恋慕石柱のプラネタリウムに足を踏み入れると、辺りは一段暗さを増し、まるで夜の帳が下りたかのような美しい闇色が広がった。
　エンゲージ・ボタルが飛び交い、幻想的な光の軌跡を描く。
　まるで、本物の夜空のようだ。
「綺麗ですね……」
　秋野　空が幻想的な景色に溜息を零す。
　大自然が織り成すその光景は、一つとして同じものは存在しない。
「ええ。本当に綺麗ですね、ソラ」
　ジュニール　カステルブランチが手を差し出して、夢想花のベンチへと空を促した。

　＊

「……ソラ。顕現した時のことを聞いても構いませんか？」
　唐突だっただろうと思う。
　空の瞳が驚いたように微かに揺れて、眇められた。
「顕現した時のこと……ですか？」
「ええ、良ければ、ですが」
「デミ・ウルフに襲われて……」
「あ、いえ……」
　確かに顕現したのはその時だろう。
　でも、違う。
　ジュニールが聞きたいのはそうではない。
「世話になったと言う人に会いたかった理由を、聞きたかったんです。すみません、俺の言葉が足りませんでした」
「カルヴァドスさんのことを、ですか……？」
「俺と契約をしたとき、顕現して間もないと聞いていたので、関係があるのかと思ったんです。違ったなら……」
「違いませんが……やはり気になります……よね」
　一度、その恩人を見かけたと、人混みに探していたことがあった。
　その時に、図らずも嫉妬をしてしまったことを、空は気にかけてくれているのだろう。
「気になると言うか……」
　さすがに過去の俺を探していた理由を聞いてもいいですか、とは言えなかった。
　空には、カルヴァドスが自分だとは伝えていないのだから。
　上手い言葉が見つからずに思案していると、空が言う。
「構いません。お話します」
「無理にというわけではありませんから、言いたくなければ――」
「聞いてほしいんです、私が。ジューンには隠し事をしたくありませんから」
　空がカルヴァドスに好意を持っていることは分かる。
　その好意がどの程度のものかは別として、ジュニールにそのことを告げられるのは、やましいことが何ひとつないからだろう。
　だったら、余計に分からない。
　たとえばカルヴァドスに淡い恋心を抱いていて、焦がれて会いたい、というものであれば理解ができる。
　だが、空が会いたいと願っている理由は、そう言ったものではないように思えた。
　空が、ゆっくりと口を開く。
「行方不明になった兄を探すために、旅をしたことがあるんです」
　突然姿を消した空の兄。
　その顔を記憶に呼び起こすだけでも、未だに吐き気がしそうだ。
「一昨年、冬の初めでした」
　憶えている。
　冬もまだ浅いと言うのに、連日の雪が積もって、その時も雪がちらついていた。
「ある村で出会ったのが、以前お話ししたカルヴァドスという人でした」
　雪を肩に積もらせながらやってきた少女の姿は今でも鮮明に思い出せる。
　厳しい冬の寒さの中に咲く、凛とした花のようで目が離せなかった。
「その村の近くで兄の手掛かりを得られそうだったのですが、雪で足止めをされてしまって、暫く村に留まることにしました」
　空と親しくなったのは、この頃だ。
　雪に不慣れな空が、うっかり転びそうになったこと。
　好きなチョコレートを分けてくれたこと。
　まるで、昨日のことのようだ。
「村にはオーガが頻繁に襲ってきていたので、身を守るための剣技を彼から教わりました」
　自警団を組むほど、村の治安は悪かった。
　オーガの討伐を手伝って以来、自警団に入って村を守ってはいたが、それでも安全と言うわけではなかった。
　討伐隊の要請も出していたが、雪深い村だったせいで随分と到着が遅れていた。
　だから、空には身の守り方を伝えた。
　護身術のひとつも持っていなくては、とてもではないが冬を越すことも危ういような、そんな村だったから。
　――一生懸命、覚えてくれたんですよね……。
　慣れない剣を振るう術を。
　カルヴァドスが教えたその技を。
「ある日、デミ・ウルフに襲われた親子を助けたのですが――」
　空が襲われている、と逃げ帰った親子が知らせに来た。
　かねてから応援要請を出していた討伐隊の到着もあり、すぐさま討伐に向かったが、そこでふと、思ってしまったのだ。
　――俺が、剣技を教えなければ……。
　空は残って戦わず、親子と共に逃げる術を探したはずだ。
　教えたがために、空に無理をさせてしまった――。
「その時に怪我をしてしまって……気付いたら顕現していました」
　思って、胸が痛む。
「怪我は、大丈夫だったんですか？」
「はい。そのままタブロスに来て治療を受けましたし、思ったよりひどくなかったのが幸いでした」
　身を守ってほしいと教えた剣技が、空をかえって危険に晒した。
　付け焼刃の剣技ひとつで、少女がオーガに立ち向かうなど土台無理な話だ。
　必死に抵抗して、恐怖に心を奮い立たせ、戦ったのだろう。
　幸い、討伐は成功した。空を助けることもできた。
　けれど、感じた罪悪感から合せる顔がなく、すぐにその場から立ち去ってしまった。
　その後、空はタブロスで療養し、保護されることになった。
　謝罪することも、顔を見ることもできないまま、決別してしまった。
　――ソラ……すみませんでした……。
　あの時言えなかった言葉を、そっと呟く。
　空はあの時、どう思っただろう。剣技を教わらなければ――そう考えはしなかっただろうか。
　横顔に目を向ける
「私は、命を救われたんです。彼に」
「……救、われた……？」
　思いがけない空の言葉に、一瞬呆然としてしまう。
「でも、ソラは怪我をしたんですよね……それで救われたなんて……」
「助けには来てくださっていたそうです。お会いすることはできませんでしたけれど」
「その人が剣技を教えなければ、怪我をしなかったかも……――」
「怪我で済んだんです」
　空が、儚げに笑う。
「彼が私に剣技を教えてくださらなければ、私はデミ・ウルフに噛み殺されていたかもしれません」
「――っ」
　教わった剣技があったから助かった。だからそれは彼のお陰だ、と空は言ってしまえるのだ。
　押し寄せてくる感情を必死に殺す。
　もし、今一瞬でも感情を昂らせてしまったら、これまでカルヴァドスであることを伝えなかったことが無駄になってしまう気がして。
　彼は俺です――。
　その言葉を飲み込む。
「それなのに彼にお礼も言えないままで……何一つ、お礼を伝えられていなくて……」
　――ちゃんと、伝わっています。……ちゃんと……。
「きちんとお礼を言いたいんです。だから彼にもう一度会いたいんです」
　カルヴァドスに会いたい理由。
　それがあまりに空らしくて。
「大丈夫ですよ」
　声が震えてしまわないように気を付けながら、いつも通りの笑顔を作る。
「彼も分かってくれます」
「そう、でしょうか」
　向けた笑顔に、空が一瞬息を呑んだ。

