「とても迷います」
　シェリー・アトリールは、A.R.O.A.職員から配られた遺跡の案内図を眺め、真剣に瞳を細めた。
「理屈では言い表せない、不思議な現象のあるスポットが沢山です」
「でも、とても全部は回れないよね」
　そう釘を刺しながら、柳楽　源はシェリーを見遣った。
（アトリールさんが好きそうなのが一杯あるしな）
　源はさらっと案内内容を流し読みしただけではあるが、どの場所もシェリーの興味を引くだろう事は容易に想像出来た。
　だから、今回の行き先も彼女に任せようと思っている。
「『せせらぎの洞窟湖』の透明度の高い湖、凄く気になります。しかし……『夢想花の園』で、夢想花をじっくり観察するのもいいかもしれません」
　夢想花は、遺跡内でしか咲かない花ですからと、シェリーは瞳を輝かせた。
「けれど、『エンゲージ・ボタルの洞窟』で、エンゲージ・ボタルの生態を見てみたい気持ちもあるのです」
　うむむと眉を寄せるシェリーの表情に、源が頬を緩めたのだが、彼女は気付いていない。
「『やすらぎの水中洞窟』で、濡れずに水中に潜れる体験も是非してみたいですし、『恋慕石柱のプラネタリウム』で星のように美しい景色を楽しむのも良さそう……」
　シェリーは案内図を指差して、更に悩ましげに息を吐いた。
「『時雨の愛唄』の青ばかりの景色にも、心惹かれます……」
　そこでシェリーは瞼を伏せた。悩みに悩んだ彼女の唇が、結論を言うのを源は待つ。
「『恋知り鳥の大穴』に行きましょう」
　彼女の指が、真っ直ぐにそこを指差した。
「了解。それじゃ行こうか」
「はい」
　二人は地図を見ながら『恋知り鳥の大穴』のある場所まで歩き出す。
　同じ場所に向かう他のウィンクルムが居た事もあり、迷わずに大穴の前まで辿り着く事が出来た。
「へぇ……クリスタルが壁から生えてるんだ」
　源が周囲を見渡すのに、シェリーもそれに続こうとして、ハッとした様子で足を止める。
「そういえば、柳楽は高い所平気でした？」
「え？」
　振り返った源は、軽く目を見開いた。
「私、自分が行きたい場所ばかり考えて……柳楽の意見を聞くのが疎かになっていましたね。すみません」
　ストロベリーブロンドの長い髪をふわりと揺らし、しょんぼりとシェリーが頭を下げる。
「500mとなると、流石にちょっと勇気は要りそうだけど、大丈夫」
　源はゆるりと首を振ってみせた。
「気にしないで。どこも興味深い所だったし、俺もここに来るので賛成だったから」
「なら、何も問題ありませんね」
　顔を上げて、シェリーが微笑んだ。桃色の瞳が猫のような好奇心に輝く。
「さあ、いきましょう」
　シェリーはうきうきと大穴とその壁を彩るクリスタルに視線を戻した。
（相変わらず現金な子だ）
　源はこっそり苦笑しながら、彼女と共に大穴の中を覗き込む。
「改めて見ると深いな……」
「底が見えませんね」
　もっと良く見ようと、シェリーは身を乗り出した。
「あ、そんなに身を乗り出したら落ちる……」
「やっぱり良く見えません……これはもう、試すしかないですね」
「え？」
　確認する間も止める間も、無かった。
「えいっ」
「アトリールさん……！？」
　シェリーは軽やかに大穴へ身を投じていた。
　ストロベリーブロンドの髪が風にふわりと靡く。
「……ああ、もうッ……」
　もはや源に躊躇したり迷ったりしている時間は無い。
　シェリーに続いて、源も大地を蹴った。
「きゃっ……」
「うわッ……」
　下から突き上げられるような風の抵抗に、思わず声が出る。
　源は何とかシェリーの隣に並んで、彼女の手を取った。
　大丈夫であろうことは分かってはいるが、万一という事もある。
　そして、これ以上彼女の好き勝手にされるのは、心臓に悪すぎる。
　色鮮やかなクリスタルの光が、まるで流星のように二人の周囲を過ぎ去っていく。
　夜空の中を落下しているような、そんな感覚にシェリーは瞳を輝かせた。
　一面の流星群。
　段々と流星の降る速度が落ちていき、
「……ふう」
　シェリーは息を詰めていた唇を開いた。
「落下速度、落ち着いて来ましたね」
「……ああ、そうだね」
　周囲の景色を確認できるくらいのゆっくりな速度になったのを確認し、源はシェリーの手を離して彼女に頷く。
「柳楽、上があんなに遠いです」
　シェリーが指差す先、二人が落ちて来た入口は、もう小さな小さな光となっていた。
　源はあらためてゾッとする心地で息を吐き出す。
「そういえば……穴に落ちる物語ってありましたよね」
　シェリーが口元に手を当てた。
