●赤と黒の攻防

「綺麗な場所ね」
「……ああ」

　生きた星たちが優しく洞窟内を照らし出す。星空映した川の上の、二つの影から素直な感想が漏れ聞こえた。
ライトグリーンと淡いピンク色を放つ蛍の光を受けた指輪に、スティレッタ・オンブラはふと視線を落とした。
（人の記憶や想いが宿った指輪らしいけれど……今日の私の想いを例えば宿したら、何色になるのかしらね）
面白半分に付けてきた指輪だが、いつか自分の想いが色付いた指輪を見てみたいかも、なんて好奇心から思いながら。
小型船の上で、不思議そうに周囲を見渡している男を微か見上げてから、次に彼女はそっと隠し持っていた花束へとその瞳を移す。
彼はどんな顔をするかしら。
紅の笑みを形作って、スティレッタは隣りに立っていた男、バルダー・アーテルへとおもむろにその花束を掲げた。
時折、外界から漏れる木漏れ日のような光を受けて、黄色やピンク、緑へとその発光色を変える花が突如視界に飛び込んで来れば、バルダーは狐につままれたような表情になる。

「クロスケ、貴方に夢想花のブーケ渡そうと思って」

　その言葉受けますます不可思議な色を濃くした金の瞳を覗き込むと、スティレッタの口元は先程より更に楽しそうな弧を描いた。

「大体予想通りの反応だけれど。そんなに意外かしら？　だってここはそういう場所なのでしょ？」
「愛を深める……か」
「……何？　改まった顔して」

　建前で彼女はやってきたのだろう、バルダーはそう思っていた。
職員からの話は、ウィンクルムとしての義務にも似た説明のように、どこか彼には聞こえていたのだ。
そんな彼にとって、スティレッタからのこの地への誘いは例えどんな魂胆があろうと付き合った方がいいのだろうと感じて。
神人である彼女を一人で行かせるわけにもいかない。それこそ彼女の精霊としての義務なのだから。
しかし今、目の前の彼女は自分が想像もしていなかった行為を己へと向けている。決して、自分たちには縁が無いと思っていたその行為を。

「前から言おうと思っていた。俺達は愛し合う間柄にはなれないってな」
「愛し合うのは無理？　私はそうは思わないわ」

　今までも何度かスティレッタからそのテの想いをほのめかしたセクハラ、もとい、言動を受けたことはあった。
だからバルダーはまず試す言葉を放つ。スティレッタの真意を知る為に。
そうしてきっぱりとした返答を聞けば、彼女が自分が思っていたよりも遥かに本気であるのかもしれない、と感じ取れた。
事実、スティレッタの口から言葉が続いた。

「今まで何だかんだ言いながらも私達一緒に暮らせてたでしょ」
「お前の身を守るのは俺の責務だ。だがそれと愛情は関係ない」

　己とは相容れるはずのない考えを紡ぐスティレッタに、畳みかけるようにしてバルダーは告げる。

「軍では女関係で破滅する奴をごまんと見た」
「ええ、想像はつくわね」
「母も父の後を追って自殺……」
「……クロスケ、」
「分かっている。二人が愛し合ってたから俺が生まれたのは確かだ。だが俺にとって愛は破滅や後悔の象徴だ」

　俺には愛は邪魔なんだ。
そう重く呟いたバルダーの瞳から、星々の光が消えた。
俯いた顔を先程までと全く変わらぬ表情で見つめてから、その頬を両の細い指先で挟み上向かせようとしながらスティレッタは口を開く。
やや不快そうに、しかしまだ自分の手を払おうとはしない金の瞳を真っ直ぐ捉えて。

「お互いを思いやる愛だってあるじゃない」
「……お前が言っているのは『仲間』としてのものじゃないだろう……？」
「勿論よ」
「ならば断わると言っているんだ。俺は所詮一介の傭兵だ。ロクな死に方はせんぞ？」
「もし貴方が死んだっていつまでも悔やんでる女じゃないし。そろそろ分かっているでしょう？」

　これっぽっちも引く気配を見せないスティレッタ。
その自信溢れる姿勢はどこからくるのか、バルダーの心に疑問が募っては口から思わずといった溜息が漏れた。

「複数契約だってあるだろう。他の精霊を見つけて幸せに……」
「決めた」
「は？」
「これから私を好きにならないことを後悔させてあげる」

　この女は何を言っているのだ……。
言葉の意味が理解出来ず、バルダーの眉は中央へ強く寄せられる。

「俺は今お前を振ったんだぞ？」
「ホラ、花束受け取って。キスしてあげるから」
「聞いてるのかっ？」

　暴れない方がいいわよ？　舟から落ちるから、などと淡々と言われれば全くもって思考が追い付かず、己の顔を今やがっちりホールドしたスティレッタの手から逃れるのが遅れた。
バルダーが思考の迷路に迷い込み硬直した一瞬の隙をついて、紅色が黒い影を捉えるのだった。

