青く色を映す時雨の愛唄。
　その神秘的な景色に、ふっと溜息が零れる。
　綺麗だ。
　蒼崎　海十は、フィン・ブラーシュを盗み見る。
　青い瞳がこの空間の景色のひとつのようにさえ思える。
　たとえばこの場所を選んだ理由を問われたなら、神秘的で綺麗だったから、と答えるだろう。
　それは嘘偽りのない真実だ。
　遺跡の内部には他にも心惹かれる場所はあった。
　けれど、最終的にこの青の世界を選んだのは、フィンを思わせる色だったから、と言う理由が強かっただろうと思う。
　すうっと、海十は息を深く吸い込み、ゆっくりと吐き出す。
「ここに決めてよかった」
「うん、すごく綺麗だね」
　幻想的な青い景色を眺めていたフィンが、海十を見つめ柔らかな笑顔を刻む。
　ポタリ――。
　落ちる水滴の音が、不思議な反響を奏でた。
　知らず耳を傾ける。
「水の音っていいよね」
「そうだな」
　川のせせらぎや、雨の音にどこか安心することがある。
　目を閉じて、フィンもその音に耳を澄ます。
　ぽたり、ぽたりと水滴が離れては落ち、空気を震わせる。
　夢想花のブーケの話を聞いたとき、海十にはある想いが過った。
　いつかは伝えたいと思っていたこと。
　唐突に告げるにはあまりに不自然で、照れ臭くて、何かきっかけでもなければ、とてもではないが伝えられなかったこと。
　しかし、だからと言って機会を与えてもらったから伝えるわけではない。
　伝えたいことが、この機会に適ったに過ぎないのだ。
　いつか、少し先の未来で同じことを、別の場所で伝えているであろうこと。
　ただ、それだけの違いだ。
　群生する夢想花に目を向ける。心臓が、早鐘を打っている。
　夢想花が綺麗だから――という理由だけではない。これからしようとしていることに、僅かな緊張を覚えるだけ。
　一歩踏み出して、夢想花の深くへと足を踏み入れる。
　フィンが少し後ろをついて歩く。その気配を感じながら。
「フィン、ちょっとだけ後ろ向いてろ」
「え？　どうして？」
「いいから」
　少し不思議そうな顔をしながら、フィンは敢えてそれ以上は何も聞かず、言われるまま背を向けた。
　それを確かめてから、フィンには見えないように夢想花に手を伸ばす。
（バレバレな気がするけど、それでも見られるのは照れ臭い）
　知られていたとしても、見られながらできるようなことではない。
　フィンが背中を向けてくれたとはいえ、顔が熱くなるのを感じる。
　ここが、青に包まれる場所で良かったと思う。
　紅くなっていることに気付かれにくいだろうから。
　海十は想いを束ねるようにひとつずつ青い夢想花を摘む。
　伝えたい言葉。伝えたい思い。
　全てが、届きますように。
　束ねた花を、持ってきたリボンで結んでブーケにする。
　少し歪な、海十のありったけの想いの形。

