深く深く、覗き込んでも底をはっきりと見ることのできない大穴。
　穴の淵からそれを眺めながら、セイリュー・グラシアはわくわくとした気持ちに満たされていくのを実感していた。
「要するに紐なしバンジーだよな！」
　落ちたらどうしよう、なんて考えはない。
　何せこの大穴、ウィンクルムならばラスト１００メートルでの急減速という安全が確保されているのだから。
　どういう仕組だ、と一瞬考えたが、要するに女神ジェンマの『見えないヒモ』が付いているからオールオッケーなのだろう！　とセイリューは即座に納得した。
　納得した上で、この場所を選んだのだ。
「飛ぶっきゃないじゃん。こんな機会２度とねぇ」
　だろ、と振り返った先には、穏やかな笑顔を湛える精霊、ラキア・ジェイドバインの姿があった。
　その顔には「うん、知ってた」と書いてある。
「各スポット説明を聞いた時にそんな気はしてた。きっと君はここを選ぶと」
　夢想花の花園や水中洞窟など、ラキアの好きそうな場所が多いなぁ、なんて顔で聞いていたはずのセイリューの目が、この恋知り鳥の大穴の説明を聞いた瞬間、きらきらと輝いたのをラキアは見逃さなかった。
　あ、これ絶対セイリューの好きなやつだ。と抱いた確信は間違っていなかったのである。
「オレは期待を裏切らない男だ」
　きりっとしたドヤ顔に、はいはい、と呆れた溜息を一つ。
　ラキアとて、行きたいところは色々あった。だが、こんなにも楽しそうで期待に満ちたセイリューを止めたいとも思わなかった。
「もう覚悟完了しているよ」
「さすがラキア！」
「夢想花も気になってたんだけどね。でも空を飛ぶ体験はなかなかできないから良いかもね」
　肩を竦めて見せながらそう言うと、ラキアはひょい、とセイリューの隣に立って、そろりと大穴を覗き込んだ。
（うわ、やっぱり深いな……）
　高所恐怖症というわけでもないが、職員が言っていたように、なかなか勇気のいるダイブだとも思う。
　いっそ目を閉じて飛び出してしまった方が良いのだろうかなんて思案しつつ、緊張にかすかに表情を強張らせたラキアの前に、ずい、と掌が差し出される。
「手、繋いでいこうぜ」
　指先をちょいちょいと招くように動かしながら小首を傾げるセイリューの言葉に、ぱちり、ラキアは瞳を瞬かせる。
　そんな彼に、だってほら、とセイリューは穴とラキアを見比べながら言うのだ。
「側に居ないと話出来ないじゃん？」
　それに、と続いた言葉と一緒に、視線がラキアの服を見る。
　ふわっとしていてひらひらで、なんだか空気抵抗が強そうというか、もしかしたらパラシュート効果が出そうというか。
「ラキアの服ひらひらしてるから落ちる速度に差が出るとオレ寂しいなー」
　なかなか繋いでくれない指先をちょこちょこと手持ち無沙汰気味に動かしながら、チラチラと視線を向けてくるセイリューに、ラキアは小さく吹き出した。
「もう、仕方ないなぁ。手を繋いであげるよ」
　きゅ、と。手に手を重ねて軽く力を込めれば、セイリューの表情が明るくなる。
　握り返してくれるセイリューの掌の感覚に、ラキアは緊張がほろほろと解れて行くのを感じた。
　寂しい、なんて言ったけれど。きっと、セイリューはラキアの心なんてお見通しなのだ。
　あるいは気づいていなくったって、セイリューはラキアの欲しいものを、欲しい時に、くれる。
（うん、大丈夫。跳べるよ）
　いつだって真っ直ぐな目で不安を取り除いてくれるセイリューに、ラキアはもう一度、確かめるように指先に力を込めた。
「さあ行くぞっ！」
　掛け声とともに、せーので地面を蹴って、中空へ。
　投げ出された体は一瞬の浮遊感の後に、ぐん、と地面に引き寄せられるかのように、落ちる。
　落ちる。煌めくクリスタルの残像を横目にしながら、ぐんぐんと。
　だが、それはセイリューの興奮を抑えるには足りず、感動を助長させるには、充分すぎて有り余った。
