に、ラセルタは甘く囁きを一つ。
「……お前と２人きりだからな。憩うのに、これほど良い条件はないだろう」
「っ……！」
　耳をくすぐる言葉に、千代の頬があっという間に薔薇色に染まる。その様子の愛らしさに、ラセルタはくつと喉を鳴らして笑った。
「ら、ラセルタさん、そうやって……」
「言っておくが、からかっているのではないぞ。全て俺様の本心だ」
　千代の抗議を遮って言い切り、向けるのはどこまでも真摯な鮮やかな水色の眼差し。きゅっと口を噤んだ千代の頬が益々赤くなるのに、ラセルタは満足げに口の端を上げた。
（羽を伸ばす、と千代は言ったが……）
　戦闘による疲弊は、さほど感じていないラセルタである。そうでありながら先の言葉のように『夢想花の園』を訪れることを推したのは、安息と、他でもない千代との２人きりの時間を欲したからだ。頬に帯びた熱を振り払うように首をふるふるとして、
「え、えっと……ほら、あそことかどうかな？」
　陽当たりもいいし、と、千代はまだ仄か声を上擦らせながらも、休息に丁度いいと思われる場所を目で示す。ふむ、とラセルタは口元に弧を描いた。
「いいだろう、千代の選んだ場所だ。それに、そろそろ小腹も空いてきたしな」
　千代の腕には、彼が拵えた弁当の包みが抱かれている。受け取った言葉にその包みを見て、ラセルタの顔を見て。千代は、くすぐったいように破顔した。

●貴方が作った幸せを
「どうぞ、召し上がれ」
　ぽかぽかと陽射しの射し込む遺跡内の花畑に２人して腰を下ろして。千代は、丁寧に包みを解くと、ラセルタの前に手製の弁当を並べた。２人分のカップにあたたかなお茶が注がれれば、食事の時間の始まりだ。行儀よく整列したおにぎりのレパートリーに、ラセルタの口元は自然と柔らかくなる。
（ふりかけ、明太子、焼鮭……握り飯は、俺様の好物ばかりだな）
　さりげない心遣いの嬉しさに、ゆらりと揺れる黒の尻尾。先ずはと焼鮭のおにぎりを手に取って口に運べば、程良い塩気と手作りらしい温もりが口の中に広がった。千代が、どこかそわそわとして問いを投げる。
「どう、かな？」
　こちらの反応を窺う千代の、落ち着かない姿さえラセルタには愛おしい。焦らすようにゆっくりと口の中の幸福を咀嚼した後で、ラセルタはくっと口角を上げた。
「そう心配せずとも、美味くない訳が無い」
　ラセルタの言葉に、知らず詰めていた息をほっと吐く千代。
「良かった……その、急拵えだけれど気持ちだけは十分に込めたから」
「そんなことは言わずとも分かる」
　物言いこそ尊大だが、ラセルタの声音はあたたかさを帯びたもので。だから千代は心底から安心して、自分もおにぎりへと手を伸ばした。次々とおにぎりは減っていき――最後の一個まで余さず食べ切ったラセルタは、
「美味かったぞ、千代。満足だ。そうだな……褒美が必要なくらいには、な」
　と、やはり彼らしく強気な、しかしごく正直な感想を千代へと伝える。そうしてラセルタは、千代が食後のデザートにと用意した洋梨と苺のシロップ漬けへと眼差しを移した。
「ああ、丁度いいものがある」
　いっそ妖艶な笑みをそのかんばせに湛えて、苺を一粒摘み上げるラセルタ。艶やかに煌めく赤い果実が、千代の口元へとそっと運ばれる。
「え、あの、ラセルタさん？」
「褒美が必要だと言っただろう。ほら、口を開けろ」
　促されて、再び頬を朱に染めながらも、千代は言われるがままに口を開いた。優しく口の中へと押し込まれた苺は、シロップの甘みを帯びているはずなのに、頬の火照りに邪魔をされて殆ど味がしない。そんな千代の様子を見遣って、ラセルタはいかにも楽しそうに笑った。
「味はどうだ、千代？」
「それは……ラセルタさんが、確かめて」
　面映ゆさから千代が消え入るような声で応じれば、指を濡らしたシロップをぺろりと舐めてラセルタは可笑しげに喉を鳴らす。
「この程度で赤くなるな。次は口移しも辞さないが？」
「っ……もう」
　初々しい反応を楽しみながら、ラセルタは好物の洋梨を、今度は己の口に味わった。