●塗り替えられるは色か想いか

「ここ、音が良く反響しそうよね……」
「………っっっ」
「今から叫んであげる」

　それは人生で二度目の。
否が応にもバルダーの脳裏には、初めて奪われた日のぬくもりが思い出される。
――　あの時は冷たい吐息の後すぐに体温が伝わってき……ってちがう！！　血迷うな俺！！
彼が自身との葛藤に忙しなくしている間に、彼女の方はもう次の行動に移っていた。
バルダーの耳から脳内へ、「叫ぶ」の言葉がようやく届いて　ハッ？！　と顔を上げた時にはすでに遅し。

「私ねー！　バルダーのこと大好きだからーー！！」
「く、口にキスするな！　そして叫ぶな！」

　ワンテンポどころかツーテンポ程遅れたツッコミと共に、慌ててバルダーはスティレッタの口を塞ごうと身を乗り出す。
が、もうすでにスッキリした顔でスティレッタは彼へと振り向いていた。

「ふふ、貴方がくれたお守りのご利益、きっと叶わせるんだから」
「ご利益ってこ、子供だろ！？　って持ってるのか今！」
「お守りなんだから、肌身離さず持っていないと意味がないでしょ？」

　貴方が珍しくサプライズなんてしてくれた物だし、と付け足してスティレッタはいつの間にか掌に置かれた、白虎の姿が彫られた小さな水晶球へ微笑んでは口づける。
まるで自分への誓いのように。
――　そう。大好きなのね私……やっと中途半端にかかってた霧から抜けた気分だわ。
そういう想いがある事は、これまでの男たちを見ていて何となく知っていた気でいたけれど。
いざ自分が抱えてみるとそれは何と曖昧で不確かな感情なのか。
いつしかスティレッタは、その不確かなモノがはっきりと形にならないかと行動に出ていた。バルダーにとっては時にそれは、セクハラ、と呼べる代物に姿を変えて。
今、具体的に言葉にし、そしてそれを当の本人へ聞かせたことで、すとんとスティレッタの中で形が定まったように思えたのだった。

　彼女の中でも複雑な感情が絡み合っていたことなど露も知らぬバルダーにとっては、直球な告白を聞かされたも同然である。
しかも振ったはずの直後に。
挙句、今やしっかり意味を知ってしまった水晶まで見せられれば、スティレッタの望まんとすることは悲しいかな容易に想像出来てしまった。

「お前みたいな痴女なんぞの相手をしたら俺が枯れ死ぬ！」
「そんなの試してみないと分からないじゃない？」
「俺の本能が告げている！」
「随分お粗末な本能ねえ」

　蛍たちの光を受けコロコロと笑うその姿は、憎らしくも女性としてとても美しい姿に映ってしまう。
痛そうに頭を抑えるフリをして目をこすっているバルダーの耳に、とどめの言葉が紡がれた。

「クロスケ、これは宣戦布告よ」

　覚悟なさい。そうウィンクまで飛んで来れば、バルダーの頭が本当に痛み出す。

「お前と愛し合うなんて御免だー！」

　いつの間にか、ゆったりと川を進み到着した洞窟湖内の恋慕石柱たちが、バルダーの叫びを迎えいれるようにきれいに反響させた。
その叫びを受けては、これからの勝負が楽しみね、と強い意志宿す瞳で告げてから。
小船を下りてひらり舞うスカートを濡れないよう膝ほどまでたくし上げ、スティレッタは楽しそうに水と戯れ始めた。

　すっかり疲弊した目で、バルダーは小船の上から彼女を見つめる。
そこに、緊張纏い髪を振り乱して逃げるスティレッタの、いつかの後ろ姿が重なって見えた。
（……ナンナ、何も俺を愛さなくても……）
それは彼だけが知るスティレッタの本名と姿。
汚れた世界から無事に生き延びて、今はこうして光の中で踊っている。なのに何故、彼女は自分を選ぶのだろうか……。
もう汚れる必要など無いというのに。

――　俺には後悔なんてある筈が……

未だ正体を隠していること
隠したまま彼女の愛を頑なに拒み続けること
自らが決めたはずだ。なのにどうして……今の彼女から目が離せないのだろうか。
精霊として契約したから、大事な仲間だからだ、とバルダーは自身の心に強く言い聞かせるのだった　――　。

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