「すげー。飛んでる！」
「いやいや、飛んでるって落ちてるから！」
「ほらほら、クリスタルがスゲー綺麗じゃん？　色たくさんキラキラしてっぞ」
「君この高さ良く解ってないんじゃないのー！？」
　きらきらと光るクリスタルを眺め、はしゃいだ声を上げるセイリュー。
　逆にラキアは想像以上に現実的なスピードで落ちる我が身に、思わずセイリューの手を力一杯握りしめていた。正直クリスタルなんて真面目に見ていられない。
　そんなラキアの手を、セイリューはしっかりと繋いで、握り返してくれる。
　ぐんぐん落ちた体は、ラスト１００メートルに差し掛かったところで、急に、ふわりと浮き上がった。
　いや、実際はゆるやかに落ちているのだが、スピードの落差によって、浮いたように感じたのだ。
　くるりと見をよじれば、見上げた空は大穴に丸く切り取られてぽつんと遠く、代わりに色とりどりのクリスタルが壁面をなぞるように煌めいていて。
「すっげーな……」
　見上げるようにしてぽつりと呟いたセイリューの横顔こそ、ラキアには煌めいて見えた。
　ずっと、繋がれたままの手のひら。そこから、彼の感動が直接伝わってくるような気がした。
　同じものを見上げて、ようやく落ち着いて見ることの出来た景色に、ラキアもまた感動を覚える。
（まだ、心臓ばくばくしてるけど……）
　セイリューが、ずっと手を握ってくれていたから、安心できた。
（手、繋いで貰って良かった）
　こっそりとした思いは、もしかしたら、バレているかもしれないけれど。
　だとしても、それを笑うこともせずに受け入れてくれるのが、セイリューなのだ。
　ウィンクルムでなければ味わうことの出来なかった体験と、見ることの出来なかった光景。
　それを共に見るパートナーが、セイリューでよかったと、ラキアは思う。
「手を繋いでると一緒って感じがより強まるな」
　紐なしバンジーに空中浮遊、色とりどりの煌めきと、大穴を思う存分満喫したセイリューは、最後にラキアの顔を見てにこりと笑う。
　言葉に引き寄せられたようにラキアの視線が向けられて、うん、と優しい顔で微笑まれれば、満足以上のふくよかさに心が満たされた。
　繋いだ手を引き寄せれば、くるり、空中で踊るように体が滑る。
　ひらり、翻ったラキアの服は、パラシュート的な効果なんてちっとも発揮しなかったわけだけれど、落ちる速度と相まって、セイリューの目には、まるで本当に飛んでいるようにも見えた。
　そんな彼から、弾けてしまいそうな胸の鼓動が伝わってくる。
「何だかラキアいつもよりドキドキしてね？」
　ウィンクルムゆえに認識できる互いの感情。それが、いつもより昂ぶっているように、感じたのだ。
「……恋知り鳥の大穴だからね」
　少しの思案の後に、ラキアはそんなふうに呟いた。
　二人で跳ぶことで吊り橋効果というやつがあったりするのかもしれない、なんて。
　きっとセイリューに告げても、純粋に楽しんでいた彼はあまりピンとは来ないのだろう。
　だから含みだけを持たせて、にこり、また微笑んでみせた。
　よくわからないと言いたげに首を傾げたセイリューだが、怖くないなら良いかとすぐに切り替えて、間近に迫った地面を確かめるように振り返った。
「ラキア」
「うん？」
　己の足がつくより早く、ぐい、とラキアを引き寄せて。
　そのまま彼より少し早く地面に着地すれば、まるで抱きとめたような形になった。
「お疲れ！」
　楽しかったな、と言うような笑顔に抱きしめられて、ラキアの胸がきゅんと締め付けられる。
　ドキドキしている。落ちた時とは違う感情に、心臓が晒されて。
（ほんと君ってば――）
　不意打ちがお得意なのだから！

依頼結果：大成功

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