●誓いは花束と口付けに込めて
「それでね、その時……」
　甘やかな食事の時間を終えて。他愛のない話をしては笑い、ラセルタの反応にまた笑みを深くしながら、千代は手の中に『夢想花』を摘む。選ぶのは、光の加減で純白に見えるものだ。数が集まれば繊細な手つきでリボンを掛けて、特別を伝えるブーケの出来上がり。
（結婚の儀……まだ実感は湧かないけれど）
　それでも、届けたい想いなら確かに胸の内にあった。くいと口元を引き結びそうになって――千代は慌てて、空いている方の手のひらを頬に当てる。
（っと、いけない。笑顔で、って決めたんだった）
　最初の覚悟を手渡したあの日と同じようにと、千代はそのかんばせを優しい微笑みで彩った。笑顔になるのは、難しいことではない。ラセルタと共に過ごしたこれまでの時間の温もりを、心に思い浮かべるだけでいいのだから。
「ラセルタさん」
　作り物ではない笑顔を連れて、千代は座ったままでいるラセルタの前へと立った。澄んだ水色がブーケを見て、それからゆるりと視線が千代の顔に移る。ラセルタの唇がしっとりとした笑みの形を描くのを見留めて、千代は手作りのブーケを、目の前の愛しい人へとそっと差し出した。射し込む陽差しの下、誓いの花は今は白く。
（清廉な色だな。真面目で素直な千代らしい）
　そんなことを思いながら、目の覚めるような純白に目を細めるラセルタ。ブーケが確かにラセルタの手に渡ったのを確かめて、千代は揺らぎのない想いを音にして紡ぐ。
「例えこの先に何があっても。貴方と一緒に生きて、傍に居られるように頑張るから」
　懸命で真っ直ぐな言葉が、２人きりの空間とラセルタの胸を満たしていく中で、千代は、心を落ち着かせるように深い息を一つ。そうして、
「これからもずっと、俺の隣に」
　笑顔のままで、手渡すべき言葉を、伝えたい想いを、届け切った。伸ばされた千代の手が、ラセルタの銀の髪を柔らかに撫ぜる。千代は己の唇を、大切な恋人の黒い角へと寄せた。未だ触れたことのない場所への口付けに、胸をどきどきとさせながら。
（……初対面の時から、種族や身分の違いに千代は無頓着だと思っていた）
　予想外の箇所へと零された口付けに千代の知らないところで瞳を瞬かせて、ラセルタはそんな想いを胸に沈める。精霊であり、彼の恋人である自分。その全てを愛されたという気がして、整ったかんばせには、戸惑いと嬉しさが綯い交ぜになった色が浮かぶ。
「えっと……ごめん、嫌だった……？」
　ラセルタらしからぬ珍しいその表情に、僅か身を離した千代が不安げな顔を作った。そんな千代へと、ラセルタは誤魔化すようにして己の唇を指し示す。
「此処にも寄越せ」
　付け足された言葉に、見る間に赤みを帯びる千代の頬。それでも、その様子にくすりと笑んだラセルタへと顔を寄せる千代の耳元に、
「ところで……儀などせずとも、俺様はいずれは千代を伴侶に迎え入れるつもりなのだが？」
　と、ラセルタは至近距離からさらりと囁き零した。
「……へ？」
　鼓膜を静かに揺らした爆弾発言に、千代の口から間の抜けたような声が漏れる。今度こそ耳まで真っ赤になって固まってしまった千代へと、
「どうした？　此処にも寄越せと言っただろう？」
　と、ラセルタは再び促すようにして、口元に華やかな笑みの花を咲かせた。

依頼結果：大成功

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