「……、……そんなわけ、ありませんよね」

　＊

　余韻が、緩やかな波紋のように胸の内に広がる。
　空の優しさに、何度も吐き出しそうになる言葉を飲み込んだ。
「ソラ……」
　幻想的な光が夢想花を照らし出す。
　そのいくつかを手折りながら言葉を紡ぐ。
「ブーケを手渡すのはさすがにまだ早いですが……気持ちは負けていませんよ」
「……どういう……」
　そっと夢想花を差し出す。
　驚いた表情見せる空に、柔らかく笑いかけると、遠慮がちにその花を受け取る。
　手を取って。
「ソラ」
　ゆっくりと跪く。
「俺は誰よりも大切な貴女を、命に代えても守り抜くと誓います」
　いつかしたように。
「だから、貴女の心を俺にくださいませんか」
　真っ直ぐ空を見つめる。
　あの時はウィンクルムとしての返事だった。
　今は――。
「……はい、喜んで」
　ウィンクルムとしてではないその返事に、騎士が忠誠を誓うように、取った空の指先へ口付ける。
「では、ジューン。貴方の心も私に預けてくださいますか」
「――もちろんです、ソラ」
　空がジュニールの額へ口付けを返す。
　それはまるで、聖女が騎士に祝福を与えるかのような、そんな姿。
　――この心は、ずっと貴女のものです。

「もう一つ……」

　空の頬に手を伸ばし、撫でる。
「欲しいものがあるんですが、聞き届けてくださいますか？」
「なんでしょうか」
　そっと距離を詰めて、唇を重ねる。
　触れて、すぐに離れる。
「っ、ジューン……っ」
　一瞬の出来事に、遅れて顔を赤くする空を覗き込む。
「俺にも、ソラとのキスの記憶をください」
　いつか、失くした記憶――。
　少し強引だっただろうか。
　思って、やはり謝罪するべきかと考えた。
　けれど空がとん、と額をジュニールの胸に寄せてくる。
「ソラ。……ずっと俺に守らせてください」
　二度と会えないと思ったひと。
　その隣にいられる奇跡に、心からの感謝を。

依頼結果：大成功

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