──今日の私はお姫様。だそうです。
　菫　離々は自室で、静かに呼ばれる時を待っていた。
　同居しているパートナー・蓮から、呼ぶまで部屋を出ないように言い渡されたのは、ランチを食べた後だった。
　彼が何をしているかは、覗き見に行くまでもなくバレバレで。
　離々はふふっと小さく、本日何度目かの笑みを零して、手元の小説に意識を戻した。
　読み掛けの小説は、甘い恋愛物語。
　お姫様は、王子様の登場を心躍らせ待っている。

　──ご奉仕します！
　蓮は、せっせと紙で輪飾りを作っていた。
　お嬢とクリスマスに二人きり！
　今張り切ってご奉仕せずに、何時ご奉仕するのか──今デショ！
　いや、いつも全力でご奉仕したいと思ってますけれども！
「ヨシ！」
　カラフルな折り紙で作った輪飾りを壁に綺麗に繋げて飾れば、リビングが一気に華やいだ雰囲気になる。
　更にクリスマスらしさを出す為、手作りしたクリスマスリースも壁に飾った──ハンガーや造花で作った簡単なものだけれど。
　テーブルには、クリスマスカラーのクロスに、ガラス製キャンドルグラス。
　蓮は部屋を見渡して、ウンウンと頷いた。これで準備は万全。あとは料理を用意するだけだ。
　出来合いのものだけでは味気ないので、今日は頑張って手作り料理を作ります！
　エプロンの紐をぎゅっと締めて、蓮は卵を握った。
「まずは目玉焼きを……」
　コンコン……ぐしゃ。
「あ」
　卵の殻塗れになった白身から、必死で殻を取り除く。
（それにしても──）
　綺麗になった卵をフライパンに投入しながら、蓮は思う。
　催しの日は大抵お嬢はご実家にお帰り……けれど、今日は違う。
（これ親父さんに後で呼び出しくらうパターン……）
　ゾゾッと背中が寒くなる感覚に、ぶるぶると首を振った。
　お嬢と二人きりで過ごせるクリスマス、プライスレス！
　何があろうと耐えてみせますとも！

　ピンポーン。

　突然鳴り響く来客を告げるベル音に、蓮はわたわたと慌てて料理の手を止めた。
　すると、
「ハチさん。私が出ます」
　離々の声が聞こえて、蓮は有難う御座いますと返す。
　耳を澄ますと、来客は宅配業者だったらしい。
　荷物を受け取ったらしい離々は、こちらには来ないで真っ直ぐに自室に戻ったようだった。
　離々が何かを頼んでいたのだろうか？
　蓮は料理へと意識を戻した。
　一方、離々は、部屋に戻り届いた小包を開いていた。送り主は父親だ。
「大きなパウンドケーキ……」
　箱の中には、ブランデーに漬け込んだドライフルーツがたっぷり入った豪奢なパウンドケーキが入っている。
「日持ちするとはいえ……とても私一人では食べられそうもないですね」
　離々はこれを送った父親の顔を思いながら、小さく微笑んだ。

