クリスマスの過ごし方は人それぞれで。外に出て大勢ではしゃぐ者もいれば、一人で静かに過ごす者もいて。
　そんな中で暁　千尋が選んだのは、契約精霊であるジルヴェール・シフォンと、彼の自宅で過ごす時間だ。
　豪華とまでは行かなくてもクリスマスらしい食事に舌鼓をうって、ケーキを楽しんで。
　少し甘目で飲みやすいワインに満たされたそれぞれのグラスを傾けながら、千尋は芳醇な香りと共に漂うアルコールの香りに、少し苦笑した。
「ようやく先生と酌み交わせる年齢になりましたからね。まだ慣れませんが、今日は頑張って飲みます」
「お酒は頑張って飲むものじゃないんだけど……ふふ、でも気持ちは嬉しいわ」
　慣れないアルコールをちびちびと口にする千尋の姿に、くすくすと笑みをこぼし、ジルヴェールもワインを口にする。
　クリスマスの時期は安くても美味しいワインも豊富だ。二人で飲むに値する味に、ふわりと口元を綻ばせるジルヴェール。
　そんな彼の姿をチラと見つつ、千尋は改めて今の自分の状況を認識する。
「クリスマスを一緒に過ごすなんて、なんだか不思議です」
　ずっと憧れだった『先生』と、彼の家で二人。
　家庭教師と生徒という立場ではなく、契約したウィンクルムとして……というと、多分味気ない。
　互いに相手を選べる立場の大人同士として。二人は互いに互いを、クリスマスに過ごす相手として選んだのだ。
「今はもう慣れましたが、去年はまだそんな余裕もなかったですし」
「あぁそう……もう一年経つのね、早いものだわ」
　去年、の単語に、ジルヴェールは懐かしむように思い起こし、ふふ、と微笑ましげな笑みをこぼす。
「最初は妙に気まずかったものねぇ、懐かしいわ」
　心酔していた恩師の変貌という事態に動揺していた時期が千尋にはあった。
　優しいのは変わらなかったけれど、なかなか目線を合わせてくれなかったり、ジルヴェールの振る舞いに翻弄されたり。
　ぎこちない対応ばかりになっていたのを思い起こしてしまい、千尋は気恥ずかしさにわざとらしく咳払いをする。
「さ、さっきも言いましたが、もう慣れましたから！」
　だからこうして先生と二人でクリスマスを過ごしているんでしょう、と口早に訴える千尋に、ジルヴェールはくすくすと微笑んだ。
「慣れてくれたのは嬉しいけれど……」
　順応力が高すぎて、それはそれで少し寂しいのよね、とは、心の中だけに秘めておく。
　口にすれば、きっと複雑そうな顔をされるだろうから。
「来年はもっと頑張らなくちゃ」
「一体、何を頑張るつもりなんですか……」
　ふふ、と笑って零したセリフに、千尋が少しの呆れを湛えて紡ぐ。
　ないしょ。語尾を弾ませて笑うジルヴェールは、ワインのせいか、少し頬が赤く見える。
　こほん、と。またわざとらしく咳払いをして、千尋は途切れそうな話題を繋ぎ直すように、切り出した。
「そういえばモールで願い事を書いてましたね。何て書いたんですか？」
　A.R.O.A.本部から徒歩５分というほど近い位置に、新しく出来た超大型ショッピングモール。
　その中央には全長５メートルにも及ぶ硝子のツリーが設置されており、今は備え付けの紙に願い事を書いて吊るすというイベントをしていたのだ。
　千尋はそびえ立つ硝子のツリーを感嘆混じりに眺めていただけだったが、ジルヴェールが何事か書いていたのは、見ていた。
　何を書いていたんだろう。先生は、どんな願い事を綴ったのだろう。
　それは、単純で素朴な疑問だ。
　先ほどみたいに、内緒、とはぐらかされても、なんの脈絡もない回答でごまかされても、それはそれでいいかと思って聞いたのだ。
　だけれど。
「あぁ、願い事なら『チヒロちゃんが振り向いてくれますように』って」
　ジルヴェールから返された答えは、千尋の予想していないものだった。
　しかも、あまりにもさらりと紡がれたものだから、言葉の意味を汲み取ることができなくて、思考回路が停止する。
「は？　それはどういう……？」
