「ご馳走様」
　紅色の艶やかな唇を、すっと上向かせて、スティレッタ・オンブラは赤ワインのグラスを置いた。
　チキンにサラダ、シチューに白いクリームのかかったケーキ。どこにでもあるようなクリスマスの晩餐。普段より少し豪勢なだけだ、とバルダー・アーテルは心中で呟く。
　目の前の女の態度もいつもと同じ。猫のようにしなやかで、隙のない仕草。口の端に笑みを浮かべて男をからかう、たちの悪いジョーク。
　最近だいぶ慣れた、とは言っても、彼女が、風に当たってくるわ、とベランダへと向かうと、バルダーは少しほっとした。
　彼女がベランダのドアを開ける。小雪混じりの冷たい風が吹き込み、遠くで子供と大人の混声で賛美歌が聞こえる。親子で聖歌隊に参加しているのだろう。
（賛美歌か）
　バルダーは物憂げに黄金色の目を細める。ふと、スティレッタの緋色の目に、憂いとも憧憬ともつかぬ光が宿っているのに気がついた。
（モールで買い物してたときも、家族連れを幸せそうに見ていたな……）
　バルダーは何か声をかけようとした。しかし、一瞬早く、スティレッタがドアを閉めた。風が止んだ。男は少し逡巡してから、ため息交じりにクロスビーコートを手に取り、彼女のあとを追った。

