穏やかさよりは少しの暑さを感じるようになってきた日差しは、今日も世界を照らしている。
　眩しい陽光に瞳を眇めながら、西園寺優純絆は今日もいい天気だと顔を綻ばせた。
　さて今日は何をしよう。そんな思案を巡らせていた優純絆の元に、ずかずか、少し乱暴な足音が近づいてくる。
　その足音には覚えがある。己の契約精霊のものだとすぐに判った。
「ユ、ユズ！」
　確かめるより早く声を掛けられて、優純絆は声の方へと顔を向ける。
「カズちゃん？　どうしたの？」
　きょとんと瞳を丸くして、ちょこんと小首を傾げて。
　ほんのちょっぴりだけしか違わない目線は、上目遣いに見上げるほどではないが、表情も所作も愛らしい優純絆は総合して存在自体が可愛い。
　そんなふうに思っている、優純絆の精霊、十六夜和翔は、真っ直ぐに対峙した太陽よりも眩しい天使に、思わず口ごもった。
「あー、その……」
　今日こそは優純絆を誘ってデートに！　と意気込んでいたはずなのに、いざ目の前にすると尻込みしてしまう。
　そうして一気に沸騰してしまいそうな照れくささを無理やり押し込めた結果、和翔は眉間にかすかに皺を寄せ、ぶっきらぼうな装いになってしまう。
「お、俺様と此処に行くぞ！　拒否権はない！　今すぐ用意しろ！」
「はひっ！？　今すぐ！？」
　ずいと突きつけたパンフレットは、近すぎて優純絆の目にはまともに映らなかったが、告げられた言葉は、きちんと届いていた。
「わっ分かった！」
　ぱたぱたと大慌てで準備を始める優純絆をよそに、和翔はなんとか誘うことが出来た達成感に、密かにガッツポーズをしているのであった。

