ふわり、と。一匹だけ群れからはぐれたのであろうエンゲージ・ホタルが、蛍光色の緑と共に桜倉　歌菜の目の前を漂うように飛んで行った。
　
「あの……！　この中で『一番落ち着ける場所』って何処ですかっ？」
　それは、この遺跡に入る前。
　精霊の月成　羽純の姿が見えないうちに、歌菜はこっそりと、遺跡内各所の様子を説明したA.R.O.A.職員に問い掛けた。
「それなら断然『恋慕石柱のプラネタリウム』ですね。他の場所よりも薄暗くて、二人で座れる大きさの夢想花で出来た椅子もあります。そこならゆったりくつろげると思いますよ」
　その情報を聞いた歌菜は、戻って来た羽純を見て力強く頷いた。

「……良い場所だな」
　そして今──羽純が、丁度二人掛けで座れる夢想花の椅子に腰かけて、ゆったりと辺りを見渡している。
　そこは静けさの最中にあった。恋慕石柱の白や淡い黄色の光がそっと周囲の光景を照らし出している。
　足元には夢想花が、中空には時折エンゲージ・ホタルの群れが、流れるように薄暗い空間を星のように彩った。
「……うん、綺麗だね」
　羽純の呟きに、歌菜はいつもよりもずっと静かに相槌を打った。
　周囲の光景を、羽純が優しい瞳で見つめている。リラックスしている様子が伝わって来て、歌菜はその光景に安堵した。
　これならば、羽純にこの場を提案した甲斐があったと強く思える。
　今まで続いた激戦で、歌菜は羽純の鋭い面持ちしか見ていない。深刻に顔を顰める様子しか見ていない。
「（きっと、羽純くんはとても疲れてると思うから……）」
　今は、リラックスして欲しい。
　歌菜は穏やかながらも強い想いで羽純の様子を覗き見た。

「（いつも私を支えてくれる彼を、私が支えたい。
　想いが力になるなら……私の想い、届け──）」

　──その想いに応えるように、恋慕石柱はその色を仄かな桃に染め上げた。


　薄暗く、静寂が広がる。人もいないこの場所は、まさに星空の中を思わせた。
　音を立てる者は誰一人としていない、あるのはその静謐な時間と空間のみ。
　羽純は、歌菜もこの景色に魅入っているのだろうと思い、その静けさに身を置いた。
　いつからだろう、歌菜と自分の互いの沈黙がこんなにも心地良い時間に変わったのは……暗色に広がる星の様な煌きを見ながら羽純は考える。
「（いや……考えるまでも無かったな）」
　直ぐに、羽純はその思考を取りやめた。
『いつから』ではない、『いつの間にか』だ。……それだけの時間を、羽純はずっと歌菜と共有してきたのだから。
　少しだけ、想い深く歌菜の姿を目にやって。その姿に安堵しながら、再び羽純は天井を仰ぎ見た。

　ふと、そんな星の様に瞬く夜天を目に映す中で、そっと羽純の手が握られた。
　とても優しく、自分より温かい手のぬくもりは歌菜しかいない。微かに漂う涼しさの中で、その手は羽純に優しく差し込む様な安らぎを与えた。
　そして歌菜の想いも、長く心を通わせたウィンクルムの在り様によって──まさに以心伝心を超えて、羽純の元へと届けられた。
　……温かな手のぬくもりと共に、伝わる。羽純をずっと自分を思いやってくれている、歌菜の純粋で太陽の様に強い想い。
　戦闘には、いつも歌菜がいた。想いの通じ合うウィンクルム──自分が気を張り詰めていた状況下で、共にいた歌菜がその羽純の様子に気付かない訳が無い。
　だが、それは同時に。
「（……歌菜自身も、消耗しているだろうに……）」
　羽純の胸を僅かに突く事実。しかし、それでも尚、伝わる健気さ、強さ。
　それは、羽純が彼女と出逢うまで一度も目にした事の無なかった、今知り得る中でも一番の輝き。

「歌菜」
　名前と共に、羽純がそっと歌菜の握っていた手を握り返した。
「何？　羽純くん」
　周囲に響く羽純の声。反応があるとは思わず、歌菜は僅かな驚きに一度瞬きをしてから羽純を見返した。
　遠く思い返せば、初めて惹かれたのは彼の声──今、その声に呼ばれるのが自分の名前である事が、歌菜には少し嬉しく、そして幸せ。
　そんな想いを携えた歌菜にも、自然と羽純へ向かい笑顔が浮かぶ。
　羽純も、それに輝きを見るかのように微笑んで──そっと歌菜の頬へと手をやった。
　どうかしたのかを問い掛けるよりも早く、羽純の穏やかながらも真摯な眼差しが歌菜の瞳に向けられた。

