クリスマスの夜。鞘奈は己の自宅で家族とクリスマスパーティをしていた。
　その輪の中には、彼女のパートナーであるミラドアルドの姿もある。
　賑やかな時間が過ぎるのは早く、子供たちが眠りについた頃には随分遅い時間になっていた。
　ぱちぱちと火の粉の音を立てる暖炉の前で、暖かな飲み物を二人分。
　火の傍とはいえ冬特有の冷たい空気が不意に過る夜の時間に飲むホットドリンクは、ことさら暖かく、二人はどちらともなく小さく息をついた。
「鞘奈とこうしてゆっくり話すのは珍しいね……こそばゆいな」
　不意にポツリ、ミラドアルドが零す。
　鞘奈とミラドアルドの関係性は、取り立てて良好ではない。
　契約してからの日が比較的浅い為もあるだろう、鞘奈は未だにミラドアルドをどこか認められないでいる。
　ミラドアルドが鞘奈に対して警告じみた物言いを繰り返すのも要因ではあろう。ともかく、二人は仲の良いパートナー同士とは、とても言い難かった。
　だからこそ、ミラドアルドとしては、こうして鞘奈の家でゆっくりと過ごすこんな時間に、少しだけ違和感を覚えるのだ。
　かと言って、居心地の悪いわけではなくて。だから、こそばゆい。
　そんなミラドアルドをちらと一瞥して、カップを下ろした鞘奈はふと、思い起こすような顔で告げる。
「弟も妹も楽しそうだった」
「ん、あぁ、二人とも元気で、さすがに僕も遊び疲れたよ」
　育ち盛りで遊び盛りの少年少女のペースに合わせるというのは、戦うのとは違った体力を使う。
　しかしそれは心地良い疲労感をもたらすもので。ミラドアルドは肩を竦めて笑った。
「兄ができたみたいで嬉しい、姉さんありがとう……だって」
　鞘奈が続けたのは、ただ純粋に、弟妹からの感想だった。
　はしゃぐ姿を思い起こして、ふふ、とミラドアルドは嬉しそうに笑う。
「兄……か、くすぐったい響きだけど……うん、僕も弟と妹ができて嬉しい」
　懐いてくる子供は可愛らしいものだ。ましてそれがパートナーの身内で、自分を『兄』のようだと言って慕ってくれるのなら、なお。
　今日だって、二人が希望したからこそミラドアルドはこの場にいるのだ。
　いつもは家族だけで過ごすという話を聞いていただけに、誘いを受けた時は意外な顔をしたものだ。
　だが、あくまで『弟と妹が』ミラドアルドを迎えたくて、鞘奈は大切な家族の申し出だからこそ、尊重したかっただけなのだと、知っている。
　クリスマスみたいな特別な日じゃなくても遊びに来てほしいとせがまれているのだと、少し不服そうな顔で告げたのを、ミラドアルドは忘れていない。
　二人を取られたみたいだと頬を膨らませた彼女の顔には、寂しさが滲んでいた。
　――今は、どうなんだろう。
　ささやかな疑問を抱きつつ顔を上げて鞘奈を見たミラドアルドは、彼女の顔に普段と違った雰囲気が伺えるのに気がついた。
　クールで淡白な印象の強い鞘奈の、ミラドアルドを見つめるその表情には、確かな感謝があった。
「ミラ、ありがとう」
　ぱちぱちと、暖炉が火の粉の弾ける音を立てる。
　それだけの静かな空間にはっきりと響いた声は、ツンとした冷たさを削ぎ落としたように、柔らかくて暖かくて。
　ミラドアルドは、驚いた顔で何度も瞳を瞬かせていた。
「……何よ」
「……あ、ああ。びっくりした」
　じと、と。咎めるような眼差しと声に、ミラドアルドははっとしたような顔をしてから、苦笑する。
「鞘奈がお礼言うなんて、今日はどうしたんだい？」
　なんだか変だと言われているようで、鞘奈は露骨に不満を表した顔で、ぷいとそっぽを向く。
「クリスマスくらいは素直になるわよ」
　折角言ってやったのに、と言いたげな横顔に重ねて苦笑しつつ、ミラドアルドはほんの少しだけ鞘奈の顔を覗き込んでから、肩を竦めた。
「いつもの鞘奈に慣れてしまってたからかな、照れるよ」
「いつもの私のほうがいいの？」
　お望みならもっと飛びきりの塩対応をしてやろうかと言わんばかりの目が、じとりと横目に見てくる。
　だが、自分の普段の対応が起因しているのもよく分かるし、クリスマスという今日くらいは、素直になるのだと自分で言ったばかりだから。
　ふぅ。小さく、肩の力を抜くような息を吐いて。
「あんたのこと認められなかったけど、弟たちが笑顔になるなら居ていいなって思っただけよ」
　淡々と、淡々と、鞘奈は言葉を吐き出す。
　あくまでも、弟たちのためであると、強く訴えるように。
