●星の海の只中で
「……天井が光ってる。あれが、鍾乳石？」
　遺跡内、『恋慕石柱のプラネタリウム』にて。ひろのは焦げ茶の瞳に、静かに光を放つ『恋慕石柱』の煌めきを映した。夜を思わせる幻想的な世界を、ライトグリーンとピンクの光の粒から生まれる波――幾らもの『エンゲージ・ボタル』が泳ぐ。
「動いてる光が、ホタル」
　確かめるように、小さく呟くひろの。夜の空に迷い込んでしまったのかと、そんな錯覚を覚えてしまいそうになるほどの景色だった。
「……きれい」
　心に浮かぶままの言葉を喉から零して、ひろのはほうと感嘆の息を一つ、ただただじぃっと、目前に広がる光景に見入った。景色に目を奪われ、双眸に光を泳がせるひろのの様子に、行動を共にしているルシエロ＝ザガンは密か口元を和らげる。
（ヒロノにとってのきれいには、大体これだ）
　近くには『夢想花』が作り出した自然の椅子もあるのだが、どうやらそれも、ひろのには必要がないらしい。そんなことを思って、ルシエロは自身も、ひろのが見ているのと同じものへとその眼差しを移した。
（揺らめく星の海にいるような景色……確かに心を奪われる）
　目の前に広がるのは、ひろのの心を捉えるにふさわしいと思えるような光景。尤も、この海を漂う『星』は辺りを自由に飛び回り、時折２人の訪れを歓迎するかのように「ようこそ」とこちらの身体を掠めるのだけれど。と、その時。
「わ……」
　不意に光の群れが己の身体の周りをくるくると回って、ひろのは目を丸くした。ひろのへと幾らかの驚きを残したままで、蛍達は、今度はルシエロの周囲を滑らかに巡る。そのまま遺跡に生きる星達は気儘に去っていったけれど、２人は、思わず顔を見合わせることとなった。ひろのの視線が、蛍の輝きに惹かれるままに、ルシエロの方に移ったからだ。
「……悪戯なものだな」
「うん。ちょっと、びっくりした」
　くつ、とルシエロが薄く喉を鳴らす。ひろのの眼差しが、ルシエロの手元へと移った。じぃと注がれる焦げ茶の視線を得て、ルシエロは思案げに目を細める。
「もういいのか？」
　問いに、返るのは頷きだ。ふむ、と顎に手を宛がうルシエロ。
（邪魔が入ったとはいえ、いつもより短いな）
　もっと延々とこの光景を眺めているものだと思ったが、と胸中に首を傾げれば、それを知ってか知らずか、ひろのはぽつりと言葉を続ける。
「気になるから」
　あまりにも端的で、ある意味では格別に真っ直ぐな言葉。耳に届いた音にルシエロはその瞳を瞬かせ――それから、ふっと口元を華やがせた。

●誓いは此処に、想いは貴方に
（コイツはまた、妙な部分で素直だな。……今では、そこも愛おしい一つだが）
　受け取った言葉に、ルシエロはそんな思いを胸に沈める。そのルシエロの前で――ひろのは、この遺跡が担う意味を思った。愛を深める為の儀式、『結婚の儀』がかつて執り行われていたという神聖な場所。
（今と違うらしいけど。でも、そういう名前の儀式で）
　結婚という言葉が含む意味の重さをひろのはちゃんと知っていて、だからこそ、
（私が相手で、いいのかな）
　なんて、胸にわだかまるものは確かにあった。けれどルシエロは、ひろのの表情に逡巡の色のようなものを読み取ってなお――いや、読み取っているが故に、僅かの躊躇いも感じさせることのない洗練され切った動きを以って、ひろのの前に片膝をついてみせる。手渡すのは、数多の彩りささめく、愛を伝える花々のブーケ。
（……ブーケきれい）
　ひろのの手が、緩くブーケへと伸ばされる。それを彼女が胸に抱くように受け取ったのを見届けて、
「女神ジェンマと、オマエと、オレ自身に誓おう」
　と、ルシエロは朗々と声を紡いだ。目をぱちくりとするひろのへと、ルシエロは不敵とも取れる笑みを浮かべて、しかし真摯な声音で誓いの言葉の続きを音にする。
「ルシエロ＝ザガンは、ヒロノだけの精霊で在り続けると」