　琥珀色の瞳が瞠目するのを、ジルヴェールは暫し見つめ、待った。
　千尋の理解を、待った。
　けれど、動揺しきりの千尋の思考が纏まる気配はない。
　やきもきしたように、もう、とジルヴェールは拗ねた顔をしてみせる。
「鈍いわねぇ。じゃあはっきり言うわよ」
　居住まいを正して、ジルヴェールは千尋に向き直る。
　真剣な目は射抜くように真っ直ぐなのに、その桜色はどこまでも穏やかで慈愛に満ちていた。
「チヒロちゃん、好きよ」
　静寂が、周囲を満たしているのか。
　だから、己の胸の鼓動がこんなにも鮮明に聞こえるのか。
　そんな中でもジルヴェールの声は飛びきり優しく、千尋の耳に滑りこむ。
　率直な言葉に、千尋は、理解せざるを得なかった。
「ちょ、ちょっと待ってください。急にそんなこと言われても……！」
　思いもしなかった。ジルヴェールがそんなふうに考えているなんて。
　千尋にとってジルヴェールは今でも『先生』で、尊敬していて。
　だけれど、一人の男性として対等にあろうとは、思っていて。
　それでもやっぱり、高嶺の花なのだ。
（僕なんかが、こ、恋人とか恐れ多いし！）
　二人の関係性を問う花は、恋の予感を示したけれど。
　その答えを、まだ、はっきりとは見つけられていない。
　どうなりたいか？　しらない。そんなの知らない。
　ただ、ただ先生が僕をまた置いていくことがなければ、それで、それだけでも――。
（そうだ、これは先生なりの冗談という可能性も……！）
　ぐるぐる、ぐるぐる、思考が巡る。
　受け止めきれない感情が、逃げ道を探すように一つの思考を導き出すが、目の前の彼は、そんなやさしい道を残してはくれなかった。
　椅子から転げ落ちてしまいそうな千尋の姿を見て、ふ、とジルヴェールは愛おしげに微笑む。
　困らせるつもりはなかったのだ。だから、口にするつもりもなくて、七夕のような硝子の大樹に、願いを添えたのだ。
　振り向いてくれますように、と。
「ゆっくり待つつもりだったんだけど、ワタシ意外と堪え性がないみたい」
　自覚したものを、いつまでも胸に秘めておけるほど、我慢強くはなかったのだ。
　だけど、恋する乙女のようにもどかしくやきもきした時間だって十分、過ごしたのだ。
　もうそろそろ、いいだろう。
「だから、これからはもっと積極的にいこうと思うの」
　思いを告げることが、意思を紡ぐことが、ジルヴェールを晴れやかな気持ちにさせる。
　もっと早く言っていればよかった？　いいや、きっと今だから言えたのだ。
「もう待たないわ」
　欲張りなワタシの枷を外したのは、クリスマスという時間と甘い甘いワイン。
　ほろ酔いに甘い心地を湛えて、そっと耳元に寄せた唇で、ジルヴェールは甘く囁く。
「覚悟しておいてね」
「っ……！」
　耳元の声に、大げさなほどに肩を跳ねさせた千尋は、吐息の感覚が残る耳を押さえ、真っ赤になる。
（頑張るってそういう……！？）
　ピンときていなかった言動にも、内緒の意味にも合点がいって、言葉に詰まる。
　そんな千尋を見つめ、ジルヴェールは冗談めかした顔でころころと笑う。
「ふふ、真っ赤だわ。ねぇ今日はあーんしてくれないの？」
　誕生日にねだった一口は、幸せの味がして甘かった。
　クリスマスにだってねだってもいいでしょう？
　まだ残っているケーキをチラチラと期待じみた目で見るジルヴェールに、千尋は一層頬が熱くなるのを自覚しながら、ぷいと視線をそむける。
「……今日はしませんっ」
　特別な日に特別な言葉を聞いてしまったのだ。
　これ以上の特別を重ねては、もったいない。
　……もとい、心臓が持たない。
　いたたまれない程に赤くなっている千尋のそんな心情が解るから、ジルヴェールは拗ねた口ぶりをしつつも笑うのだ。
「じゃあ、また今度ね♪」
　ささやかな覚悟を、その時までに。
　貴方の答えも、いつかは、その口で。

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