夢想花──夢のように想う花という名前に、七草・シエテ・イルゴはとても心惹かれた。
「翡翠さん、ここに夢想花について記載がありました」
　シエテが差し出すのは、A.R.O.A.がウィンウルムに用意した遺跡についての資料。
　遺跡を訪れるウィンクルム達のために、パンフレットのようになっている。
　翡翠・フェイツィは、名前と同じ翡翠色の瞳を瞬かせ、シエテの手元を覗き込んだ。
「夢想花は、この遺跡で発見された花なのだそうです」
「遺跡でしか咲かない花って訳か」
「日の当たり具合によって、さまざまな色彩に変わるのが特徴なんだそうですよ」
「へぇ……どんな色に見えるのか、実際見るのが楽しみだな」
「はい」
　シエテは微笑んで翡翠を見上げた。
「なので、翡翠さん。私は……夢想花の園に行ってみたいです」
　シエテの白い指が、遺跡の地図にあるその場所を指差す。
　そこは名前の通り、夢想花が咲く花畑なのだと解説には書かれている。
「いいね、行ってみようか」
　翡翠が笑みを返すと、シエテは嬉しそうに瞳を細めた。

　鍾乳洞の遺跡の中は、ひんやりと少し冷たい空気に満ちている。
　薄闇をエンゲージ・ボタルが、ライトグリーンとピンクの色彩を放ち、くるくると眩く飛んでいた。
「シエ、寒くない？」
　二人並んで歩きながら、翡翠はシエテの横顔を窺う。
「私は大丈夫です。涼しくて気持ち良いです。翡翠さんこそ、大丈夫ですか？」
「ああ、俺も平気。外は暑いくらいだったし、丁度良い……けど」
　翡翠は手を伸ばして、シエテの指先を掴んだ。
「シエの指先、冷たいな。冷え過ぎると良くないし、こうして手を繋いで行こうか」
　シエテは小さく瞬きした。
　翡翠の手は、大きくて少しゴツゴツしていて……とても温かい。
「そうですね」
　頷いて手を握り返すと、更に温かくなった気がした。
「シエ、見えて来た。花畑だ」
　それから暫く歩いた後、翡翠のもう片方の手が、前を指差した。
　上から、陽の光が柔らかく照らすそこは、まるでスポットライトが当たっているようだ。
　天然の照明の元、色とりどりの花が風に揺れている。
「あれが……夢想花？」
　二人は顔を見合わせてから、逸る気持ちを抑えながら足早に歩み寄った。
「綺麗……」
　シエテが呟く。
　ゆっくりと膝を折って、花に目線を合わせれば、仄かに甘い香りがした。
　明るい蛍光色が多いが、色は様々で、大ぶりの花びらもあれば、小ぶりの花びらもあり──一つとして同じ色、形は無いように見える。
「不思議な花ですね……」
「こんな花、きっと新旧タブロスには無いんだろうね」
　シエテの隣で、翡翠も膝を屈めて花にそっと触れた。
「そう考えると、俺達は見られただけでも幸せじゃない？」
「ええ、本当に……」
　何度も頷くシエテに笑みを浮かべ、翡翠は上を見上げる。
　上部に開いた隙間から、風と共に太陽の光が優しく降り注いで、心地良い温かさを感じた。
　ここで昼寝でもしたら、最高に良い夢が見られそうだ──そう思った時。
「翡翠さん」
　シエテの青の瞳が、翡翠を見て来た。
「折角なので、二人で夢想花のブーケを作ってみませんか」
「ブーケ？」
　首を傾ける翡翠に、シエテはええと頷く。
「二人でで違う色を集めて、七色の夢想花ブーケを作りましょう」
　シエテは花畑を見渡した。
「これだけ色んな色がありますし、二人で好きな色の夢想花を持ち寄って、私達二人にだけに作れるブーケを作ってみたいのです」
「……面白そうだね、どんなブーケになるか楽しみだ」
　顎に手を当て少し思案してから、翡翠は笑顔を返した。シエテの表情がパッと輝く。
「それでは、早速手分けしましょう。私は暖色系の夢想花を摘みますね」
「俺は寒色系の夢想花を摘むよ」
　二人は早速、どの花を摘むか吟味を始めた。
　シエテはバランス良く、同じ大きさの花を慎重に探す。
　赤、橙、黄……同じような色でも、微妙にそれぞれ色の異なる花から、気に入ったものを探すのはとても楽しい。
「本当に、綺麗な所ですよね……」
　花畑を見渡して、シエテはほぅと息を吐いた。
「いつの時代も、花は人のいる所に咲くのでしょうか」
　一面に広がる花は、まるで人の心に灯火を灯すように、鮮やかに得難い美しさで咲き誇っている。
「当時の人々も、こうやって花を眺めたのでしょうか」
　シエテの胸に思い浮かぶのは、嘗てここを訪れたであろう人々の姿。
　結婚の儀を執り行っていたウィンクルム達も、きっとここに足を踏み入れたのだろう。
「良い事言うね」