　そんな朝から時を経て、午後の頃。
「わぁぁ！　カズちゃん凄く綺麗な所なのだよ！」
　感嘆の声が反響する洞窟内は、隙間から差し込む光によって洞窟と思えないほどに明るく、そしてどこまでも透明な水はその光を反射してエメラルドグリーンに煌めいていて。
「こ、こんなにも綺麗な場所だとは……」
　写真で見るのと実物を見るのとでは、大違いだ。
　圧倒された和翔がぽかんと口を開けていると、満面の笑みを湛えた優純絆が振り返ってくる。
「いきなり用意しろって言われた時は、何事かと思ったけど……連れて来てくれてありがとうなのだよ」
　にこっ、と可愛らしく笑う優純絆の表情は、やはり光に照らされてきらきらと眩しい。
　その笑顔に、ドキリとするよりも、ただ純粋に喜んでもらえたことへの嬉しさがこみ上げてきたわけだけれど。
「当たり前だ！　ユズに見せたかったからな！　来て正解だったろ！」
　ふふん、とふんぞり返るようにして胸を張った和翔に、うん！　と大きく頷いた優純絆は、しかし直後に、「でも」とかすかに眉を下げた。
「残念だねぇ、パパも来れれば良かったのに……」
　もう一人の契約精霊。家族同然の彼と、和翔と優純絆、三人で来れたなら、きっともっと楽しかっただろうにと優純絆は思うのだ。
　そんな優純絆の呟きを聞いて、和翔は頬を掻き、残念そうな声に同調した。
「あー、父さんは仕事だったから仕方がねぇよ……」
「そうだよね、仕事じゃ来れないよね……」
　しょんぼりしたような様子の優純絆に、和翔は少しバツが悪そうに視線をそむける。
（言えねぇ、父さんがユズと二人で行ってこいって言ったなんて！）
　実のところ、ちゃんと誘っていたのだ。三人で行かないかと。ところが返ってきたのは穏やかな笑み。
　血の繋がりのない自分を優しく育ててくれる彼は、さらに和翔の背中をそっと押して促してくれる。
　素直になれず好きな子をついつい虐めてしまう気質の和翔が、こうして優純絆と二人で出掛けられたのも、そもそもそんな風に仲良くなれたのも、優しい掌に助けられ手てのことだろう。
（……父さん、ありがとう……）
　面と向かって言うことは出来ないけれど、いつだって感謝しているのだ。
　それは優純絆も同じで、だからこそ今日この場に一緒に来れないことを、残念がった。
　けれど、と。優純絆は和翔を見つめる。
　上体を少し傾げて、覗きこむようにしながら。
「ユズはカズちゃんと来れて嬉しいな」
　仲の良い友達と二人でお出かけ出来るなんて、楽しくて、嬉しい。
　そんな時間を作ってくれた和翔への純粋な喜びを、満面の笑顔に乗せて伝えてくる優純絆に、和翔の頬が急速に熱くなる。
　見る間に赤くなった和翔に、あれ、と、優純絆はくすくす笑みを零した。
「照れた？」
「俺様は照れてぬぇー！」
　純粋無垢で愛らしい天使は、時々小悪魔だった。
　意図的な翻弄ではないにしろ、和翔の密かな恋心は優純絆の態度に振り回されっぱなしだ。
　こんなに緊張しているのも照れているのも自分だけ。
　だけれどまだ、まだ、この想いには気付かれるのは恥ずかしくて、つい、声を荒げて否定してしまう。
　そんな和翔を、怖がりもせず笑顔で受け入れてくれるのが、優純絆という存在なのだけれど。
「ふふっ、怒ってないで、あっちに行ってみようよ」
　ふわりと金色の柔らかな髪を揺らして湖の方へと駆けていく優純絆に、和翔の憤りがさらりと宥められる。
　つまらないことで怒鳴ってしまう自分にも、突然翻弄してくる優純絆にも、どちらにも呆れたように、溜息を零して。
　気を取り直したように、和翔は優純絆の後を追った。
「ほらカズちゃーん！」
　ひょい、ひょい、と。ごつごつとした岩肌の上を跳ねるように駆けていく度に、ひらひらの服が翻る。
　その光景にときめきを覚えるには、優純絆の足どりは随分と危なっかしく見えたのだけれど。
「ユズ！　走ると危な……！」
「早くはや……きゃぁ！」
　不安定な足場だというのに、さらに走りながら手招くように振り返るものだから。凹凸に足を取られて、優純絆は派手に転んでしまう。
「ほら言わんこっちゃねぇ！　おい平気か？」
　慌てて駆けつけた和翔を、優純絆は苦笑して見上げた。
「えへへごめ……」
「あー擦りむいてんな、しょうがねぇ」
　優純絆が申し訳なさそうに謝るより早く、膝の怪我を確かめた和翔は、その華奢な体をひょいと持ち上げた。
「か、カズちゃんっ？！」
　少年の姿だって、彼は立派な精霊で。優純絆よりずっと力がある。
　容易く横抱きに抱え上げられて、優純絆は想定外の驚きに声が裏返った。
　暴れるわけにも行かず、硬直した状態で天然石のベンチまで運ばれた優純絆は、そっと傷に触れないようにしながらハンカチを包帯代わりに巻きつけてくれる和翔を、じっと見つめる。
　ただじっと、熱くなる頬に気づきながらも、その意味を理解できないまま。
「よし、こんな感じか……」
　血も少し滲んだだけだ。水で少しすすいだし、家に帰ってからきちんと消毒すれば痕にもなるまい。
　ホッと安堵してから、落ち着きのない優純絆に呆れたような顔をして、ずいとその顔を覗き込む。
「ったく、少しは落ち着け」
　ピン、と額を軽く弾けば、あぅ、とバツが悪そうに眉を下げて額を抑える優純絆。
　けれど痛くはないし、心配して丁寧に処置をしてくれたことが、嬉しくて。その顔はすぐにへにゃりと緩い笑みに変わる。
「えっと、ありがとう、カズちゃん」
「おう、どういたしまして」
　ニッ、と歯を見せて笑う和翔に、とくん、と胸が高鳴った。
（なんで胸がドキドキするの？）
　和翔は、仲の良い友達で。
　時々、優しい兄のようで。
　照れ屋で可愛い弟のようでもあって。
　一緒に居られることが楽しいし、嬉しいし、幸せなことだとは思っていたけれど。
（こんな事初めて……ユズどうしたんだろう……）
　『パパ』にも感じたことのないこれは、一体何なんだろう。
　新しい感情の芽生えに、少しの動揺を覚えながら。優純絆はきらきらと光って見える和翔を、見つめていた。

依頼結果：大成功

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