「穴に落ちる物語？」
「ええ。確か……時計を持ったウサギが出て来て、主人公はそのウサギを追い掛けて穴に落ちるんです。そして、その先には不思議な世界が広がってて……」
　源は少し考えて、有名な童話を思い浮かべた。
「主人公は女の子？」
「そうです。女の子。不気味でかわいい猫も出てきます」
　源がその童話のタイトルを言えば、シェリーは、それです！とこくこく大きく頷いた。
「まるで、そのお話の登場人物になった気分です」
「え？」
「さしずめ私はウサギでしょうか」
「……」
　源は微笑みを浮かべるシェリーを見つめ、瞬きした。
　ウサギの耳を付けて、懐中時計を持つシェリーは……可愛いかもと思った瞬間。
（となると、ウサギを追い掛けて飛び込んだ俺は……）
「こんなに神秘的ですし、このまま別の世界に行けそうですね」
　ふふっとシェリーが肩を揺らすのに、源は苦笑を浮かべる。
「立場の話とは言え、俺には似合わない」
　今度はシェリーがパチパチと瞬きした。
　まじまじと源を見つめる。
「……もしかして、想像してる？」
「はい、想像してみました」
　嫌な予感がして源が尋ねれば、彼女はあっさり頷く。
「いや、本当、それは止めて貰えるかな……」
　思わず頭を抱えれば、シェリーが楽しそうに笑った。
「案外、似合うと思いますよ？」
「似合っても嬉しくはないかな……」
　思わず自分でも想像してしまい、源は首を振る。エプロンドレスにカチューシャ……笑えない冗談だ。
　源はふぅと息を吐き出して、下を見た。
　何時の間にか、着地地点が視認出来るようになっている。
「アトリールさん」
　シェリーは、底に近付いている事に全く気付いていない様子。その手を源が掴めば、彼女は少し目を丸くしてから微笑んだ。
「あら、捕まってしまいました」
　クスクス楽しそうに笑みを零すシェリーに、源も口元をふっと緩める。
「……そろそろ付くよ、ウサギさん」
「ああ、そういえば……いつの間にか、地面が見えてます」
　シェリーは名残惜しそうに上を見上げた。
　見上げる壁には、六角柱状のクリスタルが様々な色彩を放ち輝いている。
「それにしても……きらきらしていて綺麗ですね」
　クリスタルは一つとして同じものはなく、それぞれに眩い光を宿していた。
「夢の世界じゃなくても、素敵なものは沢山ありますね」
　ゆっくりと呟くように言ったシェリーの横顔を、源は見つめる。
　クリスタルの光に、彼女の猫のような桃色の瞳も輝いて見えた。
「素晴らしい事です」
「……そうだね、現実もいいものだよ」
　源は微笑んで、彼女の手を引いてその身体を抱き寄せた。
　地面が近い。
　ふわりと下から柔らかい風が吹いて、ゆっくりゆっくりと二人の足が地面へ着地する。
「……と」
　上手くバランスが取れずよろけるシェリーの身体を、源が支えた。
「……あ、ありがとうございます」
「足元、気を付けてね」
　シェリーがしっかり立てた事を確認して、源は彼女から離れた。
　頭上を見上げる。
　降りて来た大穴は、遥か頭上に見える。
「何だか、あっという間でしたね」
「最初はどうなる事かと、少しヒヤッとしたけど」
「？」
　不思議そうなシェリーに、源は眉を下げた。
「一人で先に行ったろ？」
　源の手袋を嵌めた手が、コツンとシェリーの額に当たる。
「俺を置いて一人で行かないでくれると有難いかな」
「……はい」
　シェリーは額に手を当てて、小さく頷いた。
　触れられた箇所が、何だかぽかぽかと温かく感じる。
「……でも」
「でも？」
　シャリーは源を見上げて笑った。
「柳楽は直ぐに追い付いてくれました」
　ぎゅっと手を握る。
　あの時、源がシェリーの手を捕まえたみたいに。
「だから、大丈夫です、きっと」
　──参った。
　源は得意げな笑顔のシェリーを見つめ、それからまた上を見上げた。
「まあ……出来る限りは、ね」
「はい」
　シェリーが握った手をぶんぶんと振る。
　にこにこと嬉しそうな彼女の笑顔に、源もまた表情が緩むのを感じていた。
（本当に、変わってる子だ……）
　ならば、そんな彼女に付き合ってあげられるのは……。
「柳楽、もう一回大穴から落ちてみませんか？」
　ぐいと手を引かれる。
「凄く楽しかったので、もう一度」
　早く早くと急かす声に、源はやれやれと笑った。
　──付き合ってあげられるのは、己しか居ないかもしれない。

依頼結果：大成功

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