　翡翠がシエテを振り返った。
　シエテの栗色の髪が、風に揺れている。
「俺もそう思う」
　ゆっくりとシエテも振り返り、二人の目が合った。
「人の心を癒す為に……花はあるんじゃないかな」
　一層強い風が吹き、花達が一斉に震える。
　翡翠の穏やかな瞳が、花達へ向けられるのを見て、シエテは胸元を押さえた。
　翡翠と同じ感想を抱けた事が、とても嬉しい。
「当時の人々に負けないくらい、素敵なブーケにしましょう」
「だな」
　笑い合って、二人は再び花選びを再開する。
「七色と言いましたが……出来れば、白や黒もあると綺麗ですよね、うふふ」
「白と黒ね……分かった、俺も探してみるよ」
　二人は競争するように、目当ての色の夢想花を探した。
「あ、白を見つけました」
「こっちは黒を見つけた」
　上がった声はほぼ同時で、互いに摘んだ花を見せ合い微笑む。
「これで、七色にプラス二色ですね」
「豪華になるな」
　二人は笑い合ってから、更に他の色も探していく。
　一輪一輪、大事に丁寧に摘み取って、二人の手の中で夢想花達が華やかに揺れた。
「翡翠さん、準備はいいですか？」
「ああ、こっちも揃ってる」
　花畑の隅にあった、丁度良い大きさの石に二人並んで腰掛け、二人で摘んだ花を、二人で協力して一つのブーケに纏め上げてリボンで結ぶ。
「……出来ましたね」
「綺麗だな」
　赤、橙、黄、緑、青、藍、紫──鮮やかな七色に、白と黒。
　グラデーションのように美しい大きな花束が完成した。
　二人で一緒にブーケを持ち、その輝きを見つめる。
「シエ。……この花束は、シエに贈りたい」
　翡翠の手が、シエに花束を持つように優しく促した。
「……え？」
　シエテは大きく瞬きして、翡翠を見上げる。
「シエに持っていて欲しい」
　渡されたブーケを胸に、シエテはもう一度瞬きした。そして、ゆっくりと唇を開く。
「……このブーケを七色にしたのは、楽しい事も悲しい事も全て受け入れる為です」
　シエテの声に、ブーケの花がふわりと光ったような気がした。
「……それは、これまでの過去も、今も、これからの未来も同じです」
　シエテが瞳を上げる。真っ直ぐな視線が翡翠の視線と絡む。
　翡翠は小さく目を見開いた。
「私は、これまでの私を全部受け入れて──……歩いて行きたいのです。それは、翡翠さんの事も同じです」
　シエテの瞳が僅かに揺れて、それでも尚視線を逸らさず、彼を、彼だけを見つめる。
「翡翠さんのことも、過去、今、未来……全部受け入れて、そして……ずっと翡翠さんと一緒に居たいです」
　シエテは、抱えていたブーケを手に持って小さく息を吸った。
「ウィンクルムを辞めても……傍にいてくれませんか？」
　彼との距離を詰めて、シエテは彼の唇に自分の唇を触れ合わせる。
　触れたのは一瞬。
　シエテは、潤む瞳で翡翠の反応を窺おうとした、その時だった。
「シエ」
　強い力で抱き締められる。
「俺が、どうしてシエにブーケを贈ったか、分かる？」
　耳元で掠れた翡翠の声がした。
　シエテは、早鐘のようになる心臓を感じながら、翡翠の声に耳を澄ませる。
「俺は──ミッドランド中の、どんな人のどんな愛の言葉よりも、シエの声が聞きたいんだ」
　──だから、とても嬉しい。
　翡翠の囁きは、甘い熱となってシエテの全身を巡った。幸せで、嬉しくて、眩暈がしそう。
「……翡翠、さん……」
「俺は、ずっとシエの傍に居る」
　重なる心臓の音は、同じ速いリズム。二人が同じ想いである証。
　その心地良さに、翡翠は瞼を閉じた。
（──シエが俺を支えてくれたように、俺もシエを支えてきた。これからも、それはきっと変わらない。俺の気持ちも……）
　どんな事があっても、例えウィンクルムでは無くなってしまっても──変わらない。
「シエ」
　身体を離し、顔を覗き込む。
　シエテの瞳には、光る涙があった。
　その涙さえも、愛おしく、尊く、綺麗だと翡翠は思う。
　シエテの涙を唇でそっと拭ってから。翡翠は彼女と唇を重ねた。
　甘い甘い熱が二人を繋ぐ。
　少し長い口付けの後、翡翠はシエテの耳朶に唇を寄せた。
「俺達は……一つだから」
　甘い鎖のような、それでいて、シエテと翡翠にとっては当たり前のような、そんな言葉だった。
「はい、翡翠さん……」
　このまま二人、離れないように──シエテは彼の背中に手を回して、強く彼を抱き締めたのだった。

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