　＊

　期待は当然あった。
　この場所を選んだことも、後ろを向いていろと言って何かをしていることも。
　その何かが分かってしまうから、フィンの胸の高鳴りは抑えられない。
　けれど。
　――今回だけは俺から言い出したい。
　気持ちは同じだろうからこそ今回は譲れない。
　海十は知らないだろうけれど、先に好きだと言われたことは、少し悔しかった。
　水音に耳を傾けるたび、あの日の雨を思い出す。傘もささずにやってきた海十の姿が、鮮明に脳裏に蘇る。
　濡れていることも構わずに、言葉を伝えようとしてくれた。それは、とても嬉しかった。
　だけど、やはり海十より先に言いたかった。
　勝ったとか負けたとか。
　後とか先とか。
　そんなことで何かが変わるわけではなかったけれど。
　夢想花に手を伸ばすと、ふと左手の指輪が視界に入る。揃いの指輪。
　クリスマスの日に将来の約束を、と簡単に取りつけはしたけれど、もっと確かな約束を望んでしまう。
　――ここが、そういう場所だから……？
　違う。
　海十だからだ。
　海十と生きていきたい。
　海十の見るものを一緒に見たい。
　海十との未来が欲しい。
　感情が溢れるように込み上げる。
　海十への思いで溢れて、満たされていく。
　――知ってたけど、俺って海十なしじゃ生きられないんだなぁ……。
　改めて思い知る。こんなにも、好きだと言うことを。
　まだ何ひとつ伝えていないのに、せり上がる想いに胸が詰まりそうになった。
　摘んだ夢想花で手早く花束を作る。
「フィン、いいぞ……」
　海十の声に振り向いて、それと同時に海十へ花束を差し出す。
「え？」
　予測していなかった出来事に、海十が目を瞠る。
　――驚いた顔、可愛いな……。
　海十が差し出される青い花を見つめた後、少し悔しそうな顔が垣間見えて思わず笑みが零れる。
「海十」
　混乱しているのか、黙ったままの海十をフィンが呼ぶ。
「――愛してる」
　真っ直ぐに海十を見つめて、言葉を重ねる。
「俺と結婚してください」
　海十の思考が、フィンの言葉に追い付く瞬間が分かった。
　驚きに彩られた海十の表情が色を帯びて、感情が溢れて零れる、その刹那まで。
　つ、と瞳から頬へ伝う雫すら、時雨の愛唄は青く染める。
　まるで、星が零れ落ちるようで見惚れてしまう。
「――、……っ」
　海十が涙を拭おうとする、その手を取って引き寄せる。
　目元に唇を寄せて、零れる涙を拭う。
「……嬉しくても、涙って出るものなんだな」
　恥ずかしそうに呟いた海十の言葉が、愛しくてたまらない。
「海十、返事を聞かせて？」
　海十の瞳を覗き込む。
　答えは明確だったけれど、海十の言葉で、その声で聞かせて欲しい。
　涙に濡れた海十の瞳が見つめ返してくる。
「――はい。……フィン、愛してる」
　消え入りそうな声が、胸の内側に広がって、幸せの波紋を広げる。
　この言葉が聞きたかった。
　確かな約束。揺らがない証。
　そっと唇を重ね、強く抱きしめる。
　今よりはるかに曖昧な儀式は、それゆえに強い愛と絆を感じる。
　離れ際、名残惜しくてもう一度唇を重ねる。甘く、口付けたあと。
「先、越されたけど」
　そう言って海十がブーケを差し出す。
　海十の誠実さや実直さの伝わる、リボンで結ばれた想いの花束。
「俺も……」
　恥じらいながら紡がれる声。けれど、しっかりとした意志を持って告げられる言葉。
「ずっとフィンのこと、離さない。俺がフィンを幸せにする」
「……、……」
　ある程度は海十の言葉を思い描いていたけれど。
　――海十は本当に……ずるい……。
　思わずフィンが顔を覆う。
「フィン？」
「やばい、……泣きそう」
　海十の不意の言葉にいつも翻弄されて。
　悔しいくらいどきどきして。
　――敵わない、なあ……。
　込み上げる感情を懸命に押し留める。
「隠さなくてもいいのに」
「さすがに、それはオニーサンの威厳ってものが……」
　茶化して意識を逸らしながら、それでも覆った手はまだ外せそうにない。
「俺は、フィンのどんな顔も見たい」
　そっと覗き込んで伸ばされる海十の手を、ぐっと引いて口付ける。
「っ……」
　長く。
　長いキスのあと。
「まったく……俺を刺激してどうするつもり？」
「どう、って……」
　海十は無意識に、素直な言葉を口にしているのだろうが、だからこそずるいと思う。
　フィンが、海十の作ったブーケを受け取る。
「ありがとう、海十」
「俺のブーケ、不格好で恥ずかしいんだけど……」
「そんなことないよ。海十の想いがこもった、世界に一つだけの俺のためのブーケなんだから」
　夢想花に乗せた思いを交換して、寄り添う。

　＊

　青く光を揺らす空間を見つめて、その美しさに何度目かの溜息を漏らす。
「本当に綺麗だよね、ここ」
「……フィンの瞳の色みたいだって、思ったんだ」
「……――え？」
　もう不意打ちは来ないだろうと思っていた矢先の、海十の無自覚の殺し文句だ。
　これにはさすがのフィンも、今度は両手で顔を覆ってしまった。
　些細なことに重ねて、自分を想ってもらえることがこんなにも嬉しい。
「海十。俺……今日のことも、絶対に忘れないよ」
「俺も忘れない」
　思い出が、またひとつ増えて行く。
　その日を忘れないように、しっかりと記憶に刻む。

　――ずっと、愛してるよ。

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