「俺は……これから先、ずっと歌菜と一緒に生きていきたい。
　二人で手を繋いで、ゆっくりゆっくり歩きたいんだ。
　──結婚してほしい」

　羽純の口から紡がれた言葉は、何よりも誠実だった。
　歌菜は、自分の胸が大きく一度高鳴る音を聞いた。羽純の名を呼ぼうとするが、驚きのあまり唇しか動かない。
　恋慕石柱が、強い薄紅に染まってこちらを照らすのが見える。
　……それは、今起こっている事が夢でも偽りでもない証……
「あ……」
　何とか言葉にしようとして漏れた自分の声が、理由もなく恥ずかしい。
　しかし、今歌菜を見つめている羽純は、それすら愛しく思うように見せる微笑を深くした。
　羽純が──『人生における、たった一人の相手に、自分を選んでくれた』
　その事実が、歌菜の心を花の蕾が一斉に咲き誇る様に、溢れんばかりの幸福で一杯にした。
　幸福と喜びを上手く整理出来ず、思わず歌菜の瞳が強く潤んだ。嬉しくて、今にもこの場で泣きじゃくりたくて。
　でも、今はそれより前にやらなくてはならない事がある──それはとても、何よりも大切な事。

「はい……
　私もずっと羽純くんの隣に居たい」

　歌菜がやっと、羽純へと想いを返す──言葉と共に添えられた、頷きこそがその答え。
　共に、胸に満ちた万感の幸福を添える様に、歌菜の頬を涙が伝った。
　中空に輝くエンゲージ・ホタルなど、比較にならない美しさとその輝き。
　羽純は、歌菜の涙をそっと指先で拭って──歌菜を優しく抱き寄せて、まるで宝物に触れる様に、唇をゆっくりと重ね合わせた。


「あのね、羽純くん。
　折角だから……二人で夢想花のブーケを作らない？」
　歌菜の言葉を、羽純は驚いたように耳にした。
　この場には、夢想花も、ウィンクルムが愛を乗せる儀式があるのも知っている──だが、それを歌菜から言い出してくれるとは想像もしていなくて。
「ああ、勿論だ」
　……言葉だけは、上手言えた気がするが。羽純は僅かに緊張する様子で自分の言葉を振り返った。
　歌菜は、自分にどれだけの幸福を伝えてくれるつもりなのだろう。
　──今でさえ、幸せに平常を保つのが困難だと言うのに。

「あっ、羽純くん！　あそこに沢山咲いている場所があるよっ」
　しばらく辺りを見渡していた歌菜が、目を輝かせて指差した先。
　そこには、柔らかながらも透き通った光を放ちながら群生している花々が見えた。
　色は、ほんの僅かな環境によっても変わるのか、その場には青と桃色の花が一緒になって咲いている。
　二人が近づけば、夢想花の花々は歓迎をするかの様に、風もないのに一斉に花を揺らした。
「これなら色も丁度良かったな」
　桃色と青色で空間と恋慕石柱を照らし出す夢想花の群。
　……青色と桃色は、お互いを表わすとても大切な色だから。
　──お互い、言葉にはしなくとも花を見つめる思いは同じ。それに気づいた歌菜と羽純は、そっと笑顔を向け合いながら、丁寧に一輪ずつ花を摘み始めた。

「お花、分けてくれて有難う」
　歌菜の夢想花へ向けられた礼と共に完成したブーケは、摘まれても変わらない光で、青から桃色へと色澄んだグラデーションを灯している。
　それが、二人で寄り添いブーケを持つ歌菜と羽純二人の胸元を光を添えるように照らし出していた。
　婚約を決めて初めての作業は、危険な任務でもウィンクルムの役割としてのデートでもない。
　──二人で、自分の意志で決めた、自分達の為だけのブーケ作り──

　胸にあるブーケを見つめるだけで、胸が温かくなる。先程の幸福がよみがえる。
　……いつの間にか、辺りが茜色に染まっている。
　二人の想いに反応した恋慕石柱が、トランス時と同じオーラの色を二人の間に包み込むように注ぎ込んでいた。
「この色……私と羽純くんの絆の色、だね」
　歌菜が天井までも同じ色に染め上がった光景に、静かに息をつく。
「そうだな、俺達の色だ」
　羽純が同意の言葉を残し、辺りを見渡してその色を心に宿す。
「この光に包まれていると、何でも出来るような気がする」
　それは、今まで試練を乗り越える度に常に見つめてきた色だから。
　それを見る度に、必ずその困難を乗り越えられて来られた色だから。

「愛してる」
　改めて、ブーケを歌菜の手に収めるように二人で持って。
　そっと羽純から囁かれたのは、紛う事無い真実の愛。

　静かに、羽純から歌菜へと再び二人の唇が重ねられた。
　それは、永劫を誓う約束の口づけ。完全に重なった道を、ゆっくり二人で歩く第一歩……

依頼結果：大成功

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