「私だけじゃ、兄がいる、なんて新しい喜びを与えられないもの」
　嘆息混じりに紡がれた台詞は、先日と同じ寂しさを孕んでいる言葉に聞こえるのに。不思議と、そんな雰囲気は感じられなかった。
「新しい喜び、か……」
　鞘奈の弟や妹が、そんな風に感じているのなら嬉しいことだ。
　それとも――。
（君もその新しい喜びを感じてるのかな）
　長女として、背筋を伸ばし続けている鞘奈とて、まだ大人になりきれていない少女。
　例えば、鞘奈もまた、ミラドアルドを兄のように慕ってくれるのなら。それもまた、嬉しいことである。
　……兄、よりももう少し対等な関係性の方が良いような気もするけれど。
（だとしたら、弟一人と妹二人、かな）
　四人兄妹とは、実に賑やかである。想像して、ミラドアルドは小さく笑った。
「僕も……」
「？」
「僕も、寂しくなくなった」
　暖炉の火が、揺れる。
　ぱちぱちと、火の粉の弾ける音を立てて。
　弟と妹がいて、不自由無い生活のできる鞘奈には、ミラドアルドの言う『寂しさ』の本質を理解することはできない。
　だけれどそれは、弟達を『取られるようだ』と思ったあの感情と、似ているのだろう。
　だからだろうか。鞘奈は、穏やかに、嬉しそうな顔で微笑むミラドアルドを、優しい気持ちで見つめることができた。
　戦うために必要な契約者。そうとしか思っていなかったはずが、彼の人としての内側を覗こうとしているのに気がついて、鞘奈はささやかな動揺に視線をそむける。
「……それにあんたの諦めの悪さにも慣れてきたし」
　女として扱い、戦いは控えろと警告し、仲良くなりたいと笑うミラドアルドの存在が、すとん、と鞘奈の中に居着いた。
　それを自覚した鞘奈の呟きは、ごくごく小さくて、ミラドアルドの耳には届かなかったけれど。
　何か言ったかい？　と小首を傾げた彼は、深くは追求しないまま、まだほんのりと温もりの残っているカップを掲げた。
「そうだ、改めて乾杯しないかい？」
「改めて乾杯？　意味がわからないわ……」
　グラス――今はカップだけれど――を改まって重ねる理由は、鞘奈には思い当たらない。
　突拍子もない申し出に、怪訝な顔をして見てきた鞘奈の様子を見て、くすくす、ミラドアルドは少しの楽しさと安堵にも似た心地に小さく笑う。
「ふふふ、そう言うといつもの鞘奈だね」
　特に意味を明言することなく、穏やかに微笑むだけのミラドアルドも、いつもの彼で。
　むっとしたような表情のまま、鞘奈は半分に減ったカップを、掲げた。
「しょうがないわね。――乾杯」
「乾杯」
　暖炉の炎に照らされて、カップ同士の小さな影が、かちん、と音を立てて重なる。
　それが手元に戻ってくるや、鞘奈は囁くように告げる。
「メリークリスマス、ミラ」
「……先に言われてしまったな」
　まだ、日は変わらない。クリスマスの夜のまま。
　家族の輪に交えられて、賑やかな時間を過ごしたその日のまま。
　相容れないと思っていたパートナーと、くすぐったくも穏やかな時間を過ごした、その日に。
　乾杯を。
「メリークリスマス、鞘奈」
　カップの中身は、冷えていたけれど。
　その分だけ長く話した心は、ふくよかに温まっていた。
　それが、睡魔を呼んだのか。不規則に聞こえる火の粉の音と、ゆらゆらと揺らめく炎の影に、鞘奈はうとうとと目をこする。
「……眠くなってきた」
「眠い？　風邪をひくからベッドに……」
　促そうと席を立つミラドアルドをよそに、鞘奈はラグの上に丸くなって、もぞりと身じろぐ。
「ベッド……？　いいじゃない今日くらい」
　こんなにも温かいのだから。それにほら、乾杯したじゃないか。今日は、良い日なのだ。
「……私、あんたがいてよかっ……」
　眠りにおちる刹那、ぼんやりとした声が紡いだのは、きっと普段は言えない、鞘奈の本音。
　そのまますやすやと眠ってしまった少女を見つめ、小さく息を吐いて、ミラドアルドは静かに微笑む。
「……寝顔を見せてくれたってことは、心を許してくれたのかな」
　眠る少女にキスをしたいとか。そんな感情は、ないけれど。
　傍で見守るくらいは、許されていると思って良いのだろうか。
「素敵なプレゼントをありがとう、鞘奈」
　いいじゃないか、今日くらいは。
　甘えてくれるのを、嬉しく思ったって。

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