　ブーケを持つひろのの手に、知らずぎゅっと力が籠った。
（え……）
　耳に聞こえた言葉が、頭の中で氾濫してとても処理し切れない。フリーズするひろのの姿に優しいため息を静かに漏らして、ルシエロは立ち上がると、ひろのの前髪をさらりとかき上げた。瞬間、２人の視線が確かに合わさる。
（愛してる……と、言ってしまえたらいいんだが）
　その言葉は飲み込んで――けれど、想いはそのままに。かき上げた前髪の奥から覗く額へと、ルシエロは甘やかな口付けを一つ零した。されるがままになりながら、ひろのは、脳裏に鮮やかに焼き付いて消えない先刻のルシエロの瞳と、そこに映っていた色に想いを馳せる。そして、今度は、額に触れる穏やかな温度に心を澄ませた。
（何だろ。何か、強く伝わってくる、ような……）
　胸がきゅっとなるほど、どうしようもなくそんな気がして。そして――直後、殆どひろのの意思を無視して唇から溢れた言葉は、
「なん、で」
　という、あまりにも短い問いのようなもの。それは、ひろの本人にだって何に対してかよく判らない問い掛けだったけれど、ルシエロは、その整ったかんばせに微塵の揺らぎもない色を乗せてくつりと笑った。
「オマエ以外の精霊になる気は無いからな」
　ルシエロのタンジャリンオレンジの瞳は、どこまでも真っ直ぐにひろのへと向けられている。ひろのは、ルシエロの目が好きだ。色も、それが孕む力も。そして。
（ルシェの言葉はいつだって。目と同じで、力強くて）
　今しがた受け取ったばかりの言葉も、眼差しと同じ強さを持ってひろのの胸に迫る。心を落ち着かせるように細く息を吐いたひろのの頬に、ルシエロは伸ばした右手の手のひらを柔らかく添えた。頬を撫でる温度に、ひろのがそっと瞼を閉じる。
（何かを不安がるコイツが、少しでも安心すれば良い）
　安堵を、この少女の胸に届けたいと。それが今のルシエロの、心底からの想いだった。そして――ルシエロの眼差しは、言葉は、ひろのへと触れた手は、その願いを、確かに掴み取ったようで。
（……ルシェといていいのかな、って。たまに思う）
　想いを胸に沈めながら、ひろのはルシエロの手に頬を擦り寄せる。
（でも、そっか。ルシェは離れる気ないんだ）
　ようやっと、ひろのはそのことを理解した。頬に触れる手のひらから伝わる、ルシエロの温度。胸に満ちるあたたかなものに、ひろのは心を委ねた。あまりにも無警戒なひろのの様子に、ルシエロは胸中にほろ苦い微笑を漏らす。
（無防備だな。欲を煽る姿ではあるが……）
　けれどその感情は、今は胸の奥の奥に仕舞い込んでおくことをルシエロの理性は選択した。目の前のひろのが見せている落ち着いた表情を、崩してしまいたくはないのだ。
「……ルシェの手、気持ちいい。何だか、ほっとする」
　目を仄か開いたひろのが、ぽつと呟いた。その言葉にルシエロは、
「そうか」
　と応えて、口元を優しさを帯びた笑みの形に歪めてみせる。２色の光の帯が、祝福を与えるように２人の周りを取り巻いて、そうしてまた、気紛れに星の海へと還っていった。
「……あ」
　蛍の去っていった方へと目を引かれたひろのが、思わずといった調子で短く声を漏らす。ルシエロもひろのの視線をゆるりと追って――その瞳に見留めたものの様子に、つと口の端を吊り上げた。
「成る程……まあ、粋だと言ってやってもいいだろう」
　ずっと２人を見守っていた『恋慕石柱』――ウィンクルムの愛によって纏う光を変えるという特別な鍾乳石は、いつの間にか、ルシエロの瞳を思わせるものへとその色を変えていて、
「……きれい。やっぱり、あの色好き」
　と、ひろのは目に慣れているはずのオレンジ色に見惚れ、ルシエロはその様子にまた、愛しいという想いを胸に過ぎらせるのだった。

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