●おうちでパーティの準備
　『月野　輝』が『アルベルト』の部屋に入るのは、これがはじめてのことではなかった。
「……アルの部屋」
　しみじみとした思いを込めて、輝がそっとつぶやいた。
　その声を聞きつけたアルベルトが、輝の方へと視線を向ける。
「輝を部屋に招くのはあの時以来か」
「そうね。この前行ったのは色々あって落ち込んでた時だったから今日とは随分気持ちが違うわね」
　二人の会話の中でしきりにかわされる「あの時」という言葉。その曖昧な表現がいったいいつの出来事をさしているのか、おそらく第三者が聞いてもわからないだろう。
　が、それでも支障はない。どうせこの空間には、輝とアルベルトの二人きりしかいないのだから。
　あの時とは随分違う楽しそうな輝の表情を見て、ついアルベルトの頬も緩む。
　輝は台所に入っていった。
「あの時食べたシチューも美味しかったけど、あれ以上のご馳走を作るんだから腕を振るうわよ」
「それは楽しみだ」
　張り切る輝の様子を見て、少しからかった口調で笑うアルベルト。
「もう、笑わないでっ」
　ちょっと怒ったような声を出して輝が反撃するが、もちろんこちらも本気ではない。むしろ、アルベルトとの微笑ましいやりとりに頬が緩んでいくのが輝自身鏡を見なくてもわかるほどだ。
　こうして過ごす平穏な時間が、とても幸せで夢みたいだった。
「……」
　むにっと。
　輝は自分の頬を軽くつまんでみる。
　そしてホッとした。この幸せは、夢じゃないんだとわかったから。
「何してるんだ？」
「なんでもないわ」

　アルベルトは玄関にいた。ジャケットを着こみ、ブラウンのムートンショートブーツを履いているところだ。
「それじゃあ、ケーキを受け取りにいってくる」
「わかったわ。いってらっしゃい」
　そう言った後で、輝は自分の言葉を振り返って笑う。
「あら。よく考えると、私がアルにいってらっしゃいって言うのって、ちょっと変だったかしら？　ここはアルの家なのにね」
「……」
　アルベルトはその言葉には特に応えず、ただ意味深な笑みだけを浮かべていた。その顔は、輝からは死角となって見えなかったが。
　パーティーの準備は、輝とアルベルトで手分けしておこなう手はずになっている。輝がキッチンを借りて手料理を作り、その間にアルベルトはクリスマスケーキを買ってくるという流れだ。
　……少なくとも、輝はそのように聞かされていた。

　外に出たアルベルトは、予約していたケーキを受け取った。少し小さいけれど、二人で食べるには丁度良い大きさだ。それにデコレーションは繊細で、味の方も美味しいと評判の店だった。
「さて……」
　アルベルトはそこでまっすぐ自宅には戻らずに、もう一つ別の店へと立ち寄った。

「ただいま」
　家へ戻ると、アルベルトはクリスマスケーキの箱をテーブルの目立つ場所に置いた。
「ああ、アル。戻ったのね」
　輝はグラタンのソースを作っているところだった。輝とアルベルトにとって思い出深い食べ物であるシチューにアレンジをくわえたものだ。
　肉の焼ける香ばしい匂いがした。オーブンの中で、ローストチキンが焼けている。
　輝の料理の腕は、それなりに上手な方だ。美味しそうな料理を手際良く作っている。
　アルベルトはしばらく彼女の背中を見つめていた。そのテキパキとした一生懸命な働きぶりは、見ていて清々しいものだった。
　料理をしているからなのか、輝の長い黒髪は髪留め「雪の女王」でしっかりとまとめられていた。この髪留めは本来、童話をモチーフにしたハロウィンシーズンのアイテムだったが、蒼の鉱石で作られた雪の結晶というデザインでこの季節でも違和感はない。
「何か手伝おうか？」
　キッチンで腕を振るっている輝に、アルベルトが後ろから話しかける。
　小首を傾げるようにして輝が振り返った。
「アルにはテーブルのセッティングをお願いしても良いかしら？」
「わかった」
　アルベルトは丁寧な手つきで食器をテーブルに並べていく。二人で過ごすクリスマスのディナーのために。
（どんな言葉で輝に……を渡そうか）
　食器を並べる手を動かしながら、アルベルトはあることを思案していた。
（遠回しだと輝は気付かないだろう）
　キッチンで忙しそうに立ち回っている輝の背中にチラっと視線を向けた後、アルベルトは愛情ある微笑を口元に浮かべた。
「アル、お待たせ！　クリスマスパーティーの料理が全部完成したわよ！」
「ああ。こちらも準備できている」
　隠し持った小箱を手に、アルベルトが応えた。