「これで、完成……！」
　出来上がった料理をテーブルに並べて、蓮は着ていたエプロンを脱いだ。
　次はお姫様を迎える者として、相応しい格好をする必要がある。
　蓮にとっての一番フォーマルな格好──それは、スーツだった。
　漆黒のスーツに身を包み、慣れないネクタイを締めれば……うん、ビシッと決まったと思います、たぶん。
　飾りヨシ、料理ヨシ、服装ヨシ。
　窓の外を見れば、すでにとっぷりと日が暮れていた。随分とお嬢を待たせてしまっている！
　蓮はふわふわする足を意識しながら、急ぎ足に離々の部屋の前へとやって来た。
　小さく深呼吸。僅か震えてしまう手で扉をノックする。
　直ぐに扉は開いて、離々が顔を覗かせた。
「お……」
　お嬢、と言い掛けて、蓮は首を振る。
「お待たせしましたお姫様。ディナーのお時間です」
　優雅にお辞儀をすれば、離々が少し目を丸くしてから微笑んだ。
「ご案内します」
　離々を案内して、リビングへ。
「お部屋も可愛らしく飾ってくださったんですね」
　部屋を見渡して離々が微笑む。
「紙の輪飾りって懐かしいです」
　そう言ってこちらを見上げてくる離々に、蓮は心でガッツポーズを決めた。お嬢が喜んでくれた！
「お姫様、こちらへどうぞ」
　椅子を引いて離々に座るように促すと、彼女はにこにこと椅子に腰掛けた。
　ガラス製キャンドルグラスの灯りが優しく、クリスマスカラーのクロスも可愛らしい。
　並ぶ料理もクリスマスの華やかさに溢れていて──。
（ハチさんの手作りがどれなのか一目瞭然です）
　焦げ目の付いた目玉焼きや野菜炒めを眺めて、離々は心が温かくなるのを感じた。
　蓮がノンアルコールのシャンパンを開けて、グラスに注いでくれる。それを受け取って、離々は彼を見上げた。
「ハチさん、乾杯しませんか？」
「は、はい、喜んで！」
　蓮もグラスを持ち、カチンと軽く触れ合わせる。甘く優しい口当たりを楽しんでから、離々はグラスを置いて両手を合わせた。
「いただきます」
　真っ直ぐに一番に手を付けたのは、焦げ目のついた目玉焼き。
「あ」
　蓮が心配そうにこちらを見つめてくる。
「見栄えの悪い料理混ざってすみません」
　離々が咀嚼するのを待って、謝罪を口にしてきた。
「おとなしく全部買ってくるんでした」
「香ばしくて美味しいですよ？」
　離々は続けて野菜炒めを口に運んで、美味しいと微笑んだ。その笑顔に、蓮は跳ねる胸を押さえる。
「こ、これではいつもと同じですね、もっと我儘でどうぞ？」
「我儘、ですか」
　きょとんと首を傾げてから、離々はにっこりした。
「では、私の隣に座ってくださいな」
「え？」
　ぴょんと蓮が跳ねた。現在食事が並べられているテーブルは、離々と蓮が日常使っているもので、二人用の小さなものだ。
　隣に並べば、自ずと超接近する事になる。
「隣……テーブル小さいんで近すぎま」
「ナマ言ってねぇでとっとと椅子に座れやコラ、です」
「はい！」
　ビシィ！と蓮は床に正座した。条件反射という奴だ。
「フローリングの床に正座は痛いと思います」
　有無を言わさない離々の微笑み。見下ろしてくる眼差し、プライスレス！
「アッハイ座ります」
　がたがたと、ぎこちなく精一杯距離を取りながら──それでも十分近い──蓮は離々の隣に座った。
　離々はそんな彼に笑みを向け、身体を寄せる。
「もう一つ」
「えっ？」
　ふわりと離々から甘い香りがして、蓮は早鐘のようになった胸を片手で押さえながら、目一杯背を反らした。
「たまにはハチさんも我儘言ってください」
「お、おねだりって……」
　見上げてくる離々の翠の瞳に吸い込まれるような感覚。蓮はごくんと息を飲み込んだ。
　お嬢にお願いしたい事。勿論、それは──……。
「えっと」
　蓮は小さく深呼吸する。
「俺は、お嬢ともっと一緒にいたいです。新年一緒に祝いたいし、二月になったらバ、バレン……」

『ハチさん、これをどうぞ』

　脳裏には、ハート型の大きなチョコレートを自分に差し出してくれる離々の姿。
　ああ！　お嬢からチョコレートを貰えたならば、俺は食べずに一生大事に保管して……。

　想像して、蓮の顔が赤く染まった。しゅうしゅうと頭から煙を吐き出しそうだ。

「――馬楝使って木版画に挑戦とか絵本作りの参考になるかなって」
　その結果、口から出た言葉に、蓮は心で涙した。俺の意気地なし！
「成程」
　離々は小さく頷いた。そして、
「……では、上手におねだりできたのでご褒美です」
　ポケットから小さな鍵を取り出して蓮に差し出す。
「ご褒美？」
　蓮は鍵を見つめて瞬きする。
　もしかして――。
「私の部屋の鍵です」
　期待はしていた、でもまさかそんな事があっていいんでしょうか！？――蓮は一瞬で軽いパニック状態に陥る己を感じる。これは、夢！？
「えっあの」
「緊急時には必要でしょう？」
　にこにこと微笑む離々に、高揚していた感情がすとんと落ち着くのを感じた。
「そうですね緊急時ですよね」
　一瞬でも不埒な想像をした自分が恥ずかしい。
「ありがとう、ございます」
　そっと鍵を掌で受け取ると、ほんのり離々の体温が残るそれに、また鼓動が跳ねた。
「ハチさん、一緒に食べましょう」
「はい、お嬢……じゃなかった、お姫様」
　触れる程に近い場所で、その事にドキドキして、味なんて全然分からないけれど。
（幸せ、です……！）
　己の用意した食事を残さず美味しいと食べてくれる離々に、蓮の表情筋は緩みっぱなしなのである。
「ハチさん、実は……ケーキがあるんです」
「ケーキですか？」
　蓮の用意した料理を全て平らげた後、離々はそう切り出した。
「はい、ハチさんのお腹にまだ余裕があるなら、食べませんか？」
「喜んで！」
　お嬢が用意してくれたものなら、別腹です！
　瞳を輝かせる蓮に、クスッと離々が笑った。
「では、一緒に部屋に来て下さい。ケーキ運ぶの手伝ってくれますか？」
「え？」
　お嬢の部屋に入る？　蓮の頬がほんのり染まる。
「その鍵、きちんと使えるかテストを兼ねて」
「あ、成程」
　蓮はポケットに収めた鍵に触れた。

　離々と一緒に食べたケーキが、彼女の父親からのプレゼントだと蓮が知るのは、全て食べてしまった後だった。

依頼結果：大成功

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