　雪の降り積もる厳かな夜。向こうに見えるのは子供のいる家庭だろう、飾り付けられたイルミネーションの光が雪を色鮮やかに照らす。
　真っ白な呼気を吐きだして、スティレッタは遠ざかる賛美歌の声を聞いていた。その肩が小さく震えている。
　ばさ。
　不意に、暖かな外套が肩を覆って、スティレッタは振り返った。
「珍しく感傷に浸ってるな」
「クロスケ……」
　わずかに彼の香りのする外套。それを愛しげにかき寄せながら、長身の精霊の黄金色の瞳を見上げて口角を上げた。
「男にこんな風にしてもらえるの、久しぶりだわ」
「お前にこんなことする男なんてダース単位だろ。クリスマスに一緒にいてくれる奴もな」
　バルダーは彼女が苦手だ。話をすれば憎まれ口になってしまうし、気がつけば相手のペースに振り回されている。
　けれども……妖艶な黒髪、猫のように悪びれない瞳。彼女に振り回されたいと願う男など、いくらでもいるであろうことは想像がつく。
　スティレッタは彼の台詞に笑んだ。その笑みにはほんのわずかな寂しさが混ざっていた。
「クリスマスを一緒に過ごしてくれる男なんて、居ても嬉しい相手じゃなかったわ」
　男って本当に単純よね。と彼女は呟く。外から見えるものばかりを愛して、見えない奥底に何が宿っているのかなんて気がつきもしないのよ。
「生まれた時は既に独りだった」
　ぽつり、と彼女が語り出す。バルダーは真剣な顔でじっと聞き入る。その声は、人が大事なことを語ろうとするときの声だと察して。
「家族と過ごすクリスマスなんて知らなかったし、憧れても仕方のない、遠い世界のことだったわ。
孤児院も楽しくはなかったしね。１１歳であそこを出て行ってからは、酷い男も沢山見てきたし、生きる為に反吐の出る事も毎日やってきた」
　……なぜ、世の中の子供に与えられていることが、自分には与えられないのか。
　街を通り過ぎる子供が大人の男に手をひかれ、お父さん、と声を上げるのを聞くたび、少女の心は人知れず痛んだ。目の前の子が父から受ける無償の愛情に比べて、自分が周囲の男から受け取るものは……なんと醜いのだろう。
　お父さん、と呼びたい盛りの頃には、父親は現れなかった。
「父親らしき人は大人になってから会って、それで日の当たる世界に来れたけど、結局父親かも分からずに死んだ」
　自分の世界に光がさしたのは、ほんの一瞬。
「だからこういうクリスマスは過ごせないと思ってた」
　遠くに過ぎ去りつつある讃美歌を聞きながら、彼女はバルダーを見た。そして睫毛を伏せて、
「ごめんなさいね、クリスマスの夜に、こんな辛気臭い話をして」
　バルダーはゆっくりと彼女の隣に来て、ベランダの桟に肘をついた。
「安心しろ、俺は元軍人だ」
　男は聖歌隊の声のする方向を指さして、
「ああいう連中のまんなかに砲弾がぶち込まれて、一瞬で血の海。小さい子が親の死体にすがりついて泣き叫んで、お前と同じ境遇になるのも見た。クリスマスイヴの夜にな」
　スティレッタは眼を見開いた。バルダーは低い声で、
「他にも、吐気のする物を沢山見た。……傍観してただけじゃない、俺も武器を手にとって殺しもした。ドロドロの権力争いにも身を置いた」
　バルダーはスティレッタの瞳を覗きこんで、
「実の父は俺が物心つく前に戦死した。母も、父の後を追って自殺した。……子供のころは、俺は母は病死したと思っていたんだがな。
だから俺も、実の両親と過ごすクリスマスなんてものは知らない」
　むしろ、戦地に身を置いて思ったよ、クリスマスの奇跡なんてものはないってな。
「育ててくれた養父母も、今はあの世だ。そんなわけで……」
　バルダーはスティレッタの肩を軽くぽん、と叩いて、
「俺も独りだし、お前の過去にはドン引きしない」
　似た者同士ってわけだな、と呟く。
「時々腹は立つがお前は仲間だ。傍に居て欲しいならいる。何か聞いて欲しいなら言え」
　但し猥談以外だ。ときっぱりと言い添える。スティレッタは自分の心の内を見透かされたような気がして、じっと相手を見ていた。飾り気のない、まっすぐな彼の言葉に、温かいものが……ずっと冷え切っていた心の深い部分のどこかに、温かい熱が宿るのを感じた。隙間風の吹きこむ心の亀裂を、彼がその手を当ててふさいでくれたような。
　スティレッタはやがて微笑んだ。それは、平素の睫毛の陰に棘を隠した女王然とした笑顔というよりは、もう少し素朴な優しさが宿っていた。
「クロスケは優しいわよね。下心なしに言うんだから。そうね、お願いを聞いてくれるのなら……」
　来年も一緒にクリスマスを過ごしましょうよ。
　彼女の台詞に、バルダーは目を細めて、
「来年のクリスマスも一緒にか？　ふふっ、そのころまでには男作って楽しめよ」
　契約している女が別に男を作ったところで、別に咎めるつもりはない。むしろ、別の男が彼女の孤独を埋めてやれるのであれば、自分は何も言うつもりはない。
　バルダーは何のわだかまりもなくそう思っているのだ。
「本当にそれでいいの？」
　スティレッタは妖艶に笑んだ。猫のように自然に、彼の懐に飛び込む。
（今は抱き着いても慣れたみたいで、顔顰めるだけだし……）
　実際、彼は身を引いたりはしなかった。だからその頬に手を当てて、彼女は彼が察する前に、素早くその唇を奪ってしまった。
「……！」
　抱きつくだけだと思っていたところに完全な不意打ち、女のやわらかい唇の感触に、男は動揺する。かあっと頬を紅潮させて、慌てて身を放すと、スティレッタはしたり顔で笑って、
「ねえ、最初に会って言った『好みじゃない』って言葉、実は大嘘だったのよ」
「？！」
　自分の唇に手の甲をあててうろたえつつ、バルダーは眼を丸くした。
「あれは嘘？」
（なんだと？！　じゃあいままでのは、一体……）
　と、いかにも人をからかうのが楽しくて仕方ないと言った顔の彼女を目の当たりにして、今の台詞がどこまで本気なのやらと当惑する。
「バルダー、それにしても本当にうぶね。もしかして、異性との口づけは初めて？　だったらプレゼントね」
　いたずらっぽくウインクされれば、ますます動揺して、
「プレゼント？　また俺をそうやって……！」
　バルダーは赤くなった頬を見られまいとするように、くるっと踵を返した。唇に触れるだけのキスで、ファーストキスだと見抜くとは、スティレッタはどれだけ慣れているのか。
「名前呼びしたって、俺は絶対お前に惚れんぞ……！」
　宣言して肩を怒らせる彼の様子がいかにもかわいらしくて、おかしくて、スティレッタは子供のように吹き出した。冷たい雪の夜を温めるように、その笑い声は響いた。街頭で聖歌をうたう家族ずれの明るい声にも混ざって唱和した。
　どこかで軽やかな鈴の音が聞こえる。クリスマスのそりの音。
「はぁ、可笑しい。クロスケと一緒にいると本当に楽しいわ」
　そして背中を向けた彼の腕をとって引いて、
「それにしても寒くなってきたわね。部屋に戻って飲みなおしましょ」
　と、青年を見あげる。その眼に、今までと少し違った、少女の瞳にも似た澄んだ信頼の色が宿ったような気がして、バルダーは一瞬目を奪われた。
「？　なに？」
「いや、なんでもない」
　なんていうことだ。俺としたことが。
　スティレッタを一瞬、可愛いと思ってしまうとは……！
「さ、帰りましょう。ホットワインにすれば身も心も温まるわ」
「そ、そうだな」
　スティレッタはくすくす笑って、
「強い貴方でも悪酔いしそうね」

依頼結果：大成功

＞＞＞煉界のディスメソロジア
キャラクターコンバート！

＞＞＞ファンレターキャンペーン開催中！

＞＞＞チュートリアル漫画むーびー公開！

＞＞＞4thアニバーサリー！情報告知！