ガラスに光が差し込み、キラキラと輝いている。
　タブロス・モールの中央広場にあるツリーは幻想的に煌めき、人々の視線を集めていた。
「おー、でかい」
　柳　大樹もまた、ツリーを見上げて歩む足を止めた一人だ。
　建物の中央で天高く立つガラス細工。
（やっぱこういう場所のツリーは大きいね）
　その頂上を見上げ、一際大きく光る星のモチーフに瞳を細めた。光の粉が纏うような眩い光。
　クラウディオは、大樹の隣に立ち、辺りを見渡した。
　常日頃は隠されている彼の口元は、外界の空気に晒されていた──モールに入る前、大樹に指摘され、口布は下げている。
　出来たばかりな為か、モールの中は沢山の買い物客で溢れていた。
　A.R.O.A.本部が近いという安心感もあるのだろうと、クラウディオは思う。
　大樹の横顔を見た。彼はいつも通り。蜂蜜色の猫目に特別な光は見えない。
　クラウディオは、大樹に倣ってツリーを見上げて、気付く。
　ガラス製のツリーには、沢山の紙が括り付けられていた。

『彼と何時までも一緒に居られますように』
『お金持ちになりたい！』
『世界平和☆』

　手書きの短い文章に込められているのは──。

「願い事、何書く？」
　明るい客達の声、そしてその手に持たれている紙を見て、クラウディオは理解した。これはモールを訪れた人々の願い事が書かれたものだ。

「願い事ねえ」

　ぽつりと、大樹が呟いた。
　クラウディオは彼に視線を戻す。大樹の左手が、彼の左目を覆う眼帯に一回だけ、触れた。
（──どっちも無理だし）
　直ぐに手を下ろして、大樹はツリーを見つめる。
　願いは、叶わない。
　失った瞳は戻る事はないし、瞳を奪ったデミ・ウルフは、もう何処にも居ない。大樹自身の手で、復讐する事は出来ないのだ。
　復讐……なんて言葉がしっくり来るかと言われたら、よく分からないが……少なくとも、大樹はあのデミ・ウルフに、何も出来ない。
（オーガに八つ当たりぐらいしかできないけど）
　八つ当たり。これもしっくり来る単語であるかは悩む所ではある。しかし──。
（それも疲れて来たな）
　小さな呟きは、心の中に波紋となって広がっていく。

「大樹」

　不意に飛び込んできた声に、大樹は瞬きした。
　クラウディオがこちらを見つめている。
　彼の瞳が、己の様子を窺っている事を読み取ると、大樹は軽く肩を竦めた。
「別に」
　一言答えれば、クラウディオはそうかと頷く。
「それよりクラッカーとかケーキ買ってこうか。クロちゃんちでパーティしよう」
　大樹はひらっと左手を振ると、クラウディオの返事を待たずに歩き始めた。
（問題はないようだ）
　一瞬、大樹の中で感情が弾けたような……そんな僅かなざわめきを感じ取ったけれど。大樹が何も言わないなら、問題は無いのだろう。
　クラウディオは少し早足に、先を歩く大樹の後に続いた。
「あ」
　突然大樹が歩みを止め、クラウディオは危うく彼にぶつかりそうになるのを耐えた。
「どうした？」
　尋ねれば、大樹がひょいと目の前を指差す。
「あれ、買う」
　そう言って大樹が手に取ったのは、クッションだ。それも二つも。
　赤と青が目に鮮やかだなとクラウディオは思った。大樹が使うのだろうか？　家族への贈り物なのかもしれない。
　レジに向かう大樹に付き添うようにして、クラウディオは周囲を見渡した。
　心なしか、知っている顔──ウィンクルムも多い気がする。
　二つのクッションの入った大きな袋を大樹が抱えた。
「持とう」
「ん、助かる」
　クラウディオは、大樹からクッションの入った袋を受け取る。それから、二人は食品売り場を目指して歩き始めた。


