青が広がる空間で、君の色みたいだ、なんて片隅で考えながら、それでも塞ぎ込む気持ちを変えることはできなかった。
　恋慕石柱から落ちる水滴が、まるでさめざめと泣いているようで。
　それが誰かのようで。
　時雨の愛唄が彩る幻想的な世界で、俺はあまりに不釣り合いだ。
「ロジェ、綺麗ですね！」
　少し先を行くリヴィエラが振り返って笑った。
　青い夢想花のブーケを手に、その匂いを楽しむように顔を埋めて。
　胸の奥が、ずきずきと痛む。
　隠し通せないことなど、最初から分かっていた。
　あの夜、決断した瞬間からこの日をずっと覚悟してきた。
　――もう、限界だ。
　もう、あのことを誤魔化し続けることはできない。
　全てを洗いざらい吐き出したなら、君はどんな顔をするだろう。
　どんな言葉で責められるのだろう。
　泣いて、嫌いだと言われたなら。
　――いや……。
　むしろ望んでいる。
　そうして、憎んで、嫌って、罵られることを。
　それでも君を手放すことなんて、できないけれど。
　足を止めて立ち尽くす。
「ロジェ？　どうかしましたか？」
　リヴィエラがすぐに気づいて、不思議そうに近づいてくる。
　君は、そういう人だ。
　いつも俺の傍にいて、俺を好きだと言って、俺の為に泣いて、笑ってくれる。
　俺は、君の為に何かできただろうか。
　無垢な瞳が、俺をどんな目で見る……？
「リヴィエラ」
　手を取って、アクアマリンの指輪にキスをする。
　君に誓った想いは、全て本物だ。
「聞いてほしいことがある」
　いつもの穏やかな顔なんてできない。
　さあ――贖罪の時間だ。
「なんですか？」
　青い夢想花の中。
　まるで君に包まれているようなそんな錯覚を覚える。
　想う、愛しい君のすべてに包まれているような、そんな泡沫の幻覚。
「お伽噺を覚えているか？」
「悪魔とお姫様の？　覚えています」
　姫君に一目惚れをした悪魔が、残虐な暴君である父王を手に掛けてしまったお伽噺。
「あの悪魔は、俺のことだ」
　ゆっくりとリヴィエラに視線を合わせる。
　悪魔はリヴィエラに許されたけれど、それが俺だったら。
　君は、許してくれるのだろうか。
「――俺は、君の父親を殺した」
　言い訳も、逃げることも、もう終わりだ。
　リヴィエラが、青い瞳を僅かに揺らして、けれどそれだけだった。
　先を促すように、じっと、真っ直ぐに見つめてくる。
「君の父親はマントゥール教団の一味だった」
　オーガへの贄としてリヴィエラは育てられてきた。
　君はそれを愛だと信じて、父親を慕っていたけれど、結局あの男は、君を差し出すことで自分の身を護り続けていた。
　大切な娘であるはずの君を。
　俺の大切な君を。
「そのせいで、君まで奴らに命を狙われている……」
　外界から切り離されるように育てられていたリヴィエラを守りたくて、攫うように連れ出したあの日のことは今も後悔していない。
　逃げて、ようやく見つけた安寧の中に突き付けられた一枚の紙切れに、激高したことも後悔はしていない。
　後悔しているとするなら、ただ一つ。
　――俺が愚かだったせいで、事態を悪化させたことだけ。
　もっと最善の方法があったはず、と何度も繰り返し、けれどそんなことは有り得なかったと否定してきた。
「リヴィエラ……」
「……そうだったのですね」
　一度伏せられた瞳が、ゆっくりと開かれて視線が絡む。
「ずっと聞きたかったんです。あの図書館で訊ねたことの、その答えを」
　真実を知りたいと言った君に、あの時まだ、俺には答える覚悟がなかった。
　だからはぐらかして、避けて、逃げ続けた。
　ずっと、ずっと……。
　――逃げてばかりだ。
　片手で顔を覆い隠して、つくづく愚かだと思う。
「……、……」
　言いかけて、やめた。
　言えなかった、なんて、とても口にできない。
　謝罪など、毛頭する気もなかった。
　拗らせたのは己の愚かさゆえ。
　でも、君を傷つけ続けたあの男を、俺は許せなかった。
　控えめに触れてくるリヴィエラの指先に、伏せた瞳を向ける。
　覚悟の瞬間だ。
　どんな言葉が――