●おうちでディナー
　テーブルに並んだ料理の温かさに、アルベルトは胸を打たれた。
　じっくり焼いて、キレイな焦げ目のついたローストチキン。食欲をそそる焼けた肉の香りがする。
　レタスやキュウリといった緑の野菜に、真っ赤なトマトを加えたクリスマスカラーのサラダ。見た目が鮮やかだ。
　そして輝がソースにこだわったグラタン。とろけた熱々のチーズが美味しそうだ。
「……アル？　どうしたの？　ぼんやりしちゃって」
「いや、心配ない。ただ……」
　アルベルトは少しさみしげに微笑んだ。
「こんな家庭的なクリスマスは、あまりにも久しぶりだったから……とても懐かしくて。実の両親が亡くなって以来かもしれない」
「アル……」
　アルベルトは十一歳の時に両親を亡くし、シラー家の養子となった。
　輝は言葉をかける代わりに、ただ黙ってアルベルトの手を握った。強く、優しく。
「輝がそんな悲しい顔をすることはない」
　感傷的な気分を切り替えて、アルベルトが穏やかな明るさで言う。
「クリスマスを楽しもう」
「……ええ、そうね！」
　アルベルトにとって、輝は両親が生きていた頃の幸せの象徴だ。彼女の存在そのものが、アルベルトの心の支えになっている。

「手料理を褒めてもらえて嬉しい。それに、アルが買ってくれてたケーキが可愛い」
　にっこり笑って、シャンパンで乾杯する。
「一緒にお酒飲めるっていいわね」
「そうだな」
　外見の印象が大人びていた輝だったが近頃実年齢が見た目に追いついて、晴れてお酒を飲める歳になった。
　乾杯の後でアルベルトが小さな箱を差し出す。アルコールが回って思考があやふやになってしまう前にちゃんと言っておいた方が良いだろう、と判断して。
「輝にこれを……」
「あ、プレゼントね。嬉しいわ」
　プレゼントが差し出されたこと自体には、それほど驚かない。
　輝も今日のためのプレゼントはちゃんと用意してきていた。アルベルトのことを考えながら作った、手編みのマフラーだ。いつ渡そうかと輝がタイミングに迷っていたら、アルベルトに先を越されてしまったが。
「何かしら？　楽しみね」
　ほのぼのとした様子の輝だったが、小箱を持ったアルベルトの表情がいつになく真剣なことに気づく。

　二人の間の空気が変わった。
　緊張感が漂う。
　それぞれの心臓の鼓動が、聞こえてしまいそうな静寂の中。
「……」
　中身が輝によく見えるように、アルベルトは小箱の蓋を開けた。
「ここへ越してこないか？」
　アルベルトからのプレゼント。それは、輝の誕生石をあしらったプラチナのリング。誕生石は控えめな大きさで、そのさり気なさが上品な指輪だ。
「！」
　驚きと感動で、口元を抑えて息をのむ輝。
「愛してる」
　初めて目を見てきちんと気持ちを告げる。
「……っ」
　感極まった輝のノドから、嗚咽に似た音がこぼれる。
　黒い瞳からも、ポロリと涙がこぼれた。
　けれど、輝は涙しながら笑っていた。
「嬉しい……！！」
　アルベルトの胸に飛び込めば、力強く抱き締められる。
　あの時とは違う、嬉しい涙を流しながら。

依頼結果：大成功

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