　がらんとした部屋。必要最低限のモノしか置かれていない、殺風景な個性の無い部屋。
　それがクラウディオの部屋だ。
　ある意味、この殺風景が彼の個性なのかもしれない。
　そう思って、じくりと大樹の胸の奥に得体の知れない不快感が広がった。
　先日、ムーン・アンバー号で見た夢が頭にちらついて、大樹は頭を軽く振る。
　クラウディオは、買ってきたケーキを皿に載せていた。とびきり甘そうな生クリームの白いケーキ。
　彼一人であれば、買わない代物だろう。それと彼を交互に見て、大樹は二つのクッションが入った袋に手を掛けた。
　これも、クラウディオの部屋には異質なものだ。
　けれど、だからこそ意味があると、何故かそう思えて。
「クロちゃん」
　ケーキの皿をテーブルに置いた彼に、声を掛ける。
　クラウディオの青灰色の瞳と目が合った。
「ほい、メリークリスマス」
　無造作に、赤い方のクッションを彼に差し出した。
　丸い赤のクッションを受け取って、クラウディオが瞬きする。
　これは何だと言わんばかりの眼差しに、大樹は僅か口角を上げた。
「ここ何も無いから、物を増やしてあげようと思って」
　──要するに、クロちゃんへのプレゼント。
　そう言って大樹は青くて丸いクッションを抱える。
「ちなみにこのクッションもここに置く。俺用」
「そうか」
　それだけ口にして、クラウは手元に視線を落とす。鮮やかな青のクッション。
　プレゼントだと言った。──大樹が私に？
（此の場に物を増やす事が何になるのか）
「けっこーふかふかして気持ちいーね、コレ」
　大樹はクッションを触って満足そうに頷いている。
（──だが、それで大樹の気が済むのならそれも良いだろう。大して物は無い。置き場はある）
　口布の下、無意識に口の端が上がった事に、彼自身も大樹も気付いてはいない。
　大樹はクッションの感触を指先で確かめながら、ちらりとクラウディオを見遣った。
　彼はじっとクッションを見つめている。
　喜んでいるのか、嫌がっているのか──感情は読み取れない。
（こいつが何も言わないからって甘えてんのかな）
　クラウディオは、いつだって自分に従い、付いて来てくれるから。
　彼が己を拒む事はない。離れる事はない。それを知っていて、好き勝手にしているのだ。
（……認めたくねーけど）
　分かってしまえば、すとんと結論は胸に落ちる。
「トナカイか」
　クラウディオの声に、大樹は僅か跳ねた鼓動を隠すようにクッションを抱き締めた。
　それから、彼がクッションの柄について言ったのだと気付くと、己の腕の中を見つめる。
「ほんとだ。こっちのはツリーだわ」
　クラウディオがこちらを見てくる。
「買う時、柄は気にしてなかったから……」
　少し決まり悪く言えば、僅かにクラウディオが笑ったような気がした。
（なんだ、これ）
　悔しい？楽しい？どうして？……訳わかんない。ぐるぐる感情が回る。
「クロちゃん、これ」
　大樹は浮かぶ感情を振り切るように、クラウディオにクラッカーを一個、投げて渡した。
「パーティ、はじめよう」
　言うなり、大樹はクラッカーの紐を引っ張る。
　乾いた音と共に、カラフルな紙テープと紙吹雪がクラウディオに向けて飛んだ。
　クラウディオは、降ってくる紙吹雪に指先を伸ばす。
　まるで花びらが、光が、己に向かって降りてくるようだった。鮮やかで美しい。
「思ったより派手に飛んだなー」
　頭から紙テープを被ったクラウディオを眺め、大樹が笑う。
「ほら、クロちゃんも鳴らしてみなよ。折角買ったんだし。掃除なら後で手伝うからさ」
　クラウディオが握ったクラッカーを指差せば、彼は小さく頷いた。
　大樹に倣って紐を引っ張れば──再びクラウディオの視界に、カラフルな紙テープと紙吹雪が広がった。
「クロちゃん、何で自分に浴びせてるの」
　大樹の声に視線を向ければ、彼が立ち上がってこちらに歩み寄る。
「あーあ、テープが凄い事になってる」
　大樹の指が、クラウディオの頭に掛かる紙テープを摘まんで落としていった。
「これ、掃除が大変かも」
　その言葉に、クラウディオは周囲を見渡す。
　殺風景な部屋がカラフルに染まっていた。それは何だかとても不思議な光景で。
　ずっとこのままにしていたい。何故そんな風に思ってしまうのだろう？
「まあ、二人で掃除すれば直ぐに綺麗になるだろ」
　大樹はクッションを背に座り直す。
「ケーキ食べよ、クロちゃん」
　クラウディオは頷き、己もクッションを背に座り、口布を下げた。
　クッションは柔らかく心地良い。
「乾杯」
　シャンパンの入ったグラスを触れ合わせて、炭酸の弾ける口当たりを楽しんだ。
（プレゼントと告げられた際、思考が僅かに乱れた）
　ケーキを口に運ぶ大樹を見つめ、クラウディオは考える。
（任務に支障をきたす訳にはいかない。何が理由だろうか）
　幾ら考えても答えは出なかった。
「あ、雪」
　不意に大樹が窓の外を指差す。
　クラウディオは窓を振り返り、瞳を細めた。
　暗くなった空から、雪の粒がふわふわと舞い落ちている。
　それは、まるで今の己の心模様のようで──モノクロの世界を埋めていく白。
　鮮やかに強く、静かに。
　今はその意味は、分からないけれど。それでもいい。悪くはない。
　今は、ただ、この夜を穏やかに。

依頼結果：大成功

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