「ロジェには辛い思いをさせてしまいましたね……申し訳ありません」
「――っ」
　本当に申し訳なさそうな目で見つめて、仄暗い感情など一つも映さない。
　どうして……。
「……な、んで……」
「え？」
　不思議そうな顔をするリヴィエラの肩を乱暴に掴む。
「なんで、そんな顔をするんだよ！？　なんで、なんで……ッ！」
　責めて欲しい。
　罵られた方がずっと楽だ。
　こんな……。
　こんなすべてを許すような、慈愛に満ちた目を向けられたら……ッ。
「俺はお前の父親の仇だぞ！？　俺を憎め、俺を罵れよッ！」
　掴んだ肩を揺すりながら、まるで咎められることを乞うように縋る。
「俺が愚かなせいで事態をさらに悪化させて、お前まで危険に晒して……ッ！」
　リヴィエラの父親を手に掛けてから、元々危険の多かったリヴィエラの周りには、さらに不穏なことが続いていた。
　それは、ただひとえに。
　――俺が愚かだったから……。
「……罰を、与えてくれよ……」
「ロジェ……」
「俺に罰を与えてくれよ……」
　リヴィエラの小さな肩に顔を埋めて、懇願するように呟く。
　罰せられたい。
　強く。ひどく。
　君になら、どんな言葉を言われても構わない。
「っ……、リヴィエラ……」
　声を詰まらせながらその名前を呼ぶ。
「俺を、憎んでくれ……」
　そっと背に腕が回されて、ぽん、と叩かれる。
　顔を上げると、青い瞳が心配そうに覗き込んでくる。
「どうして私がロジェを憎むのですか？」
「――え？」
「ロジェは、私を守ってくださいました。外の世界を見せてくれたのもロジェです。憎んだりしません。そんなこと、絶対にしません」
　手が伸ばされて、頬に触れる。
　リヴィエラの体温が伝わる。
「感謝しています、ロジェ」
「お前は……」
「でも、罰……と言うのなら」
　リヴィエラがそっと手元に視線を落とす。
　青い夢想花が束ねられたブーケを目の前に掲げて、柔らかく微笑んだ。
「ここでは、『結婚の儀』と言うものが行われていたそうです」
　古代のウィンクルムたちが愛を交わし、誓い合った場所。
　リヴィエラが、何を言おうとしているのかが分かった。
　ああ……なんて、君は……――。
「だから……ロジェ。わたしと一緒に幸せになってくださ――」
　言い終える前に唇を奪った。
　ブーケごとリヴィエラを抱きしめて、激しく口付ける。
　何度も、繰り返し、呼吸を奪うように。
　やがて支えきれなくなったリヴィエラが、夢想花の茂みにとさりと倒れた。
　覆い被さるようにリヴィエラを閉じ込める。
「本当にバカだ……本当にバカだよ……！」
　リヴィエラの頬に、知らず溢れた涙がはたりと落ちる。
　それに気づいて、余計に涙が止まらなくなった。
「愛してる……」
　吐き出すように紡いだ言葉は、せり上がる嗚咽に混ざって吐息のように掻き消えてしまう。
「君を愛してる……ッ」
「私も、貴方を愛しています……！」
　再び屠るように口付けを何度も交わす。
「もう独りは嫌。マントゥールにも二人で立ち向かえばいい……ッ」
　リヴィエラの瞳が涙を溜めた。
「だからずっと離さないで……！」
　胸が、抉られたような衝撃だった。
　あの時離れたことの方が、君にとってはどれだけ辛かっただろう。
　もっと……。
　もっと君を信じればよかった。
「――ああ。もう、ずっと離さない……！」
　もう一度口付けて。
「君は俺と婚約するんだ。一生、俺のものだ……！」
　リヴィエラの腕を引いてきつく抱きしめる。
　手に握られた夢想花の花びらがはらりと舞い上がった。
「婚や……く……？」
「そうだ」
「嘘……嘘……？」
「嘘じゃない」
「――嬉しい……。私を、貴方のものにしてください……！」
　抱き返される腕の強さ。
　頼りなくて、けれど力強くて、愛おしい。
　大切な、大切なリヴィエラ。
「愛してる、リヴィエラ」
　尽きることなく、口付けを交わして愛を誓う。

依頼結果：大成功

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